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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2020.12.29

心の荷物預かり所
誇るべきプロジェクトメンバー センター長の石川です 今年は本当にとんでもない一年でしたね。 でも、皆様よく耐えられたと思います。 地域の皆様はじめ、多くの方々、本当に我慢と不安の一年でしたね。 ただ、年が変わっても、この冬の間はまだまだ我慢と不安の日が残念ながら続くと思います。 でも、来年は「レジリエンスresilience(逆境力、回復力、復元力などの意味)」の年です。 春を待ち、じっと地中で耐える虫や根っこのように、今少し耐えていきましょう。 今を耐えることが、ウイルス最前線(命の現場だけでなく、生活を支える多くの方々)で働く方々への応援になるのです。 今年はあまり写真を撮りにいけませんでしたが、この写真は今年を表す、お気に入りの写真となりました。 最後に、手前味噌になりますが、島之内のメンバーに感謝の言葉を。 めっちゃ大変な一年でした。 毎日が心身ともにしんどいと思います。 でも皆さんは、一介の介護職員、一介の相談員、看護職員、洗濯、清掃員、給食員ではないのです。 ただのケア職員の一員ではないのです。 皆さんはショートステイ含めて75名の方の、 人生のラストにケアが必要になった方を支えていく プロジェクトメンバーなのです。 それも年齢層を越えた国際チームの一人なのです。 このプロジェクトメンバーがいなければ、75名の方は悲惨な人生のラストを送ることになったかもしれません。 そうではないエンディングに向けて働いている皆さん。 認知症の方も皆さんを頼りにしているのです。 そんなプロジェクトメンバーの皆さんのことを私は誇りに思いますし、 誇りを持てる仕事として、自信を持ってもらえればと思います。 もちろん、在宅分野のプロジェクトメンバーの皆さんにも感謝です。 皆様の存在があってこそ、このコロナウイルスの苦境を地域の人は乗り越えていけるのです。 「ありがとうございます」の一言に尽きますね。     でも、愚痴をこぼしたいこともあるでしょう。 悩むこともあるでしょう。 聴くことしかできませんが、しんどくなったら 遠慮なく私を使ってください。 そして最後の最後に、そのプロジェクトメンバーの皆さんを引張っていく施設長。 本当にしんどい日々がまだまだ続きますが、施設長あってのプロジェクトメンバーです。 一番気苦労多い折れそうな細い体をみんなで支えていきましょう! それでは、今年のブログはこれにて終了です。 皆様、良い年をお迎えください。 来年は、レジリエンスです!
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2020.12.28

心の荷物預かり所
まなざしの微笑み センター長の石川です 「まなざしの微笑み」と書くと、まるで「モナリザの微笑み」みたいですね。 ただモナリザは、顔全体の表情から、あの独特の微笑みを感じることが出来ます。 しかし、今はマスク着用の時代です。 著作の関係でマスクをしたモナリザの画像は載せられませんが、 目だけのモナリザでは微笑んでいるのかどうかわかりません。 しかし、マスクが必携な今、私たちはこの目だけで相手に思いを伝えることをやらなければなりません。 「目の表情」がとても重要なのです。 大きな世界を変える小さな個人   この目。意外とことわざが一杯あります。 「目から鱗が落ちる」「目くじらを立てる」「目のかたき」「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」等々 目の表情は、その時のその人の心の動きを表すと言えるでしょう。 「目力」(めじから)がある人は、信念を持った人として捉えられます。 ただ「目が泳ぐ」人からすれば、「目力」を持った人は恐怖でしょう。 「目が泳ぐ」人は、人見知りや緊張もありますが、自信のなさ、不安、誤魔化しのある人と言えます。 ただ、ケアの現場では、「目が泳ぐ」(眼をそらす、きょろきょろするなど、相手が不安に感じてしまう目の表情)ケア職員だと、やはりケアを受ける側は不安になってしまいます。 相手を安心させるには、「微笑んだまなざし、そして信頼できそうな目力」+「温かいコミュニケーション」に「身振り手振り」を加えます。 認知症の方の場合、情報が入りにくいのでなおさら必要になりますね。 とにかく今は顔の中で表情が表現できるのは、目だけになります。 「まなざしの微笑み」は、相手の心をほぐす、最大要素です。 皆さんも「目の表情」をトレーニングしましょう! あたたかなまなざしは、冷えた心も温めてくれます。
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2020.12.25

心の荷物預かり所
若年性認知症の方との関り(9)【涙する場面、そして最後の言葉】 Aさんへのケアは、Aさんに関わることによって、ケアスタッフのスキルアップにもつながっていきました。 当初は興奮状態もあったAさんでしたが、比較的穏やかに過ごされていたのではないかと記憶しています。 ケアスタッフたちも何もわからない中で(今のように認知症研修があるわけでもない時代) 試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返しながら、認知症の人への関り方のスキルを上げていったのです。 しかし、Aさんの身体の状況は日増しに悪くなっていき、歩行もままならなくなってしまったのです。 これまでAさんの面会は妻が来るだけでしたが、何かを察したのか、ある日Aさんの妻は学生服姿の息子を連れてきました。 まるで階段を転がり落ちるかのようにAさんの心身の機能が衰えていくなか、 妻が誘ったのか、息子さんが会いたいと言ったのか、 それは定かではありませんが、久しぶりの親子の対面がありました。 化野念仏寺にて しかしAさんは息子を前にしても何も発せず、宙を見るだけです。 その時の息子さんの寂しそうな悲しそうな表情に、ケアスタッフたちは泣きました。 「いたたまれない気持ちになった…」とある年配のケアスタッフは涙したのです。 子ども思いだったというAさん。 息子さんの記憶に残っているであろう親子3人で楽しんだ日々、 やさしかった父のまなざし、そして変わっていく父の姿。 幸せだった家庭が崩壊し、暴れまくる父の横で黙々と塗りたくられた便を拭いていた、つらく惨めな日々。 そしてそれをずっと耐えなければならなかった日々。 さらに、自分の子どもを目の前にしても何も言えない何も反応しない父… Aさんをケアしてきたスタッフたちにとっても胸を締め付ける場面だったのです。 そして時が経ち、Aさんは寝たきりとなり、残り幾ばくもない日々となっていました。 そのような状況の中でAさんは何かを繰り返し呟いていたのです。 何を言っているのか私にはわかりませんでした。 Aさんがいよいよ末期になった時、あるケアスタッフが、 Aさんが何を呟いているのかと言うことがわかったと伝えに来てくれました。 「ずっと呟いている言葉、子どもさんの名前なのよ。最期の最期までやっぱりAさんは子どもさんのことを思っているのね。」 逢魔が時 不安と混乱と、愛してるよと伝えたい言葉も伝えられない、 自分でもどうすることもできない逢魔が時の暗さの中に飲み込まれても、 Aさんの心の中では子どもを思う気持ちが、その命の灯が燃え尽きるまで心の叫びとして生きていたのです。 思いを伝えられない状況になっても、愛する人を思う心は生きている。 だから認知症の人ではなく、ひとりの人なのです。 次回からは、可愛いべっぴんさんの女医さんと慕われていたBさんのお話しです。 センター長の石川でした。
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2020.12.21

心の荷物預かり所
「一生に一度」 センター長の石川です。 「一生に一度」 昨年のラグビーワールドカップでのキャッチフレーズでした。 しかしその一生に一度のことが(そうありたい)世界的に起こってしまいましたね。 心が暗くなる一生に一度はいらないです。 もっとも生も死も一生に一度のことですが。 でも、だからこそその、一生に一度しかないその人(私たちのケアの対象の方)の人生の エンディングを支える私たち介護職員は、凄く素晴らしい仕事に就いているのです。 自らの振り返りは大切ですが、この仕事に就いていることに 誇りを持つべきでしょう。 木星の衛星、木星側からエウロパ、イオ、ガニメデ、カリスト。土星の近くに土星の衛星タイタンが写っています。 さて、宇宙規模で見ると、「一生に一度の出来事」と言うのは、ほとんどがそのような出来事と言えるでしょう。 今夕、木星と土星が超接近して見えます。 ふたつの惑星が近づくという訳ではなく、見た目の超接近になるのですが、 何とこれだけの接近は397年ぶりになるそうです。 徳川将軍家光の時代以来と言うことになります。 次回は60年後とのことですから、まさしく「一生に一度」ですね。 肉眼で見ると、一つの星に見えるかもしれませんし、二つ見えるかもしれません。 それは今夕のお楽しみ。 でも、6時過ぎにはかなり低い位置になるので、日没後すぐに見るのがいいでしょう。 昨夕の撮影です。土星は輪っかがあるので、少し楕円に写っています。 さて、話題が変わり、 先日の楽Cafeメンバーの活躍が産経新聞に掲載されました。 下記をクリックすれば読めますのでご確認ください。 20201218産経(河内版)朝刊(楽Cafe弁当)
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2020.12.12

心の荷物預かり所
コロナ禍でのナッジ理論の活用法 センター長の石川です。 最近テレビでナッジ理論が紹介されてました。 あ、そうそう、忘れてた!と思いました。 勉強していたのにすっかりと忘れていました。 ナッジとは強制でもなく、自由でもなく、そっとその人の心が動くように押すこと。 経済学などでよく使われます。 心にゆとりができる空間が必要ですね よくあるのは、勝手に自転車を止めていく場所に「禁止!」ではなく、 「ここは自転車捨て場です」という看板を立てたこと。 ちょっときつめですが、洗面所で「隣の人はしっかりと手を洗っていますか?」と書かれたものを貼ったこと。 感謝の思いをくすぐるものとして、「いつもトイレをきれいに使っていただきありがとうございます。」という文章などがあります。 基本的に「自由な選択できる状態を損なわないこと」となります。 だから強圧的な禁止でもなく、好き勝手してもいいよでもないのです。 確かに人間は「禁止」ばかりがあると、精神的に窮屈に感じますし、その反動が生じます。 その反動と言う火に油を注いだのが、GOTOなんとかでしょう。 また禁止の文言が一杯書かれていても、それは自然に景色の一部となり、意識しなくなるのです。 一方自由奔放も細事のことに注意を払わなくなります。 実はその細事に注意を払うということこそ大事を防ぐことに繋がるのです。 強制でも好き勝手でもなく、自分であるべき道を決めてもらうのが、ナッジ理論です。 「マスクなしの会話禁止!」の「禁止!」の言葉を並べるよりも(景色の一部になり意識しなくなります) 少し緊張感を持たせるなら「コロナに感染したくなければマスクをしよう!」とか、 感謝的に「いつも感染予防のためにマスクしての会話ありがとうございます。」と言うのもいいでしょう。 「孫」を使った言葉も効果的です。(例えば、「孫が可愛ければ、マスクで会話」など) そして景色の一部にならないよう、一週間に一度は文言を変えて見るのもいいでしょう。 そうすれば、必ず読みますから。 特に大阪弁はナッジ効果を生み出します。 「禁止!」よりも「あかんあかん、マスクしてないとコロナ移るでぇ」とか 「マスクは大阪を守るんやで、ほんまやで、ほんま!」など、禁止ばかりの窮屈な心にするのではなく、 ユーモアを交えられるというのが大阪弁のいいところではないでしょうか。   まさしく、「マスクは大阪を救うし、家族を救うし、あなたの命も救う」なのです。 ほんまやで~ほんま!   「マスクは大阪を救う!あなたも大阪を救ってくれる方ですね」みたいな。この文言、知事に言おうかな(笑) 「マスクは日本を救う」って首相に売り込んでも興味なさそうだし(苦笑)  
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2020.12.07

心の荷物預かり所
RAKU cafe(若年性認知症の方の集い)に参加してきました。 センター長の石川です 12月5日の土曜日、若年性認知症の方の集いが若江岩田にある花園生活支援センターでありました。 今回は4名の当事者の方とその家族、ケアマネジャーなどのケア担当者も参加、 また見学参加で5地域の包括支援センターのスタッフも来られてました。 集いでは、家族組と、当事者組に分かれ、近況報告などを行います。 私は当事者の方のグループに。 若いスタッフさんが知らない流れていた歌を、一緒に歌えるのは私が同年齢であるからというところでしょうか。 それぞれの人なりに悩みはあるものの、明るい表情の皆さんで、 サポートしているワーカーさんやケアマネジャーさんとの信頼関係も深いようでした。 大人の都合で、団らん風景の写真はありません。 ただ、集いの後の家族グループからの報告会では、かなり大変な状況の訴えもあったとのことです。 集いでは笑顔の当事者も、家へ帰ると介護者との軋轢が発生するのは当然かもしれません。 当事者を支えるのはサービスの活用など、専門職が何らかの形でサポートしていきます。 しかし家族の心身の疲労に対してのサポートをもっと重要視していく必要があります。 ショートやデイを利用している間、家族は休めてるではないかと考えるのは、私たち側の思い込みかもしれません。 もっと深い心の疲労感を、受け止める人がいないと言えるかもしれません。 認知症の人のケアだけでも心にダメージを受ける家族の方は多くおられます。 若年性の方を支えるとなった時の精神的ダメージはなおさらと言えるでしょう。 当事者の支援と介護家族の支援は両輪と言うのは皆様もわかってもらえると思うのですが、 家族への支援はまだまだ弱いと言えるでしょう。 乗鞍岳からの紅葉 さて、12月16日には当事者の方々が市役所でのお弁当発注、配達を頑張ってくれます。 市長さんや議員さんにも届けてくれるそうです。 もちろん、私もお手伝いに行かせてもらいます。 市内にはまだ多くの若年性認知症の方がおられると思います。 それもそれぞれ違った状況の中で。若年性認知症の方だけでなく、やるべきことは多々ありますね。 コロナ禍ではありますが、認知症の人のつらさは自粛できないのですから。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今年は本当にとんでもない一年でしたね。 でも、皆様よく耐えられたと思います。 地域の皆様はじめ、多くの方々、本当に我慢と不安の一年でしたね。 ただ、年が変わっても、この冬の間はまだまだ我慢と不安の日が残念ながら続くと思います。 でも、来年は「レジリエンスresilience(逆境力、回復力、復元力などの意味)」の年です。 春を待ち、じっと地中で耐える虫や根っこのように、今少し耐えていきましょう。 今を耐えることが、ウイルス最前線(命の現場だけでなく、生活を支える多くの方々)で働く方々への応援になるのです。 [caption id="attachment_1601" align="aligncenter" width="650"] 今年はあまり写真を撮りにいけませんでしたが、この写真は今年を表す、お気に入りの写真となりました。[/caption] 最後に、手前味噌になりますが、島之内のメンバーに感謝の言葉を。 めっちゃ大変な一年でした。 毎日が心身ともにしんどいと思います。 でも皆さんは、一介の介護職員、一介の相談員、看護職員、洗濯、清掃員、給食員ではないのです。 ただのケア職員の一員ではないのです。 皆さんはショートステイ含めて75名の方の、 人生のラストにケアが必要になった方を支えていく プロジェクトメンバーなのです。 それも年齢層を越えた国際チームの一人なのです。 このプロジェクトメンバーがいなければ、75名の方は悲惨な人生のラストを送ることになったかもしれません。 そうではないエンディングに向けて働いている皆さん。 認知症の方も皆さんを頼りにしているのです。 そんなプロジェクトメンバーの皆さんのことを私は誇りに思いますし、 誇りを持てる仕事として、自信を持ってもらえればと思います。 もちろん、在宅分野のプロジェクトメンバーの皆さんにも感謝です。 皆様の存在があってこそ、このコロナウイルスの苦境を地域の人は乗り越えていけるのです。 「ありがとうございます」の一言に尽きますね。     でも、愚痴をこぼしたいこともあるでしょう。 悩むこともあるでしょう。 聴くことしかできませんが、しんどくなったら 遠慮なく私を使ってください。 そして最後の最後に、そのプロジェクトメンバーの皆さんを引張っていく施設長。 本当にしんどい日々がまだまだ続きますが、施設長あってのプロジェクトメンバーです。 一番気苦労多い折れそうな細い体をみんなで支えていきましょう! それでは、今年のブログはこれにて終了です。 皆様、良い年をお迎えください。 来年は、レジリエンスです!
ブログ投稿画像 センター長の石川です 「まなざしの微笑み」と書くと、まるで「モナリザの微笑み」みたいですね。 ただモナリザは、顔全体の表情から、あの独特の微笑みを感じることが出来ます。 しかし、今はマスク着用の時代です。 著作の関係でマスクをしたモナリザの画像は載せられませんが、 目だけのモナリザでは微笑んでいるのかどうかわかりません。 しかし、マスクが必携な今、私たちはこの目だけで相手に思いを伝えることをやらなければなりません。 「目の表情」がとても重要なのです。 [caption id="attachment_1880" align="alignnone" width="650"] 大きな世界を変える小さな個人[/caption]   この目。意外とことわざが一杯あります。 「目から鱗が落ちる」「目くじらを立てる」「目のかたき」「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」等々 目の表情は、その時のその人の心の動きを表すと言えるでしょう。 「目力」(めじから)がある人は、信念を持った人として捉えられます。 ただ「目が泳ぐ」人からすれば、「目力」を持った人は恐怖でしょう。 「目が泳ぐ」人は、人見知りや緊張もありますが、自信のなさ、不安、誤魔化しのある人と言えます。 ただ、ケアの現場では、「目が泳ぐ」(眼をそらす、きょろきょろするなど、相手が不安に感じてしまう目の表情)ケア職員だと、やはりケアを受ける側は不安になってしまいます。 相手を安心させるには、「微笑んだまなざし、そして信頼できそうな目力」+「温かいコミュニケーション」に「身振り手振り」を加えます。 認知症の方の場合、情報が入りにくいのでなおさら必要になりますね。 とにかく今は顔の中で表情が表現できるのは、目だけになります。 「まなざしの微笑み」は、相手の心をほぐす、最大要素です。 皆さんも「目の表情」をトレーニングしましょう! あたたかなまなざしは、冷えた心も温めてくれます。
ブログ投稿画像 Aさんへのケアは、Aさんに関わることによって、ケアスタッフのスキルアップにもつながっていきました。 当初は興奮状態もあったAさんでしたが、比較的穏やかに過ごされていたのではないかと記憶しています。 ケアスタッフたちも何もわからない中で(今のように認知症研修があるわけでもない時代) 試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返しながら、認知症の人への関り方のスキルを上げていったのです。 しかし、Aさんの身体の状況は日増しに悪くなっていき、歩行もままならなくなってしまったのです。 これまでAさんの面会は妻が来るだけでしたが、何かを察したのか、ある日Aさんの妻は学生服姿の息子を連れてきました。 まるで階段を転がり落ちるかのようにAさんの心身の機能が衰えていくなか、 妻が誘ったのか、息子さんが会いたいと言ったのか、 それは定かではありませんが、久しぶりの親子の対面がありました。 [caption id="attachment_1839" align="aligncenter" width="650"] 化野念仏寺にて[/caption] しかしAさんは息子を前にしても何も発せず、宙を見るだけです。 その時の息子さんの寂しそうな悲しそうな表情に、ケアスタッフたちは泣きました。 「いたたまれない気持ちになった…」とある年配のケアスタッフは涙したのです。 子ども思いだったというAさん。 息子さんの記憶に残っているであろう親子3人で楽しんだ日々、 やさしかった父のまなざし、そして変わっていく父の姿。 幸せだった家庭が崩壊し、暴れまくる父の横で黙々と塗りたくられた便を拭いていた、つらく惨めな日々。 そしてそれをずっと耐えなければならなかった日々。 さらに、自分の子どもを目の前にしても何も言えない何も反応しない父… Aさんをケアしてきたスタッフたちにとっても胸を締め付ける場面だったのです。 そして時が経ち、Aさんは寝たきりとなり、残り幾ばくもない日々となっていました。 そのような状況の中でAさんは何かを繰り返し呟いていたのです。 何を言っているのか私にはわかりませんでした。 Aさんがいよいよ末期になった時、あるケアスタッフが、 Aさんが何を呟いているのかと言うことがわかったと伝えに来てくれました。 「ずっと呟いている言葉、子どもさんの名前なのよ。最期の最期までやっぱりAさんは子どもさんのことを思っているのね。」 [caption id="attachment_2247" align="aligncenter" width="650"] 逢魔が時[/caption] 不安と混乱と、愛してるよと伝えたい言葉も伝えられない、 自分でもどうすることもできない逢魔が時の暗さの中に飲み込まれても、 Aさんの心の中では子どもを思う気持ちが、その命の灯が燃え尽きるまで心の叫びとして生きていたのです。 思いを伝えられない状況になっても、愛する人を思う心は生きている。 だから認知症の人ではなく、ひとりの人なのです。 次回からは、可愛いべっぴんさんの女医さんと慕われていたBさんのお話しです。 センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 「一生に一度」 昨年のラグビーワールドカップでのキャッチフレーズでした。 しかしその一生に一度のことが(そうありたい)世界的に起こってしまいましたね。 心が暗くなる一生に一度はいらないです。 もっとも生も死も一生に一度のことですが。 でも、だからこそその、一生に一度しかないその人(私たちのケアの対象の方)の人生の エンディングを支える私たち介護職員は、凄く素晴らしい仕事に就いているのです。 自らの振り返りは大切ですが、この仕事に就いていることに 誇りを持つべきでしょう。 [caption id="attachment_2227" align="aligncenter" width="650"] 木星の衛星、木星側からエウロパ、イオ、ガニメデ、カリスト。土星の近くに土星の衛星タイタンが写っています。[/caption] さて、宇宙規模で見ると、「一生に一度の出来事」と言うのは、ほとんどがそのような出来事と言えるでしょう。 今夕、木星と土星が超接近して見えます。 ふたつの惑星が近づくという訳ではなく、見た目の超接近になるのですが、 何とこれだけの接近は397年ぶりになるそうです。 徳川将軍家光の時代以来と言うことになります。 次回は60年後とのことですから、まさしく「一生に一度」ですね。 肉眼で見ると、一つの星に見えるかもしれませんし、二つ見えるかもしれません。 それは今夕のお楽しみ。 でも、6時過ぎにはかなり低い位置になるので、日没後すぐに見るのがいいでしょう。 [caption id="attachment_2226" align="aligncenter" width="650"] 昨夕の撮影です。土星は輪っかがあるので、少し楕円に写っています。[/caption] さて、話題が変わり、 先日の楽Cafeメンバーの活躍が産経新聞に掲載されました。 下記をクリックすれば読めますのでご確認ください。 20201218産経(河内版)朝刊(楽Cafe弁当)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 最近テレビでナッジ理論が紹介されてました。 あ、そうそう、忘れてた!と思いました。 勉強していたのにすっかりと忘れていました。 ナッジとは強制でもなく、自由でもなく、そっとその人の心が動くように押すこと。 経済学などでよく使われます。 [caption id="attachment_1989" align="aligncenter" width="650"] 心にゆとりができる空間が必要ですね[/caption] よくあるのは、勝手に自転車を止めていく場所に「禁止!」ではなく、 「ここは自転車捨て場です」という看板を立てたこと。 ちょっときつめですが、洗面所で「隣の人はしっかりと手を洗っていますか?」と書かれたものを貼ったこと。 感謝の思いをくすぐるものとして、「いつもトイレをきれいに使っていただきありがとうございます。」という文章などがあります。 基本的に「自由な選択できる状態を損なわないこと」となります。 だから強圧的な禁止でもなく、好き勝手してもいいよでもないのです。 確かに人間は「禁止」ばかりがあると、精神的に窮屈に感じますし、その反動が生じます。 その反動と言う火に油を注いだのが、GOTOなんとかでしょう。 また禁止の文言が一杯書かれていても、それは自然に景色の一部となり、意識しなくなるのです。 一方自由奔放も細事のことに注意を払わなくなります。 実はその細事に注意を払うということこそ大事を防ぐことに繋がるのです。 強制でも好き勝手でもなく、自分であるべき道を決めてもらうのが、ナッジ理論です。 「マスクなしの会話禁止!」の「禁止!」の言葉を並べるよりも(景色の一部になり意識しなくなります) 少し緊張感を持たせるなら「コロナに感染したくなければマスクをしよう!」とか、 感謝的に「いつも感染予防のためにマスクしての会話ありがとうございます。」と言うのもいいでしょう。 「孫」を使った言葉も効果的です。(例えば、「孫が可愛ければ、マスクで会話」など) そして景色の一部にならないよう、一週間に一度は文言を変えて見るのもいいでしょう。 そうすれば、必ず読みますから。 特に大阪弁はナッジ効果を生み出します。 「禁止!」よりも「あかんあかん、マスクしてないとコロナ移るでぇ」とか 「マスクは大阪を守るんやで、ほんまやで、ほんま!」など、禁止ばかりの窮屈な心にするのではなく、 ユーモアを交えられるというのが大阪弁のいいところではないでしょうか。   まさしく、「マスクは大阪を救うし、家族を救うし、あなたの命も救う」なのです。 ほんまやで~ほんま!   「マスクは大阪を救う!あなたも大阪を救ってくれる方ですね」みたいな。この文言、知事に言おうかな(笑) 「マスクは日本を救う」って首相に売り込んでも興味なさそうだし(苦笑)  
ブログ投稿画像 センター長の石川です 12月5日の土曜日、若年性認知症の方の集いが若江岩田にある花園生活支援センターでありました。 今回は4名の当事者の方とその家族、ケアマネジャーなどのケア担当者も参加、 また見学参加で5地域の包括支援センターのスタッフも来られてました。 集いでは、家族組と、当事者組に分かれ、近況報告などを行います。 私は当事者の方のグループに。 若いスタッフさんが知らない流れていた歌を、一緒に歌えるのは私が同年齢であるからというところでしょうか。 それぞれの人なりに悩みはあるものの、明るい表情の皆さんで、 サポートしているワーカーさんやケアマネジャーさんとの信頼関係も深いようでした。 [caption id="attachment_2175" align="aligncenter" width="650"] 大人の都合で、団らん風景の写真はありません。[/caption] ただ、集いの後の家族グループからの報告会では、かなり大変な状況の訴えもあったとのことです。 集いでは笑顔の当事者も、家へ帰ると介護者との軋轢が発生するのは当然かもしれません。 当事者を支えるのはサービスの活用など、専門職が何らかの形でサポートしていきます。 しかし家族の心身の疲労に対してのサポートをもっと重要視していく必要があります。 ショートやデイを利用している間、家族は休めてるではないかと考えるのは、私たち側の思い込みかもしれません。 もっと深い心の疲労感を、受け止める人がいないと言えるかもしれません。 認知症の人のケアだけでも心にダメージを受ける家族の方は多くおられます。 若年性の方を支えるとなった時の精神的ダメージはなおさらと言えるでしょう。 当事者の支援と介護家族の支援は両輪と言うのは皆様もわかってもらえると思うのですが、 家族への支援はまだまだ弱いと言えるでしょう。 [caption id="attachment_2174" align="aligncenter" width="650"] 乗鞍岳からの紅葉[/caption] さて、12月16日には当事者の方々が市役所でのお弁当発注、配達を頑張ってくれます。 市長さんや議員さんにも届けてくれるそうです。 もちろん、私もお手伝いに行かせてもらいます。 市内にはまだ多くの若年性認知症の方がおられると思います。 それもそれぞれ違った状況の中で。若年性認知症の方だけでなく、やるべきことは多々ありますね。 コロナ禍ではありますが、認知症の人のつらさは自粛できないのですから。