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「ほんわか写真館」で記事を検索しました。

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2023.04.20

ほんわか写真館
認知症と音楽(5) 何故音楽が良いのか 前回の最後に脳をリラックスさせる働きに「デフォルト・モード・ネットワーク」という、 聞きなれない言葉を明示して終わりました。 その「デフォルト・モード・ネットワーク」の説明に繋がるものとして、 まずは脳と音楽について説明します。 なぜそのような話をするかというと、 「認知症の人の脳は、常に緊張状態にある」と言えるからです。 その緊張状態を緩和させるものとして音楽があるのです。 アーバンケア島之内の入り口は、様々な花が満開です   音楽と脳の働きについて、 前回紹介しました映画「レナードの朝」の原作者である医師のオリバー・サックス博士が以下のように述べています。 <脳における音楽> 「個別の記憶や、エピソード記憶は失われてしまっても、音楽は残っているのですね。 一般的に音楽の力というのは、多かれ少なかれ病気によって侵食されずに長いこと残っています。」 アーバンケア島之内のジャスミン 強烈なほどのいい匂いがします。   確かに、意思疎通が厳しくなっても、何かを口ずさんでいる方はおられますし、 私もこれまで何人もの認知症の人が、何らかの音楽は忘れていないことに接しています。 まるで星々のような花です   オリバー・サックス博士は次のようにも述べています。 「言語処理の機能は左の前頭葉と側頭葉に偏在しているわけですが、 音楽は、リズム、ピッチ、感情、音程など、さまざまな要素が絡んでいるので、 その処理には実にたくさんの脳の部位が関与しています。 音楽や数学に関する脳の領域は他の分野とは別にあるため、 一般的知能とは別に発展可能なのかもしれない。」 と、述べています。 これは博士だけでなく、脳科学的にも判明しているそうです。 つまり、音楽は認知症状がダメージを受けても、 導き出せるものだし、発展可能なものとも言えます。 現にあるドキュメンタリーでは、アルツハイマー病の方が、 新しい歌の歌詞を覚える(短期記憶がダメージを受けているというのに!)姿を見ました。 これがまさしく、発展可能な領域ということでしょう。 もっとも人それぞれのパーソナリティや認知症状の状況によっても 効果の有無はあると思いますが、少なくとも音楽は、 認知症の人にとってプラス効果をもたらす環境要因と言えるでしょう。 次回は「デフォルト・モード・ネットワーク」について説明します。 (つづく)  
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2023.04.13

ほんわか写真館
大阪府認知症介護実践研修が始まります 4月になり新人職員にとっては毎日が緊張の連続ですね。 本当に脳細胞をフルに働かせるので、へとへとになると思います。 人間がくたびれるのは、身体を動かすだけでなく、 脳をフルに働かせる状況(気を遣う状況)においても同じです。 新人はこれから咲き始めます   様々な情報の判断が厳しくなり、 かつ自分自身が持っている情報も取り出せなくなってきている認知症の人も、 残された脳の機能をフルに働かせて生活しようと(生き抜こうと)されているので、 やはり精神的に疲れてしまうのです。 そのことが不機嫌や不穏に繋がってしまいます。 それは私たちも同じですね。 パンダのぬいぐるみを着て愛嬌を振るう新人バイト君も疲れてばったりです。   まぁ、それは冗談ですが、パンダだって疲れるのです。 見学者に気を使って疲れたわけではないと思うのですが…   さて、認知症の人を理解したケアを実践するための研修、 「認知症介護実践者研修」が、今年も実施されます。 大阪府のホームページに要項が上がっています。 関心のある方はご覧ください。 https://www.pref.osaka.lg.jp/kaigoshien/ninnshishou-gyakutai/kaigokenshu.html   それにしても、研修から帰ってきた人たちは異口同音に、「行って良かった!」と言われます。 その割には全体的に(大阪のみならず全国)認知症ケアが改善された感は??な状況のような気がします。 今の研修体系はどうなのか?と思うのは、どうなのか? なのでしょうか? 因みに上記のホームページに大阪府認知症介護指導者の名簿も載っています。 いつの間にか大阪府の指導者も40名を越えてきたのですね。 これだけ多くの指導者がいて講義を受け持ってくれるので、私は引退しているのですが、 認知症指導者の在り方も問われるべきではないかとも思うのですが、どうなのか?ですね。
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2023.04.06

ほんわか写真館
認知症と音楽(3) 少し間があきましたが、認知症と音楽その3です。 音楽が私たちの生活というか、人生そのものに深く繋がっていることは前回に書きました。 母親のおなかの中にいるときから音楽が胎児に響いていることは 科学的にも証明されています。 そして、子どものころは、子ども向けの歌が脳の深くに刻まれていきます。 子どものころは体験するすべてのものが、新鮮で強烈です。 そのため、記憶中枢にしっかりと刻まれやすい、「忘れられぬ曲(歌)」となっていきます。 ですから、認知症になっても、高齢者になっても、童謡などの子どもの頃の歌は唄えるのです。 そして大人になるにつれ、音楽の嗜好は人それぞれのものになっていきます。 ポップスが好きな人、ロックが好きな人、演歌が好きな人、 クラシックが好きな人、ジャズが好きな人等々、 個々の趣味嗜好で好みの音楽が変化し、その人の生活に繋がっていきます。 当然認知症になられて人にも、 それぞれなりに自分の人生に関わり深い音楽があります。 そしてその音楽がなぜ認知症の人にとって大切なのか。 それは、どのようなジャンルにしろ、 その人にとっては、心のリラクゼーションに繋がるものだからです。 例えば、アメリカの映画やドラマでちょくちょく見かけるシーンで、 音楽を聴きながら、同時にガムを噛みながら、仕事や勉強を行っているシーンがあります。 日本人からすれば、まじめに仕事をしろ!と思いがちですが、 実は音楽聞きながらの仕事は理にかなっているのです。 理路整然とした仕事を行うには、集中がいいかもしれません。 しかし、アイデアのひらめきや、思考展開は、 心がリラックスしているときの方が、はるかに生まれやすいのです。 これも脳科学的に実証されているのものなのです。 (つづく)
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2023.03.28

ほんわか写真館
脳科学者恩蔵絢子先生の講演に行ってきました 「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」の著者である 脳科学者恩蔵絢子先生の講演に、神戸三宮まで行ってきました。 私と恩蔵先生との出会いは本屋でした。 なんとなくぶらぶら見ていた時に目に止まったのが 「脳科学者の母が認知症になる」という本でした。 とかく感覚的に理解しようという認知症ケアの現場において、 脳科学的に認知症の人の行動すべてに根拠があるのだということが 伝えられるのではないかと。 この時から興味を持ち、折しも東京の中央法規出版社の知人から、 介護現場向けの「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」を出版するとの連絡を受け、 以降なんとか恩蔵先生の話を聞きたいと思っていたのでした。 そして今回の講演です。 恩蔵先生の講演は、めっちゃ情熱的なお話でした。 東は名古屋、西は岡山、東大阪からもキャラバンメイトさんが聞きに来てくれました。 脳科学者というと難しい話に思えますが、 一人の介護者、娘としての視点、そして科学者としての視点と、両方織り交ぜてのお話でした。 学びはたくさんありましたが、それは追々紹介させてもらいます。 ちょっとだけ触れますと、「脳トレ」は逆効果だそうです。 トイレの場所を示すために大きく貼られた文字。 意味ないそうです。 むしろトイレそのものが見える方が良いとのこと。(施設では難しいところもありますが) 等々、なるほど!と思うことが一杯でした。 ちゃっかりサインをいただきました。   夕ご飯までご同行させてもらいましたが、 母を思う一人の娘さんでした。 以降、少しずつお伝えしていきたいと思います。 アーバンケア島之内の桜も、ほぼ満開です。 2階のレストランフロアは、食事をしながらお花見ができる 絶好のロケーションが得られる場所ですね!
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2023.03.20

ほんわか写真館
認知症と音楽(2) 音楽というのは不思議な魅力があります。 もしかしたら魅力というより、魔力かもしれません。 人間が生み出した最高の芸術の一つと言えますね。 いよいよ花の季節到来ですね   音楽 それは私たちの人生にとって、 まるで自分自身を形成する重要なパーツのように存在しています。 私たちは子どものころから、いや母親のおなかの中にいる頃から 音楽を聴いています。 私たちの生活になくてはならないものとして音楽は存在するのです。 当然、認知症の人にとっても同じで、 脳にしっかりと刻み込まれているのが音楽なのです。 ですから、音楽療法も活用されるのです。 認知症の人と音楽、もう少し深めていきたいと思います。 日曜日は天気も良く、午後からズーム研修だったため、午前中に裏山に登ってきました。写っている人は誰だか知りません(笑)   因みにベートーヴェンの「運命」 ジャジャジャジャーンの出だし。 実はプロではない高校生の楽団でも演奏できるそうです。 逆に言えば、これくらい一糸乱れず呼吸を合わせて演奏できなければ プロにはなれないということですね。 介護での国家資格を持っているのならば、 こんなケアはできて当たり前と言えること。 ですね。
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2023.03.14

ほんわか写真館
ミツマタロードからサントリーロードへ 道に迷うということ ミツマタの花を見に軽登山してきました。 先月登った山、「サントリー山」でのこと。 ここで、おばあちゃんに近いおばちゃんに会いました。 「まだちょっと早いんやけど、ミツマタがきれいに咲いてるねん。去年撮った写真やで。」 と言って、スマホの写真を見せてくれました。 こんな天王山界隈に、ミツマタという名前の花の群落があるなどとは知りませんでした。 「ところでそのミツマタの一杯咲いてる場所、どこか知らん?」と聞かれたのですが、 去年行ってきて写真撮ったんとちゃうの?とは突っ込まず、正直知らないですと返事。 しかし後で、このおばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味がよく分かったのです。 ということで1か月後、地図にもガイドブックにも載っていない、(登山道も書かれていない) ミツマタロード目指しての冒険が始まります。 野生の感??を働かせて、ミツマタが道沿いに咲いているミツマタロードに到着。 ミツマタはその名の通り、枝が三又に分かれています。 面白い木ですね。そして満開の花がどれなのかもよくわからなかったです。 さてここから、何故か道標がない三叉路(三又だ)がいくつもあり、 お昼を食べる予定の天王山がわからない。 まさしく、おばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味が分かりだします。 しかしここも野生の感?を働かせ、何とか山頂に到着。 この後は、サントリー山からサントリーロード(カントリーロードではありません)を通って下山することに。 このサントリーロードはまだ歩いたことはなく、ちょっとした冒険。 なんせ地図にはない道。グーグルマップにも何も表示されません。 ところが途中で、道が怪しくなり引き返し、 谷へ降りる道にマークがあったのでそこを降りるも とてもじゃないが進める道ではなく引き返し、 ほとんどサントリー山に戻るような形で、ようやく本来のサントリーロードを発見したのでした。 (めっちゃわかりにくかった) 名神高速 天王山トンネルが一部分見えています。   道がどこだがわからなくなる不安と混乱。認知症の人の気持ちがよくわかります。 そして、「引き返す」というのは、決断が必要ですね。 でも認知症の人の場合、その決断自体が霧の中です。 だからどこまでも迷いながら進んでしまうのですね。 この神社、特にサントリーとは関係ないそうです   このサントリーロード、何故そう言われるのかというと、 サントリー山崎蒸溜所に出るからなのです。 途中、名神高速天王山トンネルのむき出し?部分を越えると神社があり、 そのすぐ先がサントリー山崎蒸溜所(工場)なのです。 二つの鳥居をくぐると、そこは蒸溜所内。 う~ん、折角なら鳥居を3つ作ってくれていたら三鳥居(サントリー)になったのに。 この工場内の道、実はサントリーのものではなく、公道なのです。 ですから蒸溜所内を普通に歩けるのです。 たかが低山、されど低山。どのような山でも、地形図がわかる地図と、コンパスが必要ですね。 グーグルマップは地形図が出ないので、何の役にも立ちません。 と、休日はちょっとした冒険をして楽しく過ごしてきました。
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2023.03.03

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お雛祭りに春を感じる ある認知症の人が、ひな人形に話し掛けていました。 「毎日朝から晩まで、重たい着物着て座っていたらしんどいやろうに…」 その方の気遣いが感じられますね。 人形であれ、意思を持たないあらゆる個体(椅子とか机とか、 日常生活におけるあらゆるもの)であれ、 それに対する気遣いを持つということは、 物を大切にするということに繋がるのかもしれません。 現にこのひな人形、当直者も寝静まる時間帯に、 「あ~あ、今日も一日座りっぱなしで疲れた!」と言って、 足を延ばしているのです。 「それにこの着物、重たくて肩が凝る…」 その女雛の言葉に、男雛が立ち上がり、女雛の肩をやさしく揉んであげているのです。 なるほど、女雛は男雛より年上に見えますね。 そして二人は当直者が起きだしてくる前に、 「さ、元の形に戻りましょう」 と言って、伸ばしていた足を元に戻すのです。 皆さんは気づいたことがありませんが? 動かないはずの人形が、 次の日、ほんのちょっと位置がずれていたり、 形がわずかながら変わったりしていることに。 因みに男雛が向かって左側に座っているのは関東。 主に京都(関西)は、男雛が右側、女雛が左側だそうです。 このお二人は関東出身かもしれません。 そして3月 花々のつぼみも大きくなってきました。 春はすぐそこまで来ているようです。
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2023.01.16

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明日は誰にも保障されていない センター長の石川です。 先日は竹内まりやの「人生の扉」という歌を紹介しました。 竹内まりやには、もう一つ私たちの仕事に関わるであろう「いのちの歌」があります。 この歌はまた後日紹介します。 今日はケツメイシの唄を。 私もそれなりの歳になり、 いつのまにか自分より年下の友人、知人の訃報に接することが多くなりました。 子どものころから親しんだ有名人も次から次へと亡くなり、 誰が生きているのか死んでいるのかわからない始末です。 年齢の近い人の死亡記事では、その原因をつい読んでしまいます。 死を身近に感じるようになったということでしょうか。 私がこの仕事に入って間もないころ、昨日話をしていた人が亡くなって泣いたことがあります。 その人に限らず何回かは泣いたことがあるかな。 私が当時働いていた施設では、生活相談員は葬儀関係を取り仕切っていました。(多くの人は施設で葬儀を出したのです) 一応葬儀社は入ってくれますが、毎回斎場まで行き、お骨を拾うところまで行いました。 葬儀社が忙しい時は私が葬儀社の代わりとなって斎場の手続き (書類と心付けを渡す。心付けを渡すという風習はその後禁止されました)を行うなんてこともありました。 全く身寄りのない人のお通夜は寂しく、遅くまで祭壇のそばにいたこともあります。 生活保護の方は葬儀社も入れず、祭壇を組み立てもしました。 そうやって見送ってきた人は、多分100人を超えると思います。 でもそれを繰り返しているうちに、ひとつひとつの命の重さを感じる思いが希薄になり、 儀式が形式的になっていったとも言えます。 やはりお見送りは寂しくあってはならないと思うのです。 (黒澤明監督の「夢」では、お祭りのようなお葬式でした) でもさすがにこの歳になり、友人、知人を失うと、やはり身近なものとして感じてしまいます。 そして私はそれを温かく見送ることができるのだろうか? 私ならどう思うのか? もし明日は我が身と思うと、 私の心は広くも許容力もないので、耳を塞ぎ目を閉じるかも知れません。 ケツメイシのミュージックビデオは今見ると衝撃的ですね。 2016年制作ですから、まさかという感じです。 明日は、若い人にも保障されているものではないのです。 ダチョウ倶楽部の映像は、ちょっと哀しくなるけど、ケツメイシの「友よ~この先もずっと」です https://www.youtube.com/watch?v=IV7usfiEbms  
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2023.01.09

ほんわか写真館
見かたを変えれば こうだとしか思えていなかったものが 全く違った捉え方ができる でもなかなか自分の中の固定化された景色は変えられないのですが ちょっと見かたを変えて見る時間を持てば 或は試してみれば 違う思考が広がって、「なるほど!」という世界が広がるかもしれません。 先日の恩蔵先生のドキュメントを見ても感じました。 認知症の母から出てくる「私はバカだから」とか「早く死んだほうがいいね」という言葉に、 娘の恩蔵先生は落胆するのですが、 しかし捉え方を変えると、 何かがわからなかったりできなかったりした時に発するその言葉は 実は自分の状況がわかっているからこそ出てきた言葉ではないかと。 認知機能を働かせるうえでの生活上の動作は難しくなっても、 感情はしっかりと生きていて、自分のことも周囲のこともわかっているのではないかと。 つい表面上だけで捉えてしまう私たちですが、見かたを変えると、 「認知症の人」から、「ひとりの人」としての感情が見えてくるのではないでしょうか。 数年前の西武・そごうの広告で有名になったこの言葉 以前もブログでアップしたかもしれませんが、再掲します。 上から読むのと、下から読むのでは 違った世界がそこに広がります。 上から読んだ後、下の行から上の行へ読んでいってください。      大逆転は、起こりうる。  わたしは、その言葉を信じない。  どうせ奇跡なんて起こらない。  それでも人々は無責任に言うだろう。  小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。  誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。  今こそ自分を貫くときだ。  しかし、そんな考え方は馬鹿げている。  勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。  わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。  土俵際、もはや絶体絶命。   さて、お堀の水に映る松本城 どちらが実際の写真でしょうか?
ブログ投稿画像 前回の最後に脳をリラックスさせる働きに「デフォルト・モード・ネットワーク」という、 聞きなれない言葉を明示して終わりました。 その「デフォルト・モード・ネットワーク」の説明に繋がるものとして、 まずは脳と音楽について説明します。 なぜそのような話をするかというと、 「認知症の人の脳は、常に緊張状態にある」と言えるからです。 その緊張状態を緩和させるものとして音楽があるのです。 [caption id="attachment_4613" align="alignnone" width="1600"] アーバンケア島之内の入り口は、様々な花が満開です[/caption]   音楽と脳の働きについて、 前回紹介しました映画「レナードの朝」の原作者である医師のオリバー・サックス博士が以下のように述べています。 <脳における音楽> 「個別の記憶や、エピソード記憶は失われてしまっても、音楽は残っているのですね。 一般的に音楽の力というのは、多かれ少なかれ病気によって侵食されずに長いこと残っています。」 [caption id="attachment_4612" align="alignnone" width="1600"] アーバンケア島之内のジャスミン 強烈なほどのいい匂いがします。[/caption]   確かに、意思疎通が厳しくなっても、何かを口ずさんでいる方はおられますし、 私もこれまで何人もの認知症の人が、何らかの音楽は忘れていないことに接しています。 [caption id="attachment_4611" align="alignnone" width="1600"] まるで星々のような花です[/caption]   オリバー・サックス博士は次のようにも述べています。 「言語処理の機能は左の前頭葉と側頭葉に偏在しているわけですが、 音楽は、リズム、ピッチ、感情、音程など、さまざまな要素が絡んでいるので、 その処理には実にたくさんの脳の部位が関与しています。 音楽や数学に関する脳の領域は他の分野とは別にあるため、 一般的知能とは別に発展可能なのかもしれない。」 と、述べています。 これは博士だけでなく、脳科学的にも判明しているそうです。 つまり、音楽は認知症状がダメージを受けても、 導き出せるものだし、発展可能なものとも言えます。 現にあるドキュメンタリーでは、アルツハイマー病の方が、 新しい歌の歌詞を覚える(短期記憶がダメージを受けているというのに!)姿を見ました。 これがまさしく、発展可能な領域ということでしょう。 もっとも人それぞれのパーソナリティや認知症状の状況によっても 効果の有無はあると思いますが、少なくとも音楽は、 認知症の人にとってプラス効果をもたらす環境要因と言えるでしょう。 次回は「デフォルト・モード・ネットワーク」について説明します。 (つづく)  
ブログ投稿画像 4月になり新人職員にとっては毎日が緊張の連続ですね。 本当に脳細胞をフルに働かせるので、へとへとになると思います。 人間がくたびれるのは、身体を動かすだけでなく、 脳をフルに働かせる状況(気を遣う状況)においても同じです。 [caption id="attachment_4591" align="alignnone" width="1600"] 新人はこれから咲き始めます[/caption]   様々な情報の判断が厳しくなり、 かつ自分自身が持っている情報も取り出せなくなってきている認知症の人も、 残された脳の機能をフルに働かせて生活しようと(生き抜こうと)されているので、 やはり精神的に疲れてしまうのです。 そのことが不機嫌や不穏に繋がってしまいます。 それは私たちも同じですね。 パンダのぬいぐるみを着て愛嬌を振るう新人バイト君も疲れてばったりです。   まぁ、それは冗談ですが、パンダだって疲れるのです。 見学者に気を使って疲れたわけではないと思うのですが…   さて、認知症の人を理解したケアを実践するための研修、 「認知症介護実践者研修」が、今年も実施されます。 大阪府のホームページに要項が上がっています。 関心のある方はご覧ください。 https://www.pref.osaka.lg.jp/kaigoshien/ninnshishou-gyakutai/kaigokenshu.html   それにしても、研修から帰ってきた人たちは異口同音に、「行って良かった!」と言われます。 その割には全体的に(大阪のみならず全国)認知症ケアが改善された感は??な状況のような気がします。 今の研修体系はどうなのか?と思うのは、どうなのか? なのでしょうか? 因みに上記のホームページに大阪府認知症介護指導者の名簿も載っています。 いつの間にか大阪府の指導者も40名を越えてきたのですね。 これだけ多くの指導者がいて講義を受け持ってくれるので、私は引退しているのですが、 認知症指導者の在り方も問われるべきではないかとも思うのですが、どうなのか?ですね。
ブログ投稿画像 少し間があきましたが、認知症と音楽その3です。 音楽が私たちの生活というか、人生そのものに深く繋がっていることは前回に書きました。 母親のおなかの中にいるときから音楽が胎児に響いていることは 科学的にも証明されています。 そして、子どものころは、子ども向けの歌が脳の深くに刻まれていきます。 子どものころは体験するすべてのものが、新鮮で強烈です。 そのため、記憶中枢にしっかりと刻まれやすい、「忘れられぬ曲(歌)」となっていきます。 ですから、認知症になっても、高齢者になっても、童謡などの子どもの頃の歌は唄えるのです。 そして大人になるにつれ、音楽の嗜好は人それぞれのものになっていきます。 ポップスが好きな人、ロックが好きな人、演歌が好きな人、 クラシックが好きな人、ジャズが好きな人等々、 個々の趣味嗜好で好みの音楽が変化し、その人の生活に繋がっていきます。 当然認知症になられて人にも、 それぞれなりに自分の人生に関わり深い音楽があります。 そしてその音楽がなぜ認知症の人にとって大切なのか。 それは、どのようなジャンルにしろ、 その人にとっては、心のリラクゼーションに繋がるものだからです。 例えば、アメリカの映画やドラマでちょくちょく見かけるシーンで、 音楽を聴きながら、同時にガムを噛みながら、仕事や勉強を行っているシーンがあります。 日本人からすれば、まじめに仕事をしろ!と思いがちですが、 実は音楽聞きながらの仕事は理にかなっているのです。 理路整然とした仕事を行うには、集中がいいかもしれません。 しかし、アイデアのひらめきや、思考展開は、 心がリラックスしているときの方が、はるかに生まれやすいのです。 これも脳科学的に実証されているのものなのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」の著者である 脳科学者恩蔵絢子先生の講演に、神戸三宮まで行ってきました。 私と恩蔵先生との出会いは本屋でした。 なんとなくぶらぶら見ていた時に目に止まったのが 「脳科学者の母が認知症になる」という本でした。 とかく感覚的に理解しようという認知症ケアの現場において、 脳科学的に認知症の人の行動すべてに根拠があるのだということが 伝えられるのではないかと。 この時から興味を持ち、折しも東京の中央法規出版社の知人から、 介護現場向けの「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」を出版するとの連絡を受け、 以降なんとか恩蔵先生の話を聞きたいと思っていたのでした。 そして今回の講演です。 恩蔵先生の講演は、めっちゃ情熱的なお話でした。 東は名古屋、西は岡山、東大阪からもキャラバンメイトさんが聞きに来てくれました。 脳科学者というと難しい話に思えますが、 一人の介護者、娘としての視点、そして科学者としての視点と、両方織り交ぜてのお話でした。 学びはたくさんありましたが、それは追々紹介させてもらいます。 ちょっとだけ触れますと、「脳トレ」は逆効果だそうです。 トイレの場所を示すために大きく貼られた文字。 意味ないそうです。 むしろトイレそのものが見える方が良いとのこと。(施設では難しいところもありますが) 等々、なるほど!と思うことが一杯でした。 [caption id="attachment_4539" align="alignnone" width="2232"] ちゃっかりサインをいただきました。[/caption]   夕ご飯までご同行させてもらいましたが、 母を思う一人の娘さんでした。 以降、少しずつお伝えしていきたいと思います。 アーバンケア島之内の桜も、ほぼ満開です。 2階のレストランフロアは、食事をしながらお花見ができる 絶好のロケーションが得られる場所ですね!
ブログ投稿画像 音楽というのは不思議な魅力があります。 もしかしたら魅力というより、魔力かもしれません。 人間が生み出した最高の芸術の一つと言えますね。 [caption id="attachment_4527" align="alignnone" width="2048"] いよいよ花の季節到来ですね[/caption]   音楽 それは私たちの人生にとって、 まるで自分自身を形成する重要なパーツのように存在しています。 私たちは子どものころから、いや母親のおなかの中にいる頃から 音楽を聴いています。 私たちの生活になくてはならないものとして音楽は存在するのです。 当然、認知症の人にとっても同じで、 脳にしっかりと刻み込まれているのが音楽なのです。 ですから、音楽療法も活用されるのです。 認知症の人と音楽、もう少し深めていきたいと思います。 [caption id="attachment_4528" align="alignnone" width="2048"] 日曜日は天気も良く、午後からズーム研修だったため、午前中に裏山に登ってきました。写っている人は誰だか知りません(笑)[/caption]   因みにベートーヴェンの「運命」 ジャジャジャジャーンの出だし。 実はプロではない高校生の楽団でも演奏できるそうです。 逆に言えば、これくらい一糸乱れず呼吸を合わせて演奏できなければ プロにはなれないということですね。 介護での国家資格を持っているのならば、 こんなケアはできて当たり前と言えること。 ですね。
ブログ投稿画像 ミツマタの花を見に軽登山してきました。 先月登った山、「サントリー山」でのこと。 ここで、おばあちゃんに近いおばちゃんに会いました。 「まだちょっと早いんやけど、ミツマタがきれいに咲いてるねん。去年撮った写真やで。」 と言って、スマホの写真を見せてくれました。 こんな天王山界隈に、ミツマタという名前の花の群落があるなどとは知りませんでした。 「ところでそのミツマタの一杯咲いてる場所、どこか知らん?」と聞かれたのですが、 去年行ってきて写真撮ったんとちゃうの?とは突っ込まず、正直知らないですと返事。 しかし後で、このおばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味がよく分かったのです。 ということで1か月後、地図にもガイドブックにも載っていない、(登山道も書かれていない) ミツマタロード目指しての冒険が始まります。 野生の感??を働かせて、ミツマタが道沿いに咲いているミツマタロードに到着。 ミツマタはその名の通り、枝が三又に分かれています。 面白い木ですね。そして満開の花がどれなのかもよくわからなかったです。 さてここから、何故か道標がない三叉路(三又だ)がいくつもあり、 お昼を食べる予定の天王山がわからない。 まさしく、おばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味が分かりだします。 しかしここも野生の感?を働かせ、何とか山頂に到着。 この後は、サントリー山からサントリーロード(カントリーロードではありません)を通って下山することに。 このサントリーロードはまだ歩いたことはなく、ちょっとした冒険。 なんせ地図にはない道。グーグルマップにも何も表示されません。 ところが途中で、道が怪しくなり引き返し、 谷へ降りる道にマークがあったのでそこを降りるも とてもじゃないが進める道ではなく引き返し、 ほとんどサントリー山に戻るような形で、ようやく本来のサントリーロードを発見したのでした。 (めっちゃわかりにくかった) [caption id="attachment_4496" align="alignnone" width="1600"] 名神高速 天王山トンネルが一部分見えています。[/caption]   道がどこだがわからなくなる不安と混乱。認知症の人の気持ちがよくわかります。 そして、「引き返す」というのは、決断が必要ですね。 でも認知症の人の場合、その決断自体が霧の中です。 だからどこまでも迷いながら進んでしまうのですね。 [caption id="attachment_4497" align="alignnone" width="1600"] この神社、特にサントリーとは関係ないそうです[/caption]   このサントリーロード、何故そう言われるのかというと、 サントリー山崎蒸溜所に出るからなのです。 途中、名神高速天王山トンネルのむき出し?部分を越えると神社があり、 そのすぐ先がサントリー山崎蒸溜所(工場)なのです。 二つの鳥居をくぐると、そこは蒸溜所内。 う~ん、折角なら鳥居を3つ作ってくれていたら三鳥居(サントリー)になったのに。 この工場内の道、実はサントリーのものではなく、公道なのです。 ですから蒸溜所内を普通に歩けるのです。 たかが低山、されど低山。どのような山でも、地形図がわかる地図と、コンパスが必要ですね。 グーグルマップは地形図が出ないので、何の役にも立ちません。 と、休日はちょっとした冒険をして楽しく過ごしてきました。
ブログ投稿画像 ある認知症の人が、ひな人形に話し掛けていました。 「毎日朝から晩まで、重たい着物着て座っていたらしんどいやろうに…」 その方の気遣いが感じられますね。 人形であれ、意思を持たないあらゆる個体(椅子とか机とか、 日常生活におけるあらゆるもの)であれ、 それに対する気遣いを持つということは、 物を大切にするということに繋がるのかもしれません。 現にこのひな人形、当直者も寝静まる時間帯に、 「あ~あ、今日も一日座りっぱなしで疲れた!」と言って、 足を延ばしているのです。 「それにこの着物、重たくて肩が凝る…」 その女雛の言葉に、男雛が立ち上がり、女雛の肩をやさしく揉んであげているのです。 なるほど、女雛は男雛より年上に見えますね。 そして二人は当直者が起きだしてくる前に、 「さ、元の形に戻りましょう」 と言って、伸ばしていた足を元に戻すのです。 皆さんは気づいたことがありませんが? 動かないはずの人形が、 次の日、ほんのちょっと位置がずれていたり、 形がわずかながら変わったりしていることに。 因みに男雛が向かって左側に座っているのは関東。 主に京都(関西)は、男雛が右側、女雛が左側だそうです。 このお二人は関東出身かもしれません。 そして3月 花々のつぼみも大きくなってきました。 春はすぐそこまで来ているようです。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先日は竹内まりやの「人生の扉」という歌を紹介しました。 竹内まりやには、もう一つ私たちの仕事に関わるであろう「いのちの歌」があります。 この歌はまた後日紹介します。 今日はケツメイシの唄を。 私もそれなりの歳になり、 いつのまにか自分より年下の友人、知人の訃報に接することが多くなりました。 子どものころから親しんだ有名人も次から次へと亡くなり、 誰が生きているのか死んでいるのかわからない始末です。 年齢の近い人の死亡記事では、その原因をつい読んでしまいます。 死を身近に感じるようになったということでしょうか。 私がこの仕事に入って間もないころ、昨日話をしていた人が亡くなって泣いたことがあります。 その人に限らず何回かは泣いたことがあるかな。 私が当時働いていた施設では、生活相談員は葬儀関係を取り仕切っていました。(多くの人は施設で葬儀を出したのです) 一応葬儀社は入ってくれますが、毎回斎場まで行き、お骨を拾うところまで行いました。 葬儀社が忙しい時は私が葬儀社の代わりとなって斎場の手続き (書類と心付けを渡す。心付けを渡すという風習はその後禁止されました)を行うなんてこともありました。 全く身寄りのない人のお通夜は寂しく、遅くまで祭壇のそばにいたこともあります。 生活保護の方は葬儀社も入れず、祭壇を組み立てもしました。 そうやって見送ってきた人は、多分100人を超えると思います。 でもそれを繰り返しているうちに、ひとつひとつの命の重さを感じる思いが希薄になり、 儀式が形式的になっていったとも言えます。 やはりお見送りは寂しくあってはならないと思うのです。 (黒澤明監督の「夢」では、お祭りのようなお葬式でした) でもさすがにこの歳になり、友人、知人を失うと、やはり身近なものとして感じてしまいます。 そして私はそれを温かく見送ることができるのだろうか? 私ならどう思うのか? もし明日は我が身と思うと、 私の心は広くも許容力もないので、耳を塞ぎ目を閉じるかも知れません。 ケツメイシのミュージックビデオは今見ると衝撃的ですね。 2016年制作ですから、まさかという感じです。 明日は、若い人にも保障されているものではないのです。 ダチョウ倶楽部の映像は、ちょっと哀しくなるけど、ケツメイシの「友よ~この先もずっと」です https://www.youtube.com/watch?v=IV7usfiEbms  
ブログ投稿画像 こうだとしか思えていなかったものが 全く違った捉え方ができる でもなかなか自分の中の固定化された景色は変えられないのですが ちょっと見かたを変えて見る時間を持てば 或は試してみれば 違う思考が広がって、「なるほど!」という世界が広がるかもしれません。 先日の恩蔵先生のドキュメントを見ても感じました。 認知症の母から出てくる「私はバカだから」とか「早く死んだほうがいいね」という言葉に、 娘の恩蔵先生は落胆するのですが、 しかし捉え方を変えると、 何かがわからなかったりできなかったりした時に発するその言葉は 実は自分の状況がわかっているからこそ出てきた言葉ではないかと。 認知機能を働かせるうえでの生活上の動作は難しくなっても、 感情はしっかりと生きていて、自分のことも周囲のこともわかっているのではないかと。 つい表面上だけで捉えてしまう私たちですが、見かたを変えると、 「認知症の人」から、「ひとりの人」としての感情が見えてくるのではないでしょうか。 数年前の西武・そごうの広告で有名になったこの言葉 以前もブログでアップしたかもしれませんが、再掲します。 上から読むのと、下から読むのでは 違った世界がそこに広がります。 上から読んだ後、下の行から上の行へ読んでいってください。      大逆転は、起こりうる。  わたしは、その言葉を信じない。  どうせ奇跡なんて起こらない。  それでも人々は無責任に言うだろう。  小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。  誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。  今こそ自分を貫くときだ。  しかし、そんな考え方は馬鹿げている。  勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。  わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。  土俵際、もはや絶体絶命。   さて、お堀の水に映る松本城 どちらが実際の写真でしょうか?