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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2025.08.14

心の荷物預かり所
慰霊の日々 8月は、特に前半は、なんか心が沈みます。 6日のヒロシマ 9日のナガサキ 12日の日航機墜落 そして15日の終戦の日 ずっと亡き方々の慰霊の日という感じですね。 12日の日航機事故は、その原因がいまだに謎を生んでいる事故ですが、 当時私はある法人の老人ホームに勤めていました。 この年の7月末、長野県の老人ホームで裏山が崩れ、多くの入居者が亡くなる災害がありました。 同業者でもあり、この災害のことはよく覚えています。 当時私が勤めていた法人の理事長は、全国老人施設協議会の会長であり、 たびたび東京へ出張していました。 そしていつも日航123便のあの時間の飛行機で帰って来るのでした。 8月12日もこの飛行機に乗る予定で、予約もしていたそうです。 しかし長野で起きた特養の土砂災害では20名以上の利用者が亡くなっており、 その後の対応も含めて長野の現場に行くことになり、123便の搭乗をキャンセルしたのです。 理事長はこうして事なきを得たのですが、代わりに乗った人がいたのですね。 毎年8月12日になると、このことを思い出します。 なんと表現していいのかわからない人生の運命の行方ですね。 地滑りで老人ホームが埋まるというような災害がなければ、理事長はいつものように 123便に乗っていたかもしれません。 広島、長崎も、人数ではなく、一人一人にそれぞれの人生ドラマがあったこと そのことを忘れないでいたいですね。
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2025.07.26

心の荷物預かり所
認知症の行方不明者・大阪が最多 毎年全国で1万8千人以上の認知症の人が行方不明となっています。 家族としても行方が分からなくなるのはつらいことですね。 実際には一人で複数回ということもあるでしょうから、 単純にこれだけの人が迷い人になったとは言えないでしょう。 それでも、多い人数かなと思います。 都道府県別にみると、大阪が最多で、2086人だそうです。 これまでは兵庫県がトップだったのですが、兵庫県は5番目になり、 ずっと二番目だった大阪が、最多になってしまいました。 大阪人はそれだけ活発というか、引き籠らず、アクティブに行動するという 気質があるのかもしれません。 最近はGPSの活用により、発見が早くなったとはいえ 残念ながら亡くなられて発見された人も全国で491人おられたそうです。 多くは水場や転落しそうな場所のようですが、 意外と自宅から近くで発見されているようです。 それは初動捜索の大切さを物語っているとも言えます。 もちろん、家族、警察だけでは限界があります。 やはり地域の人々の視線や気づきが必要ということでしょう。 地域で見守る、支えることの大切さを改めて感じさせる数字だと思ううのです。
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2025.07.23

心の荷物預かり所
介護者の心の安全基地 ブログを投稿する「思い」はまだ復活しませんが、 やはり、家族会のことは書いておかなければならないと思いました。 6月のことになりますが、 10名もの介護者の方が参加されました。 立場はそれぞれです。 息子、娘、嫁、妻、夫、兄弟… それぞれに、自宅での介護の大変さを訴えておられました。 その訴えの内容、本当にしんどいと思います。 しかしその家族のしんどさを支えるシステムがないのも事実です。 間接的には、要介護者が、デイサービスやショートステイを利用することによる 介護から解放される時間があるでしょう。 しかし、介護者自身の心の中の葛藤は それだけでは癒されるものではありません。 やはり心の中に溜まったものをお掃除する 掃き出す(吐き出すではありません)ことができる時間が必要となります。 毒を吐くのではなく、心の中に溜まったごちゃごちゃを掃き掃除して 心の中をクリーンアップする。 そして心の中の容量が目一杯だったところに空き領域を増やすこと。 それが出来るところが、心の安全基地(セキュアベース)となります。 個人が特定されないよう、実際の写真をイラスト化しました。   介護者にとっての心の安全基地、その一つとして家族会があるのです。 日頃のしんどさを掃き出しながら、他の介護者の話を聴く中で 時に情報交換も行いながら、目一杯だった気持ちが少しは楽になって前を向ける。 そんな時間となるのです。 単に掃き出すだけでなく、前へ向いて行けるエネルギーをもらえる場所。 それが心の安全基地、介護者の集い(家族会)と言えるのです。      
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2025.03.17

心の荷物預かり所
ほっこりなつどい開催されました(ちょっぴり涙も) 相変わらずブログをさぼり気味で申し訳ないです。 さて、15日に認知症の人を介護されている家族の会 「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回はなんと、男性5名女性1名という、男性介護者主体の集いとなりました。 このようなことも珍しいですね。 妻の認知症の進行に悩む夫がお二人 同様に父の進行に悩む息子さん 母の認知症を見つめる息子さん 若年性認知症の人をケアするご家族… 様々な立場で、各々心のうちを話されていました。 久しぶりに母と散歩や外食を楽しんだという娘さんは その喜びを熱く語っておられました。 男性の介護者としての悩みを、それぞれ皆さんから話されましたが、 思わず怒りが立ち込めたとき、どうしたらいいかという話になりました。 ある参加者は、「ぼけますからよろしくお願いします」の映画をフルバージョンで見られ あれだけ一生懸命介護されている夫でも、怒りを爆発させたシーンを見て、 ほっとしたと語っておられました。 爆発したい気持ちを必死になって押さえる日々のつらさ 認知症の本人のことを思い、良き介護者でなければならないということへのプレッシャー それが、映画を見て、良き介護者であっても、 「怒りをぶちまけたい時があるよね、」と思うと、ほっとしたとのこと。 毎日様々な思いの中で過ごしておられることがひしひしと伝わってきます。 また若年性認知症の人の介護者の方は、 デイサービスで元気に過ごされている様子を聞いて、 涙を流されておられました。 色々と思うこと一杯なのですね。 と、男性5名の家族会。ちょこっと異色? いやいや 男性介護者にも、それなりの悩みがあるのです。 やはり、家族の会は、介護家族に対するセキュアベース(心の安全基地)なのですね。        
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2025.03.04

心の荷物預かり所
「記憶」をテーマにした映画 まったくもってブログをさぼっております。 他に行うことが多々あり、ブログが置き去りになっていました。 というか、ブログも「熱意」が湧かないとなかなか書けないものです。 最近はブログに対する熱意が薄くなっている「時期」かもしれません。 そのうちまた色々と書き始める時が来ると思いますので。 さて、「記憶」がテーマの映画を見てきました。 「あの歌を憶えている」という題名の映画です。 若年性認知症の男性とPTSDに苦しむ女性との恋愛物語でしょうか。 記憶を失っていくことで苦しむ男性と、幼い頃の性的虐待の記憶に苦しむ女性 その対比を描いたとも言えます。 記憶って、生きていく上でとても大切なものですが、 その記憶の消失は言いようのない不安や焦燥感が襲ってきます。 一方その記憶がその人の人生(生涯)に多大なる影響を与える苦しみとしても存在します。 そんな二つの「記憶の交差」がこの映画かもしれません。 結局はお互いがその苦しみを共有し、支えあうことで生きていこうとするのですね。 どのような「記憶」の状況であろうと、その人の心にそっと寄り添い支えていくこと。 その大切さを感じさせてくれた映画でした。 それにしても邦題の「あの歌を憶えている」っていうのはダメだな。 センスが全然ありません。 ただ挿入曲の「青い影」は、オールドエイジの人間にとっては 感傷に浸れる名曲ですね。    
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2025.02.05

心の荷物預かり所
第9回シンポジウム開催されました!(その1信友先生の講演) 2月1日(土)英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会  第9回シンポジウムが開催されました。 (場所:アーバンチャイルドこども園) 200名近くの方で、ホールは満員となりました。 10年前にネットワーク委員会を立ち上げられた理事長の挨拶から始まりました。   第一部は、映画「ぼけますからよろしくお願いします」の映画監督信友直子さんの特別講演でした。 信友様は、東京のテレビ局でドキュメンタリー作品の制作を数多く手掛けられた方なのですが、 お母様が認知症になられ、95歳のお父様が老々介護されるという状況の中、 家族でしか撮れないものという思いもあり、映画製作に至った経緯があります。 今回の講演では、映画の一場面を見てもらいながら、 認知症になられたお母様や介護者の心境を語られました。 その中で、母としての存在感をいかに大切にするのか そして混乱の中にある認知症の人の思いをどう受け止めていくのか 映像付きだったため、なおわかりやすかったのではないでしょうか。 お話しの後半では、なんと104歳になられたお父様の現状についてのお話もありました。 映画の影響もあり、今やお父様は街の人気者だそうです。 家族は抱え込まず、介護のサービスや地域の人達など 様々な人に頼ってもいいのだという話が印象的でした。 もう少しお話を深めたかったこともあるのですが、時間が足りず残念でした。 信友様には、シンポジウム後、遅くまで書籍の販売と共に サイン会にも応じていただき、素敵なサイン本をいただくことが出来ました。 シンポジウムは信友さまの後、 第二部へと続きました。      
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2025.01.09

心の荷物預かり所
太平洋フェリーと介護施設(その2) 前回の続きです。 飛行機なら2~3時間で大阪から北海道に行けるところ 太平洋フェリーだとほぼ2日間かけていくことになります。 (敦賀、舞鶴からの、小樽、苫小牧行き新日本海フェリーはもう少し早いですが、 それでも飛行機との差は圧倒的です) なのに、大阪からでも太平洋フェリーに乗る人がそれなりにいるのです。 それは、2泊する船旅に、何らかの価値を見出してのことでしょう。 それではこの「船旅」をベースにケアの世界について考えてみたいと思います。 船旅ならば、必ず目的地に着けば、その限られた空間での生活から解放されますが、 施設入居となるとそうはいきません。 私たちは旅行として船旅を楽しみますが、施設入所はその限られた空間の中で、 長い間過ごさなければならない、生活しなければならない、ある意味人生ラストの場ともなるわけです。 さらにそのために、人の助けを借りなければならないという状況にあるということなのです。 船旅をする場合、そこになんらかの価値を見いだしているように、 例え旅でなくても、施設入所にも価値を見出せるものでなければならないのです。 (ある意味、自宅に帰ることのない永遠の旅立ちの前段階とも言えます)   私たちは、電車に乗るにしても、車を運転するにしても、何かを買うにしても、 どこかに泊まるにしても、そして太平洋フェリーを利用するについても、 何らかの価値を見出して利用したり活用したりします。 同様に入所施設の選択も、その施設に対しての何らかの価値を求めての入所となるでしょう。 しかしそこにはもしかしたら、介護者の「やむおえぬ価値」というものがあるかもしれませんし、 入居者からすれば、「妥協の末の価値」かもしれません。 もしその施設に価値を見出すことができなければ、無価値な施設として判断され、 別の施設を探すということになるかもしれませんが、それは容易なことではありません。 そのため「妥協の末の価値」として存在することになるのです。 つまり「介護施設」は、家族からも利用者からも真に価値あるものとして存在しなければ、 介護現場そのものの存在価値は低いままになってしまうのです。 「やむ終えぬ、妥協の末の価値」は、ほぼ無価値に近いものだからです。 (つづく)  
ブログ投稿画像 8月は、特に前半は、なんか心が沈みます。 6日のヒロシマ 9日のナガサキ 12日の日航機墜落 そして15日の終戦の日 ずっと亡き方々の慰霊の日という感じですね。 12日の日航機事故は、その原因がいまだに謎を生んでいる事故ですが、 当時私はある法人の老人ホームに勤めていました。 この年の7月末、長野県の老人ホームで裏山が崩れ、多くの入居者が亡くなる災害がありました。 同業者でもあり、この災害のことはよく覚えています。 当時私が勤めていた法人の理事長は、全国老人施設協議会の会長であり、 たびたび東京へ出張していました。 そしていつも日航123便のあの時間の飛行機で帰って来るのでした。 8月12日もこの飛行機に乗る予定で、予約もしていたそうです。 しかし長野で起きた特養の土砂災害では20名以上の利用者が亡くなっており、 その後の対応も含めて長野の現場に行くことになり、123便の搭乗をキャンセルしたのです。 理事長はこうして事なきを得たのですが、代わりに乗った人がいたのですね。 毎年8月12日になると、このことを思い出します。 なんと表現していいのかわからない人生の運命の行方ですね。 地滑りで老人ホームが埋まるというような災害がなければ、理事長はいつものように 123便に乗っていたかもしれません。 広島、長崎も、人数ではなく、一人一人にそれぞれの人生ドラマがあったこと そのことを忘れないでいたいですね。
ブログ投稿画像 毎年全国で1万8千人以上の認知症の人が行方不明となっています。 家族としても行方が分からなくなるのはつらいことですね。 実際には一人で複数回ということもあるでしょうから、 単純にこれだけの人が迷い人になったとは言えないでしょう。 それでも、多い人数かなと思います。 都道府県別にみると、大阪が最多で、2086人だそうです。 これまでは兵庫県がトップだったのですが、兵庫県は5番目になり、 ずっと二番目だった大阪が、最多になってしまいました。 大阪人はそれだけ活発というか、引き籠らず、アクティブに行動するという 気質があるのかもしれません。 最近はGPSの活用により、発見が早くなったとはいえ 残念ながら亡くなられて発見された人も全国で491人おられたそうです。 多くは水場や転落しそうな場所のようですが、 意外と自宅から近くで発見されているようです。 それは初動捜索の大切さを物語っているとも言えます。 もちろん、家族、警察だけでは限界があります。 やはり地域の人々の視線や気づきが必要ということでしょう。 地域で見守る、支えることの大切さを改めて感じさせる数字だと思ううのです。
ブログ投稿画像 ブログを投稿する「思い」はまだ復活しませんが、 やはり、家族会のことは書いておかなければならないと思いました。 6月のことになりますが、 10名もの介護者の方が参加されました。 立場はそれぞれです。 息子、娘、嫁、妻、夫、兄弟… それぞれに、自宅での介護の大変さを訴えておられました。 その訴えの内容、本当にしんどいと思います。 しかしその家族のしんどさを支えるシステムがないのも事実です。 間接的には、要介護者が、デイサービスやショートステイを利用することによる 介護から解放される時間があるでしょう。 しかし、介護者自身の心の中の葛藤は それだけでは癒されるものではありません。 やはり心の中に溜まったものをお掃除する 掃き出す(吐き出すではありません)ことができる時間が必要となります。 毒を吐くのではなく、心の中に溜まったごちゃごちゃを掃き掃除して 心の中をクリーンアップする。 そして心の中の容量が目一杯だったところに空き領域を増やすこと。 それが出来るところが、心の安全基地(セキュアベース)となります。 [caption id="attachment_6142" align="alignnone" width="1024"] 個人が特定されないよう、実際の写真をイラスト化しました。[/caption]   介護者にとっての心の安全基地、その一つとして家族会があるのです。 日頃のしんどさを掃き出しながら、他の介護者の話を聴く中で 時に情報交換も行いながら、目一杯だった気持ちが少しは楽になって前を向ける。 そんな時間となるのです。 単に掃き出すだけでなく、前へ向いて行けるエネルギーをもらえる場所。 それが心の安全基地、介護者の集い(家族会)と言えるのです。      
ブログ投稿画像 相変わらずブログをさぼり気味で申し訳ないです。 さて、15日に認知症の人を介護されている家族の会 「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回はなんと、男性5名女性1名という、男性介護者主体の集いとなりました。 このようなことも珍しいですね。 妻の認知症の進行に悩む夫がお二人 同様に父の進行に悩む息子さん 母の認知症を見つめる息子さん 若年性認知症の人をケアするご家族… 様々な立場で、各々心のうちを話されていました。 久しぶりに母と散歩や外食を楽しんだという娘さんは その喜びを熱く語っておられました。 男性の介護者としての悩みを、それぞれ皆さんから話されましたが、 思わず怒りが立ち込めたとき、どうしたらいいかという話になりました。 ある参加者は、「ぼけますからよろしくお願いします」の映画をフルバージョンで見られ あれだけ一生懸命介護されている夫でも、怒りを爆発させたシーンを見て、 ほっとしたと語っておられました。 爆発したい気持ちを必死になって押さえる日々のつらさ 認知症の本人のことを思い、良き介護者でなければならないということへのプレッシャー それが、映画を見て、良き介護者であっても、 「怒りをぶちまけたい時があるよね、」と思うと、ほっとしたとのこと。 毎日様々な思いの中で過ごしておられることがひしひしと伝わってきます。 また若年性認知症の人の介護者の方は、 デイサービスで元気に過ごされている様子を聞いて、 涙を流されておられました。 色々と思うこと一杯なのですね。 と、男性5名の家族会。ちょこっと異色? いやいや 男性介護者にも、それなりの悩みがあるのです。 やはり、家族の会は、介護家族に対するセキュアベース(心の安全基地)なのですね。        
ブログ投稿画像 まったくもってブログをさぼっております。 他に行うことが多々あり、ブログが置き去りになっていました。 というか、ブログも「熱意」が湧かないとなかなか書けないものです。 最近はブログに対する熱意が薄くなっている「時期」かもしれません。 そのうちまた色々と書き始める時が来ると思いますので。 さて、「記憶」がテーマの映画を見てきました。 「あの歌を憶えている」という題名の映画です。 若年性認知症の男性とPTSDに苦しむ女性との恋愛物語でしょうか。 記憶を失っていくことで苦しむ男性と、幼い頃の性的虐待の記憶に苦しむ女性 その対比を描いたとも言えます。 記憶って、生きていく上でとても大切なものですが、 その記憶の消失は言いようのない不安や焦燥感が襲ってきます。 一方その記憶がその人の人生(生涯)に多大なる影響を与える苦しみとしても存在します。 そんな二つの「記憶の交差」がこの映画かもしれません。 結局はお互いがその苦しみを共有し、支えあうことで生きていこうとするのですね。 どのような「記憶」の状況であろうと、その人の心にそっと寄り添い支えていくこと。 その大切さを感じさせてくれた映画でした。 それにしても邦題の「あの歌を憶えている」っていうのはダメだな。 センスが全然ありません。 ただ挿入曲の「青い影」は、オールドエイジの人間にとっては 感傷に浸れる名曲ですね。    
ブログ投稿画像 2月1日(土)英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会  第9回シンポジウムが開催されました。 (場所:アーバンチャイルドこども園) 200名近くの方で、ホールは満員となりました。 [caption id="attachment_6030" align="alignnone" width="1024"] 10年前にネットワーク委員会を立ち上げられた理事長の挨拶から始まりました。[/caption]   第一部は、映画「ぼけますからよろしくお願いします」の映画監督信友直子さんの特別講演でした。 信友様は、東京のテレビ局でドキュメンタリー作品の制作を数多く手掛けられた方なのですが、 お母様が認知症になられ、95歳のお父様が老々介護されるという状況の中、 家族でしか撮れないものという思いもあり、映画製作に至った経緯があります。 今回の講演では、映画の一場面を見てもらいながら、 認知症になられたお母様や介護者の心境を語られました。 その中で、母としての存在感をいかに大切にするのか そして混乱の中にある認知症の人の思いをどう受け止めていくのか 映像付きだったため、なおわかりやすかったのではないでしょうか。 お話しの後半では、なんと104歳になられたお父様の現状についてのお話もありました。 映画の影響もあり、今やお父様は街の人気者だそうです。 家族は抱え込まず、介護のサービスや地域の人達など 様々な人に頼ってもいいのだという話が印象的でした。 もう少しお話を深めたかったこともあるのですが、時間が足りず残念でした。 信友様には、シンポジウム後、遅くまで書籍の販売と共に サイン会にも応じていただき、素敵なサイン本をいただくことが出来ました。 シンポジウムは信友さまの後、 第二部へと続きました。      
ブログ投稿画像 前回の続きです。 飛行機なら2~3時間で大阪から北海道に行けるところ 太平洋フェリーだとほぼ2日間かけていくことになります。 (敦賀、舞鶴からの、小樽、苫小牧行き新日本海フェリーはもう少し早いですが、 それでも飛行機との差は圧倒的です) なのに、大阪からでも太平洋フェリーに乗る人がそれなりにいるのです。 それは、2泊する船旅に、何らかの価値を見出してのことでしょう。 それではこの「船旅」をベースにケアの世界について考えてみたいと思います。 船旅ならば、必ず目的地に着けば、その限られた空間での生活から解放されますが、 施設入居となるとそうはいきません。 私たちは旅行として船旅を楽しみますが、施設入所はその限られた空間の中で、 長い間過ごさなければならない、生活しなければならない、ある意味人生ラストの場ともなるわけです。 さらにそのために、人の助けを借りなければならないという状況にあるということなのです。 船旅をする場合、そこになんらかの価値を見いだしているように、 例え旅でなくても、施設入所にも価値を見出せるものでなければならないのです。 (ある意味、自宅に帰ることのない永遠の旅立ちの前段階とも言えます)   私たちは、電車に乗るにしても、車を運転するにしても、何かを買うにしても、 どこかに泊まるにしても、そして太平洋フェリーを利用するについても、 何らかの価値を見出して利用したり活用したりします。 同様に入所施設の選択も、その施設に対しての何らかの価値を求めての入所となるでしょう。 しかしそこにはもしかしたら、介護者の「やむおえぬ価値」というものがあるかもしれませんし、 入居者からすれば、「妥協の末の価値」かもしれません。 もしその施設に価値を見出すことができなければ、無価値な施設として判断され、 別の施設を探すということになるかもしれませんが、それは容易なことではありません。 そのため「妥協の末の価値」として存在することになるのです。 つまり「介護施設」は、家族からも利用者からも真に価値あるものとして存在しなければ、 介護現場そのものの存在価値は低いままになってしまうのです。 「やむ終えぬ、妥協の末の価値」は、ほぼ無価値に近いものだからです。 (つづく)