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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2024.04.19

認知症の教室(専門職用)
New 世界遺産「熊野三山」から認知症を考える(その1) 世界遺産に指定されて今年で20年になる「紀伊山地の霊場と参詣道」は、 高野山、吉野、熊野三山、そしてそれらの霊場を結ぶ参詣道(さんけいみち)という、広範囲に及びます。 参詣道が世界遺産となっているのは、 フランス・スペインにまたがる「サンディアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」と、 この紀伊山地の参詣道(主に熊野古道や大峰山奥駈道)の二か所だけとなります。 大峰奥駈道は、参詣道というより、修験道(修験者以外の人には、険しい登山道)なので、 ここでいう参詣道は熊野古道のことと言っていいでしょう。 杉木立が美しい   高野山、吉野、熊野三山とある霊場の中で、 特にダイバーシティを太古の昔から実践しているのが、熊野三山となります。 ダイバーシティ(Diversity)とは、 日本語で「多様性」の意味で、人種・性別・宗教・価値観などさまざまに異なる属性を持った人々が、 組織や集団において共存している状態を言います。(NECソリューションイノベータより) 熊野三山とは、三つの山の意味ではなく、 「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三つの大社のことを言います。 中辺路途中から見える、お椀型の山、百前森山   おもしろいことに、熊野古道を歩く多くの人は、今や欧米の方が中心です。 彼らの多くはキリスト教であるにもかかわらず、 日本の神さんに、お賽銭を入れ、二度お辞儀をし、手を叩き、再びお辞儀をするというしきたりを実践しています。 元々大社は神社ではありますが、仏教も受け入れているだけでなく、男女差別もなく、 要は、イスラム教であれ、キリスト教であっても受け入れる多様性のあるものなのですね。 発心王王子   そもそも日本人は、今やハロウィンやクリスマスを楽しみ、 亡き人を偲ぶ時や願い事で寺(仏教)に行き、正月は初もうでと称して神社に行く。 ある意味様々なことを受け入れる多様性を持っていると言えます。 日本最大の大鳥居 元々本宮大社があった場所に建つ   では多様性と認知症の人との関係はというと、 認知症だから違った人ではなく、認知症であっても「多様なひとりの人」として認識し、 認知症があろうとなかろうと、同じ人として認めることなのです。 そして、人々の思い(願い)を聴くのはどのような人でも同じという視点が、熊野三山の霊場にはあると言えます。 中辺路のゴール 熊野本宮大社 (続く)
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2024.04.15

認知症の教室(専門職用)
春のない季節 桜が咲くのが遅くなる近年の珍事?のあと、 一気に暑くなりましたね。 春のない季節になってしまったと言えるかもしれません。 体調管理が大変なのは、人間だけでなく動植物も同じかもしれません。 池の中も暑くて酸素不足だわ   身体コントロールがままならぬ認知症の人の場合、 なかなか発汗できなかったり、或いは、水分が補給できず、脱水になったりと 関わる人たちのコントロールが必要になりますね。 季節の変わり目というより、急変 ついていくのが大変です。 暑すぎて、頭がぼーっとして、滑り落ちそうになったよ~   昨日は認知症の人の行方不明について、NHKで特集が組まれていました。 内容はともかく、確かに社会として大きな課題となっていることは事実です。 はたして個人の行動をも見守る(監視されるともいえる)のがいいのだろうかという疑問も残ります。 AIシステムが進めば進むほど、管理、監視下に置くことは容易になるかもしれません。 しかし、認知症であっても一人の人としての自由は守らなければならないのではないだろうか。 AIシステムに頼りすぎると、個人の尊厳が侵されるのではないか。 ただ、実際行方不明になってしまったら、無事に早く見つかることが何よりです。 昔から比べると、GPSの導入も進んできています。 一次的にはやはり地域住民による見守り体制が、単に認知症の人のことだけでなく、 地域の繋がりという点では必要になるでしょう。 二次的には、GPSや発信タグなどの活用も必要かもしれません。 が、常にその方の権利が擁護されているのか、 そのようなチエック機能がなければ、管理や監視が第一の世界になってしまうかもしれません。    
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2024.04.10

認知症の教室(専門職用)
馴染みの桜 馴染みの人 周囲の状況や自分自身の状態が、まるで闇の中を歩くような、 そんな感覚になるのが認知症の人が置かれた状態と言えます。 誰でも自分が不安な状況に置かれたら、少なくとも自己防衛反応が強まり(生命的本能として)、 それが時に妄想や暴力に繋がったりもします(自己防衛のための行動と言えます) では、そんな不安な気持ち、不穏な感じを和らげるものはなにになるのか? それは、その不安感を落ち着かせてくれる「人」の存在でしかないのです。 癒し系のロボットがあるではないかと言われるかもしれません。 確かに、かわいく、やさしく、穏やかに語り掛けてくれます。 でもいざ頼れるかというと、 絶対ロボットには頼らず、人に頼るでしょう。 また癒しロボットは、時にそれを作成した者(だけでなく、ケア従事者も含めた多くの人が)の心のどこかに、 認知症の人を見下ろす視点があり、 「癒しロボット」を認知症の人に「あてがう」という意識が働いているのかもしれません。 わたしたちにある「見くびる意識」が、認知症の人を「見くびって」いるのです。 それも気づかぬうちに。 しかし認知症の人は見くびられるような存在ではないのです。 認知症の人は認知機能面では厳しくなっても (認知機能が厳しくなるということは、一般的な日常生活が厳しくなるということ) 感情や感性までも失われてはいないのです。 癒しロボットに微笑む姿は、 もしかしたらひとときの癒しになってはいても、それは社交辞令かもしれません。 先ほども書きましたが、いざ頼るとしたら、ロボットではなく、人間に頼るでしょう。 人々が桜に馴染むように、 馴染む人の存在は、認知症の人にとって不可欠な存在になります。 追々そのことについても説明していきます。
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2024.04.08

認知症の教室(専門職用)
サポーター講座も満開 4月に満開の桜 やっぱりこの季節感の方がいいですね。 何年振りかの入学式満開の桜の年になりました。 そして市場地区のサポーター講座もかなりの住民の方が来られ、 満開御礼でした。 皆さん、本当に熱心ですね。 認知症を他人事ではなく、自分事として捉えておられました。 桜の写真は徐々にまた載せていこうかなと思います。 まずはアーバンケア島之内の桜から。 花見というと、夜桜もいいのですが、 毎年帰り道に寄っている万博公園の夜桜。 これから桜満開になるという4日の夜行ったのですが、 なんと、門が閉まっている! 何人もの人がやって来て戸惑っていました。 確かHPには4月7日まで実施と書いてあったはず! これを読むと、夜桜も7日までと思います。   ところが別項目には4月3日までと載っていました。 3日までって、まだ花咲いてないやん。 例年通りの日程でやったんでしょうが、 まず、HPの記載が非常に不親切(間違ってしまう) 次に臨機応変性が全くない。 日程変更を考え、その段取りに1週間はあったはず。 堅物な上司でもいたのかな。 日程変更しているところもいくらでもあるのにね~ この期間だと、桜はほとんど咲いていなかったのですが。   臨機応変な対応 これも大切なのですよ! 仕方なく、公園外の桜を感度を上げて撮りましたが ブレブレでしたね。      
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2024.04.01

認知症の教室(専門職用)
利用者からお金をもらって働くということ 最近ブログをさぼり気味で申し訳ないです。 今日から新年度が始まりましたね。 桜は、本来の季節に咲き始めました。 新年度開始なので、少しビシッとしたことを書きます。 介護現場で働く人たちは、利用者から利用料をいただいて働いています。 利用者やその家族は通常の介護保険料のほかに、 介護サービスへの利用料を払って利用しています。 何故介護サービスを利用されるのか 当然利用する必然があって利用されます。 そして利用者はより良い介護サービスを求めて利用されています。 お金を払っているということは、 例えば、泊まった旅館のサービスが悪ければ、もう二度とここには泊まりたくないと思うでしょう。 愛想の悪い店員がいるお店も、ここでは二度と買物しないと思うでしょう。 昭和時代のレトロな喫茶店 何度も行きたくなる場所なのです。   ケアの現場も同じです。 お金を払ってサービスを受ける限りには、より良いサービスを受けたいと思うのは当然のことです。 しかし、家族からすれば、「背に腹は代えられぬ」つまり、サービスの質が悪くても、 利用せざるおえない人もいるかもしれません。 ケアの現場では往々にして生じる場面とも言えます。 (逆にカスタマハラスメントを働く利用者もいるかもしれませんが、それは別に語るとして) この喫茶店の絶品プリン。どこか昭和の味がします。   利用者は何を介護サービス事業者に求めるか? それはやはり、専門性だと言えるでしょう。 ケアの専門職がいるからこそ、サービスを受ける、サービスを受けたいと思うのです。 認知症の人の場合、常に不安と混乱の中におられます。 ゆえに専門的関りがより重要になります。 その専門職に見放されれば、認知症の人は行き場を失うのです。 ケアの現場で働くということは、それだけの責務を背負うことになります。 しかし、それだけ重要な仕事であるということに、誇りを持てる仕事でもあるのです。
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2024.03.22

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の思いを理解する難しさ(地域の認知症サポーター講座より) ちょっとブログが滞っています。 載せるべき題材が溜まっていますが、順次アップしていきます。 新家東地区での認知症サポーター講座を行いました。 今回は、アルツハイマー型認知症の要因となっている 「アミロイドβ」と「タウタンパク質」が溜まるとどうなるか 何故、覚えられない、思い出せないのかを ぬいぐるみなどを使って実体験してもらいました。 どのように、認知症の人の気持ちを分かってもらうか 試行錯誤の取り組みの一つになります。 認知症の人の気持ちをどう理解するか? 実はとても難しいことで、専門職でも四苦八苦します。 私たちは、自分の中に自分の思いがいっぱい詰まっているので、 他の人の気持ちを理解したり、受容したりするのは、実はとても苦手なのです。 まして、コミュニケーションが難しい状況にある認知症の人の思いを 理解するのは難しい! のでしょうか? でも物言わぬぬいぐるみであっても、 時にそのぬいぐるみの気持ちになって考えることができます。 わたしたちには、コミュニケーションが難しい相手であっても 理解しようとする、或いは理解できる、その能力があるのです。 この点は、また後日、書いてみたいと思います。    
ブログ投稿画像 世界遺産に指定されて今年で20年になる「紀伊山地の霊場と参詣道」は、 高野山、吉野、熊野三山、そしてそれらの霊場を結ぶ参詣道(さんけいみち)という、広範囲に及びます。 参詣道が世界遺産となっているのは、 フランス・スペインにまたがる「サンディアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」と、 この紀伊山地の参詣道(主に熊野古道や大峰山奥駈道)の二か所だけとなります。 大峰奥駈道は、参詣道というより、修験道(修験者以外の人には、険しい登山道)なので、 ここでいう参詣道は熊野古道のことと言っていいでしょう。 [caption id="attachment_5551" align="alignnone" width="1024"] 杉木立が美しい[/caption]   高野山、吉野、熊野三山とある霊場の中で、 特にダイバーシティを太古の昔から実践しているのが、熊野三山となります。 ダイバーシティ(Diversity)とは、 日本語で「多様性」の意味で、人種・性別・宗教・価値観などさまざまに異なる属性を持った人々が、 組織や集団において共存している状態を言います。(NECソリューションイノベータより) 熊野三山とは、三つの山の意味ではなく、 「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三つの大社のことを言います。 [caption id="attachment_5559" align="alignnone" width="1024"] 中辺路途中から見える、お椀型の山、百前森山[/caption]   おもしろいことに、熊野古道を歩く多くの人は、今や欧米の方が中心です。 彼らの多くはキリスト教であるにもかかわらず、 日本の神さんに、お賽銭を入れ、二度お辞儀をし、手を叩き、再びお辞儀をするというしきたりを実践しています。 元々大社は神社ではありますが、仏教も受け入れているだけでなく、男女差別もなく、 要は、イスラム教であれ、キリスト教であっても受け入れる多様性のあるものなのですね。 [caption id="attachment_5549" align="alignnone" width="1024"] 発心王王子[/caption]   そもそも日本人は、今やハロウィンやクリスマスを楽しみ、 亡き人を偲ぶ時や願い事で寺(仏教)に行き、正月は初もうでと称して神社に行く。 ある意味様々なことを受け入れる多様性を持っていると言えます。 [caption id="attachment_5562" align="alignnone" width="1024"] 日本最大の大鳥居 元々本宮大社があった場所に建つ[/caption]   では多様性と認知症の人との関係はというと、 認知症だから違った人ではなく、認知症であっても「多様なひとりの人」として認識し、 認知症があろうとなかろうと、同じ人として認めることなのです。 そして、人々の思い(願い)を聴くのはどのような人でも同じという視点が、熊野三山の霊場にはあると言えます。 [caption id="attachment_5556" align="alignnone" width="1024"] 中辺路のゴール 熊野本宮大社[/caption] (続く)
ブログ投稿画像 桜が咲くのが遅くなる近年の珍事?のあと、 一気に暑くなりましたね。 春のない季節になってしまったと言えるかもしれません。 体調管理が大変なのは、人間だけでなく動植物も同じかもしれません。 [caption id="attachment_5520" align="alignnone" width="1860"] 池の中も暑くて酸素不足だわ[/caption]   身体コントロールがままならぬ認知症の人の場合、 なかなか発汗できなかったり、或いは、水分が補給できず、脱水になったりと 関わる人たちのコントロールが必要になりますね。 季節の変わり目というより、急変 ついていくのが大変です。 [caption id="attachment_5519" align="alignnone" width="2048"] 暑すぎて、頭がぼーっとして、滑り落ちそうになったよ~[/caption]   昨日は認知症の人の行方不明について、NHKで特集が組まれていました。 内容はともかく、確かに社会として大きな課題となっていることは事実です。 はたして個人の行動をも見守る(監視されるともいえる)のがいいのだろうかという疑問も残ります。 AIシステムが進めば進むほど、管理、監視下に置くことは容易になるかもしれません。 しかし、認知症であっても一人の人としての自由は守らなければならないのではないだろうか。 AIシステムに頼りすぎると、個人の尊厳が侵されるのではないか。 ただ、実際行方不明になってしまったら、無事に早く見つかることが何よりです。 昔から比べると、GPSの導入も進んできています。 一次的にはやはり地域住民による見守り体制が、単に認知症の人のことだけでなく、 地域の繋がりという点では必要になるでしょう。 二次的には、GPSや発信タグなどの活用も必要かもしれません。 が、常にその方の権利が擁護されているのか、 そのようなチエック機能がなければ、管理や監視が第一の世界になってしまうかもしれません。    
ブログ投稿画像 周囲の状況や自分自身の状態が、まるで闇の中を歩くような、 そんな感覚になるのが認知症の人が置かれた状態と言えます。 誰でも自分が不安な状況に置かれたら、少なくとも自己防衛反応が強まり(生命的本能として)、 それが時に妄想や暴力に繋がったりもします(自己防衛のための行動と言えます) では、そんな不安な気持ち、不穏な感じを和らげるものはなにになるのか? それは、その不安感を落ち着かせてくれる「人」の存在でしかないのです。 癒し系のロボットがあるではないかと言われるかもしれません。 確かに、かわいく、やさしく、穏やかに語り掛けてくれます。 でもいざ頼れるかというと、 絶対ロボットには頼らず、人に頼るでしょう。 また癒しロボットは、時にそれを作成した者(だけでなく、ケア従事者も含めた多くの人が)の心のどこかに、 認知症の人を見下ろす視点があり、 「癒しロボット」を認知症の人に「あてがう」という意識が働いているのかもしれません。 わたしたちにある「見くびる意識」が、認知症の人を「見くびって」いるのです。 それも気づかぬうちに。 しかし認知症の人は見くびられるような存在ではないのです。 認知症の人は認知機能面では厳しくなっても (認知機能が厳しくなるということは、一般的な日常生活が厳しくなるということ) 感情や感性までも失われてはいないのです。 癒しロボットに微笑む姿は、 もしかしたらひとときの癒しになってはいても、それは社交辞令かもしれません。 先ほども書きましたが、いざ頼るとしたら、ロボットではなく、人間に頼るでしょう。 人々が桜に馴染むように、 馴染む人の存在は、認知症の人にとって不可欠な存在になります。 追々そのことについても説明していきます。
ブログ投稿画像 4月に満開の桜 やっぱりこの季節感の方がいいですね。 何年振りかの入学式満開の桜の年になりました。 そして市場地区のサポーター講座もかなりの住民の方が来られ、 満開御礼でした。 皆さん、本当に熱心ですね。 認知症を他人事ではなく、自分事として捉えておられました。 桜の写真は徐々にまた載せていこうかなと思います。 まずはアーバンケア島之内の桜から。 花見というと、夜桜もいいのですが、 毎年帰り道に寄っている万博公園の夜桜。 これから桜満開になるという4日の夜行ったのですが、 なんと、門が閉まっている! 何人もの人がやって来て戸惑っていました。 確かHPには4月7日まで実施と書いてあったはず! [caption id="attachment_5511" align="alignnone" width="2048"] これを読むと、夜桜も7日までと思います。[/caption]   ところが別項目には4月3日までと載っていました。 3日までって、まだ花咲いてないやん。 例年通りの日程でやったんでしょうが、 まず、HPの記載が非常に不親切(間違ってしまう) 次に臨機応変性が全くない。 日程変更を考え、その段取りに1週間はあったはず。 堅物な上司でもいたのかな。 日程変更しているところもいくらでもあるのにね~ [caption id="attachment_5510" align="alignnone" width="2048"] この期間だと、桜はほとんど咲いていなかったのですが。[/caption]   臨機応変な対応 これも大切なのですよ! 仕方なく、公園外の桜を感度を上げて撮りましたが ブレブレでしたね。      
ブログ投稿画像 最近ブログをさぼり気味で申し訳ないです。 今日から新年度が始まりましたね。 桜は、本来の季節に咲き始めました。 新年度開始なので、少しビシッとしたことを書きます。 介護現場で働く人たちは、利用者から利用料をいただいて働いています。 利用者やその家族は通常の介護保険料のほかに、 介護サービスへの利用料を払って利用しています。 何故介護サービスを利用されるのか 当然利用する必然があって利用されます。 そして利用者はより良い介護サービスを求めて利用されています。 お金を払っているということは、 例えば、泊まった旅館のサービスが悪ければ、もう二度とここには泊まりたくないと思うでしょう。 愛想の悪い店員がいるお店も、ここでは二度と買物しないと思うでしょう。 [caption id="attachment_5498" align="alignnone" width="2048"] 昭和時代のレトロな喫茶店 何度も行きたくなる場所なのです。[/caption]   ケアの現場も同じです。 お金を払ってサービスを受ける限りには、より良いサービスを受けたいと思うのは当然のことです。 しかし、家族からすれば、「背に腹は代えられぬ」つまり、サービスの質が悪くても、 利用せざるおえない人もいるかもしれません。 ケアの現場では往々にして生じる場面とも言えます。 (逆にカスタマハラスメントを働く利用者もいるかもしれませんが、それは別に語るとして) [caption id="attachment_5499" align="alignnone" width="2048"] この喫茶店の絶品プリン。どこか昭和の味がします。[/caption]   利用者は何を介護サービス事業者に求めるか? それはやはり、専門性だと言えるでしょう。 ケアの専門職がいるからこそ、サービスを受ける、サービスを受けたいと思うのです。 認知症の人の場合、常に不安と混乱の中におられます。 ゆえに専門的関りがより重要になります。 その専門職に見放されれば、認知症の人は行き場を失うのです。 ケアの現場で働くということは、それだけの責務を背負うことになります。 しかし、それだけ重要な仕事であるということに、誇りを持てる仕事でもあるのです。
ブログ投稿画像 ちょっとブログが滞っています。 載せるべき題材が溜まっていますが、順次アップしていきます。 新家東地区での認知症サポーター講座を行いました。 今回は、アルツハイマー型認知症の要因となっている 「アミロイドβ」と「タウタンパク質」が溜まるとどうなるか 何故、覚えられない、思い出せないのかを ぬいぐるみなどを使って実体験してもらいました。 どのように、認知症の人の気持ちを分かってもらうか 試行錯誤の取り組みの一つになります。 認知症の人の気持ちをどう理解するか? 実はとても難しいことで、専門職でも四苦八苦します。 私たちは、自分の中に自分の思いがいっぱい詰まっているので、 他の人の気持ちを理解したり、受容したりするのは、実はとても苦手なのです。 まして、コミュニケーションが難しい状況にある認知症の人の思いを 理解するのは難しい! のでしょうか? でも物言わぬぬいぐるみであっても、 時にそのぬいぐるみの気持ちになって考えることができます。 わたしたちには、コミュニケーションが難しい相手であっても 理解しようとする、或いは理解できる、その能力があるのです。 この点は、また後日、書いてみたいと思います。