ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo

「2022年04月」で記事を検索しました。

ブログ投稿画像

2022.04.29

トピックス
「花のエネルギーに気づかなければ…」 アーバンケア島之内の前では、今様々な花々が咲いています。 前回のストレスの解消と繋がるものなのですが、 私たちは本当に「その花のエネルギー」に気づいているのだろうか?と思うのです。 ジャスミンの香りが心にやさしいです   ほんの一瞬でもいいのです。 花々の前で立ち止まり、花を見つめると、花から「心の癒し」というエネルギーがもらえるでしょう。 花には私たちの心を癒してくれるというエネルギーがあるのに、 そのことにだんだんと気づかなくなっているのかもしれません。 世の中ぎすぎすしすぎだからでしょうか。 でも、花は認知症の人の心にもやさしく関わってくれます。 認知症の人は世界がどうあろうとも、 デジタルに監視される社会であろうとも そんなこと関係なく、心に一瞬、花から癒しというエネルギーをもらっているでしょう。 島之内前の花壇のお花です。   世の中デジタル化がどんどん進んでいきます。 いつの間にか人々は「デジタル社会主義」(私たちの生活すべてが、デジタルで管理、監督、そして監視される社会)に 取り込まれていき、花の持つエネルギーすら感じ取れなくなるかもしれません。 いらすとやさんより「AIに支配される人間」   そうすると、人の心へのいたわり、気づき、コミュニケーション力も失われていくでしょう。 認知症ケアも瓦解します。 デジタル化に支配されるのではなく、デジタルをうまく活用する。 できるのかな? 今の人間に。
ブログ投稿画像

2022.04.28

トピックス
メタ認知力を身につけよう7「吐き出すと掃き出すの違い」 人は何かとストレスを溜め込む存在です。 自我があり自己防衛機能があるので当然のことといえます。 ケアの現場でのストレスは、ケア実践上でのことは当然としてあるでしょうが、 何よりも対人関係でのストレスが多いといえるでしょう。 そのストレスは、溜め込まないということが大切になります。 人それぞれに、自分なりのストレス対処方法を持っているとは思いますが、 時に誰かに聞いてもらうということ、それは最大のストレス対処になります。 誰かに聞いてもらうことで、自分の中のストレスを「はきだす」のです。 しかしここで考えてほしいのですが、 「吐き出す」と「掃き出す」は意味合いが違ってくるということです。 「愚痴を吐く」という言葉があるように、悪口、文句ばかり言ってストレスを発散させようとする行為です。 典型的なのが、何人か集まって「人の悪口を言う」という行動でしょう。 心の中には、悪口言って気分爽快という悪魔が住み続けたままです。 いらすとやさんより   一方、「掃き出す」は、心の中のクリーニングに繋がります。 心の中をきれいにするのです。 単に愚痴を言うのではなく、「メタ認知力」つまり、実際のところ自分はどうだったのか、 そして相手の思いはどうだったのかと、客観的に考える視点を持ちながら、ストレスを掃き出していきます。 いらすとやさんより   さて、ここで重要なのは、聴き手(多くの場合は上司)の在り方です。 「聞いてください!」と言ってきた人に対して(あるいは聴きに行くこともあるでしょう) 単に愚痴を吐き出させることで終わるのではなく、 「なるほど」と受け止めながらも、そのストレスの要因となったものは何だったのか、 相手はどんな思いでいたのだろうかと、さりげなく「一緒に客観的に考えてみよう」という姿勢を持つことです。 そのためには自分の心もメタ認知力を働かせなければなりません。 いらすとやさんより   ストレスを「吐き出す」は、人の悪口を言ってすっきりする、 匿名のSNSで誹謗中傷してストレスを解消しようとするのと同じです。 心の中の悪魔は大きくなる一方でしょう。 ストレスの解消は「掃き出して」、心の中をきれいにするというのでなければ、 いつまでたっても人間関係の悪のスパイラルから抜け出せないことになるでしょう。
ブログ投稿画像

2022.04.27

トピックス
認知症ケアはめっちゃ学びがいっぱい! これから新たにケアの世界に来られる方も多いかと思います。 そのケアの世界でハードルが高いとされるのが認知症ケアです。 認知症の人とどうかかわったらよいかわからない? そうですね。わからないことが一杯かもしれません。 逆に考えれば、謎解きの材料がいっぱいあるということです。 わからないことが一杯ある! 逆に言えば、学ぶことが一杯ある! めっちゃ面白いじゃないですか! いらすとやさんより   もちろん、わかっていく過程にはいろいろ勉強もしていかなければなりませんし、 壁にぶつかることもあるでしょう。 壁にぶつかるということは、それを乗り越えていこうとする 新たなるチャレンジ精神が湧いてくるのです。 いらすとやさんより   壁はあきらめるために存在しているのではないのです。 皆さんの成長のために存在しているのですね。 世の中の全ての発展は、この壁を乗り越えて発展したのですよ! いらすとやさんより   「わからないこと」は皆さんが成長していくために存在するのです。 そして認知症の人は、実は皆さんのケアスキルを めちゃくちゃアップさせてくれる方々なのです。 働きながら自分も成長できる。 それは認知症の人自身も助かることに繋がるのです。 https://yoshijukai.or.jp/ninchisho-yui/wp-content/uploads/sites/9/2022/04/278837951_4817191468406747_4932857067441627028_n.mp4 こんなお得な仕事、いいね!ですね。
ブログ投稿画像

2022.04.25

トピックス
全国若年認知症フォーラム開催されました。 昨年実施予定だった広島大会。 今年2月に開催されることになっていましたが、オミクロンが猛威を振るっている時期と重なり、 4月24日、ようやくリモート開催されました。 YouTube配信もあったので、私はそれにて参加しました。 一番印象に残ったのは、広島市西部認知症疾患医療センターの岩崎庸子先生の話でしょうか。 まさしく、「心への働きかけ」が大切なのだと、改めて感じます。 感情への働きかけ、それは1+1=2という論理的なものではないのでしょう。 「心地よさ」(その逆もあり)を感じること、 それが失われた(私たちから見ればそう思ってしまう)能力を最大限に発揮することにつながるのかもしれません。 個別の発表で感じることは、就労支援の難しさです。 当然、介護保険の制度を超えて考えていかなければならないので、垣根を越えた活動が必要になります。 厚労省の資料からわかるように、多くの方が就労を断念しています。 どのように社会の中で活動していただくか、課題解決には多くの人の協力が必要になってくるでしょう。 ちなみにこの資料を見ると、10代、20代の人の発病もあります。 若年認知症は40歳代からのものではないというのがわかります。 新たなる支援策として、「認知症の人と家族への一体的支援」というのが始まっています。 これについては今後情報収集を進めていきたいと思います。 今回、プログラムがいっぱいで、休憩時間もあまりなく、 私もすぐにできるチキンラーメンを食べながらの参加となりました(笑) 来年は、地元東大阪市で開催されます。リモートではなく、会場開催できればいいですね。
ブログ投稿画像

2022.04.23

トピックス
認知機能万能の世界での認知症の人 今やスマートフォンは私たちにとって欠かすことができない存在です。 生活必需品というより身体の一部ともいえるかもしれません。 このスマートフォンは「認知機能」の結集だといえます。 認知機能とは、人を取り巻くすべてのことを瞬時のうちに判断する機能です。 明るさ暗さ、温かさ寒さ、人間関係、思考… とにかく生活上かかわるすべてのことを認知機能が判断しています。 自分を取り巻くすべてのことを一瞬に判断するだけでなく、 自分の身体の状況も感じ取ります。 おなかがすいた、どこかが痛いというのも認知機能の一つですね。 ですから認知機能は、人が生活するうえで必要不可欠なものなのです。 そしてスマートフォンは、今では自分の身体の一部とも書きました。 情報を得る、情報を伝えるだけでなく、今や決済もできてしまう。 何でもできてしまう万能な道具でしょう。 同時にスマートフォンがないと今の人は、たちどころに不安になります。 時に自分の自由をも縛ってしまうスマートフォンなのに、 ないと、不安で不安で落ち着かなくなってしまいます。 まさしくスマートフォンに支配された、便利という言葉に目を眩まされた 哀しき人の姿がそこにあります。 でもこの万能な道具は認知機能があってこそ役立つものです。 いらすとやさんより   認知機能が厳しくなっていく認知症の人には 或いは認知機能の活動そのものが弱くなっていく高齢者には どんなに便利な道具であっても、生活するうえで意味のないものといえます。 何を言いたいかというと、認知機能万能の世界にどっぷりと漬かっている私たちは、 認知機能が厳しくなってしまった認知症の人を、排他的に見てしまうということなのです。 認知症の症状ばかりに目を向け、認知機能の世界で生きていくことができなくなった人たち というような視点で見降ろしてしまうこともあるのです。 認知症の人にとって、スマートフォンを忘れた!と不安になる皆さんのことなどどうでもよいのです。 どんなに便利な道具であっても、それはどうでもいいことです。 今この時間、安心して生きていけるのか。そのことのほうがずっと大切なのです。 認知機能の世界から見ている限り、 非認知機能の世界にいる認知症の人のことはわからないでしょう。 私たちはあまりにも便利さに惑わされ、 大切な何かを忘れていってるのではないでしょうか。 例えば、コミュニケーションはSNSを通じて行うことが多くなりました。 逆に言えば、面と向かってしゃべることができなくなっていくでしょう。 いらすとやさんより   休みの日は思い切ってスマートフォンのスイッチをオフにする。 不便さの代わりに自由度がきっと増えます。 スマートフォンのない不便さを今から体感しておかないと、 災害で電波基地局が破壊されたらスマートフォンなど単なる文鎮でしかなくなるのです。 便利さを享受し、活用しながらも、便利さに惑わされないことも必要でしょう。  
ブログ投稿画像

2022.04.22

トピックス
メタ認知力を身につけよう⑥「音について2」 メタ認知力 一言でいえば、今の自分を客観的に分析できる能力ということになります。 他の職員に訴えたいことがヒートアップしたとき 「あ、今私は感情的になって怒ってるな、これでは相手にはうまく伝わらないな。」と 判断できる能力となります。 「この話はうまく伝わってるのかな? 自分の話は強引だったのではないだろうか? 相手はどんなふうに聞いていたのだろうか?」 と、常にセルフチェックを行うことができるかどうか。ということになります。 「自分にとっての正当性は、必ずしも相手にとっての正当性ではない」 ということを念頭に置かなければなりません。 夜のアーバンケア島之内の照明に照らされた花もきれいです   しかし、人はついつい自分の意見を通したくなりますから いつの間にか客観的に自分の状況を見つめる視点を失ってしまいます。 そんな時は一旦「リセットする時間を作ること」です。 イラストやさんより   例えば、交差点のすぐ横で話をしていたとすると、あらゆる騒音が聞こえて、自分の心は落ち着きません。 そんな時よく行うのは「ちょっと静かなところで話をしようか」ということになります。 誰だって、盛んに車、バス、トラック、そしてバイクが行き交う交差点の横で、 ゆっくりと話をしたいとは思いません。話の内容もぎすぎすしたものになるでしょう。 「一旦リセットする」のテクニックについては次回お話しします。 イラストやさんより   音はそれだけ私たちのコミュニケーションに影響を与えるものなのです。 つまり、メタ認知力を働かせようとすると、周辺環境、特に音の影響力が大きいのです。 そもそもが雑然とした音の中では、メタ認知力が働かないどころか、 イライラのほうが大きくなってしまいます。 お花満開です。でも明るいとお花も眠れない?   利用者の生活環境も同じです。 心が落ち着くことができない音が多いほど、 知らずのうちに心の中に咲く花も枯れてしまうのです。
ブログ投稿画像

2022.04.14

トピックス
不便さを楽しむこと 先日、和歌山市に研修に行きました。 和歌山県全域の介護支援専門員向け研修で、リモートによるものでした。 ご存知のように、和歌山県と言っても、北から南まで膨大な大きさの県です。 しかしながら、リモート研修なので、和歌山市周辺だけでなく、 橋本、白浜、潮岬、紀伊勝浦、新宮市に至るまで同じ研修に同時に参加することが出来ます。 お出掛けしなくてもよいので、150名の方の参加となりました。 便利ですね! 特に和歌山県のような広大な県では助かるかもしれません。 本来ならば、対面の方がいいのですが、仕方ありません。 しかしながら、研修時間が近づくほど、 事務局への問い合わせ電話がひっきりなしに掛かってきます。 ZOOMのやり方がわからないのですね。 年配のケアマネジャーさんに多いでしょうか。 ここで研修発信をしました   世の中どんどん進んでいき、便利さが増していきます。 確かに、この世の中の流れについて行こうと思ったら、 最新のシステムも高齢者であっても覚えていかなければならないのでしょう。 認知機能をフルに活用した世界はこれからも進化していくでしょう。 認知症予防のためにも、新しいものにチャレンジすることは大切だと思います。 まして今の現代人からスマートフォンを奪ったら、 めちゃくちゃ不便と感じるでしょう。 認知機能がダメージを受ける認知症の人にとっては、 「認知機能万能」の世界では生きづらくなります。 もちろんGPSの恩恵で助けられることもあるでしょうが、 生活全般で言えば、世の中がどんなに便利になっていたとしても、 そんなこと知ったことじゃない、今日一日どう安心して暮らせるかなのです。 そもそも、ふた昔前まではスマートフォンがなくても生活は出来ました。 不便は不便なりに生活できましたし、楽しみもありました。 認知症の人と関わるときは、「認知機能万能」の世界での考え方では その思いに近づくことは出来ません。 「不便さを楽しむ」くらいの気持ちを持つこと。 では具体的にどのようなことか? それはまた後日に。 ひとつ皮肉を書かせてもらうと、 スマートフォン万能の世界になり、今や休みの時でも、どこにいても 仕事場からメールや電話が入ります。 残念なことに、少し前までは山奥にこもれば電波も届かなかったのですが、 今は大概の所で電波が届きます。 しかしいやだなと思っても、スマートフォンを電源OFFにはできないのです。 電波が通じていないと、持っていないと不安に駆られるからです。 哀しき現代人です。 ひっそりとプライベートを楽しむこともできないですね。 便利にはなりましたが、人の心の安らぎの時間も奪っていると言えるかもしれません。    
ブログ投稿画像 アーバンケア島之内の前では、今様々な花々が咲いています。 前回のストレスの解消と繋がるものなのですが、 私たちは本当に「その花のエネルギー」に気づいているのだろうか?と思うのです。 [caption id="attachment_3706" align="alignnone" width="1024"] ジャスミンの香りが心にやさしいです[/caption]   ほんの一瞬でもいいのです。 花々の前で立ち止まり、花を見つめると、花から「心の癒し」というエネルギーがもらえるでしょう。 花には私たちの心を癒してくれるというエネルギーがあるのに、 そのことにだんだんと気づかなくなっているのかもしれません。 世の中ぎすぎすしすぎだからでしょうか。 でも、花は認知症の人の心にもやさしく関わってくれます。 認知症の人は世界がどうあろうとも、 デジタルに監視される社会であろうとも そんなこと関係なく、心に一瞬、花から癒しというエネルギーをもらっているでしょう。 [caption id="attachment_3705" align="alignnone" width="1024"] 島之内前の花壇のお花です。[/caption]   世の中デジタル化がどんどん進んでいきます。 いつの間にか人々は「デジタル社会主義」(私たちの生活すべてが、デジタルで管理、監督、そして監視される社会)に 取り込まれていき、花の持つエネルギーすら感じ取れなくなるかもしれません。 [caption id="attachment_3701" align="alignnone" width="500"] いらすとやさんより「AIに支配される人間」[/caption]   そうすると、人の心へのいたわり、気づき、コミュニケーション力も失われていくでしょう。 認知症ケアも瓦解します。 デジタル化に支配されるのではなく、デジタルをうまく活用する。 できるのかな? 今の人間に。
ブログ投稿画像 人は何かとストレスを溜め込む存在です。 自我があり自己防衛機能があるので当然のことといえます。 ケアの現場でのストレスは、ケア実践上でのことは当然としてあるでしょうが、 何よりも対人関係でのストレスが多いといえるでしょう。 そのストレスは、溜め込まないということが大切になります。 人それぞれに、自分なりのストレス対処方法を持っているとは思いますが、 時に誰かに聞いてもらうということ、それは最大のストレス対処になります。 誰かに聞いてもらうことで、自分の中のストレスを「はきだす」のです。 しかしここで考えてほしいのですが、 「吐き出す」と「掃き出す」は意味合いが違ってくるということです。 「愚痴を吐く」という言葉があるように、悪口、文句ばかり言ってストレスを発散させようとする行為です。 典型的なのが、何人か集まって「人の悪口を言う」という行動でしょう。 心の中には、悪口言って気分爽快という悪魔が住み続けたままです。 [caption id="attachment_3704" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   一方、「掃き出す」は、心の中のクリーニングに繋がります。 心の中をきれいにするのです。 単に愚痴を言うのではなく、「メタ認知力」つまり、実際のところ自分はどうだったのか、 そして相手の思いはどうだったのかと、客観的に考える視点を持ちながら、ストレスを掃き出していきます。 [caption id="attachment_3702" align="alignnone" width="289"] いらすとやさんより[/caption]   さて、ここで重要なのは、聴き手(多くの場合は上司)の在り方です。 「聞いてください!」と言ってきた人に対して(あるいは聴きに行くこともあるでしょう) 単に愚痴を吐き出させることで終わるのではなく、 「なるほど」と受け止めながらも、そのストレスの要因となったものは何だったのか、 相手はどんな思いでいたのだろうかと、さりげなく「一緒に客観的に考えてみよう」という姿勢を持つことです。 そのためには自分の心もメタ認知力を働かせなければなりません。 [caption id="attachment_3700" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   ストレスを「吐き出す」は、人の悪口を言ってすっきりする、 匿名のSNSで誹謗中傷してストレスを解消しようとするのと同じです。 心の中の悪魔は大きくなる一方でしょう。 ストレスの解消は「掃き出して」、心の中をきれいにするというのでなければ、 いつまでたっても人間関係の悪のスパイラルから抜け出せないことになるでしょう。
ブログ投稿画像 これから新たにケアの世界に来られる方も多いかと思います。 そのケアの世界でハードルが高いとされるのが認知症ケアです。 認知症の人とどうかかわったらよいかわからない? そうですね。わからないことが一杯かもしれません。 逆に考えれば、謎解きの材料がいっぱいあるということです。 わからないことが一杯ある! 逆に言えば、学ぶことが一杯ある! めっちゃ面白いじゃないですか! [caption id="attachment_3695" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   もちろん、わかっていく過程にはいろいろ勉強もしていかなければなりませんし、 壁にぶつかることもあるでしょう。 壁にぶつかるということは、それを乗り越えていこうとする 新たなるチャレンジ精神が湧いてくるのです。 [caption id="attachment_3693" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   壁はあきらめるために存在しているのではないのです。 皆さんの成長のために存在しているのですね。 世の中の全ての発展は、この壁を乗り越えて発展したのですよ! [caption id="attachment_3694" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   「わからないこと」は皆さんが成長していくために存在するのです。 そして認知症の人は、実は皆さんのケアスキルを めちゃくちゃアップさせてくれる方々なのです。 働きながら自分も成長できる。 それは認知症の人自身も助かることに繋がるのです。 [video width="1920" height="1080" mp4="https://yoshijukai.or.jp/ninchisho-yui/wp-content/uploads/sites/9/2022/04/278837951_4817191468406747_4932857067441627028_n.mp4"][/video] こんなお得な仕事、いいね!ですね。
ブログ投稿画像 昨年実施予定だった広島大会。 今年2月に開催されることになっていましたが、オミクロンが猛威を振るっている時期と重なり、 4月24日、ようやくリモート開催されました。 YouTube配信もあったので、私はそれにて参加しました。 一番印象に残ったのは、広島市西部認知症疾患医療センターの岩崎庸子先生の話でしょうか。 まさしく、「心への働きかけ」が大切なのだと、改めて感じます。 感情への働きかけ、それは1+1=2という論理的なものではないのでしょう。 「心地よさ」(その逆もあり)を感じること、 それが失われた(私たちから見ればそう思ってしまう)能力を最大限に発揮することにつながるのかもしれません。 個別の発表で感じることは、就労支援の難しさです。 当然、介護保険の制度を超えて考えていかなければならないので、垣根を越えた活動が必要になります。 厚労省の資料からわかるように、多くの方が就労を断念しています。 どのように社会の中で活動していただくか、課題解決には多くの人の協力が必要になってくるでしょう。 ちなみにこの資料を見ると、10代、20代の人の発病もあります。 若年認知症は40歳代からのものではないというのがわかります。 新たなる支援策として、「認知症の人と家族への一体的支援」というのが始まっています。 これについては今後情報収集を進めていきたいと思います。 今回、プログラムがいっぱいで、休憩時間もあまりなく、 私もすぐにできるチキンラーメンを食べながらの参加となりました(笑) 来年は、地元東大阪市で開催されます。リモートではなく、会場開催できればいいですね。
ブログ投稿画像 今やスマートフォンは私たちにとって欠かすことができない存在です。 生活必需品というより身体の一部ともいえるかもしれません。 このスマートフォンは「認知機能」の結集だといえます。 認知機能とは、人を取り巻くすべてのことを瞬時のうちに判断する機能です。 明るさ暗さ、温かさ寒さ、人間関係、思考… とにかく生活上かかわるすべてのことを認知機能が判断しています。 自分を取り巻くすべてのことを一瞬に判断するだけでなく、 自分の身体の状況も感じ取ります。 おなかがすいた、どこかが痛いというのも認知機能の一つですね。 ですから認知機能は、人が生活するうえで必要不可欠なものなのです。 そしてスマートフォンは、今では自分の身体の一部とも書きました。 情報を得る、情報を伝えるだけでなく、今や決済もできてしまう。 何でもできてしまう万能な道具でしょう。 同時にスマートフォンがないと今の人は、たちどころに不安になります。 時に自分の自由をも縛ってしまうスマートフォンなのに、 ないと、不安で不安で落ち着かなくなってしまいます。 まさしくスマートフォンに支配された、便利という言葉に目を眩まされた 哀しき人の姿がそこにあります。 でもこの万能な道具は認知機能があってこそ役立つものです。 [caption id="attachment_3678" align="alignnone" width="224"] いらすとやさんより[/caption]   認知機能が厳しくなっていく認知症の人には 或いは認知機能の活動そのものが弱くなっていく高齢者には どんなに便利な道具であっても、生活するうえで意味のないものといえます。 何を言いたいかというと、認知機能万能の世界にどっぷりと漬かっている私たちは、 認知機能が厳しくなってしまった認知症の人を、排他的に見てしまうということなのです。 認知症の症状ばかりに目を向け、認知機能の世界で生きていくことができなくなった人たち というような視点で見降ろしてしまうこともあるのです。 認知症の人にとって、スマートフォンを忘れた!と不安になる皆さんのことなどどうでもよいのです。 どんなに便利な道具であっても、それはどうでもいいことです。 今この時間、安心して生きていけるのか。そのことのほうがずっと大切なのです。 認知機能の世界から見ている限り、 非認知機能の世界にいる認知症の人のことはわからないでしょう。 私たちはあまりにも便利さに惑わされ、 大切な何かを忘れていってるのではないでしょうか。 例えば、コミュニケーションはSNSを通じて行うことが多くなりました。 逆に言えば、面と向かってしゃべることができなくなっていくでしょう。 [caption id="attachment_3677" align="alignnone" width="141"] いらすとやさんより[/caption]   休みの日は思い切ってスマートフォンのスイッチをオフにする。 不便さの代わりに自由度がきっと増えます。 スマートフォンのない不便さを今から体感しておかないと、 災害で電波基地局が破壊されたらスマートフォンなど単なる文鎮でしかなくなるのです。 便利さを享受し、活用しながらも、便利さに惑わされないことも必要でしょう。  
ブログ投稿画像 メタ認知力 一言でいえば、今の自分を客観的に分析できる能力ということになります。 他の職員に訴えたいことがヒートアップしたとき 「あ、今私は感情的になって怒ってるな、これでは相手にはうまく伝わらないな。」と 判断できる能力となります。 「この話はうまく伝わってるのかな? 自分の話は強引だったのではないだろうか? 相手はどんなふうに聞いていたのだろうか?」 と、常にセルフチェックを行うことができるかどうか。ということになります。 「自分にとっての正当性は、必ずしも相手にとっての正当性ではない」 ということを念頭に置かなければなりません。 [caption id="attachment_3665" align="alignnone" width="1024"] 夜のアーバンケア島之内の照明に照らされた花もきれいです[/caption]   しかし、人はついつい自分の意見を通したくなりますから いつの間にか客観的に自分の状況を見つめる視点を失ってしまいます。 そんな時は一旦「リセットする時間を作ること」です。 [caption id="attachment_3669" align="alignnone" width="708"] イラストやさんより[/caption]   例えば、交差点のすぐ横で話をしていたとすると、あらゆる騒音が聞こえて、自分の心は落ち着きません。 そんな時よく行うのは「ちょっと静かなところで話をしようか」ということになります。 誰だって、盛んに車、バス、トラック、そしてバイクが行き交う交差点の横で、 ゆっくりと話をしたいとは思いません。話の内容もぎすぎすしたものになるでしょう。 「一旦リセットする」のテクニックについては次回お話しします。 [caption id="attachment_3666" align="alignnone" width="376"] イラストやさんより[/caption]   音はそれだけ私たちのコミュニケーションに影響を与えるものなのです。 つまり、メタ認知力を働かせようとすると、周辺環境、特に音の影響力が大きいのです。 そもそもが雑然とした音の中では、メタ認知力が働かないどころか、 イライラのほうが大きくなってしまいます。 [caption id="attachment_3667" align="alignnone" width="1024"] お花満開です。でも明るいとお花も眠れない?[/caption]   利用者の生活環境も同じです。 心が落ち着くことができない音が多いほど、 知らずのうちに心の中に咲く花も枯れてしまうのです。
ブログ投稿画像 先日、和歌山市に研修に行きました。 和歌山県全域の介護支援専門員向け研修で、リモートによるものでした。 ご存知のように、和歌山県と言っても、北から南まで膨大な大きさの県です。 しかしながら、リモート研修なので、和歌山市周辺だけでなく、 橋本、白浜、潮岬、紀伊勝浦、新宮市に至るまで同じ研修に同時に参加することが出来ます。 お出掛けしなくてもよいので、150名の方の参加となりました。 便利ですね! 特に和歌山県のような広大な県では助かるかもしれません。 本来ならば、対面の方がいいのですが、仕方ありません。 しかしながら、研修時間が近づくほど、 事務局への問い合わせ電話がひっきりなしに掛かってきます。 ZOOMのやり方がわからないのですね。 年配のケアマネジャーさんに多いでしょうか。 [caption id="attachment_3641" align="alignnone" width="1024"] ここで研修発信をしました[/caption]   世の中どんどん進んでいき、便利さが増していきます。 確かに、この世の中の流れについて行こうと思ったら、 最新のシステムも高齢者であっても覚えていかなければならないのでしょう。 認知機能をフルに活用した世界はこれからも進化していくでしょう。 認知症予防のためにも、新しいものにチャレンジすることは大切だと思います。 まして今の現代人からスマートフォンを奪ったら、 めちゃくちゃ不便と感じるでしょう。 認知機能がダメージを受ける認知症の人にとっては、 「認知機能万能」の世界では生きづらくなります。 もちろんGPSの恩恵で助けられることもあるでしょうが、 生活全般で言えば、世の中がどんなに便利になっていたとしても、 そんなこと知ったことじゃない、今日一日どう安心して暮らせるかなのです。 そもそも、ふた昔前まではスマートフォンがなくても生活は出来ました。 不便は不便なりに生活できましたし、楽しみもありました。 認知症の人と関わるときは、「認知機能万能」の世界での考え方では その思いに近づくことは出来ません。 「不便さを楽しむ」くらいの気持ちを持つこと。 では具体的にどのようなことか? それはまた後日に。 ひとつ皮肉を書かせてもらうと、 スマートフォン万能の世界になり、今や休みの時でも、どこにいても 仕事場からメールや電話が入ります。 残念なことに、少し前までは山奥にこもれば電波も届かなかったのですが、 今は大概の所で電波が届きます。 しかしいやだなと思っても、スマートフォンを電源OFFにはできないのです。 電波が通じていないと、持っていないと不安に駆られるからです。 哀しき現代人です。 ひっそりとプライベートを楽しむこともできないですね。 便利にはなりましたが、人の心の安らぎの時間も奪っていると言えるかもしれません。