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2023.04.13
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少し間があきましたが、認知症と音楽その3です。
音楽が私たちの生活というか、人生そのものに深く繋がっていることは前回に書きました。
母親のおなかの中にいるときから音楽が胎児に響いていることは
科学的にも証明されています。
そして、子どものころは、子ども向けの歌が脳の深くに刻まれていきます。
子どものころは体験するすべてのものが、新鮮で強烈です。
そのため、記憶中枢にしっかりと刻まれやすい、「忘れられぬ曲(歌)」となっていきます。
ですから、認知症になっても、高齢者になっても、童謡などの子どもの頃の歌は唄えるのです。
そして大人になるにつれ、音楽の嗜好は人それぞれのものになっていきます。
ポップスが好きな人、ロックが好きな人、演歌が好きな人、
クラシックが好きな人、ジャズが好きな人等々、
個々の趣味嗜好で好みの音楽が変化し、その人の生活に繋がっていきます。
当然認知症になられて人にも、
それぞれなりに自分の人生に関わり深い音楽があります。
そしてその音楽がなぜ認知症の人にとって大切なのか。
それは、どのようなジャンルにしろ、
その人にとっては、心のリラクゼーションに繋がるものだからです。
例えば、アメリカの映画やドラマでちょくちょく見かけるシーンで、
音楽を聴きながら、同時にガムを噛みながら、仕事や勉強を行っているシーンがあります。
日本人からすれば、まじめに仕事をしろ!と思いがちですが、
実は音楽聞きながらの仕事は理にかなっているのです。
理路整然とした仕事を行うには、集中がいいかもしれません。
しかし、アイデアのひらめきや、思考展開は、
心がリラックスしているときの方が、はるかに生まれやすいのです。
これも脳科学的に実証されているのものなのです。
(つづく)
2023.03.28
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音楽というのは不思議な魅力があります。
もしかしたら魅力というより、魔力かもしれません。
人間が生み出した最高の芸術の一つと言えますね。
[caption id="attachment_4527" align="alignnone" width="2048"] いよいよ花の季節到来ですね[/caption]
音楽 それは私たちの人生にとって、
まるで自分自身を形成する重要なパーツのように存在しています。
私たちは子どものころから、いや母親のおなかの中にいる頃から
音楽を聴いています。
私たちの生活になくてはならないものとして音楽は存在するのです。
当然、認知症の人にとっても同じで、
脳にしっかりと刻み込まれているのが音楽なのです。
ですから、音楽療法も活用されるのです。
認知症の人と音楽、もう少し深めていきたいと思います。
[caption id="attachment_4528" align="alignnone" width="2048"] 日曜日は天気も良く、午後からズーム研修だったため、午前中に裏山に登ってきました。写っている人は誰だか知りません(笑)[/caption]
因みにベートーヴェンの「運命」
ジャジャジャジャーンの出だし。
実はプロではない高校生の楽団でも演奏できるそうです。
逆に言えば、これくらい一糸乱れず呼吸を合わせて演奏できなければ
プロにはなれないということですね。
介護での国家資格を持っているのならば、
こんなケアはできて当たり前と言えること。
ですね。
2023.03.14
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2023.01.16
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こうだとしか思えていなかったものが
全く違った捉え方ができる
でもなかなか自分の中の固定化された景色は変えられないのですが
ちょっと見かたを変えて見る時間を持てば
或は試してみれば
違う思考が広がって、「なるほど!」という世界が広がるかもしれません。
先日の恩蔵先生のドキュメントを見ても感じました。
認知症の母から出てくる「私はバカだから」とか「早く死んだほうがいいね」という言葉に、
娘の恩蔵先生は落胆するのですが、
しかし捉え方を変えると、
何かがわからなかったりできなかったりした時に発するその言葉は
実は自分の状況がわかっているからこそ出てきた言葉ではないかと。
認知機能を働かせるうえでの生活上の動作は難しくなっても、
感情はしっかりと生きていて、自分のことも周囲のこともわかっているのではないかと。
つい表面上だけで捉えてしまう私たちですが、見かたを変えると、
「認知症の人」から、「ひとりの人」としての感情が見えてくるのではないでしょうか。
数年前の西武・そごうの広告で有名になったこの言葉
以前もブログでアップしたかもしれませんが、再掲します。
上から読むのと、下から読むのでは
違った世界がそこに広がります。
上から読んだ後、下の行から上の行へ読んでいってください。
大逆転は、起こりうる。
わたしは、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。
さて、お堀の水に映る松本城
どちらが実際の写真でしょうか?