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「ほんわか写真館」で記事を検索しました。

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2021.11.12

ほんわか写真館
擬人化トレーニング 「相手の気持ちになって考えよう」と、 ケアの現場ではよく言われます。 しかし人間は、自分の心の中には自分の考えが一杯詰まっているので 本来、相手の気持ちを考え、さらに受容すると言うのはとても苦手なのです。 SNSで平気でいじめをしてしまうのも、 相手の気持ちなど全く考えないからです。 しかし私たちの仕事は、「相手の気持ちを考えたり、受け止めたりすること」 それが出来なければ、専門職としての魅力は半減します。 この仕事に就いたからには、ケアの実践者として「自分はどうありたいのか」と 問いかけなければならないでしょう。 「相手の気持ちを考える」 そのため普段から柔らかい思考を持たなければなりません。 日頃から相手はどう思っているのだろうか?と考える姿勢が必要です。 ちょっとでいいのです。 ほんの少し立ち止まり、相手の気持ちを考える時間を持ちます。 そのトレーニングのひとつとして、どんなものにも声を掛け、 何を思っているのか想像するという、擬人化トレーニングをすることです。 それを普段からちょくちょく行うことです。 以下の3枚のお猿の写真は、私が撮影したものですが、 1枚1枚の写真に、「お猿の気持ち(思っていること)」を考えてみて、 書いてみてください。 ちょっとしたショートストーリーが出来るかもしれませんよ。       どうでしょうか。一枚一枚にお猿の気持ちを想像して書いてみる。 この瞬間に、あなたは「お猿の立場」で考えています。 どんなものでもいいので、ちょっと立ち止って、考えてみる。 そんなトレーニングをやってみてください。 今は電車に乗っていても何が起きるかわからない時代です。 スマホばっかりやってないで、周辺に目をやり、いろいろ想像してみることですね。 それだけでも心の柔軟性は養われます。 スマホの狭い画面ばかり見ていては得られない、心の世界を広げる情報がそこにあります。  
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2021.11.09

ほんわか写真館
オレンジメンバー養成講座開かれました 認知症の人や家族を支援するチームオレンジを形作っていくための 「オレンジメンバー養成講座」が開かれています。 地域で認知症の人を支える、それをチームとして行っていくのですが、 今回参加された方は約10名、熱意を持った方々ばかりです。 しかしその年齢層は、いわゆる「高齢者」の皆様ばかりでした。 高齢者が高齢者を支える。そのような状況が続いているのかもしれません。 ただ年代を越えて繋がっていける取り組みをもっと行わないといけないのかなと思います。 「安心声掛けつながり訓練」もそのひとつと言えるでしょう。 年配の方の普段の見守り+ICTを活用したものを取り入れて、 それらを活用できる年代の人も含めた支援作りが必要かもしれません。 雲海に浮かぶ美ヶ原と八ケ岳 標高3015メートルの立山山頂より   かくいう私も高齢者の部類に入るのでしょうね。 ただ、わがまま勝手な私はグループで動くのが苦手(自分が不器用でだらしないので、グループメンバーにめっちゃ気を遣う)なのですが、 自己責任で行う登山は大好きでしばらくやめていたのを復活させました。 都会と違って、山は人が少ないです。それが何より。 空気も新鮮です。(もっとも最近は、なんちゃって登山者も増えましたが) 元々は危険な山も何のそのと、若い時はよく北アルプスを登っていたのですが、今はひーひー言いながら登っています。 10月、紅葉を撮影に行ったのに、山はもう冬でした。 さて、11月20日「ほっこりなつどい」を開催します。 認知症の方を介護されている介護家族の方のつどいです。お気軽にご参加ください。まだ参加できますよ!
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2021.10.13

ほんわか写真館
噛むことは認知症予防です センター長の石川です。 堅い内容のものが2回続きました。 ちょっとひと息です。 以前、あずきバー(アイスキャンディ)を食べた時に、歯が欠けました。 (今は注意書きが書いてあるらしい) そして今回、アイスモナカを食べた時に、さし歯が折れました。 このアイスモナカ、結構かちんこちんだったのです。 以前の経験があるため、注意して食べたにもかかわらずです。 つまり私は、アイスを食べると歯を欠かしてしまいます(苦笑) 私の歯もこの建物のように老朽化が進んでいます。   さて、その歯の最大の働きは「噛む」ことですね。 今日放送される「ガッテン!」はその「噛む」ことがテーマです。 様々な病気予防にも繋がるようですね。 三千メートルの山からの景色です   噛むことによって脳に刺激が行くので、認知症予防にも繋がります。 よく早飯、まるで噛まずに飲み込むような人もいますが、 ご飯を早く食べる人は、自分の心身へのリスクを多くしていると言えるかもしれません。 (早飯の人が必ず認知症になると言ってるのではありません。リスクが高まると言うことです。) スマホを見ながらというのもあまりよくないようです。 「噛む」そのためにも、歯を大切にしましょう!
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2021.09.29

ほんわか写真館
人を想う・白い曼殊沙華 センター長の石川です。 認知症状が進むと、私たちが当たり前に理解していることがわからなくなります。 簡単に一言で書きましたが、 私たちが当たり前に理解していることがわからなくなるということがどういうことなのか、 もっと真剣に考える必要があります。 何度も書きますが、介護の専門職として、 認知症の人の状況(心理)を考えていくことを行うのは当たり前のことになります。 色々なことが不確かになっていく中で認知症の人が頼れるのは、やはり「人」でしょう。 認知症状が進んでも「人を想う」気持ちは、それを明確に表現できなくても 最期の最期まで残っていると言えます。 「人の気配」を感じるだけでも心は落ち着きます。 それだけ人は認知症の人にとって重要な意味を持ちます。 認知症の人の大敵は「孤独」なのです。 少しずつ、専門職として認知症の人の思いに近づいていくことについて書いていきたいと思います。   白い曼殊沙華(彼岸花)を見つけました。 花言葉は「思う人はあなただけ」とか「もう一度会いたい」などの意味があるそうです。 う~ん、ちょっと切ない感じもしますが、 認知症の人の思いと通じるところはあるかもしれません。
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2021.09.10

ほんわか写真館
認知症ケアは本当に良くなったのだろうか? センター長の石川です。 ここに掲げた写真群は、元写真を写したもので写りが悪いですが、私が若かりし頃の特養での風景です。 当時勤めていた特養から30分ほどの公園に、 皆さんお出掛けしてなんと、バーベキューならぬ、豚汁パーティを行ったのです。 多くの車いすの方と共に、元気溌剌な認知症の方も数名参加されていました。 割烹着の方は、コミュニケーションも厳しい状態で、絶えず施設を出て行きます。 一緒についていくのですが、他人の家を自分の家だと言ってきかず入っていかれたり、 ひたすら歩き続ける方でしたが、割烹着姿でわかるように、「かつての日本のお母さん」のような人でした。 背の高い帽子をかぶっておられる男性は通訳をされていたので英語が堪能で、 ケネディ元大統領と友人だったと、ケネディの手紙を見せてくれた方でしたが、 認知症状はかなり進行しており、毎日の関りが大変だった方です。 しかし当時はある意味自由奔放でした。 認知症の人への施設入所による制限ってあったのかな?とも思うくらいです。 好きなように外へ出て(ついていく職員は大変でしたが)、ドライブにもよく行き、 公園やレストラン、そして一泊旅行にも行ったものです。 当時夕方になると帰宅願望の方が数名おられましたので、「たそがれどきドライブ」として、 車でお出かけすると、落ち着かれたので、ドライブは結構行ってました。 今ならすぐにリスクマネジメントが頭に浮かび、何かと制限が掛かってしまいます。 いい意味なのか悪い意味なのか、当時はそんなことあまり考えなかったです。 「いっちゃえ、やっちゃえ、ありのまま」 そんな感じだったでしょうか。 確かに今の認知症ケアは、尊厳を守り敬意を払うという基本理念の徹底が図られています。 様々なことで身体拘束が当たり前だった時代からは、はるかに進んだと言えるでしょう。 しかし、当時の写真を振り返ると、 「認知症があろうとなかろうと、とにかく楽しもう!」という心意気があったのではないかと思います。 今はこのように「外に出る」ことすらなくなってきています。 認知症の人は(認知症の人でなくても)外で自由奔放は許されないのか? コロナ禍ということではなく、このような自由奔放さが、 「安心・安全」の合言葉の中で埋没して言っているように感じるのです。 はたして、認知症ケアは本当に良くなったのか? 疑問に思う今日この頃です。
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2021.08.21

ほんわか写真館
天狗の鼻をつまむ センター長の石川です。 雨模様の天気は、まだ数日続くみたいですね。 コロナと言い、お天気だけでなく、心も晴れない日が続きます。 さて次回からはいよいよ認知症の人をどう理解し、 私たちはどのように関わればよいのかと言うことについて、話を再スタートさせます。 その前に、私は「天狗」になっていないか つまり、高慢ちきで、思い上がりがあるのではないかと、 振り返る必要があります。 ですから、一度、鼻をつまんでみることにします。 人間誰しも「天狗になる」ことがあります。 これは年齢関係ありません。 若い人でも天狗になる、つまり「いい気になる」ことは多々あるのです。 もちろんベテランにも。 天狗岩 自然のものですよ。   この仕事では、ケア側は、ある意味「優位的立場」にいます。 それが利用者に対して「いい気になる」ことに繋がってしまうことがあります。 逆を言えば、それをわかることができる職場でもあるのです。 自分自身を振り返り、人間的成長に繋げられる仕事でもあるのですよね。 私も時に自分の鼻をつまみ、いい気になっていないか確かめることにします。 人間誰でも天狗になってしまうことがあります。 でもそのことに気づくかどうかが大切なのですね。
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2021.08.13

ほんわか写真館
ペルセウス座流星群が飛んだ夜 (ブログの振り返り2) センター長の石川です。 12日の深夜から13日にかけては、ペルセウス座流星群が一番流れる夜でした。 ところがこの季節に梅雨入りとは、前代未聞の天候です。 やはり地球の気候はおかしくなっていますね。 それをもたらしたのは、私たち人類そのものなのでしょう。 本来なら天の川がめっちゃきれいで そして流星群も見れたはず。 まぁ雲の上に行けば見れたのでしょうけど… 数年前に撮影したものです。昴の近くを流れました。   さて、ブログの振り返り 3月から5月です。 3月18日 若き日の私のとんでもない失敗談です。ウナギを見るたびにこの出来事を思い出し、心が疼きます。ウナギは好きですけど(苦笑) 3月30日 自分では当たり前だと思っていたことも、違う視点から見れば、それはどうなのかな?と思われてるかもしれません。違った視点で見て見ると、ああそうか!と思うこともあるかもですね。一度立ち止まって考えてみましょう。 4月30日 ケアの仕事は様々な人生を送ってきた方と関われる味わい深い仕事であり、しんどい状況でもちょっとした喜びを見いだすことが出来る仕事と言えますね。 5月29日 私たちは普段からどれだけ多くの認知機能を働かせているか。その認知機能にダメージを受けた認知症の方は、車の乗り降りはとても大変なのです。認知機能が厳しくなった時の状況理解が大切です。 次回は6月を振り返ります。
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2021.08.11

ほんわか写真館
お久しぶりのブログです(振り返り作業を行ってました) センター長の石川です。 暫くの間アーカイブの確認修正作業を行っていました。 ここで振り返ってみると、この時こんなことを書いてたんだなとか、 同じことばかり書いてるなとか、今となってはどうなのかな?とか、 色々と思うこともありました。 今回振り返りながら文章の修正も一部行いました。 そこでもう一度、読み返していただければ、あらためて理解していただける所も あるのではないかと思います。 とは言っても、数年分振り返るのも大変なので、 今年に入ってからの分だけでも読み返してもらえればと思います。 特にその中でピックアップしておきます。 今回はそのピックアップ第1回、1~2月分から簡単に紹介します。 1月8日 コロナ禍でダークサイトに乗るか、助けあう方に乗るかを書いたものです。 一度しかない人生、誹謗中傷する悪に手を染めるのは、人生もったいないですね。 1月26日 医師として頑張っていた方が若年性認知症になり、自分が崩壊していく中での苦しみやもがきを書きました。 その苦しみもがきを、私たちは「認知症の人の大変な行動」と醒めた目で見ているのではないかと。 2月5日 地位権力のある高齢者による不適切発言をきっかけに、認知症の人が軽蔑されている社会の風潮が浮かび上がりました。まるで認知症の人が害ある人のように。そこを間違えないで欲しいと言う内容でした。 2月11日 私の大いなる失敗談を載せています。本当に最低なことをやってますね。 私たちから見て困ってしまう行動も、本人にとっては「必死になって生きていこうとする自分自身への生命の証」なのです。 2月22日 見かた捉え方を変えてみると、また別の発想、考えが生まれるかもしれないと書きました。温かなユーモアを交えると、頭の柔軟性は増えていきます。 「それは間違ってる。」とだけを思ってしまうことの方が、間違っているのかもしれません。 以上2月までの主なブログの内容でした。 よければ読み直していただければと思います。 画面右側のアーカイブから見ることが出来ます。 次回は3~5月分のアーカイブです。
ブログ投稿画像 「相手の気持ちになって考えよう」と、 ケアの現場ではよく言われます。 しかし人間は、自分の心の中には自分の考えが一杯詰まっているので 本来、相手の気持ちを考え、さらに受容すると言うのはとても苦手なのです。 SNSで平気でいじめをしてしまうのも、 相手の気持ちなど全く考えないからです。 しかし私たちの仕事は、「相手の気持ちを考えたり、受け止めたりすること」 それが出来なければ、専門職としての魅力は半減します。 この仕事に就いたからには、ケアの実践者として「自分はどうありたいのか」と 問いかけなければならないでしょう。 「相手の気持ちを考える」 そのため普段から柔らかい思考を持たなければなりません。 日頃から相手はどう思っているのだろうか?と考える姿勢が必要です。 ちょっとでいいのです。 ほんの少し立ち止まり、相手の気持ちを考える時間を持ちます。 そのトレーニングのひとつとして、どんなものにも声を掛け、 何を思っているのか想像するという、擬人化トレーニングをすることです。 それを普段からちょくちょく行うことです。 以下の3枚のお猿の写真は、私が撮影したものですが、 1枚1枚の写真に、「お猿の気持ち(思っていること)」を考えてみて、 書いてみてください。 ちょっとしたショートストーリーが出来るかもしれませんよ。       どうでしょうか。一枚一枚にお猿の気持ちを想像して書いてみる。 この瞬間に、あなたは「お猿の立場」で考えています。 どんなものでもいいので、ちょっと立ち止って、考えてみる。 そんなトレーニングをやってみてください。 今は電車に乗っていても何が起きるかわからない時代です。 スマホばっかりやってないで、周辺に目をやり、いろいろ想像してみることですね。 それだけでも心の柔軟性は養われます。 スマホの狭い画面ばかり見ていては得られない、心の世界を広げる情報がそこにあります。  
ブログ投稿画像 認知症の人や家族を支援するチームオレンジを形作っていくための 「オレンジメンバー養成講座」が開かれています。 地域で認知症の人を支える、それをチームとして行っていくのですが、 今回参加された方は約10名、熱意を持った方々ばかりです。 しかしその年齢層は、いわゆる「高齢者」の皆様ばかりでした。 高齢者が高齢者を支える。そのような状況が続いているのかもしれません。 ただ年代を越えて繋がっていける取り組みをもっと行わないといけないのかなと思います。 「安心声掛けつながり訓練」もそのひとつと言えるでしょう。 年配の方の普段の見守り+ICTを活用したものを取り入れて、 それらを活用できる年代の人も含めた支援作りが必要かもしれません。 [caption id="attachment_3256" align="alignnone" width="1024"] 雲海に浮かぶ美ヶ原と八ケ岳 標高3015メートルの立山山頂より[/caption]   かくいう私も高齢者の部類に入るのでしょうね。 ただ、わがまま勝手な私はグループで動くのが苦手(自分が不器用でだらしないので、グループメンバーにめっちゃ気を遣う)なのですが、 自己責任で行う登山は大好きでしばらくやめていたのを復活させました。 都会と違って、山は人が少ないです。それが何より。 空気も新鮮です。(もっとも最近は、なんちゃって登山者も増えましたが) 元々は危険な山も何のそのと、若い時はよく北アルプスを登っていたのですが、今はひーひー言いながら登っています。 10月、紅葉を撮影に行ったのに、山はもう冬でした。 さて、11月20日「ほっこりなつどい」を開催します。 認知症の方を介護されている介護家族の方のつどいです。お気軽にご参加ください。まだ参加できますよ!
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 堅い内容のものが2回続きました。 ちょっとひと息です。 以前、あずきバー(アイスキャンディ)を食べた時に、歯が欠けました。 (今は注意書きが書いてあるらしい) そして今回、アイスモナカを食べた時に、さし歯が折れました。 このアイスモナカ、結構かちんこちんだったのです。 以前の経験があるため、注意して食べたにもかかわらずです。 つまり私は、アイスを食べると歯を欠かしてしまいます(苦笑) [caption id="attachment_3199" align="alignnone" width="1024"] 私の歯もこの建物のように老朽化が進んでいます。[/caption]   さて、その歯の最大の働きは「噛む」ことですね。 今日放送される「ガッテン!」はその「噛む」ことがテーマです。 様々な病気予防にも繋がるようですね。 [caption id="attachment_3200" align="alignnone" width="810"] 三千メートルの山からの景色です[/caption]   噛むことによって脳に刺激が行くので、認知症予防にも繋がります。 よく早飯、まるで噛まずに飲み込むような人もいますが、 ご飯を早く食べる人は、自分の心身へのリスクを多くしていると言えるかもしれません。 (早飯の人が必ず認知症になると言ってるのではありません。リスクが高まると言うことです。) スマホを見ながらというのもあまりよくないようです。 「噛む」そのためにも、歯を大切にしましょう!
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 認知症状が進むと、私たちが当たり前に理解していることがわからなくなります。 簡単に一言で書きましたが、 私たちが当たり前に理解していることがわからなくなるということがどういうことなのか、 もっと真剣に考える必要があります。 何度も書きますが、介護の専門職として、 認知症の人の状況(心理)を考えていくことを行うのは当たり前のことになります。 色々なことが不確かになっていく中で認知症の人が頼れるのは、やはり「人」でしょう。 認知症状が進んでも「人を想う」気持ちは、それを明確に表現できなくても 最期の最期まで残っていると言えます。 「人の気配」を感じるだけでも心は落ち着きます。 それだけ人は認知症の人にとって重要な意味を持ちます。 認知症の人の大敵は「孤独」なのです。 少しずつ、専門職として認知症の人の思いに近づいていくことについて書いていきたいと思います。   白い曼殊沙華(彼岸花)を見つけました。 花言葉は「思う人はあなただけ」とか「もう一度会いたい」などの意味があるそうです。 う~ん、ちょっと切ない感じもしますが、 認知症の人の思いと通じるところはあるかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 ここに掲げた写真群は、元写真を写したもので写りが悪いですが、私が若かりし頃の特養での風景です。 当時勤めていた特養から30分ほどの公園に、 皆さんお出掛けしてなんと、バーベキューならぬ、豚汁パーティを行ったのです。 多くの車いすの方と共に、元気溌剌な認知症の方も数名参加されていました。 割烹着の方は、コミュニケーションも厳しい状態で、絶えず施設を出て行きます。 一緒についていくのですが、他人の家を自分の家だと言ってきかず入っていかれたり、 ひたすら歩き続ける方でしたが、割烹着姿でわかるように、「かつての日本のお母さん」のような人でした。 背の高い帽子をかぶっておられる男性は通訳をされていたので英語が堪能で、 ケネディ元大統領と友人だったと、ケネディの手紙を見せてくれた方でしたが、 認知症状はかなり進行しており、毎日の関りが大変だった方です。 しかし当時はある意味自由奔放でした。 認知症の人への施設入所による制限ってあったのかな?とも思うくらいです。 好きなように外へ出て(ついていく職員は大変でしたが)、ドライブにもよく行き、 公園やレストラン、そして一泊旅行にも行ったものです。 当時夕方になると帰宅願望の方が数名おられましたので、「たそがれどきドライブ」として、 車でお出かけすると、落ち着かれたので、ドライブは結構行ってました。 今ならすぐにリスクマネジメントが頭に浮かび、何かと制限が掛かってしまいます。 いい意味なのか悪い意味なのか、当時はそんなことあまり考えなかったです。 「いっちゃえ、やっちゃえ、ありのまま」 そんな感じだったでしょうか。 確かに今の認知症ケアは、尊厳を守り敬意を払うという基本理念の徹底が図られています。 様々なことで身体拘束が当たり前だった時代からは、はるかに進んだと言えるでしょう。 しかし、当時の写真を振り返ると、 「認知症があろうとなかろうと、とにかく楽しもう!」という心意気があったのではないかと思います。 今はこのように「外に出る」ことすらなくなってきています。 認知症の人は(認知症の人でなくても)外で自由奔放は許されないのか? コロナ禍ということではなく、このような自由奔放さが、 「安心・安全」の合言葉の中で埋没して言っているように感じるのです。 はたして、認知症ケアは本当に良くなったのか? 疑問に思う今日この頃です。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 雨模様の天気は、まだ数日続くみたいですね。 コロナと言い、お天気だけでなく、心も晴れない日が続きます。 さて次回からはいよいよ認知症の人をどう理解し、 私たちはどのように関わればよいのかと言うことについて、話を再スタートさせます。 その前に、私は「天狗」になっていないか つまり、高慢ちきで、思い上がりがあるのではないかと、 振り返る必要があります。 ですから、一度、鼻をつまんでみることにします。 人間誰しも「天狗になる」ことがあります。 これは年齢関係ありません。 若い人でも天狗になる、つまり「いい気になる」ことは多々あるのです。 もちろんベテランにも。 [caption id="attachment_2891" align="alignnone" width="1560"] 天狗岩 自然のものですよ。[/caption]   この仕事では、ケア側は、ある意味「優位的立場」にいます。 それが利用者に対して「いい気になる」ことに繋がってしまうことがあります。 逆を言えば、それをわかることができる職場でもあるのです。 自分自身を振り返り、人間的成長に繋げられる仕事でもあるのですよね。 私も時に自分の鼻をつまみ、いい気になっていないか確かめることにします。 人間誰でも天狗になってしまうことがあります。 でもそのことに気づくかどうかが大切なのですね。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 12日の深夜から13日にかけては、ペルセウス座流星群が一番流れる夜でした。 ところがこの季節に梅雨入りとは、前代未聞の天候です。 やはり地球の気候はおかしくなっていますね。 それをもたらしたのは、私たち人類そのものなのでしょう。 本来なら天の川がめっちゃきれいで そして流星群も見れたはず。 まぁ雲の上に行けば見れたのでしょうけど… [caption id="attachment_3084" align="alignnone" width="982"] 数年前に撮影したものです。昴の近くを流れました。[/caption]   さて、ブログの振り返り 3月から5月です。 3月18日 若き日の私のとんでもない失敗談です。ウナギを見るたびにこの出来事を思い出し、心が疼きます。ウナギは好きですけど(苦笑) 3月30日 自分では当たり前だと思っていたことも、違う視点から見れば、それはどうなのかな?と思われてるかもしれません。違った視点で見て見ると、ああそうか!と思うこともあるかもですね。一度立ち止まって考えてみましょう。 4月30日 ケアの仕事は様々な人生を送ってきた方と関われる味わい深い仕事であり、しんどい状況でもちょっとした喜びを見いだすことが出来る仕事と言えますね。 5月29日 私たちは普段からどれだけ多くの認知機能を働かせているか。その認知機能にダメージを受けた認知症の方は、車の乗り降りはとても大変なのです。認知機能が厳しくなった時の状況理解が大切です。 次回は6月を振り返ります。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 暫くの間アーカイブの確認修正作業を行っていました。 ここで振り返ってみると、この時こんなことを書いてたんだなとか、 同じことばかり書いてるなとか、今となってはどうなのかな?とか、 色々と思うこともありました。 今回振り返りながら文章の修正も一部行いました。 そこでもう一度、読み返していただければ、あらためて理解していただける所も あるのではないかと思います。 とは言っても、数年分振り返るのも大変なので、 今年に入ってからの分だけでも読み返してもらえればと思います。 特にその中でピックアップしておきます。 今回はそのピックアップ第1回、1~2月分から簡単に紹介します。 1月8日 コロナ禍でダークサイトに乗るか、助けあう方に乗るかを書いたものです。 一度しかない人生、誹謗中傷する悪に手を染めるのは、人生もったいないですね。 1月26日 医師として頑張っていた方が若年性認知症になり、自分が崩壊していく中での苦しみやもがきを書きました。 その苦しみもがきを、私たちは「認知症の人の大変な行動」と醒めた目で見ているのではないかと。 2月5日 地位権力のある高齢者による不適切発言をきっかけに、認知症の人が軽蔑されている社会の風潮が浮かび上がりました。まるで認知症の人が害ある人のように。そこを間違えないで欲しいと言う内容でした。 2月11日 私の大いなる失敗談を載せています。本当に最低なことをやってますね。 私たちから見て困ってしまう行動も、本人にとっては「必死になって生きていこうとする自分自身への生命の証」なのです。 2月22日 見かた捉え方を変えてみると、また別の発想、考えが生まれるかもしれないと書きました。温かなユーモアを交えると、頭の柔軟性は増えていきます。 「それは間違ってる。」とだけを思ってしまうことの方が、間違っているのかもしれません。 以上2月までの主なブログの内容でした。 よければ読み直していただければと思います。 画面右側のアーカイブから見ることが出来ます。 次回は3~5月分のアーカイブです。