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「2020年12月」で記事を検索しました。

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2020.12.29

トピックス
誇るべきプロジェクトメンバー センター長の石川です 今年は本当にとんでもない一年でしたね。 でも、皆様よく耐えられたと思います。 地域の皆様はじめ、多くの方々、本当に我慢と不安の一年でしたね。 ただ、年が変わっても、この冬の間はまだまだ我慢と不安の日が残念ながら続くと思います。 でも、来年は「レジリエンスresilience(逆境力、回復力、復元力などの意味)」の年です。 春を待ち、じっと地中で耐える虫や根っこのように、今少し耐えていきましょう。 今を耐えることが、ウイルス最前線(命の現場だけでなく、生活を支える多くの方々)で働く方々への応援になるのです。 今年はあまり写真を撮りにいけませんでしたが、この写真は今年を表す、お気に入りの写真となりました。 最後に、手前味噌になりますが、島之内のメンバーに感謝の言葉を。 めっちゃ大変な一年でした。 毎日が心身ともにしんどいと思います。 でも皆さんは、一介の介護職員、一介の相談員、看護職員、洗濯、清掃員、給食員ではないのです。 ただのケア職員の一員ではないのです。 皆さんはショートステイ含めて75名の方の、 人生のラストにケアが必要になった方を支えていく プロジェクトメンバーなのです。 それも年齢層を越えた国際チームの一人なのです。 このプロジェクトメンバーがいなければ、75名の方は悲惨な人生のラストを送ることになったかもしれません。 そうではないエンディングに向けて働いている皆さん。 認知症の方も皆さんを頼りにしているのです。 そんなプロジェクトメンバーの皆さんのことを私は誇りに思いますし、 誇りを持てる仕事として、自信を持ってもらえればと思います。 もちろん、在宅分野のプロジェクトメンバーの皆さんにも感謝です。 皆様の存在があってこそ、このコロナウイルスの苦境を地域の人は乗り越えていけるのです。 「ありがとうございます」の一言に尽きますね。 でも、愚痴をこぼしたいこともあるでしょう。 悩むこともあるでしょう。 聴くことしかできませんが、しんどくなったら 遠慮なく私を使ってください。 そして最後の最後に、そのプロジェクトメンバーの皆さんを引張っていく施設長。 本当にしんどい日々がまだまだ続きますが、施設長あってのプロジェクトメンバーです。 一番気苦労多い折れそうな細い体をみんなで支えていきましょう! それでは、今年のブログはこれにて終了です。 皆様、良い年をお迎えください。 来年は、レジリエンスです!
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2020.12.28

トピックス
まなざしの微笑み センター長の石川です 「まなざしの微笑み」と書くと、まるで「モナリザの微笑み」みたいですね。 ただモナリザは、顔全体の表情から、あの独特の微笑みを感じることが出来ます。 しかし、今はマスク着用の時代です。 著作の関係でマスクをしたモナリザの画像は載せられませんが、 目だけのモナリザでは微笑んでいるのかどうかわかりません。 しかし、マスクが必携な今、私たちはこの目だけで相手に思いを伝えることをやらなければなりません。 「目の表情」がとても重要なのです。 この目。意外とことわざが一杯あります。 「目から鱗が落ちる」「目くじらを立てる」「目のかたき」「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」等々 目の表情は、その時のその人の心の動きを表すと言えるでしょう。 「目力」(めじから)がある人は、信念を持った人として捉えられます。 ただ「目が泳ぐ」人からすれば、「目力」を持った人は恐怖でしょう。 「目が泳ぐ」人は、人見知りや緊張もありますが、自信のなさ、不安、誤魔化しのある人と言えます。 ただ、ケアの現場では、「目が泳ぐ」(眼をそらす、きょろきょろするなど、相手が不安に感じてしまう目の表情)ケア職員だと、やはりケアを受ける側は不安になってしまいます。 相手を安心させるには、「微笑んだまなざし、そして信頼できそうな目力」+ 「温かいコミュニケーション」に「身振り手振り」を加えます。 認知症の方の場合、情報が入りにくいのでなおさら必要になりますね。 とにかく今は顔の中で表情が表現できるのは、目だけになります。 「まなざしの微笑み」は、相手の心をほぐす、最大要素です。 ジェスチャー付きがいいですね。 皆さんも「目の表情」をトレーニングしましょう! あたたかなまなざしは、冷えた心も温めてくれます。
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2020.12.25

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若年性認知症の方との関り(9)【涙する場面、そして最後の言葉】 Aさんへのケアは、Aさんに関わることによって、ケアスタッフのスキルアップにもつながっていきました。 当初は興奮状態もあったAさんでしたが、比較的穏やかに過ごされていたのではないかと記憶しています。 ケアスタッフたちも何もわからない中で(今のように認知症研修があるわけでもない時代) 試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返しながら、認知症の人への関り方のスキルを上げていったのです。 しかし、Aさんの身体の状況は日増しに悪くなっていき、歩行もままならなくなってしまったのです。 これまでAさんの面会は妻が来るだけでしたが、何かを察したのか、ある日Aさんの妻は学生服姿の息子を連れてきました。 まるで階段を転がり落ちるかのようにAさんの心身の機能が衰えていくなか、 妻が誘ったのか、息子さんが会いたいと言ったのか、 それは定かではありませんが、久しぶりの親子の対面がありました。 化野念仏寺にて しかしAさんは息子を前にしても何も発せず、宙を見るだけです。 その時の息子さんの寂しそうな悲しそうな表情に、ケアスタッフたちは泣きました。 「いたたまれない気持ちになった…」とある年配のケアスタッフは涙したのです。 子ども思いだったというAさん。 息子さんの記憶に残っているであろう親子3人で楽しんだ日々、 やさしかった父のまなざし、そして変わっていく父の姿。 幸せだった家庭が崩壊し、暴れまくる父の横で黙々と塗りたくられた便を拭いていた、つらく惨めな日々。 そしてそれをずっと耐えなければならなかった日々。 さらに、自分の子どもを目の前にしても何も言えない何も反応しない父… Aさんをケアしてきたスタッフたちにとっても胸を締め付ける場面だったのです。 そして時が経ち、Aさんは寝たきりとなり、残り幾ばくもない日々となっていました。 そのような状況の中でAさんは何かを繰り返し呟いていたのです。 何を言っているのか私にはわかりませんでした。 Aさんがいよいよ末期になった時、あるケアスタッフが、 Aさんが何を呟いているのかと言うことがわかったと伝えに来てくれました。 「ずっと呟いている言葉、子どもさんの名前なのよ。最期の最期までやっぱりAさんは子どもさんのことを思っているのね。」 逢魔が時 不安と混乱と、愛してるよと伝えたい言葉も伝えられない、 自分でもどうすることもできない逢魔が時の暗さの中に飲み込まれても、 Aさんの心の中では子どもを思う気持ちが、その命の灯が燃え尽きるまで心の叫びとして生きていたのです。 思いを伝えられない状況になっても、愛する人を思う心は生きている。 だから認知症の人ではなく、ひとりの人なのです。 次回からは、可愛いべっぴんさんの女医さんと慕われていたBさんのお話しです。 センター長の石川でした。
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2020.12.24

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若年性認知症の方との関り(8)【どこまで家族を苦しめるのか】 Aさんが当ホームへ来られた時、既に認知症状はかなり進行している状況でした。 コミュニケーションは既に取れず、何でも口に入れてしまい、 年齢からは想像ができないほど腰が曲がり、歩行も不安定でした。 発する言葉もほとんどが意味不明で、認知症専用フロアにおられる方の中でも、 年齢は一番若いのだけど一番年老いた感じでした。 そして排泄を含め、食事に至るまで全て要介護の状況だったのです。 このような状況になるまで、妻は仕事に行きながら、 誰の助けもない中で、ひたすら自宅でケアを行っていたのです。 私自身、認知症ケアの理念となる「パーソン・センタード・ケア」など眼中にない時代。 大変な認知症の人が入ってきたという思いもあり、 若年性認知症の方がここまでひどく進行してしまうのかと言う、半ば観察的視点はあったかもしれません。 しかしこれまでの自宅での状況を知っている私には、反面熱い思いの芽生えもあったのです。 入所してしばらくして、ひとつの問題が生じました。Aさん自身にではありません。 妻より利用料が払えないと言ってきたのです。 状況を聞くと、電気水道代等も滞納が続き、それらが止められそうなくらいひっ迫しているとのことでした。 もちろん家賃や学費もあります。 妻はAさんが在宅時はパート勤めしかできず、今もよい仕事に巡り合えていないとのことでした。 多くの滞納を抱え、施設利用料の支払いも滞ったのです。 生駒山より吹田市方面を望む 妻によると、生活保護を希望したが受け入れられないとのこと。 このまま施設利用料を滞納となると、Aさん自身も大変なことになってしまいます。 妻の疲れ切った表情に、Aさんだけのことでなく、この家族も何とか助けなければならないと思いました。 仕事の範疇など関係ありません。 私はS市の担当と掛け合いましたが色よい返事はもらえません。 高齢課と保護課のやり取りもうまくいかないようです。 私もこの当時は若かったというか、血気盛んで、なんでAさん家族を救ってやれないのだとS市と激しくやりあい、 うまくいかない状況に事務所で悔し涙を流した記憶があります。 結果、S市の担当も頑張ってくれたのでしょう。 Aさん家族の生活保護が認定され、滞納だらけの状況から脱することが出来たのです。 何度も繰り返し書きますが、現在のように様々なサービスや制度が全くない時代。 その時代にも若年性認知症の方はおられたし、そして家族も悲壮な状況の中で耐え忍んでおられたのです。 今は、地域包括支援センターがあります。ケアマネジャーもホームヘルパーもいます。 デイサービスもショートステイもあります。入居系施設も増えました。 でもどうでしょうか?若年性認知症の方の苦しみ、介護家族のつらさ、 それらのことを果たしてどれだけサポートできているのか。 あらためて、サービスありきで、大切なことへのアプローチが忘れられているのではないか。 逆に言えば、これだけの介護サービスを本当にうまく活用できているのだろうかと思うのです。 次回、Aさんのお話しの最終話です。 センター長の石川でした。
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2020.12.23

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若年性認知症の方との関り(7)【認知症ケア黎明期】 当時私が勤めていた特別養護老人ホームには日本でも2~3番目に作られた、認知症高齢者専用フロアがありました。 もちろん、大阪ではここだけでした。 そこでS市はAさんの入所を頼み込んできたということになります。 この法人の当時の理事長は先駆的な考えの持ち主で、厚労省とも渡り合う人物でもあり、 現在ある介護保険制度サービスのベースをさきがけてきた人でした。 デイサービスやショートステイ、ナイトケア、認知症デイ、ホームヘルパーなど、 まさしく今ある高齢者サービスのスタイルを作った人でもありました。 陸軍中野学校(スパイ養成学校)出身のこの理事長は、職員に対しても厳しかったのですが、 常に高齢者に向いた考えを持つことを、私たちも鍛え上げられたとも言えます。 そして、認知症高齢者専用フロアも先進的に造られたのでした。 認知症専用フロアがあった施設 法人HPより ただ、認知症の方への取り組みが先進的になったのは、 この地域の保健師やボランティアたちの認知症の方への取り組みが熱心だったということもあります。 当時は認知症で様々な症状が出ると、精神科の病院へ入院させられる状況でした。 そして薬漬けとなり、拘束されて亡くなっていったのです。 それはあまりにも酷い、何とか老人ホームで人間らしい生活を送らせてあげたいと、 当時の地元保健師が直談判に来られ、呼応した理事長の下、このホームでの認知症の人の受け入れがスタートしたのです。 今でも最初に来られた方の名前も顔もよく覚えています。 私たちケア職員にとっても未知の領域のケアが始まったのです。 まだ専用フロアがない時代、一般フロアしかない特別養護老人ホームに 堰を切ったかのように認知症の人の入所が始まったのです。 さて数年後に専用フロアが出来るまでの間の認知症の人へのケアは、今から振り返っても本当に凄いものでした。 出入口がロックされているわけではないので、皆さんいくらでも出て行かれます。 その都度私は一緒について行って、2時間でも3時間でもに街を彷徨うのです。(もちろん、携帯電話なんてありません!) この辺りのことを書きだすと、めちゃくちゃ長くなるので、年数を少し進め、 認知症高齢者専用フロアが出来、そしてAさんが入所してきたところまで話を戻さなければなりません。 S市からの「収容依頼書」そして電話は切迫した状況を訴えるものでした。 当時私は生活相談員として、入所の受け入れを担当していました。 施設長との相談の上、S市において年齢が55歳であっても特養該当者として認めていることもあり、 緊急性もあるのでAさんの入所が速やかに決定されたのです。 (つづく) センター長の石川でした
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2020.12.22

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「父と娘の認知症日記」 センター長の石川です。 NHKドキュメントでも取り上げられた 認知症を発症された長谷川先生と娘さんのケアの様子が 一冊の本になりました。 販売に先駆けて、中央法規出版から送ってもらいました。 中央法規出版社 税別1300円です 「生きている限り生き抜きたい」 「生かされるのではなく、自分の意志で生きたい」 と、長谷川先生は話されています。 シンプルにまとめられた、読みやすく、かつケア専門職も必読の言葉が織り込まれています。 是非とも皆様もお読みください! なお執筆協力者は寺田真理子さん 中央法規担当は寺田真理子さん。 同姓同名で、先生はびっくりされたようです(笑)   さて、話題は変わりますが、昨日は木星と土星が「見た目」の最接近の日でした。 目のいい人は、肉眼でも二つ見えたそうですが、 私の目には一つに見えました(苦笑) 望遠レンズで撮ると、まぁそれなりに離れてはいるのですが。 肉眼で見ると、ほぼほぼ合体しています しかしこれだけ広い天空で、小さな光の点がほぼ重なると言うのも凄いものです。 今晩はまだ見れるそうですが、次回は60年後です。 今回見逃した人は、60年頑張ってください! アーバンケア島之内の屋上から撮影しました (木星の下の衛星はイオ。その横は山羊座の恒星。その下はエウロパ。木星の上の衛星はガニメデとカリスト。土星の近くにうっすらと見えるのが、土星の衛星タイタンです。因みにタイタンには生命がいるのではないかと言われています)
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2020.12.21

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「一生に一度」 センター長の石川です。 「一生に一度」 昨年のラグビーワールドカップでのキャッチフレーズでした。 しかしその一生に一度のことが(そうありたい)世界的に起こってしまいましたね。 心が暗くなる一生に一度はいらないです。 もっとも生も死も一生に一度のことですが。 でも、だからこそその、一生に一度しかないその人(私たちのケアの対象の方)の人生の エンディングを支える私たち介護職員は、凄く素晴らしい仕事に就いているのです。 自らの振り返りは大切ですが、この仕事に就いていることに 誇りを持つべきでしょう。 木星の衛星、木星側からエウロパ、イオ、ガニメデ、カリスト。土星の近くに土星の衛星タイタンが写っています。 さて、宇宙規模で見ると、「一生に一度の出来事」と言うのは、ほとんどがそのような出来事と言えるでしょう。 今夕、木星と土星が超接近して見えます。 ふたつの惑星が近づくという訳ではなく、見た目の超接近になるのですが、 何とこれだけの接近は397年ぶりになるそうです。 徳川将軍家光の時代以来と言うことになります。 次回は60年後とのことですから、まさしく「一生に一度」ですね。 肉眼で見ると、一つの星に見えるかもしれませんし、二つ見えるかもしれません。 それは今夕のお楽しみ。 でも、6時過ぎにはかなり低い位置になるので、日没後すぐに見るのがいいでしょう。 昨夕の撮影です。土星は輪っかがあるので、少し楕円に写っています。 さて、話題が変わり、 先日の楽Cafeメンバーの活躍が産経新聞に掲載されました。 下記をクリックすれば読めますのでご確認ください。 20201218産経(河内版)朝刊(楽Cafe弁当)
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2020.12.18

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コロナより怖い心身を蝕んでいくこと(介護サービス利用のすすめ) センター長の石川です 本格的寒さの到来ですね。 今年はかなり寒い冬だとか。 さらにコロナの大襲撃! 高齢者は外に出るなと言われます。 確かにそうなのですが、 家にじっとしていることは、コロナ以上に怖いことが襲ってきます。 半年後には確実に。 来年の春にお花見ができるためにも健康管理!家にこもっていてはダメですよ! まず身体的には足腰が弱ります。 高齢者はたちどころに筋肉がなくなり、ちょっとしたことで転倒しやすくなります。 転倒すれば確実に入院、あとは悲壮な状況が待っています。 筋力の低下だけでなく、内臓系も弱り、様々な病気を発病します。 病気になっても、今は簡単には入院できません。 だから普段から健康でいなければならないのです。 そして何よりも、家でじっとしていることは、 認知症になる確率をかなり上げてしまいます。 デイサービスに来て心身ともに働かせましょう! ではどうすればいいか? 家にじっとしていてはダメです。 介護認定を受けている人ならば、デイサービスに行きましょう。 皆さんの周りにおられれば、声を掛けてあげてください。 コロナより、寒波より怖いのは、家でじっとしていること。 確実に高齢者の心身を蝕んでいきます。 感染症対策をしっかりと行っています   健康維持のためにも介護サービスを活用してください。 サービスの受け方がわからなければ、地域包括支援センターに連絡してください。 もちろん、アーバンケア島之内デイサービスセンターも、お待ちしています!  
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2020.12.17

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楽Caféメンバー市役所で活躍 センター長の石川です。 12月16日、東大阪市役所で楽Caféメンバー(若年性認知症の方)4名による、 お弁当配布に伴う若年性認知症啓発活動がありました。 普段あまり来ることがないような課に注文確認です 東大阪市地域包括ケア課が軸となり、今回は市役所の職員約180名からお弁当の注文を受け、 各セクションに回って配達をしてくれました。 東大阪市長は、ハンバーグ弁当のご注文でした。 4名の方が回った先は、各部署の職員をはじめとして、 市長や議員まで。地域包括ケア課の地道な根回しが生きていました。 議員さんの所にも回ります。 議員さんの事務所に配達です 注文内容の確認から、お弁当の準備、配達と、 スタッフたちに助けられながらも4名の方は、 普段「役割を持つ」ということからどんどん遠ざかって行ってしまう中、久しぶりの活躍の場だったのではないでしょうか。 それは皆さんの活き活きとした表情を見れば伝わってくるものでした。 取材も来ており、若年性認知症の方への理解に繋がるアピールにはなったと思います。 皆さんでお弁当の仕分けです しかしあくまでも一過性のものなので、 当事者や家族を交えて継続的な形作りをどのようにしていくのかが今後の目指す道ですね。 22階レストランで作られたお弁当です またこのような当事者が主体となって行うイベントは、「紙一重」の所があるので、 主催者側の振り返りは大切なことと言えます。 各課へのお弁当配達は、結構大変です。 いずれにしても、準備は大変だったでしょうし、 ここまでコツコツと積み上げてこられたことには大きな意味があるでしょう。 ドリップコーヒーです.お弁当に添付しました。 私も微力ながらサポートを継続していきたいと思います。  
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2020.12.15

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若年性認知症の方との関り(6)【施設入所が収容と言われていた時代】 【施設入所が収容と言われていた時代】 Aさんの妻にとって頼れるところは行政でした。 市役所へ赴きますが、障がい課なのか、高齢福祉課なのかわかりません。 当然地域包括支援センターも介護保険もない時代です。 50歳代の相談が果たして高齢福祉課でよいのかわからないまま、 認知症という診断を頼りに高齢福祉課へ相談に行きます。 相談を受けた高齢福祉課は、65歳以上が担当です。 そのため果たして自分たちの管轄であるのかどうか迷った末、 認知症(当時は痴呆症)という診断があるため、相談を受理しました。 そして担当のワーカーが自宅を訪れ、その悲壮な状況に愕然としたのでした。 当時高齢福祉課は、特別養護老人ホームへの入所手続きを担っていました。 いわゆる「措置」の時代で、「このような入所希望者(必要者)がいるので、入所をよろしく」という通知を各施設に送る役割を担っていたのでした。 当時はそれを「収容依頼書」と呼んでいました。 「収容」という、まるで刑務所に送るような文言ですね。 また収容(入所)依頼先は、全国どこの施設でもよかったのです。 S市の高齢福祉課にとっても若年性認知症の方への入所判断に苦慮したようです。 なにせ法律上は65歳以上の人が対象で、50代の高齢者ではない人の入所依頼を出すのはどうなのかと課内でももめたそうです。 今なら若年性認知症の人のことがよくわかっていても、当時はどう対処していいかわからないという状況でした。 考察でも書きますが、今は地域包括やデイサービスやショートステイ、そしてケアマネジャーやホームヘルパーがいる時代です。当時はそれら全てのものがなかったのです。 何を言いたいのかと言うと、これだけサービスや専門スタッフが充実している今でも、 (若年性)認知症の人への関わりはどれだけ進歩しているのだろうか??  と言うことなのです。 さて、今の家族丸抱えの状況の中、特例の措置としてAさんの入所依頼を掛けることになったS市。 その依頼先として選んだのが、当時私が勤めていたM市の老人ホームでした。 (つづく) センター長の石川でした。 大阪はレッドアラート発令中です。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今年は本当にとんでもない一年でしたね。 でも、皆様よく耐えられたと思います。 地域の皆様はじめ、多くの方々、本当に我慢と不安の一年でしたね。 ただ、年が変わっても、この冬の間はまだまだ我慢と不安の日が残念ながら続くと思います。 でも、来年は「レジリエンスresilience(逆境力、回復力、復元力などの意味)」の年です。 春を待ち、じっと地中で耐える虫や根っこのように、今少し耐えていきましょう。 今を耐えることが、ウイルス最前線(命の現場だけでなく、生活を支える多くの方々)で働く方々への応援になるのです。 [caption id="attachment_1601" align="aligncenter" width="650"] 今年はあまり写真を撮りにいけませんでしたが、この写真は今年を表す、お気に入りの写真となりました。[/caption] 最後に、手前味噌になりますが、島之内のメンバーに感謝の言葉を。 めっちゃ大変な一年でした。 毎日が心身ともにしんどいと思います。 でも皆さんは、一介の介護職員、一介の相談員、看護職員、洗濯、清掃員、給食員ではないのです。 ただのケア職員の一員ではないのです。 皆さんはショートステイ含めて75名の方の、 人生のラストにケアが必要になった方を支えていく プロジェクトメンバーなのです。 それも年齢層を越えた国際チームの一人なのです。 このプロジェクトメンバーがいなければ、75名の方は悲惨な人生のラストを送ることになったかもしれません。 そうではないエンディングに向けて働いている皆さん。 認知症の方も皆さんを頼りにしているのです。 そんなプロジェクトメンバーの皆さんのことを私は誇りに思いますし、 誇りを持てる仕事として、自信を持ってもらえればと思います。 もちろん、在宅分野のプロジェクトメンバーの皆さんにも感謝です。 皆様の存在があってこそ、このコロナウイルスの苦境を地域の人は乗り越えていけるのです。 「ありがとうございます」の一言に尽きますね。 でも、愚痴をこぼしたいこともあるでしょう。 悩むこともあるでしょう。 聴くことしかできませんが、しんどくなったら 遠慮なく私を使ってください。 そして最後の最後に、そのプロジェクトメンバーの皆さんを引張っていく施設長。 本当にしんどい日々がまだまだ続きますが、施設長あってのプロジェクトメンバーです。 一番気苦労多い折れそうな細い体をみんなで支えていきましょう! それでは、今年のブログはこれにて終了です。 皆様、良い年をお迎えください。 来年は、レジリエンスです!
ブログ投稿画像 センター長の石川です 「まなざしの微笑み」と書くと、まるで「モナリザの微笑み」みたいですね。 ただモナリザは、顔全体の表情から、あの独特の微笑みを感じることが出来ます。 しかし、今はマスク着用の時代です。 著作の関係でマスクをしたモナリザの画像は載せられませんが、 目だけのモナリザでは微笑んでいるのかどうかわかりません。 しかし、マスクが必携な今、私たちはこの目だけで相手に思いを伝えることをやらなければなりません。 「目の表情」がとても重要なのです。 この目。意外とことわざが一杯あります。 「目から鱗が落ちる」「目くじらを立てる」「目のかたき」「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」等々 目の表情は、その時のその人の心の動きを表すと言えるでしょう。 「目力」(めじから)がある人は、信念を持った人として捉えられます。 ただ「目が泳ぐ」人からすれば、「目力」を持った人は恐怖でしょう。 「目が泳ぐ」人は、人見知りや緊張もありますが、自信のなさ、不安、誤魔化しのある人と言えます。 ただ、ケアの現場では、「目が泳ぐ」(眼をそらす、きょろきょろするなど、相手が不安に感じてしまう目の表情)ケア職員だと、やはりケアを受ける側は不安になってしまいます。 相手を安心させるには、「微笑んだまなざし、そして信頼できそうな目力」+ 「温かいコミュニケーション」に「身振り手振り」を加えます。 認知症の方の場合、情報が入りにくいのでなおさら必要になりますね。 とにかく今は顔の中で表情が表現できるのは、目だけになります。 「まなざしの微笑み」は、相手の心をほぐす、最大要素です。 [caption id="attachment_2252" align="aligncenter" width="259"] ジェスチャー付きがいいですね。[/caption] 皆さんも「目の表情」をトレーニングしましょう! あたたかなまなざしは、冷えた心も温めてくれます。
ブログ投稿画像 Aさんへのケアは、Aさんに関わることによって、ケアスタッフのスキルアップにもつながっていきました。 当初は興奮状態もあったAさんでしたが、比較的穏やかに過ごされていたのではないかと記憶しています。 ケアスタッフたちも何もわからない中で(今のように認知症研修があるわけでもない時代) 試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返しながら、認知症の人への関り方のスキルを上げていったのです。 しかし、Aさんの身体の状況は日増しに悪くなっていき、歩行もままならなくなってしまったのです。 これまでAさんの面会は妻が来るだけでしたが、何かを察したのか、ある日Aさんの妻は学生服姿の息子を連れてきました。 まるで階段を転がり落ちるかのようにAさんの心身の機能が衰えていくなか、 妻が誘ったのか、息子さんが会いたいと言ったのか、 それは定かではありませんが、久しぶりの親子の対面がありました。 [caption id="attachment_1839" align="aligncenter" width="650"] 化野念仏寺にて[/caption] しかしAさんは息子を前にしても何も発せず、宙を見るだけです。 その時の息子さんの寂しそうな悲しそうな表情に、ケアスタッフたちは泣きました。 「いたたまれない気持ちになった…」とある年配のケアスタッフは涙したのです。 子ども思いだったというAさん。 息子さんの記憶に残っているであろう親子3人で楽しんだ日々、 やさしかった父のまなざし、そして変わっていく父の姿。 幸せだった家庭が崩壊し、暴れまくる父の横で黙々と塗りたくられた便を拭いていた、つらく惨めな日々。 そしてそれをずっと耐えなければならなかった日々。 さらに、自分の子どもを目の前にしても何も言えない何も反応しない父… Aさんをケアしてきたスタッフたちにとっても胸を締め付ける場面だったのです。 そして時が経ち、Aさんは寝たきりとなり、残り幾ばくもない日々となっていました。 そのような状況の中でAさんは何かを繰り返し呟いていたのです。 何を言っているのか私にはわかりませんでした。 Aさんがいよいよ末期になった時、あるケアスタッフが、 Aさんが何を呟いているのかと言うことがわかったと伝えに来てくれました。 「ずっと呟いている言葉、子どもさんの名前なのよ。最期の最期までやっぱりAさんは子どもさんのことを思っているのね。」 [caption id="attachment_2247" align="aligncenter" width="650"] 逢魔が時[/caption] 不安と混乱と、愛してるよと伝えたい言葉も伝えられない、 自分でもどうすることもできない逢魔が時の暗さの中に飲み込まれても、 Aさんの心の中では子どもを思う気持ちが、その命の灯が燃え尽きるまで心の叫びとして生きていたのです。 思いを伝えられない状況になっても、愛する人を思う心は生きている。 だから認知症の人ではなく、ひとりの人なのです。 次回からは、可愛いべっぴんさんの女医さんと慕われていたBさんのお話しです。 センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 Aさんが当ホームへ来られた時、既に認知症状はかなり進行している状況でした。 コミュニケーションは既に取れず、何でも口に入れてしまい、 年齢からは想像ができないほど腰が曲がり、歩行も不安定でした。 発する言葉もほとんどが意味不明で、認知症専用フロアにおられる方の中でも、 年齢は一番若いのだけど一番年老いた感じでした。 そして排泄を含め、食事に至るまで全て要介護の状況だったのです。 このような状況になるまで、妻は仕事に行きながら、 誰の助けもない中で、ひたすら自宅でケアを行っていたのです。 私自身、認知症ケアの理念となる「パーソン・センタード・ケア」など眼中にない時代。 大変な認知症の人が入ってきたという思いもあり、 若年性認知症の方がここまでひどく進行してしまうのかと言う、半ば観察的視点はあったかもしれません。 しかしこれまでの自宅での状況を知っている私には、反面熱い思いの芽生えもあったのです。 入所してしばらくして、ひとつの問題が生じました。Aさん自身にではありません。 妻より利用料が払えないと言ってきたのです。 状況を聞くと、電気水道代等も滞納が続き、それらが止められそうなくらいひっ迫しているとのことでした。 もちろん家賃や学費もあります。 妻はAさんが在宅時はパート勤めしかできず、今もよい仕事に巡り合えていないとのことでした。 多くの滞納を抱え、施設利用料の支払いも滞ったのです。 [caption id="attachment_2242" align="aligncenter" width="650"] 生駒山より吹田市方面を望む[/caption] 妻によると、生活保護を希望したが受け入れられないとのこと。 このまま施設利用料を滞納となると、Aさん自身も大変なことになってしまいます。 妻の疲れ切った表情に、Aさんだけのことでなく、この家族も何とか助けなければならないと思いました。 仕事の範疇など関係ありません。 私はS市の担当と掛け合いましたが色よい返事はもらえません。 高齢課と保護課のやり取りもうまくいかないようです。 私もこの当時は若かったというか、血気盛んで、なんでAさん家族を救ってやれないのだとS市と激しくやりあい、 うまくいかない状況に事務所で悔し涙を流した記憶があります。 結果、S市の担当も頑張ってくれたのでしょう。 Aさん家族の生活保護が認定され、滞納だらけの状況から脱することが出来たのです。 何度も繰り返し書きますが、現在のように様々なサービスや制度が全くない時代。 その時代にも若年性認知症の方はおられたし、そして家族も悲壮な状況の中で耐え忍んでおられたのです。 今は、地域包括支援センターがあります。ケアマネジャーもホームヘルパーもいます。 デイサービスもショートステイもあります。入居系施設も増えました。 でもどうでしょうか?若年性認知症の方の苦しみ、介護家族のつらさ、 それらのことを果たしてどれだけサポートできているのか。 あらためて、サービスありきで、大切なことへのアプローチが忘れられているのではないか。 逆に言えば、これだけの介護サービスを本当にうまく活用できているのだろうかと思うのです。 次回、Aさんのお話しの最終話です。 センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 当時私が勤めていた特別養護老人ホームには日本でも2~3番目に作られた、認知症高齢者専用フロアがありました。 もちろん、大阪ではここだけでした。 そこでS市はAさんの入所を頼み込んできたということになります。 この法人の当時の理事長は先駆的な考えの持ち主で、厚労省とも渡り合う人物でもあり、 現在ある介護保険制度サービスのベースをさきがけてきた人でした。 デイサービスやショートステイ、ナイトケア、認知症デイ、ホームヘルパーなど、 まさしく今ある高齢者サービスのスタイルを作った人でもありました。 陸軍中野学校(スパイ養成学校)出身のこの理事長は、職員に対しても厳しかったのですが、 常に高齢者に向いた考えを持つことを、私たちも鍛え上げられたとも言えます。 そして、認知症高齢者専用フロアも先進的に造られたのでした。 [caption id="attachment_2239" align="aligncenter" width="600"] 認知症専用フロアがあった施設 法人HPより[/caption] ただ、認知症の方への取り組みが先進的になったのは、 この地域の保健師やボランティアたちの認知症の方への取り組みが熱心だったということもあります。 当時は認知症で様々な症状が出ると、精神科の病院へ入院させられる状況でした。 そして薬漬けとなり、拘束されて亡くなっていったのです。 それはあまりにも酷い、何とか老人ホームで人間らしい生活を送らせてあげたいと、 当時の地元保健師が直談判に来られ、呼応した理事長の下、このホームでの認知症の人の受け入れがスタートしたのです。 今でも最初に来られた方の名前も顔もよく覚えています。 私たちケア職員にとっても未知の領域のケアが始まったのです。 まだ専用フロアがない時代、一般フロアしかない特別養護老人ホームに 堰を切ったかのように認知症の人の入所が始まったのです。 さて数年後に専用フロアが出来るまでの間の認知症の人へのケアは、今から振り返っても本当に凄いものでした。 出入口がロックされているわけではないので、皆さんいくらでも出て行かれます。 その都度私は一緒について行って、2時間でも3時間でもに街を彷徨うのです。(もちろん、携帯電話なんてありません!) この辺りのことを書きだすと、めちゃくちゃ長くなるので、年数を少し進め、 認知症高齢者専用フロアが出来、そしてAさんが入所してきたところまで話を戻さなければなりません。 S市からの「収容依頼書」そして電話は切迫した状況を訴えるものでした。 当時私は生活相談員として、入所の受け入れを担当していました。 施設長との相談の上、S市において年齢が55歳であっても特養該当者として認めていることもあり、 緊急性もあるのでAさんの入所が速やかに決定されたのです。 (つづく) センター長の石川でした
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 NHKドキュメントでも取り上げられた 認知症を発症された長谷川先生と娘さんのケアの様子が 一冊の本になりました。 販売に先駆けて、中央法規出版から送ってもらいました。 [caption id="attachment_2232" align="aligncenter" width="566"] 中央法規出版社 税別1300円です[/caption] 「生きている限り生き抜きたい」 「生かされるのではなく、自分の意志で生きたい」 と、長谷川先生は話されています。 シンプルにまとめられた、読みやすく、かつケア専門職も必読の言葉が織り込まれています。 是非とも皆様もお読みください! なお執筆協力者は寺田真理子さん 中央法規担当は寺田真理子さん。 同姓同名で、先生はびっくりされたようです(笑)   さて、話題は変わりますが、昨日は木星と土星が「見た目」の最接近の日でした。 目のいい人は、肉眼でも二つ見えたそうですが、 私の目には一つに見えました(苦笑) 望遠レンズで撮ると、まぁそれなりに離れてはいるのですが。 [caption id="attachment_2234" align="aligncenter" width="650"] 肉眼で見ると、ほぼほぼ合体しています[/caption] しかしこれだけ広い天空で、小さな光の点がほぼ重なると言うのも凄いものです。 今晩はまだ見れるそうですが、次回は60年後です。 今回見逃した人は、60年頑張ってください! [caption id="attachment_2235" align="aligncenter" width="695"] アーバンケア島之内の屋上から撮影しました[/caption] (木星の下の衛星はイオ。その横は山羊座の恒星。その下はエウロパ。木星の上の衛星はガニメデとカリスト。土星の近くにうっすらと見えるのが、土星の衛星タイタンです。因みにタイタンには生命がいるのではないかと言われています)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 「一生に一度」 昨年のラグビーワールドカップでのキャッチフレーズでした。 しかしその一生に一度のことが(そうありたい)世界的に起こってしまいましたね。 心が暗くなる一生に一度はいらないです。 もっとも生も死も一生に一度のことですが。 でも、だからこそその、一生に一度しかないその人(私たちのケアの対象の方)の人生の エンディングを支える私たち介護職員は、凄く素晴らしい仕事に就いているのです。 自らの振り返りは大切ですが、この仕事に就いていることに 誇りを持つべきでしょう。 [caption id="attachment_2227" align="aligncenter" width="650"] 木星の衛星、木星側からエウロパ、イオ、ガニメデ、カリスト。土星の近くに土星の衛星タイタンが写っています。[/caption] さて、宇宙規模で見ると、「一生に一度の出来事」と言うのは、ほとんどがそのような出来事と言えるでしょう。 今夕、木星と土星が超接近して見えます。 ふたつの惑星が近づくという訳ではなく、見た目の超接近になるのですが、 何とこれだけの接近は397年ぶりになるそうです。 徳川将軍家光の時代以来と言うことになります。 次回は60年後とのことですから、まさしく「一生に一度」ですね。 肉眼で見ると、一つの星に見えるかもしれませんし、二つ見えるかもしれません。 それは今夕のお楽しみ。 でも、6時過ぎにはかなり低い位置になるので、日没後すぐに見るのがいいでしょう。 [caption id="attachment_2226" align="aligncenter" width="650"] 昨夕の撮影です。土星は輪っかがあるので、少し楕円に写っています。[/caption] さて、話題が変わり、 先日の楽Cafeメンバーの活躍が産経新聞に掲載されました。 下記をクリックすれば読めますのでご確認ください。 20201218産経(河内版)朝刊(楽Cafe弁当)
ブログ投稿画像 センター長の石川です 本格的寒さの到来ですね。 今年はかなり寒い冬だとか。 さらにコロナの大襲撃! 高齢者は外に出るなと言われます。 確かにそうなのですが、 家にじっとしていることは、コロナ以上に怖いことが襲ってきます。 半年後には確実に。 [caption id="attachment_2220" align="aligncenter" width="650"] 来年の春にお花見ができるためにも健康管理!家にこもっていてはダメですよ![/caption] まず身体的には足腰が弱ります。 高齢者はたちどころに筋肉がなくなり、ちょっとしたことで転倒しやすくなります。 転倒すれば確実に入院、あとは悲壮な状況が待っています。 筋力の低下だけでなく、内臓系も弱り、様々な病気を発病します。 病気になっても、今は簡単には入院できません。 だから普段から健康でいなければならないのです。 そして何よりも、家でじっとしていることは、 認知症になる確率をかなり上げてしまいます。 [caption id="attachment_2221" align="aligncenter" width="650"] デイサービスに来て心身ともに働かせましょう![/caption] ではどうすればいいか? 家にじっとしていてはダメです。 介護認定を受けている人ならば、デイサービスに行きましょう。 皆さんの周りにおられれば、声を掛けてあげてください。 コロナより、寒波より怖いのは、家でじっとしていること。 確実に高齢者の心身を蝕んでいきます。 [caption id="attachment_2219" align="aligncenter" width="650"] 感染症対策をしっかりと行っています[/caption]   健康維持のためにも介護サービスを活用してください。 サービスの受け方がわからなければ、地域包括支援センターに連絡してください。 もちろん、アーバンケア島之内デイサービスセンターも、お待ちしています!  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 12月16日、東大阪市役所で楽Caféメンバー(若年性認知症の方)4名による、 お弁当配布に伴う若年性認知症啓発活動がありました。 [caption id="attachment_2203" align="aligncenter" width="650"] 普段あまり来ることがないような課に注文確認です[/caption] 東大阪市地域包括ケア課が軸となり、今回は市役所の職員約180名からお弁当の注文を受け、 各セクションに回って配達をしてくれました。 [caption id="attachment_2210" align="aligncenter" width="650"] 東大阪市長は、ハンバーグ弁当のご注文でした。[/caption] 4名の方が回った先は、各部署の職員をはじめとして、 市長や議員まで。地域包括ケア課の地道な根回しが生きていました。 [caption id="attachment_2204" align="aligncenter" width="650"] 議員さんの所にも回ります。[/caption] [caption id="attachment_2207" align="aligncenter" width="650"] 議員さんの事務所に配達です[/caption] 注文内容の確認から、お弁当の準備、配達と、 スタッフたちに助けられながらも4名の方は、 普段「役割を持つ」ということからどんどん遠ざかって行ってしまう中、久しぶりの活躍の場だったのではないでしょうか。 それは皆さんの活き活きとした表情を見れば伝わってくるものでした。 取材も来ており、若年性認知症の方への理解に繋がるアピールにはなったと思います。 [caption id="attachment_2214" align="aligncenter" width="650"] 皆さんでお弁当の仕分けです[/caption] しかしあくまでも一過性のものなので、 当事者や家族を交えて継続的な形作りをどのようにしていくのかが今後の目指す道ですね。 [caption id="attachment_2205" align="aligncenter" width="650"] 22階レストランで作られたお弁当です[/caption] またこのような当事者が主体となって行うイベントは、「紙一重」の所があるので、 主催者側の振り返りは大切なことと言えます。 [caption id="attachment_2211" align="aligncenter" width="650"] 各課へのお弁当配達は、結構大変です。[/caption] いずれにしても、準備は大変だったでしょうし、 ここまでコツコツと積み上げてこられたことには大きな意味があるでしょう。 [caption id="attachment_2212" align="aligncenter" width="650"] ドリップコーヒーです.お弁当に添付しました。[/caption] 私も微力ながらサポートを継続していきたいと思います。  
ブログ投稿画像 【施設入所が収容と言われていた時代】 Aさんの妻にとって頼れるところは行政でした。 市役所へ赴きますが、障がい課なのか、高齢福祉課なのかわかりません。 当然地域包括支援センターも介護保険もない時代です。 50歳代の相談が果たして高齢福祉課でよいのかわからないまま、 認知症という診断を頼りに高齢福祉課へ相談に行きます。 相談を受けた高齢福祉課は、65歳以上が担当です。 そのため果たして自分たちの管轄であるのかどうか迷った末、 認知症(当時は痴呆症)という診断があるため、相談を受理しました。 そして担当のワーカーが自宅を訪れ、その悲壮な状況に愕然としたのでした。 当時高齢福祉課は、特別養護老人ホームへの入所手続きを担っていました。 いわゆる「措置」の時代で、「このような入所希望者(必要者)がいるので、入所をよろしく」という通知を各施設に送る役割を担っていたのでした。 当時はそれを「収容依頼書」と呼んでいました。 「収容」という、まるで刑務所に送るような文言ですね。 また収容(入所)依頼先は、全国どこの施設でもよかったのです。 S市の高齢福祉課にとっても若年性認知症の方への入所判断に苦慮したようです。 なにせ法律上は65歳以上の人が対象で、50代の高齢者ではない人の入所依頼を出すのはどうなのかと課内でももめたそうです。 今なら若年性認知症の人のことがよくわかっていても、当時はどう対処していいかわからないという状況でした。 考察でも書きますが、今は地域包括やデイサービスやショートステイ、そしてケアマネジャーやホームヘルパーがいる時代です。当時はそれら全てのものがなかったのです。 何を言いたいのかと言うと、これだけサービスや専門スタッフが充実している今でも、 (若年性)認知症の人への関わりはどれだけ進歩しているのだろうか??  と言うことなのです。 さて、今の家族丸抱えの状況の中、特例の措置としてAさんの入所依頼を掛けることになったS市。 その依頼先として選んだのが、当時私が勤めていたM市の老人ホームでした。 (つづく) センター長の石川でした。 [caption id="attachment_2198" align="aligncenter" width="650"] 大阪はレッドアラート発令中です。[/caption]