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「ほんわか写真館」で記事を検索しました。

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2024.08.16

ほんわか写真館
信友直子さんの講演会にて 映画「ぼけますからよろしくお願いします」の監督である 信友直子さんの講演会に参加してきました。 信友さんはフジテレビでドキュメンタリー制作のディレクターなどで活躍されていた方で、 自分の母親が認知症になったことで、その姿を映像で納めた方です。 想像力を持てるかどうか、これは全てのキーワードであること カメラで撮影する中で、引きで(ワイドで)見ると、 客観的に視点を変えて見れる 「ぼけますからよろしくお願いします」とは、お母様が言われた言葉ですが、 たとえ認知症になっても社会で(地域で)支えてねという意味合いがある言葉だとも言えます。 実際に映画「ぼけますからよろしくお願いします」と、 続編「お母さんお帰り」を見ていただくことをお勧めします。 私はパネルディスカッションで司会を務めさせてもらったのですが、 続編に出てくるお母様の一時帰宅の場面 介護タクシーの運転手さんを探すのも大変だったようですが、 (家の中まで抱きかかえてはいるのは業務外であるし危険であると、多くの事業所に断られていた) その運転手さんが一時帰宅の場面で感動して号泣されたそうです。 介護保険制度と言う、制度でがんじがらめになる中 信友さんたち家族の思いを汲んだこの運転手さんの思い 今、このような思いが忘れられているような気がします。   (矢野健太郎氏撮影分) 因みに、信友さんのお父様は現在102歳 とにかく元気よく食べられる方です。長生きの秘訣ですね。 映画上映後、すっかり町(呉市)のアイドルになったようですが、 信友さんは、神戸中華街の行列ができる豚まん店の豚まんを買って帰り、 お父様は喜んで食されたようです。  (FBぼけますからよろしくお願いします より) プライムビデオは有料ですが、U-NEXTでは無料で見れるようです。 是非ともご覧ください。
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2024.08.01

ほんわか写真館
残酷暑から逃れるためにデイ、ショートを利用しましょう。 本当に残酷なほどの暑さが続きますね。 そんな暑さの中、先日八ケ岳の主峰赤岳(2899m)に登山してきました。 富士山もその雄大な姿を見せてくれました。 この姿を見ると、富士は登る山ではなく、見る山だと思います。 こんなこと書くと、登る方に失礼かもしれませんが、 あんなにうじゃうじゃと猫も杓子も登る姿を見ると 登りたいとは思わなくなります。 この赤岳は急峻な登り下りが続く山で、 それなりに登りごたえのある山なのですが、 それにしても登山者の年齢層がバラエティ豊かでした。 以前はいなかった、若者や、若い女性の登山者が増えましたね。 また高齢者も多い。まぁ私もその一人ですが。 赤岳と富士山   さて、残酷暑はまだまだ続きます。 ご自宅での空調設備が不安定だったり 心配だったりする方は、 遠慮なく避難先として、デイサービスやショートステイを利用しましょう。 赤岳山頂   特に認知症の人の場合、 身体感覚が悪くなっていますし、しんどくても訴えできない方の方が多いのです。 積極的にサービスを利用し、残酷暑を乗り切ることをお勧めします。 くれぐれも、無理のないように。 我慢は命を縮めます。
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2024.07.01

ほんわか写真館
夢に現れた40年前の認知症の人 何故か、認知症の人と関わり始めたころに接した人のことは、 名前どころか、様々なエピソードも含めて結構覚えています。 それだけ初めて認知症の人と接したころのことは強烈な体験だったのでしょう。 そんなかなりエキサイティングな記憶がある認知症の方々の中の一人が何故か夢に出てきました。 なんとまだご健在で、当老人ホームに入所希望という夢なのです。 40年前、当時私が勤めていた施設の入居者なんですが、 当時で80代でしたから、今なら120歳代ということになりますね。 まぁ夢ですから大体訳の分からないものを見てしまいます。 思い起こせば、当時の認知症の人との関りは、 当の本人も、そして私たちも「奔放」だったと言えます。 認知症ケアの研修すらない頃、特養に認知症の人が入所すること自体が まれな頃だったのです。(多くの認知症の人は精神病院に入院させられ、身体拘束と薬漬けの上で亡くなっていった) まず、施設はノーロックだったので、皆さんドンドン出て行かれます。 その都度一緒に「当時でいう徘徊」に付きあうか、行方不明になって大捜索なんてことが度々でした。 出て行かれた人との付き添いは、時に怒鳴られ、叩かれるという人もあれば、 3時間、4時間と遠方まで一緒に歩いたこともあります。 今と違って携帯電話なんてない時代。施設に連絡するのも大変だったのです。 書き出せば物凄い量になるくらい、当時の認知症の人との思い出は一杯あります。 ある意味、認知症の人の行動に対して制限は少なく、 その分行動も奔放だったのですが、 暗中模索の私たちのケアも、好き勝手なことをやっていたことを思うと、 奔放だったのかもしれません。 例えば、家に帰るという人に電話を家にするからお家の人の言うことを聞いてね、と、 内線電話で息子に扮した職員と対話させるなど、 今から思えば、「振り込み詐欺まがい」のこともやってましたね。 或いは、夕暮れ時になると、皆さん帰る帰るというので、 数名まとめてマイクロバスに乗って公園に散歩に行ったり、レストランにお茶しに行き、 帰る時間が夕ご飯を過ぎて、ケアスタッフさんに怒られたこともあります。 まぁ当時は私たちも結構好き勝手にやんちゃしてたのですね。 そんな中に夢に出てきた人もいたのです。 ほんとにこの方とのやり取りも色々あり、書き出すと長くなってしまいますので割愛しますが、 とても思い出深いものなのです。 しかし、ケア側として、今、奔放なケアができるのかというと、 もう難しい時代になったと言えるかもしれません。 今はクレーム対応に気を遣い、コンプライアンスにがんじがらめ、 そして認知症の人に対しても、いかにコントロールしていくかがポイントになっているように思います。 昭和は不適切こともたくさんありましたが、 今よりはずっと自由だったと言えるかもしれません。 なぜ今になってその当時の人が夢に出てきたのか?  それは奔放さを忘れ、 心や考え方が小さくなっている自分自身への戒めだったのかもしれません。
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2024.06.12

ほんわか写真館
認知症ケア学会が開催されます 今年も認知症ケア学会開催ですね。 場所は東京 テーマが「AIと認知症」 ついに認知症の世界にも、AIが来たかという感じですね。 でもね、なんか違和感があるのですね。 もちろんAIを否定しているわけではないのですが、 また、このご時世ですから、活用できるところはドンドン使っちゃおうでいいと思います。 例えば、認知症の人が置かれている状況を、AIは即座に分析して、 対応方法を提示してくれるかもしれません。 ケアマネジャーのケアプランも、AIならあっという間に作ってしまうかもしれません。 確かに業務量を減らすことに貢献できる! スタッフの負担軽減に繋がるのですから! でもね、どうなんでしょう? 認知症の人との関り 色々な記録関係や情報収集はAIに任せたとして、 やはり認知症の人と直接かかわる介護者は、「人と人」の繋がりから来る コミュニケーション技法などを、マニアックに学んでいかなければならないと思うのです。 そう、マニュアルワーク(手作業)なところがあるのが認知症ケアとも言えます。 あまりにもAIに頼りすぎると、人間は「考える」ことをしなくなり、 気が付けば、AIの言いなりになっている、ということにもなるかもしれませんね。 認知症ケア学会では、どのような話が聞けるのでしょうか? 写真は、幻のアジサイと言われている「シチダンカ」です。
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2024.04.22

ほんわか写真館
「指差し呼称確認」は認知症予防だけでなく、ケアの安全確認にも 地域住民向け認知症サポーター講座では、 特に住民の皆さんが関心があるのが、認知症予防なのです。 認知症の人の理解や声掛け法もさることながら、 やはり自分自身が認知症にならないために心掛けることへの関心が 高いのは当然のことでしょう。 謎の傘たち 忘れ傘?   その内容が今回の主題ではないのですが、 やはり年相応に「どうだったかな?」ということは増えてきます。 電気消したかな? ガス止めたかな? 鍵を閉めたかな?等… お出掛けしてから心配になることがよくありますよね? その心配を少しでも減らす方法として、 五感を使ってチェックするということです。 変なのがいないかもチェック!   例えば、「電気よし!ガスよし!」というように、指をさして声に出すことです。 鍵を閉めたときにドアを叩くと、手の感触や音で聞いたものも記憶に残ります。 このような、「指差し呼称確認」は、安全確認のために、広く使われています。 電車の運転手は必ず行いますし、運送会社のドライバーも実践します。 「指さし呼称確認」の効果は脳科学的にも効果があると実証されています。 (厚労省も推奨しています) https://anzeninfo.mhlw.go.jp/yougo/yougo72_1.html これは介護の世界でも同じで、安全確認のために、必ず指を差して確認し、 声に出すということを義務化させることです。 電車の運転手が、「信号や運転システム、乗客の乗り入れを確認する」ことが 安全確認に繋がるので必ず行うように、 ケアの現場でも安全確認をしっかりと、義務として身に付けること、なのですね。 時に現場チェック(床が濡れていないか、異食に繋がるものが置いてないか等)を、 定期的に指差し呼称確認を行うことは必要でしょう。 要は運転手やドライバーのように、 安全確認を義務として身に付けておくということなのです。 (指差し呼称確認の効果について下記にリンクしました) https://www.keyence.co.jp/ss/general/manufacture-tips/pointing-and-calling.jsp  
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2024.04.19

ほんわか写真館
世界遺産「熊野三山」から認知症を考える(その1) 世界遺産に指定されて今年で20年になる「紀伊山地の霊場と参詣道」は、 高野山、吉野、熊野三山、そしてそれらの霊場を結ぶ参詣道(さんけいみち)という、広範囲に及びます。 参詣道が世界遺産となっているのは、 フランス・スペインにまたがる「サンディアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」と、 この紀伊山地の参詣道(主に熊野古道や大峰山奥駈道)の二か所だけとなります。 大峰奥駈道は、参詣道というより、修験道(修験者以外の人には、険しい登山道)なので、 ここでいう参詣道は熊野古道のことと言っていいでしょう。 杉木立が美しい   高野山、吉野、熊野三山とある霊場の中で、 特にダイバーシティを太古の昔から実践しているのが、熊野三山となります。 ダイバーシティ(Diversity)とは、 日本語で「多様性」の意味で、人種・性別・宗教・価値観などさまざまに異なる属性を持った人々が、 組織や集団において共存している状態を言います。(NECソリューションイノベータより) 熊野三山とは、三つの山の意味ではなく、 「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三つの大社のことを言います。 中辺路途中から見える、お椀型の山、百前森山   おもしろいことに、熊野古道を歩く多くの人は、今や欧米の方が中心です。 彼らの多くはキリスト教であるにもかかわらず、 日本の神さんに、お賽銭を入れ、二度お辞儀をし、手を叩き、再びお辞儀をするというしきたりを実践しています。 元々大社は神社ではありますが、仏教も受け入れているだけでなく、男女差別もなく、 要は、イスラム教であれ、キリスト教であっても受け入れる多様性のあるものなのですね。 発心王王子   そもそも日本人は、今やハロウィンやクリスマスを楽しみ、 亡き人を偲ぶ時や願い事で寺(仏教)に行き、正月は初もうでと称して神社に行く。 ある意味様々なことを受け入れる多様性を持っていると言えます。 日本最大の大鳥居 元々本宮大社があった場所に建つ   では多様性と認知症の人との関係はというと、 認知症だから違った人ではなく、認知症であっても「多様なひとりの人」として認識し、 認知症があろうとなかろうと、同じ人として認めることなのです。 そして、人々の思い(願い)を聴くのはどのような人でも同じという視点が、熊野三山の霊場にはあると言えます。 中辺路のゴール 熊野本宮大社 (続く)
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2024.04.15

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春のない季節 桜が咲くのが遅くなる近年の珍事?のあと、 一気に暑くなりましたね。 春のない季節になってしまったと言えるかもしれません。 体調管理が大変なのは、人間だけでなく動植物も同じかもしれません。 池の中も暑くて酸素不足だわ   身体コントロールがままならぬ認知症の人の場合、 なかなか発汗できなかったり、或いは、水分が補給できず、脱水になったりと 関わる人たちのコントロールが必要になりますね。 季節の変わり目というより、急変 ついていくのが大変です。 暑すぎて、頭がぼーっとして、滑り落ちそうになったよ~   昨日は認知症の人の行方不明について、NHKで特集が組まれていました。 内容はともかく、確かに社会として大きな課題となっていることは事実です。 はたして個人の行動をも見守る(監視されるともいえる)のがいいのだろうかという疑問も残ります。 AIシステムが進めば進むほど、管理、監視下に置くことは容易になるかもしれません。 しかし、認知症であっても一人の人としての自由は守らなければならないのではないだろうか。 AIシステムに頼りすぎると、個人の尊厳が侵されるのではないか。 ただ、実際行方不明になってしまったら、無事に早く見つかることが何よりです。 昔から比べると、GPSの導入も進んできています。 一次的にはやはり地域住民による見守り体制が、単に認知症の人のことだけでなく、 地域の繋がりという点では必要になるでしょう。 二次的には、GPSや発信タグなどの活用も必要かもしれません。 が、常にその方の権利が擁護されているのか、 そのようなチエック機能がなければ、管理や監視が第一の世界になってしまうかもしれません。    
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2024.04.10

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馴染みの桜 馴染みの人 周囲の状況や自分自身の状態が、まるで闇の中を歩くような、 そんな感覚になるのが認知症の人が置かれた状態と言えます。 誰でも自分が不安な状況に置かれたら、少なくとも自己防衛反応が強まり(生命的本能として)、 それが時に妄想や暴力に繋がったりもします(自己防衛のための行動と言えます) では、そんな不安な気持ち、不穏な感じを和らげるものはなにになるのか? それは、その不安感を落ち着かせてくれる「人」の存在でしかないのです。 癒し系のロボットがあるではないかと言われるかもしれません。 確かに、かわいく、やさしく、穏やかに語り掛けてくれます。 でもいざ頼れるかというと、 絶対ロボットには頼らず、人に頼るでしょう。 また癒しロボットは、時にそれを作成した者(だけでなく、ケア従事者も含めた多くの人が)の心のどこかに、 認知症の人を見下ろす視点があり、 「癒しロボット」を認知症の人に「あてがう」という意識が働いているのかもしれません。 わたしたちにある「見くびる意識」が、認知症の人を「見くびって」いるのです。 それも気づかぬうちに。 しかし認知症の人は見くびられるような存在ではないのです。 認知症の人は認知機能面では厳しくなっても (認知機能が厳しくなるということは、一般的な日常生活が厳しくなるということ) 感情や感性までも失われてはいないのです。 癒しロボットに微笑む姿は、 もしかしたらひとときの癒しになってはいても、それは社交辞令かもしれません。 先ほども書きましたが、いざ頼るとしたら、ロボットではなく、人間に頼るでしょう。 人々が桜に馴染むように、 馴染む人の存在は、認知症の人にとって不可欠な存在になります。 追々そのことについても説明していきます。
ブログ投稿画像 映画「ぼけますからよろしくお願いします」の監督である 信友直子さんの講演会に参加してきました。 信友さんはフジテレビでドキュメンタリー制作のディレクターなどで活躍されていた方で、 自分の母親が認知症になったことで、その姿を映像で納めた方です。 想像力を持てるかどうか、これは全てのキーワードであること カメラで撮影する中で、引きで(ワイドで)見ると、 客観的に視点を変えて見れる 「ぼけますからよろしくお願いします」とは、お母様が言われた言葉ですが、 たとえ認知症になっても社会で(地域で)支えてねという意味合いがある言葉だとも言えます。 実際に映画「ぼけますからよろしくお願いします」と、 続編「お母さんお帰り」を見ていただくことをお勧めします。 私はパネルディスカッションで司会を務めさせてもらったのですが、 続編に出てくるお母様の一時帰宅の場面 介護タクシーの運転手さんを探すのも大変だったようですが、 (家の中まで抱きかかえてはいるのは業務外であるし危険であると、多くの事業所に断られていた) その運転手さんが一時帰宅の場面で感動して号泣されたそうです。 介護保険制度と言う、制度でがんじがらめになる中 信友さんたち家族の思いを汲んだこの運転手さんの思い 今、このような思いが忘れられているような気がします。   (矢野健太郎氏撮影分) 因みに、信友さんのお父様は現在102歳 とにかく元気よく食べられる方です。長生きの秘訣ですね。 映画上映後、すっかり町(呉市)のアイドルになったようですが、 信友さんは、神戸中華街の行列ができる豚まん店の豚まんを買って帰り、 お父様は喜んで食されたようです。  (FBぼけますからよろしくお願いします より) プライムビデオは有料ですが、U-NEXTでは無料で見れるようです。 是非ともご覧ください。
ブログ投稿画像 本当に残酷なほどの暑さが続きますね。 そんな暑さの中、先日八ケ岳の主峰赤岳(2899m)に登山してきました。 富士山もその雄大な姿を見せてくれました。 この姿を見ると、富士は登る山ではなく、見る山だと思います。 こんなこと書くと、登る方に失礼かもしれませんが、 あんなにうじゃうじゃと猫も杓子も登る姿を見ると 登りたいとは思わなくなります。 この赤岳は急峻な登り下りが続く山で、 それなりに登りごたえのある山なのですが、 それにしても登山者の年齢層がバラエティ豊かでした。 以前はいなかった、若者や、若い女性の登山者が増えましたね。 また高齢者も多い。まぁ私もその一人ですが。 [caption id="attachment_5806" align="alignnone" width="1024"] 赤岳と富士山[/caption]   さて、残酷暑はまだまだ続きます。 ご自宅での空調設備が不安定だったり 心配だったりする方は、 遠慮なく避難先として、デイサービスやショートステイを利用しましょう。 [caption id="attachment_5805" align="alignnone" width="1024"] 赤岳山頂[/caption]   特に認知症の人の場合、 身体感覚が悪くなっていますし、しんどくても訴えできない方の方が多いのです。 積極的にサービスを利用し、残酷暑を乗り切ることをお勧めします。 くれぐれも、無理のないように。 我慢は命を縮めます。
ブログ投稿画像 何故か、認知症の人と関わり始めたころに接した人のことは、 名前どころか、様々なエピソードも含めて結構覚えています。 それだけ初めて認知症の人と接したころのことは強烈な体験だったのでしょう。 そんなかなりエキサイティングな記憶がある認知症の方々の中の一人が何故か夢に出てきました。 なんとまだご健在で、当老人ホームに入所希望という夢なのです。 40年前、当時私が勤めていた施設の入居者なんですが、 当時で80代でしたから、今なら120歳代ということになりますね。 まぁ夢ですから大体訳の分からないものを見てしまいます。 思い起こせば、当時の認知症の人との関りは、 当の本人も、そして私たちも「奔放」だったと言えます。 認知症ケアの研修すらない頃、特養に認知症の人が入所すること自体が まれな頃だったのです。(多くの認知症の人は精神病院に入院させられ、身体拘束と薬漬けの上で亡くなっていった) まず、施設はノーロックだったので、皆さんドンドン出て行かれます。 その都度一緒に「当時でいう徘徊」に付きあうか、行方不明になって大捜索なんてことが度々でした。 出て行かれた人との付き添いは、時に怒鳴られ、叩かれるという人もあれば、 3時間、4時間と遠方まで一緒に歩いたこともあります。 今と違って携帯電話なんてない時代。施設に連絡するのも大変だったのです。 書き出せば物凄い量になるくらい、当時の認知症の人との思い出は一杯あります。 ある意味、認知症の人の行動に対して制限は少なく、 その分行動も奔放だったのですが、 暗中模索の私たちのケアも、好き勝手なことをやっていたことを思うと、 奔放だったのかもしれません。 例えば、家に帰るという人に電話を家にするからお家の人の言うことを聞いてね、と、 内線電話で息子に扮した職員と対話させるなど、 今から思えば、「振り込み詐欺まがい」のこともやってましたね。 或いは、夕暮れ時になると、皆さん帰る帰るというので、 数名まとめてマイクロバスに乗って公園に散歩に行ったり、レストランにお茶しに行き、 帰る時間が夕ご飯を過ぎて、ケアスタッフさんに怒られたこともあります。 まぁ当時は私たちも結構好き勝手にやんちゃしてたのですね。 そんな中に夢に出てきた人もいたのです。 ほんとにこの方とのやり取りも色々あり、書き出すと長くなってしまいますので割愛しますが、 とても思い出深いものなのです。 しかし、ケア側として、今、奔放なケアができるのかというと、 もう難しい時代になったと言えるかもしれません。 今はクレーム対応に気を遣い、コンプライアンスにがんじがらめ、 そして認知症の人に対しても、いかにコントロールしていくかがポイントになっているように思います。 昭和は不適切こともたくさんありましたが、 今よりはずっと自由だったと言えるかもしれません。 なぜ今になってその当時の人が夢に出てきたのか?  それは奔放さを忘れ、 心や考え方が小さくなっている自分自身への戒めだったのかもしれません。
ブログ投稿画像 今年も認知症ケア学会開催ですね。 場所は東京 テーマが「AIと認知症」 ついに認知症の世界にも、AIが来たかという感じですね。 でもね、なんか違和感があるのですね。 もちろんAIを否定しているわけではないのですが、 また、このご時世ですから、活用できるところはドンドン使っちゃおうでいいと思います。 例えば、認知症の人が置かれている状況を、AIは即座に分析して、 対応方法を提示してくれるかもしれません。 ケアマネジャーのケアプランも、AIならあっという間に作ってしまうかもしれません。 確かに業務量を減らすことに貢献できる! スタッフの負担軽減に繋がるのですから! でもね、どうなんでしょう? 認知症の人との関り 色々な記録関係や情報収集はAIに任せたとして、 やはり認知症の人と直接かかわる介護者は、「人と人」の繋がりから来る コミュニケーション技法などを、マニアックに学んでいかなければならないと思うのです。 そう、マニュアルワーク(手作業)なところがあるのが認知症ケアとも言えます。 あまりにもAIに頼りすぎると、人間は「考える」ことをしなくなり、 気が付けば、AIの言いなりになっている、ということにもなるかもしれませんね。 認知症ケア学会では、どのような話が聞けるのでしょうか? 写真は、幻のアジサイと言われている「シチダンカ」です。
ブログ投稿画像 地域住民向け認知症サポーター講座では、 特に住民の皆さんが関心があるのが、認知症予防なのです。 認知症の人の理解や声掛け法もさることながら、 やはり自分自身が認知症にならないために心掛けることへの関心が 高いのは当然のことでしょう。 [caption id="attachment_5536" align="alignnone" width="1024"] 謎の傘たち 忘れ傘?[/caption]   その内容が今回の主題ではないのですが、 やはり年相応に「どうだったかな?」ということは増えてきます。 電気消したかな? ガス止めたかな? 鍵を閉めたかな?等… お出掛けしてから心配になることがよくありますよね? その心配を少しでも減らす方法として、 五感を使ってチェックするということです。 [caption id="attachment_5572" align="alignnone" width="1024"] 変なのがいないかもチェック![/caption]   例えば、「電気よし!ガスよし!」というように、指をさして声に出すことです。 鍵を閉めたときにドアを叩くと、手の感触や音で聞いたものも記憶に残ります。 このような、「指差し呼称確認」は、安全確認のために、広く使われています。 電車の運転手は必ず行いますし、運送会社のドライバーも実践します。 「指さし呼称確認」の効果は脳科学的にも効果があると実証されています。 (厚労省も推奨しています) https://anzeninfo.mhlw.go.jp/yougo/yougo72_1.html これは介護の世界でも同じで、安全確認のために、必ず指を差して確認し、 声に出すということを義務化させることです。 電車の運転手が、「信号や運転システム、乗客の乗り入れを確認する」ことが 安全確認に繋がるので必ず行うように、 ケアの現場でも安全確認をしっかりと、義務として身に付けること、なのですね。 時に現場チェック(床が濡れていないか、異食に繋がるものが置いてないか等)を、 定期的に指差し呼称確認を行うことは必要でしょう。 要は運転手やドライバーのように、 安全確認を義務として身に付けておくということなのです。 (指差し呼称確認の効果について下記にリンクしました) https://www.keyence.co.jp/ss/general/manufacture-tips/pointing-and-calling.jsp  
ブログ投稿画像 世界遺産に指定されて今年で20年になる「紀伊山地の霊場と参詣道」は、 高野山、吉野、熊野三山、そしてそれらの霊場を結ぶ参詣道(さんけいみち)という、広範囲に及びます。 参詣道が世界遺産となっているのは、 フランス・スペインにまたがる「サンディアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」と、 この紀伊山地の参詣道(主に熊野古道や大峰山奥駈道)の二か所だけとなります。 大峰奥駈道は、参詣道というより、修験道(修験者以外の人には、険しい登山道)なので、 ここでいう参詣道は熊野古道のことと言っていいでしょう。 [caption id="attachment_5551" align="alignnone" width="1024"] 杉木立が美しい[/caption]   高野山、吉野、熊野三山とある霊場の中で、 特にダイバーシティを太古の昔から実践しているのが、熊野三山となります。 ダイバーシティ(Diversity)とは、 日本語で「多様性」の意味で、人種・性別・宗教・価値観などさまざまに異なる属性を持った人々が、 組織や集団において共存している状態を言います。(NECソリューションイノベータより) 熊野三山とは、三つの山の意味ではなく、 「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三つの大社のことを言います。 [caption id="attachment_5559" align="alignnone" width="1024"] 中辺路途中から見える、お椀型の山、百前森山[/caption]   おもしろいことに、熊野古道を歩く多くの人は、今や欧米の方が中心です。 彼らの多くはキリスト教であるにもかかわらず、 日本の神さんに、お賽銭を入れ、二度お辞儀をし、手を叩き、再びお辞儀をするというしきたりを実践しています。 元々大社は神社ではありますが、仏教も受け入れているだけでなく、男女差別もなく、 要は、イスラム教であれ、キリスト教であっても受け入れる多様性のあるものなのですね。 [caption id="attachment_5549" align="alignnone" width="1024"] 発心王王子[/caption]   そもそも日本人は、今やハロウィンやクリスマスを楽しみ、 亡き人を偲ぶ時や願い事で寺(仏教)に行き、正月は初もうでと称して神社に行く。 ある意味様々なことを受け入れる多様性を持っていると言えます。 [caption id="attachment_5562" align="alignnone" width="1024"] 日本最大の大鳥居 元々本宮大社があった場所に建つ[/caption]   では多様性と認知症の人との関係はというと、 認知症だから違った人ではなく、認知症であっても「多様なひとりの人」として認識し、 認知症があろうとなかろうと、同じ人として認めることなのです。 そして、人々の思い(願い)を聴くのはどのような人でも同じという視点が、熊野三山の霊場にはあると言えます。 [caption id="attachment_5556" align="alignnone" width="1024"] 中辺路のゴール 熊野本宮大社[/caption] (続く)
ブログ投稿画像 桜が咲くのが遅くなる近年の珍事?のあと、 一気に暑くなりましたね。 春のない季節になってしまったと言えるかもしれません。 体調管理が大変なのは、人間だけでなく動植物も同じかもしれません。 [caption id="attachment_5520" align="alignnone" width="1860"] 池の中も暑くて酸素不足だわ[/caption]   身体コントロールがままならぬ認知症の人の場合、 なかなか発汗できなかったり、或いは、水分が補給できず、脱水になったりと 関わる人たちのコントロールが必要になりますね。 季節の変わり目というより、急変 ついていくのが大変です。 [caption id="attachment_5519" align="alignnone" width="2048"] 暑すぎて、頭がぼーっとして、滑り落ちそうになったよ~[/caption]   昨日は認知症の人の行方不明について、NHKで特集が組まれていました。 内容はともかく、確かに社会として大きな課題となっていることは事実です。 はたして個人の行動をも見守る(監視されるともいえる)のがいいのだろうかという疑問も残ります。 AIシステムが進めば進むほど、管理、監視下に置くことは容易になるかもしれません。 しかし、認知症であっても一人の人としての自由は守らなければならないのではないだろうか。 AIシステムに頼りすぎると、個人の尊厳が侵されるのではないか。 ただ、実際行方不明になってしまったら、無事に早く見つかることが何よりです。 昔から比べると、GPSの導入も進んできています。 一次的にはやはり地域住民による見守り体制が、単に認知症の人のことだけでなく、 地域の繋がりという点では必要になるでしょう。 二次的には、GPSや発信タグなどの活用も必要かもしれません。 が、常にその方の権利が擁護されているのか、 そのようなチエック機能がなければ、管理や監視が第一の世界になってしまうかもしれません。    
ブログ投稿画像 周囲の状況や自分自身の状態が、まるで闇の中を歩くような、 そんな感覚になるのが認知症の人が置かれた状態と言えます。 誰でも自分が不安な状況に置かれたら、少なくとも自己防衛反応が強まり(生命的本能として)、 それが時に妄想や暴力に繋がったりもします(自己防衛のための行動と言えます) では、そんな不安な気持ち、不穏な感じを和らげるものはなにになるのか? それは、その不安感を落ち着かせてくれる「人」の存在でしかないのです。 癒し系のロボットがあるではないかと言われるかもしれません。 確かに、かわいく、やさしく、穏やかに語り掛けてくれます。 でもいざ頼れるかというと、 絶対ロボットには頼らず、人に頼るでしょう。 また癒しロボットは、時にそれを作成した者(だけでなく、ケア従事者も含めた多くの人が)の心のどこかに、 認知症の人を見下ろす視点があり、 「癒しロボット」を認知症の人に「あてがう」という意識が働いているのかもしれません。 わたしたちにある「見くびる意識」が、認知症の人を「見くびって」いるのです。 それも気づかぬうちに。 しかし認知症の人は見くびられるような存在ではないのです。 認知症の人は認知機能面では厳しくなっても (認知機能が厳しくなるということは、一般的な日常生活が厳しくなるということ) 感情や感性までも失われてはいないのです。 癒しロボットに微笑む姿は、 もしかしたらひとときの癒しになってはいても、それは社交辞令かもしれません。 先ほども書きましたが、いざ頼るとしたら、ロボットではなく、人間に頼るでしょう。 人々が桜に馴染むように、 馴染む人の存在は、認知症の人にとって不可欠な存在になります。 追々そのことについても説明していきます。