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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2020.12.07

心の荷物預かり所
RAKU cafe(若年性認知症の方の集い)に参加してきました。 センター長の石川です 12月5日の土曜日、若年性認知症の方の集いが若江岩田にある花園生活支援センターでありました。 今回は4名の当事者の方とその家族、ケアマネジャーなどのケア担当者も参加、 また見学参加で5地域の包括支援センターのスタッフも来られてました。 集いでは、家族組と、当事者組に分かれ、近況報告などを行います。 私は当事者の方のグループに。 若いスタッフさんが知らない流れていた歌を、一緒に歌えるのは私が同年齢であるからというところでしょうか。 それぞれの人なりに悩みはあるものの、明るい表情の皆さんで、 サポートしているワーカーさんやケアマネジャーさんとの信頼関係も深いようでした。 大人の都合で、団らん風景の写真はありません。 ただ、集いの後の家族グループからの報告会では、かなり大変な状況の訴えもあったとのことです。 集いでは笑顔の当事者も、家へ帰ると介護者との軋轢が発生するのは当然かもしれません。 当事者を支えるのはサービスの活用など、専門職が何らかの形でサポートしていきます。 しかし家族の心身の疲労に対してのサポートをもっと重要視していく必要があります。 ショートやデイを利用している間、家族は休めてるではないかと考えるのは、私たち側の思い込みかもしれません。 もっと深い心の疲労感を、受け止める人がいないと言えるかもしれません。 認知症の人のケアだけでも心にダメージを受ける家族の方は多くおられます。 若年性の方を支えるとなった時の精神的ダメージはなおさらと言えるでしょう。 当事者の支援と介護家族の支援は両輪と言うのは皆様もわかってもらえると思うのですが、 家族への支援はまだまだ弱いと言えるでしょう。 乗鞍岳からの紅葉 さて、12月16日には当事者の方々が市役所でのお弁当発注、配達を頑張ってくれます。 市長さんや議員さんにも届けてくれるそうです。 もちろん、私もお手伝いに行かせてもらいます。 市内にはまだ多くの若年性認知症の方がおられると思います。 それもそれぞれ違った状況の中で。若年性認知症の方だけでなく、やるべきことは多々ありますね。 コロナ禍ではありますが、認知症の人のつらさは自粛できないのですから。
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2020.11.28

心の荷物預かり所
負けるもんか! センター長の石川です。 今朝の出勤時、虹を見ました。 こんな朝早くに虹を見るなんて滅多にないですね。 私には希望に繋がる虹に見えました。 とは言うものの、この冬は厳しい冬になりそうです。 寒さだけでなく、とくに精神的に不安や恐怖や戸惑いが厳しい冬かもしれません。 だけど、その厳しい冬の向こうには、 必ず桜の花咲く春が待っています。 HONDA創始者、本田宗一郎の言葉ですね。でも、休みは必要だけどね。 本田宗一郎はなかなかいい言葉を残していますね。 私自身はHONDAの車とは縁遠いのですが、心に響きます。 どうしても厳しさの前では心も体も縮こまってしまいます。 だからこそ、 顔を上げて 笑顔を浮かべて ジョークも言ってみましょう。 ネガティブになっても何も生まれません。 いい言葉ですね!顔を上げないとできないことです。   それでも心が苦しいときは、 「負けるもんか!」 と、叫んでください。 たまには屋上に上り、でっかい空と青空を眺めながら 「負けるもんか!」と叫ぶのもいいでしょう。 どこまでも青い生駒山上空 心の空き地も広がります。 そう、こんな社会情勢に負けていたら 1万円払って5千円のお釣りをもらわずに帰ってくるようなものです。 大損ですよ!   私は時々、朝の出勤時に、ナオトインティライミの「未来へ」を聴きます。 これまで何度かこのブログで載せていたものですね。 また別バージョンを載せておきます。 https://www.youtube.com/watch?v=_IhWcBc-XJM&list=RD_IhWcBc-XJM&start_radio=1&t=60 どんな状況でも「負けるもんか!」と、乗り越えていきましょう!
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2020.10.26

心の荷物預かり所
山頂へ登ると、そこは下界だった センター長の石川です。 今年の春は、コロナによる緊急事態宣言が出され、何もかもがその動きをストップさせてしまいました。 ただ介護の現場で働くものは、感染の恐怖に怯えながらも出勤を続けていました。 まさしく「介護を止めるな!」ですね。 そんな自粛期間中、アーバンケア島之内の屋上に上がり、生駒山を眺めることで動揺する心を落ち着かせたことがあります。 緊急事態宣言中は、山上遊園地もストップです 生駒山というと、ドライブで上がって夜景を眺める、そんなイメージしかない山でした。 しかし、屋上から生駒山を眺めていると、その中腹に展望所みたいなところがいくつかあるのを見つけ、 コロナが落ち着いたら反対側からアーバンケア島之内を見てみたいと思っていました。 矢印の部分が額田山展望所です そして半年後、これまで車で登る山のイメージしかない生駒山に、枚岡公園から足で登ってきました。 南港の赤い橋、そしてうっすらですが明石大橋も写っています。手前は花園ラグビー場です まずは中腹の額田山展望所から。 アーバンケアはまさしく地域の灯台の如く、目立つ色なのですぐに見つけることが出来、望遠カメラでゲット。 少しずつアップしていきます 目立つ色なのですぐにわかりました。 ようやく反対側から見ることが出来ました。 デジカメのデジタルズームで。さすがにぼやけますが、人がいれば誰だかわかりそうです。 この日はお天気も良く、あべのハルカスの向こうには淡路島まで見えました。 あべのハルカスからも、こっちを見ている人がいたのでしょうね。 さて、ここから登ること1時間半、テレビ塔が立ち並ぶところまで登ってきました。 思っていた以上に距離があります。 青空にラグビー日本代表模様の鉄塔が生えます(笑) 生駒山の山頂の三角点は遊園地の中にあります。 あまりない一等三角点の石標が生駒山にあります 何と遊園地の乗り物の敷地内にあるため、近づけません(笑)こんな三角点、日本ではここだけでしょう。ある意味貴重です。 それまでノーマスクで行けた人の少ない登山道。 ところが遊園地の中に入った途端、そこは人人人!山頂に登ったのにまるで下界にいるような人の多さでした。 外にある山頂遊園地なら安心という思いもあったのでしょうか。めっちゃ賑わっていました。 そこで早々に退散しました。 一年前のものですね。無事見つかっていて欲しいのですが… 下山途中のベンチに行方不明者の写真が。およそ1年前のものですね。この方見つかったのでしょうか? 生駒山とはいえ、一歩登山道から外れると、探しようもないかもしれません。山中で見つけた捜索写真。仕事柄ちょっと心が痛いものでした。 額田山展望所です。わずか240メートルですが、眺めは抜群です。 登山とまでは行かなくても、額田山展望所まで登れば、いい景色が見れますよ。 お天気が良い時は行ってみてはどうでしょうか。枚岡公園から約20分で登れます。 さて、アーバンケア島之内はどこにあるでしょうか? アーバンケア島之内を探せ!   矢印の場所ですよ
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2020.10.24

心の荷物預かり所
旅はまだまだ終わらない センター長の石川です。 昨日の朝、中島みゆきの「ヘッドライト、テールライト、旅はまだ終わらない~」と夢の中で流れ、目が覚めました。 不思議なものです。 穂高連峰の朝焼け 随分昔に撮った写真を撮影しました。 そうです。旅はまだまだ終わりません。 未到達の場所、未体験なこと、未発見なこと、そしてまだまだ未開発な自分の頭と考え。 テールライトは後に続くものに道を示し、 ヘッドライトは新たな未来を照らします。 人生の旅はまだまだ続きます。 遥か昔の若かりし頃。テント含めて約30キロの荷物担いで登った北アルプス常念岳です 中島みゆきの唄というと、コロナ禍において結構応援歌として様々な曲が聞かれていたようですね。 でも今回は、ナオトインティライミの映像の再掲です。 そうです。以前もこのブログで一度紹介していますが、 今回はライブ版で コロナはまた増えはじめ、人々の動きはある程度復活したとはいえ 先はまだ見えません。 ある日突然、これまであった日常がなくなってしまった絶望感がこの歌の最初に出てきます。 (まるでコロナ禍を予感したような歌詞でした) それでも、希望を持って未来へ向かっていくこと。 https://www.youtube.com/watch?v=gDnTpWAqbys わかりきったことですが、ダメだと思ったその瞬間から未来はなくなります。 もしかしたらダメに思える状況だと思い込んでいるのかもしれません。 負けるものか!の思いが、目の前を照らします。 アインシュタインの大好きな言葉 「問題が起こった時の考え方では、その問題を解決することはできない」 ですね。
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2020.10.09

心の荷物預かり所
「知れば知るほど無知を知る。そして人は深まる。」 センター長の石川です。 今ブログのネタとして考えているのが、「感情と感性」と言うのと「5憲章」と「阿吽の呼吸と不器用な一生懸命さ」、「焼き場に立つ少年の話」そして「プライドについて」というテーマです。 いずれも重たいテーマで、わかりやすく書くのにちょっと時間が掛かりそうです。 ということで、今日は認知症ケアから離れた火星の話です。 誰もが知っている火星。この6日、その火星と地球とが接近した日でした。 ですから赤い(オレンジ色)火星が東の空に輝いていたのですね。 接近したと言っても、400ミリ望遠でもこの程度の大きさです。次回の接近は2035年だそうです。 必ずしも太陽の周りを地球も火星も円形で規則正しく回っているわけではないので、時に接近したりするのです。 接近と言っても新幹線のスピードで26年もかかる距離に火星はあります。 近いけど遠い星。でも人類が移住できる(避難する)としたら、この火星しかないのですよね。 だけど、そのお隣の星、火星のこともわかっていないことが一杯なのです。 もし地球が壊れるようなことになったら、人類の頼れる星は火星しかないというのに。 そうです。私たちの周りはわからないことだらけ。 飛行機が何故飛べるか? これ100%解明されてないそうです。ちゃんと飛んで下りてこられるからまぁいいかっていう感じですね。 ケアの世界だってわからないことばかり。 特に人間自身との関りですから、100人いれば100通りのケアが必要になります。 それでも私たちは、「わからないからどうでもいいや」って思ってしまったら、100万年経っても進歩はありません。 常にわかろうとする好奇心を持つこと。好奇心を持てば色々なことに興味を示し、ケアの内容も人自身も道が開けていきます。 こんな場所でゆっくり読書をしていたいですね 物事ネガティブばかりに考えず、好奇心を持って考えてみましょう。 「おもろい発見」に出会うかもしれません。 好奇心 え?ウサギって月にもいたんや!? 「知れば知るほど無知を知る。そして人は深まる。」(大谷大学キャッチフレーズ)
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2020.10.03

心の荷物預かり所
「人生の卒業式」雲一つない日に 「山さん(仮名)ありがとう。私たちに色々教えてくれて。その教えを無駄にしないようにします。」 山さんの亡骸に触れながら、ケアワーカーは山さんに語り掛けたのでした。 「ごめんね、たくさんの薬飲ませてしまって。亡くなる時にそばにおれなくて。本当にごめん。」 センター長の石川です。 かつて私が某老人ホームで生活相談員をしていた時、100名いや数えきれない多くの方の死に接しました。 今は直接的にケアの現場にいないため、本当に久しぶりに亡くなられた直後の方の所に行きました。 たまたまこの日の朝、ブログに載せるための写真を探していました。 「見つめあっている写真」がないかなと。 その時、山さん(仮名)と息子さんが見つめあっている写真を見つけたところでした。 それから1時間後でしょうか。山さんが亡くなられたのは。 山さんはある意味ケアスタッフ泣かせの方でした。 特に夜間の頻繁な訴えはケアスタッフを散々困らせたものです。 ケアでの関り方が見つけ出せない中、薬に頼ることになっていきます。 山さんがそれで静かになったとしても、それではケアワークの専門職としてのプライドを捨てるのと同じ。 現場の人たちも苦悩の日々が続いたのです。 ケアマネジャーは山さんが危ないかもしれないと感じたのか、 前日家族に連絡し、コロナ体制の面会規制中でしたが、山さんに面会してもらっていました。 ここで息子さんと山さんははっきりとお話が出来たそうです。 これがなければしばらく会えないまま、会話もないままに亡くなってしまったということになったでしょう。 山さんの亡骸を見守る中、新人の栄養士も来てくれました。 昨日山さんの食事介助をしてくれたところだったそうです。 「私、いてもいいですか?」もちろん、いいに決まってる、ありがとう。彼女も山さんをやさしく撫でてくれ、涙していました。そして何人ものケアワーカーたちがやってきて山さんに声を掛けてくれていました。 やがて交通渋滞で到着が遅くなった息子さんが到着したのでした。 そこから先は… 以前、息子さんを交えたカンファレンスでは、母としての山さんの思い出を語ってくれました。 暴力をふるう父親から身を挺して子どもたちを守ってくれた母親だったそうです。 その山さんも晩年は精神的な疾患と認知症が相まった行動が出て、ご家族も苦労されたそうでした。   お見送り、いや「人生の卒業式」が行われました。 生まれ育った糸魚川、楽しくはしゃいだ子ども時代、そして青春時代。 母となり子どもたちを必死に育ててきた日々、子どもたちの独立後はカラオケの先生として地域の人から慕われ、そして発病と共にそれらの人が離れていった、生きているそのものに対しての孤独な闘いの日々… その山さんの人生の卒業式。 山さんが好きだった美空ひばりの音楽が流れる中、 多くの職員、デイサービスや入居利用者に見送らる中、晩年を過ごした特養を後にしたのでした。 思えば山さんは、その残り少ない命を、身を挺してケアスタッフたちに学びの時間を与えてくれたと言えます。 ケアスタッフたちも正直苦しみました。 しかしその失敗や苦しみの中で少しずつ成長していくのです。きっと。 「山さん、ありがとう。あなたから学んだものは、絶対活かすから。」 ケアスタッフの力強い言葉でした。 昨年のお祭りの時に撮影。見つめあう親子の姿です。
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2020.09.12

心の荷物預かり所
夜と霧 センター長の石川です。 今日はちょっと固く重いお話しです。 40年前に読んだ本、私にとっては最大の愛書です。 フランクル著の「夜と霧」 今の若い人からすると、恐らくは知らない人の方が増えているかもしれない 「アウシュヴィッツ強制収容所」の話です。 大量虐殺があった場所ですね。(原爆を落とされた広島、長崎も同じです) 一度は訪れてみたい場所ですが、ポーランドは遠いです。 あえて、私がここでどうのこうのと書くのはおこがましいので 紹介のみにとどめますが、 コロナ禍で人々の心が(私の心が)不安と恐怖に駆り立てられ、動揺する中、 読み返すべき本ではないかと思ったからです。 40年前、失意のどん底にあった私を、京都大学のカウンセラーであった故石井完一郎氏の最後の講義を聞くことが出来、その時に紹介された本でもあります。 生きる意味や、苦悩の意味、私たちが忘れてはならないこと等 今だからこそ考え直さなければならない時かもしれません。 「光は闇を照らしき」 どんなに暗い世の中でも、人の悪口を言わず、常に笑顔で前向きの人は、闇を照らす光になるのでしょう。 闇より光を目指しましょうね。 下記の文章は、私たちが仕事を行うにおいても大切なことではないかと思います。
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2020.08.12

心の荷物預かり所
心と心はすぐ近くで繋がっている センター長の石川です。 約3年半デイサービスやショートステイ、ヘルパーを利用されていましたAさんが、 長男様がおられる神奈川県に引っ越されました。 その長男様から「アーバンケア島之内」への丁寧なお礼の手紙をいただきました。 私たちにとって、とても励みになる内容の手紙でした。 化野念仏寺にて 東大阪で一人暮らしのAさんが認知症になられて、遠く横浜に住むご長男様は途方に暮れたとのことでした。 それから3年半、Aさんには様々な出来事が起きましたが、 デイサービスやヘルパーを利用しながら頑張って独居生活を続けてこられていました。 長男様も遠方でありながら、度々来阪し、Aさんのケアを行っておられました。 7万年の歴史が眠る水月湖 しかし、独居生活も厳しくなり、このまま大阪での生活を続けるには長男様との距離はあまりにも遠く、長男様の自宅近くの特養への入所となったのです。 Aさん最後の日のデイサービス、私は見送る時に泣いてしまうと思い、わざと訪問相談をその時間に入れました。 その日はお別れの挨拶というよりごく普通の会話をして、 明日を見つめるAさんの姿を見つめながら、そっとお別れしました。 扉の向こうには新たな生活が… 今、デイサービスに、いつものAさんの姿がないのはやっぱり寂しいですね。 元々関東出身で、ちょっと大阪弁や大阪のおばちゃんが馴染めなかったところがあったAさんですが、 今はきっとお友達もできて、楽しく過ごされているのではないかと思います。 ご長男様からの「感謝の手紙」ではありますが、 私たちこそ、Aさんや長男様と出逢えたこと、そして関りを持てたことへの感謝の思いでいっぱいです。 今日はペルセウス座流星群の日ですね 遠く離れても、コロナウイルスで尚更距離が離されても、心と心はすぐ近くで繋がっている。 青空や星空が繋がっているように。 私たちとAさんだけではなく、今は直接の面会が出来ないご家族も、 「心と心はすぐ近くで繋がっている」と言えるのではないでしょうか。 それも、今まで以上に。
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2020.07.28

心の荷物預かり所
使命感 センター長の石川です。 最近立て続けに、学生さんの投稿に「頑張ってるな~!」と感心させられる投稿を見つけました。 いずれも朝日新聞「声」欄、7月26,27日の分です。 コロナ禍で大変な状況 最近の罹患者は若者が圧倒的に多く、実のところ高齢者の端くれの私は、 自由奔放過ぎてコロナなんかどこ吹く風みたいな若者がいるとやはり距離を置いてしまいます。 ただこの投稿のように使命感に燃えた若者がいることも素敵だなと思います。 朝日新聞「声」欄 7月26日 「たかがスーパーのレジバイト」ではなく、私たちの生活に必要不可欠な役割を担ってくれている若者なのです。 「地域の人々の生活を支えているんだという使命感」 私たちケアの仕事も同じですね。 その使命感に誇りを持つことです。 昨日と同じ虹です。レインボーではなく、レイン棒ですね。 そして、昨日のブログにも載せた投稿。 コロナ禍で、ともすれば人と人の繋がりが希薄になって行きます。 そのような中でも創意工夫をしてコミュニケーションを深めようとする姿があります。 朝日新聞「声」欄7月27日 多くの制限が生じている現状。 単にやれないできないだけでなく、 このような状況だからこそ創意工夫をして人との繋がりを深めていこうという姿勢が必要だと思います。 それこそが、「介護とは、自分の未来を創ること」に繋がるのではないでしょうか。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 12月5日の土曜日、若年性認知症の方の集いが若江岩田にある花園生活支援センターでありました。 今回は4名の当事者の方とその家族、ケアマネジャーなどのケア担当者も参加、 また見学参加で5地域の包括支援センターのスタッフも来られてました。 集いでは、家族組と、当事者組に分かれ、近況報告などを行います。 私は当事者の方のグループに。 若いスタッフさんが知らない流れていた歌を、一緒に歌えるのは私が同年齢であるからというところでしょうか。 それぞれの人なりに悩みはあるものの、明るい表情の皆さんで、 サポートしているワーカーさんやケアマネジャーさんとの信頼関係も深いようでした。 [caption id="attachment_2175" align="aligncenter" width="650"] 大人の都合で、団らん風景の写真はありません。[/caption] ただ、集いの後の家族グループからの報告会では、かなり大変な状況の訴えもあったとのことです。 集いでは笑顔の当事者も、家へ帰ると介護者との軋轢が発生するのは当然かもしれません。 当事者を支えるのはサービスの活用など、専門職が何らかの形でサポートしていきます。 しかし家族の心身の疲労に対してのサポートをもっと重要視していく必要があります。 ショートやデイを利用している間、家族は休めてるではないかと考えるのは、私たち側の思い込みかもしれません。 もっと深い心の疲労感を、受け止める人がいないと言えるかもしれません。 認知症の人のケアだけでも心にダメージを受ける家族の方は多くおられます。 若年性の方を支えるとなった時の精神的ダメージはなおさらと言えるでしょう。 当事者の支援と介護家族の支援は両輪と言うのは皆様もわかってもらえると思うのですが、 家族への支援はまだまだ弱いと言えるでしょう。 [caption id="attachment_2174" align="aligncenter" width="650"] 乗鞍岳からの紅葉[/caption] さて、12月16日には当事者の方々が市役所でのお弁当発注、配達を頑張ってくれます。 市長さんや議員さんにも届けてくれるそうです。 もちろん、私もお手伝いに行かせてもらいます。 市内にはまだ多くの若年性認知症の方がおられると思います。 それもそれぞれ違った状況の中で。若年性認知症の方だけでなく、やるべきことは多々ありますね。 コロナ禍ではありますが、認知症の人のつらさは自粛できないのですから。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今朝の出勤時、虹を見ました。 こんな朝早くに虹を見るなんて滅多にないですね。 私には希望に繋がる虹に見えました。 とは言うものの、この冬は厳しい冬になりそうです。 寒さだけでなく、とくに精神的に不安や恐怖や戸惑いが厳しい冬かもしれません。 だけど、その厳しい冬の向こうには、 必ず桜の花咲く春が待っています。 [caption id="attachment_2146" align="aligncenter" width="480"] HONDA創始者、本田宗一郎の言葉ですね。でも、休みは必要だけどね。[/caption] 本田宗一郎はなかなかいい言葉を残していますね。 私自身はHONDAの車とは縁遠いのですが、心に響きます。 どうしても厳しさの前では心も体も縮こまってしまいます。 だからこそ、 顔を上げて 笑顔を浮かべて ジョークも言ってみましょう。 ネガティブになっても何も生まれません。 [caption id="attachment_2147" align="aligncenter" width="512"] いい言葉ですね!顔を上げないとできないことです。[/caption]   それでも心が苦しいときは、 「負けるもんか!」 と、叫んでください。 たまには屋上に上り、でっかい空と青空を眺めながら 「負けるもんか!」と叫ぶのもいいでしょう。 [caption id="attachment_2142" align="aligncenter" width="650"] どこまでも青い生駒山上空 心の空き地も広がります。[/caption] そう、こんな社会情勢に負けていたら 1万円払って5千円のお釣りをもらわずに帰ってくるようなものです。 大損ですよ!   私は時々、朝の出勤時に、ナオトインティライミの「未来へ」を聴きます。 これまで何度かこのブログで載せていたものですね。 また別バージョンを載せておきます。 https://www.youtube.com/watch?v=_IhWcBc-XJM&list=RD_IhWcBc-XJM&start_radio=1&t=60 どんな状況でも「負けるもんか!」と、乗り越えていきましょう!
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今年の春は、コロナによる緊急事態宣言が出され、何もかもがその動きをストップさせてしまいました。 ただ介護の現場で働くものは、感染の恐怖に怯えながらも出勤を続けていました。 まさしく「介護を止めるな!」ですね。 そんな自粛期間中、アーバンケア島之内の屋上に上がり、生駒山を眺めることで動揺する心を落ち着かせたことがあります。 [caption id="attachment_2029" align="aligncenter" width="650"] 緊急事態宣言中は、山上遊園地もストップです[/caption] 生駒山というと、ドライブで上がって夜景を眺める、そんなイメージしかない山でした。 しかし、屋上から生駒山を眺めていると、その中腹に展望所みたいなところがいくつかあるのを見つけ、 コロナが落ち着いたら反対側からアーバンケア島之内を見てみたいと思っていました。 [caption id="attachment_2030" align="aligncenter" width="650"] 矢印の部分が額田山展望所です[/caption] そして半年後、これまで車で登る山のイメージしかない生駒山に、枚岡公園から足で登ってきました。 [caption id="attachment_2033" align="aligncenter" width="650"] 南港の赤い橋、そしてうっすらですが明石大橋も写っています。手前は花園ラグビー場です[/caption] まずは中腹の額田山展望所から。 アーバンケアはまさしく地域の灯台の如く、目立つ色なのですぐに見つけることが出来、望遠カメラでゲット。 [caption id="attachment_2031" align="aligncenter" width="1600"] 少しずつアップしていきます[/caption] [caption id="attachment_2032" align="aligncenter" width="650"] 目立つ色なのですぐにわかりました。[/caption] ようやく反対側から見ることが出来ました。 [caption id="attachment_2024" align="aligncenter" width="1600"] デジカメのデジタルズームで。さすがにぼやけますが、人がいれば誰だかわかりそうです。[/caption] この日はお天気も良く、あべのハルカスの向こうには淡路島まで見えました。 [caption id="attachment_2035" align="aligncenter" width="650"] あべのハルカスからも、こっちを見ている人がいたのでしょうね。[/caption] さて、ここから登ること1時間半、テレビ塔が立ち並ぶところまで登ってきました。 思っていた以上に距離があります。 [caption id="attachment_2025" align="aligncenter" width="650"] 青空にラグビー日本代表模様の鉄塔が生えます(笑)[/caption] 生駒山の山頂の三角点は遊園地の中にあります。 [caption id="attachment_2026" align="aligncenter" width="650"] あまりない一等三角点の石標が生駒山にあります[/caption] [caption id="attachment_2027" align="aligncenter" width="650"] 何と遊園地の乗り物の敷地内にあるため、近づけません(笑)こんな三角点、日本ではここだけでしょう。ある意味貴重です。[/caption] それまでノーマスクで行けた人の少ない登山道。 ところが遊園地の中に入った途端、そこは人人人!山頂に登ったのにまるで下界にいるような人の多さでした。 外にある山頂遊園地なら安心という思いもあったのでしょうか。めっちゃ賑わっていました。 そこで早々に退散しました。 [caption id="attachment_2028" align="aligncenter" width="650"] 一年前のものですね。無事見つかっていて欲しいのですが…[/caption] 下山途中のベンチに行方不明者の写真が。およそ1年前のものですね。この方見つかったのでしょうか? 生駒山とはいえ、一歩登山道から外れると、探しようもないかもしれません。山中で見つけた捜索写真。仕事柄ちょっと心が痛いものでした。 [caption id="attachment_2023" align="aligncenter" width="650"] 額田山展望所です。わずか240メートルですが、眺めは抜群です。[/caption] 登山とまでは行かなくても、額田山展望所まで登れば、いい景色が見れますよ。 お天気が良い時は行ってみてはどうでしょうか。枚岡公園から約20分で登れます。 [caption id="attachment_2036" align="aligncenter" width="650"] さて、アーバンケア島之内はどこにあるでしょうか?[/caption] アーバンケア島之内を探せ!   [caption id="attachment_2034" align="aligncenter" width="650"] 矢印の場所ですよ[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 昨日の朝、中島みゆきの「ヘッドライト、テールライト、旅はまだ終わらない~」と夢の中で流れ、目が覚めました。 不思議なものです。 [caption id="attachment_2015" align="aligncenter" width="650"] 穂高連峰の朝焼け 随分昔に撮った写真を撮影しました。[/caption] そうです。旅はまだまだ終わりません。 未到達の場所、未体験なこと、未発見なこと、そしてまだまだ未開発な自分の頭と考え。 テールライトは後に続くものに道を示し、 ヘッドライトは新たな未来を照らします。 人生の旅はまだまだ続きます。 [caption id="attachment_2016" align="aligncenter" width="650"] 遥か昔の若かりし頃。テント含めて約30キロの荷物担いで登った北アルプス常念岳です[/caption] 中島みゆきの唄というと、コロナ禍において結構応援歌として様々な曲が聞かれていたようですね。 でも今回は、ナオトインティライミの映像の再掲です。 そうです。以前もこのブログで一度紹介していますが、 今回はライブ版で コロナはまた増えはじめ、人々の動きはある程度復活したとはいえ 先はまだ見えません。 ある日突然、これまであった日常がなくなってしまった絶望感がこの歌の最初に出てきます。 (まるでコロナ禍を予感したような歌詞でした) それでも、希望を持って未来へ向かっていくこと。 https://www.youtube.com/watch?v=gDnTpWAqbys わかりきったことですが、ダメだと思ったその瞬間から未来はなくなります。 もしかしたらダメに思える状況だと思い込んでいるのかもしれません。 負けるものか!の思いが、目の前を照らします。 アインシュタインの大好きな言葉 「問題が起こった時の考え方では、その問題を解決することはできない」 ですね。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今ブログのネタとして考えているのが、「感情と感性」と言うのと「5憲章」と「阿吽の呼吸と不器用な一生懸命さ」、「焼き場に立つ少年の話」そして「プライドについて」というテーマです。 いずれも重たいテーマで、わかりやすく書くのにちょっと時間が掛かりそうです。 ということで、今日は認知症ケアから離れた火星の話です。 誰もが知っている火星。この6日、その火星と地球とが接近した日でした。 ですから赤い(オレンジ色)火星が東の空に輝いていたのですね。 [caption id="attachment_1988" align="aligncenter" width="650"] 接近したと言っても、400ミリ望遠でもこの程度の大きさです。次回の接近は2035年だそうです。[/caption] 必ずしも太陽の周りを地球も火星も円形で規則正しく回っているわけではないので、時に接近したりするのです。 接近と言っても新幹線のスピードで26年もかかる距離に火星はあります。 近いけど遠い星。でも人類が移住できる(避難する)としたら、この火星しかないのですよね。 だけど、そのお隣の星、火星のこともわかっていないことが一杯なのです。 もし地球が壊れるようなことになったら、人類の頼れる星は火星しかないというのに。 そうです。私たちの周りはわからないことだらけ。 飛行機が何故飛べるか? これ100%解明されてないそうです。ちゃんと飛んで下りてこられるからまぁいいかっていう感じですね。 ケアの世界だってわからないことばかり。 特に人間自身との関りですから、100人いれば100通りのケアが必要になります。 それでも私たちは、「わからないからどうでもいいや」って思ってしまったら、100万年経っても進歩はありません。 常にわかろうとする好奇心を持つこと。好奇心を持てば色々なことに興味を示し、ケアの内容も人自身も道が開けていきます。 [caption id="attachment_1989" align="aligncenter" width="650"] こんな場所でゆっくり読書をしていたいですね[/caption] 物事ネガティブばかりに考えず、好奇心を持って考えてみましょう。 「おもろい発見」に出会うかもしれません。 [caption id="attachment_1878" align="aligncenter" width="650"] 好奇心 え?ウサギって月にもいたんや!?[/caption] 「知れば知るほど無知を知る。そして人は深まる。」(大谷大学キャッチフレーズ)
ブログ投稿画像 「山さん(仮名)ありがとう。私たちに色々教えてくれて。その教えを無駄にしないようにします。」 山さんの亡骸に触れながら、ケアワーカーは山さんに語り掛けたのでした。 「ごめんね、たくさんの薬飲ませてしまって。亡くなる時にそばにおれなくて。本当にごめん。」 センター長の石川です。 かつて私が某老人ホームで生活相談員をしていた時、100名いや数えきれない多くの方の死に接しました。 今は直接的にケアの現場にいないため、本当に久しぶりに亡くなられた直後の方の所に行きました。 たまたまこの日の朝、ブログに載せるための写真を探していました。 「見つめあっている写真」がないかなと。 その時、山さん(仮名)と息子さんが見つめあっている写真を見つけたところでした。 それから1時間後でしょうか。山さんが亡くなられたのは。 山さんはある意味ケアスタッフ泣かせの方でした。 特に夜間の頻繁な訴えはケアスタッフを散々困らせたものです。 ケアでの関り方が見つけ出せない中、薬に頼ることになっていきます。 山さんがそれで静かになったとしても、それではケアワークの専門職としてのプライドを捨てるのと同じ。 現場の人たちも苦悩の日々が続いたのです。 ケアマネジャーは山さんが危ないかもしれないと感じたのか、 前日家族に連絡し、コロナ体制の面会規制中でしたが、山さんに面会してもらっていました。 ここで息子さんと山さんははっきりとお話が出来たそうです。 これがなければしばらく会えないまま、会話もないままに亡くなってしまったということになったでしょう。 山さんの亡骸を見守る中、新人の栄養士も来てくれました。 昨日山さんの食事介助をしてくれたところだったそうです。 「私、いてもいいですか?」もちろん、いいに決まってる、ありがとう。彼女も山さんをやさしく撫でてくれ、涙していました。そして何人ものケアワーカーたちがやってきて山さんに声を掛けてくれていました。 やがて交通渋滞で到着が遅くなった息子さんが到着したのでした。 そこから先は… 以前、息子さんを交えたカンファレンスでは、母としての山さんの思い出を語ってくれました。 暴力をふるう父親から身を挺して子どもたちを守ってくれた母親だったそうです。 その山さんも晩年は精神的な疾患と認知症が相まった行動が出て、ご家族も苦労されたそうでした。   お見送り、いや「人生の卒業式」が行われました。 生まれ育った糸魚川、楽しくはしゃいだ子ども時代、そして青春時代。 母となり子どもたちを必死に育ててきた日々、子どもたちの独立後はカラオケの先生として地域の人から慕われ、そして発病と共にそれらの人が離れていった、生きているそのものに対しての孤独な闘いの日々… その山さんの人生の卒業式。 山さんが好きだった美空ひばりの音楽が流れる中、 多くの職員、デイサービスや入居利用者に見送らる中、晩年を過ごした特養を後にしたのでした。 思えば山さんは、その残り少ない命を、身を挺してケアスタッフたちに学びの時間を与えてくれたと言えます。 ケアスタッフたちも正直苦しみました。 しかしその失敗や苦しみの中で少しずつ成長していくのです。きっと。 「山さん、ありがとう。あなたから学んだものは、絶対活かすから。」 ケアスタッフの力強い言葉でした。 [caption id="attachment_1981" align="aligncenter" width="650"] 昨年のお祭りの時に撮影。見つめあう親子の姿です。[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今日はちょっと固く重いお話しです。 40年前に読んだ本、私にとっては最大の愛書です。 フランクル著の「夜と霧」 今の若い人からすると、恐らくは知らない人の方が増えているかもしれない 「アウシュヴィッツ強制収容所」の話です。 大量虐殺があった場所ですね。(原爆を落とされた広島、長崎も同じです) [caption id="attachment_1916" align="aligncenter" width="650"] 一度は訪れてみたい場所ですが、ポーランドは遠いです。[/caption] あえて、私がここでどうのこうのと書くのはおこがましいので 紹介のみにとどめますが、 コロナ禍で人々の心が(私の心が)不安と恐怖に駆り立てられ、動揺する中、 読み返すべき本ではないかと思ったからです。 40年前、失意のどん底にあった私を、京都大学のカウンセラーであった故石井完一郎氏の最後の講義を聞くことが出来、その時に紹介された本でもあります。 生きる意味や、苦悩の意味、私たちが忘れてはならないこと等 今だからこそ考え直さなければならない時かもしれません。 「光は闇を照らしき」 どんなに暗い世の中でも、人の悪口を言わず、常に笑顔で前向きの人は、闇を照らす光になるのでしょう。 闇より光を目指しましょうね。 下記の文章は、私たちが仕事を行うにおいても大切なことではないかと思います。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 約3年半デイサービスやショートステイ、ヘルパーを利用されていましたAさんが、 長男様がおられる神奈川県に引っ越されました。 その長男様から「アーバンケア島之内」への丁寧なお礼の手紙をいただきました。 私たちにとって、とても励みになる内容の手紙でした。 [caption id="attachment_1839" align="aligncenter" width="650"] 化野念仏寺にて[/caption] 東大阪で一人暮らしのAさんが認知症になられて、遠く横浜に住むご長男様は途方に暮れたとのことでした。 それから3年半、Aさんには様々な出来事が起きましたが、 デイサービスやヘルパーを利用しながら頑張って独居生活を続けてこられていました。 長男様も遠方でありながら、度々来阪し、Aさんのケアを行っておられました。 [caption id="attachment_1840" align="aligncenter" width="650"] 7万年の歴史が眠る水月湖[/caption] しかし、独居生活も厳しくなり、このまま大阪での生活を続けるには長男様との距離はあまりにも遠く、長男様の自宅近くの特養への入所となったのです。 Aさん最後の日のデイサービス、私は見送る時に泣いてしまうと思い、わざと訪問相談をその時間に入れました。 その日はお別れの挨拶というよりごく普通の会話をして、 明日を見つめるAさんの姿を見つめながら、そっとお別れしました。 [caption id="attachment_1806" align="aligncenter" width="650"] 扉の向こうには新たな生活が…[/caption] 今、デイサービスに、いつものAさんの姿がないのはやっぱり寂しいですね。 元々関東出身で、ちょっと大阪弁や大阪のおばちゃんが馴染めなかったところがあったAさんですが、 今はきっとお友達もできて、楽しく過ごされているのではないかと思います。 ご長男様からの「感謝の手紙」ではありますが、 私たちこそ、Aさんや長男様と出逢えたこと、そして関りを持てたことへの感謝の思いでいっぱいです。 [caption id="attachment_1721" align="aligncenter" width="650"] 今日はペルセウス座流星群の日ですね[/caption] 遠く離れても、コロナウイルスで尚更距離が離されても、心と心はすぐ近くで繋がっている。 青空や星空が繋がっているように。 私たちとAさんだけではなく、今は直接の面会が出来ないご家族も、 「心と心はすぐ近くで繋がっている」と言えるのではないでしょうか。 それも、今まで以上に。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 最近立て続けに、学生さんの投稿に「頑張ってるな~!」と感心させられる投稿を見つけました。 いずれも朝日新聞「声」欄、7月26,27日の分です。 コロナ禍で大変な状況 最近の罹患者は若者が圧倒的に多く、実のところ高齢者の端くれの私は、 自由奔放過ぎてコロナなんかどこ吹く風みたいな若者がいるとやはり距離を置いてしまいます。 ただこの投稿のように使命感に燃えた若者がいることも素敵だなと思います。 [caption id="attachment_1792" align="aligncenter" width="650"] 朝日新聞「声」欄 7月26日[/caption] 「たかがスーパーのレジバイト」ではなく、私たちの生活に必要不可欠な役割を担ってくれている若者なのです。 「地域の人々の生活を支えているんだという使命感」 私たちケアの仕事も同じですね。 その使命感に誇りを持つことです。 [caption id="attachment_1791" align="aligncenter" width="650"] 昨日と同じ虹です。レインボーではなく、レイン棒ですね。[/caption] そして、昨日のブログにも載せた投稿。 コロナ禍で、ともすれば人と人の繋がりが希薄になって行きます。 そのような中でも創意工夫をしてコミュニケーションを深めようとする姿があります。 [caption id="attachment_1793" align="aligncenter" width="650"] 朝日新聞「声」欄7月27日[/caption] 多くの制限が生じている現状。 単にやれないできないだけでなく、 このような状況だからこそ創意工夫をして人との繋がりを深めていこうという姿勢が必要だと思います。 それこそが、「介護とは、自分の未来を創ること」に繋がるのではないでしょうか。