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「認知症の教室(一般市民用)」で記事を検索しました。

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2023.04.20

認知症の教室(一般市民用)
認知症と音楽(5) 何故音楽が良いのか 前回の最後に脳をリラックスさせる働きに「デフォルト・モード・ネットワーク」という、 聞きなれない言葉を明示して終わりました。 その「デフォルト・モード・ネットワーク」の説明に繋がるものとして、 まずは脳と音楽について説明します。 なぜそのような話をするかというと、 「認知症の人の脳は、常に緊張状態にある」と言えるからです。 その緊張状態を緩和させるものとして音楽があるのです。 アーバンケア島之内の入り口は、様々な花が満開です   音楽と脳の働きについて、 前回紹介しました映画「レナードの朝」の原作者である医師のオリバー・サックス博士が以下のように述べています。 <脳における音楽> 「個別の記憶や、エピソード記憶は失われてしまっても、音楽は残っているのですね。 一般的に音楽の力というのは、多かれ少なかれ病気によって侵食されずに長いこと残っています。」 アーバンケア島之内のジャスミン 強烈なほどのいい匂いがします。   確かに、意思疎通が厳しくなっても、何かを口ずさんでいる方はおられますし、 私もこれまで何人もの認知症の人が、何らかの音楽は忘れていないことに接しています。 まるで星々のような花です   オリバー・サックス博士は次のようにも述べています。 「言語処理の機能は左の前頭葉と側頭葉に偏在しているわけですが、 音楽は、リズム、ピッチ、感情、音程など、さまざまな要素が絡んでいるので、 その処理には実にたくさんの脳の部位が関与しています。 音楽や数学に関する脳の領域は他の分野とは別にあるため、 一般的知能とは別に発展可能なのかもしれない。」 と、述べています。 これは博士だけでなく、脳科学的にも判明しているそうです。 つまり、音楽は認知症状がダメージを受けても、 導き出せるものだし、発展可能なものとも言えます。 現にあるドキュメンタリーでは、アルツハイマー病の方が、 新しい歌の歌詞を覚える(短期記憶がダメージを受けているというのに!)姿を見ました。 これがまさしく、発展可能な領域ということでしょう。 もっとも人それぞれのパーソナリティや認知症状の状況によっても 効果の有無はあると思いますが、少なくとも音楽は、 認知症の人にとってプラス効果をもたらす環境要因と言えるでしょう。 次回は「デフォルト・モード・ネットワーク」について説明します。 (つづく)  
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2023.04.19

認知症の教室(一般市民用)
第86回認知症ケアネットワーク推進委員会開催されました。 年度が改まり、ネットワーク委員会も86回を迎えることになりました。 その間、委員の皆様には本当に尽力してもらっており、感謝の一言です。 今回も各地域からの情報提供では、 地域からは、各委員の代表者が集まり、 介護予防、認知症予防を地域として進めていくこととし、 包括支援センターへのサポート依頼などもありました。 河内警察からは特殊詐欺に対する注意喚起があり、 特に認知症やMCIの方が狙われている状況、 或いは認知症がなくとも、騙されてしまうことがあること。 最近は還付金詐欺に変わって、百貨店からとか、 偽刑事の訪問などが多くなっているので注意を皆さんに呼びかけてほしいとのことでした。 社協からは、詐欺電話防止電話機の紹介、 介護予防事業の紹介などがありました。 いずれにしても、認知症や認知症予備軍の方の権利擁護に向けて、 ネットワーク委員会は、各機関が協力体制を取る一助となっています。 また、判断能力が弱くなった方に、新聞、牛乳等の契約を結んで、 なかには新聞5社と契約してしまっていた人や、支払いができないという人に、 銀行まで一緒に行くのでお金をおろさせる営業員がいるなど、 独居の方や認知症の人を狙う人たちが多発していることも報告されました。 認知症の人の権利擁護も、ネットワーク委員会の重要な役割となっています。 医療からは、高齢者向け6回目のコロナワクチン注射が5月から始まること、 また5月以降コロナ患者をいつでもどこでも一般診療所が 簡単に受けられるものではないということなどが報告され、 コロナに対しては、 「感染しない」から「重症化させない」というスタンスになっているとのことでした。 いずれにしても、高齢者や認知症の人には、 コロナウイルスだけでなく、特殊詐欺等も含め、 まだまだ予断ならぬ状況が続いていると言えるでしょう。 6月24日には、英田南校区における「安心声掛け訓練」を実施します。 コロナ禍前の大々的な訓練まではまだ厳しい状況ですが、 それでも昨年よりは規模を拡大し、 認知症サポーターである地域住民の方にも協力してもらっての 訓練を行おうと考えています。 詳細はおってお知らせします。 公民館に貼ってあったポスター 近鉄ライナーズ連敗に続く連敗で「近鉄ア漢」状態でしたが、ようやく1勝しましたね。
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2023.04.17

認知症の教室(一般市民用)
介護家族の会が開催されました 地域包括支援センター主催の介護家族の会に参加しました。 このところ、認知症の人を介護する家族の会「ほっこりなつどい」、 若年性認知症の方を介護する方の家族会「楽カフェ」、 そして認知症だけでなく、日々介護に追われている方の家族会「家族介護者教室」と、 3つの家族会に参加しました。 その3つの家族会、重複する人はおらず、14名のご家族の方のお話を伺いました。 ほっこりなつどい   介護サービスを利用していたとしても、 その多くの時間を在宅で介護されているご家族の苦労は計り知れないものがあります。 外へ出て行かれること、排泄のこと、昼夜逆転のこと、 もの盗られ妄想のこと、食事のこと等、その苦労は数多くあります。 楽カフェ   ただそれぞれのご家族からは、しんどさを訴えるものの、 当事者のこと(その多くの方は認知症の方)を罵るような人は誰もいないということです。 誰も認知症の人を悪者にはしないということです。 もちろん、暴力沙汰になって、地域包括支援センターが動くケースもありますが、 ほとんどの方は必死になって介護されている状況でしょう。 家族介護者教室   何よりも、高い介護保険料を払っているのは、 専門職がいる介護サービスを受けるためでもあるのです。 専門職に頼りたい状況にあるからです。 その思いに応えられる専門職でないと、何のための介護保険料ということになるでしょう。 今回参加していただいたのは都合14名ですが、 実際には何倍もの介護家族の方がおられます。 その方々の声なき声にも応えられるように、専門職も学んでいかなければならないでしょう。
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2023.04.13

認知症の教室(一般市民用)
大阪府認知症介護実践研修が始まります 4月になり新人職員にとっては毎日が緊張の連続ですね。 本当に脳細胞をフルに働かせるので、へとへとになると思います。 人間がくたびれるのは、身体を動かすだけでなく、 脳をフルに働かせる状況(気を遣う状況)においても同じです。 新人はこれから咲き始めます   様々な情報の判断が厳しくなり、 かつ自分自身が持っている情報も取り出せなくなってきている認知症の人も、 残された脳の機能をフルに働かせて生活しようと(生き抜こうと)されているので、 やはり精神的に疲れてしまうのです。 そのことが不機嫌や不穏に繋がってしまいます。 それは私たちも同じですね。 パンダのぬいぐるみを着て愛嬌を振るう新人バイト君も疲れてばったりです。   まぁ、それは冗談ですが、パンダだって疲れるのです。 見学者に気を使って疲れたわけではないと思うのですが…   さて、認知症の人を理解したケアを実践するための研修、 「認知症介護実践者研修」が、今年も実施されます。 大阪府のホームページに要項が上がっています。 関心のある方はご覧ください。 https://www.pref.osaka.lg.jp/kaigoshien/ninnshishou-gyakutai/kaigokenshu.html   それにしても、研修から帰ってきた人たちは異口同音に、「行って良かった!」と言われます。 その割には全体的に(大阪のみならず全国)認知症ケアが改善された感は??な状況のような気がします。 今の研修体系はどうなのか?と思うのは、どうなのか? なのでしょうか? 因みに上記のホームページに大阪府認知症介護指導者の名簿も載っています。 いつの間にか大阪府の指導者も40名を越えてきたのですね。 これだけ多くの指導者がいて講義を受け持ってくれるので、私は引退しているのですが、 認知症指導者の在り方も問われるべきではないかとも思うのですが、どうなのか?ですね。
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2023.04.12

認知症の教室(一般市民用)
認知症と音楽(4) 問われるワーカーの姿勢 随分昔の映画になりますが、ロバート・デ・ニーロとロビン・ウイリアムスが主演した、 実話をもとにした「レナードの朝」という作品がありました。 このブログでも何度か取り上げた映画です。 ある病院が舞台なのですが、そこで働くワーカーたちは、 ルーティンワークを済ませばよいという感じで、患者に対しては無関心な職員ばかりでした。 ところが、ある医師の熱意の下、 ワーカーたちは患者に興味を持ち始め、色々と患者視点で考え始めるのです。 あるワーカーは、いつも食事が進まない高齢女性に対して、 きっと彼女の心が動く音楽があるに違いないと、様々な音楽を聞かせます。 あれもダメ、これもダメと音楽をかけ続けた時、 ある音楽を聴いた途端、彼女は楽しそうに食事を始めたのです。 そうなのです。普段は自分自身でも動かすことが出来ない心と体が、 大好きな音楽を聴いた途端に動き始めたのです。 まさしく音楽の力なのですね。 但し、そのためには、ワーカーが患者(利用者)のことを真剣に考え、 あれやこれやと考え、試行錯誤を繰り返していく行動がなければ成り立たないのです。 音楽の活用はワーカー次第なのです。 音楽は脳科学的にも重要なものとして存在しているのですが、それについては後日また書きます。 いずれにしても、認知症の人は自ら好きな音楽を聴けるという行動が厳しくなっているので、 周囲の者が環境整備をしていくことが必要になります。 因みに前回も書いたように、音楽にはリラックス効果があります。 思考展開させるときなどは、(ひらめきが欲しい時には)或いは記憶の整理をしたい時には、 脳をリラックスさせることです。 それを「デフォルト・モード・ネットワーク」と言います。   (つづく)
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2023.04.06

認知症の教室(一般市民用)
認知症と音楽(3) 少し間があきましたが、認知症と音楽その3です。 音楽が私たちの生活というか、人生そのものに深く繋がっていることは前回に書きました。 母親のおなかの中にいるときから音楽が胎児に響いていることは 科学的にも証明されています。 そして、子どものころは、子ども向けの歌が脳の深くに刻まれていきます。 子どものころは体験するすべてのものが、新鮮で強烈です。 そのため、記憶中枢にしっかりと刻まれやすい、「忘れられぬ曲(歌)」となっていきます。 ですから、認知症になっても、高齢者になっても、童謡などの子どもの頃の歌は唄えるのです。 そして大人になるにつれ、音楽の嗜好は人それぞれのものになっていきます。 ポップスが好きな人、ロックが好きな人、演歌が好きな人、 クラシックが好きな人、ジャズが好きな人等々、 個々の趣味嗜好で好みの音楽が変化し、その人の生活に繋がっていきます。 当然認知症になられて人にも、 それぞれなりに自分の人生に関わり深い音楽があります。 そしてその音楽がなぜ認知症の人にとって大切なのか。 それは、どのようなジャンルにしろ、 その人にとっては、心のリラクゼーションに繋がるものだからです。 例えば、アメリカの映画やドラマでちょくちょく見かけるシーンで、 音楽を聴きながら、同時にガムを噛みながら、仕事や勉強を行っているシーンがあります。 日本人からすれば、まじめに仕事をしろ!と思いがちですが、 実は音楽聞きながらの仕事は理にかなっているのです。 理路整然とした仕事を行うには、集中がいいかもしれません。 しかし、アイデアのひらめきや、思考展開は、 心がリラックスしているときの方が、はるかに生まれやすいのです。 これも脳科学的に実証されているのものなのです。 (つづく)
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2023.04.04

認知症の教室(一般市民用)
「ロストケア」より「生きる」を見る センター長の石川です。 見たうえで批評しようと思っていた、 42人の高齢者を殺害した犯人が主人公の映画「ロストケア」なのですが、 例えどんなに介護の問題を提起していたとしても、 殺人を扱う題材は論外だと思い、見るのをやめました。 殺人自体いかなる理由があろうとも問題外です。 毎日様々な思いに板挟みになりながら、 苦しみながら介護されているご家族を多く見ているだけに、 そしてヘルパーさんの頑張りを見ているだけに、 この映画、見てないけれど、なんだかな~と思ってしまうのです。 その代わりに見てきたのが「生きるLiving」でした。 これは黒澤明監督の不朽の名作「生きる」を、舞台をイギリスに置きかえてリメイクしたもの。 映画そのものもノスタルジック調に作成されたこの映画は見ごたえあり、心も温まりました。 事なかれ主義の公務員、政治家、上に立つ者全てに見てもらいたい映画でした。(もちろん、自戒も込めて) 黒澤監督のオリジナルは当然素晴らしく、ブランコのシーンが強烈でしたね。 このリメイク映画、たいした宣伝もなく、地味な映画なのに、 意外と観客に若者が多かったのは何となく嬉しかったかな。 (*見た映画館の構造は最低でしたが) そして心が温まった後、ちょいと大阪城に夜桜の撮影に。 その帰路に乗った急行。 曽根駅手前でけたたましい警笛の後の急ブレーキ。 人身事故の電車に乗り合わせてしまったのです。 電車の先頭部のガラスが割れ、30分車内に閉じ込められた後、 運転中止となり、電車から降ろされました。 警察、救急の大騒ぎの中、さらに1時間待ち、ようやく運転再開になりました。 電車のガラスが割れたということは、恐らくは飛び込みでしょう。 もしそうならば、飛び込んだ人にはつらいことが山ほどあったのかもしれません。 しかし飛び込む勇気があるのなら、 その命、もしかしたら人に役立つ命になったかもしれないのにと、 「生きる」を見た後だけに、なおさらそう思いました。
ブログ投稿画像 前回の最後に脳をリラックスさせる働きに「デフォルト・モード・ネットワーク」という、 聞きなれない言葉を明示して終わりました。 その「デフォルト・モード・ネットワーク」の説明に繋がるものとして、 まずは脳と音楽について説明します。 なぜそのような話をするかというと、 「認知症の人の脳は、常に緊張状態にある」と言えるからです。 その緊張状態を緩和させるものとして音楽があるのです。 [caption id="attachment_4613" align="alignnone" width="1600"] アーバンケア島之内の入り口は、様々な花が満開です[/caption]   音楽と脳の働きについて、 前回紹介しました映画「レナードの朝」の原作者である医師のオリバー・サックス博士が以下のように述べています。 <脳における音楽> 「個別の記憶や、エピソード記憶は失われてしまっても、音楽は残っているのですね。 一般的に音楽の力というのは、多かれ少なかれ病気によって侵食されずに長いこと残っています。」 [caption id="attachment_4612" align="alignnone" width="1600"] アーバンケア島之内のジャスミン 強烈なほどのいい匂いがします。[/caption]   確かに、意思疎通が厳しくなっても、何かを口ずさんでいる方はおられますし、 私もこれまで何人もの認知症の人が、何らかの音楽は忘れていないことに接しています。 [caption id="attachment_4611" align="alignnone" width="1600"] まるで星々のような花です[/caption]   オリバー・サックス博士は次のようにも述べています。 「言語処理の機能は左の前頭葉と側頭葉に偏在しているわけですが、 音楽は、リズム、ピッチ、感情、音程など、さまざまな要素が絡んでいるので、 その処理には実にたくさんの脳の部位が関与しています。 音楽や数学に関する脳の領域は他の分野とは別にあるため、 一般的知能とは別に発展可能なのかもしれない。」 と、述べています。 これは博士だけでなく、脳科学的にも判明しているそうです。 つまり、音楽は認知症状がダメージを受けても、 導き出せるものだし、発展可能なものとも言えます。 現にあるドキュメンタリーでは、アルツハイマー病の方が、 新しい歌の歌詞を覚える(短期記憶がダメージを受けているというのに!)姿を見ました。 これがまさしく、発展可能な領域ということでしょう。 もっとも人それぞれのパーソナリティや認知症状の状況によっても 効果の有無はあると思いますが、少なくとも音楽は、 認知症の人にとってプラス効果をもたらす環境要因と言えるでしょう。 次回は「デフォルト・モード・ネットワーク」について説明します。 (つづく)  
ブログ投稿画像 年度が改まり、ネットワーク委員会も86回を迎えることになりました。 その間、委員の皆様には本当に尽力してもらっており、感謝の一言です。 今回も各地域からの情報提供では、 地域からは、各委員の代表者が集まり、 介護予防、認知症予防を地域として進めていくこととし、 包括支援センターへのサポート依頼などもありました。 河内警察からは特殊詐欺に対する注意喚起があり、 特に認知症やMCIの方が狙われている状況、 或いは認知症がなくとも、騙されてしまうことがあること。 最近は還付金詐欺に変わって、百貨店からとか、 偽刑事の訪問などが多くなっているので注意を皆さんに呼びかけてほしいとのことでした。 社協からは、詐欺電話防止電話機の紹介、 介護予防事業の紹介などがありました。 いずれにしても、認知症や認知症予備軍の方の権利擁護に向けて、 ネットワーク委員会は、各機関が協力体制を取る一助となっています。 また、判断能力が弱くなった方に、新聞、牛乳等の契約を結んで、 なかには新聞5社と契約してしまっていた人や、支払いができないという人に、 銀行まで一緒に行くのでお金をおろさせる営業員がいるなど、 独居の方や認知症の人を狙う人たちが多発していることも報告されました。 認知症の人の権利擁護も、ネットワーク委員会の重要な役割となっています。 医療からは、高齢者向け6回目のコロナワクチン注射が5月から始まること、 また5月以降コロナ患者をいつでもどこでも一般診療所が 簡単に受けられるものではないということなどが報告され、 コロナに対しては、 「感染しない」から「重症化させない」というスタンスになっているとのことでした。 いずれにしても、高齢者や認知症の人には、 コロナウイルスだけでなく、特殊詐欺等も含め、 まだまだ予断ならぬ状況が続いていると言えるでしょう。 6月24日には、英田南校区における「安心声掛け訓練」を実施します。 コロナ禍前の大々的な訓練まではまだ厳しい状況ですが、 それでも昨年よりは規模を拡大し、 認知症サポーターである地域住民の方にも協力してもらっての 訓練を行おうと考えています。 詳細はおってお知らせします。 [caption id="attachment_4605" align="alignnone" width="986"] 公民館に貼ってあったポスター 近鉄ライナーズ連敗に続く連敗で「近鉄ア漢」状態でしたが、ようやく1勝しましたね。[/caption]
ブログ投稿画像 地域包括支援センター主催の介護家族の会に参加しました。 このところ、認知症の人を介護する家族の会「ほっこりなつどい」、 若年性認知症の方を介護する方の家族会「楽カフェ」、 そして認知症だけでなく、日々介護に追われている方の家族会「家族介護者教室」と、 3つの家族会に参加しました。 その3つの家族会、重複する人はおらず、14名のご家族の方のお話を伺いました。 [caption id="attachment_4597" align="alignnone" width="2109"] ほっこりなつどい[/caption]   介護サービスを利用していたとしても、 その多くの時間を在宅で介護されているご家族の苦労は計り知れないものがあります。 外へ出て行かれること、排泄のこと、昼夜逆転のこと、 もの盗られ妄想のこと、食事のこと等、その苦労は数多くあります。 [caption id="attachment_4580" align="alignnone" width="2184"] 楽カフェ[/caption]   ただそれぞれのご家族からは、しんどさを訴えるものの、 当事者のこと(その多くの方は認知症の方)を罵るような人は誰もいないということです。 誰も認知症の人を悪者にはしないということです。 もちろん、暴力沙汰になって、地域包括支援センターが動くケースもありますが、 ほとんどの方は必死になって介護されている状況でしょう。 [caption id="attachment_4599" align="alignnone" width="1696"] 家族介護者教室[/caption]   何よりも、高い介護保険料を払っているのは、 専門職がいる介護サービスを受けるためでもあるのです。 専門職に頼りたい状況にあるからです。 その思いに応えられる専門職でないと、何のための介護保険料ということになるでしょう。 今回参加していただいたのは都合14名ですが、 実際には何倍もの介護家族の方がおられます。 その方々の声なき声にも応えられるように、専門職も学んでいかなければならないでしょう。
ブログ投稿画像 4月になり新人職員にとっては毎日が緊張の連続ですね。 本当に脳細胞をフルに働かせるので、へとへとになると思います。 人間がくたびれるのは、身体を動かすだけでなく、 脳をフルに働かせる状況(気を遣う状況)においても同じです。 [caption id="attachment_4591" align="alignnone" width="1600"] 新人はこれから咲き始めます[/caption]   様々な情報の判断が厳しくなり、 かつ自分自身が持っている情報も取り出せなくなってきている認知症の人も、 残された脳の機能をフルに働かせて生活しようと(生き抜こうと)されているので、 やはり精神的に疲れてしまうのです。 そのことが不機嫌や不穏に繋がってしまいます。 それは私たちも同じですね。 パンダのぬいぐるみを着て愛嬌を振るう新人バイト君も疲れてばったりです。   まぁ、それは冗談ですが、パンダだって疲れるのです。 見学者に気を使って疲れたわけではないと思うのですが…   さて、認知症の人を理解したケアを実践するための研修、 「認知症介護実践者研修」が、今年も実施されます。 大阪府のホームページに要項が上がっています。 関心のある方はご覧ください。 https://www.pref.osaka.lg.jp/kaigoshien/ninnshishou-gyakutai/kaigokenshu.html   それにしても、研修から帰ってきた人たちは異口同音に、「行って良かった!」と言われます。 その割には全体的に(大阪のみならず全国)認知症ケアが改善された感は??な状況のような気がします。 今の研修体系はどうなのか?と思うのは、どうなのか? なのでしょうか? 因みに上記のホームページに大阪府認知症介護指導者の名簿も載っています。 いつの間にか大阪府の指導者も40名を越えてきたのですね。 これだけ多くの指導者がいて講義を受け持ってくれるので、私は引退しているのですが、 認知症指導者の在り方も問われるべきではないかとも思うのですが、どうなのか?ですね。
ブログ投稿画像 随分昔の映画になりますが、ロバート・デ・ニーロとロビン・ウイリアムスが主演した、 実話をもとにした「レナードの朝」という作品がありました。 このブログでも何度か取り上げた映画です。 ある病院が舞台なのですが、そこで働くワーカーたちは、 ルーティンワークを済ませばよいという感じで、患者に対しては無関心な職員ばかりでした。 ところが、ある医師の熱意の下、 ワーカーたちは患者に興味を持ち始め、色々と患者視点で考え始めるのです。 あるワーカーは、いつも食事が進まない高齢女性に対して、 きっと彼女の心が動く音楽があるに違いないと、様々な音楽を聞かせます。 あれもダメ、これもダメと音楽をかけ続けた時、 ある音楽を聴いた途端、彼女は楽しそうに食事を始めたのです。 そうなのです。普段は自分自身でも動かすことが出来ない心と体が、 大好きな音楽を聴いた途端に動き始めたのです。 まさしく音楽の力なのですね。 但し、そのためには、ワーカーが患者(利用者)のことを真剣に考え、 あれやこれやと考え、試行錯誤を繰り返していく行動がなければ成り立たないのです。 音楽の活用はワーカー次第なのです。 音楽は脳科学的にも重要なものとして存在しているのですが、それについては後日また書きます。 いずれにしても、認知症の人は自ら好きな音楽を聴けるという行動が厳しくなっているので、 周囲の者が環境整備をしていくことが必要になります。 因みに前回も書いたように、音楽にはリラックス効果があります。 思考展開させるときなどは、(ひらめきが欲しい時には)或いは記憶の整理をしたい時には、 脳をリラックスさせることです。 それを「デフォルト・モード・ネットワーク」と言います。   (つづく)
ブログ投稿画像 少し間があきましたが、認知症と音楽その3です。 音楽が私たちの生活というか、人生そのものに深く繋がっていることは前回に書きました。 母親のおなかの中にいるときから音楽が胎児に響いていることは 科学的にも証明されています。 そして、子どものころは、子ども向けの歌が脳の深くに刻まれていきます。 子どものころは体験するすべてのものが、新鮮で強烈です。 そのため、記憶中枢にしっかりと刻まれやすい、「忘れられぬ曲(歌)」となっていきます。 ですから、認知症になっても、高齢者になっても、童謡などの子どもの頃の歌は唄えるのです。 そして大人になるにつれ、音楽の嗜好は人それぞれのものになっていきます。 ポップスが好きな人、ロックが好きな人、演歌が好きな人、 クラシックが好きな人、ジャズが好きな人等々、 個々の趣味嗜好で好みの音楽が変化し、その人の生活に繋がっていきます。 当然認知症になられて人にも、 それぞれなりに自分の人生に関わり深い音楽があります。 そしてその音楽がなぜ認知症の人にとって大切なのか。 それは、どのようなジャンルにしろ、 その人にとっては、心のリラクゼーションに繋がるものだからです。 例えば、アメリカの映画やドラマでちょくちょく見かけるシーンで、 音楽を聴きながら、同時にガムを噛みながら、仕事や勉強を行っているシーンがあります。 日本人からすれば、まじめに仕事をしろ!と思いがちですが、 実は音楽聞きながらの仕事は理にかなっているのです。 理路整然とした仕事を行うには、集中がいいかもしれません。 しかし、アイデアのひらめきや、思考展開は、 心がリラックスしているときの方が、はるかに生まれやすいのです。 これも脳科学的に実証されているのものなのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 見たうえで批評しようと思っていた、 42人の高齢者を殺害した犯人が主人公の映画「ロストケア」なのですが、 例えどんなに介護の問題を提起していたとしても、 殺人を扱う題材は論外だと思い、見るのをやめました。 殺人自体いかなる理由があろうとも問題外です。 毎日様々な思いに板挟みになりながら、 苦しみながら介護されているご家族を多く見ているだけに、 そしてヘルパーさんの頑張りを見ているだけに、 この映画、見てないけれど、なんだかな~と思ってしまうのです。 その代わりに見てきたのが「生きるLiving」でした。 これは黒澤明監督の不朽の名作「生きる」を、舞台をイギリスに置きかえてリメイクしたもの。 映画そのものもノスタルジック調に作成されたこの映画は見ごたえあり、心も温まりました。 事なかれ主義の公務員、政治家、上に立つ者全てに見てもらいたい映画でした。(もちろん、自戒も込めて) 黒澤監督のオリジナルは当然素晴らしく、ブランコのシーンが強烈でしたね。 このリメイク映画、たいした宣伝もなく、地味な映画なのに、 意外と観客に若者が多かったのは何となく嬉しかったかな。 (*見た映画館の構造は最低でしたが) そして心が温まった後、ちょいと大阪城に夜桜の撮影に。 その帰路に乗った急行。 曽根駅手前でけたたましい警笛の後の急ブレーキ。 人身事故の電車に乗り合わせてしまったのです。 電車の先頭部のガラスが割れ、30分車内に閉じ込められた後、 運転中止となり、電車から降ろされました。 警察、救急の大騒ぎの中、さらに1時間待ち、ようやく運転再開になりました。 電車のガラスが割れたということは、恐らくは飛び込みでしょう。 もしそうならば、飛び込んだ人にはつらいことが山ほどあったのかもしれません。 しかし飛び込む勇気があるのなら、 その命、もしかしたら人に役立つ命になったかもしれないのにと、 「生きる」を見た後だけに、なおさらそう思いました。