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「認知症の教室(一般市民用)」で記事を検索しました。

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2024.07.24

認知症の教室(一般市民用)
New 家族会開催されました 酷暑の中、介護されている家族の方6名の方が参加されました。 それぞれに、それぞれなりの気苦労を話されました。 日々直面している逃げることができない目の前の介護に 心休まることもない日々を過ごしておられます。 実際、年々認知症の人が増加すると言われていますが、 それは介護者の数も増えていくということを意味します。 危惧するのは不幸な出来事に繋がる危険性です。 先日は東京で、102歳の母親を介護疲れで殺害した70歳の娘が逮捕されるという 何とも言えない事件がありました。 まさしく、介護疲労と虐待は紙一重かもしれません。 それだけ、介護の負担と言うのは、家族に重くのしかかります。 今回の家族会では、 どのようなことが虐待と判断されるのかという話が包括からありました。 しかしどれも、介護疲労の中ではまさしく紙一重の状況と言えるでしょう。 そのようなことにならないように 日々介護されている家族の方へのフォローと言うのも 専門職としての役割であると言えるでしょう。 家族支援はケアマネジャーにしても、直接介護報酬には繋がることではないですが、 信頼と言うことで繋がり、それはまわりまわって介護報酬にも繋がっていくでしょう。  
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2024.07.17

認知症の教室(一般市民用)
第101回ネットワーク委員会開催しました 英田地区認知症ケアネットワーク委員会も いよいよ三桁の実施回数になりました。 101回目と言うと、 101回目のプロポーズ(古い!)を思い出します。 さて今回の内容は、各委員からの状況報告と、 6月に実施された英田南校区安心声掛けつながり訓練の報告 ケーブルテレビで放送された映像も流しました。 地域からは、8月末の花火大会は11月に変更になったこと 医師会からは、9月14日に「市民健康シンポジウム」 11月3日に「健康フェスタ」が行われるとの情報がありました。 (いずれも希来里、イコーラムホール) コロナに関しては、確実に感染者が増えているとのことでした。 災害対策として、9月3日に医療連携の訓練を行うとのことでした。 河内警察からは、詐欺の電話が掛かる、国際電話利用の休止ができる旨の 情報がありました。 英田北での声掛け訓練は11月16日に実施がほぼ決まりました。 またシンポジウムに関しては、毎回イコーラムホールで実施していますが、 英田地区住民としては場所が遠く、 英田地区内で実施できるか模索することも検討課題となりました。 9月以降は様々なイベントが盛りだくさんですね。 これからが暑さ本番ですが、皆様熱中症にお気を付けください!
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2024.07.12

認知症の教室(一般市民用)
介護職員とマインドフルネス 昨日のNHKの番組「トリセツ」で取り上げられた「新・瞑想法」(マインドフルネス)。 見られた方もおられるかもしれませんが、 「わかったような、わからなかったような」そんな感じだったのではないでしょうか。 要は、「わかったような、わからなかったような」ということが「わかった」ことがポイントなのです。 介護職は、身体も動かしますが、感情労働とも言われます。 身体も疲れるけど、それ以上に心が(脳が)疲れてしまうとも言えます。 認知症の人とのケアでは、多分に感情労働が多く、心が(脳が)疲れてしまうことが多いでしょう。 その介護職の精神的安定性を得るもののひとつとして、「マインドフルネス」があります。 瞑想とかいうと、怪しい宗教なのかなと思ってしまいますが、 例えばアップル社のような大企業でも実践されているものなのです。 簡単に言えば、「迷走」している心を「瞑想」を通じて「整える」という感じでしょうか。 「瞑想」だけピックアップすると、座禅でも組むような感じですが、 簡単にできる呼吸法もありますし、 何かに打ち込むことも、それ自体が「瞑想の代わり」を行っていることがあります。 例えば、プチプチを潰すときの行動。 これもある意味、瞑想しているとも言えます。 「マンダラート」に集中して実践することも、ある意味マインドフルネスと言えます。 (「マンダラート」の効能についてはまた別の機会に) 心がネガティブな記憶で一杯になった時、その混乱を落ち着かせて、 整理をし、前へ向いて再び歩ける気持ちになるための行動が、マインドフルネスと言えます。 まぁ私自身は10年以上前から提唱しているのですが、 私自身あまりやってませんので(苦笑)、反省しきりですが、 マインドフルネスの実践で心が落ち着いた人も多くおられます。 「瞑想」=「無」になることではなく、むしろ様々な雑念がある中で、 それをありのままに受け止め、(雑念は悪と思わずに)心の中に散らかった余計な雑念の中で、 嫌な思いという雑念は、「いつまでも持っていても、役に立たない」なと思えば、 さっさと心から掃き出せばいいのです。 まぁこのように書いても、「難しいな」「ようわからん」と思うでしょう。 その「難しいな、ようわからん」という気持ちを持ったなということに気づけば、 「まぁとにかく一度やって見よかな、それからやないと、ほっといたらわからんままやから。」と、 一歩前へ進めるのです。 私の説明よりも、介護職向けのマインドフルネスの本が出ていますので、それらも参照してください。 https://www.chuohoki.co.jp/products/welfare/5572/ マインドフルネスについては、また別の機会に取り上げたいと思います。
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2024.07.05

認知症の教室(一般市民用)
昨年の認知症行方不明者は1万9千人! 認知症の行方不明者が11年連続で増加し、昨年は1万9039名だったそうです。 (同じ人が何回も保護されるケースも含まれていますが) そのうち、亡くなった方が、502名、昨年中に見つからなかった方が250名もおられたそうです。 502名という数字はかなり大きいですね。 高齢者の増加とともに、行方不明者も増えていると言えますが、 以前のことを思えば、最近はGPSの活用などで まだ発見されやすくなったとはいえ、いまだ行方不明の方が昨年だけで250名もおられるのです。 必ずしも本人がGPSを持ち歩くわけでもなく、靴に付けても必ずその靴を履くわけでもありません。 警察への連絡は重要ですが、 やはりマニアックかもしれませんが、地域の見守りが重要です。 地域が繋がっていくという意味も含めて、 毎年実施している「安心声掛けつながり訓練」はベーシックでかつ大切な イベントとなっているのです。 少しでも早く、道迷いの人を見つけ、連絡すること。 そうすることで、不幸な出来事を減らすことに繋がるのです。 今年の夏はさらに厳しい酷暑になっています。 道迷いの人も、そうでない熱中症の人も、早期発見ですね。 ちょっとしたおせっかいからの声掛け、 そのちょっとしたおせっかいが、命を救うことに繋がるかもしれません。      
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2024.07.01

認知症の教室(一般市民用)
夢に現れた40年前の認知症の人 何故か、認知症の人と関わり始めたころに接した人のことは、 名前どころか、様々なエピソードも含めて結構覚えています。 それだけ初めて認知症の人と接したころのことは強烈な体験だったのでしょう。 そんなかなりエキサイティングな記憶がある認知症の方々の中の一人が何故か夢に出てきました。 なんとまだご健在で、当老人ホームに入所希望という夢なのです。 40年前、当時私が勤めていた施設の入居者なんですが、 当時で80代でしたから、今なら120歳代ということになりますね。 まぁ夢ですから大体訳の分からないものを見てしまいます。 思い起こせば、当時の認知症の人との関りは、 当の本人も、そして私たちも「奔放」だったと言えます。 認知症ケアの研修すらない頃、特養に認知症の人が入所すること自体が まれな頃だったのです。(多くの認知症の人は精神病院に入院させられ、身体拘束と薬漬けの上で亡くなっていった) まず、施設はノーロックだったので、皆さんドンドン出て行かれます。 その都度一緒に「当時でいう徘徊」に付きあうか、行方不明になって大捜索なんてことが度々でした。 出て行かれた人との付き添いは、時に怒鳴られ、叩かれるという人もあれば、 3時間、4時間と遠方まで一緒に歩いたこともあります。 今と違って携帯電話なんてない時代。施設に連絡するのも大変だったのです。 書き出せば物凄い量になるくらい、当時の認知症の人との思い出は一杯あります。 ある意味、認知症の人の行動に対して制限は少なく、 その分行動も奔放だったのですが、 暗中模索の私たちのケアも、好き勝手なことをやっていたことを思うと、 奔放だったのかもしれません。 例えば、家に帰るという人に電話を家にするからお家の人の言うことを聞いてね、と、 内線電話で息子に扮した職員と対話させるなど、 今から思えば、「振り込み詐欺まがい」のこともやってましたね。 或いは、夕暮れ時になると、皆さん帰る帰るというので、 数名まとめてマイクロバスに乗って公園に散歩に行ったり、レストランにお茶しに行き、 帰る時間が夕ご飯を過ぎて、ケアスタッフさんに怒られたこともあります。 まぁ当時は私たちも結構好き勝手にやんちゃしてたのですね。 そんな中に夢に出てきた人もいたのです。 ほんとにこの方とのやり取りも色々あり、書き出すと長くなってしまいますので割愛しますが、 とても思い出深いものなのです。 しかし、ケア側として、今、奔放なケアができるのかというと、 もう難しい時代になったと言えるかもしれません。 今はクレーム対応に気を遣い、コンプライアンスにがんじがらめ、 そして認知症の人に対しても、いかにコントロールしていくかがポイントになっているように思います。 昭和は不適切こともたくさんありましたが、 今よりはずっと自由だったと言えるかもしれません。 なぜ今になってその当時の人が夢に出てきたのか?  それは奔放さを忘れ、 心や考え方が小さくなっている自分自身への戒めだったのかもしれません。
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2024.06.28

認知症の教室(一般市民用)
他人事ではなく自分事。今が心配なのです。 地域住民向け認知症サポーター講座に行ってきました。 最近は地域からの要望が多いですね。 16年後には、認知症予備軍の人も含めて3人に1人が認知症になると言っても、 やはり参加される方は、今が心配なのです。 高齢の方の参加が多い場合、 通常のサポーター講座の内容では心にヒットしないかもしれません。 高齢でない方が受講者の場合、 認知症の人への理解を、ある意味「他人事」だからこそ学びになるところがあります。 ところが、高齢者が受講者の場合、認知症は決して「他人事」ではなく、 「自分事」として捉えるでしょう。 自分は他人事でありたいと思っていても、自分事としてまじかにあるものなのです。 その不安は、若い人以上に感じるところがあるでしょう。 この後さらに参加者が増え、満席になりました。   サポーター講座はどこか「他人事」から入るところがあるとも言えます。 そう、認知症は他人事だからこそ、認知症の人への理解の学びを実践するのです。 しかし、高齢者が対象の場合、すぐ隣りにいる「自分事」への不安に対する 受容が必要になるでしょう。 さらに、何とか他人事でありたいという思いが、認知症にならないための 予防法を知りたいと思うのは、当然のことだと言えます。 型通りのサポーター講座ではなく、 受講者の状況も見ながら、受講者の不安も受け止めた サポーター講座にしなければならないと、 日々思うのです。  
ブログ投稿画像 酷暑の中、介護されている家族の方6名の方が参加されました。 それぞれに、それぞれなりの気苦労を話されました。 日々直面している逃げることができない目の前の介護に 心休まることもない日々を過ごしておられます。 実際、年々認知症の人が増加すると言われていますが、 それは介護者の数も増えていくということを意味します。 危惧するのは不幸な出来事に繋がる危険性です。 先日は東京で、102歳の母親を介護疲れで殺害した70歳の娘が逮捕されるという 何とも言えない事件がありました。 まさしく、介護疲労と虐待は紙一重かもしれません。 それだけ、介護の負担と言うのは、家族に重くのしかかります。 今回の家族会では、 どのようなことが虐待と判断されるのかという話が包括からありました。 しかしどれも、介護疲労の中ではまさしく紙一重の状況と言えるでしょう。 そのようなことにならないように 日々介護されている家族の方へのフォローと言うのも 専門職としての役割であると言えるでしょう。 家族支援はケアマネジャーにしても、直接介護報酬には繋がることではないですが、 信頼と言うことで繋がり、それはまわりまわって介護報酬にも繋がっていくでしょう。  
ブログ投稿画像 英田地区認知症ケアネットワーク委員会も いよいよ三桁の実施回数になりました。 101回目と言うと、 101回目のプロポーズ(古い!)を思い出します。 さて今回の内容は、各委員からの状況報告と、 6月に実施された英田南校区安心声掛けつながり訓練の報告 ケーブルテレビで放送された映像も流しました。 地域からは、8月末の花火大会は11月に変更になったこと 医師会からは、9月14日に「市民健康シンポジウム」 11月3日に「健康フェスタ」が行われるとの情報がありました。 (いずれも希来里、イコーラムホール) コロナに関しては、確実に感染者が増えているとのことでした。 災害対策として、9月3日に医療連携の訓練を行うとのことでした。 河内警察からは、詐欺の電話が掛かる、国際電話利用の休止ができる旨の 情報がありました。 英田北での声掛け訓練は11月16日に実施がほぼ決まりました。 またシンポジウムに関しては、毎回イコーラムホールで実施していますが、 英田地区住民としては場所が遠く、 英田地区内で実施できるか模索することも検討課題となりました。 9月以降は様々なイベントが盛りだくさんですね。 これからが暑さ本番ですが、皆様熱中症にお気を付けください!
ブログ投稿画像 昨日のNHKの番組「トリセツ」で取り上げられた「新・瞑想法」(マインドフルネス)。 見られた方もおられるかもしれませんが、 「わかったような、わからなかったような」そんな感じだったのではないでしょうか。 要は、「わかったような、わからなかったような」ということが「わかった」ことがポイントなのです。 介護職は、身体も動かしますが、感情労働とも言われます。 身体も疲れるけど、それ以上に心が(脳が)疲れてしまうとも言えます。 認知症の人とのケアでは、多分に感情労働が多く、心が(脳が)疲れてしまうことが多いでしょう。 その介護職の精神的安定性を得るもののひとつとして、「マインドフルネス」があります。 瞑想とかいうと、怪しい宗教なのかなと思ってしまいますが、 例えばアップル社のような大企業でも実践されているものなのです。 簡単に言えば、「迷走」している心を「瞑想」を通じて「整える」という感じでしょうか。 「瞑想」だけピックアップすると、座禅でも組むような感じですが、 簡単にできる呼吸法もありますし、 何かに打ち込むことも、それ自体が「瞑想の代わり」を行っていることがあります。 例えば、プチプチを潰すときの行動。 これもある意味、瞑想しているとも言えます。 「マンダラート」に集中して実践することも、ある意味マインドフルネスと言えます。 (「マンダラート」の効能についてはまた別の機会に) 心がネガティブな記憶で一杯になった時、その混乱を落ち着かせて、 整理をし、前へ向いて再び歩ける気持ちになるための行動が、マインドフルネスと言えます。 まぁ私自身は10年以上前から提唱しているのですが、 私自身あまりやってませんので(苦笑)、反省しきりですが、 マインドフルネスの実践で心が落ち着いた人も多くおられます。 「瞑想」=「無」になることではなく、むしろ様々な雑念がある中で、 それをありのままに受け止め、(雑念は悪と思わずに)心の中に散らかった余計な雑念の中で、 嫌な思いという雑念は、「いつまでも持っていても、役に立たない」なと思えば、 さっさと心から掃き出せばいいのです。 まぁこのように書いても、「難しいな」「ようわからん」と思うでしょう。 その「難しいな、ようわからん」という気持ちを持ったなということに気づけば、 「まぁとにかく一度やって見よかな、それからやないと、ほっといたらわからんままやから。」と、 一歩前へ進めるのです。 私の説明よりも、介護職向けのマインドフルネスの本が出ていますので、それらも参照してください。 https://www.chuohoki.co.jp/products/welfare/5572/ マインドフルネスについては、また別の機会に取り上げたいと思います。
ブログ投稿画像 認知症の行方不明者が11年連続で増加し、昨年は1万9039名だったそうです。 (同じ人が何回も保護されるケースも含まれていますが) そのうち、亡くなった方が、502名、昨年中に見つからなかった方が250名もおられたそうです。 502名という数字はかなり大きいですね。 高齢者の増加とともに、行方不明者も増えていると言えますが、 以前のことを思えば、最近はGPSの活用などで まだ発見されやすくなったとはいえ、いまだ行方不明の方が昨年だけで250名もおられるのです。 必ずしも本人がGPSを持ち歩くわけでもなく、靴に付けても必ずその靴を履くわけでもありません。 警察への連絡は重要ですが、 やはりマニアックかもしれませんが、地域の見守りが重要です。 地域が繋がっていくという意味も含めて、 毎年実施している「安心声掛けつながり訓練」はベーシックでかつ大切な イベントとなっているのです。 少しでも早く、道迷いの人を見つけ、連絡すること。 そうすることで、不幸な出来事を減らすことに繋がるのです。 今年の夏はさらに厳しい酷暑になっています。 道迷いの人も、そうでない熱中症の人も、早期発見ですね。 ちょっとしたおせっかいからの声掛け、 そのちょっとしたおせっかいが、命を救うことに繋がるかもしれません。      
ブログ投稿画像 何故か、認知症の人と関わり始めたころに接した人のことは、 名前どころか、様々なエピソードも含めて結構覚えています。 それだけ初めて認知症の人と接したころのことは強烈な体験だったのでしょう。 そんなかなりエキサイティングな記憶がある認知症の方々の中の一人が何故か夢に出てきました。 なんとまだご健在で、当老人ホームに入所希望という夢なのです。 40年前、当時私が勤めていた施設の入居者なんですが、 当時で80代でしたから、今なら120歳代ということになりますね。 まぁ夢ですから大体訳の分からないものを見てしまいます。 思い起こせば、当時の認知症の人との関りは、 当の本人も、そして私たちも「奔放」だったと言えます。 認知症ケアの研修すらない頃、特養に認知症の人が入所すること自体が まれな頃だったのです。(多くの認知症の人は精神病院に入院させられ、身体拘束と薬漬けの上で亡くなっていった) まず、施設はノーロックだったので、皆さんドンドン出て行かれます。 その都度一緒に「当時でいう徘徊」に付きあうか、行方不明になって大捜索なんてことが度々でした。 出て行かれた人との付き添いは、時に怒鳴られ、叩かれるという人もあれば、 3時間、4時間と遠方まで一緒に歩いたこともあります。 今と違って携帯電話なんてない時代。施設に連絡するのも大変だったのです。 書き出せば物凄い量になるくらい、当時の認知症の人との思い出は一杯あります。 ある意味、認知症の人の行動に対して制限は少なく、 その分行動も奔放だったのですが、 暗中模索の私たちのケアも、好き勝手なことをやっていたことを思うと、 奔放だったのかもしれません。 例えば、家に帰るという人に電話を家にするからお家の人の言うことを聞いてね、と、 内線電話で息子に扮した職員と対話させるなど、 今から思えば、「振り込み詐欺まがい」のこともやってましたね。 或いは、夕暮れ時になると、皆さん帰る帰るというので、 数名まとめてマイクロバスに乗って公園に散歩に行ったり、レストランにお茶しに行き、 帰る時間が夕ご飯を過ぎて、ケアスタッフさんに怒られたこともあります。 まぁ当時は私たちも結構好き勝手にやんちゃしてたのですね。 そんな中に夢に出てきた人もいたのです。 ほんとにこの方とのやり取りも色々あり、書き出すと長くなってしまいますので割愛しますが、 とても思い出深いものなのです。 しかし、ケア側として、今、奔放なケアができるのかというと、 もう難しい時代になったと言えるかもしれません。 今はクレーム対応に気を遣い、コンプライアンスにがんじがらめ、 そして認知症の人に対しても、いかにコントロールしていくかがポイントになっているように思います。 昭和は不適切こともたくさんありましたが、 今よりはずっと自由だったと言えるかもしれません。 なぜ今になってその当時の人が夢に出てきたのか?  それは奔放さを忘れ、 心や考え方が小さくなっている自分自身への戒めだったのかもしれません。
ブログ投稿画像 地域住民向け認知症サポーター講座に行ってきました。 最近は地域からの要望が多いですね。 16年後には、認知症予備軍の人も含めて3人に1人が認知症になると言っても、 やはり参加される方は、今が心配なのです。 高齢の方の参加が多い場合、 通常のサポーター講座の内容では心にヒットしないかもしれません。 高齢でない方が受講者の場合、 認知症の人への理解を、ある意味「他人事」だからこそ学びになるところがあります。 ところが、高齢者が受講者の場合、認知症は決して「他人事」ではなく、 「自分事」として捉えるでしょう。 自分は他人事でありたいと思っていても、自分事としてまじかにあるものなのです。 その不安は、若い人以上に感じるところがあるでしょう。 [caption id="attachment_5731" align="alignnone" width="2560"] この後さらに参加者が増え、満席になりました。[/caption]   サポーター講座はどこか「他人事」から入るところがあるとも言えます。 そう、認知症は他人事だからこそ、認知症の人への理解の学びを実践するのです。 しかし、高齢者が対象の場合、すぐ隣りにいる「自分事」への不安に対する 受容が必要になるでしょう。 さらに、何とか他人事でありたいという思いが、認知症にならないための 予防法を知りたいと思うのは、当然のことだと言えます。 型通りのサポーター講座ではなく、 受講者の状況も見ながら、受講者の不安も受け止めた サポーター講座にしなければならないと、 日々思うのです。