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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2021.03.11

心の荷物預かり所
黙祷の日 センター長の石川です。 今日は誰の心にも記憶されている日ですね。 午後2時46分、追悼のサイレンが鳴り響きました。 当時私はある施設の長をしていて、職場のテレビを見ながら、早く逃げろ!逃げ切ってくれ!っと、叫んでいました。 阪神淡路大震災の時に救援活動に入り、その壮絶な状況に、 大阪に帰ってきたときには心が疲労困憊していたことは以前書きましたが、 東日本大震災はその規模があまりにも大きすぎて、 恐らく現地に行けば、自分の心が持たないだろうと、現地支援に行くのはやめてしまいました。 津波だけでなく原子力発電所の恐怖も連なり、支援に行く人の安全も脅かされるかもしれない状況で、 確か施設部会の派遣も慎重だったと思います。 ただ支援は直後だけでなく、むしろ2年、3年、そして10年の経過の中でも重要なのです。 社協に委託されていた「生活支援相談員」は、10年が経過し、国の予算が打ち切られるとのことです。 これからも被災地ではつらい日々が続きます。 さて、私たちにすぐできるごとは、身近な防災ですね。 今、下記の本が非常に注目を集めているようです。   Amazonでは少し本の中身も見れますので、関心を待たれれば、ご購入下さい。 私たちが出来る防災、やらなければならないですね。 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%8B%E3%83%97%E3%83%81%E3%83%97%E3%83%A9%E9%98%B2%E7%81%BD-%E8%BE%BB-%E7%9B%B4%E7%BE%8E/dp/4594083358
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2021.03.09

心の荷物預かり所
ありがとうの日(サンキュー!) センター長の石川です。 今日は「ありがとうの日」ですね。 3月9日ですから。 「ありがとう」ってみんな言えてるのかな。 私はレストランで食事を持ってきてもらった時(この1年行ってませんが) 何かを買った時、店員さんに必ず「ありがとう」と言います。 客なのになんで礼を言わないとあかんのかと、よく言われます。 でも働いてくれるその人がいなければ、食べたり買ったりできないのですから やっぱり「ありがとう」です。 さすがに「ございます」はこの場合付けないですが。 ただ、普段の私自身が感謝の思いが足りなすぎるので、 何かの折に言わないと、「ありがとう」の大切な意味を忘れてしまうのです。 そう、自分自身を戒めるための習慣なのかもしれません。 でも仕事中にちゃんと感謝の意が伝えられているかと言えば、 反省、反省、反省ですね。 ご年配の方、認知症の方も、何らかの形で社会を支えてきてくれた方々です。 なのに私たちは感謝の意を忘れすぎているかもしれません。 笑顔の前にコロナの不安は吹っ飛びます(マスクの上にマスクです) 通り一遍の挨拶は仕事中によくするけれど、時には心を込めて 「あなたがいて助かっている。本当にありがとう。」 って、言ってみれば、疲れた自分の心の中に 爽やかな風が吹くかもしれません。 もちろん、その爽やかな風は、相手にも伝わると思います。
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2021.03.04

心の荷物預かり所
出口のないトンネルはない センター長の石川です。 大阪では第3波の感染者数が減少してきました。 しかし、人が動き始めると、再び増加するかもしれません。 最近の研究では、一般高齢者の3割に認知機能の低下がみられているとのことです。 そりゃそうです。 もう1年もの間、不活発を要求される状況の中に置かれているのですから。 認知症の人本人はもちろんのこと、 介護家族自身が、心身の極限に直面していると言えるでしょう。 ただ、全く先の見えない暗闇のトンネルの先に、 ようやく出口の明かりが見えてきたのは事実として受け止めましょう。 とは言っても、今はまだ暗いトンネルの中 まだしばらくは暗中模索で歩いていかなければなりません。 ワクチンもそう簡単には皆さんに行き渡らないでしょう。 でも確実にトンネルの出口の明かりは見えてきているのです。 復活の日は必ず来ます。 今はその灯りに向かって、しっかりと歩いていきましょう! これくらい明るくなってきて、足元が見えてくるのは、いつ頃になるでしょうか。 *介護がしんどくなって弱音を吐きたくなったら、いつでも電話してください! 愚痴でもボヤキでも吐き出しましょう。 溜め込むのが一番ダメです。 072-960-6070   (トンネルの向こうの明かりを撮影したくて、武庫川廃線を歩いてきました。トンネルの中は本当に真っ暗です。何も見えません。でもほんのりと出口の明かりが見えてきたときには不安が希望に変わりました。)
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2021.02.22

心の荷物預かり所
見かた捉え方を変えて見ること 池の端で、ばあちゃんが鯉に向かって100円玉を投げていました。 それを見た男性が、 「なんで100円投げてんねん。」 と、ばあちゃんに聞きました。 ばあちゃんは鯉に100円玉を投げながら 「そこに、こいのえさ100円って書いてあるやろ。」 確かに。 でも私たちはそれを、ばあちゃんの勘違い、認知力の欠如と断言するかもしれません。 「何言うてんねん、ぼけとんのか。トレビの泉やあるまいし。」 と、普通なら、そう思うかもしれません。 それが普段仕事においても私たちがやってしまう判断です。 でもそれは硬直化した考えかもしれません。 四角四面ではなく、発想を働かせること 「あ、なるほどね~ そんな捉え方もあるわな~ おもろいやん。」とか 「ほんまやな~ ここの鯉は贅沢やな~」とか 「ばあちゃんなかなかやるな~ そらそう読めるわな~」とか 見かた捉え方を変えてみると、また別の発想、考えが生まれるかもしれません。 温かなユーモアを交えると、頭の柔軟性は増えていきます。   「それは間違ってる。」とだけを思ってしまうことの方が、 間違っているのかもしれません。   センター長の石川でした。
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2021.02.20

心の荷物預かり所
あれから一年 センター長の石川です。 昨年の2月20日は、藤川幸之助氏の講演会があった日です。 未知のコロナウイルスの恐怖に怯え、世間が大騒ぎになり始めた時でした。 藤川幸之助氏講演会「支える側が支えられるとき」 講演会自体実施の有無が問われるほどの、ぎりぎりの状況での開催でした。 消毒、そして参加者は全員マスク。 今なら当たり前の景色も、当時はみんながマスクをしているのが異様に思えた時期でした。 まだおおらかな日でした そして心に残る藤川先生の講演は、 これからもあの日を境に… と、印象に残る講演会となりました。 思えば、たくさんの人が集まって心が和む話を聞けるのは、 今日時点において、この日が最後となりました。 和やかな雰囲気もこの日以降途絶えています 翌21日から、行事と言う行事は一斉に禁止。 そして面会もできない、鎖国状態と施設はなったのです。 まさかこんな状況が一年も続くとは、この時は誰も思わなかったでしょう。 それどころか、この時よりもはるかに感染者を多く出す第3波に襲われたのですから。 丸々一年間、面会できていないご家族の方も多くおられます。 本当に切ない、もどかしい日々だと思います。 職員も、つらく、長く、耐えることと、感染の恐怖に不安になる日々 「でした」と書きたいところですが、まだまだその日々は続きます。 ベランダ面会。話は携帯電話で行いました。 ワクチンも恐らくはかなり遅れるのではないでしょうか。 少なくても、あと半年、試練の日々が続くかもしれません。 今は耐え抜いていきましょう! トンネルの先の光は見えてきました。 まだ遠くにですが、でも着実にその光は大きくなっていきます。
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2021.02.02

心の荷物預かり所
泣いた赤鬼(本当の鬼は人間なのでは?) センター長の石川です 今日は節分ですね。2月3日ではなく、2月2日です。 日本独特のはるか昔からある年中行事のひとつですが、 この古風な行事も実は「宇宙」ととても関係しているのですね。 詳しくは書けませんが、地球が太陽の周囲を回る公転周期との関係で、節分の日が変わると言うことになります。 古風な行事もこのような宇宙規模の動きの中にあるのですね。 南日本新聞より 因みに前回2月2日だったのが明治30年。 124年前だったのに、次の2月2日は2025年と4年後です。 意外と早いですね。 ウェザーニュースより 節分は鬼を払うと言うことで、鬼が悪者になる日なのですが、私はあまり好きではありません。 地域によっては、「福は内、鬼も内」と言って、鬼は悪者かもしれないけれど改心させ受け入れましょうと言うものです。 或いは、鬼は自分の神社に集め、周囲の村に福が来るように「鬼は内(神社に集める)福は外(村に行く)」という神社もあるそうです。 「福は内、鬼も内」と言うのは、いかにも日本人的やさしさが感じられますね。 私が鬼の排斥が嫌いなのは、その昔、濱田廣介の「泣いた赤鬼」を読んで、泣いたからかもしれません。 勧善懲悪ではなく、相手の気持ちも思いやること。 私の見かた捉え方を多角的に見ることという考えの原点の物語かもしれません。 原書不明 とは言うものの、赤鬼は昔から疫病と結び付けられ、疫病退散の意味があったようです。 今年だけは赤鬼に辛抱してもらいましょう。 でも、実のところ、本当の鬼は「人間そのもの」かもしれませんねぇ。 平気で誹謗中傷する人たち、まさしく鬼そのものではないでしょうか。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今日は誰の心にも記憶されている日ですね。 午後2時46分、追悼のサイレンが鳴り響きました。 当時私はある施設の長をしていて、職場のテレビを見ながら、早く逃げろ!逃げ切ってくれ!っと、叫んでいました。 阪神淡路大震災の時に救援活動に入り、その壮絶な状況に、 大阪に帰ってきたときには心が疲労困憊していたことは以前書きましたが、 東日本大震災はその規模があまりにも大きすぎて、 恐らく現地に行けば、自分の心が持たないだろうと、現地支援に行くのはやめてしまいました。 津波だけでなく原子力発電所の恐怖も連なり、支援に行く人の安全も脅かされるかもしれない状況で、 確か施設部会の派遣も慎重だったと思います。 ただ支援は直後だけでなく、むしろ2年、3年、そして10年の経過の中でも重要なのです。 社協に委託されていた「生活支援相談員」は、10年が経過し、国の予算が打ち切られるとのことです。 これからも被災地ではつらい日々が続きます。 さて、私たちにすぐできるごとは、身近な防災ですね。 今、下記の本が非常に注目を集めているようです。   Amazonでは少し本の中身も見れますので、関心を待たれれば、ご購入下さい。 私たちが出来る防災、やらなければならないですね。 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%8B%E3%83%97%E3%83%81%E3%83%97%E3%83%A9%E9%98%B2%E7%81%BD-%E8%BE%BB-%E7%9B%B4%E7%BE%8E/dp/4594083358
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今日は「ありがとうの日」ですね。 3月9日ですから。 「ありがとう」ってみんな言えてるのかな。 私はレストランで食事を持ってきてもらった時(この1年行ってませんが) 何かを買った時、店員さんに必ず「ありがとう」と言います。 客なのになんで礼を言わないとあかんのかと、よく言われます。 でも働いてくれるその人がいなければ、食べたり買ったりできないのですから やっぱり「ありがとう」です。 さすがに「ございます」はこの場合付けないですが。 ただ、普段の私自身が感謝の思いが足りなすぎるので、 何かの折に言わないと、「ありがとう」の大切な意味を忘れてしまうのです。 そう、自分自身を戒めるための習慣なのかもしれません。 でも仕事中にちゃんと感謝の意が伝えられているかと言えば、 反省、反省、反省ですね。 ご年配の方、認知症の方も、何らかの形で社会を支えてきてくれた方々です。 なのに私たちは感謝の意を忘れすぎているかもしれません。 [caption id="attachment_2272" align="aligncenter" width="650"] 笑顔の前にコロナの不安は吹っ飛びます(マスクの上にマスクです)[/caption] 通り一遍の挨拶は仕事中によくするけれど、時には心を込めて 「あなたがいて助かっている。本当にありがとう。」 って、言ってみれば、疲れた自分の心の中に 爽やかな風が吹くかもしれません。 もちろん、その爽やかな風は、相手にも伝わると思います。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 大阪では第3波の感染者数が減少してきました。 しかし、人が動き始めると、再び増加するかもしれません。 最近の研究では、一般高齢者の3割に認知機能の低下がみられているとのことです。 そりゃそうです。 もう1年もの間、不活発を要求される状況の中に置かれているのですから。 認知症の人本人はもちろんのこと、 介護家族自身が、心身の極限に直面していると言えるでしょう。 ただ、全く先の見えない暗闇のトンネルの先に、 ようやく出口の明かりが見えてきたのは事実として受け止めましょう。 とは言っても、今はまだ暗いトンネルの中 まだしばらくは暗中模索で歩いていかなければなりません。 ワクチンもそう簡単には皆さんに行き渡らないでしょう。 でも確実にトンネルの出口の明かりは見えてきているのです。 復活の日は必ず来ます。 今はその灯りに向かって、しっかりと歩いていきましょう! [caption id="attachment_2423" align="aligncenter" width="650"] これくらい明るくなってきて、足元が見えてくるのは、いつ頃になるでしょうか。[/caption] *介護がしんどくなって弱音を吐きたくなったら、いつでも電話してください! 愚痴でもボヤキでも吐き出しましょう。 溜め込むのが一番ダメです。 072-960-6070   (トンネルの向こうの明かりを撮影したくて、武庫川廃線を歩いてきました。トンネルの中は本当に真っ暗です。何も見えません。でもほんのりと出口の明かりが見えてきたときには不安が希望に変わりました。)
ブログ投稿画像 池の端で、ばあちゃんが鯉に向かって100円玉を投げていました。 それを見た男性が、 「なんで100円投げてんねん。」 と、ばあちゃんに聞きました。 ばあちゃんは鯉に100円玉を投げながら 「そこに、こいのえさ100円って書いてあるやろ。」 確かに。 でも私たちはそれを、ばあちゃんの勘違い、認知力の欠如と断言するかもしれません。 「何言うてんねん、ぼけとんのか。トレビの泉やあるまいし。」 と、普通なら、そう思うかもしれません。 それが普段仕事においても私たちがやってしまう判断です。 でもそれは硬直化した考えかもしれません。 [caption id="attachment_2393" align="aligncenter" width="650"] 四角四面ではなく、発想を働かせること[/caption] 「あ、なるほどね~ そんな捉え方もあるわな~ おもろいやん。」とか 「ほんまやな~ ここの鯉は贅沢やな~」とか 「ばあちゃんなかなかやるな~ そらそう読めるわな~」とか 見かた捉え方を変えてみると、また別の発想、考えが生まれるかもしれません。 温かなユーモアを交えると、頭の柔軟性は増えていきます。   「それは間違ってる。」とだけを思ってしまうことの方が、 間違っているのかもしれません。   センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 昨年の2月20日は、藤川幸之助氏の講演会があった日です。 未知のコロナウイルスの恐怖に怯え、世間が大騒ぎになり始めた時でした。 [caption id="attachment_2386" align="aligncenter" width="650"] 藤川幸之助氏講演会「支える側が支えられるとき」[/caption] 講演会自体実施の有無が問われるほどの、ぎりぎりの状況での開催でした。 消毒、そして参加者は全員マスク。 今なら当たり前の景色も、当時はみんながマスクをしているのが異様に思えた時期でした。 [caption id="attachment_2384" align="aligncenter" width="650"] まだおおらかな日でした[/caption] そして心に残る藤川先生の講演は、 これからもあの日を境に… と、印象に残る講演会となりました。 思えば、たくさんの人が集まって心が和む話を聞けるのは、 今日時点において、この日が最後となりました。 [caption id="attachment_2387" align="aligncenter" width="650"] 和やかな雰囲気もこの日以降途絶えています[/caption] 翌21日から、行事と言う行事は一斉に禁止。 そして面会もできない、鎖国状態と施設はなったのです。 まさかこんな状況が一年も続くとは、この時は誰も思わなかったでしょう。 それどころか、この時よりもはるかに感染者を多く出す第3波に襲われたのですから。 丸々一年間、面会できていないご家族の方も多くおられます。 本当に切ない、もどかしい日々だと思います。 職員も、つらく、長く、耐えることと、感染の恐怖に不安になる日々 「でした」と書きたいところですが、まだまだその日々は続きます。 [caption id="attachment_1584" align="aligncenter" width="297"] ベランダ面会。話は携帯電話で行いました。[/caption] ワクチンも恐らくはかなり遅れるのではないでしょうか。 少なくても、あと半年、試練の日々が続くかもしれません。 今は耐え抜いていきましょう! トンネルの先の光は見えてきました。 まだ遠くにですが、でも着実にその光は大きくなっていきます。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今日は節分ですね。2月3日ではなく、2月2日です。 日本独特のはるか昔からある年中行事のひとつですが、 この古風な行事も実は「宇宙」ととても関係しているのですね。 詳しくは書けませんが、地球が太陽の周囲を回る公転周期との関係で、節分の日が変わると言うことになります。 古風な行事もこのような宇宙規模の動きの中にあるのですね。 [caption id="attachment_2351" align="aligncenter" width="237"] 南日本新聞より[/caption] 因みに前回2月2日だったのが明治30年。 124年前だったのに、次の2月2日は2025年と4年後です。 意外と早いですね。 [caption id="attachment_2350" align="aligncenter" width="650"] ウェザーニュースより[/caption] 節分は鬼を払うと言うことで、鬼が悪者になる日なのですが、私はあまり好きではありません。 地域によっては、「福は内、鬼も内」と言って、鬼は悪者かもしれないけれど改心させ受け入れましょうと言うものです。 或いは、鬼は自分の神社に集め、周囲の村に福が来るように「鬼は内(神社に集める)福は外(村に行く)」という神社もあるそうです。 「福は内、鬼も内」と言うのは、いかにも日本人的やさしさが感じられますね。 私が鬼の排斥が嫌いなのは、その昔、濱田廣介の「泣いた赤鬼」を読んで、泣いたからかもしれません。 勧善懲悪ではなく、相手の気持ちも思いやること。 私の見かた捉え方を多角的に見ることという考えの原点の物語かもしれません。 [caption id="attachment_2352" align="aligncenter" width="600"] 原書不明[/caption] とは言うものの、赤鬼は昔から疫病と結び付けられ、疫病退散の意味があったようです。 今年だけは赤鬼に辛抱してもらいましょう。 でも、実のところ、本当の鬼は「人間そのもの」かもしれませんねぇ。 平気で誹謗中傷する人たち、まさしく鬼そのものではないでしょうか。