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「ほんわか写真館」で記事を検索しました。

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2022.12.17

ほんわか写真館
ケアの世界と「時間」 全く違う世界のことをかじって勉強してみるのも面白いですね。 今回は全く不得意な物理の世界。 テーマは「時間」 なんと、時間は重力の影響を受けて、地上ほど遅く、 高く上るほど重力の影響が少なくなって、時間は早く進むそうです。???  時間は重力の影響を受ける? では宇宙ステーションでの時間は私たちより早い? さらに、過去、現在、未来とは、私たちの脳の中で起こっているものであるとのこと。 これは何となくわかります。 瞬間瞬間に感じることが現在であって、即、過去になってしまいますからね。 そしてこれから来ることを予測するのが未来。 要するに過去・現在・未来は法律に定められているわけでもない、私たちの感覚的なものとか。 さらに時間は逆行することもあるのだとか。それも物理的に。 ここまで来ると、訳が分からなくなってしまいます。 しかし、私たちケアに関わる人間にとって時間は、「重さ」でもあるのです。 私は講義で、ルーティンワークに追われる中、 利用者と「濃く」関わる時間を持ってほしいとお話しします。 「濃い時間」それは「重い時間」ともいえるのです。 例えば、日々ルーティンワークに追われる時間の中で、 1分立ち止まり、不安の中にいる人や、終末期を迎えた人の手を優しく握り、暖かなまなざしを送る。 その1分が、濃い、重い時間なのです。 或いは、終末期を迎えた方にとっては、その1分1分が重い時間なのかもしれません。 ですから私たちにとって時間は、単に通り過ぎていくものではないのです。 では認知症の人にとっての時間とは何か? それは脳の働きがかなり関わっているかもしれません。 もしかしたら、時間は様々な方向へ行きつ戻りつしているかもしれません。 ここは脳科学者の方に聞かなければならない領域と思いますが、 ある意味私たちの想像をはるかに超えた世界がそこにはあるかもしれませんね。 時間が逆行するという意味も何となく分かるような気がします。 私たちはその認知症の人の時間にしっかりと向き合っていかなければならないのでしょう。 「時間」 それは重力の影響を受けるとか、逆行するとか、濃いとか重いとか、 多分に情緒的要素も含まれるかもしれませんが、 意外とケアの世界と深い関りがあるのですよね。 いずれにしても利用者にとっての「時間の重さ」を 私たちはもっと感じなければならないと思うのです。
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2022.12.14

ほんわか写真館
感情に響く風景(その2) ~心がある場所~ 心に響くとか、心に伝わるとかという言葉があります。 私もよく使いますが、それでは、その心って、脳のどこにあるのかな? っていう疑問は愚問ですかね? 脳科学的に証明されれば、「認知症の人は心を失ったわけではない。むしろ快活に感じている」と、 情緒的ではなく、明確に言えるのですが、 私はまだ勉強不足。今度脳科学者の恩蔵絢子先生に会ったときに聞いてみることにします。   しかし、「きれいなもの」を見たときに、 私たちが望むような明るい反応が認知症の人になかったとしても、 何も感じられなくなったと思うのは早計かもしれません。 表現できる機能がダメージを受けているから「きれい!」とわかってもそれが表現できない、 若しくは、「きれいなもの」がいわゆる「心」に届きにくくなっているからかもしれません。 でもそれは、届きにくくなっているだけで、届いてないわけではないのです。 それゆえ、「認知症の人は心も失われている」と考えていいものでしょうか。 むしろ、ディスプレイに表出される情報だけに左右されて、 その中で誹謗中傷する人の方が、脳は働いていても、心は消えてしまっていると言えるかもしれません。 ディスプレイに表示された言葉でストレスを感じるようならば、 思い切ってデジタルデトックス(デジタル断ち・ディスプレイから離れる)して、 自然の空気を吸い、花々と会話する方がずっと自分の人生にプラスになります。 認知症の人は、デイスプレイ以外の世界をしっかりと感じておられます。 その心の働きは私たち以上に豊かかもしれません。 以前「心に彩を添える」というブログを書きましたが、 きれいな景色、楽しかった思い出話や写真、暖かな家族との団らんや写真等・・・。 認知症になるとわからなくなるではなく、認知症の人ほど、 ほのぼのとした時間が必要(認知機能より、感情や感性の動きが豊かになるため)なのです。 その感情への関りが逆の状況、つまり不快なかかわりをすると、当然ネガティブな反応になります。 それは認知症の人だけでなく、私たちも同じでしょう。 そして人は対立や憤りや苛立ちを感じてしまい、ケア側ではそれが表出してしまいがちです。 つまり、「心」は周囲の人たちの影響を大きく受ける場所と言えるでしょう。 (つづく)
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2022.12.12

ほんわか写真館
感情に響く風景(その1) ~ディスプレイがないと生きていけない?~ 私たちの生活の多くの時間は「ディスプレイ(モニター、画面)」と付きあっています。 スマホにより、SNS等を含め、様々な情報をそのディスプレイから得ています。 パソコンにしても同様で、会議までそのディスプレイの中で行います。 テレビから溢れ出る情報も、ディスプレイ(画面)からの情報です。 今の現代人は、ありとあらゆる情報や、好き勝手な書き込みまで ディスプレイに向かって行っています。 今こうしてブログを書いているのも、ディスプレイに向かっていることになります。 情報を得るのも、人とのコミュニケーションも、匿名の誹謗中傷も、 全てディスプレイを通じて行われています。 今や私たちは、このディスプレイがないと生活していけないともいえるかもしれません。 しかし、世界は(あなたの周囲は)、ディスプレイよりもはるかに広く大きいのです。 それなのに現代人は、ディスプレイの中からほとんどの情報を得たりやり取りしたりを続けています。 一方、認知症の人はディスプレイから情報を得ることや伝えることは厳しくなっていきます。 しかしその分、ディスプレイ以外の世界をしっかりと見て感じられていると言えます。 インスタグラムの写真を見て「わぁきれい!」というような、 ディスプレイに踊らされるようなそんなものではない、本物の世界を必死に見ようとされています。 ディスプレイを見るという認知機能は失われても、それ以外の世界を感情や感性で見ていきます。 そうなのです。本物の「わぁきれい!」と思う景色を見ること。 それはまだまだ失われていない認知症の人の感情や感性に直接響くものとなるのです。 (つづく)
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2022.11.02

ほんわか写真館
実るほど頭を垂れる稲穂かな 稲刈りもいつの間にか終わってしまいましたね。 秋深まるというところでしょうか。 さて、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 この言葉ご存知でしょうか 「学問や技能が深まった人ほど、かえって他人に対して謙虚になること」 (故事ことわざ辞典より) ということになります。 私は自分がついつい傲慢になると、この言葉を思い浮かべます。 もっとも私自身は、学問や技能が深まったわけではないのですが、 やはり曲がりなりにも歳を喰ってしまったので、 「歳をとるほど頭を垂れる」と置き換えることになるでしょう。 今まさに、私には必要なことなのかなと思います。 年月が経つほど堂々とし、畏敬の念を抱くものとして、日本各地の巨樹があるでしょう。 この近辺では能勢町の、国の天然記念物、野間の大けやきでしょうか。 高さ27.37メートル、幹まわり13.01メートル、最大枝張は幅39.3メートル、高さ36.2メートルの巨樹です。 その樹齢は1000年ともいわれ、けやきとしては西日本最大です。 1000年前というと、平安時代ですね。 心がぎすぎすしたり、イライラしたり、狭くなったと思ったら、この欅の木の下に立ち、 深呼吸してみてはいかがでしょうか。 心は狭めるより、心は広く持つこと。 せっかくの人生ですから。 箕面からだと、徒歩だと、ひとやま超えて5時間以上(笑) 車だと30分弱です。
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2022.11.01

ほんわか写真館
壁は自分自身にある 人間生きていくうちには 失敗や、気づかなかったことや、うまくいかなかったことや、やらかしてしまうことやら、 多分そんなことの方が多いと思います。 それは若い人だけでなく、歳取っても多分にあります。 私自身、気づかなかったこと、考えなかったこと、判断を間違ったことなど 今でもたくさんあります。 いくら歳をとっても熟成されない人間です。 そして失敗でへこむ人がいれば、失敗自体を何とも思わない人もいるでしょう。 逆に人間は他人のことになると、いとも簡単に指摘します。 それは上司、同僚、年齢関係なく、人は他人のことを指摘するのが得意だからです。 でもそれを受け止めるのは、人間は不得意かもしれません。 指摘を謙虚に受け止めることができること 逆に、自分もいとも簡単に他人を指摘してしまっていないか 気づかぬうちに、人の心を傷つけていないか。 いずれにしても「壁は自分自身の中にある」と言えます。 謙虚に受け止め、それを活かして前へ進めるのか、 いつのまにか他人を責めて自己満足してしまっていないか どちらであれ、「壁は自分自身の中」にあります。 でも、今はその壁を乗り越えるための手助けが必要かもしれません。 いらすとやさんより   感受性が私たち以上に研ぎ澄まされた認知症の人にとって 不得意部分を責められることはとてもつらいことです。 理解できなかったり、普通にやれなかったことを責められると 或いは冷たい視線で見られると、 自分ではどうすることもできないくらい心の孤独を感じてしまうでしょう。 認知症の人にとっての壁は、周囲の人たちの存在と言えるかもしれません。
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2022.10.28

ほんわか写真館
第7回シンポジウムの名場面?集(その2) シンポジウム、大阪府警本部の皆さんの次は、 地元河内警察の交通課と地域課のお二人の警察官からのお話です。 河内警察署 交通課と地域課のお二人です   交通事故や特殊詐欺への注意喚起でしたが、 地元警察官からこのような取り組みを評価され、 是非ともネットワーク推進委員会を通じて地域の皆さんの生活を守っていきたいと熱く話されていました。 ネットワーク推進委員会のことを熱く語ってくれました   そして、コロナに負けない健康体操。今回はキツネダンスでした。 皆さん舞台に乗り出そうとするくらい楽しんでいました。   某野球球団で有名になったキツネですが、ちょっとハードで皆さん踊れるかな?と思っていたのですが、 なんてことはない。 皆さんめっちゃ楽しくキツネダンスを楽しんでおられました。 皆さん元気です! みんなでガオ=! って、キツネはガオーか? おや、一人だけ動きが違うぞ! 舞台裏で一生懸命練習していました が… 誰や間違えてたのは   アーバンケア島之内、アーバンケア八戸ノ里、アーバンケア稲田の機能訓練指導員です。 シンポジウムの報告は続きます。 次はいよいよ先生方による寸劇です。
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2022.09.15

ほんわか写真館
今思いついたことが、次の瞬間には忘れてる 「あ、そうそう!」と、 あることをしなければならないことに気づいて立ち上がります。 そして数歩歩いた時には既に思いついたことを忘れてる。 「あれ、なにをしようとしたんだっけ?」 というような体験ありませんか? ほとんどの皆さんにもあることではないかと思います。 大概の場合は、すぐに思い出すか、しばらくして思い出すか、 或いは「どうせ大した用事ではない」と放置してしまうかですね。 このようなことが何回もあると、自分は認知症になるのでは!? と、不安になってしまいますよね。 しかし、日常のちょっとしたもの忘れは、誰にでもよくあることです。 注意しなければならないのは、日常生活や行動スケジュールにトラブルが生じていないかということになります。 日常のちょっとしたもの忘れも、回数が多くなると、日常生活に何らかの支障を生じさせます。 多くの場合は不安になることもない、年相応のものですが、 認知症へのちょっとした変化は、本人も認めたくないし、 周囲も気づきたくないというところがあります。 少しでも不安があるのなら、遠慮なく相談してください。 何事も、早めが肝心です。 相談連絡先 アーバンケア島之内内 認知症相談センター結まで 072-960-6070   さて、登山の話。 まずは登山口からは標高差1千メートルを5時間かけて登り、北アルプスの稜線にたどり着きます。 簡単に5時間と言っても、結構大変な山道、急坂ですね。 沢沿いを登っていきます この後、急坂、転落危険地帯を歩きます。 支流の水は冷たくて、めっちゃ美味いです。 でも登ると、雲海とご来光が見れます。天気が良ければですが。 これは本当に素晴らしいですね! 浅間山に昇る朝陽 (写真続く)    
ブログ投稿画像 全く違う世界のことをかじって勉強してみるのも面白いですね。 今回は全く不得意な物理の世界。 テーマは「時間」 なんと、時間は重力の影響を受けて、地上ほど遅く、 高く上るほど重力の影響が少なくなって、時間は早く進むそうです。???  時間は重力の影響を受ける? では宇宙ステーションでの時間は私たちより早い? さらに、過去、現在、未来とは、私たちの脳の中で起こっているものであるとのこと。 これは何となくわかります。 瞬間瞬間に感じることが現在であって、即、過去になってしまいますからね。 そしてこれから来ることを予測するのが未来。 要するに過去・現在・未来は法律に定められているわけでもない、私たちの感覚的なものとか。 さらに時間は逆行することもあるのだとか。それも物理的に。 ここまで来ると、訳が分からなくなってしまいます。 しかし、私たちケアに関わる人間にとって時間は、「重さ」でもあるのです。 私は講義で、ルーティンワークに追われる中、 利用者と「濃く」関わる時間を持ってほしいとお話しします。 「濃い時間」それは「重い時間」ともいえるのです。 例えば、日々ルーティンワークに追われる時間の中で、 1分立ち止まり、不安の中にいる人や、終末期を迎えた人の手を優しく握り、暖かなまなざしを送る。 その1分が、濃い、重い時間なのです。 或いは、終末期を迎えた方にとっては、その1分1分が重い時間なのかもしれません。 ですから私たちにとって時間は、単に通り過ぎていくものではないのです。 では認知症の人にとっての時間とは何か? それは脳の働きがかなり関わっているかもしれません。 もしかしたら、時間は様々な方向へ行きつ戻りつしているかもしれません。 ここは脳科学者の方に聞かなければならない領域と思いますが、 ある意味私たちの想像をはるかに超えた世界がそこにはあるかもしれませんね。 時間が逆行するという意味も何となく分かるような気がします。 私たちはその認知症の人の時間にしっかりと向き合っていかなければならないのでしょう。 「時間」 それは重力の影響を受けるとか、逆行するとか、濃いとか重いとか、 多分に情緒的要素も含まれるかもしれませんが、 意外とケアの世界と深い関りがあるのですよね。 いずれにしても利用者にとっての「時間の重さ」を 私たちはもっと感じなければならないと思うのです。
ブログ投稿画像 心に響くとか、心に伝わるとかという言葉があります。 私もよく使いますが、それでは、その心って、脳のどこにあるのかな? っていう疑問は愚問ですかね? 脳科学的に証明されれば、「認知症の人は心を失ったわけではない。むしろ快活に感じている」と、 情緒的ではなく、明確に言えるのですが、 私はまだ勉強不足。今度脳科学者の恩蔵絢子先生に会ったときに聞いてみることにします。   しかし、「きれいなもの」を見たときに、 私たちが望むような明るい反応が認知症の人になかったとしても、 何も感じられなくなったと思うのは早計かもしれません。 表現できる機能がダメージを受けているから「きれい!」とわかってもそれが表現できない、 若しくは、「きれいなもの」がいわゆる「心」に届きにくくなっているからかもしれません。 でもそれは、届きにくくなっているだけで、届いてないわけではないのです。 それゆえ、「認知症の人は心も失われている」と考えていいものでしょうか。 むしろ、ディスプレイに表出される情報だけに左右されて、 その中で誹謗中傷する人の方が、脳は働いていても、心は消えてしまっていると言えるかもしれません。 ディスプレイに表示された言葉でストレスを感じるようならば、 思い切ってデジタルデトックス(デジタル断ち・ディスプレイから離れる)して、 自然の空気を吸い、花々と会話する方がずっと自分の人生にプラスになります。 認知症の人は、デイスプレイ以外の世界をしっかりと感じておられます。 その心の働きは私たち以上に豊かかもしれません。 以前「心に彩を添える」というブログを書きましたが、 きれいな景色、楽しかった思い出話や写真、暖かな家族との団らんや写真等・・・。 認知症になるとわからなくなるではなく、認知症の人ほど、 ほのぼのとした時間が必要(認知機能より、感情や感性の動きが豊かになるため)なのです。 その感情への関りが逆の状況、つまり不快なかかわりをすると、当然ネガティブな反応になります。 それは認知症の人だけでなく、私たちも同じでしょう。 そして人は対立や憤りや苛立ちを感じてしまい、ケア側ではそれが表出してしまいがちです。 つまり、「心」は周囲の人たちの影響を大きく受ける場所と言えるでしょう。 (つづく)
ブログ投稿画像 私たちの生活の多くの時間は「ディスプレイ(モニター、画面)」と付きあっています。 スマホにより、SNS等を含め、様々な情報をそのディスプレイから得ています。 パソコンにしても同様で、会議までそのディスプレイの中で行います。 テレビから溢れ出る情報も、ディスプレイ(画面)からの情報です。 今の現代人は、ありとあらゆる情報や、好き勝手な書き込みまで ディスプレイに向かって行っています。 今こうしてブログを書いているのも、ディスプレイに向かっていることになります。 情報を得るのも、人とのコミュニケーションも、匿名の誹謗中傷も、 全てディスプレイを通じて行われています。 今や私たちは、このディスプレイがないと生活していけないともいえるかもしれません。 しかし、世界は(あなたの周囲は)、ディスプレイよりもはるかに広く大きいのです。 それなのに現代人は、ディスプレイの中からほとんどの情報を得たりやり取りしたりを続けています。 一方、認知症の人はディスプレイから情報を得ることや伝えることは厳しくなっていきます。 しかしその分、ディスプレイ以外の世界をしっかりと見て感じられていると言えます。 インスタグラムの写真を見て「わぁきれい!」というような、 ディスプレイに踊らされるようなそんなものではない、本物の世界を必死に見ようとされています。 ディスプレイを見るという認知機能は失われても、それ以外の世界を感情や感性で見ていきます。 そうなのです。本物の「わぁきれい!」と思う景色を見ること。 それはまだまだ失われていない認知症の人の感情や感性に直接響くものとなるのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 442年ぶりだそうです。 惑星蝕と月蝕が重なるのが。 宇宙の単位はでっかいですね。 でも442年ぶりの惑星蝕、写真に捉えることができました。 [caption id="attachment_4214" align="alignnone" width="787"] 天王星は肉眼で見るのは厳しいですね。[/caption]   次は約300年先とのこと。 この壮大なる年月のことを考えると、 人間がやっていることの、いかに情けないことか。 いさかい、殺しあっている間に 隕石がぶつかって、人類はあっという間に滅亡するかもですね。 或いは巨大な太陽フレアが地球を襲うかもしれません。 [caption id="attachment_4213" align="alignnone" width="1705"] 月に隠れる直前の天王星[/caption]   宇宙からすれば、あまりにもちっぽけな人類 地球も人類も悪い方向にばかり向かっていきます。 しかしケアの仕事は、人類の輝きの部分を担う仕事 若くても年老いていても、大金持ちであっても明日を保障されているわけではないのです。 だからこそ、素晴らしい仕事についていることに気概を感じ 今この時の時間を大切にしましょう! 300年後の土星蝕は、どうせ見れないのですから。 [caption id="attachment_4215" align="alignnone" width="2048"] 皆既月蝕真っ盛り!?[/caption]  
ブログ投稿画像 稲刈りもいつの間にか終わってしまいましたね。 秋深まるというところでしょうか。 さて、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 この言葉ご存知でしょうか 「学問や技能が深まった人ほど、かえって他人に対して謙虚になること」 (故事ことわざ辞典より) ということになります。 私は自分がついつい傲慢になると、この言葉を思い浮かべます。 もっとも私自身は、学問や技能が深まったわけではないのですが、 やはり曲がりなりにも歳を喰ってしまったので、 「歳をとるほど頭を垂れる」と置き換えることになるでしょう。 今まさに、私には必要なことなのかなと思います。 年月が経つほど堂々とし、畏敬の念を抱くものとして、日本各地の巨樹があるでしょう。 この近辺では能勢町の、国の天然記念物、野間の大けやきでしょうか。 高さ27.37メートル、幹まわり13.01メートル、最大枝張は幅39.3メートル、高さ36.2メートルの巨樹です。 その樹齢は1000年ともいわれ、けやきとしては西日本最大です。 1000年前というと、平安時代ですね。 心がぎすぎすしたり、イライラしたり、狭くなったと思ったら、この欅の木の下に立ち、 深呼吸してみてはいかがでしょうか。 心は狭めるより、心は広く持つこと。 せっかくの人生ですから。 箕面からだと、徒歩だと、ひとやま超えて5時間以上(笑) 車だと30分弱です。
ブログ投稿画像 人間生きていくうちには 失敗や、気づかなかったことや、うまくいかなかったことや、やらかしてしまうことやら、 多分そんなことの方が多いと思います。 それは若い人だけでなく、歳取っても多分にあります。 私自身、気づかなかったこと、考えなかったこと、判断を間違ったことなど 今でもたくさんあります。 いくら歳をとっても熟成されない人間です。 そして失敗でへこむ人がいれば、失敗自体を何とも思わない人もいるでしょう。 逆に人間は他人のことになると、いとも簡単に指摘します。 それは上司、同僚、年齢関係なく、人は他人のことを指摘するのが得意だからです。 でもそれを受け止めるのは、人間は不得意かもしれません。 指摘を謙虚に受け止めることができること 逆に、自分もいとも簡単に他人を指摘してしまっていないか 気づかぬうちに、人の心を傷つけていないか。 いずれにしても「壁は自分自身の中にある」と言えます。 謙虚に受け止め、それを活かして前へ進めるのか、 いつのまにか他人を責めて自己満足してしまっていないか どちらであれ、「壁は自分自身の中」にあります。 でも、今はその壁を乗り越えるための手助けが必要かもしれません。 [caption id="attachment_3693" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   感受性が私たち以上に研ぎ澄まされた認知症の人にとって 不得意部分を責められることはとてもつらいことです。 理解できなかったり、普通にやれなかったことを責められると 或いは冷たい視線で見られると、 自分ではどうすることもできないくらい心の孤独を感じてしまうでしょう。 認知症の人にとっての壁は、周囲の人たちの存在と言えるかもしれません。
ブログ投稿画像 シンポジウム、大阪府警本部の皆さんの次は、 地元河内警察の交通課と地域課のお二人の警察官からのお話です。 [caption id="attachment_4143" align="alignnone" width="2508"] 河内警察署 交通課と地域課のお二人です[/caption]   交通事故や特殊詐欺への注意喚起でしたが、 地元警察官からこのような取り組みを評価され、 是非ともネットワーク推進委員会を通じて地域の皆さんの生活を守っていきたいと熱く話されていました。 [caption id="attachment_4142" align="alignnone" width="2508"] ネットワーク推進委員会のことを熱く語ってくれました[/caption]   そして、コロナに負けない健康体操。今回はキツネダンスでした。 [caption id="attachment_4140" align="alignnone" width="2508"] 皆さん舞台に乗り出そうとするくらい楽しんでいました。[/caption]   某野球球団で有名になったキツネですが、ちょっとハードで皆さん踊れるかな?と思っていたのですが、 なんてことはない。 皆さんめっちゃ楽しくキツネダンスを楽しんでおられました。 [caption id="attachment_4139" align="alignnone" width="2364"] 皆さん元気です![/caption] [caption id="attachment_4138" align="alignnone" width="2364"] みんなでガオ=! って、キツネはガオーか?[/caption] [caption id="attachment_4133" align="alignnone" width="2508"] おや、一人だけ動きが違うぞ![/caption] [caption id="attachment_4127" align="alignnone" width="2217"] 舞台裏で一生懸命練習していました が… 誰や間違えてたのは[/caption]   アーバンケア島之内、アーバンケア八戸ノ里、アーバンケア稲田の機能訓練指導員です。 シンポジウムの報告は続きます。 次はいよいよ先生方による寸劇です。
ブログ投稿画像 「あ、そうそう!」と、 あることをしなければならないことに気づいて立ち上がります。 そして数歩歩いた時には既に思いついたことを忘れてる。 「あれ、なにをしようとしたんだっけ?」 というような体験ありませんか? ほとんどの皆さんにもあることではないかと思います。 大概の場合は、すぐに思い出すか、しばらくして思い出すか、 或いは「どうせ大した用事ではない」と放置してしまうかですね。 このようなことが何回もあると、自分は認知症になるのでは!? と、不安になってしまいますよね。 しかし、日常のちょっとしたもの忘れは、誰にでもよくあることです。 注意しなければならないのは、日常生活や行動スケジュールにトラブルが生じていないかということになります。 日常のちょっとしたもの忘れも、回数が多くなると、日常生活に何らかの支障を生じさせます。 多くの場合は不安になることもない、年相応のものですが、 認知症へのちょっとした変化は、本人も認めたくないし、 周囲も気づきたくないというところがあります。 少しでも不安があるのなら、遠慮なく相談してください。 何事も、早めが肝心です。 相談連絡先 アーバンケア島之内内 認知症相談センター結まで 072-960-6070   さて、登山の話。 まずは登山口からは標高差1千メートルを5時間かけて登り、北アルプスの稜線にたどり着きます。 簡単に5時間と言っても、結構大変な山道、急坂ですね。 [caption id="attachment_4057" align="alignnone" width="878"] 沢沿いを登っていきます[/caption] [caption id="attachment_4058" align="alignnone" width="971"] この後、急坂、転落危険地帯を歩きます。[/caption] [caption id="attachment_4059" align="alignnone" width="1018"] 支流の水は冷たくて、めっちゃ美味いです。[/caption] でも登ると、雲海とご来光が見れます。天気が良ければですが。 これは本当に素晴らしいですね! [caption id="attachment_4052" align="alignnone" width="2048"] 浅間山に昇る朝陽[/caption] (写真続く)