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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2023.05.06

心の荷物預かり所
GWですので、脳疲労を取る写真とスマホの話 センター長の石川です 「スマホ脳」という本がかなり売れているそうです。 いわゆるスマホの多用による弊害が書かれているのですが、 その本が売れているということは、 「スマホは今や必要不可欠なものだけど、その危険性も感じ取っている」人が多いからかもしれません。 実際、スマホを横においての仕事や勉強は、 集中力の欠如に繋がるそうです。 もちろん、それ以外にも多くの弊害があります。 スマホは脳疲労の一因になっていることは間違いないでしょう。 ただ脳疲労を蓄積させる要因はそれだけではないでしょう。 一番大きなストレスは仕事上のものかもしれません。 しかし、仕事が大好きで、夢中になるくらい仕事が大好きな人は、 全力で走り続けて、突然バタッと倒れる。 それで完結してしまいますが、 なんらかんだで仕事にストレスを感じている人、 さらにスマホで仕事を縛られているような人の脳は、 知らずのうちにどんどんと疲労していき、 その疲労は様々な悪影響として自分の心身を襲い苦しめます。 ある日突然の身体の不調、うつ、そして認知症… そのため疲れた脳を癒すことが必要になります。 脳の癒しは人それぞれにあるので、それを実行すればよいのですが、 問題はその切り替えが出来るかどうかでしょう。 脳疲労の原因の一つであるスマホに関しては、 方法として、スマホは仕事だけに使い、SNS等別のものには使わない。 逆に仕事から離れたら、オフの時は仕事の電話には一切出ない、しない (実際、オフの時は連絡してはいけないということを取り決めている企業もあります。 連絡しなくても職場が回れる体制づくりの構築が必要になります。) 私は外に出たら(山に行けば)スマホはザックにしまい込みます。 いまは地図もスマホで見れ、現在位置まですべてスマホでわかるのですが、 あえて紙の地図を持っていき、SNSに捉われず、鳥のさえずりに耳を傾けます。 いざ困ったときにスマホは使えばいいのです。 なんだかんだと言ってもスマホは便利です。 SNSの会話で心が傷ついたり、右往左往したりするよりも、 発想を得るための道具として使えばめっちゃ便利です。 スマホを毒に使えば、脳疲労は知らずのうちにあなたを蝕むでしょう。 もっとも、近い将来、無慈悲なAIによって、 人類が滅亡してしまうかもしれませんが…
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2023.05.05

心の荷物預かり所
GWですので、リラックスした話を 世間は連休真っ最中ですね。 ということでこのブログも今回は認知症のお話はお休みにして ちょっとしたよもやま話を。 ケアの世界だけでなく、様々な世界に触れること 仕事以外の時間は色々なことに関心を持つことが楽しくて仕方がない日々ですが、 今回はちょっとした大人の遠足をしてきました。 アサヒビール吹田工場の工場見学に行ってきました。 元々吹田で育った私にとっては、子どものころからこの工場の存在は知っていたのですが、 ここがアサヒビールの発祥の地だとは知りませんでした。 アサヒビールも、サントリーも、パナソニックも大阪発祥なのに、 みんな本社は東京に行ってしまいましたね。 さて、大人の遠足、工場見学 ちょっと童心に帰った気持ちで。 なかなか見応えのあるものでした。 しっかりと見学者のために立派な見学ルートが作られており、 楽しく見学できます。 この一つのタンクの容量は、毎日350ml缶を飲んだとして、4000年掛かる容量だそうです。 まぁ大酒呑みの人ならば、もう少し早くなるかもしれませんが、 飲み干す前に、体を壊すでしょう。 たまには頭の中を空っぽにして、童心に帰って工場見学を楽しんでみてはどうでしょうか ちょっと認知症の話をすると、 日頃の仕事のことやら何やらで、頭がいっっぱいの人ほど 脳疲労から認知症になる可能性が高くなります。 脳をリラックスさせる時間を持たせることが大切です。 今は何でもかんでもスマホで追いかけられますが、 デジタルデトックスする時間を持たないと 絶対脳疲労を起こしますよと、断言します。 で、ツアーのラストは試飲です。 ビール2杯はただで飲めます。 アルコールがだめな人はソフトドリンクがあります。 見学料は1000円ですが、ビールが2杯飲めて、 このグラスがお土産でもらえますので、 心地よくリラックスできる時間ではないでしょうか。 https://www.asahibeer.co.jp/brewery/suita/      
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2023.04.04

心の荷物預かり所
「ロストケア」より「生きる」を見る センター長の石川です。 見たうえで批評しようと思っていた、 42人の高齢者を殺害した犯人が主人公の映画「ロストケア」なのですが、 例えどんなに介護の問題を提起していたとしても、 殺人を扱う題材は論外だと思い、見るのをやめました。 殺人自体いかなる理由があろうとも問題外です。 毎日様々な思いに板挟みになりながら、 苦しみながら介護されているご家族を多く見ているだけに、 そしてヘルパーさんの頑張りを見ているだけに、 この映画、見てないけれど、なんだかな~と思ってしまうのです。 その代わりに見てきたのが「生きるLiving」でした。 これは黒澤明監督の不朽の名作「生きる」を、舞台をイギリスに置きかえてリメイクしたもの。 映画そのものもノスタルジック調に作成されたこの映画は見ごたえあり、心も温まりました。 事なかれ主義の公務員、政治家、上に立つ者全てに見てもらいたい映画でした。(もちろん、自戒も込めて) 黒澤監督のオリジナルは当然素晴らしく、ブランコのシーンが強烈でしたね。 このリメイク映画、たいした宣伝もなく、地味な映画なのに、 意外と観客に若者が多かったのは何となく嬉しかったかな。 (*見た映画館の構造は最低でしたが) そして心が温まった後、ちょいと大阪城に夜桜の撮影に。 その帰路に乗った急行。 曽根駅手前でけたたましい警笛の後の急ブレーキ。 人身事故の電車に乗り合わせてしまったのです。 電車の先頭部のガラスが割れ、30分車内に閉じ込められた後、 運転中止となり、電車から降ろされました。 警察、救急の大騒ぎの中、さらに1時間待ち、ようやく運転再開になりました。 電車のガラスが割れたということは、恐らくは飛び込みでしょう。 もしそうならば、飛び込んだ人にはつらいことが山ほどあったのかもしれません。 しかし飛び込む勇気があるのなら、 その命、もしかしたら人に役立つ命になったかもしれないのにと、 「生きる」を見た後だけに、なおさらそう思いました。
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2023.03.11

心の荷物預かり所
温度差 今日は3月11日 大阪では、普段と変わらぬ3月11日です。 恐らく、東北・関東と、関西では温度差があるのでしょう。 1月17日は、その逆でした。 いや、兵庫の隣りの大阪でさえもそうだったかな。 惨状の神戸から大阪に戻った途端、普通の生活の状況 その温度差に涙が止まりませんでした。 しかし確実に南海トラフ地震はやってきます。 それでも関西圏では比較的安全な、奈良、滋賀と、 直面する和歌山、大阪では意識が違うかもしれません。 いや、大阪人もまだ意識にはない、 或いは「起きない」と信じたいと、逃げているのかもしれません。 多大な被害を受けた東灘区にて   温度差は様々なところで起こっています。 関心があるかないかでも随分違います。 職域の違いでもあるでしょう。 冬の寒さで冷たくなった手で、室内の温かいところにいた人の手を握ったら、 その冷たさ(温度差)に、冷えてない手の人は「つめたいやんか!」と 驚いて、時に怒ったりもします。 その温度差は、なかなかすぐには相いれないものなのかもしれません。 しかし介護職は、もし自分の手が冷たければ、 さすったり、息を掛けたりして、 自分の手を温めてから利用者の手を持ちます。(そのはず) 逆に利用者の手が冷たければ、温かい自分の手でさすってあげて 利用者の手を温めようとします。 つまり温度差はその差を埋めるために存在するとも言えます。 温度差をなくす。 それは、相手への気遣いとも言えます。 認知症の人への関りでも同じでしょう。 私たちの仕事は温度差をなくすことでもあるのです。 大震災の犠牲になられた方に、合掌。  
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2023.03.08

心の荷物預かり所
オレンジメンバーの勉強会に行ってきました オレンジメンバーの勉強会、今回は河内永和の東大阪市の会館でありました。 普段から車を多用しているのですが、今回は職場から電車で向かいました。 登山に、キャンプに、写真撮影、そして通勤にと、何かと車を使うことが多い毎日。 これではだめだと、コロナも下火になったので、週1回はおよそ2時間かけて 電車通勤しようと思いました。 歩くし、エスカレーターを使わない階段の上り下りは登山のいいトレーニングにもなります。 そして様々な人を見るのもいい刺激になります。 同じパターンでないことをたまにやってみると、違う視野や考えが広がりますね。 常に主観の中にいる自分に、客観的視点を持たすという意味もあります。 さて、違う視野ということで、今回のオレンジメンバーの勉強会は、 認知症の人からは、私たちはどう見えているのか?という内容でした。 10名のメイトさんでしたが、それぞれに熱く語っておられる姿がいい感じでした。 最近は脳科学など、根拠をもとに原因理由、背景を探っていくことを よくお話しするのですが、(それはあまりにもケアの現場の考えが曖昧だから) 実は、「なんかいい感じ」(クオリア)という感覚的なものも とても大切なのだと思います。 お店に入った時の「なんか、ええ感じのお店やな~」という、 ええ感じ(大阪弁の方がええ感じ)という感覚的なもの。 もっとも、ええ感じになるためには、 根拠をもとにした、しっかりとした理念(理念というと、理路整然としたという感じですが、実は情熱という感覚が支えている)と、 体制作りがあってこそのものなのですよね。 話をオレンジメンバー勉強会に戻すと、 私の話そのものより、メンバーさんによる語らいから湧き出る「なんかええ感じ」が、 実は認知症ケアのとても大切な部分に繋がっていくということなのです。 10名の参加者、少な!と思うなかれ。このええ感じは、100名分に相当するのですから。 私も教える立場でありながら、皆さんからエネルギーをもらいました。 出会いがあるのは嬉しいものです。感謝。
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2023.03.01

心の荷物預かり所
オーケストラからケアの現場を考える・シンフォニーホールへ再び 日曜日に訪れたシンフォニーホール 火曜日に再び訪れました。 日曜日は超満員でしたが、火曜日は新進演奏家育成プロジェクトということもあり、 ちょっと寂しい入りだったかな。 朝日放送(ABC)が建てた(今は別会社が運営)ザ・シンフォニーホールも40年ですか。 その間、何回訪れたことでしょうか。 前述したクラシック好きの認知症のAさんとの出会いがなければ、 このホールに生演奏を聴きに来ることもなかったかもしれません。 今回は難解な音楽ばかりで、初めての人にはとっつきにくかったかもしれませんね。 オーケストラは、一人一人が切磋琢磨する上で(一人一人の技術を磨き、他のメンバーはライバルにもなる)、 チームワークを作り上げていきます。 いがみ合っていてはいい音楽は作れません。 オーケストラにもやはり序列がありますが、 それでも観衆により良い音楽を提供するために、チームとしてまとまっていきます。 その姿は、チームで動くケアの現場と重なるものがあります。 そういう意味で今回私は、オーケストラの動きとチームワークも見ていました。 さらに今回は若手の育成プログラムですから、 そのソリストたちの下支えとしてのオーケストラになります。 当たり前ですが、ひとりひとりのポジション(担当楽器)に真剣に取り組んでいる姿が見て取れました。 それはケアの現場も同じですね。 人間ですから文句は出てくるでしょうが、文句を言ってる時間を技術を磨くことに団員は傾けているのです。 オーケストラで大切なのはコンサートマスター(コンマス)の存在です。 一見指揮者のようにも思えますが、このコンマスこそが、オーケストラをまとめる重要な役割を担っています。 ケアの現場も、施設長(指揮者)もさることながら、 コンマスの立場にいる人が重要なカギを握ると言えます。 新進演奏家の皆様の頑張りは良かったですね。 今回英田地区認知症ケアネットワーク委員会の委員の先生のご子息が登壇され、 素晴らしい演奏を聴かせてくれました。 ラフマニノフの難曲を暗譜で弾かれたダイナミックな演奏、これから期待できますね。 このような機会を与えていただいた委員の先生に感謝です。 ありがとうございました。
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2023.02.28

心の荷物預かり所
83歳のタクト 「チャイコフスキー交響曲第6番悲愴」 まだ私が某施設で生活相談員の職についていた時のことです。 車いすに乗った認知症状のあるAさんは、常にケア職員に罵倒を浴びせ、 時に職員に車いすごとぶつかっていく、当時としてはケア職員から見て難儀な入居者でした。 私もどう関わったらいいかわからなかったのですが、 そのAさんの枕元に、クラシック音楽が入ったテープを多く見つけました。 当時、少しはクラシックに興味があった私は、Aさんにクラシック音楽のことで話し掛けました。 「好きな曲は何ですか?」と聞くと、「チャイコ、6番」と答えます。 チャイコフスキー作曲の「交響曲第6番悲愴」のことでした。 そこで、6番のCDを買ってきて、Aさんに聴いてもらいました。 落ち着きなく動き回るAさんが、約45分の演奏の間、ずっと落ち着いて聴いていたのです。 色々話をすると、青春時代につきあっていた男性がこの曲が好きで、 それ以来この曲だけでなく、クラシック音楽も好きになったとか。 以降、録画した演奏会を見てもらったりもしました。 オーケストラの配置(第1ヴァイオリン、第2バイオリン、ビオラの位置とか…)についても教えてもらったりしました。 以降、私にとってもチャイコフスキー第6番悲愴は忘れえぬ曲となったのです。 その悲愴を先日の日曜日、シンフォニーホールに聴きに行きました。 指揮者は今年83歳になる小林研一郎。 かつて何度もこの指揮者の曲を聴きに行ったことがありますが、日本でも有数の指揮者です。 そのコバケンもかなりのご高齢ながら、熱い指揮姿を見せてくれました。 タクトを振るうというより、「思い」を全身でオーケストラに伝えていく (実際、あまりタクトを振らなかった)そんな感じでした。 「悲愴」の第1楽章は戦争や災害、コロナなどで苦しむ人々の苦悩が、 第4楽章は老いと死を見つめるような心にぐっと入る魂の演奏でした。 因みにもう一つのプログラムはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。 この演目、今日も聴きに行くんですよね~(苦笑)
ブログ投稿画像 センター長の石川です 「スマホ脳」という本がかなり売れているそうです。 いわゆるスマホの多用による弊害が書かれているのですが、 その本が売れているということは、 「スマホは今や必要不可欠なものだけど、その危険性も感じ取っている」人が多いからかもしれません。 実際、スマホを横においての仕事や勉強は、 集中力の欠如に繋がるそうです。 もちろん、それ以外にも多くの弊害があります。 スマホは脳疲労の一因になっていることは間違いないでしょう。 ただ脳疲労を蓄積させる要因はそれだけではないでしょう。 一番大きなストレスは仕事上のものかもしれません。 しかし、仕事が大好きで、夢中になるくらい仕事が大好きな人は、 全力で走り続けて、突然バタッと倒れる。 それで完結してしまいますが、 なんらかんだで仕事にストレスを感じている人、 さらにスマホで仕事を縛られているような人の脳は、 知らずのうちにどんどんと疲労していき、 その疲労は様々な悪影響として自分の心身を襲い苦しめます。 ある日突然の身体の不調、うつ、そして認知症… そのため疲れた脳を癒すことが必要になります。 脳の癒しは人それぞれにあるので、それを実行すればよいのですが、 問題はその切り替えが出来るかどうかでしょう。 脳疲労の原因の一つであるスマホに関しては、 方法として、スマホは仕事だけに使い、SNS等別のものには使わない。 逆に仕事から離れたら、オフの時は仕事の電話には一切出ない、しない (実際、オフの時は連絡してはいけないということを取り決めている企業もあります。 連絡しなくても職場が回れる体制づくりの構築が必要になります。) 私は外に出たら(山に行けば)スマホはザックにしまい込みます。 いまは地図もスマホで見れ、現在位置まですべてスマホでわかるのですが、 あえて紙の地図を持っていき、SNSに捉われず、鳥のさえずりに耳を傾けます。 いざ困ったときにスマホは使えばいいのです。 なんだかんだと言ってもスマホは便利です。 SNSの会話で心が傷ついたり、右往左往したりするよりも、 発想を得るための道具として使えばめっちゃ便利です。 スマホを毒に使えば、脳疲労は知らずのうちにあなたを蝕むでしょう。 もっとも、近い将来、無慈悲なAIによって、 人類が滅亡してしまうかもしれませんが…
ブログ投稿画像 世間は連休真っ最中ですね。 ということでこのブログも今回は認知症のお話はお休みにして ちょっとしたよもやま話を。 ケアの世界だけでなく、様々な世界に触れること 仕事以外の時間は色々なことに関心を持つことが楽しくて仕方がない日々ですが、 今回はちょっとした大人の遠足をしてきました。 アサヒビール吹田工場の工場見学に行ってきました。 元々吹田で育った私にとっては、子どものころからこの工場の存在は知っていたのですが、 ここがアサヒビールの発祥の地だとは知りませんでした。 アサヒビールも、サントリーも、パナソニックも大阪発祥なのに、 みんな本社は東京に行ってしまいましたね。 さて、大人の遠足、工場見学 ちょっと童心に帰った気持ちで。 なかなか見応えのあるものでした。 しっかりと見学者のために立派な見学ルートが作られており、 楽しく見学できます。 この一つのタンクの容量は、毎日350ml缶を飲んだとして、4000年掛かる容量だそうです。 まぁ大酒呑みの人ならば、もう少し早くなるかもしれませんが、 飲み干す前に、体を壊すでしょう。 たまには頭の中を空っぽにして、童心に帰って工場見学を楽しんでみてはどうでしょうか ちょっと認知症の話をすると、 日頃の仕事のことやら何やらで、頭がいっっぱいの人ほど 脳疲労から認知症になる可能性が高くなります。 脳をリラックスさせる時間を持たせることが大切です。 今は何でもかんでもスマホで追いかけられますが、 デジタルデトックスする時間を持たないと 絶対脳疲労を起こしますよと、断言します。 で、ツアーのラストは試飲です。 ビール2杯はただで飲めます。 アルコールがだめな人はソフトドリンクがあります。 見学料は1000円ですが、ビールが2杯飲めて、 このグラスがお土産でもらえますので、 心地よくリラックスできる時間ではないでしょうか。 https://www.asahibeer.co.jp/brewery/suita/      
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 見たうえで批評しようと思っていた、 42人の高齢者を殺害した犯人が主人公の映画「ロストケア」なのですが、 例えどんなに介護の問題を提起していたとしても、 殺人を扱う題材は論外だと思い、見るのをやめました。 殺人自体いかなる理由があろうとも問題外です。 毎日様々な思いに板挟みになりながら、 苦しみながら介護されているご家族を多く見ているだけに、 そしてヘルパーさんの頑張りを見ているだけに、 この映画、見てないけれど、なんだかな~と思ってしまうのです。 その代わりに見てきたのが「生きるLiving」でした。 これは黒澤明監督の不朽の名作「生きる」を、舞台をイギリスに置きかえてリメイクしたもの。 映画そのものもノスタルジック調に作成されたこの映画は見ごたえあり、心も温まりました。 事なかれ主義の公務員、政治家、上に立つ者全てに見てもらいたい映画でした。(もちろん、自戒も込めて) 黒澤監督のオリジナルは当然素晴らしく、ブランコのシーンが強烈でしたね。 このリメイク映画、たいした宣伝もなく、地味な映画なのに、 意外と観客に若者が多かったのは何となく嬉しかったかな。 (*見た映画館の構造は最低でしたが) そして心が温まった後、ちょいと大阪城に夜桜の撮影に。 その帰路に乗った急行。 曽根駅手前でけたたましい警笛の後の急ブレーキ。 人身事故の電車に乗り合わせてしまったのです。 電車の先頭部のガラスが割れ、30分車内に閉じ込められた後、 運転中止となり、電車から降ろされました。 警察、救急の大騒ぎの中、さらに1時間待ち、ようやく運転再開になりました。 電車のガラスが割れたということは、恐らくは飛び込みでしょう。 もしそうならば、飛び込んだ人にはつらいことが山ほどあったのかもしれません。 しかし飛び込む勇気があるのなら、 その命、もしかしたら人に役立つ命になったかもしれないのにと、 「生きる」を見た後だけに、なおさらそう思いました。
ブログ投稿画像 今日は3月11日 大阪では、普段と変わらぬ3月11日です。 恐らく、東北・関東と、関西では温度差があるのでしょう。 1月17日は、その逆でした。 いや、兵庫の隣りの大阪でさえもそうだったかな。 惨状の神戸から大阪に戻った途端、普通の生活の状況 その温度差に涙が止まりませんでした。 しかし確実に南海トラフ地震はやってきます。 それでも関西圏では比較的安全な、奈良、滋賀と、 直面する和歌山、大阪では意識が違うかもしれません。 いや、大阪人もまだ意識にはない、 或いは「起きない」と信じたいと、逃げているのかもしれません。 [caption id="attachment_4363" align="alignnone" width="1909"] 多大な被害を受けた東灘区にて[/caption]   温度差は様々なところで起こっています。 関心があるかないかでも随分違います。 職域の違いでもあるでしょう。 冬の寒さで冷たくなった手で、室内の温かいところにいた人の手を握ったら、 その冷たさ(温度差)に、冷えてない手の人は「つめたいやんか!」と 驚いて、時に怒ったりもします。 その温度差は、なかなかすぐには相いれないものなのかもしれません。 しかし介護職は、もし自分の手が冷たければ、 さすったり、息を掛けたりして、 自分の手を温めてから利用者の手を持ちます。(そのはず) 逆に利用者の手が冷たければ、温かい自分の手でさすってあげて 利用者の手を温めようとします。 つまり温度差はその差を埋めるために存在するとも言えます。 温度差をなくす。 それは、相手への気遣いとも言えます。 認知症の人への関りでも同じでしょう。 私たちの仕事は温度差をなくすことでもあるのです。 大震災の犠牲になられた方に、合掌。  
ブログ投稿画像 オレンジメンバーの勉強会、今回は河内永和の東大阪市の会館でありました。 普段から車を多用しているのですが、今回は職場から電車で向かいました。 登山に、キャンプに、写真撮影、そして通勤にと、何かと車を使うことが多い毎日。 これではだめだと、コロナも下火になったので、週1回はおよそ2時間かけて 電車通勤しようと思いました。 歩くし、エスカレーターを使わない階段の上り下りは登山のいいトレーニングにもなります。 そして様々な人を見るのもいい刺激になります。 同じパターンでないことをたまにやってみると、違う視野や考えが広がりますね。 常に主観の中にいる自分に、客観的視点を持たすという意味もあります。 さて、違う視野ということで、今回のオレンジメンバーの勉強会は、 認知症の人からは、私たちはどう見えているのか?という内容でした。 10名のメイトさんでしたが、それぞれに熱く語っておられる姿がいい感じでした。 最近は脳科学など、根拠をもとに原因理由、背景を探っていくことを よくお話しするのですが、(それはあまりにもケアの現場の考えが曖昧だから) 実は、「なんかいい感じ」(クオリア)という感覚的なものも とても大切なのだと思います。 お店に入った時の「なんか、ええ感じのお店やな~」という、 ええ感じ(大阪弁の方がええ感じ)という感覚的なもの。 もっとも、ええ感じになるためには、 根拠をもとにした、しっかりとした理念(理念というと、理路整然としたという感じですが、実は情熱という感覚が支えている)と、 体制作りがあってこそのものなのですよね。 話をオレンジメンバー勉強会に戻すと、 私の話そのものより、メンバーさんによる語らいから湧き出る「なんかええ感じ」が、 実は認知症ケアのとても大切な部分に繋がっていくということなのです。 10名の参加者、少な!と思うなかれ。このええ感じは、100名分に相当するのですから。 私も教える立場でありながら、皆さんからエネルギーをもらいました。 出会いがあるのは嬉しいものです。感謝。
ブログ投稿画像 日曜日に訪れたシンフォニーホール 火曜日に再び訪れました。 日曜日は超満員でしたが、火曜日は新進演奏家育成プロジェクトということもあり、 ちょっと寂しい入りだったかな。 朝日放送(ABC)が建てた(今は別会社が運営)ザ・シンフォニーホールも40年ですか。 その間、何回訪れたことでしょうか。 前述したクラシック好きの認知症のAさんとの出会いがなければ、 このホールに生演奏を聴きに来ることもなかったかもしれません。 今回は難解な音楽ばかりで、初めての人にはとっつきにくかったかもしれませんね。 オーケストラは、一人一人が切磋琢磨する上で(一人一人の技術を磨き、他のメンバーはライバルにもなる)、 チームワークを作り上げていきます。 いがみ合っていてはいい音楽は作れません。 オーケストラにもやはり序列がありますが、 それでも観衆により良い音楽を提供するために、チームとしてまとまっていきます。 その姿は、チームで動くケアの現場と重なるものがあります。 そういう意味で今回私は、オーケストラの動きとチームワークも見ていました。 さらに今回は若手の育成プログラムですから、 そのソリストたちの下支えとしてのオーケストラになります。 当たり前ですが、ひとりひとりのポジション(担当楽器)に真剣に取り組んでいる姿が見て取れました。 それはケアの現場も同じですね。 人間ですから文句は出てくるでしょうが、文句を言ってる時間を技術を磨くことに団員は傾けているのです。 オーケストラで大切なのはコンサートマスター(コンマス)の存在です。 一見指揮者のようにも思えますが、このコンマスこそが、オーケストラをまとめる重要な役割を担っています。 ケアの現場も、施設長(指揮者)もさることながら、 コンマスの立場にいる人が重要なカギを握ると言えます。 新進演奏家の皆様の頑張りは良かったですね。 今回英田地区認知症ケアネットワーク委員会の委員の先生のご子息が登壇され、 素晴らしい演奏を聴かせてくれました。 ラフマニノフの難曲を暗譜で弾かれたダイナミックな演奏、これから期待できますね。 このような機会を与えていただいた委員の先生に感謝です。 ありがとうございました。
ブログ投稿画像 まだ私が某施設で生活相談員の職についていた時のことです。 車いすに乗った認知症状のあるAさんは、常にケア職員に罵倒を浴びせ、 時に職員に車いすごとぶつかっていく、当時としてはケア職員から見て難儀な入居者でした。 私もどう関わったらいいかわからなかったのですが、 そのAさんの枕元に、クラシック音楽が入ったテープを多く見つけました。 当時、少しはクラシックに興味があった私は、Aさんにクラシック音楽のことで話し掛けました。 「好きな曲は何ですか?」と聞くと、「チャイコ、6番」と答えます。 チャイコフスキー作曲の「交響曲第6番悲愴」のことでした。 そこで、6番のCDを買ってきて、Aさんに聴いてもらいました。 落ち着きなく動き回るAさんが、約45分の演奏の間、ずっと落ち着いて聴いていたのです。 色々話をすると、青春時代につきあっていた男性がこの曲が好きで、 それ以来この曲だけでなく、クラシック音楽も好きになったとか。 以降、録画した演奏会を見てもらったりもしました。 オーケストラの配置(第1ヴァイオリン、第2バイオリン、ビオラの位置とか…)についても教えてもらったりしました。 以降、私にとってもチャイコフスキー第6番悲愴は忘れえぬ曲となったのです。 その悲愴を先日の日曜日、シンフォニーホールに聴きに行きました。 指揮者は今年83歳になる小林研一郎。 かつて何度もこの指揮者の曲を聴きに行ったことがありますが、日本でも有数の指揮者です。 そのコバケンもかなりのご高齢ながら、熱い指揮姿を見せてくれました。 タクトを振るうというより、「思い」を全身でオーケストラに伝えていく (実際、あまりタクトを振らなかった)そんな感じでした。 「悲愴」の第1楽章は戦争や災害、コロナなどで苦しむ人々の苦悩が、 第4楽章は老いと死を見つめるような心にぐっと入る魂の演奏でした。 因みにもう一つのプログラムはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。 この演目、今日も聴きに行くんですよね~(苦笑)