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「2023年01月」で記事を検索しました。

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2023.01.28

トピックス
生駒山にも雪が センター長の石川です 今朝の私の家の周辺はゲレンデのようでした。 雪だるまになった車のフロントガラスの氷を解かすのが大変でした。 冬用タイヤを履いているので、私の車はすいすい走るのですが、 ノーマルタイヤの車が行く手を阻みます(苦笑) 東大阪は全く雪は積もっていませんでしたが、 生駒山はきれいに雪景色。 普段と違う彩の山を見ると、なんかいい感じですね。 しかし、アイスバーンになっていると 歩くことに気を付けなければなりません。 外出されようとする認知症の人がいる家族は 気が気ではないでしょう。 夏のような?雲が出ていました   サービスが入れば、認知症の人本人は、専門職による介護の力で 何とかなるでしょう。 どんなに大変だと思っても、専門職として関わっていかなければなりません。 そして何とかするのが専門職です。 一方、サービス利用時は一息付けても その生活のほとんどの場面で関わる家族にしてみれば つらさしんどさは、積み重なっていきます。 介護家族を支える視点も 大切な認知症ケアとなるのです。 認知症の人本人のみならず、介護家族にも目を向けることですね。 介護家族の会 ほっこりなつどい    
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2023.01.23

トピックス
藤井聡太王将と羽生善治九段の熱を感じながら 日曜日、何も知らなかったのですが、 たまたま軽ハイキングで登った芥川城址(三好山)のすぐ横の旅館山水館で 将棋の熱戦が繰り広げられていたのですね。 その藤井王将と羽生九段の熱戦のためか、山もなんとなく温かかったです。 将棋のことは全くわかりませんが、 単に将棋盤を見つめるだけでなく、あれやこれやと思考を目いっぱい巡らせる つまり思考を展開しながら先の時間に向かってるのですよね。 それは将棋だけでなく、介護の世界も同じです。 私たちはあまりにも狭い世界だけしか見ておらず、 右のものを左へ、左のものを右に動かすだけで満足しているところがあります。 途中で見かけたまるでジブリの世界に出てくるようなお家がありました。   何事も「好奇心」「探求心」を持たなければ進歩はありません。 先日物理学者村山斉氏の講義を見たのですが、めっちゃ面白かったですね。 物理学なんてちんぷんかんぷんなのですが、 宇宙がどうのこうのは別にして、人はどのように成長していくのか、興味深かったです。 「物理学なんて介護には関係がない」と思ってしまったら、そこでおしまい。 「物理学がどれだけ介護と関係しているのか」という好奇心を持つだけで、 世界はがらりと変わります。
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2023.01.17

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「すずめの戸締り」から 1月17日までに見に行っておこうと思って、先週見に行ってきました。 最近映画を見るときはいつもレイトショー 270名のシアターに僅か5名の抜群のソーシャルディスタンスです。 見ていて複雑な気持ちになりました。 というか現実に起きた悲惨な出来事、地震が来ると感じた時の一気に高まる恐怖 そして母を求めて泣き叫ぶ子どもの姿 うん、ちょっと胸を締め付けられる映画だったかな。 しかし、新海監督三部作では、一番良かったかもしれない。 一般受けはしそうもないけど、そこはアニメの世界。 座っているカーネルサンダースがいるのは日本でも2か所だけとか。ここのサンダースさんは足が弱っているのかも。   もし本当に閉じ師がいるのなら、神戸も東北も封印してほしかった。 あの恐怖、あの悲惨な光景はもう堪忍してほしい。 救援活動で入った被災者でぎっしりの体育館で、 足の不自由な高齢者のためにベッドを用意してほしい、 認知症の人が夜中に歩き回るので、介護士を派遣してほしい等々 いくつもの要望に答えられない私がいました。 (認知症の人は迷惑というのではなく、専門家に何とかしてほしいという訴え。 当時は排斥ではなく、助けあいの方が強かった。 もっとも避難生活が長期化するとそうではなくなるのですが、それは当然のことでしょう。) 多大な被害を受けた東灘区にて   しかし、残念ながら災害は必ずやってくるもの。 閉じ師に頼らず、常日頃から備えなければならないですね。 いつもなら人で溢れているショッピングモールも、映画が終わった後は誰もいません。大勢の人がいるときに地震が襲ったら、どうなるのでしょう…
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2023.01.16

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明日は誰にも保障されていない センター長の石川です。 先日は竹内まりやの「人生の扉」という歌を紹介しました。 竹内まりやには、もう一つ私たちの仕事に関わるであろう「いのちの歌」があります。 この歌はまた後日紹介します。 今日はケツメイシの唄を。 私もそれなりの歳になり、 いつのまにか自分より年下の友人、知人の訃報に接することが多くなりました。 子どものころから親しんだ有名人も次から次へと亡くなり、 誰が生きているのか死んでいるのかわからない始末です。 年齢の近い人の死亡記事では、その原因をつい読んでしまいます。 死を身近に感じるようになったということでしょうか。 私がこの仕事に入って間もないころ、昨日話をしていた人が亡くなって泣いたことがあります。 その人に限らず何回かは泣いたことがあるかな。 私が当時働いていた施設では、生活相談員は葬儀関係を取り仕切っていました。(多くの人は施設で葬儀を出したのです) 一応葬儀社は入ってくれますが、毎回斎場まで行き、お骨を拾うところまで行いました。 葬儀社が忙しい時は私が葬儀社の代わりとなって斎場の手続き (書類と心付けを渡す。心付けを渡すという風習はその後禁止されました)を行うなんてこともありました。 全く身寄りのない人のお通夜は寂しく、遅くまで祭壇のそばにいたこともあります。 生活保護の方は葬儀社も入れず、祭壇を組み立てもしました。 そうやって見送ってきた人は、多分100人を超えると思います。 でもそれを繰り返しているうちに、ひとつひとつの命の重さを感じる思いが希薄になり、 儀式が形式的になっていったとも言えます。 やはりお見送りは寂しくあってはならないと思うのです。 (黒澤明監督の「夢」では、お祭りのようなお葬式でした) でもさすがにこの歳になり、友人、知人を失うと、やはり身近なものとして感じてしまいます。 そして私はそれを温かく見送ることができるのだろうか? 私ならどう思うのか? もし明日は我が身と思うと、 私の心は広くも許容力もないので、耳を塞ぎ目を閉じるかも知れません。 ケツメイシのミュージックビデオは今見ると衝撃的ですね。 2016年制作ですから、まさかという感じです。 明日は、若い人にも保障されているものではないのです。 ダチョウ倶楽部の映像は、ちょっと哀しくなるけど、ケツメイシの「友よ~この先もずっと」です https://www.youtube.com/watch?v=IV7usfiEbms  
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2023.01.13

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人生の扉 先日小学校3年生のキッズサポーター講座に行ってきました。 3年生は2クラスだけでしたが、本当に元気な子どもたち。 意表を突く質問もあったりして、子どもたちに話をするときは 私たちは即応できるようにしないとなりません。 同時にいい勉強になりますね。 さてそんな10歳の子どもたちも いつかは50歳になり、60歳になり70歳になっていきます。 みんなそれぞれにどんな人生をたどるのでしょうか。 彼らがその年齢になるころには認知症はなくなっているのかな? さて、歳を取ることはどうしてもネガティブに考えてしまうことが多いですが、 竹内まりやの「人生の扉」は、 歳を取ることに対してのリスペクトが感じられる名曲です。 ケアの仕事も、この歌の歌詞のように、 人生を(年齢を)リスペクトしたケアを心掛けていくことが必要でしょう。 歳を曲がりなりにも取った私には心に軽快に響く歌ですね。 歌詞付き↓ https://www.youtube.com/watch?v=GWgMb-9dzis I say its fine to be 60 60歳になるのは素晴らしい You say its alright to be 70 70歳になるのも悪くない And they say still good to be 80 80歳でもまだまだ大丈夫 But I`ll maybe live over 90 でも私は90歳以上生きる   竹内まりや本人の歌声↓ https://www.youtube.com/watch?v=K5IeHponvZ0
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2023.01.11

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ひとりの人を取り巻く環境 人は誰でも周囲の環境とともに人生を過ごします。 例えポツンと一軒家に一人で暮らしていたとしても、 その暮らしている周囲の環境と一体化して暮らしています。 在宅生活を送る認知症の人も、 その周囲の地域環境によって住みやすいかそうでないかが決まってきます。 人の人生の最期の時 救急で運ばれ病院へ行ったとします。 その人が見る最後の景色は病院の天井か、見知らぬ医師、看護師の顔かもしれません。 しかし、ホームで長年暮らした人はその施設内の景色、 そして職員たちという馴染みの景色の中で人生の最期を迎えます。 まったく知らないところではなく、 馴染んだ場所や人たちのいる場所で、その人生を終えること。 本人にとっても、周囲の人たちにとっても意味ある環境と言えるでしょう。 何故ならば、私たちにとって、 その人は死してなお私たちの心に生き続ける(刻まれる)からです。 ひとりの人を取り巻く環境は、 その人の人生の最期に至るまで意味を持つものと言えるでしょう。 利用者にとって周囲の人たちは重要な環境。 つまり私たちはその重要な環境を形作っている一人なのです。 話は変わりますが、 五月山動物園のウオンバットのワイン。 ギネスに登録された長寿のウオンバットです。 このワインの長寿の秘訣、 それは隣りの柵の中にいる若いメスウオンバットのユキちゃんを見つめること。 長老のワインにとって重要な環境なのです。 隣りのかわいいユキちゃんはワインにとって大切な環境です。 ユキちゃんです
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2023.01.09

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見かたを変えれば こうだとしか思えていなかったものが 全く違った捉え方ができる でもなかなか自分の中の固定化された景色は変えられないのですが ちょっと見かたを変えて見る時間を持てば 或は試してみれば 違う思考が広がって、「なるほど!」という世界が広がるかもしれません。 先日の恩蔵先生のドキュメントを見ても感じました。 認知症の母から出てくる「私はバカだから」とか「早く死んだほうがいいね」という言葉に、 娘の恩蔵先生は落胆するのですが、 しかし捉え方を変えると、 何かがわからなかったりできなかったりした時に発するその言葉は 実は自分の状況がわかっているからこそ出てきた言葉ではないかと。 認知機能を働かせるうえでの生活上の動作は難しくなっても、 感情はしっかりと生きていて、自分のことも周囲のこともわかっているのではないかと。 つい表面上だけで捉えてしまう私たちですが、見かたを変えると、 「認知症の人」から、「ひとりの人」としての感情が見えてくるのではないでしょうか。 数年前の西武・そごうの広告で有名になったこの言葉 以前もブログでアップしたかもしれませんが、再掲します。 上から読むのと、下から読むのでは 違った世界がそこに広がります。 上から読んだ後、下の行から上の行へ読んでいってください。      大逆転は、起こりうる。  わたしは、その言葉を信じない。  どうせ奇跡なんて起こらない。  それでも人々は無責任に言うだろう。  小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。  誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。  今こそ自分を貫くときだ。  しかし、そんな考え方は馬鹿げている。  勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。  わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。  土俵際、もはや絶体絶命。   さて、お堀の水に映る松本城 どちらが実際の写真でしょうか?
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今朝の私の家の周辺はゲレンデのようでした。 雪だるまになった車のフロントガラスの氷を解かすのが大変でした。 冬用タイヤを履いているので、私の車はすいすい走るのですが、 ノーマルタイヤの車が行く手を阻みます(苦笑) 東大阪は全く雪は積もっていませんでしたが、 生駒山はきれいに雪景色。 普段と違う彩の山を見ると、なんかいい感じですね。 しかし、アイスバーンになっていると 歩くことに気を付けなければなりません。 外出されようとする認知症の人がいる家族は 気が気ではないでしょう。 [caption id="attachment_4389" align="alignnone" width="2560"] 夏のような?雲が出ていました[/caption]   サービスが入れば、認知症の人本人は、専門職による介護の力で 何とかなるでしょう。 どんなに大変だと思っても、専門職として関わっていかなければなりません。 そして何とかするのが専門職です。 一方、サービス利用時は一息付けても その生活のほとんどの場面で関わる家族にしてみれば つらさしんどさは、積み重なっていきます。 介護家族を支える視点も 大切な認知症ケアとなるのです。 認知症の人本人のみならず、介護家族にも目を向けることですね。 [caption id="attachment_3882" align="alignnone" width="1710"] 介護家族の会 ほっこりなつどい[/caption]    
ブログ投稿画像 日曜日、何も知らなかったのですが、 たまたま軽ハイキングで登った芥川城址(三好山)のすぐ横の旅館山水館で 将棋の熱戦が繰り広げられていたのですね。 その藤井王将と羽生九段の熱戦のためか、山もなんとなく温かかったです。 将棋のことは全くわかりませんが、 単に将棋盤を見つめるだけでなく、あれやこれやと思考を目いっぱい巡らせる つまり思考を展開しながら先の時間に向かってるのですよね。 それは将棋だけでなく、介護の世界も同じです。 私たちはあまりにも狭い世界だけしか見ておらず、 右のものを左へ、左のものを右に動かすだけで満足しているところがあります。 [caption id="attachment_4369" align="alignnone" width="2048"] 途中で見かけたまるでジブリの世界に出てくるようなお家がありました。[/caption]   何事も「好奇心」「探求心」を持たなければ進歩はありません。 先日物理学者村山斉氏の講義を見たのですが、めっちゃ面白かったですね。 物理学なんてちんぷんかんぷんなのですが、 宇宙がどうのこうのは別にして、人はどのように成長していくのか、興味深かったです。 「物理学なんて介護には関係がない」と思ってしまったら、そこでおしまい。 「物理学がどれだけ介護と関係しているのか」という好奇心を持つだけで、 世界はがらりと変わります。
ブログ投稿画像 1月17日までに見に行っておこうと思って、先週見に行ってきました。 最近映画を見るときはいつもレイトショー 270名のシアターに僅か5名の抜群のソーシャルディスタンスです。 見ていて複雑な気持ちになりました。 というか現実に起きた悲惨な出来事、地震が来ると感じた時の一気に高まる恐怖 そして母を求めて泣き叫ぶ子どもの姿 うん、ちょっと胸を締め付けられる映画だったかな。 しかし、新海監督三部作では、一番良かったかもしれない。 一般受けはしそうもないけど、そこはアニメの世界。 [caption id="attachment_4360" align="alignnone" width="843"] 座っているカーネルサンダースがいるのは日本でも2か所だけとか。ここのサンダースさんは足が弱っているのかも。[/caption]   もし本当に閉じ師がいるのなら、神戸も東北も封印してほしかった。 あの恐怖、あの悲惨な光景はもう堪忍してほしい。 救援活動で入った被災者でぎっしりの体育館で、 足の不自由な高齢者のためにベッドを用意してほしい、 認知症の人が夜中に歩き回るので、介護士を派遣してほしい等々 いくつもの要望に答えられない私がいました。 (認知症の人は迷惑というのではなく、専門家に何とかしてほしいという訴え。 当時は排斥ではなく、助けあいの方が強かった。 もっとも避難生活が長期化するとそうではなくなるのですが、それは当然のことでしょう。) [caption id="attachment_4363" align="alignnone" width="1909"] 多大な被害を受けた東灘区にて[/caption]   しかし、残念ながら災害は必ずやってくるもの。 閉じ師に頼らず、常日頃から備えなければならないですね。 [caption id="attachment_4361" align="alignnone" width="1468"] いつもなら人で溢れているショッピングモールも、映画が終わった後は誰もいません。大勢の人がいるときに地震が襲ったら、どうなるのでしょう…[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先日は竹内まりやの「人生の扉」という歌を紹介しました。 竹内まりやには、もう一つ私たちの仕事に関わるであろう「いのちの歌」があります。 この歌はまた後日紹介します。 今日はケツメイシの唄を。 私もそれなりの歳になり、 いつのまにか自分より年下の友人、知人の訃報に接することが多くなりました。 子どものころから親しんだ有名人も次から次へと亡くなり、 誰が生きているのか死んでいるのかわからない始末です。 年齢の近い人の死亡記事では、その原因をつい読んでしまいます。 死を身近に感じるようになったということでしょうか。 私がこの仕事に入って間もないころ、昨日話をしていた人が亡くなって泣いたことがあります。 その人に限らず何回かは泣いたことがあるかな。 私が当時働いていた施設では、生活相談員は葬儀関係を取り仕切っていました。(多くの人は施設で葬儀を出したのです) 一応葬儀社は入ってくれますが、毎回斎場まで行き、お骨を拾うところまで行いました。 葬儀社が忙しい時は私が葬儀社の代わりとなって斎場の手続き (書類と心付けを渡す。心付けを渡すという風習はその後禁止されました)を行うなんてこともありました。 全く身寄りのない人のお通夜は寂しく、遅くまで祭壇のそばにいたこともあります。 生活保護の方は葬儀社も入れず、祭壇を組み立てもしました。 そうやって見送ってきた人は、多分100人を超えると思います。 でもそれを繰り返しているうちに、ひとつひとつの命の重さを感じる思いが希薄になり、 儀式が形式的になっていったとも言えます。 やはりお見送りは寂しくあってはならないと思うのです。 (黒澤明監督の「夢」では、お祭りのようなお葬式でした) でもさすがにこの歳になり、友人、知人を失うと、やはり身近なものとして感じてしまいます。 そして私はそれを温かく見送ることができるのだろうか? 私ならどう思うのか? もし明日は我が身と思うと、 私の心は広くも許容力もないので、耳を塞ぎ目を閉じるかも知れません。 ケツメイシのミュージックビデオは今見ると衝撃的ですね。 2016年制作ですから、まさかという感じです。 明日は、若い人にも保障されているものではないのです。 ダチョウ倶楽部の映像は、ちょっと哀しくなるけど、ケツメイシの「友よ~この先もずっと」です https://www.youtube.com/watch?v=IV7usfiEbms  
ブログ投稿画像 先日小学校3年生のキッズサポーター講座に行ってきました。 3年生は2クラスだけでしたが、本当に元気な子どもたち。 意表を突く質問もあったりして、子どもたちに話をするときは 私たちは即応できるようにしないとなりません。 同時にいい勉強になりますね。 さてそんな10歳の子どもたちも いつかは50歳になり、60歳になり70歳になっていきます。 みんなそれぞれにどんな人生をたどるのでしょうか。 彼らがその年齢になるころには認知症はなくなっているのかな? さて、歳を取ることはどうしてもネガティブに考えてしまうことが多いですが、 竹内まりやの「人生の扉」は、 歳を取ることに対してのリスペクトが感じられる名曲です。 ケアの仕事も、この歌の歌詞のように、 人生を(年齢を)リスペクトしたケアを心掛けていくことが必要でしょう。 歳を曲がりなりにも取った私には心に軽快に響く歌ですね。 歌詞付き↓ https://www.youtube.com/watch?v=GWgMb-9dzis I say its fine to be 60 60歳になるのは素晴らしい You say its alright to be 70 70歳になるのも悪くない And they say still good to be 80 80歳でもまだまだ大丈夫 But I`ll maybe live over 90 でも私は90歳以上生きる   竹内まりや本人の歌声↓ https://www.youtube.com/watch?v=K5IeHponvZ0
ブログ投稿画像 人は誰でも周囲の環境とともに人生を過ごします。 例えポツンと一軒家に一人で暮らしていたとしても、 その暮らしている周囲の環境と一体化して暮らしています。 在宅生活を送る認知症の人も、 その周囲の地域環境によって住みやすいかそうでないかが決まってきます。 人の人生の最期の時 救急で運ばれ病院へ行ったとします。 その人が見る最後の景色は病院の天井か、見知らぬ医師、看護師の顔かもしれません。 しかし、ホームで長年暮らした人はその施設内の景色、 そして職員たちという馴染みの景色の中で人生の最期を迎えます。 まったく知らないところではなく、 馴染んだ場所や人たちのいる場所で、その人生を終えること。 本人にとっても、周囲の人たちにとっても意味ある環境と言えるでしょう。 何故ならば、私たちにとって、 その人は死してなお私たちの心に生き続ける(刻まれる)からです。 ひとりの人を取り巻く環境は、 その人の人生の最期に至るまで意味を持つものと言えるでしょう。 利用者にとって周囲の人たちは重要な環境。 つまり私たちはその重要な環境を形作っている一人なのです。 話は変わりますが、 五月山動物園のウオンバットのワイン。 ギネスに登録された長寿のウオンバットです。 このワインの長寿の秘訣、 それは隣りの柵の中にいる若いメスウオンバットのユキちゃんを見つめること。 長老のワインにとって重要な環境なのです。 [caption id="attachment_4203" align="alignnone" width="2048"] 隣りのかわいいユキちゃんはワインにとって大切な環境です。[/caption] [caption id="attachment_3379" align="alignnone" width="1600"] ユキちゃんです[/caption]
ブログ投稿画像 こうだとしか思えていなかったものが 全く違った捉え方ができる でもなかなか自分の中の固定化された景色は変えられないのですが ちょっと見かたを変えて見る時間を持てば 或は試してみれば 違う思考が広がって、「なるほど!」という世界が広がるかもしれません。 先日の恩蔵先生のドキュメントを見ても感じました。 認知症の母から出てくる「私はバカだから」とか「早く死んだほうがいいね」という言葉に、 娘の恩蔵先生は落胆するのですが、 しかし捉え方を変えると、 何かがわからなかったりできなかったりした時に発するその言葉は 実は自分の状況がわかっているからこそ出てきた言葉ではないかと。 認知機能を働かせるうえでの生活上の動作は難しくなっても、 感情はしっかりと生きていて、自分のことも周囲のこともわかっているのではないかと。 つい表面上だけで捉えてしまう私たちですが、見かたを変えると、 「認知症の人」から、「ひとりの人」としての感情が見えてくるのではないでしょうか。 数年前の西武・そごうの広告で有名になったこの言葉 以前もブログでアップしたかもしれませんが、再掲します。 上から読むのと、下から読むのでは 違った世界がそこに広がります。 上から読んだ後、下の行から上の行へ読んでいってください。      大逆転は、起こりうる。  わたしは、その言葉を信じない。  どうせ奇跡なんて起こらない。  それでも人々は無責任に言うだろう。  小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。  誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。  今こそ自分を貫くときだ。  しかし、そんな考え方は馬鹿げている。  勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。  わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。  土俵際、もはや絶体絶命。   さて、お堀の水に映る松本城 どちらが実際の写真でしょうか?