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「ほんわか写真館」で記事を検索しました。

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2023.03.28

ほんわか写真館
脳科学者恩蔵絢子先生の講演に行ってきました 「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」の著者である 脳科学者恩蔵絢子先生の講演に、神戸三宮まで行ってきました。 私と恩蔵先生との出会いは本屋でした。 なんとなくぶらぶら見ていた時に目に止まったのが 「脳科学者の母が認知症になる」という本でした。 とかく感覚的に理解しようという認知症ケアの現場において、 脳科学的に認知症の人の行動すべてに根拠があるのだということが 伝えられるのではないかと。 この時から興味を持ち、折しも東京の中央法規出版社の知人から、 介護現場向けの「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」を出版するとの連絡を受け、 以降なんとか恩蔵先生の話を聞きたいと思っていたのでした。 そして今回の講演です。 恩蔵先生の講演は、めっちゃ情熱的なお話でした。 東は名古屋、西は岡山、東大阪からもキャラバンメイトさんが聞きに来てくれました。 脳科学者というと難しい話に思えますが、 一人の介護者、娘としての視点、そして科学者としての視点と、両方織り交ぜてのお話でした。 学びはたくさんありましたが、それは追々紹介させてもらいます。 ちょっとだけ触れますと、「脳トレ」は逆効果だそうです。 トイレの場所を示すために大きく貼られた文字。 意味ないそうです。 むしろトイレそのものが見える方が良いとのこと。(施設では難しいところもありますが) 等々、なるほど!と思うことが一杯でした。 ちゃっかりサインをいただきました。   夕ご飯までご同行させてもらいましたが、 母を思う一人の娘さんでした。 以降、少しずつお伝えしていきたいと思います。 アーバンケア島之内の桜も、ほぼ満開です。 2階のレストランフロアは、食事をしながらお花見ができる 絶好のロケーションが得られる場所ですね!
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2023.03.20

ほんわか写真館
認知症と音楽(2) 音楽というのは不思議な魅力があります。 もしかしたら魅力というより、魔力かもしれません。 人間が生み出した最高の芸術の一つと言えますね。 いよいよ花の季節到来ですね   音楽 それは私たちの人生にとって、 まるで自分自身を形成する重要なパーツのように存在しています。 私たちは子どものころから、いや母親のおなかの中にいる頃から 音楽を聴いています。 私たちの生活になくてはならないものとして音楽は存在するのです。 当然、認知症の人にとっても同じで、 脳にしっかりと刻み込まれているのが音楽なのです。 ですから、音楽療法も活用されるのです。 認知症の人と音楽、もう少し深めていきたいと思います。 日曜日は天気も良く、午後からズーム研修だったため、午前中に裏山に登ってきました。写っている人は誰だか知りません(笑)   因みにベートーヴェンの「運命」 ジャジャジャジャーンの出だし。 実はプロではない高校生の楽団でも演奏できるそうです。 逆に言えば、これくらい一糸乱れず呼吸を合わせて演奏できなければ プロにはなれないということですね。 介護での国家資格を持っているのならば、 こんなケアはできて当たり前と言えること。 ですね。
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2023.03.14

ほんわか写真館
ミツマタロードからサントリーロードへ 道に迷うということ ミツマタの花を見に軽登山してきました。 先月登った山、「サントリー山」でのこと。 ここで、おばあちゃんに近いおばちゃんに会いました。 「まだちょっと早いんやけど、ミツマタがきれいに咲いてるねん。去年撮った写真やで。」 と言って、スマホの写真を見せてくれました。 こんな天王山界隈に、ミツマタという名前の花の群落があるなどとは知りませんでした。 「ところでそのミツマタの一杯咲いてる場所、どこか知らん?」と聞かれたのですが、 去年行ってきて写真撮ったんとちゃうの?とは突っ込まず、正直知らないですと返事。 しかし後で、このおばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味がよく分かったのです。 ということで1か月後、地図にもガイドブックにも載っていない、(登山道も書かれていない) ミツマタロード目指しての冒険が始まります。 野生の感??を働かせて、ミツマタが道沿いに咲いているミツマタロードに到着。 ミツマタはその名の通り、枝が三又に分かれています。 面白い木ですね。そして満開の花がどれなのかもよくわからなかったです。 さてここから、何故か道標がない三叉路(三又だ)がいくつもあり、 お昼を食べる予定の天王山がわからない。 まさしく、おばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味が分かりだします。 しかしここも野生の感?を働かせ、何とか山頂に到着。 この後は、サントリー山からサントリーロード(カントリーロードではありません)を通って下山することに。 このサントリーロードはまだ歩いたことはなく、ちょっとした冒険。 なんせ地図にはない道。グーグルマップにも何も表示されません。 ところが途中で、道が怪しくなり引き返し、 谷へ降りる道にマークがあったのでそこを降りるも とてもじゃないが進める道ではなく引き返し、 ほとんどサントリー山に戻るような形で、ようやく本来のサントリーロードを発見したのでした。 (めっちゃわかりにくかった) 名神高速 天王山トンネルが一部分見えています。   道がどこだがわからなくなる不安と混乱。認知症の人の気持ちがよくわかります。 そして、「引き返す」というのは、決断が必要ですね。 でも認知症の人の場合、その決断自体が霧の中です。 だからどこまでも迷いながら進んでしまうのですね。 この神社、特にサントリーとは関係ないそうです   このサントリーロード、何故そう言われるのかというと、 サントリー山崎蒸溜所に出るからなのです。 途中、名神高速天王山トンネルのむき出し?部分を越えると神社があり、 そのすぐ先がサントリー山崎蒸溜所(工場)なのです。 二つの鳥居をくぐると、そこは蒸溜所内。 う~ん、折角なら鳥居を3つ作ってくれていたら三鳥居(サントリー)になったのに。 この工場内の道、実はサントリーのものではなく、公道なのです。 ですから蒸溜所内を普通に歩けるのです。 たかが低山、されど低山。どのような山でも、地形図がわかる地図と、コンパスが必要ですね。 グーグルマップは地形図が出ないので、何の役にも立ちません。 と、休日はちょっとした冒険をして楽しく過ごしてきました。
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2023.03.03

ほんわか写真館
お雛祭りに春を感じる ある認知症の人が、ひな人形に話し掛けていました。 「毎日朝から晩まで、重たい着物着て座っていたらしんどいやろうに…」 その方の気遣いが感じられますね。 人形であれ、意思を持たないあらゆる個体(椅子とか机とか、 日常生活におけるあらゆるもの)であれ、 それに対する気遣いを持つということは、 物を大切にするということに繋がるのかもしれません。 現にこのひな人形、当直者も寝静まる時間帯に、 「あ~あ、今日も一日座りっぱなしで疲れた!」と言って、 足を延ばしているのです。 「それにこの着物、重たくて肩が凝る…」 その女雛の言葉に、男雛が立ち上がり、女雛の肩をやさしく揉んであげているのです。 なるほど、女雛は男雛より年上に見えますね。 そして二人は当直者が起きだしてくる前に、 「さ、元の形に戻りましょう」 と言って、伸ばしていた足を元に戻すのです。 皆さんは気づいたことがありませんが? 動かないはずの人形が、 次の日、ほんのちょっと位置がずれていたり、 形がわずかながら変わったりしていることに。 因みに男雛が向かって左側に座っているのは関東。 主に京都(関西)は、男雛が右側、女雛が左側だそうです。 このお二人は関東出身かもしれません。 そして3月 花々のつぼみも大きくなってきました。 春はすぐそこまで来ているようです。
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2023.01.16

ほんわか写真館
明日は誰にも保障されていない センター長の石川です。 先日は竹内まりやの「人生の扉」という歌を紹介しました。 竹内まりやには、もう一つ私たちの仕事に関わるであろう「いのちの歌」があります。 この歌はまた後日紹介します。 今日はケツメイシの唄を。 私もそれなりの歳になり、 いつのまにか自分より年下の友人、知人の訃報に接することが多くなりました。 子どものころから親しんだ有名人も次から次へと亡くなり、 誰が生きているのか死んでいるのかわからない始末です。 年齢の近い人の死亡記事では、その原因をつい読んでしまいます。 死を身近に感じるようになったということでしょうか。 私がこの仕事に入って間もないころ、昨日話をしていた人が亡くなって泣いたことがあります。 その人に限らず何回かは泣いたことがあるかな。 私が当時働いていた施設では、生活相談員は葬儀関係を取り仕切っていました。(多くの人は施設で葬儀を出したのです) 一応葬儀社は入ってくれますが、毎回斎場まで行き、お骨を拾うところまで行いました。 葬儀社が忙しい時は私が葬儀社の代わりとなって斎場の手続き (書類と心付けを渡す。心付けを渡すという風習はその後禁止されました)を行うなんてこともありました。 全く身寄りのない人のお通夜は寂しく、遅くまで祭壇のそばにいたこともあります。 生活保護の方は葬儀社も入れず、祭壇を組み立てもしました。 そうやって見送ってきた人は、多分100人を超えると思います。 でもそれを繰り返しているうちに、ひとつひとつの命の重さを感じる思いが希薄になり、 儀式が形式的になっていったとも言えます。 やはりお見送りは寂しくあってはならないと思うのです。 (黒澤明監督の「夢」では、お祭りのようなお葬式でした) でもさすがにこの歳になり、友人、知人を失うと、やはり身近なものとして感じてしまいます。 そして私はそれを温かく見送ることができるのだろうか? 私ならどう思うのか? もし明日は我が身と思うと、 私の心は広くも許容力もないので、耳を塞ぎ目を閉じるかも知れません。 ケツメイシのミュージックビデオは今見ると衝撃的ですね。 2016年制作ですから、まさかという感じです。 明日は、若い人にも保障されているものではないのです。 ダチョウ倶楽部の映像は、ちょっと哀しくなるけど、ケツメイシの「友よ~この先もずっと」です https://www.youtube.com/watch?v=IV7usfiEbms  
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2023.01.09

ほんわか写真館
見かたを変えれば こうだとしか思えていなかったものが 全く違った捉え方ができる でもなかなか自分の中の固定化された景色は変えられないのですが ちょっと見かたを変えて見る時間を持てば 或は試してみれば 違う思考が広がって、「なるほど!」という世界が広がるかもしれません。 先日の恩蔵先生のドキュメントを見ても感じました。 認知症の母から出てくる「私はバカだから」とか「早く死んだほうがいいね」という言葉に、 娘の恩蔵先生は落胆するのですが、 しかし捉え方を変えると、 何かがわからなかったりできなかったりした時に発するその言葉は 実は自分の状況がわかっているからこそ出てきた言葉ではないかと。 認知機能を働かせるうえでの生活上の動作は難しくなっても、 感情はしっかりと生きていて、自分のことも周囲のこともわかっているのではないかと。 つい表面上だけで捉えてしまう私たちですが、見かたを変えると、 「認知症の人」から、「ひとりの人」としての感情が見えてくるのではないでしょうか。 数年前の西武・そごうの広告で有名になったこの言葉 以前もブログでアップしたかもしれませんが、再掲します。 上から読むのと、下から読むのでは 違った世界がそこに広がります。 上から読んだ後、下の行から上の行へ読んでいってください。      大逆転は、起こりうる。  わたしは、その言葉を信じない。  どうせ奇跡なんて起こらない。  それでも人々は無責任に言うだろう。  小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。  誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。  今こそ自分を貫くときだ。  しかし、そんな考え方は馬鹿げている。  勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。  わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。  土俵際、もはや絶体絶命。   さて、お堀の水に映る松本城 どちらが実際の写真でしょうか?
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2022.12.30

ほんわか写真館
皆様良い年をお迎えください センター長の石川です。 最近は時間についてブログに書いていました。 その時間をどうしても感じてしまうのが年末でしょう。 いよいよ慌ただしくなってきましたね。 まさしく、時間に追われるような感じです。 でもそれは人の感覚。その感覚も一人ひとり違いますね。 ただ時間はその感覚とは関係なく、非情に??進んでいきます。 全世界の人達に平等に。 振り返れば、2022年もコロナに翻弄された年だったかもしれません。 めっちゃ大変で、つらい時間もありました。 でもその時間は単に過ぎ去った時間ではなく、今に繋がっているもの。 つまり時間は過ぎ去っていくものではなく、 今の自分たちの有り様に繋がっているものと言えるのです。 きっとつらく大変だった時間の体験は、未来の時間に有意義に繋がっていくのでしょう。 認知症の人にとって年末年始も、その人の状況によって変わってくるでしょう。 なんとなく気持ちがワクワク感じている人もおれば、 年末も正月も関係なく、本人も介護家族にも混乱の中にいる人もいるでしょう。 介護の大変さ(本人の大変さ)に盆も正月もないでしょう。 少なくとも、私たちケアの専門職は、 その本人や介護者の「大変さ」に寄り添っていくことが「使命」であるということです。 過去、現在、未来、時間の流れに関わりなく。 では定番の言葉ですが、 「本年はありがとうございました。皆様良い年をお迎えください!」 2022年のブログはこれで終了です。 皆様に感謝。
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2022.12.24

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感情に響く風景(その3) ~時間という風景を見る~ きれいな花を見た時、「きれいな花ね!」と私たちはすぐに反応して言葉に出します。 しかし認知症の人は、きれいな花を見ても、 全く関係のないような言葉をぽつんと言ってみたり、 花に焦点を合わさなかったり、そんな姿を見ると、介護者はどうしても落胆してしまいます。 でもそれはその瞬間の時間に答えを求めようとする私たち側の時間感覚かもしれません。 時間の感覚は、心に大きく左右されると思います。 時間の経過は地球上どこでも誰でも一緒だけど、私たちの感覚で、早くも遅くもなります。 嫌な状況(上司に怒られるときとか)の時は時間が長く感じるし、 楽しい時はあっという間かもしれません。 また、ゆったりと流れるように感じる場所とか、 或いは時間に追われるというような感覚になる慌ただしい場所というのもあるかもしれません。 いつの間にか年末、もう一年経ってしまったとも思う今日この頃でもあります。 クリスマスなので、アヒルちゃんの写真を!   このように時間は常に私たちの生活にべったりと張り付いています。 同時に人それぞれに時間の感覚は違ってきます。時間そのものは不変なものなのに! では認知症の人にとっての時間はどのようなものなのでしょうか? 認知症の人とのコミュニケーションでは、 「短く深い」時間で。かつ瞬間ではなく「連続かつゆっくり」で。 つまり、接続詞を省いた「花!」「きれい!」という単語で、時には感嘆詞を大げさに「すごい!」とか。 連続というのは、瞬間の時間でその言葉を終わらせるのではなく、繰り返し伝えるということ。 でっかいひよこちゃん ニワトリになったらどれだけ大きくなることか!   私たちの「会話」は、どうしてもいろいろな情報をくっつけてしまいます。 しかしそれでは伝わりにくいというか、理解することが厳しくなります。 よく知っている固有名詞の方が伝わりやすいでしょう。 さらに一度では伝わりにくいので、繰り返しゆっくりと。 つまり、私たちの時間のスピードではなく、認知症の人が理解しやすい時間に合わせるということです。 12月24日は、この人の写真を載せないと。   風景は見えるものだけでなく、「時空」で生活している私たちは、 「時間」という風景も見ていくのです。 難しく書きましたが、要するに認知症の人に合わせて会話するということなのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」の著者である 脳科学者恩蔵絢子先生の講演に、神戸三宮まで行ってきました。 私と恩蔵先生との出会いは本屋でした。 なんとなくぶらぶら見ていた時に目に止まったのが 「脳科学者の母が認知症になる」という本でした。 とかく感覚的に理解しようという認知症ケアの現場において、 脳科学的に認知症の人の行動すべてに根拠があるのだということが 伝えられるのではないかと。 この時から興味を持ち、折しも東京の中央法規出版社の知人から、 介護現場向けの「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」を出版するとの連絡を受け、 以降なんとか恩蔵先生の話を聞きたいと思っていたのでした。 そして今回の講演です。 恩蔵先生の講演は、めっちゃ情熱的なお話でした。 東は名古屋、西は岡山、東大阪からもキャラバンメイトさんが聞きに来てくれました。 脳科学者というと難しい話に思えますが、 一人の介護者、娘としての視点、そして科学者としての視点と、両方織り交ぜてのお話でした。 学びはたくさんありましたが、それは追々紹介させてもらいます。 ちょっとだけ触れますと、「脳トレ」は逆効果だそうです。 トイレの場所を示すために大きく貼られた文字。 意味ないそうです。 むしろトイレそのものが見える方が良いとのこと。(施設では難しいところもありますが) 等々、なるほど!と思うことが一杯でした。 [caption id="attachment_4539" align="alignnone" width="2232"] ちゃっかりサインをいただきました。[/caption]   夕ご飯までご同行させてもらいましたが、 母を思う一人の娘さんでした。 以降、少しずつお伝えしていきたいと思います。 アーバンケア島之内の桜も、ほぼ満開です。 2階のレストランフロアは、食事をしながらお花見ができる 絶好のロケーションが得られる場所ですね!
ブログ投稿画像 音楽というのは不思議な魅力があります。 もしかしたら魅力というより、魔力かもしれません。 人間が生み出した最高の芸術の一つと言えますね。 [caption id="attachment_4527" align="alignnone" width="2048"] いよいよ花の季節到来ですね[/caption]   音楽 それは私たちの人生にとって、 まるで自分自身を形成する重要なパーツのように存在しています。 私たちは子どものころから、いや母親のおなかの中にいる頃から 音楽を聴いています。 私たちの生活になくてはならないものとして音楽は存在するのです。 当然、認知症の人にとっても同じで、 脳にしっかりと刻み込まれているのが音楽なのです。 ですから、音楽療法も活用されるのです。 認知症の人と音楽、もう少し深めていきたいと思います。 [caption id="attachment_4528" align="alignnone" width="2048"] 日曜日は天気も良く、午後からズーム研修だったため、午前中に裏山に登ってきました。写っている人は誰だか知りません(笑)[/caption]   因みにベートーヴェンの「運命」 ジャジャジャジャーンの出だし。 実はプロではない高校生の楽団でも演奏できるそうです。 逆に言えば、これくらい一糸乱れず呼吸を合わせて演奏できなければ プロにはなれないということですね。 介護での国家資格を持っているのならば、 こんなケアはできて当たり前と言えること。 ですね。
ブログ投稿画像 ミツマタの花を見に軽登山してきました。 先月登った山、「サントリー山」でのこと。 ここで、おばあちゃんに近いおばちゃんに会いました。 「まだちょっと早いんやけど、ミツマタがきれいに咲いてるねん。去年撮った写真やで。」 と言って、スマホの写真を見せてくれました。 こんな天王山界隈に、ミツマタという名前の花の群落があるなどとは知りませんでした。 「ところでそのミツマタの一杯咲いてる場所、どこか知らん?」と聞かれたのですが、 去年行ってきて写真撮ったんとちゃうの?とは突っ込まず、正直知らないですと返事。 しかし後で、このおばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味がよく分かったのです。 ということで1か月後、地図にもガイドブックにも載っていない、(登山道も書かれていない) ミツマタロード目指しての冒険が始まります。 野生の感??を働かせて、ミツマタが道沿いに咲いているミツマタロードに到着。 ミツマタはその名の通り、枝が三又に分かれています。 面白い木ですね。そして満開の花がどれなのかもよくわからなかったです。 さてここから、何故か道標がない三叉路(三又だ)がいくつもあり、 お昼を食べる予定の天王山がわからない。 まさしく、おばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味が分かりだします。 しかしここも野生の感?を働かせ、何とか山頂に到着。 この後は、サントリー山からサントリーロード(カントリーロードではありません)を通って下山することに。 このサントリーロードはまだ歩いたことはなく、ちょっとした冒険。 なんせ地図にはない道。グーグルマップにも何も表示されません。 ところが途中で、道が怪しくなり引き返し、 谷へ降りる道にマークがあったのでそこを降りるも とてもじゃないが進める道ではなく引き返し、 ほとんどサントリー山に戻るような形で、ようやく本来のサントリーロードを発見したのでした。 (めっちゃわかりにくかった) [caption id="attachment_4496" align="alignnone" width="1600"] 名神高速 天王山トンネルが一部分見えています。[/caption]   道がどこだがわからなくなる不安と混乱。認知症の人の気持ちがよくわかります。 そして、「引き返す」というのは、決断が必要ですね。 でも認知症の人の場合、その決断自体が霧の中です。 だからどこまでも迷いながら進んでしまうのですね。 [caption id="attachment_4497" align="alignnone" width="1600"] この神社、特にサントリーとは関係ないそうです[/caption]   このサントリーロード、何故そう言われるのかというと、 サントリー山崎蒸溜所に出るからなのです。 途中、名神高速天王山トンネルのむき出し?部分を越えると神社があり、 そのすぐ先がサントリー山崎蒸溜所(工場)なのです。 二つの鳥居をくぐると、そこは蒸溜所内。 う~ん、折角なら鳥居を3つ作ってくれていたら三鳥居(サントリー)になったのに。 この工場内の道、実はサントリーのものではなく、公道なのです。 ですから蒸溜所内を普通に歩けるのです。 たかが低山、されど低山。どのような山でも、地形図がわかる地図と、コンパスが必要ですね。 グーグルマップは地形図が出ないので、何の役にも立ちません。 と、休日はちょっとした冒険をして楽しく過ごしてきました。
ブログ投稿画像 ある認知症の人が、ひな人形に話し掛けていました。 「毎日朝から晩まで、重たい着物着て座っていたらしんどいやろうに…」 その方の気遣いが感じられますね。 人形であれ、意思を持たないあらゆる個体(椅子とか机とか、 日常生活におけるあらゆるもの)であれ、 それに対する気遣いを持つということは、 物を大切にするということに繋がるのかもしれません。 現にこのひな人形、当直者も寝静まる時間帯に、 「あ~あ、今日も一日座りっぱなしで疲れた!」と言って、 足を延ばしているのです。 「それにこの着物、重たくて肩が凝る…」 その女雛の言葉に、男雛が立ち上がり、女雛の肩をやさしく揉んであげているのです。 なるほど、女雛は男雛より年上に見えますね。 そして二人は当直者が起きだしてくる前に、 「さ、元の形に戻りましょう」 と言って、伸ばしていた足を元に戻すのです。 皆さんは気づいたことがありませんが? 動かないはずの人形が、 次の日、ほんのちょっと位置がずれていたり、 形がわずかながら変わったりしていることに。 因みに男雛が向かって左側に座っているのは関東。 主に京都(関西)は、男雛が右側、女雛が左側だそうです。 このお二人は関東出身かもしれません。 そして3月 花々のつぼみも大きくなってきました。 春はすぐそこまで来ているようです。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先日は竹内まりやの「人生の扉」という歌を紹介しました。 竹内まりやには、もう一つ私たちの仕事に関わるであろう「いのちの歌」があります。 この歌はまた後日紹介します。 今日はケツメイシの唄を。 私もそれなりの歳になり、 いつのまにか自分より年下の友人、知人の訃報に接することが多くなりました。 子どものころから親しんだ有名人も次から次へと亡くなり、 誰が生きているのか死んでいるのかわからない始末です。 年齢の近い人の死亡記事では、その原因をつい読んでしまいます。 死を身近に感じるようになったということでしょうか。 私がこの仕事に入って間もないころ、昨日話をしていた人が亡くなって泣いたことがあります。 その人に限らず何回かは泣いたことがあるかな。 私が当時働いていた施設では、生活相談員は葬儀関係を取り仕切っていました。(多くの人は施設で葬儀を出したのです) 一応葬儀社は入ってくれますが、毎回斎場まで行き、お骨を拾うところまで行いました。 葬儀社が忙しい時は私が葬儀社の代わりとなって斎場の手続き (書類と心付けを渡す。心付けを渡すという風習はその後禁止されました)を行うなんてこともありました。 全く身寄りのない人のお通夜は寂しく、遅くまで祭壇のそばにいたこともあります。 生活保護の方は葬儀社も入れず、祭壇を組み立てもしました。 そうやって見送ってきた人は、多分100人を超えると思います。 でもそれを繰り返しているうちに、ひとつひとつの命の重さを感じる思いが希薄になり、 儀式が形式的になっていったとも言えます。 やはりお見送りは寂しくあってはならないと思うのです。 (黒澤明監督の「夢」では、お祭りのようなお葬式でした) でもさすがにこの歳になり、友人、知人を失うと、やはり身近なものとして感じてしまいます。 そして私はそれを温かく見送ることができるのだろうか? 私ならどう思うのか? もし明日は我が身と思うと、 私の心は広くも許容力もないので、耳を塞ぎ目を閉じるかも知れません。 ケツメイシのミュージックビデオは今見ると衝撃的ですね。 2016年制作ですから、まさかという感じです。 明日は、若い人にも保障されているものではないのです。 ダチョウ倶楽部の映像は、ちょっと哀しくなるけど、ケツメイシの「友よ~この先もずっと」です https://www.youtube.com/watch?v=IV7usfiEbms  
ブログ投稿画像 こうだとしか思えていなかったものが 全く違った捉え方ができる でもなかなか自分の中の固定化された景色は変えられないのですが ちょっと見かたを変えて見る時間を持てば 或は試してみれば 違う思考が広がって、「なるほど!」という世界が広がるかもしれません。 先日の恩蔵先生のドキュメントを見ても感じました。 認知症の母から出てくる「私はバカだから」とか「早く死んだほうがいいね」という言葉に、 娘の恩蔵先生は落胆するのですが、 しかし捉え方を変えると、 何かがわからなかったりできなかったりした時に発するその言葉は 実は自分の状況がわかっているからこそ出てきた言葉ではないかと。 認知機能を働かせるうえでの生活上の動作は難しくなっても、 感情はしっかりと生きていて、自分のことも周囲のこともわかっているのではないかと。 つい表面上だけで捉えてしまう私たちですが、見かたを変えると、 「認知症の人」から、「ひとりの人」としての感情が見えてくるのではないでしょうか。 数年前の西武・そごうの広告で有名になったこの言葉 以前もブログでアップしたかもしれませんが、再掲します。 上から読むのと、下から読むのでは 違った世界がそこに広がります。 上から読んだ後、下の行から上の行へ読んでいってください。      大逆転は、起こりうる。  わたしは、その言葉を信じない。  どうせ奇跡なんて起こらない。  それでも人々は無責任に言うだろう。  小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。  誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。  今こそ自分を貫くときだ。  しかし、そんな考え方は馬鹿げている。  勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。  わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。  土俵際、もはや絶体絶命。   さて、お堀の水に映る松本城 どちらが実際の写真でしょうか?
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 最近は時間についてブログに書いていました。 その時間をどうしても感じてしまうのが年末でしょう。 いよいよ慌ただしくなってきましたね。 まさしく、時間に追われるような感じです。 でもそれは人の感覚。その感覚も一人ひとり違いますね。 ただ時間はその感覚とは関係なく、非情に??進んでいきます。 全世界の人達に平等に。 振り返れば、2022年もコロナに翻弄された年だったかもしれません。 めっちゃ大変で、つらい時間もありました。 でもその時間は単に過ぎ去った時間ではなく、今に繋がっているもの。 つまり時間は過ぎ去っていくものではなく、 今の自分たちの有り様に繋がっているものと言えるのです。 きっとつらく大変だった時間の体験は、未来の時間に有意義に繋がっていくのでしょう。 認知症の人にとって年末年始も、その人の状況によって変わってくるでしょう。 なんとなく気持ちがワクワク感じている人もおれば、 年末も正月も関係なく、本人も介護家族にも混乱の中にいる人もいるでしょう。 介護の大変さ(本人の大変さ)に盆も正月もないでしょう。 少なくとも、私たちケアの専門職は、 その本人や介護者の「大変さ」に寄り添っていくことが「使命」であるということです。 過去、現在、未来、時間の流れに関わりなく。 では定番の言葉ですが、 「本年はありがとうございました。皆様良い年をお迎えください!」 2022年のブログはこれで終了です。 皆様に感謝。
ブログ投稿画像 きれいな花を見た時、「きれいな花ね!」と私たちはすぐに反応して言葉に出します。 しかし認知症の人は、きれいな花を見ても、 全く関係のないような言葉をぽつんと言ってみたり、 花に焦点を合わさなかったり、そんな姿を見ると、介護者はどうしても落胆してしまいます。 でもそれはその瞬間の時間に答えを求めようとする私たち側の時間感覚かもしれません。 時間の感覚は、心に大きく左右されると思います。 時間の経過は地球上どこでも誰でも一緒だけど、私たちの感覚で、早くも遅くもなります。 嫌な状況(上司に怒られるときとか)の時は時間が長く感じるし、 楽しい時はあっという間かもしれません。 また、ゆったりと流れるように感じる場所とか、 或いは時間に追われるというような感覚になる慌ただしい場所というのもあるかもしれません。 いつの間にか年末、もう一年経ってしまったとも思う今日この頃でもあります。 [caption id="attachment_4309" align="alignnone" width="2048"] クリスマスなので、アヒルちゃんの写真を![/caption]   このように時間は常に私たちの生活にべったりと張り付いています。 同時に人それぞれに時間の感覚は違ってきます。時間そのものは不変なものなのに! では認知症の人にとっての時間はどのようなものなのでしょうか? 認知症の人とのコミュニケーションでは、 「短く深い」時間で。かつ瞬間ではなく「連続かつゆっくり」で。 つまり、接続詞を省いた「花!」「きれい!」という単語で、時には感嘆詞を大げさに「すごい!」とか。 連続というのは、瞬間の時間でその言葉を終わらせるのではなく、繰り返し伝えるということ。 [caption id="attachment_4306" align="alignnone" width="2048"] でっかいひよこちゃん ニワトリになったらどれだけ大きくなることか![/caption]   私たちの「会話」は、どうしてもいろいろな情報をくっつけてしまいます。 しかしそれでは伝わりにくいというか、理解することが厳しくなります。 よく知っている固有名詞の方が伝わりやすいでしょう。 さらに一度では伝わりにくいので、繰り返しゆっくりと。 つまり、私たちの時間のスピードではなく、認知症の人が理解しやすい時間に合わせるということです。 [caption id="attachment_4304" align="alignnone" width="2048"] 12月24日は、この人の写真を載せないと。[/caption]   風景は見えるものだけでなく、「時空」で生活している私たちは、 「時間」という風景も見ていくのです。 難しく書きましたが、要するに認知症の人に合わせて会話するということなのです。 (つづく)