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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2021.03.09

心の荷物預かり所
ありがとうの日(サンキュー!) センター長の石川です。 今日は「ありがとうの日」ですね。 3月9日ですから。 「ありがとう」ってみんな言えてるのかな。 私はレストランで食事を持ってきてもらった時(この1年行ってませんが) 何かを買った時、店員さんに必ず「ありがとう」と言います。 客なのになんで礼を言わないとあかんのかと、よく言われます。 でも働いてくれるその人がいなければ、食べたり買ったりできないのですから やっぱり「ありがとう」です。 さすがに「ございます」はこの場合付けないですが。 ただ、普段の私自身が感謝の思いが足りなすぎるので、 何かの折に言わないと、「ありがとう」の大切な意味を忘れてしまうのです。 そう、自分自身を戒めるための習慣なのかもしれません。 でも仕事中にちゃんと感謝の意が伝えられているかと言えば、 反省、反省、反省ですね。 ご年配の方、認知症の方も、何らかの形で社会を支えてきてくれた方々です。 なのに私たちは感謝の意を忘れすぎているかもしれません。 笑顔の前にコロナの不安は吹っ飛びます(マスクの上にマスクです) 通り一遍の挨拶は仕事中によくするけれど、時には心を込めて 「あなたがいて助かっている。本当にありがとう。」 って、言ってみれば、疲れた自分の心の中に 爽やかな風が吹くかもしれません。 もちろん、その爽やかな風は、相手にも伝わると思います。
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2021.03.04

心の荷物預かり所
出口のないトンネルはない センター長の石川です。 大阪では第3波の感染者数が減少してきました。 しかし、人が動き始めると、再び増加するかもしれません。 最近の研究では、一般高齢者の3割に認知機能の低下がみられているとのことです。 そりゃそうです。 もう1年もの間、不活発を要求される状況の中に置かれているのですから。 認知症の人本人はもちろんのこと、 介護家族自身が、心身の極限に直面していると言えるでしょう。 ただ、全く先の見えない暗闇のトンネルの先に、 ようやく出口の明かりが見えてきたのは事実として受け止めましょう。 とは言っても、今はまだ暗いトンネルの中 まだしばらくは暗中模索で歩いていかなければなりません。 ワクチンもそう簡単には皆さんに行き渡らないでしょう。 でも確実にトンネルの出口の明かりは見えてきているのです。 復活の日は必ず来ます。 今はその灯りに向かって、しっかりと歩いていきましょう! これくらい明るくなってきて、足元が見えてくるのは、いつ頃になるでしょうか。 *介護がしんどくなって弱音を吐きたくなったら、いつでも電話してください! 愚痴でもボヤキでも吐き出しましょう。 溜め込むのが一番ダメです。 072-960-6070   (トンネルの向こうの明かりを撮影したくて、武庫川廃線を歩いてきました。トンネルの中は本当に真っ暗です。何も見えません。でもほんのりと出口の明かりが見えてきたときには不安が希望に変わりました。)
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2021.02.22

心の荷物預かり所
見かた捉え方を変えて見ること 池の端で、ばあちゃんが鯉に向かって100円玉を投げていました。 それを見た男性が、 「なんで100円投げてんねん。」 と、ばあちゃんに聞きました。 ばあちゃんは鯉に100円玉を投げながら 「そこに、こいのえさ100円って書いてあるやろ。」 確かに。 でも私たちはそれを、ばあちゃんの勘違い、認知力の欠如と断言するかもしれません。 「何言うてんねん、ぼけとんのか。トレビの泉やあるまいし。」 と、普通なら、そう思うかもしれません。 それが普段仕事においても私たちがやってしまう判断です。 でもそれは硬直化した考えかもしれません。 四角四面ではなく、発想を働かせること 「あ、なるほどね~ そんな捉え方もあるわな~ おもろいやん。」とか 「ほんまやな~ ここの鯉は贅沢やな~」とか 「ばあちゃんなかなかやるな~ そらそう読めるわな~」とか 見かた捉え方を変えてみると、また別の発想、考えが生まれるかもしれません。 温かなユーモアを交えると、頭の柔軟性は増えていきます。   「それは間違ってる。」とだけを思ってしまうことの方が、 間違っているのかもしれません。   センター長の石川でした。
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2021.02.20

心の荷物預かり所
あれから一年 センター長の石川です。 昨年の2月20日は、藤川幸之助氏の講演会があった日です。 未知のコロナウイルスの恐怖に怯え、世間が大騒ぎになり始めた時でした。 藤川幸之助氏講演会「支える側が支えられるとき」 講演会自体実施の有無が問われるほどの、ぎりぎりの状況での開催でした。 消毒、そして参加者は全員マスク。 今なら当たり前の景色も、当時はみんながマスクをしているのが異様に思えた時期でした。 まだおおらかな日でした そして心に残る藤川先生の講演は、 これからもあの日を境に… と、印象に残る講演会となりました。 思えば、たくさんの人が集まって心が和む話を聞けるのは、 今日時点において、この日が最後となりました。 和やかな雰囲気もこの日以降途絶えています 翌21日から、行事と言う行事は一斉に禁止。 そして面会もできない、鎖国状態と施設はなったのです。 まさかこんな状況が一年も続くとは、この時は誰も思わなかったでしょう。 それどころか、この時よりもはるかに感染者を多く出す第3波に襲われたのですから。 丸々一年間、面会できていないご家族の方も多くおられます。 本当に切ない、もどかしい日々だと思います。 職員も、つらく、長く、耐えることと、感染の恐怖に不安になる日々 「でした」と書きたいところですが、まだまだその日々は続きます。 ベランダ面会。話は携帯電話で行いました。 ワクチンも恐らくはかなり遅れるのではないでしょうか。 少なくても、あと半年、試練の日々が続くかもしれません。 今は耐え抜いていきましょう! トンネルの先の光は見えてきました。 まだ遠くにですが、でも着実にその光は大きくなっていきます。
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2021.02.02

心の荷物預かり所
泣いた赤鬼(本当の鬼は人間なのでは?) センター長の石川です 今日は節分ですね。2月3日ではなく、2月2日です。 日本独特のはるか昔からある年中行事のひとつですが、 この古風な行事も実は「宇宙」ととても関係しているのですね。 詳しくは書けませんが、地球が太陽の周囲を回る公転周期との関係で、節分の日が変わると言うことになります。 古風な行事もこのような宇宙規模の動きの中にあるのですね。 南日本新聞より 因みに前回2月2日だったのが明治30年。 124年前だったのに、次の2月2日は2025年と4年後です。 意外と早いですね。 ウェザーニュースより 節分は鬼を払うと言うことで、鬼が悪者になる日なのですが、私はあまり好きではありません。 地域によっては、「福は内、鬼も内」と言って、鬼は悪者かもしれないけれど改心させ受け入れましょうと言うものです。 或いは、鬼は自分の神社に集め、周囲の村に福が来るように「鬼は内(神社に集める)福は外(村に行く)」という神社もあるそうです。 「福は内、鬼も内」と言うのは、いかにも日本人的やさしさが感じられますね。 私が鬼の排斥が嫌いなのは、その昔、濱田廣介の「泣いた赤鬼」を読んで、泣いたからかもしれません。 勧善懲悪ではなく、相手の気持ちも思いやること。 私の見かた捉え方を多角的に見ることという考えの原点の物語かもしれません。 原書不明 とは言うものの、赤鬼は昔から疫病と結び付けられ、疫病退散の意味があったようです。 今年だけは赤鬼に辛抱してもらいましょう。 でも、実のところ、本当の鬼は「人間そのもの」かもしれませんねぇ。 平気で誹謗中傷する人たち、まさしく鬼そのものではないでしょうか。
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2021.01.14

心の荷物預かり所
人は変われるのか センター長の石川です。 いつもラグビーの話で申し訳ないです。 かつて増保輝則と言う天才的ラガーマンがいました。 天性の感覚を持ち、早稲田大学でもトッププレーヤーでした。 しかし、その天性故か、練習はしんどいからしない、タックルなんかやらないと 努力することを嫌い、身体はぶくぶく太り、相撲の武蔵丸のあだ名もつけられます。 しかし天才的ラガーマンである増保選手は19歳で日本代表にも選ばれました。 ラグビーファンの私にとっても、果てしなく暗黒に落ちる大敗でした。 ところが、1995年のラグビーワールドカップで 日本はニュージーランドに145点も取られるという屈辱的大敗を喫します。 タックルに行こうとしない増保は厳しいバッシングを受けることになります。 彼は大事な試合の前にカジノに遊びに行っていたくらいですから。 私も大嫌いな選手でした。 しかし彼に何があったのか? 丸々太った体がすっかりスリムになっていました。 次に増保選手を見た時には、すっかりとスリムになっただけでなく、 チームのために献身的にタックルに行き、え?なんでそこにいるの?と思うほど走り回っている、 「俺がではなく、チームのために」献身的に動き回っている姿だったのです。 その時私は確信しました。 「人は変われるのだ」と。 「生まれ変わるのなら、生きているうちに」 そうなのです。 死んでから生まれ変わろうとしても、次はゴキブリやダンゴムシになるかもしれません。 生まれ変わるのなら、生きているうちに。なのです。 しかし実際に、変わって欲しいなとこちら側が思っても 相手にその気がなければ変わらないのです。 気づいてない人もいますし、いくら言っても気づかない人もいます。 同時に変わりたいと思っても、なかなか変われないのも事実です。 では、どうすればいいのか? それは to be continued ということで。
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2021.01.12

心の荷物預かり所
天理大学ラグビー部のレジリエンス センター長の石川です 関西に住む昔からの、そして根っからのラグビーファンとして 36年ぶりの関西勢の優勝はめっちゃ嬉しかったですね。 関西では抜きんでて強くなった天理大学ですが、 高校を卒業した有名選手はみんな東京の大学に行き、 関東の大学は切磋琢磨した試合を経験しています。 しかし天理大学はそのような経験のない中での闘いでした。 何よりも、無名の戦士たちの集まりなのです。 天理大学様HPよりお借りしました   4トライを挙げた市川敬太 英田中学の卒業生です。 高校は日進高校。ラグビー部は点を一杯取られるだけの無名校です。 目の前に花園ラグビー場がありながら、縁遠い場所だったのです。 市川選手は英田出身の選手だったのですね。 天理大学様HPよりお借りしました。松岡主将と市川選手(12番) まるで高校生の選手宣誓かと言うような松岡主将 彼も全くのラグビー無名校からの出身です。 フィフタのような大きな選手もいますが、 多くの選手が必ずしも秀でた才能を持って入学してきたわけではないのです。 そのラグビー部を襲ったコロナウイルス。 ラグビー部員だけでなく、天理市そのものが天地をひっくり返したような大騒ぎとなり、 誹謗中傷はラグビー部員のみならず、天理大学生にまで及びました。 練習もろくにできない、そんな中からの出発 まさしく天理大学ラグビー部のレジリエンス(逆境力)だったのです。 あの時誹謗中傷した人々は、今、どんな思いなのでしょうか。 弱さに負けて人を中傷する人と、逆境の中で耐えて進む人と、さて…   足の激痛を、大声をあげて堪えた松岡主将 「あの元気さこそが、この時代に必要なリーダーだ」と解説者。 まさしくこの時代を映し出した、天理大学ラグビー部の優勝だったのかもしれません。 天理市の皆さん、おめでとう! 天理市のマスコットです。名前は、忘れました!   *余談ですが、天理大学にはでかい外国人選手がいてずるいという声があります。 今やラグビーの世界でも国際化は進んでいます。日本代表は強くなったと言っても諸外国はもっと大きく強いのです。 大学の頃から大きな相手にどう戦っていくかという経験は大切になります。 また、でかい選手がいるだけでは勝てません。周りの無名の選手たちが頑張ってこそですね。 市川のトライもフィフタとの阿吽の呼吸から生まれたものと言えます。 介護の世界も同じだと思います。 天理大学様より拝借しました
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今日は「ありがとうの日」ですね。 3月9日ですから。 「ありがとう」ってみんな言えてるのかな。 私はレストランで食事を持ってきてもらった時(この1年行ってませんが) 何かを買った時、店員さんに必ず「ありがとう」と言います。 客なのになんで礼を言わないとあかんのかと、よく言われます。 でも働いてくれるその人がいなければ、食べたり買ったりできないのですから やっぱり「ありがとう」です。 さすがに「ございます」はこの場合付けないですが。 ただ、普段の私自身が感謝の思いが足りなすぎるので、 何かの折に言わないと、「ありがとう」の大切な意味を忘れてしまうのです。 そう、自分自身を戒めるための習慣なのかもしれません。 でも仕事中にちゃんと感謝の意が伝えられているかと言えば、 反省、反省、反省ですね。 ご年配の方、認知症の方も、何らかの形で社会を支えてきてくれた方々です。 なのに私たちは感謝の意を忘れすぎているかもしれません。 [caption id="attachment_2272" align="aligncenter" width="650"] 笑顔の前にコロナの不安は吹っ飛びます(マスクの上にマスクです)[/caption] 通り一遍の挨拶は仕事中によくするけれど、時には心を込めて 「あなたがいて助かっている。本当にありがとう。」 って、言ってみれば、疲れた自分の心の中に 爽やかな風が吹くかもしれません。 もちろん、その爽やかな風は、相手にも伝わると思います。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 大阪では第3波の感染者数が減少してきました。 しかし、人が動き始めると、再び増加するかもしれません。 最近の研究では、一般高齢者の3割に認知機能の低下がみられているとのことです。 そりゃそうです。 もう1年もの間、不活発を要求される状況の中に置かれているのですから。 認知症の人本人はもちろんのこと、 介護家族自身が、心身の極限に直面していると言えるでしょう。 ただ、全く先の見えない暗闇のトンネルの先に、 ようやく出口の明かりが見えてきたのは事実として受け止めましょう。 とは言っても、今はまだ暗いトンネルの中 まだしばらくは暗中模索で歩いていかなければなりません。 ワクチンもそう簡単には皆さんに行き渡らないでしょう。 でも確実にトンネルの出口の明かりは見えてきているのです。 復活の日は必ず来ます。 今はその灯りに向かって、しっかりと歩いていきましょう! [caption id="attachment_2423" align="aligncenter" width="650"] これくらい明るくなってきて、足元が見えてくるのは、いつ頃になるでしょうか。[/caption] *介護がしんどくなって弱音を吐きたくなったら、いつでも電話してください! 愚痴でもボヤキでも吐き出しましょう。 溜め込むのが一番ダメです。 072-960-6070   (トンネルの向こうの明かりを撮影したくて、武庫川廃線を歩いてきました。トンネルの中は本当に真っ暗です。何も見えません。でもほんのりと出口の明かりが見えてきたときには不安が希望に変わりました。)
ブログ投稿画像 池の端で、ばあちゃんが鯉に向かって100円玉を投げていました。 それを見た男性が、 「なんで100円投げてんねん。」 と、ばあちゃんに聞きました。 ばあちゃんは鯉に100円玉を投げながら 「そこに、こいのえさ100円って書いてあるやろ。」 確かに。 でも私たちはそれを、ばあちゃんの勘違い、認知力の欠如と断言するかもしれません。 「何言うてんねん、ぼけとんのか。トレビの泉やあるまいし。」 と、普通なら、そう思うかもしれません。 それが普段仕事においても私たちがやってしまう判断です。 でもそれは硬直化した考えかもしれません。 [caption id="attachment_2393" align="aligncenter" width="650"] 四角四面ではなく、発想を働かせること[/caption] 「あ、なるほどね~ そんな捉え方もあるわな~ おもろいやん。」とか 「ほんまやな~ ここの鯉は贅沢やな~」とか 「ばあちゃんなかなかやるな~ そらそう読めるわな~」とか 見かた捉え方を変えてみると、また別の発想、考えが生まれるかもしれません。 温かなユーモアを交えると、頭の柔軟性は増えていきます。   「それは間違ってる。」とだけを思ってしまうことの方が、 間違っているのかもしれません。   センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 昨年の2月20日は、藤川幸之助氏の講演会があった日です。 未知のコロナウイルスの恐怖に怯え、世間が大騒ぎになり始めた時でした。 [caption id="attachment_2386" align="aligncenter" width="650"] 藤川幸之助氏講演会「支える側が支えられるとき」[/caption] 講演会自体実施の有無が問われるほどの、ぎりぎりの状況での開催でした。 消毒、そして参加者は全員マスク。 今なら当たり前の景色も、当時はみんながマスクをしているのが異様に思えた時期でした。 [caption id="attachment_2384" align="aligncenter" width="650"] まだおおらかな日でした[/caption] そして心に残る藤川先生の講演は、 これからもあの日を境に… と、印象に残る講演会となりました。 思えば、たくさんの人が集まって心が和む話を聞けるのは、 今日時点において、この日が最後となりました。 [caption id="attachment_2387" align="aligncenter" width="650"] 和やかな雰囲気もこの日以降途絶えています[/caption] 翌21日から、行事と言う行事は一斉に禁止。 そして面会もできない、鎖国状態と施設はなったのです。 まさかこんな状況が一年も続くとは、この時は誰も思わなかったでしょう。 それどころか、この時よりもはるかに感染者を多く出す第3波に襲われたのですから。 丸々一年間、面会できていないご家族の方も多くおられます。 本当に切ない、もどかしい日々だと思います。 職員も、つらく、長く、耐えることと、感染の恐怖に不安になる日々 「でした」と書きたいところですが、まだまだその日々は続きます。 [caption id="attachment_1584" align="aligncenter" width="297"] ベランダ面会。話は携帯電話で行いました。[/caption] ワクチンも恐らくはかなり遅れるのではないでしょうか。 少なくても、あと半年、試練の日々が続くかもしれません。 今は耐え抜いていきましょう! トンネルの先の光は見えてきました。 まだ遠くにですが、でも着実にその光は大きくなっていきます。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今日は節分ですね。2月3日ではなく、2月2日です。 日本独特のはるか昔からある年中行事のひとつですが、 この古風な行事も実は「宇宙」ととても関係しているのですね。 詳しくは書けませんが、地球が太陽の周囲を回る公転周期との関係で、節分の日が変わると言うことになります。 古風な行事もこのような宇宙規模の動きの中にあるのですね。 [caption id="attachment_2351" align="aligncenter" width="237"] 南日本新聞より[/caption] 因みに前回2月2日だったのが明治30年。 124年前だったのに、次の2月2日は2025年と4年後です。 意外と早いですね。 [caption id="attachment_2350" align="aligncenter" width="650"] ウェザーニュースより[/caption] 節分は鬼を払うと言うことで、鬼が悪者になる日なのですが、私はあまり好きではありません。 地域によっては、「福は内、鬼も内」と言って、鬼は悪者かもしれないけれど改心させ受け入れましょうと言うものです。 或いは、鬼は自分の神社に集め、周囲の村に福が来るように「鬼は内(神社に集める)福は外(村に行く)」という神社もあるそうです。 「福は内、鬼も内」と言うのは、いかにも日本人的やさしさが感じられますね。 私が鬼の排斥が嫌いなのは、その昔、濱田廣介の「泣いた赤鬼」を読んで、泣いたからかもしれません。 勧善懲悪ではなく、相手の気持ちも思いやること。 私の見かた捉え方を多角的に見ることという考えの原点の物語かもしれません。 [caption id="attachment_2352" align="aligncenter" width="600"] 原書不明[/caption] とは言うものの、赤鬼は昔から疫病と結び付けられ、疫病退散の意味があったようです。 今年だけは赤鬼に辛抱してもらいましょう。 でも、実のところ、本当の鬼は「人間そのもの」かもしれませんねぇ。 平気で誹謗中傷する人たち、まさしく鬼そのものではないでしょうか。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 いつもラグビーの話で申し訳ないです。 かつて増保輝則と言う天才的ラガーマンがいました。 天性の感覚を持ち、早稲田大学でもトッププレーヤーでした。 しかし、その天性故か、練習はしんどいからしない、タックルなんかやらないと 努力することを嫌い、身体はぶくぶく太り、相撲の武蔵丸のあだ名もつけられます。 しかし天才的ラガーマンである増保選手は19歳で日本代表にも選ばれました。 [caption id="attachment_2302" align="aligncenter" width="500"] ラグビーファンの私にとっても、果てしなく暗黒に落ちる大敗でした。[/caption] ところが、1995年のラグビーワールドカップで 日本はニュージーランドに145点も取られるという屈辱的大敗を喫します。 タックルに行こうとしない増保は厳しいバッシングを受けることになります。 彼は大事な試合の前にカジノに遊びに行っていたくらいですから。 私も大嫌いな選手でした。 しかし彼に何があったのか? [caption id="attachment_2303" align="aligncenter" width="275"] 丸々太った体がすっかりスリムになっていました。[/caption] 次に増保選手を見た時には、すっかりとスリムになっただけでなく、 チームのために献身的にタックルに行き、え?なんでそこにいるの?と思うほど走り回っている、 「俺がではなく、チームのために」献身的に動き回っている姿だったのです。 その時私は確信しました。 「人は変われるのだ」と。 「生まれ変わるのなら、生きているうちに」 そうなのです。 死んでから生まれ変わろうとしても、次はゴキブリやダンゴムシになるかもしれません。 生まれ変わるのなら、生きているうちに。なのです。 しかし実際に、変わって欲しいなとこちら側が思っても 相手にその気がなければ変わらないのです。 気づいてない人もいますし、いくら言っても気づかない人もいます。 同時に変わりたいと思っても、なかなか変われないのも事実です。 では、どうすればいいのか? それは to be continued ということで。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 関西に住む昔からの、そして根っからのラグビーファンとして 36年ぶりの関西勢の優勝はめっちゃ嬉しかったですね。 関西では抜きんでて強くなった天理大学ですが、 高校を卒業した有名選手はみんな東京の大学に行き、 関東の大学は切磋琢磨した試合を経験しています。 しかし天理大学はそのような経験のない中での闘いでした。 何よりも、無名の戦士たちの集まりなのです。 [caption id="attachment_2293" align="aligncenter" width="650"] 天理大学様HPよりお借りしました[/caption]   4トライを挙げた市川敬太 英田中学の卒業生です。 高校は日進高校。ラグビー部は点を一杯取られるだけの無名校です。 目の前に花園ラグビー場がありながら、縁遠い場所だったのです。 市川選手は英田出身の選手だったのですね。 [caption id="attachment_2294" align="aligncenter" width="650"] 天理大学様HPよりお借りしました。松岡主将と市川選手(12番)[/caption] まるで高校生の選手宣誓かと言うような松岡主将 彼も全くのラグビー無名校からの出身です。 フィフタのような大きな選手もいますが、 多くの選手が必ずしも秀でた才能を持って入学してきたわけではないのです。 そのラグビー部を襲ったコロナウイルス。 ラグビー部員だけでなく、天理市そのものが天地をひっくり返したような大騒ぎとなり、 誹謗中傷はラグビー部員のみならず、天理大学生にまで及びました。 練習もろくにできない、そんな中からの出発 まさしく天理大学ラグビー部のレジリエンス(逆境力)だったのです。 あの時誹謗中傷した人々は、今、どんな思いなのでしょうか。 弱さに負けて人を中傷する人と、逆境の中で耐えて進む人と、さて…   足の激痛を、大声をあげて堪えた松岡主将 「あの元気さこそが、この時代に必要なリーダーだ」と解説者。 まさしくこの時代を映し出した、天理大学ラグビー部の優勝だったのかもしれません。 天理市の皆さん、おめでとう! [caption id="attachment_2087" align="aligncenter" width="240"] 天理市のマスコットです。名前は、忘れました![/caption]   *余談ですが、天理大学にはでかい外国人選手がいてずるいという声があります。 今やラグビーの世界でも国際化は進んでいます。日本代表は強くなったと言っても諸外国はもっと大きく強いのです。 大学の頃から大きな相手にどう戦っていくかという経験は大切になります。 また、でかい選手がいるだけでは勝てません。周りの無名の選手たちが頑張ってこそですね。 市川のトライもフィフタとの阿吽の呼吸から生まれたものと言えます。 介護の世界も同じだと思います。 [caption id="attachment_2296" align="aligncenter" width="650"] 天理大学様より拝借しました[/caption]