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「ほんわか写真館」で記事を検索しました。

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2022.03.24

ほんわか写真館
リボンの広場・カーリンコンで笑顔また笑顔 23日、英田南公民館にて「リボンの広場」(認知症があってもなくても楽しく集える場所)にて、 カーリンコンで楽しいひとときを過ごしました。 最初は「なぜ筋肉を使うと、心身の健康が保たれるのか」というお話をさせていただきました。 筋力をアップさせるためには、登るより降りる方が効果があるという話も。 つまりあべのハルカス60階を階段で登るより、 60階までエレベーターで行き、そこから階段で降りる方が筋力はつきやすいのです。 そして筋肉を使うと、幸せホルモンであるセロトニンやドーパミンが活性化されるのですね。 よって、うつや認知症を防げるということです。 池田五月山からのあべのハルカス。一段と高いですね~   さて今回は筋力も使いながらも「笑顔で楽しく」過ごすことをモットーに、 「ストレスなしカーリンコン」を行いました。 このカーリンコン、今は大会も多く開かれ、参加する選手は真剣そのもの。 これはこれで凄いいいのですが、今回は極めてアバウト(線を踏んでも厳しく言わない)に、 とにかくカーリンコンを楽しみました。 すると皆さん、笑顔また笑顔。 このように屈託なく楽しむのが一番ですね。最高の認知症予防です。 この地域の公民館の入り口に掲示されているスローガンもいいですね。 私も大好きな言葉です。 また機会があれば「楽しくカーリンコン」をやってみたいと思います。
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2022.03.10

ほんわか写真館
3月12日安心声掛け訓練開催されます センター長の石川です。 コロナ禍において長らく中断していました「安心声掛けつながり訓練」再開です! 今回は英田南地区において実施します。 英田南地区では2020年2月22日に第5回の訓練を実施する予定でしたが、 コロナの襲来で急遽中止になってしまった経緯があります。 2019年実施時の写真です   これまでの訓練は、大規模な形で行われました。 参加人数は80名近く。捜索範囲も広範囲でした。 その時の様子を写真にアップしておきます。 会場はアーバンチャイルドこども園です   参加者は子どもから高齢者まで、世代を越えた参加者でした。 訓練終了後は、みんなでカレーライスを食べるというのが定番でした。 この年ラグビーワールドカップが開催された花園ラグビー場で捜索声掛け訓練です。 親子で参加してくれました。認知症役は地域住民の方が演じてくれました。   しかしながらコロナ禍が長く続く中、集団になる訓練は中止を余儀なくされました。 今回は規模をうんと縮小し、 時間は1時間以内、参加者は20名程度、感染対策を徹底、カレーライスはなしとし、 英田南地区仕切り直しの第5回目になる訓練を実施します。 規模ではなく、実施することに意味を置き、 この社会状況の中で忘れがちな認知症の人を地域で支える灯(ともしび)を 消さないようにしていきたいと思っています。 常日頃ご協力いただいている、地域の皆様にも感謝です。 訓練終了後、子どもも高齢者も一緒にカレーライスを食べました。 再びこのように大勢の人が集えるようになればいいですね
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2022.03.07

ほんわか写真館
「ありがとう」の言葉  今は「人類」の存在価値が試されているときかもしれません。  科学を発展させ、たぶん、地球上の支配者となっている人類ですが、     戦争という虐殺から、誹謗中傷と言う身近な攻撃まで、     人類は「そこまでの存在」でしかないのかもしれませんね。 そのような時代だから大切にして行きたい言葉 少し長くなりますが、以前に何かに書いたものをここに載せます。 万博公園の梅はほぼ満開です。   ありがとうの言葉「父と子編」 ファミリーレストランで、店員さんが食事を持ってきたときのこと。 「どうもありがとう」とお父さんが言ったのを聞いた子供が、そのお父さんに聞きました。 「お父さんはお客さんなのに、どうしてありがとうって言ったの?」 お父さんはにこっと笑って答えました。 「それはね、料理を作ってくれたこと、その料理を運んでくれたことにありがとうって言ったんだよ。」 「ふ~ん・・・」子どもはいまいち理解できないような顔をして頷き、そして目の前のご馳走を食べ始めたのでした。 しかし、父親のこの行動はいつかきっと子供に反映されるでしょう。 今では珍しいような、親子の会話かもしれません。 だけど、とても大切なEI(感じる知性)を高める場面がそこにあると思いました。 確かにサービスを提供する側にお金を払っている私たちが、 お礼を言わなければならないのはおかしいことかもしれません。 お金を払っているのだから適切なサービスを受けるのは当たり前のことなのだと。 でもここはきっとそんなことを議論するところではないでしょう。 ある日のこと、 バスを降りる子どもが「運転手さんありがとう」と言って降りていくのを見たことがあります。 素直に、「運転手さんいつも安全に運んでくれてありがとう」という意味なのでしょう。 「はい、ありがとう」と微笑んで答える運転手。 そう、難しく考え議論するものでもないのです。 そして先日、知人のあるバス運転手がこう話してくれました。 「お客さんからありがとうって言われると、すごく気持ちがいいし、私も(安全運転への)達成感があります。この一言が、気持ちの豊かさに繋がるんだと思います。」 そう、たった一言だけのこと。 「おいしい料理を作ってくれてありがとう」「重たい料理を運んでくれてありがとう」 「いつも安全運転でありがとう」「寒い中の外でのお仕事ありがとう」「夜遅く、朝早くのお仕事にもありがとう」・・・ 別に緊張して肩肘張って大声で言わなくてもいい。軽く感謝の意を伝えればいいのだ。 気軽に爽やかに、「ありがとう」「おつかれさん」「どういたしまして」「ごめんね」「気にしないで」って言えれば。 でも、そのたった一言を惜しんだために崩れていく人間関係もあるだろう。 むしろ今は、平気で誹謗中傷する時代。 社会的EIが高まるか悪化するかは、その一言が言えるか言えないかにも関わっているかもしれません。 まずは、自戒を込めて。 では、ろくでもないサービスをする人には何と言う? 「とっても不快な思いにさせてくれてありがとう」かな? おそらくそんな人には皮肉も通じないのかな。 多分、人のことばかり言ったり責めたり、そして不快な思いに人を巻き込む人は 時間の大切さを知らないのだと思う。 それはともかく、一生懸命に昼夜を問わずお仕事されている皆さまへ、 いつもいつも、本当にありがとうございます。 縁の下の人の働きがあるからこそ、その上で働く人が動けます。 その上の人が働けるから、縁の下の人が報われます。 苦難多々の状況の中で働いている皆様に 「ありがとう」   ナオト・インティライミ「こころことば」を聴きながら
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2022.01.24

ほんわか写真館
ケアマネジャーさんの癒し センター長の石川です オミクロンの影響で、誰もが緊張と不安の中にいますね。 ケアの現場にいるものも緊張が続く毎日ですが、 ワクチンすらいつになるのやらわからない 地域の高齢者や住民の方も不安が増す毎日かなと思います。 ますます引き籠り、外に出ず、心身ともに ダメージを受けていくことになりますね。 私も雨ということもあり、昨日はずっと引き籠り ネットフリックスの映画やYouTubeを見ていました。 私が好きな「Howdy Johnny」です   しかしこんな状況だからこそ、笑顔とユーモアを忘れてはいけません! 笑顔とユーモアは、最高の免疫機能を高めるものです。 第一、不安、困った、どうしよう、嫌だな ばかり思っていても なんの得にもなりません。 引きつった顔になっていませんか!? かつてアウシュビッツ強制収容所の過酷な状況の中で、 心身の破綻をきたさなかった人は、 最後までユーモアを忘れなかった人だそうです。 さて、今日は日頃から大変な中、一生懸命に頑張っている ケアマネジャーさんへの癒し具材です。 ではケアマネさん以外には効果がないのか? 「ケアマネ薬用入浴剤」と明記してあるので、 ケアマネジャーにしか効かない効能成分なのかもしれません(笑) もっとも、ケアマネジャーさんの最高の癒しは、利用者さんの笑顔かもですね。 入浴は心身のリラックスにも繋がります。 ヒートショックに気を付けながら、 皆さんもゆっくりと入浴してくださいね。
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2022.01.05

ほんわか写真館
物事は前向きに考えよう! 2022年、本年も宜しくお願い致します。 いよいよ第6波と言われるものがやって来そうですね。 大坂冬の陣ならぬ、コロナ冬の陣になりそうです。 さすがに、またか、もううんざりという感じにもなるでしょう。 しかしこんな時こそ、物事を前向きに考えることだと思います。 夕陽ではなく、朝陽です(志摩半島)   前にも書きましたが、 「わからない」という言葉の存在価値は、それで終わらせるのではなく、 「う~ん、どうしてだろう?なんでかな?」という疑問を生じさせ、 そこから「わかる(理解する)」所に達するために(「わからない」が)あると言えます。 勉強はまさしく「わからない」からスタートするのです。 スポーツや仕事上などで、「できない」ことがあれば、「できる」ためにトレーニングするのも同じです。 「どうしようもない」という言葉があるからこそ、 「どうにかしよう」と言う前向きな姿勢の気持ちが出てきます。 そうでなければ「どうしようもない」と言う言葉を活かせません。 ご神木に触れ、パワーをもらいます   しかし、「わからないからいいや」、「できないものはできない」、 「どうしようもないからもういいか」で終わらせてしまったら、 もうそこからの進化はありません。 ケアの現場が、この「ない」で終わってしまうとなんの進歩もない閉塞的な現場になってしまうでしょう。 人類は「わからない」があるからこそ進化してきたのです。 ペコパの漫才風に言えば、 「どうしようもないって言うことは、どうにかなるって言うことだ」でしょうか。 登山に例えれば、「登れない」と言う言葉は、 登るためにトレーニングを始めるというスタートラインの言葉になるのです。 お正月ですので、癒しの写真を。 大阪池田市五月山動物園のウォンバットです。心を和ませてくれる愛らしい姿ですね。 ウオンバットのユキちゃんです 飛ぶから見といてね 飛ばなきゃ飛べないのだ。さぁ行くぞ! 飛んだぜ!何事もチャレンジやで~ 倒木は乗り越えるためにあるのだ!
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2021.12.30

ほんわか写真館
顔上げて前を向いて歩いていこう! センター長の石川です。 一刻落ち着いていた感染者数が、再び増加し始めました。 オミクロン株という新種の脅威も迫っています。 人々はさすがにコロナ禍に、もううんざり、 精神的にも辟易しているのではないかと思います。 この冬が最大の決戦の場になるでしょうか。 ある若年性認知症の方が語っておられました。 「うつむいていたら心もうつむいてしまう。だから顔を上げて前を見る。」と。 うつむいて得することと言えば、マスクを踏まずに済むことくらいでしょうか。 (最近はお金も犬の糞もない) そうです。 「顔を上げて前を向いて歩きましょう!」こんな時期だからこそ! 小さなチンアナゴもしっかりと上を向いています。すぐに引っ込むけど 動物たちも、生きていくためには前を向いているのです。 ウォンバットも頑張って穴を掘ります! 周囲に睨みを効かせて!う~ん、ちょっと頼りない? コロナウイルスをつついて食べれたらいいのに かけがえのない戻らぬ時間 だからこそ、 さぁ、顔を上げて、前を向いて、歩いていきましょう! 顔上げて、胸もしっかり張って! しっかりと前を向こうぜ! 前向いて、しっかりと未来を見るんだ! 私が好きな佐藤竹善さんの曲 「カオあげて」  心の窓を開け放って  風はまだ冷たいけど  きっと晴れる日が来る、青空が戻ってくる。 https://www.youtube.com/watch?v=Ld-3UBpZ_O4 「歩み」  さぁ行こう  今こそともに踏み出そう  かけがえのない時間を胸に抱いて  歩き出そう https://www.youtube.com/watch?v=F8djt_iKSlE   本年は本当に多くの皆様に助けられました。 感謝の一言です。 では、よい年をお迎えください! 来年は俺の年 タイガースも優勝だ
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2021.12.09

ほんわか写真館
心のワクドキはおもしろい 「わからない」は、あきらめるために存在するのではなく、 「わかる」ために存在しているのです。  つまり、「わからない」があるからこそ、前進(成長)することが出来ると言うことです。 介護の仕事に就いているということは、その仕事の専門職と言うことになります。 専門職の凄いところは、常に考えていく姿勢ですね。 「わからないからもういいや」では、なんかもったいないですね。自分の人生が。 「わからないことは調べてみよう、探求してみよう」 そう思うだけで、心が動き出しますし、さすが専門職だな~と思うところでしょう。 あの森の向こうにはなにがあるのだろうか? この道はどこへ続いているのだろうか? それは行ってみないとわからないのです。 だから冒険心を持って進んでみると、心がワクワクしてきます (もちろん不安のドキドキもあるけれど) たった一度しかない人生、少しスパイスを効かせてワクワクドキドキしてみましょう。 休みになると、山を歩いている私。 最近は若い女性も増えました。単独の方も結構います。山ガール。 先日は六甲のマヤ遺跡のある山へ。 そこで、ほんの数メートル前にいたイノッシーとアイコンタクト。 こんな冒険も楽しんでいます。
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2021.11.30

ほんわか写真館
猿の表情から分かること 以前にも実際に見えているものは、一人ひとり解釈が違うと書きました。 例えば下記の猿の写真 人それぞれに感想は違うと思います。 「サル、怖い!」「襲われそう!」「野生やな。」「サル、嫌い!」「何見てんのやろ?」「誰かに似てる」「凛々しい顔やな。」等々… 「怖い!」という傾向はあるかもしれませんが、同じ写真に人それぞれに色々な感想をもつでしょう。 では下記の写真ではどんな感想をもつでしょうか? 「気持ちよさそうやな。」「いい匂いするんかな?」「なんの花?なんやろ」「サルでもいい匂いってわかるんかな?」「サルでも心地よいのがわかるんやな」「なんかほっとする風景」等々… 一枚目の写真同様、人それぞれに様々な感想をもつでしょう。 このように、同じ写真を見ていても、ひとりひとり解釈は違ってきます。 この解釈の違いは、当然ケア実践者の間でも起きます。 ですから、意見のすり合わせが必要なのです。 勝手な思い込みで動かないことです。   ところでこの二枚の写真の猿、同じ猿なんですよね。 一枚目の猿の表情は厳しく、二枚目の猿の表情は穏やかです。 猿にも表情があるのだと言うことです。 ところが二枚目の写真を見なければ、猿に対して二枚目の写真にあるような穏やかな感想は持たないでしょう。 そして一枚目の写真の印象が、固定観念として残っていきます。 そのことが、見えているものの判断を狂わせていくのです。 たかが猿の写真。 でも探求心を働かせ、思考を展開させれば、色々なことがわかるかもしれません。
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2021.11.15

ほんわか写真館
どんな試練があっても、きっと道は開ける 奈良の大峯山脈は、修験者の山として知られています。 修験道の開祖役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた修行の山、つまりとても険しい山々が連なっている場所なのです。 元々東大阪市と役行者は縁があります。 暗峠近くで人間を襲っていた前鬼、後鬼の鬼を捕まえ、改心させて連れていったのが大峯山でした。 その前鬼、後鬼という鬼が住んだ場所の遥か上方にそびえ立つ山が「釈迦が岳」(1800メートル)です。 その釈迦が岳の山頂には、等身大のお釈迦さまが立っています。 険しい山を登り詰め、山頂に立った時、そのお釈迦様の表情に身も心も洗われるのでした。 27年前、晴天下が心地よさそうなお釈迦様でした   今回、今年亡くなられた私の山の師匠の慰霊のため、この山になんと27年ぶりに登ってきました。 師匠が好きな山だったからです。 私自身も登山から引退していたのですが、 修験者のように修業を積むわけではありませんが、 老体に鞭打ち自らを律するため最近は登山を再開していました。 27年前の写真です。山頂にそびえ立つ釈迦像。その昔、一人の人が担いで登ったそうです。   この日は山はかなり冷え込みマイナスの世界。 森は霧氷の森となり、登山としてはかなり厳しいものでした。 山頂も凍てついていました。 そしてお釈迦さまも凍り付いていたのです。 氷点下のお釈迦様 凄みがありました。写真を撮るために手袋を脱ぐと凍傷になるかと思うくらい寒かったです。   それでもお釈迦様の表情からは 「どんな試練があっても、きっと道は開ける」というエネルギーを頂いたと思います。 私は信心のない人間ですが、やはり山頂のお釈迦様には心洗われます。 今回27年ぶり6回目の釈迦が岳でしたが、 7回目はそう遠くない日にコロナ禍を耐えてきた人々を見守ってくれた御礼に登ると思います。
ブログ投稿画像 23日、英田南公民館にて「リボンの広場」(認知症があってもなくても楽しく集える場所)にて、 カーリンコンで楽しいひとときを過ごしました。 最初は「なぜ筋肉を使うと、心身の健康が保たれるのか」というお話をさせていただきました。 筋力をアップさせるためには、登るより降りる方が効果があるという話も。 つまりあべのハルカス60階を階段で登るより、 60階までエレベーターで行き、そこから階段で降りる方が筋力はつきやすいのです。 そして筋肉を使うと、幸せホルモンであるセロトニンやドーパミンが活性化されるのですね。 よって、うつや認知症を防げるということです。 [caption id="attachment_3557" align="alignnone" width="1024"] 池田五月山からのあべのハルカス。一段と高いですね~[/caption]   さて今回は筋力も使いながらも「笑顔で楽しく」過ごすことをモットーに、 「ストレスなしカーリンコン」を行いました。 このカーリンコン、今は大会も多く開かれ、参加する選手は真剣そのもの。 これはこれで凄いいいのですが、今回は極めてアバウト(線を踏んでも厳しく言わない)に、 とにかくカーリンコンを楽しみました。 すると皆さん、笑顔また笑顔。 このように屈託なく楽しむのが一番ですね。最高の認知症予防です。 この地域の公民館の入り口に掲示されているスローガンもいいですね。 私も大好きな言葉です。 また機会があれば「楽しくカーリンコン」をやってみたいと思います。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 コロナ禍において長らく中断していました「安心声掛けつながり訓練」再開です! 今回は英田南地区において実施します。 英田南地区では2020年2月22日に第5回の訓練を実施する予定でしたが、 コロナの襲来で急遽中止になってしまった経緯があります。 [caption id="attachment_3510" align="alignnone" width="1024"] 2019年実施時の写真です[/caption]   これまでの訓練は、大規模な形で行われました。 参加人数は80名近く。捜索範囲も広範囲でした。 その時の様子を写真にアップしておきます。 [caption id="attachment_3507" align="alignnone" width="1024"] 会場はアーバンチャイルドこども園です[/caption]   参加者は子どもから高齢者まで、世代を越えた参加者でした。 訓練終了後は、みんなでカレーライスを食べるというのが定番でした。 [caption id="attachment_3503" align="alignnone" width="1024"] この年ラグビーワールドカップが開催された花園ラグビー場で捜索声掛け訓練です。[/caption] [caption id="attachment_3504" align="alignnone" width="1024"] 親子で参加してくれました。認知症役は地域住民の方が演じてくれました。[/caption]   しかしながらコロナ禍が長く続く中、集団になる訓練は中止を余儀なくされました。 今回は規模をうんと縮小し、 時間は1時間以内、参加者は20名程度、感染対策を徹底、カレーライスはなしとし、 英田南地区仕切り直しの第5回目になる訓練を実施します。 規模ではなく、実施することに意味を置き、 この社会状況の中で忘れがちな認知症の人を地域で支える灯(ともしび)を 消さないようにしていきたいと思っています。 常日頃ご協力いただいている、地域の皆様にも感謝です。 [caption id="attachment_3506" align="alignnone" width="1024"] 訓練終了後、子どもも高齢者も一緒にカレーライスを食べました。[/caption] [caption id="attachment_3508" align="alignnone" width="1024"] 再びこのように大勢の人が集えるようになればいいですね[/caption]
ブログ投稿画像  今は「人類」の存在価値が試されているときかもしれません。  科学を発展させ、たぶん、地球上の支配者となっている人類ですが、     戦争という虐殺から、誹謗中傷と言う身近な攻撃まで、     人類は「そこまでの存在」でしかないのかもしれませんね。 そのような時代だから大切にして行きたい言葉 少し長くなりますが、以前に何かに書いたものをここに載せます。 [caption id="attachment_3493" align="alignnone" width="1024"] 万博公園の梅はほぼ満開です。[/caption]   ありがとうの言葉「父と子編」 ファミリーレストランで、店員さんが食事を持ってきたときのこと。 「どうもありがとう」とお父さんが言ったのを聞いた子供が、そのお父さんに聞きました。 「お父さんはお客さんなのに、どうしてありがとうって言ったの?」 お父さんはにこっと笑って答えました。 「それはね、料理を作ってくれたこと、その料理を運んでくれたことにありがとうって言ったんだよ。」 「ふ~ん・・・」子どもはいまいち理解できないような顔をして頷き、そして目の前のご馳走を食べ始めたのでした。 しかし、父親のこの行動はいつかきっと子供に反映されるでしょう。 今では珍しいような、親子の会話かもしれません。 だけど、とても大切なEI(感じる知性)を高める場面がそこにあると思いました。 確かにサービスを提供する側にお金を払っている私たちが、 お礼を言わなければならないのはおかしいことかもしれません。 お金を払っているのだから適切なサービスを受けるのは当たり前のことなのだと。 でもここはきっとそんなことを議論するところではないでしょう。 ある日のこと、 バスを降りる子どもが「運転手さんありがとう」と言って降りていくのを見たことがあります。 素直に、「運転手さんいつも安全に運んでくれてありがとう」という意味なのでしょう。 「はい、ありがとう」と微笑んで答える運転手。 そう、難しく考え議論するものでもないのです。 そして先日、知人のあるバス運転手がこう話してくれました。 「お客さんからありがとうって言われると、すごく気持ちがいいし、私も(安全運転への)達成感があります。この一言が、気持ちの豊かさに繋がるんだと思います。」 そう、たった一言だけのこと。 「おいしい料理を作ってくれてありがとう」「重たい料理を運んでくれてありがとう」 「いつも安全運転でありがとう」「寒い中の外でのお仕事ありがとう」「夜遅く、朝早くのお仕事にもありがとう」・・・ 別に緊張して肩肘張って大声で言わなくてもいい。軽く感謝の意を伝えればいいのだ。 気軽に爽やかに、「ありがとう」「おつかれさん」「どういたしまして」「ごめんね」「気にしないで」って言えれば。 でも、そのたった一言を惜しんだために崩れていく人間関係もあるだろう。 むしろ今は、平気で誹謗中傷する時代。 社会的EIが高まるか悪化するかは、その一言が言えるか言えないかにも関わっているかもしれません。 まずは、自戒を込めて。 では、ろくでもないサービスをする人には何と言う? 「とっても不快な思いにさせてくれてありがとう」かな? おそらくそんな人には皮肉も通じないのかな。 多分、人のことばかり言ったり責めたり、そして不快な思いに人を巻き込む人は 時間の大切さを知らないのだと思う。 それはともかく、一生懸命に昼夜を問わずお仕事されている皆さまへ、 いつもいつも、本当にありがとうございます。 縁の下の人の働きがあるからこそ、その上で働く人が動けます。 その上の人が働けるから、縁の下の人が報われます。 苦難多々の状況の中で働いている皆様に 「ありがとう」   ナオト・インティライミ「こころことば」を聴きながら
ブログ投稿画像 センター長の石川です オミクロンの影響で、誰もが緊張と不安の中にいますね。 ケアの現場にいるものも緊張が続く毎日ですが、 ワクチンすらいつになるのやらわからない 地域の高齢者や住民の方も不安が増す毎日かなと思います。 ますます引き籠り、外に出ず、心身ともに ダメージを受けていくことになりますね。 私も雨ということもあり、昨日はずっと引き籠り ネットフリックスの映画やYouTubeを見ていました。 [caption id="attachment_3446" align="alignnone" width="1024"] 私が好きな「Howdy Johnny」です[/caption]   しかしこんな状況だからこそ、笑顔とユーモアを忘れてはいけません! 笑顔とユーモアは、最高の免疫機能を高めるものです。 第一、不安、困った、どうしよう、嫌だな ばかり思っていても なんの得にもなりません。 引きつった顔になっていませんか!? かつてアウシュビッツ強制収容所の過酷な状況の中で、 心身の破綻をきたさなかった人は、 最後までユーモアを忘れなかった人だそうです。 さて、今日は日頃から大変な中、一生懸命に頑張っている ケアマネジャーさんへの癒し具材です。 ではケアマネさん以外には効果がないのか? 「ケアマネ薬用入浴剤」と明記してあるので、 ケアマネジャーにしか効かない効能成分なのかもしれません(笑) もっとも、ケアマネジャーさんの最高の癒しは、利用者さんの笑顔かもですね。 入浴は心身のリラックスにも繋がります。 ヒートショックに気を付けながら、 皆さんもゆっくりと入浴してくださいね。
ブログ投稿画像 2022年、本年も宜しくお願い致します。 いよいよ第6波と言われるものがやって来そうですね。 大坂冬の陣ならぬ、コロナ冬の陣になりそうです。 さすがに、またか、もううんざりという感じにもなるでしょう。 しかしこんな時こそ、物事を前向きに考えることだと思います。 [caption id="attachment_3374" align="alignnone" width="720"] 夕陽ではなく、朝陽です(志摩半島)[/caption]   前にも書きましたが、 「わからない」という言葉の存在価値は、それで終わらせるのではなく、 「う~ん、どうしてだろう?なんでかな?」という疑問を生じさせ、 そこから「わかる(理解する)」所に達するために(「わからない」が)あると言えます。 勉強はまさしく「わからない」からスタートするのです。 スポーツや仕事上などで、「できない」ことがあれば、「できる」ためにトレーニングするのも同じです。 「どうしようもない」という言葉があるからこそ、 「どうにかしよう」と言う前向きな姿勢の気持ちが出てきます。 そうでなければ「どうしようもない」と言う言葉を活かせません。 [caption id="attachment_3381" align="alignnone" width="1024"] ご神木に触れ、パワーをもらいます[/caption]   しかし、「わからないからいいや」、「できないものはできない」、 「どうしようもないからもういいか」で終わらせてしまったら、 もうそこからの進化はありません。 ケアの現場が、この「ない」で終わってしまうとなんの進歩もない閉塞的な現場になってしまうでしょう。 人類は「わからない」があるからこそ進化してきたのです。 ペコパの漫才風に言えば、 「どうしようもないって言うことは、どうにかなるって言うことだ」でしょうか。 登山に例えれば、「登れない」と言う言葉は、 登るためにトレーニングを始めるというスタートラインの言葉になるのです。 お正月ですので、癒しの写真を。 大阪池田市五月山動物園のウォンバットです。心を和ませてくれる愛らしい姿ですね。 [caption id="attachment_3379" align="alignnone" width="1024"] ウオンバットのユキちゃんです[/caption] [caption id="attachment_3378" align="alignnone" width="1024"] 飛ぶから見といてね[/caption] [caption id="attachment_3377" align="alignnone" width="1024"] 飛ばなきゃ飛べないのだ。さぁ行くぞ![/caption] [caption id="attachment_3376" align="alignnone" width="1024"] 飛んだぜ!何事もチャレンジやで~[/caption] [caption id="attachment_3380" align="alignnone" width="1024"] 倒木は乗り越えるためにあるのだ![/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 一刻落ち着いていた感染者数が、再び増加し始めました。 オミクロン株という新種の脅威も迫っています。 人々はさすがにコロナ禍に、もううんざり、 精神的にも辟易しているのではないかと思います。 この冬が最大の決戦の場になるでしょうか。 ある若年性認知症の方が語っておられました。 「うつむいていたら心もうつむいてしまう。だから顔を上げて前を見る。」と。 うつむいて得することと言えば、マスクを踏まずに済むことくらいでしょうか。 (最近はお金も犬の糞もない) そうです。 「顔を上げて前を向いて歩きましょう!」こんな時期だからこそ! [caption id="attachment_3371" align="alignnone" width="1024"] 小さなチンアナゴもしっかりと上を向いています。すぐに引っ込むけど[/caption] 動物たちも、生きていくためには前を向いているのです。 [caption id="attachment_3370" align="alignnone" width="1024"] ウォンバットも頑張って穴を掘ります![/caption] [caption id="attachment_3369" align="alignnone" width="1024"] 周囲に睨みを効かせて!う~ん、ちょっと頼りない?[/caption] [caption id="attachment_3367" align="alignnone" width="1024"] コロナウイルスをつついて食べれたらいいのに[/caption] かけがえのない戻らぬ時間 だからこそ、 さぁ、顔を上げて、前を向いて、歩いていきましょう! [caption id="attachment_3368" align="alignnone" width="1024"] 顔上げて、胸もしっかり張って![/caption] [caption id="attachment_3366" align="alignnone" width="1024"] しっかりと前を向こうぜ![/caption] [caption id="attachment_3364" align="alignnone" width="1024"] 前向いて、しっかりと未来を見るんだ![/caption] 私が好きな佐藤竹善さんの曲 「カオあげて」  心の窓を開け放って  風はまだ冷たいけど  きっと晴れる日が来る、青空が戻ってくる。 https://www.youtube.com/watch?v=Ld-3UBpZ_O4 「歩み」  さぁ行こう  今こそともに踏み出そう  かけがえのない時間を胸に抱いて  歩き出そう https://www.youtube.com/watch?v=F8djt_iKSlE   本年は本当に多くの皆様に助けられました。 感謝の一言です。 では、よい年をお迎えください! [caption id="attachment_3365" align="alignnone" width="1024"] 来年は俺の年 タイガースも優勝だ[/caption]
ブログ投稿画像 「わからない」は、あきらめるために存在するのではなく、 「わかる」ために存在しているのです。  つまり、「わからない」があるからこそ、前進(成長)することが出来ると言うことです。 介護の仕事に就いているということは、その仕事の専門職と言うことになります。 専門職の凄いところは、常に考えていく姿勢ですね。 「わからないからもういいや」では、なんかもったいないですね。自分の人生が。 「わからないことは調べてみよう、探求してみよう」 そう思うだけで、心が動き出しますし、さすが専門職だな~と思うところでしょう。 あの森の向こうにはなにがあるのだろうか? この道はどこへ続いているのだろうか? それは行ってみないとわからないのです。 だから冒険心を持って進んでみると、心がワクワクしてきます (もちろん不安のドキドキもあるけれど) たった一度しかない人生、少しスパイスを効かせてワクワクドキドキしてみましょう。 休みになると、山を歩いている私。 最近は若い女性も増えました。単独の方も結構います。山ガール。 先日は六甲のマヤ遺跡のある山へ。 そこで、ほんの数メートル前にいたイノッシーとアイコンタクト。 こんな冒険も楽しんでいます。
ブログ投稿画像 以前にも実際に見えているものは、一人ひとり解釈が違うと書きました。 例えば下記の猿の写真 人それぞれに感想は違うと思います。 「サル、怖い!」「襲われそう!」「野生やな。」「サル、嫌い!」「何見てんのやろ?」「誰かに似てる」「凛々しい顔やな。」等々… 「怖い!」という傾向はあるかもしれませんが、同じ写真に人それぞれに色々な感想をもつでしょう。 では下記の写真ではどんな感想をもつでしょうか? 「気持ちよさそうやな。」「いい匂いするんかな?」「なんの花?なんやろ」「サルでもいい匂いってわかるんかな?」「サルでも心地よいのがわかるんやな」「なんかほっとする風景」等々… 一枚目の写真同様、人それぞれに様々な感想をもつでしょう。 このように、同じ写真を見ていても、ひとりひとり解釈は違ってきます。 この解釈の違いは、当然ケア実践者の間でも起きます。 ですから、意見のすり合わせが必要なのです。 勝手な思い込みで動かないことです。   ところでこの二枚の写真の猿、同じ猿なんですよね。 一枚目の猿の表情は厳しく、二枚目の猿の表情は穏やかです。 猿にも表情があるのだと言うことです。 ところが二枚目の写真を見なければ、猿に対して二枚目の写真にあるような穏やかな感想は持たないでしょう。 そして一枚目の写真の印象が、固定観念として残っていきます。 そのことが、見えているものの判断を狂わせていくのです。 たかが猿の写真。 でも探求心を働かせ、思考を展開させれば、色々なことがわかるかもしれません。
ブログ投稿画像 奈良の大峯山脈は、修験者の山として知られています。 修験道の開祖役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた修行の山、つまりとても険しい山々が連なっている場所なのです。 元々東大阪市と役行者は縁があります。 暗峠近くで人間を襲っていた前鬼、後鬼の鬼を捕まえ、改心させて連れていったのが大峯山でした。 その前鬼、後鬼という鬼が住んだ場所の遥か上方にそびえ立つ山が「釈迦が岳」(1800メートル)です。 その釈迦が岳の山頂には、等身大のお釈迦さまが立っています。 険しい山を登り詰め、山頂に立った時、そのお釈迦様の表情に身も心も洗われるのでした。 [caption id="attachment_3278" align="alignnone" width="587"] 27年前、晴天下が心地よさそうなお釈迦様でした[/caption]   今回、今年亡くなられた私の山の師匠の慰霊のため、この山になんと27年ぶりに登ってきました。 師匠が好きな山だったからです。 私自身も登山から引退していたのですが、 修験者のように修業を積むわけではありませんが、 老体に鞭打ち自らを律するため最近は登山を再開していました。 [caption id="attachment_3280" align="alignnone" width="1024"] 27年前の写真です。山頂にそびえ立つ釈迦像。その昔、一人の人が担いで登ったそうです。[/caption]   この日は山はかなり冷え込みマイナスの世界。 森は霧氷の森となり、登山としてはかなり厳しいものでした。 山頂も凍てついていました。 そしてお釈迦さまも凍り付いていたのです。 [caption id="attachment_3281" align="alignnone" width="1024"] 氷点下のお釈迦様 凄みがありました。写真を撮るために手袋を脱ぐと凍傷になるかと思うくらい寒かったです。[/caption]   それでもお釈迦様の表情からは 「どんな試練があっても、きっと道は開ける」というエネルギーを頂いたと思います。 私は信心のない人間ですが、やはり山頂のお釈迦様には心洗われます。 今回27年ぶり6回目の釈迦が岳でしたが、 7回目はそう遠くない日にコロナ禍を耐えてきた人々を見守ってくれた御礼に登ると思います。