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2023.01.16
心の荷物預かり所2023.01.13
心の荷物預かり所2023.01.09
心の荷物預かり所2022.12.14
心の荷物預かり所2022.12.12
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心の荷物預かり所2022.11.07
心の荷物預かり所2022.11.02
心の荷物預かり所2022.11.01
心の荷物預かり所2023.01.16
心の荷物預かり所
先日小学校3年生のキッズサポーター講座に行ってきました。
3年生は2クラスだけでしたが、本当に元気な子どもたち。
意表を突く質問もあったりして、子どもたちに話をするときは
私たちは即応できるようにしないとなりません。
同時にいい勉強になりますね。
さてそんな10歳の子どもたちも
いつかは50歳になり、60歳になり70歳になっていきます。
みんなそれぞれにどんな人生をたどるのでしょうか。
彼らがその年齢になるころには認知症はなくなっているのかな?
さて、歳を取ることはどうしてもネガティブに考えてしまうことが多いですが、
竹内まりやの「人生の扉」は、
歳を取ることに対してのリスペクトが感じられる名曲です。
ケアの仕事も、この歌の歌詞のように、
人生を(年齢を)リスペクトしたケアを心掛けていくことが必要でしょう。
歳を曲がりなりにも取った私には心に軽快に響く歌ですね。
歌詞付き↓
https://www.youtube.com/watch?v=GWgMb-9dzis
I say its fine to be 60
60歳になるのは素晴らしい
You say its alright to be 70
70歳になるのも悪くない
And they say still good to be 80
80歳でもまだまだ大丈夫
But I`ll maybe live over 90
でも私は90歳以上生きる
竹内まりや本人の歌声↓
https://www.youtube.com/watch?v=K5IeHponvZ0
こうだとしか思えていなかったものが
全く違った捉え方ができる
でもなかなか自分の中の固定化された景色は変えられないのですが
ちょっと見かたを変えて見る時間を持てば
或は試してみれば
違う思考が広がって、「なるほど!」という世界が広がるかもしれません。
先日の恩蔵先生のドキュメントを見ても感じました。
認知症の母から出てくる「私はバカだから」とか「早く死んだほうがいいね」という言葉に、
娘の恩蔵先生は落胆するのですが、
しかし捉え方を変えると、
何かがわからなかったりできなかったりした時に発するその言葉は
実は自分の状況がわかっているからこそ出てきた言葉ではないかと。
認知機能を働かせるうえでの生活上の動作は難しくなっても、
感情はしっかりと生きていて、自分のことも周囲のこともわかっているのではないかと。
つい表面上だけで捉えてしまう私たちですが、見かたを変えると、
「認知症の人」から、「ひとりの人」としての感情が見えてくるのではないでしょうか。
数年前の西武・そごうの広告で有名になったこの言葉
以前もブログでアップしたかもしれませんが、再掲します。
上から読むのと、下から読むのでは
違った世界がそこに広がります。
上から読んだ後、下の行から上の行へ読んでいってください。
大逆転は、起こりうる。
わたしは、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。
さて、お堀の水に映る松本城
どちらが実際の写真でしょうか?
2022.12.14
心の荷物預かり所2022.12.12
心の荷物預かり所2022.12.09
心の荷物預かり所2022.12.06
心の荷物預かり所
なぜ人は紅葉が好きなのでしょう?
色鮮やかな紅葉求めて、各地賑わっていますね。
私は地元の池田市をぶらぶらしました。
観光地ではないので、人があふれてるなんてことはありません。
それでも一番人が集まっているのが、ウォンバットのワインですね。
人間の年齢でいえば100歳を越えている、ギネス認定された長寿動物です。
ワインはいつも隣りの若い娘、ユキちゃんを見つめています。
心に彩を添えていること。
それが長寿に繋がっているのかもしれません。
私は緑色時代のもみじも好きですね。
特に光が当たると輝きます。
人も同じで、若い人には光を当てると輝くことができるのです。
その緑もみじも、瞬く間に紅葉になって、人々の心を惹きつけます。
そして人の心も、ひと時の彩が添えられます。
でも紅葉の時だけでなく、常に「心の中に彩を持つ」こと
それを忘れてしまうと、心はぎすぎすした殺風景なものになるのかもしれません。
認知症ケアは、「心に彩を持つ」ことです。
私たちの心が殺風景ならば、認知症の人の心も殺風景になってしまいます。
ケアは鏡の様なものなのですから。
2022.11.02
心の荷物預かり所
人間生きていくうちには
失敗や、気づかなかったことや、うまくいかなかったことや、やらかしてしまうことやら、
多分そんなことの方が多いと思います。
それは若い人だけでなく、歳取っても多分にあります。
私自身、気づかなかったこと、考えなかったこと、判断を間違ったことなど
今でもたくさんあります。
いくら歳をとっても熟成されない人間です。
そして失敗でへこむ人がいれば、失敗自体を何とも思わない人もいるでしょう。
逆に人間は他人のことになると、いとも簡単に指摘します。
それは上司、同僚、年齢関係なく、人は他人のことを指摘するのが得意だからです。
でもそれを受け止めるのは、人間は不得意かもしれません。
指摘を謙虚に受け止めることができること
逆に、自分もいとも簡単に他人を指摘してしまっていないか
気づかぬうちに、人の心を傷つけていないか。
いずれにしても「壁は自分自身の中にある」と言えます。
謙虚に受け止め、それを活かして前へ進めるのか、
いつのまにか他人を責めて自己満足してしまっていないか
どちらであれ、「壁は自分自身の中」にあります。
でも、今はその壁を乗り越えるための手助けが必要かもしれません。
[caption id="attachment_3693" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]
感受性が私たち以上に研ぎ澄まされた認知症の人にとって
不得意部分を責められることはとてもつらいことです。
理解できなかったり、普通にやれなかったことを責められると
或いは冷たい視線で見られると、
自分ではどうすることもできないくらい心の孤独を感じてしまうでしょう。
認知症の人にとっての壁は、周囲の人たちの存在と言えるかもしれません。