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「ほんわか写真館」で記事を検索しました。

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2021.11.30

ほんわか写真館
New 猿の表情から分かること 以前にも実際に見えているものは、一人ひとり解釈が違うと書きました。 例えば下記の猿の写真 人それぞれに感想は違うと思います。 「サル、怖い!」「襲われそう!」「野生やな。」「サル、嫌い!」「何見てんのやろ?」「誰かに似てる」「凛々しい顔やな。」等々… 「怖い!」という傾向はあるかもしれませんが、同じ写真に人それぞれに色々な感想をもつでしょう。 では下記の写真ではどんな感想をもつでしょうか? 「気持ちよさそうやな。」「いい匂いするんかな?」「なんの花?なんやろ」「サルでもいい匂いってわかるんかな?」「サルでも心地よいのがわかるんやな」「なんかほっとする風景」等々… 一枚目の写真同様、人それぞれに様々な感想をもつでしょう。 このように、同じ写真を見ていても、ひとりひとり解釈は違ってきます。 この解釈の違いは、当然ケア実践者の間でも起きます。 ですから、意見のすり合わせが必要なのです。 勝手な思い込みで動かないことです。   ところでこの二枚の写真の猿、同じ猿なんですよね。 一枚目の猿の表情は厳しく、二枚目の猿の表情は穏やかです。 猿にも表情があるのだと言うことです。 ところが二枚目の写真を見なければ、猿に対して二枚目の写真にあるような穏やかな感想は持たないでしょう。 そして一枚目の写真の印象が、固定観念として残っていきます。 そのことが、見えているものの判断を狂わせていくのです。 たかが猿の写真。 でも探求心を働かせ、思考を展開させれば、色々なことがわかるかもしれません。
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2021.11.15

ほんわか写真館
どんな試練があっても、きっと道は開ける 奈良の大峯山脈は、修験者の山として知られています。 修験道の開祖役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた修行の山、つまりとても険しい山々が連なっている場所なのです。 元々東大阪市と役行者は縁があります。 暗峠近くで人間を襲っていた前鬼、後鬼の鬼を捕まえ、改心させて連れていったのが大峯山でした。 その前鬼、後鬼という鬼が住んだ場所の遥か上方にそびえ立つ山が「釈迦が岳」(1800メートル)です。 その釈迦が岳の山頂には、等身大のお釈迦さまが立っています。 険しい山を登り詰め、山頂に立った時、そのお釈迦様の表情に身も心も洗われるのでした。 27年前、晴天下が心地よさそうなお釈迦様でした   今回、今年亡くなられた私の山の師匠の慰霊のため、この山になんと27年ぶりに登ってきました。 師匠が好きな山だったからです。 私自身も登山から引退していたのですが、 修験者のように修業を積むわけではありませんが、 老体に鞭打ち自らを律するため最近は登山を再開していました。 27年前の写真です。山頂にそびえ立つ釈迦像。その昔、一人の人が担いで登ったそうです。   この日は山はかなり冷え込みマイナスの世界。 森は霧氷の森となり、登山としてはかなり厳しいものでした。 山頂も凍てついていました。 そしてお釈迦さまも凍り付いていたのです。 氷点下のお釈迦様 凄みがありました。写真を撮るために手袋を脱ぐと凍傷になるかと思うくらい寒かったです。   それでもお釈迦様の表情からは 「どんな試練があっても、きっと道は開ける」というエネルギーを頂いたと思います。 私は信心のない人間ですが、やはり山頂のお釈迦様には心洗われます。 今回27年ぶり6回目の釈迦が岳でしたが、 7回目はそう遠くない日にコロナ禍を耐えてきた人々を見守ってくれた御礼に登ると思います。
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2021.11.12

ほんわか写真館
擬人化トレーニング 「相手の気持ちになって考えよう」と、 ケアの現場ではよく言われます。 しかし人間は、自分の心の中には自分の考えが一杯詰まっているので 本来、相手の気持ちを考え、さらに受容すると言うのはとても苦手なのです。 SNSで平気でいじめをしてしまうのも、 相手の気持ちなど全く考えないからです。 しかし私たちの仕事は、「相手の気持ちを考えたり、受け止めたりすること」 それが出来なければ、専門職としての魅力は半減します。 この仕事に就いたからには、ケアの実践者として「自分はどうありたいのか」と 問いかけなければならないでしょう。 「相手の気持ちを考える」 そのため普段から柔らかい思考を持たなければなりません。 日頃から相手はどう思っているのだろうか?と考える姿勢が必要です。 ちょっとでいいのです。 ほんの少し立ち止まり、相手の気持ちを考える時間を持ちます。 そのトレーニングのひとつとして、どんなものにも声を掛け、 何を思っているのか想像するという、擬人化トレーニングをすることです。 それを普段からちょくちょく行うことです。 以下の3枚のお猿の写真は、私が撮影したものですが、 1枚1枚の写真に、「お猿の気持ち(思っていること)」を考えてみて、 書いてみてください。 ちょっとしたショートストーリーが出来るかもしれませんよ。       どうでしょうか。一枚一枚にお猿の気持ちを想像して書いてみる。 この瞬間に、あなたは「お猿の立場」で考えています。 どんなものでもいいので、ちょっと立ち止って、考えてみる。 そんなトレーニングをやってみてください。 今は電車に乗っていても何が起きるかわからない時代です。 スマホばっかりやってないで、周辺に目をやり、いろいろ想像してみることですね。 それだけでも心の柔軟性は養われます。 スマホの狭い画面ばかり見ていては得られない、心の世界を広げる情報がそこにあります。  
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2021.11.09

ほんわか写真館
オレンジメンバー養成講座開かれました 認知症の人や家族を支援するチームオレンジを形作っていくための 「オレンジメンバー養成講座」が開かれています。 地域で認知症の人を支える、それをチームとして行っていくのですが、 今回参加された方は約10名、熱意を持った方々ばかりです。 しかしその年齢層は、いわゆる「高齢者」の皆様ばかりでした。 高齢者が高齢者を支える。そのような状況が続いているのかもしれません。 ただ年代を越えて繋がっていける取り組みをもっと行わないといけないのかなと思います。 「安心声掛けつながり訓練」もそのひとつと言えるでしょう。 年配の方の普段の見守り+ICTを活用したものを取り入れて、 それらを活用できる年代の人も含めた支援作りが必要かもしれません。 雲海に浮かぶ美ヶ原と八ケ岳 標高3015メートルの立山山頂より   かくいう私も高齢者の部類に入るのでしょうね。 ただ、わがまま勝手な私はグループで動くのが苦手(自分が不器用でだらしないので、グループメンバーにめっちゃ気を遣う)なのですが、 自己責任で行う登山は大好きでしばらくやめていたのを復活させました。 都会と違って、山は人が少ないです。それが何より。 空気も新鮮です。(もっとも最近は、なんちゃって登山者も増えましたが) 元々は危険な山も何のそのと、若い時はよく北アルプスを登っていたのですが、今はひーひー言いながら登っています。 10月、紅葉を撮影に行ったのに、山はもう冬でした。 さて、11月20日「ほっこりなつどい」を開催します。 認知症の方を介護されている介護家族の方のつどいです。お気軽にご参加ください。まだ参加できますよ!
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2021.10.13

ほんわか写真館
噛むことは認知症予防です センター長の石川です。 堅い内容のものが2回続きました。 ちょっとひと息です。 以前、あずきバー(アイスキャンディ)を食べた時に、歯が欠けました。 (今は注意書きが書いてあるらしい) そして今回、アイスモナカを食べた時に、さし歯が折れました。 このアイスモナカ、結構かちんこちんだったのです。 以前の経験があるため、注意して食べたにもかかわらずです。 つまり私は、アイスを食べると歯を欠かしてしまいます(苦笑) 私の歯もこの建物のように老朽化が進んでいます。   さて、その歯の最大の働きは「噛む」ことですね。 今日放送される「ガッテン!」はその「噛む」ことがテーマです。 様々な病気予防にも繋がるようですね。 三千メートルの山からの景色です   噛むことによって脳に刺激が行くので、認知症予防にも繋がります。 よく早飯、まるで噛まずに飲み込むような人もいますが、 ご飯を早く食べる人は、自分の心身へのリスクを多くしていると言えるかもしれません。 (早飯の人が必ず認知症になると言ってるのではありません。リスクが高まると言うことです。) スマホを見ながらというのもあまりよくないようです。 「噛む」そのためにも、歯を大切にしましょう!
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2021.09.29

ほんわか写真館
人を想う・白い曼殊沙華 センター長の石川です。 認知症状が進むと、私たちが当たり前に理解していることがわからなくなります。 簡単に一言で書きましたが、 私たちが当たり前に理解していることがわからなくなるということがどういうことなのか、 もっと真剣に考える必要があります。 何度も書きますが、介護の専門職として、 認知症の人の状況(心理)を考えていくことを行うのは当たり前のことになります。 色々なことが不確かになっていく中で認知症の人が頼れるのは、やはり「人」でしょう。 認知症状が進んでも「人を想う」気持ちは、それを明確に表現できなくても 最期の最期まで残っていると言えます。 「人の気配」を感じるだけでも心は落ち着きます。 それだけ人は認知症の人にとって重要な意味を持ちます。 認知症の人の大敵は「孤独」なのです。 少しずつ、専門職として認知症の人の思いに近づいていくことについて書いていきたいと思います。   白い曼殊沙華(彼岸花)を見つけました。 花言葉は「思う人はあなただけ」とか「もう一度会いたい」などの意味があるそうです。 う~ん、ちょっと切ない感じもしますが、 認知症の人の思いと通じるところはあるかもしれません。
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2021.09.10

ほんわか写真館
認知症ケアは本当に良くなったのだろうか? センター長の石川です。 ここに掲げた写真群は、元写真を写したもので写りが悪いですが、私が若かりし頃の特養での風景です。 当時勤めていた特養から30分ほどの公園に、 皆さんお出掛けしてなんと、バーベキューならぬ、豚汁パーティを行ったのです。 多くの車いすの方と共に、元気溌剌な認知症の方も数名参加されていました。 割烹着の方は、コミュニケーションも厳しい状態で、絶えず施設を出て行きます。 一緒についていくのですが、他人の家を自分の家だと言ってきかず入っていかれたり、 ひたすら歩き続ける方でしたが、割烹着姿でわかるように、「かつての日本のお母さん」のような人でした。 背の高い帽子をかぶっておられる男性は通訳をされていたので英語が堪能で、 ケネディ元大統領と友人だったと、ケネディの手紙を見せてくれた方でしたが、 認知症状はかなり進行しており、毎日の関りが大変だった方です。 しかし当時はある意味自由奔放でした。 認知症の人への施設入所による制限ってあったのかな?とも思うくらいです。 好きなように外へ出て(ついていく職員は大変でしたが)、ドライブにもよく行き、 公園やレストラン、そして一泊旅行にも行ったものです。 当時夕方になると帰宅願望の方が数名おられましたので、「たそがれどきドライブ」として、 車でお出かけすると、落ち着かれたので、ドライブは結構行ってました。 今ならすぐにリスクマネジメントが頭に浮かび、何かと制限が掛かってしまいます。 いい意味なのか悪い意味なのか、当時はそんなことあまり考えなかったです。 「いっちゃえ、やっちゃえ、ありのまま」 そんな感じだったでしょうか。 確かに今の認知症ケアは、尊厳を守り敬意を払うという基本理念の徹底が図られています。 様々なことで身体拘束が当たり前だった時代からは、はるかに進んだと言えるでしょう。 しかし、当時の写真を振り返ると、 「認知症があろうとなかろうと、とにかく楽しもう!」という心意気があったのではないかと思います。 今はこのように「外に出る」ことすらなくなってきています。 認知症の人は(認知症の人でなくても)外で自由奔放は許されないのか? コロナ禍ということではなく、このような自由奔放さが、 「安心・安全」の合言葉の中で埋没して言っているように感じるのです。 はたして、認知症ケアは本当に良くなったのか? 疑問に思う今日この頃です。
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2021.08.21

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天狗の鼻をつまむ センター長の石川です。 雨模様の天気は、まだ数日続くみたいですね。 コロナと言い、お天気だけでなく、心も晴れない日が続きます。 さて次回からはいよいよ認知症の人をどう理解し、 私たちはどのように関わればよいのかと言うことについて、話を再スタートさせます。 その前に、私は「天狗」になっていないか つまり、高慢ちきで、思い上がりがあるのではないかと、 振り返る必要があります。 ですから、一度、鼻をつまんでみることにします。 人間誰しも「天狗になる」ことがあります。 これは年齢関係ありません。 若い人でも天狗になる、つまり「いい気になる」ことは多々あるのです。 もちろんベテランにも。 天狗岩 自然のものですよ。   この仕事では、ケア側は、ある意味「優位的立場」にいます。 それが利用者に対して「いい気になる」ことに繋がってしまうことがあります。 逆を言えば、それをわかることができる職場でもあるのです。 自分自身を振り返り、人間的成長に繋げられる仕事でもあるのですよね。 私も時に自分の鼻をつまみ、いい気になっていないか確かめることにします。 人間誰でも天狗になってしまうことがあります。 でもそのことに気づくかどうかが大切なのですね。
ブログ投稿画像 以前にも実際に見えているものは、一人ひとり解釈が違うと書きました。 例えば下記の猿の写真 人それぞれに感想は違うと思います。 「サル、怖い!」「襲われそう!」「野生やな。」「サル、嫌い!」「何見てんのやろ?」「誰かに似てる」「凛々しい顔やな。」等々… 「怖い!」という傾向はあるかもしれませんが、同じ写真に人それぞれに色々な感想をもつでしょう。 では下記の写真ではどんな感想をもつでしょうか? 「気持ちよさそうやな。」「いい匂いするんかな?」「なんの花?なんやろ」「サルでもいい匂いってわかるんかな?」「サルでも心地よいのがわかるんやな」「なんかほっとする風景」等々… 一枚目の写真同様、人それぞれに様々な感想をもつでしょう。 このように、同じ写真を見ていても、ひとりひとり解釈は違ってきます。 この解釈の違いは、当然ケア実践者の間でも起きます。 ですから、意見のすり合わせが必要なのです。 勝手な思い込みで動かないことです。   ところでこの二枚の写真の猿、同じ猿なんですよね。 一枚目の猿の表情は厳しく、二枚目の猿の表情は穏やかです。 猿にも表情があるのだと言うことです。 ところが二枚目の写真を見なければ、猿に対して二枚目の写真にあるような穏やかな感想は持たないでしょう。 そして一枚目の写真の印象が、固定観念として残っていきます。 そのことが、見えているものの判断を狂わせていくのです。 たかが猿の写真。 でも探求心を働かせ、思考を展開させれば、色々なことがわかるかもしれません。
ブログ投稿画像 奈良の大峯山脈は、修験者の山として知られています。 修験道の開祖役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた修行の山、つまりとても険しい山々が連なっている場所なのです。 元々東大阪市と役行者は縁があります。 暗峠近くで人間を襲っていた前鬼、後鬼の鬼を捕まえ、改心させて連れていったのが大峯山でした。 その前鬼、後鬼という鬼が住んだ場所の遥か上方にそびえ立つ山が「釈迦が岳」(1800メートル)です。 その釈迦が岳の山頂には、等身大のお釈迦さまが立っています。 険しい山を登り詰め、山頂に立った時、そのお釈迦様の表情に身も心も洗われるのでした。 [caption id="attachment_3278" align="alignnone" width="587"] 27年前、晴天下が心地よさそうなお釈迦様でした[/caption]   今回、今年亡くなられた私の山の師匠の慰霊のため、この山になんと27年ぶりに登ってきました。 師匠が好きな山だったからです。 私自身も登山から引退していたのですが、 修験者のように修業を積むわけではありませんが、 老体に鞭打ち自らを律するため最近は登山を再開していました。 [caption id="attachment_3280" align="alignnone" width="1024"] 27年前の写真です。山頂にそびえ立つ釈迦像。その昔、一人の人が担いで登ったそうです。[/caption]   この日は山はかなり冷え込みマイナスの世界。 森は霧氷の森となり、登山としてはかなり厳しいものでした。 山頂も凍てついていました。 そしてお釈迦さまも凍り付いていたのです。 [caption id="attachment_3281" align="alignnone" width="1024"] 氷点下のお釈迦様 凄みがありました。写真を撮るために手袋を脱ぐと凍傷になるかと思うくらい寒かったです。[/caption]   それでもお釈迦様の表情からは 「どんな試練があっても、きっと道は開ける」というエネルギーを頂いたと思います。 私は信心のない人間ですが、やはり山頂のお釈迦様には心洗われます。 今回27年ぶり6回目の釈迦が岳でしたが、 7回目はそう遠くない日にコロナ禍を耐えてきた人々を見守ってくれた御礼に登ると思います。
ブログ投稿画像 「相手の気持ちになって考えよう」と、 ケアの現場ではよく言われます。 しかし人間は、自分の心の中には自分の考えが一杯詰まっているので 本来、相手の気持ちを考え、さらに受容すると言うのはとても苦手なのです。 SNSで平気でいじめをしてしまうのも、 相手の気持ちなど全く考えないからです。 しかし私たちの仕事は、「相手の気持ちを考えたり、受け止めたりすること」 それが出来なければ、専門職としての魅力は半減します。 この仕事に就いたからには、ケアの実践者として「自分はどうありたいのか」と 問いかけなければならないでしょう。 「相手の気持ちを考える」 そのため普段から柔らかい思考を持たなければなりません。 日頃から相手はどう思っているのだろうか?と考える姿勢が必要です。 ちょっとでいいのです。 ほんの少し立ち止まり、相手の気持ちを考える時間を持ちます。 そのトレーニングのひとつとして、どんなものにも声を掛け、 何を思っているのか想像するという、擬人化トレーニングをすることです。 それを普段からちょくちょく行うことです。 以下の3枚のお猿の写真は、私が撮影したものですが、 1枚1枚の写真に、「お猿の気持ち(思っていること)」を考えてみて、 書いてみてください。 ちょっとしたショートストーリーが出来るかもしれませんよ。       どうでしょうか。一枚一枚にお猿の気持ちを想像して書いてみる。 この瞬間に、あなたは「お猿の立場」で考えています。 どんなものでもいいので、ちょっと立ち止って、考えてみる。 そんなトレーニングをやってみてください。 今は電車に乗っていても何が起きるかわからない時代です。 スマホばっかりやってないで、周辺に目をやり、いろいろ想像してみることですね。 それだけでも心の柔軟性は養われます。 スマホの狭い画面ばかり見ていては得られない、心の世界を広げる情報がそこにあります。  
ブログ投稿画像 認知症の人や家族を支援するチームオレンジを形作っていくための 「オレンジメンバー養成講座」が開かれています。 地域で認知症の人を支える、それをチームとして行っていくのですが、 今回参加された方は約10名、熱意を持った方々ばかりです。 しかしその年齢層は、いわゆる「高齢者」の皆様ばかりでした。 高齢者が高齢者を支える。そのような状況が続いているのかもしれません。 ただ年代を越えて繋がっていける取り組みをもっと行わないといけないのかなと思います。 「安心声掛けつながり訓練」もそのひとつと言えるでしょう。 年配の方の普段の見守り+ICTを活用したものを取り入れて、 それらを活用できる年代の人も含めた支援作りが必要かもしれません。 [caption id="attachment_3256" align="alignnone" width="1024"] 雲海に浮かぶ美ヶ原と八ケ岳 標高3015メートルの立山山頂より[/caption]   かくいう私も高齢者の部類に入るのでしょうね。 ただ、わがまま勝手な私はグループで動くのが苦手(自分が不器用でだらしないので、グループメンバーにめっちゃ気を遣う)なのですが、 自己責任で行う登山は大好きでしばらくやめていたのを復活させました。 都会と違って、山は人が少ないです。それが何より。 空気も新鮮です。(もっとも最近は、なんちゃって登山者も増えましたが) 元々は危険な山も何のそのと、若い時はよく北アルプスを登っていたのですが、今はひーひー言いながら登っています。 10月、紅葉を撮影に行ったのに、山はもう冬でした。 さて、11月20日「ほっこりなつどい」を開催します。 認知症の方を介護されている介護家族の方のつどいです。お気軽にご参加ください。まだ参加できますよ!
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 堅い内容のものが2回続きました。 ちょっとひと息です。 以前、あずきバー(アイスキャンディ)を食べた時に、歯が欠けました。 (今は注意書きが書いてあるらしい) そして今回、アイスモナカを食べた時に、さし歯が折れました。 このアイスモナカ、結構かちんこちんだったのです。 以前の経験があるため、注意して食べたにもかかわらずです。 つまり私は、アイスを食べると歯を欠かしてしまいます(苦笑) [caption id="attachment_3199" align="alignnone" width="1024"] 私の歯もこの建物のように老朽化が進んでいます。[/caption]   さて、その歯の最大の働きは「噛む」ことですね。 今日放送される「ガッテン!」はその「噛む」ことがテーマです。 様々な病気予防にも繋がるようですね。 [caption id="attachment_3200" align="alignnone" width="810"] 三千メートルの山からの景色です[/caption]   噛むことによって脳に刺激が行くので、認知症予防にも繋がります。 よく早飯、まるで噛まずに飲み込むような人もいますが、 ご飯を早く食べる人は、自分の心身へのリスクを多くしていると言えるかもしれません。 (早飯の人が必ず認知症になると言ってるのではありません。リスクが高まると言うことです。) スマホを見ながらというのもあまりよくないようです。 「噛む」そのためにも、歯を大切にしましょう!
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 認知症状が進むと、私たちが当たり前に理解していることがわからなくなります。 簡単に一言で書きましたが、 私たちが当たり前に理解していることがわからなくなるということがどういうことなのか、 もっと真剣に考える必要があります。 何度も書きますが、介護の専門職として、 認知症の人の状況(心理)を考えていくことを行うのは当たり前のことになります。 色々なことが不確かになっていく中で認知症の人が頼れるのは、やはり「人」でしょう。 認知症状が進んでも「人を想う」気持ちは、それを明確に表現できなくても 最期の最期まで残っていると言えます。 「人の気配」を感じるだけでも心は落ち着きます。 それだけ人は認知症の人にとって重要な意味を持ちます。 認知症の人の大敵は「孤独」なのです。 少しずつ、専門職として認知症の人の思いに近づいていくことについて書いていきたいと思います。   白い曼殊沙華(彼岸花)を見つけました。 花言葉は「思う人はあなただけ」とか「もう一度会いたい」などの意味があるそうです。 う~ん、ちょっと切ない感じもしますが、 認知症の人の思いと通じるところはあるかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 ここに掲げた写真群は、元写真を写したもので写りが悪いですが、私が若かりし頃の特養での風景です。 当時勤めていた特養から30分ほどの公園に、 皆さんお出掛けしてなんと、バーベキューならぬ、豚汁パーティを行ったのです。 多くの車いすの方と共に、元気溌剌な認知症の方も数名参加されていました。 割烹着の方は、コミュニケーションも厳しい状態で、絶えず施設を出て行きます。 一緒についていくのですが、他人の家を自分の家だと言ってきかず入っていかれたり、 ひたすら歩き続ける方でしたが、割烹着姿でわかるように、「かつての日本のお母さん」のような人でした。 背の高い帽子をかぶっておられる男性は通訳をされていたので英語が堪能で、 ケネディ元大統領と友人だったと、ケネディの手紙を見せてくれた方でしたが、 認知症状はかなり進行しており、毎日の関りが大変だった方です。 しかし当時はある意味自由奔放でした。 認知症の人への施設入所による制限ってあったのかな?とも思うくらいです。 好きなように外へ出て(ついていく職員は大変でしたが)、ドライブにもよく行き、 公園やレストラン、そして一泊旅行にも行ったものです。 当時夕方になると帰宅願望の方が数名おられましたので、「たそがれどきドライブ」として、 車でお出かけすると、落ち着かれたので、ドライブは結構行ってました。 今ならすぐにリスクマネジメントが頭に浮かび、何かと制限が掛かってしまいます。 いい意味なのか悪い意味なのか、当時はそんなことあまり考えなかったです。 「いっちゃえ、やっちゃえ、ありのまま」 そんな感じだったでしょうか。 確かに今の認知症ケアは、尊厳を守り敬意を払うという基本理念の徹底が図られています。 様々なことで身体拘束が当たり前だった時代からは、はるかに進んだと言えるでしょう。 しかし、当時の写真を振り返ると、 「認知症があろうとなかろうと、とにかく楽しもう!」という心意気があったのではないかと思います。 今はこのように「外に出る」ことすらなくなってきています。 認知症の人は(認知症の人でなくても)外で自由奔放は許されないのか? コロナ禍ということではなく、このような自由奔放さが、 「安心・安全」の合言葉の中で埋没して言っているように感じるのです。 はたして、認知症ケアは本当に良くなったのか? 疑問に思う今日この頃です。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 雨模様の天気は、まだ数日続くみたいですね。 コロナと言い、お天気だけでなく、心も晴れない日が続きます。 さて次回からはいよいよ認知症の人をどう理解し、 私たちはどのように関わればよいのかと言うことについて、話を再スタートさせます。 その前に、私は「天狗」になっていないか つまり、高慢ちきで、思い上がりがあるのではないかと、 振り返る必要があります。 ですから、一度、鼻をつまんでみることにします。 人間誰しも「天狗になる」ことがあります。 これは年齢関係ありません。 若い人でも天狗になる、つまり「いい気になる」ことは多々あるのです。 もちろんベテランにも。 [caption id="attachment_2891" align="alignnone" width="1560"] 天狗岩 自然のものですよ。[/caption]   この仕事では、ケア側は、ある意味「優位的立場」にいます。 それが利用者に対して「いい気になる」ことに繋がってしまうことがあります。 逆を言えば、それをわかることができる職場でもあるのです。 自分自身を振り返り、人間的成長に繋げられる仕事でもあるのですよね。 私も時に自分の鼻をつまみ、いい気になっていないか確かめることにします。 人間誰でも天狗になってしまうことがあります。 でもそのことに気づくかどうかが大切なのですね。