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「ほんわか写真館」で記事を検索しました。

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2023.07.05

ほんわか写真館
「心遣い」というアイテムを持つこと 「心遣い」 実は、私に欠けているものでもあります。 そのため、自戒を込めてというか、 自分自身にも言い聞かせるためにも書いてみようと思います。 「気遣い」も同様な言葉になりますが、相手を心配する思いの方が強いでしょう。 「心遣い」はどちらかというと、お客様に対するという、ビジネス的要素があるでしょう。 (お金に関わる心遣いという意味がありますが、これは問題外です) 「心遣い」、それをケアの世界に置きかえれば、ご入居前から、亡くなられた後まで含めて 「心遣い」があるかないかは、その事業所の評価に大きく関わることでしょう。 例えば、亡くなったら終わりではなく、 お返しする遺品である衣類が丁寧にたたんで返却されるという心遣いがあるか否かでも、 家族は親が大切にされていたか否かを感じるし、その感じたことは、 必ずその家族の周囲へと伝わっていきます。 その事業所に心遣いがあるかないかは、必ず世間に拡散していくのです。 個人として捉えれば、「心遣い」を発揮できるかどうかは、 自分が損をするか得するかに繋がります。 ゲームで例えるなら、自分を最強に育てて行く過程で、 様々なアイテムを身に付けていきますが、 仕事もゲームと同様に、「介護技術」とか「コミュニケーション技術」とか「考える力」とか、 そして「心遣い」も自分を強化するための大切なアイテムなのです。 それらのアイテムを身に付けられなければ、即ゲームオーバーなのです。 ではどうしたら「心遣い」というアイテムを持つことができるのか? それもゲームで相手に勝つために考えるのと同じで、 どのような準備と段取りをしたらいいのかと考えるのと一緒です。 具体的には、自分の世界の動きだけで考えていては 「心遣い」のアイテムは得ることはできません。 自分の世界の動きや考えを一旦立ち止まらせて、 「相手の立場になって、どのような行動をすれば、相手が喜ばれるだろうか。」と 考える時間を持つことです。 1分でいいのです。 1分、相手の視点で考えるということをすれば、 その1分で「心遣い」というアイテムは身に付けていけるし、 相手や周囲からの評価も高まり、 自分にとって、大きなポイント加算に繋がるのです。 1分で得られる最強のアイテム。 それが「心遣い」なのです。
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2023.07.01

ほんわか写真館
安心・声掛け・つながり訓練開催されました(その2) 今回は実際の訓練風景の写真を添付します。 認知症役の職員は、実際に担当している認知症の人の気持ちになって演じたとのこと。 寺尾会長が率先して声掛けを行います   じっとしている認知症役ではなかったので、声掛けをする参加者の皆さんも 一苦労のようだったです。 皆さん本当に熱心です。   本来なら全員に声掛け訓練してほしかったのですが、 参加者が予定よりかなり多くなり、なかなか全員という訳には行きませんでした。 率先して声掛けに参加された方は 本当に上手に声を掛けておられました。 訓練に何回も参加している方は、さすが、声掛けが上手です。   地元警察の署員さんも 一生懸命声を掛け、無事に「安心しましたカード」をもらっていました。 認知症役の人から、安心しましたカードをもらいます。   何よりも、ケーブルテレビのインタビューを受けられていた この方の言葉が良かったですね。 子どもたちも、何をしているのか興味を持っています     「同じ歩調に合わす」「否定しない」「うなずく」 訓練前にお話ししたわけでもないのに、 ある意味専門職も見習わなければならないような言葉でした。 認知症の方に関わる、大切な心掛けですね。 この後姿、いいですね!   このように少しでも地域の方が 関心を持ってもらうことで、 認知症の人が普通に暮らせる地域になればと思っています。 皆様、いい笑顔ですね!
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2023.05.06

ほんわか写真館
GWですので、脳疲労を取る写真とスマホの話 センター長の石川です 「スマホ脳」という本がかなり売れているそうです。 いわゆるスマホの多用による弊害が書かれているのですが、 その本が売れているということは、 「スマホは今や必要不可欠なものだけど、その危険性も感じ取っている」人が多いからかもしれません。 実際、スマホを横においての仕事や勉強は、 集中力の欠如に繋がるそうです。 もちろん、それ以外にも多くの弊害があります。 スマホは脳疲労の一因になっていることは間違いないでしょう。 ただ脳疲労を蓄積させる要因はそれだけではないでしょう。 一番大きなストレスは仕事上のものかもしれません。 しかし、仕事が大好きで、夢中になるくらい仕事が大好きな人は、 全力で走り続けて、突然バタッと倒れる。 それで完結してしまいますが、 なんらかんだで仕事にストレスを感じている人、 さらにスマホで仕事を縛られているような人の脳は、 知らずのうちにどんどんと疲労していき、 その疲労は様々な悪影響として自分の心身を襲い苦しめます。 ある日突然の身体の不調、うつ、そして認知症… そのため疲れた脳を癒すことが必要になります。 脳の癒しは人それぞれにあるので、それを実行すればよいのですが、 問題はその切り替えが出来るかどうかでしょう。 脳疲労の原因の一つであるスマホに関しては、 方法として、スマホは仕事だけに使い、SNS等別のものには使わない。 逆に仕事から離れたら、オフの時は仕事の電話には一切出ない、しない (実際、オフの時は連絡してはいけないということを取り決めている企業もあります。 連絡しなくても職場が回れる体制づくりの構築が必要になります。) 私は外に出たら(山に行けば)スマホはザックにしまい込みます。 いまは地図もスマホで見れ、現在位置まですべてスマホでわかるのですが、 あえて紙の地図を持っていき、SNSに捉われず、鳥のさえずりに耳を傾けます。 いざ困ったときにスマホは使えばいいのです。 なんだかんだと言ってもスマホは便利です。 SNSの会話で心が傷ついたり、右往左往したりするよりも、 発想を得るための道具として使えばめっちゃ便利です。 スマホを毒に使えば、脳疲労は知らずのうちにあなたを蝕むでしょう。 もっとも、近い将来、無慈悲なAIによって、 人類が滅亡してしまうかもしれませんが…
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2023.04.22

ほんわか写真館
認知症と音楽(6) 私たちが関わらなければ認知症の人は音楽を忘れてしまう 前回、「デフォルト・モード・ネットワーク」については次回と書きましたが、 またまたその前に追記しておきたいことを今回は書きます。 個別の記憶やエピソード記憶を引き出すことが厳しくなっても、 音楽は脳の各領域に及ぶ記憶なので引き出しやすく、 さらにその部位を活用して新たに記憶していくことも可能と前回書きました。 さらに音楽は後日説明する「デフォルト・モード・ネットワーク」とも関連が深く、 脳をリラックスさせ、そのことにより、 むしろ普段出てこないような記憶も出てくる可能性があるのです。 特に認知症の人は、認知機能が低下していくので、 生きていくために脳は残された脳力を必死になって使う緊張状態が続くことになります。 そのため、私たちから見れば、不穏、興奮、暴力、多動等の行動が出てしまいます。 しかしそれは、必死になって生きていこうとする姿でもあるのです。 心の緊張をほぐすために、私たちはよく好みの音楽を聴きます。 好きな音楽を聴いていると、身も心も安心したり楽しくなったりします。 お気に入りの人のコンサートに行くのは、身も心も楽しく、 時に快活な興奮をもたらします。 日頃抱えているストレスもどこえやらですね。 ところが、認知症の人の場合、 その好みの音楽を聴くという所作そのものを忘れてしまいます。 自らの力で、自分の好きな音楽が聴けなくなってしまうのです。 そのため、音楽そのものから(自分の好きな音楽から)遠ざかってしまい、 結果音楽そのものを忘れてしまいかねないのです。 つまり、私たちが関わらなければ認知症の人は音楽を忘れてしまうのです。 それは本人のみならずケアワークの手段としても損失になります。 その方がどのような音楽が好きだったのか、 それを確認し、できるならあまりほかの方の邪魔にならないように、 ゆったりと聴いてもらう時間があればよいでしょう。 そのためにはフロアの「しつらえ」も必要になるでしょう。 いずれにしても、認知症の人は周囲の関りがなければ、 音楽だけでなく、「忘れてしまう」ことが加速するのです。 (つづく)
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2023.04.20

ほんわか写真館
認知症と音楽(5) 何故音楽が良いのか 前回の最後に脳をリラックスさせる働きに「デフォルト・モード・ネットワーク」という、 聞きなれない言葉を明示して終わりました。 その「デフォルト・モード・ネットワーク」の説明に繋がるものとして、 まずは脳と音楽について説明します。 なぜそのような話をするかというと、 「認知症の人の脳は、常に緊張状態にある」と言えるからです。 その緊張状態を緩和させるものとして音楽があるのです。 アーバンケア島之内の入り口は、様々な花が満開です   音楽と脳の働きについて、 前回紹介しました映画「レナードの朝」の原作者である医師のオリバー・サックス博士が以下のように述べています。 <脳における音楽> 「個別の記憶や、エピソード記憶は失われてしまっても、音楽は残っているのですね。 一般的に音楽の力というのは、多かれ少なかれ病気によって侵食されずに長いこと残っています。」 アーバンケア島之内のジャスミン 強烈なほどのいい匂いがします。   確かに、意思疎通が厳しくなっても、何かを口ずさんでいる方はおられますし、 私もこれまで何人もの認知症の人が、何らかの音楽は忘れていないことに接しています。 まるで星々のような花です   オリバー・サックス博士は次のようにも述べています。 「言語処理の機能は左の前頭葉と側頭葉に偏在しているわけですが、 音楽は、リズム、ピッチ、感情、音程など、さまざまな要素が絡んでいるので、 その処理には実にたくさんの脳の部位が関与しています。 音楽や数学に関する脳の領域は他の分野とは別にあるため、 一般的知能とは別に発展可能なのかもしれない。」 と、述べています。 これは博士だけでなく、脳科学的にも判明しているそうです。 つまり、音楽は認知症状がダメージを受けても、 導き出せるものだし、発展可能なものとも言えます。 現にあるドキュメンタリーでは、アルツハイマー病の方が、 新しい歌の歌詞を覚える(短期記憶がダメージを受けているというのに!)姿を見ました。 これがまさしく、発展可能な領域ということでしょう。 もっとも人それぞれのパーソナリティや認知症状の状況によっても 効果の有無はあると思いますが、少なくとも音楽は、 認知症の人にとってプラス効果をもたらす環境要因と言えるでしょう。 次回は「デフォルト・モード・ネットワーク」について説明します。 (つづく)  
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2023.04.13

ほんわか写真館
大阪府認知症介護実践研修が始まります 4月になり新人職員にとっては毎日が緊張の連続ですね。 本当に脳細胞をフルに働かせるので、へとへとになると思います。 人間がくたびれるのは、身体を動かすだけでなく、 脳をフルに働かせる状況(気を遣う状況)においても同じです。 新人はこれから咲き始めます   様々な情報の判断が厳しくなり、 かつ自分自身が持っている情報も取り出せなくなってきている認知症の人も、 残された脳の機能をフルに働かせて生活しようと(生き抜こうと)されているので、 やはり精神的に疲れてしまうのです。 そのことが不機嫌や不穏に繋がってしまいます。 それは私たちも同じですね。 パンダのぬいぐるみを着て愛嬌を振るう新人バイト君も疲れてばったりです。   まぁ、それは冗談ですが、パンダだって疲れるのです。 見学者に気を使って疲れたわけではないと思うのですが…   さて、認知症の人を理解したケアを実践するための研修、 「認知症介護実践者研修」が、今年も実施されます。 大阪府のホームページに要項が上がっています。 関心のある方はご覧ください。 https://www.pref.osaka.lg.jp/kaigoshien/ninnshishou-gyakutai/kaigokenshu.html   それにしても、研修から帰ってきた人たちは異口同音に、「行って良かった!」と言われます。 その割には全体的に(大阪のみならず全国)認知症ケアが改善された感は??な状況のような気がします。 今の研修体系はどうなのか?と思うのは、どうなのか? なのでしょうか? 因みに上記のホームページに大阪府認知症介護指導者の名簿も載っています。 いつの間にか大阪府の指導者も40名を越えてきたのですね。 これだけ多くの指導者がいて講義を受け持ってくれるので、私は引退しているのですが、 認知症指導者の在り方も問われるべきではないかとも思うのですが、どうなのか?ですね。
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2023.04.06

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認知症と音楽(3) 少し間があきましたが、認知症と音楽その3です。 音楽が私たちの生活というか、人生そのものに深く繋がっていることは前回に書きました。 母親のおなかの中にいるときから音楽が胎児に響いていることは 科学的にも証明されています。 そして、子どものころは、子ども向けの歌が脳の深くに刻まれていきます。 子どものころは体験するすべてのものが、新鮮で強烈です。 そのため、記憶中枢にしっかりと刻まれやすい、「忘れられぬ曲(歌)」となっていきます。 ですから、認知症になっても、高齢者になっても、童謡などの子どもの頃の歌は唄えるのです。 そして大人になるにつれ、音楽の嗜好は人それぞれのものになっていきます。 ポップスが好きな人、ロックが好きな人、演歌が好きな人、 クラシックが好きな人、ジャズが好きな人等々、 個々の趣味嗜好で好みの音楽が変化し、その人の生活に繋がっていきます。 当然認知症になられて人にも、 それぞれなりに自分の人生に関わり深い音楽があります。 そしてその音楽がなぜ認知症の人にとって大切なのか。 それは、どのようなジャンルにしろ、 その人にとっては、心のリラクゼーションに繋がるものだからです。 例えば、アメリカの映画やドラマでちょくちょく見かけるシーンで、 音楽を聴きながら、同時にガムを噛みながら、仕事や勉強を行っているシーンがあります。 日本人からすれば、まじめに仕事をしろ!と思いがちですが、 実は音楽聞きながらの仕事は理にかなっているのです。 理路整然とした仕事を行うには、集中がいいかもしれません。 しかし、アイデアのひらめきや、思考展開は、 心がリラックスしているときの方が、はるかに生まれやすいのです。 これも脳科学的に実証されているのものなのです。 (つづく)
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2023.03.28

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脳科学者恩蔵絢子先生の講演に行ってきました 「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」の著者である 脳科学者恩蔵絢子先生の講演に、神戸三宮まで行ってきました。 私と恩蔵先生との出会いは本屋でした。 なんとなくぶらぶら見ていた時に目に止まったのが 「脳科学者の母が認知症になる」という本でした。 とかく感覚的に理解しようという認知症ケアの現場において、 脳科学的に認知症の人の行動すべてに根拠があるのだということが 伝えられるのではないかと。 この時から興味を持ち、折しも東京の中央法規出版社の知人から、 介護現場向けの「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」を出版するとの連絡を受け、 以降なんとか恩蔵先生の話を聞きたいと思っていたのでした。 そして今回の講演です。 恩蔵先生の講演は、めっちゃ情熱的なお話でした。 東は名古屋、西は岡山、東大阪からもキャラバンメイトさんが聞きに来てくれました。 脳科学者というと難しい話に思えますが、 一人の介護者、娘としての視点、そして科学者としての視点と、両方織り交ぜてのお話でした。 学びはたくさんありましたが、それは追々紹介させてもらいます。 ちょっとだけ触れますと、「脳トレ」は逆効果だそうです。 トイレの場所を示すために大きく貼られた文字。 意味ないそうです。 むしろトイレそのものが見える方が良いとのこと。(施設では難しいところもありますが) 等々、なるほど!と思うことが一杯でした。 ちゃっかりサインをいただきました。   夕ご飯までご同行させてもらいましたが、 母を思う一人の娘さんでした。 以降、少しずつお伝えしていきたいと思います。 アーバンケア島之内の桜も、ほぼ満開です。 2階のレストランフロアは、食事をしながらお花見ができる 絶好のロケーションが得られる場所ですね!
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2023.03.20

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認知症と音楽(2) 音楽というのは不思議な魅力があります。 もしかしたら魅力というより、魔力かもしれません。 人間が生み出した最高の芸術の一つと言えますね。 いよいよ花の季節到来ですね   音楽 それは私たちの人生にとって、 まるで自分自身を形成する重要なパーツのように存在しています。 私たちは子どものころから、いや母親のおなかの中にいる頃から 音楽を聴いています。 私たちの生活になくてはならないものとして音楽は存在するのです。 当然、認知症の人にとっても同じで、 脳にしっかりと刻み込まれているのが音楽なのです。 ですから、音楽療法も活用されるのです。 認知症の人と音楽、もう少し深めていきたいと思います。 日曜日は天気も良く、午後からズーム研修だったため、午前中に裏山に登ってきました。写っている人は誰だか知りません(笑)   因みにベートーヴェンの「運命」 ジャジャジャジャーンの出だし。 実はプロではない高校生の楽団でも演奏できるそうです。 逆に言えば、これくらい一糸乱れず呼吸を合わせて演奏できなければ プロにはなれないということですね。 介護での国家資格を持っているのならば、 こんなケアはできて当たり前と言えること。 ですね。
ブログ投稿画像 「心遣い」 実は、私に欠けているものでもあります。 そのため、自戒を込めてというか、 自分自身にも言い聞かせるためにも書いてみようと思います。 「気遣い」も同様な言葉になりますが、相手を心配する思いの方が強いでしょう。 「心遣い」はどちらかというと、お客様に対するという、ビジネス的要素があるでしょう。 (お金に関わる心遣いという意味がありますが、これは問題外です) 「心遣い」、それをケアの世界に置きかえれば、ご入居前から、亡くなられた後まで含めて 「心遣い」があるかないかは、その事業所の評価に大きく関わることでしょう。 例えば、亡くなったら終わりではなく、 お返しする遺品である衣類が丁寧にたたんで返却されるという心遣いがあるか否かでも、 家族は親が大切にされていたか否かを感じるし、その感じたことは、 必ずその家族の周囲へと伝わっていきます。 その事業所に心遣いがあるかないかは、必ず世間に拡散していくのです。 個人として捉えれば、「心遣い」を発揮できるかどうかは、 自分が損をするか得するかに繋がります。 ゲームで例えるなら、自分を最強に育てて行く過程で、 様々なアイテムを身に付けていきますが、 仕事もゲームと同様に、「介護技術」とか「コミュニケーション技術」とか「考える力」とか、 そして「心遣い」も自分を強化するための大切なアイテムなのです。 それらのアイテムを身に付けられなければ、即ゲームオーバーなのです。 ではどうしたら「心遣い」というアイテムを持つことができるのか? それもゲームで相手に勝つために考えるのと同じで、 どのような準備と段取りをしたらいいのかと考えるのと一緒です。 具体的には、自分の世界の動きだけで考えていては 「心遣い」のアイテムは得ることはできません。 自分の世界の動きや考えを一旦立ち止まらせて、 「相手の立場になって、どのような行動をすれば、相手が喜ばれるだろうか。」と 考える時間を持つことです。 1分でいいのです。 1分、相手の視点で考えるということをすれば、 その1分で「心遣い」というアイテムは身に付けていけるし、 相手や周囲からの評価も高まり、 自分にとって、大きなポイント加算に繋がるのです。 1分で得られる最強のアイテム。 それが「心遣い」なのです。
ブログ投稿画像 今回は実際の訓練風景の写真を添付します。 認知症役の職員は、実際に担当している認知症の人の気持ちになって演じたとのこと。 [caption id="attachment_4827" align="alignnone" width="2560"] 寺尾会長が率先して声掛けを行います[/caption]   じっとしている認知症役ではなかったので、声掛けをする参加者の皆さんも 一苦労のようだったです。 [caption id="attachment_4823" align="alignnone" width="2492"] 皆さん本当に熱心です。[/caption]   本来なら全員に声掛け訓練してほしかったのですが、 参加者が予定よりかなり多くなり、なかなか全員という訳には行きませんでした。 率先して声掛けに参加された方は 本当に上手に声を掛けておられました。 [caption id="attachment_4826" align="alignnone" width="2560"] 訓練に何回も参加している方は、さすが、声掛けが上手です。[/caption]   地元警察の署員さんも 一生懸命声を掛け、無事に「安心しましたカード」をもらっていました。 [caption id="attachment_4822" align="alignnone" width="2560"] 認知症役の人から、安心しましたカードをもらいます。[/caption]   何よりも、ケーブルテレビのインタビューを受けられていた この方の言葉が良かったですね。 [caption id="attachment_4825" align="alignnone" width="2560"] 子どもたちも、何をしているのか興味を持っています[/caption]     「同じ歩調に合わす」「否定しない」「うなずく」 訓練前にお話ししたわけでもないのに、 ある意味専門職も見習わなければならないような言葉でした。 認知症の方に関わる、大切な心掛けですね。 [caption id="attachment_4824" align="alignnone" width="2560"] この後姿、いいですね![/caption]   このように少しでも地域の方が 関心を持ってもらうことで、 認知症の人が普通に暮らせる地域になればと思っています。 [caption id="attachment_4821" align="alignnone" width="2560"] 皆様、いい笑顔ですね![/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です 「スマホ脳」という本がかなり売れているそうです。 いわゆるスマホの多用による弊害が書かれているのですが、 その本が売れているということは、 「スマホは今や必要不可欠なものだけど、その危険性も感じ取っている」人が多いからかもしれません。 実際、スマホを横においての仕事や勉強は、 集中力の欠如に繋がるそうです。 もちろん、それ以外にも多くの弊害があります。 スマホは脳疲労の一因になっていることは間違いないでしょう。 ただ脳疲労を蓄積させる要因はそれだけではないでしょう。 一番大きなストレスは仕事上のものかもしれません。 しかし、仕事が大好きで、夢中になるくらい仕事が大好きな人は、 全力で走り続けて、突然バタッと倒れる。 それで完結してしまいますが、 なんらかんだで仕事にストレスを感じている人、 さらにスマホで仕事を縛られているような人の脳は、 知らずのうちにどんどんと疲労していき、 その疲労は様々な悪影響として自分の心身を襲い苦しめます。 ある日突然の身体の不調、うつ、そして認知症… そのため疲れた脳を癒すことが必要になります。 脳の癒しは人それぞれにあるので、それを実行すればよいのですが、 問題はその切り替えが出来るかどうかでしょう。 脳疲労の原因の一つであるスマホに関しては、 方法として、スマホは仕事だけに使い、SNS等別のものには使わない。 逆に仕事から離れたら、オフの時は仕事の電話には一切出ない、しない (実際、オフの時は連絡してはいけないということを取り決めている企業もあります。 連絡しなくても職場が回れる体制づくりの構築が必要になります。) 私は外に出たら(山に行けば)スマホはザックにしまい込みます。 いまは地図もスマホで見れ、現在位置まですべてスマホでわかるのですが、 あえて紙の地図を持っていき、SNSに捉われず、鳥のさえずりに耳を傾けます。 いざ困ったときにスマホは使えばいいのです。 なんだかんだと言ってもスマホは便利です。 SNSの会話で心が傷ついたり、右往左往したりするよりも、 発想を得るための道具として使えばめっちゃ便利です。 スマホを毒に使えば、脳疲労は知らずのうちにあなたを蝕むでしょう。 もっとも、近い将来、無慈悲なAIによって、 人類が滅亡してしまうかもしれませんが…
ブログ投稿画像 前回、「デフォルト・モード・ネットワーク」については次回と書きましたが、 またまたその前に追記しておきたいことを今回は書きます。 個別の記憶やエピソード記憶を引き出すことが厳しくなっても、 音楽は脳の各領域に及ぶ記憶なので引き出しやすく、 さらにその部位を活用して新たに記憶していくことも可能と前回書きました。 さらに音楽は後日説明する「デフォルト・モード・ネットワーク」とも関連が深く、 脳をリラックスさせ、そのことにより、 むしろ普段出てこないような記憶も出てくる可能性があるのです。 特に認知症の人は、認知機能が低下していくので、 生きていくために脳は残された脳力を必死になって使う緊張状態が続くことになります。 そのため、私たちから見れば、不穏、興奮、暴力、多動等の行動が出てしまいます。 しかしそれは、必死になって生きていこうとする姿でもあるのです。 心の緊張をほぐすために、私たちはよく好みの音楽を聴きます。 好きな音楽を聴いていると、身も心も安心したり楽しくなったりします。 お気に入りの人のコンサートに行くのは、身も心も楽しく、 時に快活な興奮をもたらします。 日頃抱えているストレスもどこえやらですね。 ところが、認知症の人の場合、 その好みの音楽を聴くという所作そのものを忘れてしまいます。 自らの力で、自分の好きな音楽が聴けなくなってしまうのです。 そのため、音楽そのものから(自分の好きな音楽から)遠ざかってしまい、 結果音楽そのものを忘れてしまいかねないのです。 つまり、私たちが関わらなければ認知症の人は音楽を忘れてしまうのです。 それは本人のみならずケアワークの手段としても損失になります。 その方がどのような音楽が好きだったのか、 それを確認し、できるならあまりほかの方の邪魔にならないように、 ゆったりと聴いてもらう時間があればよいでしょう。 そのためにはフロアの「しつらえ」も必要になるでしょう。 いずれにしても、認知症の人は周囲の関りがなければ、 音楽だけでなく、「忘れてしまう」ことが加速するのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 前回の最後に脳をリラックスさせる働きに「デフォルト・モード・ネットワーク」という、 聞きなれない言葉を明示して終わりました。 その「デフォルト・モード・ネットワーク」の説明に繋がるものとして、 まずは脳と音楽について説明します。 なぜそのような話をするかというと、 「認知症の人の脳は、常に緊張状態にある」と言えるからです。 その緊張状態を緩和させるものとして音楽があるのです。 [caption id="attachment_4613" align="alignnone" width="1600"] アーバンケア島之内の入り口は、様々な花が満開です[/caption]   音楽と脳の働きについて、 前回紹介しました映画「レナードの朝」の原作者である医師のオリバー・サックス博士が以下のように述べています。 <脳における音楽> 「個別の記憶や、エピソード記憶は失われてしまっても、音楽は残っているのですね。 一般的に音楽の力というのは、多かれ少なかれ病気によって侵食されずに長いこと残っています。」 [caption id="attachment_4612" align="alignnone" width="1600"] アーバンケア島之内のジャスミン 強烈なほどのいい匂いがします。[/caption]   確かに、意思疎通が厳しくなっても、何かを口ずさんでいる方はおられますし、 私もこれまで何人もの認知症の人が、何らかの音楽は忘れていないことに接しています。 [caption id="attachment_4611" align="alignnone" width="1600"] まるで星々のような花です[/caption]   オリバー・サックス博士は次のようにも述べています。 「言語処理の機能は左の前頭葉と側頭葉に偏在しているわけですが、 音楽は、リズム、ピッチ、感情、音程など、さまざまな要素が絡んでいるので、 その処理には実にたくさんの脳の部位が関与しています。 音楽や数学に関する脳の領域は他の分野とは別にあるため、 一般的知能とは別に発展可能なのかもしれない。」 と、述べています。 これは博士だけでなく、脳科学的にも判明しているそうです。 つまり、音楽は認知症状がダメージを受けても、 導き出せるものだし、発展可能なものとも言えます。 現にあるドキュメンタリーでは、アルツハイマー病の方が、 新しい歌の歌詞を覚える(短期記憶がダメージを受けているというのに!)姿を見ました。 これがまさしく、発展可能な領域ということでしょう。 もっとも人それぞれのパーソナリティや認知症状の状況によっても 効果の有無はあると思いますが、少なくとも音楽は、 認知症の人にとってプラス効果をもたらす環境要因と言えるでしょう。 次回は「デフォルト・モード・ネットワーク」について説明します。 (つづく)  
ブログ投稿画像 4月になり新人職員にとっては毎日が緊張の連続ですね。 本当に脳細胞をフルに働かせるので、へとへとになると思います。 人間がくたびれるのは、身体を動かすだけでなく、 脳をフルに働かせる状況(気を遣う状況)においても同じです。 [caption id="attachment_4591" align="alignnone" width="1600"] 新人はこれから咲き始めます[/caption]   様々な情報の判断が厳しくなり、 かつ自分自身が持っている情報も取り出せなくなってきている認知症の人も、 残された脳の機能をフルに働かせて生活しようと(生き抜こうと)されているので、 やはり精神的に疲れてしまうのです。 そのことが不機嫌や不穏に繋がってしまいます。 それは私たちも同じですね。 パンダのぬいぐるみを着て愛嬌を振るう新人バイト君も疲れてばったりです。   まぁ、それは冗談ですが、パンダだって疲れるのです。 見学者に気を使って疲れたわけではないと思うのですが…   さて、認知症の人を理解したケアを実践するための研修、 「認知症介護実践者研修」が、今年も実施されます。 大阪府のホームページに要項が上がっています。 関心のある方はご覧ください。 https://www.pref.osaka.lg.jp/kaigoshien/ninnshishou-gyakutai/kaigokenshu.html   それにしても、研修から帰ってきた人たちは異口同音に、「行って良かった!」と言われます。 その割には全体的に(大阪のみならず全国)認知症ケアが改善された感は??な状況のような気がします。 今の研修体系はどうなのか?と思うのは、どうなのか? なのでしょうか? 因みに上記のホームページに大阪府認知症介護指導者の名簿も載っています。 いつの間にか大阪府の指導者も40名を越えてきたのですね。 これだけ多くの指導者がいて講義を受け持ってくれるので、私は引退しているのですが、 認知症指導者の在り方も問われるべきではないかとも思うのですが、どうなのか?ですね。
ブログ投稿画像 少し間があきましたが、認知症と音楽その3です。 音楽が私たちの生活というか、人生そのものに深く繋がっていることは前回に書きました。 母親のおなかの中にいるときから音楽が胎児に響いていることは 科学的にも証明されています。 そして、子どものころは、子ども向けの歌が脳の深くに刻まれていきます。 子どものころは体験するすべてのものが、新鮮で強烈です。 そのため、記憶中枢にしっかりと刻まれやすい、「忘れられぬ曲(歌)」となっていきます。 ですから、認知症になっても、高齢者になっても、童謡などの子どもの頃の歌は唄えるのです。 そして大人になるにつれ、音楽の嗜好は人それぞれのものになっていきます。 ポップスが好きな人、ロックが好きな人、演歌が好きな人、 クラシックが好きな人、ジャズが好きな人等々、 個々の趣味嗜好で好みの音楽が変化し、その人の生活に繋がっていきます。 当然認知症になられて人にも、 それぞれなりに自分の人生に関わり深い音楽があります。 そしてその音楽がなぜ認知症の人にとって大切なのか。 それは、どのようなジャンルにしろ、 その人にとっては、心のリラクゼーションに繋がるものだからです。 例えば、アメリカの映画やドラマでちょくちょく見かけるシーンで、 音楽を聴きながら、同時にガムを噛みながら、仕事や勉強を行っているシーンがあります。 日本人からすれば、まじめに仕事をしろ!と思いがちですが、 実は音楽聞きながらの仕事は理にかなっているのです。 理路整然とした仕事を行うには、集中がいいかもしれません。 しかし、アイデアのひらめきや、思考展開は、 心がリラックスしているときの方が、はるかに生まれやすいのです。 これも脳科学的に実証されているのものなのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」の著者である 脳科学者恩蔵絢子先生の講演に、神戸三宮まで行ってきました。 私と恩蔵先生との出会いは本屋でした。 なんとなくぶらぶら見ていた時に目に止まったのが 「脳科学者の母が認知症になる」という本でした。 とかく感覚的に理解しようという認知症ケアの現場において、 脳科学的に認知症の人の行動すべてに根拠があるのだということが 伝えられるのではないかと。 この時から興味を持ち、折しも東京の中央法規出版社の知人から、 介護現場向けの「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」を出版するとの連絡を受け、 以降なんとか恩蔵先生の話を聞きたいと思っていたのでした。 そして今回の講演です。 恩蔵先生の講演は、めっちゃ情熱的なお話でした。 東は名古屋、西は岡山、東大阪からもキャラバンメイトさんが聞きに来てくれました。 脳科学者というと難しい話に思えますが、 一人の介護者、娘としての視点、そして科学者としての視点と、両方織り交ぜてのお話でした。 学びはたくさんありましたが、それは追々紹介させてもらいます。 ちょっとだけ触れますと、「脳トレ」は逆効果だそうです。 トイレの場所を示すために大きく貼られた文字。 意味ないそうです。 むしろトイレそのものが見える方が良いとのこと。(施設では難しいところもありますが) 等々、なるほど!と思うことが一杯でした。 [caption id="attachment_4539" align="alignnone" width="2232"] ちゃっかりサインをいただきました。[/caption]   夕ご飯までご同行させてもらいましたが、 母を思う一人の娘さんでした。 以降、少しずつお伝えしていきたいと思います。 アーバンケア島之内の桜も、ほぼ満開です。 2階のレストランフロアは、食事をしながらお花見ができる 絶好のロケーションが得られる場所ですね!
ブログ投稿画像 音楽というのは不思議な魅力があります。 もしかしたら魅力というより、魔力かもしれません。 人間が生み出した最高の芸術の一つと言えますね。 [caption id="attachment_4527" align="alignnone" width="2048"] いよいよ花の季節到来ですね[/caption]   音楽 それは私たちの人生にとって、 まるで自分自身を形成する重要なパーツのように存在しています。 私たちは子どものころから、いや母親のおなかの中にいる頃から 音楽を聴いています。 私たちの生活になくてはならないものとして音楽は存在するのです。 当然、認知症の人にとっても同じで、 脳にしっかりと刻み込まれているのが音楽なのです。 ですから、音楽療法も活用されるのです。 認知症の人と音楽、もう少し深めていきたいと思います。 [caption id="attachment_4528" align="alignnone" width="2048"] 日曜日は天気も良く、午後からズーム研修だったため、午前中に裏山に登ってきました。写っている人は誰だか知りません(笑)[/caption]   因みにベートーヴェンの「運命」 ジャジャジャジャーンの出だし。 実はプロではない高校生の楽団でも演奏できるそうです。 逆に言えば、これくらい一糸乱れず呼吸を合わせて演奏できなければ プロにはなれないということですね。 介護での国家資格を持っているのならば、 こんなケアはできて当たり前と言えること。 ですね。