ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo

「ほんわか写真館」で記事を検索しました。

ブログ投稿画像

2021.05.17

ほんわか写真館
反対側の視点から見ることの大切さ センター長の石川です。 先週の土曜日の「世界ふしぎ発見」は、鬼の特集でした。 世間はまさしく「鬼滅の刃」ブームで、鬼がクローズアップされたのですが、 番組では鬼を単に悪者として見るのではなく、 鬼には鬼の置かれた立場があるのだという所にも視点が向けられていました。 鬼は視点を変えれば、コロナは寄せ付けないぞ!という、私たちの味方にもなるのです。 「鬼は人をだますことはしないが、人はだます卑怯なことをする。」という言葉に、 思わず頷いてしまいました。 私たちから見る鬼は、悪そのものかもしれませんが、 鬼から見たら人間の方がずっとずる賢い悪なのかもしれません。 立場を変えて(視点を変えて)みて見れば、全く違う世界が見えるのです。 私たちの仕事でも、ここは重要なポイントですね。 険しい林道を行くと、素晴らしい滝が現れます 前鬼手前の不動の滝 ここまで来るだけでもかなりの悪路です。 さて、番組では奈良の山奥に住む、鬼の子孫五鬼助義之さんが登場していました。 奈良下北山村の曲がりくねった落石の多い林道を長々と行くと前鬼(小仲坊)に着きます。 かつて私が宿泊した時の前鬼小仲坊 ここで五鬼助さんは夫婦でひっそりと宿坊を開いているのですが、 私もその昔、ここに宿泊したことがあります。 まさしく修験道の場所、そして山なのです。それも極めて険しい山です。 釈迦が岳山頂に釈迦像が見えます。 その山を登り詰めると、お釈迦様の銅像が立っている釈迦が岳山頂に着きます。 奈良大峰山奥駆け最深部にある釈迦が岳山頂 めっちゃ交通不便な、奈良の奥深い山にもかかわらず、私はこれまで5回登頂しています。 本当に心が洗われる素晴らしい山なのです。 釈迦が岳山頂。この当時は腹が出てない! さてさて、テレビに出てきた鬼の子孫五鬼助さん。 その先祖は前鬼、後鬼と言う夫婦の鬼なのです。 鬼の子孫 五鬼助義之さん (日本遺産吉野より) 驚くことに、この前鬼、後鬼は、生駒山暗峠で人間を襲っていた鬼でした。 つまり、下北山村の山奥の鬼の出身地は、生駒山だったのですね。 生駒山 一番低いところが暗峠です。 当時役行者(役小角 えんのおづぬ)と言う、スーパーマンのような行者がいて (この行者、修行の末に空を飛べたので)、この前鬼、後鬼を捕らえ (捕らえた場所が、鬼取という名前で暗峠近くの村落に今も残っています)、改心させ、 付き人とし、今の前鬼(地図にも出てきます)に住まわせ、 そして代々鬼の子孫がここで住み続けたという訳です。 役行者と前鬼(右)後鬼(左)5人の鬼の子をもうける(奈良観光HPより) ちなみにこの役行者、昇天された地は、箕面の山中なのです。 今は箕面の猿たちによってその聖域は守られているようですが、 緊急事態宣言が解除されれば、一度登ってみようかなと思っています。 因みに役行者は奈良県御所市生まれ。生粋の奈良人ですね。 コロナ退散をお願いに行かなければ
ブログ投稿画像

2021.05.12

ほんわか写真館
「それぞれの人に人生の物語があり」長谷川洋先生のお話しより センター長の石川です。 長谷川洋先生へのインタビューの第2回目からの抜粋です。 洋先生から見た父長谷川和夫先生のこと。 それぞれの人にそれぞれなりの人生の物語があるということ。 まさしく幾星霜の方々なのですね。 ケア従事者は、今目の前の方の姿だけで判断するのではなく、 一人ひとりの方にはそれぞれの人生があり、喜びも悲しみも幾年月を経てきた人であり、 その人生に敬意をもって(リスペクトするということ)接しなければならないということです。 ここは忘れてはならないところですね。 以下、長谷川洋先生へのインタビューの抜粋です (「なかまある」息子が語る父・長谷川和夫の姿(下)より) 洋さんが特に実感したのは、和夫さんが一人ひとりの名もない人たちの人生を、いかに大切に考え、尊重して治療にあたってきていたかということだそうです。 「認知症になって、父は自分の人生を振り返るような本を出版させていただきました。それが父はとてもうれしかったようで、『この喫茶店のマスターの人生も、本になるといいのにね』『理容師の〇〇さんの人生も、近くの薬局の△△さんの人生も、みんな本になるといいのに』と繰り返し言うのです。父は認知症の治療も、常に本人を中心にした『パーソン・センタード・ケア』という考えを実践していました。すべての人に掛け替えのない人生があり、それは認知症になっても決して変わることがないのだ、という考えですね」 「パーソン・センタード・ケア」はまさしく認知症ケアの根幹をなすものなのです。  
ブログ投稿画像

2021.05.08

ほんわか写真館
ICHIROが出てきた センター長の石川です。 緊急事態宣言、5月末までの延長になってしまいましたね。 5月予定の行事も中止、延期を余儀なくされるかもしれません。 それでも、デイサービスの方は、しっかりと頭の体操をし ご入居の方は、体操し、出来る限り体を動かしておられます。   さて、「グーグルマップタイムライン」というのをご存知でしょうか? 一か月間何処をウロチョロしたかを知らせてくれる機能です。 何と4月の一か月間、私が動いたところは池田市、豊中市、箕面市、吹田市、茨木市、摂津市、そして職場がある東大阪市。のみでした。 これだけアウトドア好きで、あちこち行く人間が、ひたすら北摂から出なかったということになります。 大阪市内に行くなどはご法度です。 5月もそんな感じになりそうですね。 そして家にいると、断捨離を兼ねて色々なものの発掘作業を行っています。 出てきたのが、イチローの写真です。 何年ごろの写真か不明なのですが、イチロー細いですね~ 球場は藤井寺球場。とっくになくなってしまいましたね。 ヤジがめちゃ聞こえた狭い球場でした。 イチローは、阪神の震災の時に神戸グリーンスタジアム(当時)に応援に行き、 まるで復興を願うかのようなホームランを打ってくれた記憶があります。 その時のホームランのように きっとまたみんなが笑える日が来ると願っています。
ブログ投稿画像

2021.04.30

ほんわか写真館
みんな違って みんなおもしろい センター長の石川です 以前、長谷川和夫先生から「みんな違って みんな尊い」という言葉をいただきましたが、 思えば思うほど深い言葉だなと思います。 私たちが関わる全ての人に、それぞれの人生ドラマがあります。 その人生ドラマ一つひとつが実に味があるのです。 職業で言えば、校長先生であったり、警察官であったり、調理師であったり、 トラックやタクシーの運転手であったり、医者や看護師であったり、会社の会計係であったり、 農家の人であったり、主婦として家を守り続けた人であったり、 皆さんそれぞれに違って、それぞれの人生に接することがとてもおもしろいのです。 おもしろいと言っても、お笑いという意味ではありません。 これだけ一人一人違う人生を送ってこられた方と接するこの仕事は、 ある意味味わい深い仕事でもあり、多くの人から学べる仕事でもあるのです。 同じように見えてもみんな違う花々   もちろん実際には、排せつや入浴、食事の介助と、めっちゃ大変です。 特に排せつのケアはつらいと思うことも多分にあるでしょう。 さらにコミュニケーションがうまくとれない方や、目が離せない方などと毎日接していると、 「味わい深いおもしろい仕事」などとは思えないかもしれません。 では、少しでもそのように思えるためにはどうしたらいいか? どんなに関わり方が大変だと思った方でも、その方との中に必ず小さいながらも、 私たちの心に振動する何かがあると思うのです。 その小さな幸せを感じられるかどうか。 「はぁ忙しかった!やっと帰れる」と思った時、 「ふぅやれやれ」と息を掃き出す時、 でもこの日一日頑張ることが出来た、何かがあったことを思い浮かべてみましょう。 もしかしたら、いつも無表情のような人が少し微笑んで見えた瞬間や、 「家に帰らせろ!」と怒っている人が見せる一瞬の孤独な表情や、 ちょっとでも目と目があって見つめあった人がいたことや、 実は日常の忙しさの中に、ほんの小さな私たちの心を支えてくれる瞬間があったのかもしれません。 仕事が終わり、スイッチを自分の世界に切り替える前に、 少しだけ振り返ってみたら、 「いつも笑わないAさんが、今日少し笑ってくれた。」と 自分の中で少しほくそ笑むことができることがあるといいかもしれません。 みんな違って、みんなおもしろいからこそ、 この仕事の意義を感じることが出来るのではないでしょうか。    
ブログ投稿画像

2021.04.27

ほんわか写真館
畏敬の念を持つ(抱く)ということ 「畏敬の念を抱く」とは、 「 超越した存在・崇高な存在に対して、無条件に敬う気持ちを持つこと」をいいます。例えば、 国や人種に関係なく救いの手を差し伸べたマザー・テレサの行動に、畏敬の念を抱いた。 富士山頂から見た朝日を見た時、言葉にできない畏敬の念を抱いた。 等々 とても崇高な人や自然に対して使われるように思います。 また普段は使わんやろ、そんなたいそうなって思うかもしれません。 ところがこの「畏敬の念」という言葉、小中学校の学習指導要綱にも載っているものなのです。 知らない大人は恥ずかしいのですよ! 解説には「とかく独善的になりやすい人間の心を反省させ、生きとし生けるものに対する感謝と尊敬の心を生み出していくもの」と、書かれています。   私たちの仕事に振り返ると、マザーテレサでなくても、 人生70年、80年、90年、そして100年と、喜びも悲しみも乗り越えて頑張ってきた方々、 それだけでも敬意を示すと言うことが必要なのです。 その顔のしわの一つひとつに、その苦節が表されているのです。   認知症の人であっても「畏敬の念」が失われないケアを行うこと。 それを心掛けるだけでも、ケアの質は上がっていくでしょう。 センター長の石川でした。  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先週の土曜日の「世界ふしぎ発見」は、鬼の特集でした。 世間はまさしく「鬼滅の刃」ブームで、鬼がクローズアップされたのですが、 番組では鬼を単に悪者として見るのではなく、 鬼には鬼の置かれた立場があるのだという所にも視点が向けられていました。 [caption id="attachment_1451" align="aligncenter" width="650"] 鬼は視点を変えれば、コロナは寄せ付けないぞ!という、私たちの味方にもなるのです。[/caption] 「鬼は人をだますことはしないが、人はだます卑怯なことをする。」という言葉に、 思わず頷いてしまいました。 私たちから見る鬼は、悪そのものかもしれませんが、 鬼から見たら人間の方がずっとずる賢い悪なのかもしれません。 立場を変えて(視点を変えて)みて見れば、全く違う世界が見えるのです。 私たちの仕事でも、ここは重要なポイントですね。 [caption id="attachment_2738" align="alignnone" width="1373"] 険しい林道を行くと、素晴らしい滝が現れます[/caption] [caption id="attachment_2732" align="aligncenter" width="1560"] 前鬼手前の不動の滝 ここまで来るだけでもかなりの悪路です。[/caption] さて、番組では奈良の山奥に住む、鬼の子孫五鬼助義之さんが登場していました。 奈良下北山村の曲がりくねった落石の多い林道を長々と行くと前鬼(小仲坊)に着きます。 [caption id="attachment_2733" align="alignnone" width="1600"] かつて私が宿泊した時の前鬼小仲坊[/caption] ここで五鬼助さんは夫婦でひっそりと宿坊を開いているのですが、 私もその昔、ここに宿泊したことがあります。 まさしく修験道の場所、そして山なのです。それも極めて険しい山です。 [caption id="attachment_2734" align="alignnone" width="1797"] 釈迦が岳山頂に釈迦像が見えます。[/caption] その山を登り詰めると、お釈迦様の銅像が立っている釈迦が岳山頂に着きます。 [caption id="attachment_2736" align="alignnone" width="1600"] 奈良大峰山奥駆け最深部にある釈迦が岳山頂[/caption] めっちゃ交通不便な、奈良の奥深い山にもかかわらず、私はこれまで5回登頂しています。 本当に心が洗われる素晴らしい山なのです。 [caption id="attachment_2735" align="alignnone" width="1264"] 釈迦が岳山頂。この当時は腹が出てない![/caption] さてさて、テレビに出てきた鬼の子孫五鬼助さん。 その先祖は前鬼、後鬼と言う夫婦の鬼なのです。 [caption id="attachment_2730" align="aligncenter" width="460"] 鬼の子孫 五鬼助義之さん (日本遺産吉野より)[/caption] 驚くことに、この前鬼、後鬼は、生駒山暗峠で人間を襲っていた鬼でした。 つまり、下北山村の山奥の鬼の出身地は、生駒山だったのですね。 [caption id="attachment_2729" align="aligncenter" width="1600"] 生駒山 一番低いところが暗峠です。[/caption] 当時役行者(役小角 えんのおづぬ)と言う、スーパーマンのような行者がいて (この行者、修行の末に空を飛べたので)、この前鬼、後鬼を捕らえ (捕らえた場所が、鬼取という名前で暗峠近くの村落に今も残っています)、改心させ、 付き人とし、今の前鬼(地図にも出てきます)に住まわせ、 そして代々鬼の子孫がここで住み続けたという訳です。 [caption id="attachment_2731" align="aligncenter" width="442"] 役行者と前鬼(右)後鬼(左)5人の鬼の子をもうける(奈良観光HPより)[/caption] ちなみにこの役行者、昇天された地は、箕面の山中なのです。 今は箕面の猿たちによってその聖域は守られているようですが、 緊急事態宣言が解除されれば、一度登ってみようかなと思っています。 因みに役行者は奈良県御所市生まれ。生粋の奈良人ですね。 [caption id="attachment_2737" align="aligncenter" width="590"] コロナ退散をお願いに行かなければ[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 長谷川洋先生へのインタビューの第2回目からの抜粋です。 洋先生から見た父長谷川和夫先生のこと。 それぞれの人にそれぞれなりの人生の物語があるということ。 まさしく幾星霜の方々なのですね。 ケア従事者は、今目の前の方の姿だけで判断するのではなく、 一人ひとりの方にはそれぞれの人生があり、喜びも悲しみも幾年月を経てきた人であり、 その人生に敬意をもって(リスペクトするということ)接しなければならないということです。 ここは忘れてはならないところですね。 以下、長谷川洋先生へのインタビューの抜粋です (「なかまある」息子が語る父・長谷川和夫の姿(下)より) 洋さんが特に実感したのは、和夫さんが一人ひとりの名もない人たちの人生を、いかに大切に考え、尊重して治療にあたってきていたかということだそうです。 「認知症になって、父は自分の人生を振り返るような本を出版させていただきました。それが父はとてもうれしかったようで、『この喫茶店のマスターの人生も、本になるといいのにね』『理容師の〇〇さんの人生も、近くの薬局の△△さんの人生も、みんな本になるといいのに』と繰り返し言うのです。父は認知症の治療も、常に本人を中心にした『パーソン・センタード・ケア』という考えを実践していました。すべての人に掛け替えのない人生があり、それは認知症になっても決して変わることがないのだ、という考えですね」 「パーソン・センタード・ケア」はまさしく認知症ケアの根幹をなすものなのです。  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 緊急事態宣言、5月末までの延長になってしまいましたね。 5月予定の行事も中止、延期を余儀なくされるかもしれません。 それでも、デイサービスの方は、しっかりと頭の体操をし ご入居の方は、体操し、出来る限り体を動かしておられます。   さて、「グーグルマップタイムライン」というのをご存知でしょうか? 一か月間何処をウロチョロしたかを知らせてくれる機能です。 何と4月の一か月間、私が動いたところは池田市、豊中市、箕面市、吹田市、茨木市、摂津市、そして職場がある東大阪市。のみでした。 これだけアウトドア好きで、あちこち行く人間が、ひたすら北摂から出なかったということになります。 大阪市内に行くなどはご法度です。 5月もそんな感じになりそうですね。 そして家にいると、断捨離を兼ねて色々なものの発掘作業を行っています。 出てきたのが、イチローの写真です。 何年ごろの写真か不明なのですが、イチロー細いですね~ 球場は藤井寺球場。とっくになくなってしまいましたね。 ヤジがめちゃ聞こえた狭い球場でした。 イチローは、阪神の震災の時に神戸グリーンスタジアム(当時)に応援に行き、 まるで復興を願うかのようなホームランを打ってくれた記憶があります。 その時のホームランのように きっとまたみんなが笑える日が来ると願っています。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 以前、長谷川和夫先生から「みんな違って みんな尊い」という言葉をいただきましたが、 思えば思うほど深い言葉だなと思います。 私たちが関わる全ての人に、それぞれの人生ドラマがあります。 その人生ドラマ一つひとつが実に味があるのです。 職業で言えば、校長先生であったり、警察官であったり、調理師であったり、 トラックやタクシーの運転手であったり、医者や看護師であったり、会社の会計係であったり、 農家の人であったり、主婦として家を守り続けた人であったり、 皆さんそれぞれに違って、それぞれの人生に接することがとてもおもしろいのです。 おもしろいと言っても、お笑いという意味ではありません。 これだけ一人一人違う人生を送ってこられた方と接するこの仕事は、 ある意味味わい深い仕事でもあり、多くの人から学べる仕事でもあるのです。 [caption id="attachment_2686" align="aligncenter" width="1600"] 同じように見えてもみんな違う花々[/caption]   もちろん実際には、排せつや入浴、食事の介助と、めっちゃ大変です。 特に排せつのケアはつらいと思うことも多分にあるでしょう。 さらにコミュニケーションがうまくとれない方や、目が離せない方などと毎日接していると、 「味わい深いおもしろい仕事」などとは思えないかもしれません。 では、少しでもそのように思えるためにはどうしたらいいか? どんなに関わり方が大変だと思った方でも、その方との中に必ず小さいながらも、 私たちの心に振動する何かがあると思うのです。 その小さな幸せを感じられるかどうか。 「はぁ忙しかった!やっと帰れる」と思った時、 「ふぅやれやれ」と息を掃き出す時、 でもこの日一日頑張ることが出来た、何かがあったことを思い浮かべてみましょう。 もしかしたら、いつも無表情のような人が少し微笑んで見えた瞬間や、 「家に帰らせろ!」と怒っている人が見せる一瞬の孤独な表情や、 ちょっとでも目と目があって見つめあった人がいたことや、 実は日常の忙しさの中に、ほんの小さな私たちの心を支えてくれる瞬間があったのかもしれません。 仕事が終わり、スイッチを自分の世界に切り替える前に、 少しだけ振り返ってみたら、 「いつも笑わないAさんが、今日少し笑ってくれた。」と 自分の中で少しほくそ笑むことができることがあるといいかもしれません。 みんな違って、みんなおもしろいからこそ、 この仕事の意義を感じることが出来るのではないでしょうか。    
ブログ投稿画像 「畏敬の念を抱く」とは、 「 超越した存在・崇高な存在に対して、無条件に敬う気持ちを持つこと」をいいます。例えば、 国や人種に関係なく救いの手を差し伸べたマザー・テレサの行動に、畏敬の念を抱いた。 富士山頂から見た朝日を見た時、言葉にできない畏敬の念を抱いた。 等々 とても崇高な人や自然に対して使われるように思います。 また普段は使わんやろ、そんなたいそうなって思うかもしれません。 ところがこの「畏敬の念」という言葉、小中学校の学習指導要綱にも載っているものなのです。 知らない大人は恥ずかしいのですよ! 解説には「とかく独善的になりやすい人間の心を反省させ、生きとし生けるものに対する感謝と尊敬の心を生み出していくもの」と、書かれています。   私たちの仕事に振り返ると、マザーテレサでなくても、 人生70年、80年、90年、そして100年と、喜びも悲しみも乗り越えて頑張ってきた方々、 それだけでも敬意を示すと言うことが必要なのです。 その顔のしわの一つひとつに、その苦節が表されているのです。   認知症の人であっても「畏敬の念」が失われないケアを行うこと。 それを心掛けるだけでも、ケアの質は上がっていくでしょう。 センター長の石川でした。