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「認知症の教室(一般市民用)」で記事を検索しました。

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2023.06.10

認知症の教室(一般市民用)
グーグルレンズを使ってもわからないもの グーグルレンズ、便利ですね。 私は花の名前がさっぱりわからないのですが、 グーグルレンズを使って調べたら なんとすぐに答えが出てきます。 職場の前に咲いているこの不思議な花の名前も出てきました。 検索結果は「サンタンカ亜種」う~ん、なんだそれ?「ハンカチの木」という意見もあります。   因みにアーバンケア島之内の建物の一部だけを撮影して 検索すると「アーバンケア島之内」とちゃんと出てきました。 凄いですね! これもAI技術を駆使したものなのでしょう。 このように切り取った写真でも、アーバンケア島之内と出てきました   子どもはグーグルレンズの「宿題」を使えば 計算問題をやってくれるので、レンズを使って 解答しているようです。 そして今流行りのchatGPTで 認知症相談支援研修センター結の評価を聞くと 以下のような回答が。 まぁメールでの対応はしていないので めっちゃ当たり障りのない回答だとは思うのですが、 まさしく何でもかんでもAIの管理下にあるのかなと思ってしまいます。 明智光秀のにおいがします   しかしどんなにグーグルレンズが優秀でも 認知症の人の思いの回答は出せません。 そこは私たちの感性と介護技術をどう磨きをかけるか ということになるでしょう。 つまりどんなにAI技術が進んでいても 私たちケア実践者の方がずっと優秀なところがあるのです。 認知症の人の思いを汲み、あたたかく接するケア実践者 AIにも負けない心と技術 もっと誇りを持ってもいいのではないでしょうか。
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2023.06.05

認知症の教室(一般市民用)
認知症ケア学会に参加してきました 今回の認知症ケア学会は京都開催でした。 場所は国立京都国際会館でした。 大会自体、久しぶりの集合開催ですね。 (今回は、一部研修はWeb視聴可能) しかし、前日の大雨の影響で、 東京からの新幹線が土曜日の午前中まで完全ストップ。 前日入りを予定していた先生方や演者が来場できず、 また関東方面からの参加者も同じくで、 演者が抜ける、参加者も少ないという、閑散とした大会(特に一日目)でした。 いつもならこのメインホールは満席になります。長谷川和夫先生を偲ぶプログラムでした。   大会委員長の松本一生先生ともお話しできたのですが、 本当に穴埋めのために大変なようでした。 もちろん、由寿会に来ていただくことも、ちゃっかりとお願いしてきました。 しかし松本先生自身のお体が心配ですね。   さて、参加者は半減したものの、来られた人たちは本当に熱心でした。 バリアフリー展もそうですが、こうやって来ている人たちは 自分の休みを使って、さらに高い参加費、交通費を使って 本当に勉強しようという熱い思いを持ってこられてますね。 立ち話しながら、ケアの現場での職員間の理解をどう深めたらよいかと悩んでいる人の話も聞きました。 昔も今も、変わらぬ悩み。 私にとっても長々と続く課題とも言えます。 みんながもっとこのような場所で勉強をしてもらえればいいのですけどね。 私は土曜日の夜は出版社の方と飲み、終電で帰り、3時間寝ただけで 再び朝一の発表を聴くために国際会議場に向かいました。 様々な方とのお話もでき、さすがに日曜日は眠たかったですが、 充実の二日間となりました。 癒しは、京都に来ればここ。 グリル長谷川のAミックスを食べることですね。
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2023.05.25

認知症の教室(一般市民用)
「学びから始まる人生」 今日はかつてお世話になったあの方の法人葬があってから9年目の日になります。 今や当たり前の制度になっている、ショートステイやデイサービス、認知症デイ、 包括支援センターの基となる在介ステーションなどを立ち上げた人でした。 今となってはその行動力も過去の忘れられたような存在ですが、 今の制度の礎として、その功績は大きいのです。 その頃のことを語れる人がいなくなっていきますね。 この方のおひざ元で20年働かせてもらいました。 職員には厳しく、褒めることをせず、 普段の仕事では決して親しめる人ではなかったのですが、 いつも高齢者に視点を向けていた方でした。 忘れられぬ言葉、 「あなた方は入居者の人生の幕引き者。どのような幕を引くかはあなた方次第だが、 たった一つしかない人生の良き幕引き者になれ。」という言葉。(少しばかし誇張していますが) 今もしっかりと覚えています。 何よりもこの方に拾ってもらったからこそ、今の私がある。 色々あったけど、ただただ感謝の一言です。 「人の出会いに意味のないものなんてない。」 富良野の夜明け。9年前の札幌での認知症ケア学会に行ったときのものです。   さて、話変わりますが、若宮正子さんという方ご存知ですか? ちょっとチラシがしわくちゃになってしまいましたが、 80歳でアイフォン向けのアプリを作っちゃった人です。 「学びから始まる私の人生」 いい言葉ですね。 世の中一杯学ぶべきことあるのに、 私たちはあまりにも狭い世界だけしか見ていないのかもしれません。 このチラシは、滋賀県米原市の講演のものです。   「とにかく、バッターボックスに立ってみる。 バットを振ったら、当たるかもしれないじゃないですか。 自分の未来にふたをしないこと。 何歳からでも人は変わることができるから。」 87歳の方の言葉です。 若い人で、バッターボックスにも立たず、 自分の未来にふたをしている人が多い? かもしれません。 若宮さんは今年9月、河内医師会の講演会でお話しされるとのことです。
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2023.05.23

認知症の教室(一般市民用)
介護家族の会(家族介護者教室)が開催されました 定例になっています介護家族の方が集まって話し合い、情報共有を行う 家族介護者教室5月が開催されました。 認知症の有無に関わらず、日頃介護で悩んでいる方、 或いはこれから介護をする不安を抱えている方など、7名の方が参加されました。 介護申請に至る経緯では、病院から勧められた方が多く、 地域包括支援センターの存在を知っていた方は少数でした。 ただ、病院への不満、不親切さや親身でない対応は、 今回の家族会だけでなく、他の家族会でも声を聞きました。 また地域包括支援センターの市民への浸透度がまだまだなのは、 この場の人に限ったことではないでしょう。 認知症状が出ている方の場合、介護サービスを受けることへの拒否により、 申請に3年もかかったという方もおられました。 認知症状が出てきた場合、本人の心の中では、認知症への不安を拒否したい気持ちが強く働き、 介護サービスの拒否に繋がることが多々あります。 ご家族にとってしんどい所なのです。 ただケア側もつかづ離れずの関係で、本人にケア側の存在を示しておけば、 本人の不安感が増した時、それとなく助けを求めてくるときがあります。 とは言っても、家族にとっては辛抱の日々となります。 病院から退院してくる家族をケアできるかどうかの不安を抱えている家族もおられました。 介護は、これまで当たり前のようにあった日常の景色と違った、 心身の負担を背負う生活が始まることなのです。 介護者だけが背負うのではなく、その背負う重さを少しでも軽減するため、 ケアの専門家に支えてもらうということが大切です。 そのために高い介護保険料を払っているのですから。 認知症の人の関りでは、火の不始末が出てきた母に、 何もかも危ないからと奪ってしまうのではなく、 野菜を切ってもらうなどの役割を持ってもらったというご家族の方がおられました。 何らかの役割を担ってもらう(それを失敗したとしても)、 その人の存在感を失わないようにするということも大切なことですね。 今回、色々と苦労されているご家族の話を聞けて良かったと、 異口同音の家族の感想をいただきました。 来月は「ほっこりなつどい」認知症の人を支える家族の会(6月17日)です。
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2023.05.15

認知症の教室(一般市民用)
日常が戻ってきましたね(ふれあいまつりにて) 当たり前のように毎年行われていたお祭り それが、「行わないこと」が当たり前になってしまったこの3年 コロナはなくなったわけではないですが、 コロナ禍前の日常が戻ってきたような感じです。 東大阪市ふれあい祭り 社会福祉法人由寿会は、以前のお祭りと同様、 パレード、ステージ、そして模擬店に参加しました。 私は模擬店ブースにいたのですが、 悪天候にもかかわらず、待ってました!のごとく、 多くの市民の方が訪れてくれました。 写真にあるように、曇り時々強めの雨 傘をさしているときもあれば、ささないときもある そんな天候にもかかわらず、人出はそこそこだったのではないでしょうか。 模擬店ブースには、アーバンチャイルドこども園の園児、親、卒園児などが 多く訪れ、職員と交流を深めていました。 若い人たちは、天候は気にしないようです。 さすがに高齢の方は出にくかったのか、総体的にも少なかったようです。 それでも私たちのブースを訪ねてきてくれた方も何人かおられ、 嬉しい限りです。 認知症の人にとってお祭りは、大きく分ければ二通りあると思います。 賑やかなその周囲の状況にいい刺激を受けて心が楽しくなる方 或いはその賑やかさが、不安を増長させてしまう方 どちらになるかは正直わからないです。 いつも不安を抱えている方なので、お祭りは無理と言うのは私たちの判断。 実際行ってみたら、心楽しくなるということもあるかもしれません。 ただ注意しなければならないのは、人が多いのではぐれて迷ってしまうことですね。 オレンジメンバーのボランティアとともに行動するというのも一案かもしれません。
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2023.05.10

認知症の教室(一般市民用)
認知症と音楽(7) 脳の疲労がもたらすもの 認知症による神経細胞のダメージは、日常生活の多大な支障をもたらします。 ある日突然、目の前にあるものが、 食べ物と認識できても、食べ方がわからなくなるのです。 その食べ方がわからなくなる恐怖は、想像を絶するものがあります。 このように、日常生活で普通にできていたことが、 まるで突然もぎ取られるようにできなくなっていくのです。 認知症の人はそのような恐怖と不安と闘いながら、 それでも生きていかなければならないため、 残された能力(神経細胞)をフルに使っているのです。 そのため脳疲労を起こしやすくなります。 私たちも脳が疲れると、怒りっぽくなったり、何もしたくなくなったりするように、 認知症の人はさらにそのような状況にさらされます。 或いは、寝起きの時など、私たちもボーっとする時があるように、 情報不足判断不足の認知症の人は、 不安が増長し、混乱した行動に繋がることがあります。 このように、必死に脳を働かせている状況なので、 さらにその上に、「これやって、あれやって」と言われたりすると 混乱に拍車をかけるでしょうし、 或いは逆に放置されることも不安な世界に埋没してしまうことになるでしょう。 前回にも書きましたが、認知症の人は自分から脳をリラックスさせるために動くことが出来ません。 正確には、食べる(異食を含む)、集める(様々なものを取り込む)、 歩く(私たちが徘徊と捉えているもの)、叫ぶ、怒鳴る(私たちが不穏行動と捉えているもの)などの行動は、 本人たちにとってストレス軽減のためのコーピング行動とも言えます。 つまり私たちからはBPSD(行動心理症状・以前は問題行動と呼んでいた)に見える行動で、 なんとか自分の中のストレスを軽減させようとしているのです。 私たちに置き換えて考えてみてください。 私たちは脳疲労を起こした時、それぞれの人なりにそのストレスを軽減させるための対応を行います。 好きな歌手の歌を唄ったり、趣味に没頭したり、美味しいものを食べたり、 買い物したり、旅行に行ったり、ゲームをしたり…  人それぞれに解消法を用意しています。 (それをもできなくなる人は、専門家の関りが必要になりますが) 逆に疲れているときに、あれやこれや言われたりすると、 私たちだって、イライラしたり、怒りやすくなったりします。 (何故か私たちのその行動にはBPSDとは言わない。 それなのに認知症の人の行動にはBPSDだ!と言って特別視するのは、 認知症の人への敬意のなさともいえるかも) フリーソフトいやすとやさんより   しかし、認知症の人は、自らストレス軽減のための行動をとることが出来ません。 本人ができるストレス軽減は、私たちから見たBPSD行動なのです。 ですから、周囲にいる者が、認知症の人の脳疲労を軽減させる方策を考えなければならないのです。 今回のテーマである音楽はその一つであり、脳はリラックスすることによって、 まだ活き活きと活動している残された脳の部分の活性化へとも繋がっていきます。 (つづく)  
ブログ投稿画像 グーグルレンズ、便利ですね。 私は花の名前がさっぱりわからないのですが、 グーグルレンズを使って調べたら なんとすぐに答えが出てきます。 職場の前に咲いているこの不思議な花の名前も出てきました。 [caption id="attachment_4788" align="alignnone" width="2048"] 検索結果は「サンタンカ亜種」う~ん、なんだそれ?「ハンカチの木」という意見もあります。[/caption]   因みにアーバンケア島之内の建物の一部だけを撮影して 検索すると「アーバンケア島之内」とちゃんと出てきました。 凄いですね! これもAI技術を駆使したものなのでしょう。 [caption id="attachment_4786" align="alignnone" width="2064"] このように切り取った写真でも、アーバンケア島之内と出てきました[/caption]   子どもはグーグルレンズの「宿題」を使えば 計算問題をやってくれるので、レンズを使って 解答しているようです。 そして今流行りのchatGPTで 認知症相談支援研修センター結の評価を聞くと 以下のような回答が。 まぁメールでの対応はしていないので めっちゃ当たり障りのない回答だとは思うのですが、 まさしく何でもかんでもAIの管理下にあるのかなと思ってしまいます。 [caption id="attachment_4791" align="alignnone" width="2048"] 明智光秀のにおいがします[/caption]   しかしどんなにグーグルレンズが優秀でも 認知症の人の思いの回答は出せません。 そこは私たちの感性と介護技術をどう磨きをかけるか ということになるでしょう。 つまりどんなにAI技術が進んでいても 私たちケア実践者の方がずっと優秀なところがあるのです。 認知症の人の思いを汲み、あたたかく接するケア実践者 AIにも負けない心と技術 もっと誇りを持ってもいいのではないでしょうか。
ブログ投稿画像 今回の認知症ケア学会は京都開催でした。 場所は国立京都国際会館でした。 大会自体、久しぶりの集合開催ですね。 (今回は、一部研修はWeb視聴可能) しかし、前日の大雨の影響で、 東京からの新幹線が土曜日の午前中まで完全ストップ。 前日入りを予定していた先生方や演者が来場できず、 また関東方面からの参加者も同じくで、 演者が抜ける、参加者も少ないという、閑散とした大会(特に一日目)でした。 [caption id="attachment_4767" align="alignnone" width="1105"] いつもならこのメインホールは満席になります。長谷川和夫先生を偲ぶプログラムでした。[/caption]   大会委員長の松本一生先生ともお話しできたのですが、 本当に穴埋めのために大変なようでした。 もちろん、由寿会に来ていただくことも、ちゃっかりとお願いしてきました。 しかし松本先生自身のお体が心配ですね。   さて、参加者は半減したものの、来られた人たちは本当に熱心でした。 バリアフリー展もそうですが、こうやって来ている人たちは 自分の休みを使って、さらに高い参加費、交通費を使って 本当に勉強しようという熱い思いを持ってこられてますね。 立ち話しながら、ケアの現場での職員間の理解をどう深めたらよいかと悩んでいる人の話も聞きました。 昔も今も、変わらぬ悩み。 私にとっても長々と続く課題とも言えます。 みんながもっとこのような場所で勉強をしてもらえればいいのですけどね。 私は土曜日の夜は出版社の方と飲み、終電で帰り、3時間寝ただけで 再び朝一の発表を聴くために国際会議場に向かいました。 様々な方とのお話もでき、さすがに日曜日は眠たかったですが、 充実の二日間となりました。 癒しは、京都に来ればここ。 グリル長谷川のAミックスを食べることですね。
ブログ投稿画像 今日はかつてお世話になったあの方の法人葬があってから9年目の日になります。 今や当たり前の制度になっている、ショートステイやデイサービス、認知症デイ、 包括支援センターの基となる在介ステーションなどを立ち上げた人でした。 今となってはその行動力も過去の忘れられたような存在ですが、 今の制度の礎として、その功績は大きいのです。 その頃のことを語れる人がいなくなっていきますね。 この方のおひざ元で20年働かせてもらいました。 職員には厳しく、褒めることをせず、 普段の仕事では決して親しめる人ではなかったのですが、 いつも高齢者に視点を向けていた方でした。 忘れられぬ言葉、 「あなた方は入居者の人生の幕引き者。どのような幕を引くかはあなた方次第だが、 たった一つしかない人生の良き幕引き者になれ。」という言葉。(少しばかし誇張していますが) 今もしっかりと覚えています。 何よりもこの方に拾ってもらったからこそ、今の私がある。 色々あったけど、ただただ感謝の一言です。 「人の出会いに意味のないものなんてない。」 [caption id="attachment_4762" align="alignnone" width="1440"] 富良野の夜明け。9年前の札幌での認知症ケア学会に行ったときのものです。[/caption]   さて、話変わりますが、若宮正子さんという方ご存知ですか? ちょっとチラシがしわくちゃになってしまいましたが、 80歳でアイフォン向けのアプリを作っちゃった人です。 「学びから始まる私の人生」 いい言葉ですね。 世の中一杯学ぶべきことあるのに、 私たちはあまりにも狭い世界だけしか見ていないのかもしれません。 [caption id="attachment_4761" align="alignnone" width="2007"] このチラシは、滋賀県米原市の講演のものです。[/caption]   「とにかく、バッターボックスに立ってみる。 バットを振ったら、当たるかもしれないじゃないですか。 自分の未来にふたをしないこと。 何歳からでも人は変わることができるから。」 87歳の方の言葉です。 若い人で、バッターボックスにも立たず、 自分の未来にふたをしている人が多い? かもしれません。 若宮さんは今年9月、河内医師会の講演会でお話しされるとのことです。
ブログ投稿画像 定例になっています介護家族の方が集まって話し合い、情報共有を行う 家族介護者教室5月が開催されました。 認知症の有無に関わらず、日頃介護で悩んでいる方、 或いはこれから介護をする不安を抱えている方など、7名の方が参加されました。 介護申請に至る経緯では、病院から勧められた方が多く、 地域包括支援センターの存在を知っていた方は少数でした。 ただ、病院への不満、不親切さや親身でない対応は、 今回の家族会だけでなく、他の家族会でも声を聞きました。 また地域包括支援センターの市民への浸透度がまだまだなのは、 この場の人に限ったことではないでしょう。 認知症状が出ている方の場合、介護サービスを受けることへの拒否により、 申請に3年もかかったという方もおられました。 認知症状が出てきた場合、本人の心の中では、認知症への不安を拒否したい気持ちが強く働き、 介護サービスの拒否に繋がることが多々あります。 ご家族にとってしんどい所なのです。 ただケア側もつかづ離れずの関係で、本人にケア側の存在を示しておけば、 本人の不安感が増した時、それとなく助けを求めてくるときがあります。 とは言っても、家族にとっては辛抱の日々となります。 病院から退院してくる家族をケアできるかどうかの不安を抱えている家族もおられました。 介護は、これまで当たり前のようにあった日常の景色と違った、 心身の負担を背負う生活が始まることなのです。 介護者だけが背負うのではなく、その背負う重さを少しでも軽減するため、 ケアの専門家に支えてもらうということが大切です。 そのために高い介護保険料を払っているのですから。 認知症の人の関りでは、火の不始末が出てきた母に、 何もかも危ないからと奪ってしまうのではなく、 野菜を切ってもらうなどの役割を持ってもらったというご家族の方がおられました。 何らかの役割を担ってもらう(それを失敗したとしても)、 その人の存在感を失わないようにするということも大切なことですね。 今回、色々と苦労されているご家族の話を聞けて良かったと、 異口同音の家族の感想をいただきました。 来月は「ほっこりなつどい」認知症の人を支える家族の会(6月17日)です。
ブログ投稿画像 当たり前のように毎年行われていたお祭り それが、「行わないこと」が当たり前になってしまったこの3年 コロナはなくなったわけではないですが、 コロナ禍前の日常が戻ってきたような感じです。 東大阪市ふれあい祭り 社会福祉法人由寿会は、以前のお祭りと同様、 パレード、ステージ、そして模擬店に参加しました。 私は模擬店ブースにいたのですが、 悪天候にもかかわらず、待ってました!のごとく、 多くの市民の方が訪れてくれました。 写真にあるように、曇り時々強めの雨 傘をさしているときもあれば、ささないときもある そんな天候にもかかわらず、人出はそこそこだったのではないでしょうか。 模擬店ブースには、アーバンチャイルドこども園の園児、親、卒園児などが 多く訪れ、職員と交流を深めていました。 若い人たちは、天候は気にしないようです。 さすがに高齢の方は出にくかったのか、総体的にも少なかったようです。 それでも私たちのブースを訪ねてきてくれた方も何人かおられ、 嬉しい限りです。 認知症の人にとってお祭りは、大きく分ければ二通りあると思います。 賑やかなその周囲の状況にいい刺激を受けて心が楽しくなる方 或いはその賑やかさが、不安を増長させてしまう方 どちらになるかは正直わからないです。 いつも不安を抱えている方なので、お祭りは無理と言うのは私たちの判断。 実際行ってみたら、心楽しくなるということもあるかもしれません。 ただ注意しなければならないのは、人が多いのではぐれて迷ってしまうことですね。 オレンジメンバーのボランティアとともに行動するというのも一案かもしれません。
ブログ投稿画像 認知症による神経細胞のダメージは、日常生活の多大な支障をもたらします。 ある日突然、目の前にあるものが、 食べ物と認識できても、食べ方がわからなくなるのです。 その食べ方がわからなくなる恐怖は、想像を絶するものがあります。 このように、日常生活で普通にできていたことが、 まるで突然もぎ取られるようにできなくなっていくのです。 認知症の人はそのような恐怖と不安と闘いながら、 それでも生きていかなければならないため、 残された能力(神経細胞)をフルに使っているのです。 そのため脳疲労を起こしやすくなります。 私たちも脳が疲れると、怒りっぽくなったり、何もしたくなくなったりするように、 認知症の人はさらにそのような状況にさらされます。 或いは、寝起きの時など、私たちもボーっとする時があるように、 情報不足判断不足の認知症の人は、 不安が増長し、混乱した行動に繋がることがあります。 このように、必死に脳を働かせている状況なので、 さらにその上に、「これやって、あれやって」と言われたりすると 混乱に拍車をかけるでしょうし、 或いは逆に放置されることも不安な世界に埋没してしまうことになるでしょう。 前回にも書きましたが、認知症の人は自分から脳をリラックスさせるために動くことが出来ません。 正確には、食べる(異食を含む)、集める(様々なものを取り込む)、 歩く(私たちが徘徊と捉えているもの)、叫ぶ、怒鳴る(私たちが不穏行動と捉えているもの)などの行動は、 本人たちにとってストレス軽減のためのコーピング行動とも言えます。 つまり私たちからはBPSD(行動心理症状・以前は問題行動と呼んでいた)に見える行動で、 なんとか自分の中のストレスを軽減させようとしているのです。 私たちに置き換えて考えてみてください。 私たちは脳疲労を起こした時、それぞれの人なりにそのストレスを軽減させるための対応を行います。 好きな歌手の歌を唄ったり、趣味に没頭したり、美味しいものを食べたり、 買い物したり、旅行に行ったり、ゲームをしたり…  人それぞれに解消法を用意しています。 (それをもできなくなる人は、専門家の関りが必要になりますが) 逆に疲れているときに、あれやこれや言われたりすると、 私たちだって、イライラしたり、怒りやすくなったりします。 (何故か私たちのその行動にはBPSDとは言わない。 それなのに認知症の人の行動にはBPSDだ!と言って特別視するのは、 認知症の人への敬意のなさともいえるかも) [caption id="attachment_3636" align="alignnone" width="365"] フリーソフトいやすとやさんより[/caption]   しかし、認知症の人は、自らストレス軽減のための行動をとることが出来ません。 本人ができるストレス軽減は、私たちから見たBPSD行動なのです。 ですから、周囲にいる者が、認知症の人の脳疲労を軽減させる方策を考えなければならないのです。 今回のテーマである音楽はその一つであり、脳はリラックスすることによって、 まだ活き活きと活動している残された脳の部分の活性化へとも繋がっていきます。 (つづく)