ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo

「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

ブログ投稿画像

2022.03.22

心の荷物預かり所
「ドライブ・マイ・カー」から認知症ケアを考える センター長の石川です。 テーマである「ドライブ・マイカーから認知症ケアを考える」 ですが、映画は認知症とは全く関係がありません。 しかし、人の人生や心の内と関わる認知症ケアにとって 全く関係はないとは言えない映画なのです。 映画自体の感想・評価は、人それぞれなので、それはしません。 ただ、 「表面的に見えるいい面や悪い面だけでその人を見るのではなく、 様々な姿があるひとりの人として受け止める。」 というのも映画のひとつのテーマとしてあったのかなと思います。 認知症ケアでは一面しか見ないということが多々生じてしまいます。 でも人は一面から見ただけでは測れないのです。 例えば映画の主人公(西島秀俊、いいですね~!)がいずれ年老い、もし認知症になったとしたら、 その認知症状だけでない、 本人の生きざまに「さりげなく寄り添う」(どかどかと踏み込むのではなく)ことが 大切になってくるのではないかと思います。 苦しみの中でもがいていきた(いる)それぞれの人生。 その苦しみの中に一筋の光を見つけ、見いだすこと。 私たちの仕事は、「ケアの仕事」ではありますが、 一人ひとりの人生から一筋の光を見いだす素晴らしい仕事でもあると思うのです。 映画は3時間です。私は水分を事前に取らず見ました(笑)  でも3時間、すぐに過ぎます。 大人の映画なので、子どもは連れて行かないようにしましょう。
ブログ投稿画像

2022.03.11

心の荷物預かり所
忘れてはいけない忘れられない3・11 阪神淡路大震災の時、崩壊した家の瓦礫の中から娘を救い出した父親 やがてその娘は成人し、結婚して仙台へ旅立った。 「お父さん、赤ちゃんできてん」 娘からの喜びのメッセージ しかし阪神淡路大震災を生き残った娘は 津波に飲み込まれ、行方不明に… その娘の父親が出会ったのが ノーマさんの詩でした。   「最後だとわかっていたなら」 あなたがドアを出ていくのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしは あなたを抱きしめて キスをして そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう あなたは言われなくとも わかってくれていたかもしれないけれど 最後だとわかっていたら 一言だけでもいい 「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう たしかにいつも明日はやってくる でももしそれが私の勘違いで 今日ですべてが終わるのだとしたら、 わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい そしてわたしたちは 忘れないようにしたい 若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも 約束されていないのだということを 愛する人を抱きしめられるのは 今日が最後になるかもしれないことを 微笑みや 抱擁や キスをするための ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと 忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを どうして してあげられなかったのかと だから 今日 あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう 「ごめんね」や 「許してね」や 「ありがとう」や 「気にしないで」を 伝える時をもとう そうすれば もし明日が来ないとしても あなたは今日を 後悔しないだろうから ノーマ コーネット マレック 作サンクチュアリ出版 「最後だとわかっていたなら」より 佐川睦訳 「忙しさを理由に  その人の最後の願いとなってしまったことを  どうして してあげられなかったのかと」 私はケアの現場にいた時に、これと同じ痛い経験をしています。 「若い人にも  年老いた人にも  明日は誰にも  約束されていないのだということを」 今日一日を大切にするならば、いがみあうより 笑顔ですね。 3月11日 ご冥福をお祈り申し上げます。
ブログ投稿画像

2022.03.07

心の荷物預かり所
「ありがとう」の言葉  今は「人類」の存在価値が試されているときかもしれません。  科学を発展させ、たぶん、地球上の支配者となっている人類ですが、     戦争という虐殺から、誹謗中傷と言う身近な攻撃まで、     人類は「そこまでの存在」でしかないのかもしれませんね。 そのような時代だから大切にして行きたい言葉 少し長くなりますが、以前に何かに書いたものをここに載せます。 万博公園の梅はほぼ満開です。   ありがとうの言葉「父と子編」 ファミリーレストランで、店員さんが食事を持ってきたときのこと。 「どうもありがとう」とお父さんが言ったのを聞いた子供が、そのお父さんに聞きました。 「お父さんはお客さんなのに、どうしてありがとうって言ったの?」 お父さんはにこっと笑って答えました。 「それはね、料理を作ってくれたこと、その料理を運んでくれたことにありがとうって言ったんだよ。」 「ふ~ん・・・」子どもはいまいち理解できないような顔をして頷き、そして目の前のご馳走を食べ始めたのでした。 しかし、父親のこの行動はいつかきっと子供に反映されるでしょう。 今では珍しいような、親子の会話かもしれません。 だけど、とても大切なEI(感じる知性)を高める場面がそこにあると思いました。 確かにサービスを提供する側にお金を払っている私たちが、 お礼を言わなければならないのはおかしいことかもしれません。 お金を払っているのだから適切なサービスを受けるのは当たり前のことなのだと。 でもここはきっとそんなことを議論するところではないでしょう。 ある日のこと、 バスを降りる子どもが「運転手さんありがとう」と言って降りていくのを見たことがあります。 素直に、「運転手さんいつも安全に運んでくれてありがとう」という意味なのでしょう。 「はい、ありがとう」と微笑んで答える運転手。 そう、難しく考え議論するものでもないのです。 そして先日、知人のあるバス運転手がこう話してくれました。 「お客さんからありがとうって言われると、すごく気持ちがいいし、私も(安全運転への)達成感があります。この一言が、気持ちの豊かさに繋がるんだと思います。」 そう、たった一言だけのこと。 「おいしい料理を作ってくれてありがとう」「重たい料理を運んでくれてありがとう」 「いつも安全運転でありがとう」「寒い中の外でのお仕事ありがとう」「夜遅く、朝早くのお仕事にもありがとう」・・・ 別に緊張して肩肘張って大声で言わなくてもいい。軽く感謝の意を伝えればいいのだ。 気軽に爽やかに、「ありがとう」「おつかれさん」「どういたしまして」「ごめんね」「気にしないで」って言えれば。 でも、そのたった一言を惜しんだために崩れていく人間関係もあるだろう。 むしろ今は、平気で誹謗中傷する時代。 社会的EIが高まるか悪化するかは、その一言が言えるか言えないかにも関わっているかもしれません。 まずは、自戒を込めて。 では、ろくでもないサービスをする人には何と言う? 「とっても不快な思いにさせてくれてありがとう」かな? おそらくそんな人には皮肉も通じないのかな。 多分、人のことばかり言ったり責めたり、そして不快な思いに人を巻き込む人は 時間の大切さを知らないのだと思う。 それはともかく、一生懸命に昼夜を問わずお仕事されている皆さまへ、 いつもいつも、本当にありがとうございます。 縁の下の人の働きがあるからこそ、その上で働く人が動けます。 その上の人が働けるから、縁の下の人が報われます。 苦難多々の状況の中で働いている皆様に 「ありがとう」   ナオト・インティライミ「こころことば」を聴きながら
ブログ投稿画像

2022.01.28

心の荷物預かり所
今日は逸話の日・心の危機を乗り越えよう! センター長の石川です ここに来て、コロナの最大嵐がやって来ましたね。 政治も行政もマスコミも、わやくちゃ、まさしくカオス状態ですね。 そのため私たちの心も乱れ、不安が増していく日々です。 当然、周囲の不安は、認知機能が低下している認知症の人にとっては 私たち以上に不安と混乱をもたらすでしょう。 はたして今年の阪神タイガース、両目に●が入るのか?   そのような中で、少しでも心を落ち着かすために 今日は逸話の日ということなので、こんな話を書いてみます。 私たちは、 「自分ではどうにもならないことに不満、愚痴ばかり言っていても、自らの心の危機を増長させるだけ」 ということです。 ラグビー日本代表で、医師を志すために引退した福岡選手はこんなことを言っています。 「自分ではどうにもならない事(今ならコロナ禍による様々な制限や状況)を、 どうのこうの言っても何も生み出さない。それよりも今自分にできることに最善を尽くします。」と。 さて、福岡選手、最近結婚した稲垣選手はどこにいるでしょう?   そうですね。今、自分にできることは何なのか? 当然感染症対策はありますが、心と体がアクティブになることを見つけ出すこと。 どんな時でもポジティブに考えること。 それが今の危機を乗り越えられる大きなポイントになるのではないでしょうか。 「愚痴や不満を言う時間があれば、とにかく前向きになれる、やれることを考える時間に使うこと」 心の危機を乗り越えるための最善策と言えるでしょう。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 テーマである「ドライブ・マイカーから認知症ケアを考える」 ですが、映画は認知症とは全く関係がありません。 しかし、人の人生や心の内と関わる認知症ケアにとって 全く関係はないとは言えない映画なのです。 映画自体の感想・評価は、人それぞれなので、それはしません。 ただ、 「表面的に見えるいい面や悪い面だけでその人を見るのではなく、 様々な姿があるひとりの人として受け止める。」 というのも映画のひとつのテーマとしてあったのかなと思います。 認知症ケアでは一面しか見ないということが多々生じてしまいます。 でも人は一面から見ただけでは測れないのです。 例えば映画の主人公(西島秀俊、いいですね~!)がいずれ年老い、もし認知症になったとしたら、 その認知症状だけでない、 本人の生きざまに「さりげなく寄り添う」(どかどかと踏み込むのではなく)ことが 大切になってくるのではないかと思います。 苦しみの中でもがいていきた(いる)それぞれの人生。 その苦しみの中に一筋の光を見つけ、見いだすこと。 私たちの仕事は、「ケアの仕事」ではありますが、 一人ひとりの人生から一筋の光を見いだす素晴らしい仕事でもあると思うのです。 映画は3時間です。私は水分を事前に取らず見ました(笑)  でも3時間、すぐに過ぎます。 大人の映画なので、子どもは連れて行かないようにしましょう。
ブログ投稿画像 阪神淡路大震災の時、崩壊した家の瓦礫の中から娘を救い出した父親 やがてその娘は成人し、結婚して仙台へ旅立った。 「お父さん、赤ちゃんできてん」 娘からの喜びのメッセージ しかし阪神淡路大震災を生き残った娘は 津波に飲み込まれ、行方不明に… その娘の父親が出会ったのが ノーマさんの詩でした。   「最後だとわかっていたなら」 あなたがドアを出ていくのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしは あなたを抱きしめて キスをして そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう あなたは言われなくとも わかってくれていたかもしれないけれど 最後だとわかっていたら 一言だけでもいい 「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう たしかにいつも明日はやってくる でももしそれが私の勘違いで 今日ですべてが終わるのだとしたら、 わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい そしてわたしたちは 忘れないようにしたい 若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも 約束されていないのだということを 愛する人を抱きしめられるのは 今日が最後になるかもしれないことを 微笑みや 抱擁や キスをするための ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと 忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを どうして してあげられなかったのかと だから 今日 あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう 「ごめんね」や 「許してね」や 「ありがとう」や 「気にしないで」を 伝える時をもとう そうすれば もし明日が来ないとしても あなたは今日を 後悔しないだろうから ノーマ コーネット マレック 作サンクチュアリ出版 「最後だとわかっていたなら」より 佐川睦訳 「忙しさを理由に  その人の最後の願いとなってしまったことを  どうして してあげられなかったのかと」 私はケアの現場にいた時に、これと同じ痛い経験をしています。 「若い人にも  年老いた人にも  明日は誰にも  約束されていないのだということを」 今日一日を大切にするならば、いがみあうより 笑顔ですね。 3月11日 ご冥福をお祈り申し上げます。
ブログ投稿画像  今は「人類」の存在価値が試されているときかもしれません。  科学を発展させ、たぶん、地球上の支配者となっている人類ですが、     戦争という虐殺から、誹謗中傷と言う身近な攻撃まで、     人類は「そこまでの存在」でしかないのかもしれませんね。 そのような時代だから大切にして行きたい言葉 少し長くなりますが、以前に何かに書いたものをここに載せます。 [caption id="attachment_3493" align="alignnone" width="1024"] 万博公園の梅はほぼ満開です。[/caption]   ありがとうの言葉「父と子編」 ファミリーレストランで、店員さんが食事を持ってきたときのこと。 「どうもありがとう」とお父さんが言ったのを聞いた子供が、そのお父さんに聞きました。 「お父さんはお客さんなのに、どうしてありがとうって言ったの?」 お父さんはにこっと笑って答えました。 「それはね、料理を作ってくれたこと、その料理を運んでくれたことにありがとうって言ったんだよ。」 「ふ~ん・・・」子どもはいまいち理解できないような顔をして頷き、そして目の前のご馳走を食べ始めたのでした。 しかし、父親のこの行動はいつかきっと子供に反映されるでしょう。 今では珍しいような、親子の会話かもしれません。 だけど、とても大切なEI(感じる知性)を高める場面がそこにあると思いました。 確かにサービスを提供する側にお金を払っている私たちが、 お礼を言わなければならないのはおかしいことかもしれません。 お金を払っているのだから適切なサービスを受けるのは当たり前のことなのだと。 でもここはきっとそんなことを議論するところではないでしょう。 ある日のこと、 バスを降りる子どもが「運転手さんありがとう」と言って降りていくのを見たことがあります。 素直に、「運転手さんいつも安全に運んでくれてありがとう」という意味なのでしょう。 「はい、ありがとう」と微笑んで答える運転手。 そう、難しく考え議論するものでもないのです。 そして先日、知人のあるバス運転手がこう話してくれました。 「お客さんからありがとうって言われると、すごく気持ちがいいし、私も(安全運転への)達成感があります。この一言が、気持ちの豊かさに繋がるんだと思います。」 そう、たった一言だけのこと。 「おいしい料理を作ってくれてありがとう」「重たい料理を運んでくれてありがとう」 「いつも安全運転でありがとう」「寒い中の外でのお仕事ありがとう」「夜遅く、朝早くのお仕事にもありがとう」・・・ 別に緊張して肩肘張って大声で言わなくてもいい。軽く感謝の意を伝えればいいのだ。 気軽に爽やかに、「ありがとう」「おつかれさん」「どういたしまして」「ごめんね」「気にしないで」って言えれば。 でも、そのたった一言を惜しんだために崩れていく人間関係もあるだろう。 むしろ今は、平気で誹謗中傷する時代。 社会的EIが高まるか悪化するかは、その一言が言えるか言えないかにも関わっているかもしれません。 まずは、自戒を込めて。 では、ろくでもないサービスをする人には何と言う? 「とっても不快な思いにさせてくれてありがとう」かな? おそらくそんな人には皮肉も通じないのかな。 多分、人のことばかり言ったり責めたり、そして不快な思いに人を巻き込む人は 時間の大切さを知らないのだと思う。 それはともかく、一生懸命に昼夜を問わずお仕事されている皆さまへ、 いつもいつも、本当にありがとうございます。 縁の下の人の働きがあるからこそ、その上で働く人が動けます。 その上の人が働けるから、縁の下の人が報われます。 苦難多々の状況の中で働いている皆様に 「ありがとう」   ナオト・インティライミ「こころことば」を聴きながら
ブログ投稿画像 センター長の石川です ここに来て、コロナの最大嵐がやって来ましたね。 政治も行政もマスコミも、わやくちゃ、まさしくカオス状態ですね。 そのため私たちの心も乱れ、不安が増していく日々です。 当然、周囲の不安は、認知機能が低下している認知症の人にとっては 私たち以上に不安と混乱をもたらすでしょう。 [caption id="attachment_3453" align="alignnone" width="1024"] はたして今年の阪神タイガース、両目に●が入るのか?[/caption]   そのような中で、少しでも心を落ち着かすために 今日は逸話の日ということなので、こんな話を書いてみます。 私たちは、 「自分ではどうにもならないことに不満、愚痴ばかり言っていても、自らの心の危機を増長させるだけ」 ということです。 ラグビー日本代表で、医師を志すために引退した福岡選手はこんなことを言っています。 「自分ではどうにもならない事(今ならコロナ禍による様々な制限や状況)を、 どうのこうの言っても何も生み出さない。それよりも今自分にできることに最善を尽くします。」と。 [caption id="attachment_3454" align="alignnone" width="1024"] さて、福岡選手、最近結婚した稲垣選手はどこにいるでしょう?[/caption]   そうですね。今、自分にできることは何なのか? 当然感染症対策はありますが、心と体がアクティブになることを見つけ出すこと。 どんな時でもポジティブに考えること。 それが今の危機を乗り越えられる大きなポイントになるのではないでしょうか。 「愚痴や不満を言う時間があれば、とにかく前向きになれる、やれることを考える時間に使うこと」 心の危機を乗り越えるための最善策と言えるでしょう。