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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2025.03.17

心の荷物預かり所
ほっこりなつどい開催されました(ちょっぴり涙も) 相変わらずブログをさぼり気味で申し訳ないです。 さて、15日に認知症の人を介護されている家族の会 「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回はなんと、男性5名女性1名という、男性介護者主体の集いとなりました。 このようなことも珍しいですね。 妻の認知症の進行に悩む夫がお二人 同様に父の進行に悩む息子さん 母の認知症を見つめる息子さん 若年性認知症の人をケアするご家族… 様々な立場で、各々心のうちを話されていました。 久しぶりに母と散歩や外食を楽しんだという娘さんは その喜びを熱く語っておられました。 男性の介護者としての悩みを、それぞれ皆さんから話されましたが、 思わず怒りが立ち込めたとき、どうしたらいいかという話になりました。 ある参加者は、「ぼけますからよろしくお願いします」の映画をフルバージョンで見られ あれだけ一生懸命介護されている夫でも、怒りを爆発させたシーンを見て、 ほっとしたと語っておられました。 爆発したい気持ちを必死になって押さえる日々のつらさ 認知症の本人のことを思い、良き介護者でなければならないということへのプレッシャー それが、映画を見て、良き介護者であっても、 「怒りをぶちまけたい時があるよね、」と思うと、ほっとしたとのこと。 毎日様々な思いの中で過ごしておられることがひしひしと伝わってきます。 また若年性認知症の人の介護者の方は、 デイサービスで元気に過ごされている様子を聞いて、 涙を流されておられました。 色々と思うこと一杯なのですね。 と、男性5名の家族会。ちょこっと異色? いやいや 男性介護者にも、それなりの悩みがあるのです。 やはり、家族の会は、介護家族に対するセキュアベース(心の安全基地)なのですね。        
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2025.03.04

心の荷物預かり所
「記憶」をテーマにした映画 まったくもってブログをさぼっております。 他に行うことが多々あり、ブログが置き去りになっていました。 というか、ブログも「熱意」が湧かないとなかなか書けないものです。 最近はブログに対する熱意が薄くなっている「時期」かもしれません。 そのうちまた色々と書き始める時が来ると思いますので。 さて、「記憶」がテーマの映画を見てきました。 「あの歌を憶えている」という題名の映画です。 若年性認知症の男性とPTSDに苦しむ女性との恋愛物語でしょうか。 記憶を失っていくことで苦しむ男性と、幼い頃の性的虐待の記憶に苦しむ女性 その対比を描いたとも言えます。 記憶って、生きていく上でとても大切なものですが、 その記憶の消失は言いようのない不安や焦燥感が襲ってきます。 一方その記憶がその人の人生(生涯)に多大なる影響を与える苦しみとしても存在します。 そんな二つの「記憶の交差」がこの映画かもしれません。 結局はお互いがその苦しみを共有し、支えあうことで生きていこうとするのですね。 どのような「記憶」の状況であろうと、その人の心にそっと寄り添い支えていくこと。 その大切さを感じさせてくれた映画でした。 それにしても邦題の「あの歌を憶えている」っていうのはダメだな。 センスが全然ありません。 ただ挿入曲の「青い影」は、オールドエイジの人間にとっては 感傷に浸れる名曲ですね。    
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2025.02.05

心の荷物預かり所
第9回シンポジウム開催されました!(その1信友先生の講演) 2月1日(土)英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会  第9回シンポジウムが開催されました。 (場所:アーバンチャイルドこども園) 200名近くの方で、ホールは満員となりました。 10年前にネットワーク委員会を立ち上げられた理事長の挨拶から始まりました。   第一部は、映画「ぼけますからよろしくお願いします」の映画監督信友直子さんの特別講演でした。 信友様は、東京のテレビ局でドキュメンタリー作品の制作を数多く手掛けられた方なのですが、 お母様が認知症になられ、95歳のお父様が老々介護されるという状況の中、 家族でしか撮れないものという思いもあり、映画製作に至った経緯があります。 今回の講演では、映画の一場面を見てもらいながら、 認知症になられたお母様や介護者の心境を語られました。 その中で、母としての存在感をいかに大切にするのか そして混乱の中にある認知症の人の思いをどう受け止めていくのか 映像付きだったため、なおわかりやすかったのではないでしょうか。 お話しの後半では、なんと104歳になられたお父様の現状についてのお話もありました。 映画の影響もあり、今やお父様は街の人気者だそうです。 家族は抱え込まず、介護のサービスや地域の人達など 様々な人に頼ってもいいのだという話が印象的でした。 もう少しお話を深めたかったこともあるのですが、時間が足りず残念でした。 信友様には、シンポジウム後、遅くまで書籍の販売と共に サイン会にも応じていただき、素敵なサイン本をいただくことが出来ました。 シンポジウムは信友さまの後、 第二部へと続きました。      
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2025.01.09

心の荷物預かり所
太平洋フェリーと介護施設(その2) 前回の続きです。 飛行機なら2~3時間で大阪から北海道に行けるところ 太平洋フェリーだとほぼ2日間かけていくことになります。 (敦賀、舞鶴からの、小樽、苫小牧行き新日本海フェリーはもう少し早いですが、 それでも飛行機との差は圧倒的です) なのに、大阪からでも太平洋フェリーに乗る人がそれなりにいるのです。 それは、2泊する船旅に、何らかの価値を見出してのことでしょう。 それではこの「船旅」をベースにケアの世界について考えてみたいと思います。 船旅ならば、必ず目的地に着けば、その限られた空間での生活から解放されますが、 施設入居となるとそうはいきません。 私たちは旅行として船旅を楽しみますが、施設入所はその限られた空間の中で、 長い間過ごさなければならない、生活しなければならない、ある意味人生ラストの場ともなるわけです。 さらにそのために、人の助けを借りなければならないという状況にあるということなのです。 船旅をする場合、そこになんらかの価値を見いだしているように、 例え旅でなくても、施設入所にも価値を見出せるものでなければならないのです。 (ある意味、自宅に帰ることのない永遠の旅立ちの前段階とも言えます)   私たちは、電車に乗るにしても、車を運転するにしても、何かを買うにしても、 どこかに泊まるにしても、そして太平洋フェリーを利用するについても、 何らかの価値を見出して利用したり活用したりします。 同様に入所施設の選択も、その施設に対しての何らかの価値を求めての入所となるでしょう。 しかしそこにはもしかしたら、介護者の「やむおえぬ価値」というものがあるかもしれませんし、 入居者からすれば、「妥協の末の価値」かもしれません。 もしその施設に価値を見出すことができなければ、無価値な施設として判断され、 別の施設を探すということになるかもしれませんが、それは容易なことではありません。 そのため「妥協の末の価値」として存在することになるのです。 つまり「介護施設」は、家族からも利用者からも真に価値あるものとして存在しなければ、 介護現場そのものの存在価値は低いままになってしまうのです。 「やむ終えぬ、妥協の末の価値」は、ほぼ無価値に近いものだからです。 (つづく)  
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2024.12.24

心の荷物預かり所
クリスマスイブのショートショートストーリー 支給品の安物のダウンジャケットからは寒さがしんしんと身体に伝わってくる 朝付けたカイロもすでに冷たくなっていた。 今夜はクリスマスイブ。 高齢の男は先端が赤い誘導灯を廻しながら、 チキンを買いに来る大勢の人と車を整理する。 時には、「おっさん、ちゃんと誘導せんかい! 俺が先やろ!」と 若い男に怒鳴られ、同行の女性に睨まれる。 感謝ひとつ言われず、ひたすら一番忙しい夜を過ごす。 吐く息も白い、雪がちらほら降る深夜 店の看板の明かりが消されるとともに、男の長い一日の仕事も終わる。 すると、店の女の子が帰り際に、声を掛けた。 「おっちゃん、ありがとう。はい、お裾分け。」 そう言って小さな箱を渡すと、そそくさと帰っていく。 今日初めて言われた「ありがとう」の言葉。   男は一人で暮らす冷え切った部屋に帰る。 部屋の中でも息が白い。空腹を通り過ぎた空腹。 男はこたつに足を突っ込むと、女の子からもらった小さな箱を開ける。 余りものの形の崩れたチキンが一つ入っている。 男はそれを電子レンジに入れた温めた。 檸檬堂の缶の蓋を開け、 机の上に置いた小さなチキンに向かって手を合わせた。 「ありがとうございます。」 男が吐く白い息と、チキンから出る湯気が交差した。   クリスマスイブ。働く多くの人たちに感謝の夜
ブログ投稿画像 相変わらずブログをさぼり気味で申し訳ないです。 さて、15日に認知症の人を介護されている家族の会 「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回はなんと、男性5名女性1名という、男性介護者主体の集いとなりました。 このようなことも珍しいですね。 妻の認知症の進行に悩む夫がお二人 同様に父の進行に悩む息子さん 母の認知症を見つめる息子さん 若年性認知症の人をケアするご家族… 様々な立場で、各々心のうちを話されていました。 久しぶりに母と散歩や外食を楽しんだという娘さんは その喜びを熱く語っておられました。 男性の介護者としての悩みを、それぞれ皆さんから話されましたが、 思わず怒りが立ち込めたとき、どうしたらいいかという話になりました。 ある参加者は、「ぼけますからよろしくお願いします」の映画をフルバージョンで見られ あれだけ一生懸命介護されている夫でも、怒りを爆発させたシーンを見て、 ほっとしたと語っておられました。 爆発したい気持ちを必死になって押さえる日々のつらさ 認知症の本人のことを思い、良き介護者でなければならないということへのプレッシャー それが、映画を見て、良き介護者であっても、 「怒りをぶちまけたい時があるよね、」と思うと、ほっとしたとのこと。 毎日様々な思いの中で過ごしておられることがひしひしと伝わってきます。 また若年性認知症の人の介護者の方は、 デイサービスで元気に過ごされている様子を聞いて、 涙を流されておられました。 色々と思うこと一杯なのですね。 と、男性5名の家族会。ちょこっと異色? いやいや 男性介護者にも、それなりの悩みがあるのです。 やはり、家族の会は、介護家族に対するセキュアベース(心の安全基地)なのですね。        
ブログ投稿画像 まったくもってブログをさぼっております。 他に行うことが多々あり、ブログが置き去りになっていました。 というか、ブログも「熱意」が湧かないとなかなか書けないものです。 最近はブログに対する熱意が薄くなっている「時期」かもしれません。 そのうちまた色々と書き始める時が来ると思いますので。 さて、「記憶」がテーマの映画を見てきました。 「あの歌を憶えている」という題名の映画です。 若年性認知症の男性とPTSDに苦しむ女性との恋愛物語でしょうか。 記憶を失っていくことで苦しむ男性と、幼い頃の性的虐待の記憶に苦しむ女性 その対比を描いたとも言えます。 記憶って、生きていく上でとても大切なものですが、 その記憶の消失は言いようのない不安や焦燥感が襲ってきます。 一方その記憶がその人の人生(生涯)に多大なる影響を与える苦しみとしても存在します。 そんな二つの「記憶の交差」がこの映画かもしれません。 結局はお互いがその苦しみを共有し、支えあうことで生きていこうとするのですね。 どのような「記憶」の状況であろうと、その人の心にそっと寄り添い支えていくこと。 その大切さを感じさせてくれた映画でした。 それにしても邦題の「あの歌を憶えている」っていうのはダメだな。 センスが全然ありません。 ただ挿入曲の「青い影」は、オールドエイジの人間にとっては 感傷に浸れる名曲ですね。    
ブログ投稿画像 2月1日(土)英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会  第9回シンポジウムが開催されました。 (場所:アーバンチャイルドこども園) 200名近くの方で、ホールは満員となりました。 [caption id="attachment_6030" align="alignnone" width="1024"] 10年前にネットワーク委員会を立ち上げられた理事長の挨拶から始まりました。[/caption]   第一部は、映画「ぼけますからよろしくお願いします」の映画監督信友直子さんの特別講演でした。 信友様は、東京のテレビ局でドキュメンタリー作品の制作を数多く手掛けられた方なのですが、 お母様が認知症になられ、95歳のお父様が老々介護されるという状況の中、 家族でしか撮れないものという思いもあり、映画製作に至った経緯があります。 今回の講演では、映画の一場面を見てもらいながら、 認知症になられたお母様や介護者の心境を語られました。 その中で、母としての存在感をいかに大切にするのか そして混乱の中にある認知症の人の思いをどう受け止めていくのか 映像付きだったため、なおわかりやすかったのではないでしょうか。 お話しの後半では、なんと104歳になられたお父様の現状についてのお話もありました。 映画の影響もあり、今やお父様は街の人気者だそうです。 家族は抱え込まず、介護のサービスや地域の人達など 様々な人に頼ってもいいのだという話が印象的でした。 もう少しお話を深めたかったこともあるのですが、時間が足りず残念でした。 信友様には、シンポジウム後、遅くまで書籍の販売と共に サイン会にも応じていただき、素敵なサイン本をいただくことが出来ました。 シンポジウムは信友さまの後、 第二部へと続きました。      
ブログ投稿画像 前回の続きです。 飛行機なら2~3時間で大阪から北海道に行けるところ 太平洋フェリーだとほぼ2日間かけていくことになります。 (敦賀、舞鶴からの、小樽、苫小牧行き新日本海フェリーはもう少し早いですが、 それでも飛行機との差は圧倒的です) なのに、大阪からでも太平洋フェリーに乗る人がそれなりにいるのです。 それは、2泊する船旅に、何らかの価値を見出してのことでしょう。 それではこの「船旅」をベースにケアの世界について考えてみたいと思います。 船旅ならば、必ず目的地に着けば、その限られた空間での生活から解放されますが、 施設入居となるとそうはいきません。 私たちは旅行として船旅を楽しみますが、施設入所はその限られた空間の中で、 長い間過ごさなければならない、生活しなければならない、ある意味人生ラストの場ともなるわけです。 さらにそのために、人の助けを借りなければならないという状況にあるということなのです。 船旅をする場合、そこになんらかの価値を見いだしているように、 例え旅でなくても、施設入所にも価値を見出せるものでなければならないのです。 (ある意味、自宅に帰ることのない永遠の旅立ちの前段階とも言えます)   私たちは、電車に乗るにしても、車を運転するにしても、何かを買うにしても、 どこかに泊まるにしても、そして太平洋フェリーを利用するについても、 何らかの価値を見出して利用したり活用したりします。 同様に入所施設の選択も、その施設に対しての何らかの価値を求めての入所となるでしょう。 しかしそこにはもしかしたら、介護者の「やむおえぬ価値」というものがあるかもしれませんし、 入居者からすれば、「妥協の末の価値」かもしれません。 もしその施設に価値を見出すことができなければ、無価値な施設として判断され、 別の施設を探すということになるかもしれませんが、それは容易なことではありません。 そのため「妥協の末の価値」として存在することになるのです。 つまり「介護施設」は、家族からも利用者からも真に価値あるものとして存在しなければ、 介護現場そのものの存在価値は低いままになってしまうのです。 「やむ終えぬ、妥協の末の価値」は、ほぼ無価値に近いものだからです。 (つづく)  
ブログ投稿画像 支給品の安物のダウンジャケットからは寒さがしんしんと身体に伝わってくる 朝付けたカイロもすでに冷たくなっていた。 今夜はクリスマスイブ。 高齢の男は先端が赤い誘導灯を廻しながら、 チキンを買いに来る大勢の人と車を整理する。 時には、「おっさん、ちゃんと誘導せんかい! 俺が先やろ!」と 若い男に怒鳴られ、同行の女性に睨まれる。 感謝ひとつ言われず、ひたすら一番忙しい夜を過ごす。 吐く息も白い、雪がちらほら降る深夜 店の看板の明かりが消されるとともに、男の長い一日の仕事も終わる。 すると、店の女の子が帰り際に、声を掛けた。 「おっちゃん、ありがとう。はい、お裾分け。」 そう言って小さな箱を渡すと、そそくさと帰っていく。 今日初めて言われた「ありがとう」の言葉。   男は一人で暮らす冷え切った部屋に帰る。 部屋の中でも息が白い。空腹を通り過ぎた空腹。 男はこたつに足を突っ込むと、女の子からもらった小さな箱を開ける。 余りものの形の崩れたチキンが一つ入っている。 男はそれを電子レンジに入れた温めた。 檸檬堂の缶の蓋を開け、 机の上に置いた小さなチキンに向かって手を合わせた。 「ありがとうございます。」 男が吐く白い息と、チキンから出る湯気が交差した。   クリスマスイブ。働く多くの人たちに感謝の夜
ブログ投稿画像 柴金山アトラス彗星を二日続けて撮影しました。 大阪からでも結構撮影できました。   願い事をするのは流れ星ですが、 一瞬に過ぎ去ってしまうので、そもそも願い事する暇もありません。 その点、彗星の場合は、一定時間見えますので 願い事しようと思ったら、一杯できると思いますよ。 [caption id="attachment_5936" align="alignnone" width="1024"] 宝塚市方面を望む まるで「君の名は」みたいな感じですね。[/caption]   認知症の人への理解が進みますように 認知症の人や介護者の気持ちが少しでも癒されますように そして世界から戦争がなくなりますように…   If I must die You must live to tell my story   If I must die Let it bring hope Let it be a tale (リフアト アライール)   この柴金山アトラス彗星が次に見えるのは、 人類が存在しているかどうかもわからない遥かな未来になります。 戦争ばかりしている人類に、未来を語ることはできないでしょう。 [caption id="attachment_5934" align="alignnone" width="1024"] 二日目の撮影 雲の中から現れました[/caption]   でも一遍の詩が、未来を語ることに繋がるかもしれません。 柴金山アトラス彗星は、今週中ならば、 西の夜空に見ることができます。