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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2024.02.14

心の荷物預かり所
木浪選手の心意気 朝の通勤時は色々なゲストの話をラジオで聞いています。 多様な職種の人の話を聞けるのは、知らない世界の話が一杯聞けて楽しいですね。 ラジオなので想像力をも働かせます。 今朝は、阪神タイガースの木浪選手のインタビューでした。 まぁ野球という、比較的皆さんが知っている世界の話ですが、 おもしろかったのは、8番バッターとしての木浪選手の心意気でした。 8番バッターというのは、野球の世界では、 レギュラー選手でも一番期待されていない打順の選手というイメージがあります。 しかし昨年の阪神タイガースで、最恐の8番バッターとして、 その存在の大きさを示した選手でした。 最強ではなく、最も恐れられる8番バッターとして君臨したのです。 その木浪選手、今年も8番バッターを希望したそうです。 普通なら昨年の活躍から、もっと早い打順も希望できるのにかかわらず。 木浪選手自体も最初は「8番バッターかぁ…」という残念な気持ちは当初あったそうです。 しかし8番バッターが何かと頑張る中で、得点や勝利に繋がっているということが見えてきて、 8番バッターの大切さがわかってきたとのことでした。 今は、「8番バッターのイメージを変えたい。8番バッターの存在感を示したい」と、 進んで希望しているとのこと。 さらに数値目標は?と聞かれたことに対して、 「日々の努力があれば、結果として数字がついてくるので、数値を目標にしているわけではない」とのこと。 まさしくその通りで、数字を気にしすぎると、その数字に縛られ、 毎日をプレッシャーの中で過ごすことになりかねないのです。 「8番バッターのこれまでのイメージを変えたい」 かっこいいですね! 決して3番や4番の選手のような主役ではないけれど、 このような8番バッターがいるからこそ、チームは強くなると、言えます。 誰もが4番バッターになるわけではないし、4番バッターだけで勝てるものではない。 でも誰かが8番バッターを頑張ることで、最強のチームとなる。 ケアの現場も同じかもですね。 リーダーだけが頑張っても強いチームにはなれないのです。  
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2024.01.26

心の荷物預かり所
知れば知るほど自分の無知を知る 人が知っていることは、広い世界からすればほんの一握りかもしれません。 私も認知症ケアのことをよく知っていると言っても、わからないことの方が山ほどあります。 先日も、前頭側頭型認知症の方とその家族の支援で壁にぶち当たってしまいました。 では、わからなければどうするか? わからないまま、わからないから仕方がないとあきらめるのか、 わからないなら、わかるために探究心を働かせ、勉強するのか? もしかしたら、忙しいし、余計なことはしたくないし、わからないことはわからないし、 それでいいじゃんという意見もあるかもしれません。 どの道を選ぶかはその人次第ですが。 わかろうとするための動機付けは、 やはり本人や家族のつらさを感じ取るということでしょうか。 つらさを感じ取れば、わからないまま放置して時を過ごすことが、 自分で自分をつまらない人間として決めてしまうことなのだと思うでしょう。 わからなければわかろうとする。 そうすると、知らなかったことを知ることになります。 「え? そんなことも知らなかったんだ! 」と、 知れば知るほど自分の無知を知ることになるのです。 この言葉には続きがあります。 「知れば知るほど自分の無知を知る。そして人として深まる。」 つまり探究心を働かせ、知らなかったことを知るうちに、 人としても成長するということなのですね。 最初はわからなくて当たり前。要はそのわからないをどうするか、ですね。 先日脳科学者の恩蔵先生の話を聴いてきたのですが、(その内容については後日に) 人の脳の奥深さ、可能性を感じさせる話でした。 私たちは、認知症があると、できないやれない理解しないことが一杯の人と捉えてしまいますが、 実はできることやれること理解していることが一杯あるのに、 そこにとんと目をやっていないということなのですね。 もしかしたら、「できないやれない理解しない人」と定義づけておいた方が、 ケア側は楽なのかもしれません。 「世界が広がる!」 そいう感動を得るためには、探究心が必要です。  
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2024.01.18

心の荷物預かり所
1.17希望の灯 防災とボランティアの日 阪神・淡路大震災から29年、慰霊碑のある東遊園地には、 震災を知らない若い人たちが多かったとのこと。 語り継ぎ、繋がっていくことが継続されているのだと、少し安心感も。 私は一足先に東遊園地の「希望の灯り」に行かせてもらいました。 当時は震災に対する救援体制など確立されておらず、 さらに被災地ボランティアが始まったのも、この阪神・淡路大震災からと言えます。 そのため、1月17日が「防災とボランティアの日」になったのも、ここから始まったと言えるからですね。 このような状況の中、前回にも書いたように大阪府社協は、 介護施設への応援派遣、避難所への派遣、そして避難者の施設での受け入れという、 三段構えで救援活動に入ったのですが、 その模索的対応は、厚労省の官僚には嫌味を言われたのですが、 今では下記の記事にもあるように、体制作りが確立されているのですね。 介護施設で働く職員も被災しているので、激務の中、倒れるケア職員もおり、 このように介護施設へのサポートも大切なのです。 私の場合、今でいうDWATの役割を担っていたと言えますね。 避難所で一番聞いた訴えが「認知症の人への対応」でした。 確かにただでさえ混乱と不安の中におられる認知症の人にとっては、 避難所での生活は混乱の極みを迎えると言えるでしょう。 能登半島の被災地域に、一日も早く希望の灯りがともることを願います。 さて、下記は5年前に書いた文章ですね。その記憶は今もなお鮮烈に残っています。 TVドラマ「BRIDGE」を見ました。 ドラマ前半、主人公が神戸から大阪へ橋を渡ろうとしたとき、 目の前の大阪がネオン輝く普通の姿で、振り向けば神戸は真っ暗で、 その対比に愕然とするシーンがあります。 実は、私も同じような体験をしました。 救援活動を終えて、大阪へ帰るその橋を渡った時に… ドラマでも時々出てくる「よそ者に何がわかる」そんな視線を受けながら、 所詮よそ者に何ができるのかと苦悩しながらがれきの街を走り回った日々… 野寄公園の雨に打たれる小さなテントの中、 救援の医師からなんとか入院を説得してくれと頼まれ、小さなテントの中に親子を尋ねました。 母親は高齢で寝たきり、状態が悪化していたのです。 しかし何もかも失い息子とだけは離れたくないと、その母親は入院をかたくなに拒否され、 どうすることもできなかった無力な私でした。 本山第二、三小学校の避難所でもあまりにも数多くの難題課題に困惑するだけの自分がいました。 認知症の方への対応が大変という訴えも多くありました。 家の下敷きになり、助けられぬうちに炎に飲み込まれた数多くの方。 残された家族との対面は悲痛極まりなかったのです。 ルミナリエの準備が出来ていました   多くの哀しい出来事と人の温かさを感じる中、 怒りと悔しさともどかしさと哀しさと不甲斐なさを一杯抱えたまま、 活動を終えて大阪に帰って来て、その光輝くネオンを見た途端から ずっと泣きっぱなしだったのです。それも号泣でした。 もう随分前の話。 されど今も、そしてこれからも、人々の哀しみ、苦しみ、 そしてあたたかさは伝えていかなければならないと思います。  合掌   震災で亡くなられた方々のお名前が刻まれています
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2024.01.04

心の荷物預かり所
誰も行ったことのないところへ おめでとうございますとは言いにくい、新年の幕開けとなりました。 今年一年いったいどうなるのかという不安が出てきますね。 まずは、今年もよろしくお願いします。 焼け野原になった街を見ると神戸長田を思い出してしまいます。 崩れ落ちた家々を見ると、救助活動に入った時のことも思い出してしまいます。 そこへ羽田での衝突事故の報道。 年始早々の動揺に、思わず収まっていた不整脈が表出しました。 これら報道番組をずっと見ていると、「共感疲労」を起こすそうです。 まして、阪神・東北で実体験した人には、トラウマともなり、 そのつらさがわかっているだけに、余計に心苦しくなってしまうこともあるでしょう。 報道から一定の距離を開けることも必要だそうです。 世界に目を向けると、新年になろうと関係なく戦争で多くの人の命が失われる現実が続いています。 でも私たちが求めているのは、殺し合いでもいがみ合いでも憎しみあうことでも偏見でもありません。 戦争で憎しみあうくらいなら、冒険に出る。その冒険で困難なことが待ち受けていても 人々は助け合って前へ進もうとする。なのですね。 今年のトヨタ自動車、会長の豊田章男氏の演説が印象的でした。 トヨタ自動車そのものを応援するものでもないのですが、 ケアの現場でも持たなければいけない言葉だと思います。 特に私が好きな「スタートレック」の言葉を、今年はこれで行く!と言われたことには 思わず微笑んでしまいましたが。 「会社として利益追求は当然のことだが、それが一番大切なことではない。 みんなが、その能力と、想像力と情熱がなければ、利益にはつながらない。」 「勇敢に行く。誰も行ったことのないところへ!」(スタートレックの言葉です) 「自分自身を成長させ、視野を広げていくことに挑戦しましょう!お互い支えあっていきましょう!」 トヨタ社員に送られた言葉ですが、これらの言葉は、ケアの現場で働く職員にも言えることでしょう。 つらい年明けにはなりましたが、心暗くしてふさぎ込むのではなく、 しっかりと前を向いてチャレンジすることを忘れてはならないと、言えるでしょう。 豊田会長の年頭の挨拶です https://www.youtube.com/watch?v=SFf35jSRBl0&t=170s  
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2023.12.25

心の荷物預かり所
家族会「ほっこりなつどい」開催されました 毎月実施している家族会ですが、 今回は認知症の人を介護されている家族の方が中心の家族会を実施しました。 6名の方が参加されたのですが、 介護者の方の立場は、妻、夫、娘、嫁と、様々な立場の人がおられ、 さらに認知症の当事者の方も、 アルツハイマー型認知病、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症と、様々な症状の方でした。 単に認知症と言っても、このように様々な症状の認知症があり、 そして認知症状の出方も変わってきます。 また、介護者の立場の違いにより、その介護の状況も変わってきます。 このように単に介護者と言っても、立場の違いでの悩み、 さらに当事者の認知症の症状によっても違ってくるのです。 ところがこの立場の違いがあっても、 家族間の話では、その苦労を受け止め、励ますシーンが何度もありました。 状況が違ったとしても、介護での苦労は同じなのです。 また、初参加の方は、 「来てどうするのかと思ったけど、胸の内を話せてよかった」と言われていました。 介護者が倒れたら、一番影響を受けるのは当事者の方です。 そして介護されている方にもそれぞれの人生があり、 その自分の人生の時間を楽しめる時間があっても、当然いいのです。 本人のこともさることながら、介護者自身も心が落ち着けるために、 デイサービスやショートステイのサービスがあります。 そして今回のような「家族会」があって、心に抱えた荷物を下ろすとともに、 また前へ進んでいけるエネルギーをもらうこと。 そんな「セキュアベース」(心の安全基地)としての家族会であったと言えるでしょう。 メリークリスマス! 良い年末をお過ごしください!   次回は1月27日を予定しています。
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2023.12.18

心の荷物預かり所
寿命を分けるもの 近い将来的に4人に1人が認知症になる可能性があると言われています。 認知症の進行を止めると言われているお薬が出たと言っても、 まだまだその効果は限定的なようです。 一方、長寿の方も増えてきています。 しかし、私の周辺では、私よりはるかに若い人の死が続いています。 先週の土曜日、研修先の職員から、 共に研修を行っていたN君が亡くなったと聞かされました。 昨年、同じく共に研修を行っていたM君が亡くなったばかりなのに。 二人ともまだ40歳代です。 N君は不器用だけど一生懸命な男でした。 施設での認知症の人の尊厳を維持するために、頑張っていた男でした。 M君に続き、また一人、戦友をなくしたような喪失感があります。 寿命を分けるものっていったい何だろうとも思います。 多くの因子が絡み合ってのことなのでしょうが、 実際のところ、いつどこで何があるのかわからないのが人生で それを自分事として「捉えたくない」のも私たちかもしれません。 それにしても、まだまだこれからという時に、あまりにも早い後輩の死 認知症ケアの改善に向けての、立て続く実践者の死は大いなる痛手です。 昨年は地域包括支援センターで共に働いていた同僚も亡くなり、 次から次へと後輩が去っていきます。 人生いつどこで何が起きるかわかりません。 自分がやりたいことは 後回しにしないこと だと思います。 もしかしたら、認知症の予防ばかり考えるより、 自分がやりたいことに力を注ぐこと。 そうすれば、例え認知症になったとしても、 その力を注いでいることが その後も前向きに生きていくことに繋がるかもしれません。
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2023.11.06

心の荷物預かり所
選手ウォッチングが楽しかった日本シリーズ 日本シリーズ、「阪神タイガース優勝おめでとうございます!」 前回の日本一が32年前ですから、知らない人も多いのではないでしょうか。 私は前回の優勝、見てましたよ。掛布、岡田、バース! 素晴らしかったですね。 それにしても32年って、凄い年月です。 さて、元阪急ブレーブスのファンだった私は、阪神タイガースのファンでもありました。 その昔、阪急対阪神の西宮市内日本シリーズを期待していたのですが、 当時は阪神が弱すぎて願いかなわずでした。 その阪急の流れをくむオリックスとの対戦は、両方とも好きなチームだけに どっちも応援、なのですが、選手一人一人のウォッチングが楽しかったです。 その中で一番強く印象に残ったのは、宇田川投手の涙でした。 ドラフトにもかからない育成選手から拾い上げられ、 でも彼はやさしすぎるというか、心が弱いのですね。 だからいい球を持っていても芽が出ない。 そこを人材育成頑張ってWBCにも出れるくらいの選手になったのですね。 それだけに打たれて、純粋すぎる心が崩れてしまったのでしょう。 彼を慰める選手たちの姿が印象的でした。 オリックスはこのように育成上がりの選手が多いのです。 選手を育てるのが上手なのでしょう。 一方、阪神はドラフト1位の選手がそのまま活躍しています。 ドラフト1位でも芽が出ない選手が多い中、 その才能をしっかりと引き出している球団とも言えます。 そういう意味で、選手一人一人のドラマが実に面白かったし、 人材育成としても見て楽しい二チームでした。 因みに初戦の山本投手と村上投手。 日本一の投手としての気負いが見て取れ、余裕がなかった山本由伸。 一方、無心に楽しく投げた村上投手の差が出ましたね。 逆に第6戦は、村上選手に無心に楽しむ思いが消え、 気負いが本来の投球を邪魔した感じです。 一方山本投手は、本来の実力を後半ほどしっかり出せたと言えるでしょう。 日本で見れるこれが最後の姿!を熱く見せてくれました。 隠れた才能を伸ばす、才能をさらに引っ張り出す、 本来の実力を出せるか出せないか、精神的なものが微妙に影響することなど試合を楽しむというより、 ひとり一人の選手を見ていく。 人材育成においても、人間観察力を磨くうえでも楽しい日本シリーズでした。 そして浪花節的かもしれませんが、これまで功労のあった湯浅、青柳、 そして中継ぎの功労者桐敷を出すところなど、 私の歳に近い岡田監督の采配の粋なところを感じました。 阪神タイガース優勝おめでとうございます! オリックスも素晴らしかった!
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2023.10.23

心の荷物預かり所
雨が降った後に出逢えるかもしれないすてきなもの 9月のことになりますが、北アルプス薬師岳に登ってきました。 その稜線上にある山小屋「太郎平小屋」までは、 登山口から5時間登って着くことができます。 テレビで小屋のオーナーの五十嶋さんがご健在ということを知って、 老体に鞭をうって登ってきました。 遠く稜線上に太郎平小屋の屋根が見えてきます   今から35年前、当時私はガンガン山に登っていた時でしたが、 私の後輩が、山をなめた登山をして遭難、 太郎平小屋にえらい迷惑をかけたと聞き、それは謝りに行かなければならないと、 彼を連れて訪れた小屋だったのです。 その時に五十嶋オーナーと撮った写真を持参して登ったのです。 35年前の五十嶋オーナーと私。五十嶋さん、ちょっと恐そうな?山男です。   五十嶋オーナーは今年84歳。 今もなお、5時間の山道を登り、小屋に常駐し、 若いスタッフたちに采配を振るっておられました。 その五十嶋氏と35年ぶりの対面でした。 「どや、男前やろ」と若いスタッフにその写真を見せて喜ぶ五十嶋氏。 めっちゃ喜んでくれました。 そしてあらためて、35年ぶりにまたツーショットで写真を撮らせていただきました。 とても温厚な表情ですが、登山者の安全を守るため、厳しい側面も持っておられます。 35年経って五十嶋オーナーやさしい表情に。   最近は、私と同世代や年下の人の認知症の人の相談が増えてきました。 認知症は、高齢者だけでなく、もっと若い人にも襲ってきます。 認知症にはなりたくないと思っていても、いつしか忍び寄ってくる認知症。 ご本人や介護家族の思いを聴く中で 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」 だとしみじみと思います。 五十嶋オーナーは84歳でも、なお元気に厳しい環境下の山小屋で頑張っておられます。 最近は100歳の女性の方のスカイダイビングをする姿も見ました。 写真家?西本さんも91歳でもなおパソコンを駆使してユニークな写真を撮っています。 今年新装なった山頂の祠。きんぴかに光る薬師如来像が置かれています。   片や、谷村新司さん、もんたよしのりさんなど、親しんだ歌手が70代前半の「若さ」で、 そして私自身も後輩の死に接することが多くなりました。 人生はいつどうなるのかわかりません。 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」ですね。 まだまだこれから、学びたいことも一杯あります。 遠く、富山湾が見えます。   五十嶋オーナーの、「でっかい虹が出てるよ」との声に外へ出てみました。 その太郎平小屋から見た虹 架け橋ではなかったけど、でっかく太い虹でした。 心に雨が降ったとしても、 いや、雨が降ったからこそ 出逢えるかもしれない虹 心に雨が降っても、 そのあとには心潤う出逢いがあるかもしれませんね。 ヘレン・ケラーの言葉です
ブログ投稿画像 朝の通勤時は色々なゲストの話をラジオで聞いています。 多様な職種の人の話を聞けるのは、知らない世界の話が一杯聞けて楽しいですね。 ラジオなので想像力をも働かせます。 今朝は、阪神タイガースの木浪選手のインタビューでした。 まぁ野球という、比較的皆さんが知っている世界の話ですが、 おもしろかったのは、8番バッターとしての木浪選手の心意気でした。 8番バッターというのは、野球の世界では、 レギュラー選手でも一番期待されていない打順の選手というイメージがあります。 しかし昨年の阪神タイガースで、最恐の8番バッターとして、 その存在の大きさを示した選手でした。 最強ではなく、最も恐れられる8番バッターとして君臨したのです。 その木浪選手、今年も8番バッターを希望したそうです。 普通なら昨年の活躍から、もっと早い打順も希望できるのにかかわらず。 木浪選手自体も最初は「8番バッターかぁ…」という残念な気持ちは当初あったそうです。 しかし8番バッターが何かと頑張る中で、得点や勝利に繋がっているということが見えてきて、 8番バッターの大切さがわかってきたとのことでした。 今は、「8番バッターのイメージを変えたい。8番バッターの存在感を示したい」と、 進んで希望しているとのこと。 さらに数値目標は?と聞かれたことに対して、 「日々の努力があれば、結果として数字がついてくるので、数値を目標にしているわけではない」とのこと。 まさしくその通りで、数字を気にしすぎると、その数字に縛られ、 毎日をプレッシャーの中で過ごすことになりかねないのです。 「8番バッターのこれまでのイメージを変えたい」 かっこいいですね! 決して3番や4番の選手のような主役ではないけれど、 このような8番バッターがいるからこそ、チームは強くなると、言えます。 誰もが4番バッターになるわけではないし、4番バッターだけで勝てるものではない。 でも誰かが8番バッターを頑張ることで、最強のチームとなる。 ケアの現場も同じかもですね。 リーダーだけが頑張っても強いチームにはなれないのです。  
ブログ投稿画像 人が知っていることは、広い世界からすればほんの一握りかもしれません。 私も認知症ケアのことをよく知っていると言っても、わからないことの方が山ほどあります。 先日も、前頭側頭型認知症の方とその家族の支援で壁にぶち当たってしまいました。 では、わからなければどうするか? わからないまま、わからないから仕方がないとあきらめるのか、 わからないなら、わかるために探究心を働かせ、勉強するのか? もしかしたら、忙しいし、余計なことはしたくないし、わからないことはわからないし、 それでいいじゃんという意見もあるかもしれません。 どの道を選ぶかはその人次第ですが。 わかろうとするための動機付けは、 やはり本人や家族のつらさを感じ取るということでしょうか。 つらさを感じ取れば、わからないまま放置して時を過ごすことが、 自分で自分をつまらない人間として決めてしまうことなのだと思うでしょう。 わからなければわかろうとする。 そうすると、知らなかったことを知ることになります。 「え? そんなことも知らなかったんだ! 」と、 知れば知るほど自分の無知を知ることになるのです。 この言葉には続きがあります。 「知れば知るほど自分の無知を知る。そして人として深まる。」 つまり探究心を働かせ、知らなかったことを知るうちに、 人としても成長するということなのですね。 最初はわからなくて当たり前。要はそのわからないをどうするか、ですね。 先日脳科学者の恩蔵先生の話を聴いてきたのですが、(その内容については後日に) 人の脳の奥深さ、可能性を感じさせる話でした。 私たちは、認知症があると、できないやれない理解しないことが一杯の人と捉えてしまいますが、 実はできることやれること理解していることが一杯あるのに、 そこにとんと目をやっていないということなのですね。 もしかしたら、「できないやれない理解しない人」と定義づけておいた方が、 ケア側は楽なのかもしれません。 「世界が広がる!」 そいう感動を得るためには、探究心が必要です。  
ブログ投稿画像 阪神・淡路大震災から29年、慰霊碑のある東遊園地には、 震災を知らない若い人たちが多かったとのこと。 語り継ぎ、繋がっていくことが継続されているのだと、少し安心感も。 私は一足先に東遊園地の「希望の灯り」に行かせてもらいました。 当時は震災に対する救援体制など確立されておらず、 さらに被災地ボランティアが始まったのも、この阪神・淡路大震災からと言えます。 そのため、1月17日が「防災とボランティアの日」になったのも、ここから始まったと言えるからですね。 このような状況の中、前回にも書いたように大阪府社協は、 介護施設への応援派遣、避難所への派遣、そして避難者の施設での受け入れという、 三段構えで救援活動に入ったのですが、 その模索的対応は、厚労省の官僚には嫌味を言われたのですが、 今では下記の記事にもあるように、体制作りが確立されているのですね。 介護施設で働く職員も被災しているので、激務の中、倒れるケア職員もおり、 このように介護施設へのサポートも大切なのです。 私の場合、今でいうDWATの役割を担っていたと言えますね。 避難所で一番聞いた訴えが「認知症の人への対応」でした。 確かにただでさえ混乱と不安の中におられる認知症の人にとっては、 避難所での生活は混乱の極みを迎えると言えるでしょう。 能登半島の被災地域に、一日も早く希望の灯りがともることを願います。 さて、下記は5年前に書いた文章ですね。その記憶は今もなお鮮烈に残っています。 TVドラマ「BRIDGE」を見ました。 ドラマ前半、主人公が神戸から大阪へ橋を渡ろうとしたとき、 目の前の大阪がネオン輝く普通の姿で、振り向けば神戸は真っ暗で、 その対比に愕然とするシーンがあります。 実は、私も同じような体験をしました。 救援活動を終えて、大阪へ帰るその橋を渡った時に… ドラマでも時々出てくる「よそ者に何がわかる」そんな視線を受けながら、 所詮よそ者に何ができるのかと苦悩しながらがれきの街を走り回った日々… 野寄公園の雨に打たれる小さなテントの中、 救援の医師からなんとか入院を説得してくれと頼まれ、小さなテントの中に親子を尋ねました。 母親は高齢で寝たきり、状態が悪化していたのです。 しかし何もかも失い息子とだけは離れたくないと、その母親は入院をかたくなに拒否され、 どうすることもできなかった無力な私でした。 本山第二、三小学校の避難所でもあまりにも数多くの難題課題に困惑するだけの自分がいました。 認知症の方への対応が大変という訴えも多くありました。 家の下敷きになり、助けられぬうちに炎に飲み込まれた数多くの方。 残された家族との対面は悲痛極まりなかったのです。 [caption id="attachment_5343" align="alignnone" width="1926"] ルミナリエの準備が出来ていました[/caption]   多くの哀しい出来事と人の温かさを感じる中、 怒りと悔しさともどかしさと哀しさと不甲斐なさを一杯抱えたまま、 活動を終えて大阪に帰って来て、その光輝くネオンを見た途端から ずっと泣きっぱなしだったのです。それも号泣でした。 もう随分前の話。 されど今も、そしてこれからも、人々の哀しみ、苦しみ、 そしてあたたかさは伝えていかなければならないと思います。  合掌   [caption id="attachment_1279" align="alignnone" width="650"] 震災で亡くなられた方々のお名前が刻まれています[/caption]
ブログ投稿画像 おめでとうございますとは言いにくい、新年の幕開けとなりました。 今年一年いったいどうなるのかという不安が出てきますね。 まずは、今年もよろしくお願いします。 焼け野原になった街を見ると神戸長田を思い出してしまいます。 崩れ落ちた家々を見ると、救助活動に入った時のことも思い出してしまいます。 そこへ羽田での衝突事故の報道。 年始早々の動揺に、思わず収まっていた不整脈が表出しました。 これら報道番組をずっと見ていると、「共感疲労」を起こすそうです。 まして、阪神・東北で実体験した人には、トラウマともなり、 そのつらさがわかっているだけに、余計に心苦しくなってしまうこともあるでしょう。 報道から一定の距離を開けることも必要だそうです。 世界に目を向けると、新年になろうと関係なく戦争で多くの人の命が失われる現実が続いています。 でも私たちが求めているのは、殺し合いでもいがみ合いでも憎しみあうことでも偏見でもありません。 戦争で憎しみあうくらいなら、冒険に出る。その冒険で困難なことが待ち受けていても 人々は助け合って前へ進もうとする。なのですね。 今年のトヨタ自動車、会長の豊田章男氏の演説が印象的でした。 トヨタ自動車そのものを応援するものでもないのですが、 ケアの現場でも持たなければいけない言葉だと思います。 特に私が好きな「スタートレック」の言葉を、今年はこれで行く!と言われたことには 思わず微笑んでしまいましたが。 「会社として利益追求は当然のことだが、それが一番大切なことではない。 みんなが、その能力と、想像力と情熱がなければ、利益にはつながらない。」 「勇敢に行く。誰も行ったことのないところへ!」(スタートレックの言葉です) 「自分自身を成長させ、視野を広げていくことに挑戦しましょう!お互い支えあっていきましょう!」 トヨタ社員に送られた言葉ですが、これらの言葉は、ケアの現場で働く職員にも言えることでしょう。 つらい年明けにはなりましたが、心暗くしてふさぎ込むのではなく、 しっかりと前を向いてチャレンジすることを忘れてはならないと、言えるでしょう。 豊田会長の年頭の挨拶です https://www.youtube.com/watch?v=SFf35jSRBl0&t=170s  
ブログ投稿画像 毎月実施している家族会ですが、 今回は認知症の人を介護されている家族の方が中心の家族会を実施しました。 6名の方が参加されたのですが、 介護者の方の立場は、妻、夫、娘、嫁と、様々な立場の人がおられ、 さらに認知症の当事者の方も、 アルツハイマー型認知病、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症と、様々な症状の方でした。 単に認知症と言っても、このように様々な症状の認知症があり、 そして認知症状の出方も変わってきます。 また、介護者の立場の違いにより、その介護の状況も変わってきます。 このように単に介護者と言っても、立場の違いでの悩み、 さらに当事者の認知症の症状によっても違ってくるのです。 ところがこの立場の違いがあっても、 家族間の話では、その苦労を受け止め、励ますシーンが何度もありました。 状況が違ったとしても、介護での苦労は同じなのです。 また、初参加の方は、 「来てどうするのかと思ったけど、胸の内を話せてよかった」と言われていました。 介護者が倒れたら、一番影響を受けるのは当事者の方です。 そして介護されている方にもそれぞれの人生があり、 その自分の人生の時間を楽しめる時間があっても、当然いいのです。 本人のこともさることながら、介護者自身も心が落ち着けるために、 デイサービスやショートステイのサービスがあります。 そして今回のような「家族会」があって、心に抱えた荷物を下ろすとともに、 また前へ進んでいけるエネルギーをもらうこと。 そんな「セキュアベース」(心の安全基地)としての家族会であったと言えるでしょう。 [caption id="attachment_5277" align="alignnone" width="1256"] メリークリスマス! 良い年末をお過ごしください![/caption]   次回は1月27日を予定しています。
ブログ投稿画像 近い将来的に4人に1人が認知症になる可能性があると言われています。 認知症の進行を止めると言われているお薬が出たと言っても、 まだまだその効果は限定的なようです。 一方、長寿の方も増えてきています。 しかし、私の周辺では、私よりはるかに若い人の死が続いています。 先週の土曜日、研修先の職員から、 共に研修を行っていたN君が亡くなったと聞かされました。 昨年、同じく共に研修を行っていたM君が亡くなったばかりなのに。 二人ともまだ40歳代です。 N君は不器用だけど一生懸命な男でした。 施設での認知症の人の尊厳を維持するために、頑張っていた男でした。 M君に続き、また一人、戦友をなくしたような喪失感があります。 寿命を分けるものっていったい何だろうとも思います。 多くの因子が絡み合ってのことなのでしょうが、 実際のところ、いつどこで何があるのかわからないのが人生で それを自分事として「捉えたくない」のも私たちかもしれません。 それにしても、まだまだこれからという時に、あまりにも早い後輩の死 認知症ケアの改善に向けての、立て続く実践者の死は大いなる痛手です。 昨年は地域包括支援センターで共に働いていた同僚も亡くなり、 次から次へと後輩が去っていきます。 人生いつどこで何が起きるかわかりません。 自分がやりたいことは 後回しにしないこと だと思います。 もしかしたら、認知症の予防ばかり考えるより、 自分がやりたいことに力を注ぐこと。 そうすれば、例え認知症になったとしても、 その力を注いでいることが その後も前向きに生きていくことに繋がるかもしれません。
ブログ投稿画像 日本シリーズ、「阪神タイガース優勝おめでとうございます!」 前回の日本一が32年前ですから、知らない人も多いのではないでしょうか。 私は前回の優勝、見てましたよ。掛布、岡田、バース! 素晴らしかったですね。 それにしても32年って、凄い年月です。 さて、元阪急ブレーブスのファンだった私は、阪神タイガースのファンでもありました。 その昔、阪急対阪神の西宮市内日本シリーズを期待していたのですが、 当時は阪神が弱すぎて願いかなわずでした。 その阪急の流れをくむオリックスとの対戦は、両方とも好きなチームだけに どっちも応援、なのですが、選手一人一人のウォッチングが楽しかったです。 その中で一番強く印象に残ったのは、宇田川投手の涙でした。 ドラフトにもかからない育成選手から拾い上げられ、 でも彼はやさしすぎるというか、心が弱いのですね。 だからいい球を持っていても芽が出ない。 そこを人材育成頑張ってWBCにも出れるくらいの選手になったのですね。 それだけに打たれて、純粋すぎる心が崩れてしまったのでしょう。 彼を慰める選手たちの姿が印象的でした。 オリックスはこのように育成上がりの選手が多いのです。 選手を育てるのが上手なのでしょう。 一方、阪神はドラフト1位の選手がそのまま活躍しています。 ドラフト1位でも芽が出ない選手が多い中、 その才能をしっかりと引き出している球団とも言えます。 そういう意味で、選手一人一人のドラマが実に面白かったし、 人材育成としても見て楽しい二チームでした。 因みに初戦の山本投手と村上投手。 日本一の投手としての気負いが見て取れ、余裕がなかった山本由伸。 一方、無心に楽しく投げた村上投手の差が出ましたね。 逆に第6戦は、村上選手に無心に楽しむ思いが消え、 気負いが本来の投球を邪魔した感じです。 一方山本投手は、本来の実力を後半ほどしっかり出せたと言えるでしょう。 日本で見れるこれが最後の姿!を熱く見せてくれました。 隠れた才能を伸ばす、才能をさらに引っ張り出す、 本来の実力を出せるか出せないか、精神的なものが微妙に影響することなど試合を楽しむというより、 ひとり一人の選手を見ていく。 人材育成においても、人間観察力を磨くうえでも楽しい日本シリーズでした。 そして浪花節的かもしれませんが、これまで功労のあった湯浅、青柳、 そして中継ぎの功労者桐敷を出すところなど、 私の歳に近い岡田監督の采配の粋なところを感じました。 阪神タイガース優勝おめでとうございます! オリックスも素晴らしかった!
ブログ投稿画像 9月のことになりますが、北アルプス薬師岳に登ってきました。 その稜線上にある山小屋「太郎平小屋」までは、 登山口から5時間登って着くことができます。 テレビで小屋のオーナーの五十嶋さんがご健在ということを知って、 老体に鞭をうって登ってきました。 [caption id="attachment_5123" align="alignnone" width="2048"] 遠く稜線上に太郎平小屋の屋根が見えてきます[/caption]   今から35年前、当時私はガンガン山に登っていた時でしたが、 私の後輩が、山をなめた登山をして遭難、 太郎平小屋にえらい迷惑をかけたと聞き、それは謝りに行かなければならないと、 彼を連れて訪れた小屋だったのです。 その時に五十嶋オーナーと撮った写真を持参して登ったのです。 [caption id="attachment_5130" align="alignnone" width="2048"] 35年前の五十嶋オーナーと私。五十嶋さん、ちょっと恐そうな?山男です。[/caption]   五十嶋オーナーは今年84歳。 今もなお、5時間の山道を登り、小屋に常駐し、 若いスタッフたちに采配を振るっておられました。 その五十嶋氏と35年ぶりの対面でした。 「どや、男前やろ」と若いスタッフにその写真を見せて喜ぶ五十嶋氏。 めっちゃ喜んでくれました。 そしてあらためて、35年ぶりにまたツーショットで写真を撮らせていただきました。 とても温厚な表情ですが、登山者の安全を守るため、厳しい側面も持っておられます。 [caption id="attachment_5129" align="alignnone" width="1897"] 35年経って五十嶋オーナーやさしい表情に。[/caption]   最近は、私と同世代や年下の人の認知症の人の相談が増えてきました。 認知症は、高齢者だけでなく、もっと若い人にも襲ってきます。 認知症にはなりたくないと思っていても、いつしか忍び寄ってくる認知症。 ご本人や介護家族の思いを聴く中で 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」 だとしみじみと思います。 五十嶋オーナーは84歳でも、なお元気に厳しい環境下の山小屋で頑張っておられます。 最近は100歳の女性の方のスカイダイビングをする姿も見ました。 写真家?西本さんも91歳でもなおパソコンを駆使してユニークな写真を撮っています。 [caption id="attachment_5040" align="alignnone" width="2048"] 今年新装なった山頂の祠。きんぴかに光る薬師如来像が置かれています。[/caption]   片や、谷村新司さん、もんたよしのりさんなど、親しんだ歌手が70代前半の「若さ」で、 そして私自身も後輩の死に接することが多くなりました。 人生はいつどうなるのかわかりません。 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」ですね。 まだまだこれから、学びたいことも一杯あります。 [caption id="attachment_5128" align="alignnone" width="2048"] 遠く、富山湾が見えます。[/caption]   五十嶋オーナーの、「でっかい虹が出てるよ」との声に外へ出てみました。 その太郎平小屋から見た虹 架け橋ではなかったけど、でっかく太い虹でした。 心に雨が降ったとしても、 いや、雨が降ったからこそ 出逢えるかもしれない虹 心に雨が降っても、 そのあとには心潤う出逢いがあるかもしれませんね。 [caption id="attachment_5126" align="alignnone" width="730"] ヘレン・ケラーの言葉です[/caption]