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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2023.03.11

心の荷物預かり所
温度差 今日は3月11日 大阪では、普段と変わらぬ3月11日です。 恐らく、東北・関東と、関西では温度差があるのでしょう。 1月17日は、その逆でした。 いや、兵庫の隣りの大阪でさえもそうだったかな。 惨状の神戸から大阪に戻った途端、普通の生活の状況 その温度差に涙が止まりませんでした。 しかし確実に南海トラフ地震はやってきます。 それでも関西圏では比較的安全な、奈良、滋賀と、 直面する和歌山、大阪では意識が違うかもしれません。 いや、大阪人もまだ意識にはない、 或いは「起きない」と信じたいと、逃げているのかもしれません。 多大な被害を受けた東灘区にて   温度差は様々なところで起こっています。 関心があるかないかでも随分違います。 職域の違いでもあるでしょう。 冬の寒さで冷たくなった手で、室内の温かいところにいた人の手を握ったら、 その冷たさ(温度差)に、冷えてない手の人は「つめたいやんか!」と 驚いて、時に怒ったりもします。 その温度差は、なかなかすぐには相いれないものなのかもしれません。 しかし介護職は、もし自分の手が冷たければ、 さすったり、息を掛けたりして、 自分の手を温めてから利用者の手を持ちます。(そのはず) 逆に利用者の手が冷たければ、温かい自分の手でさすってあげて 利用者の手を温めようとします。 つまり温度差はその差を埋めるために存在するとも言えます。 温度差をなくす。 それは、相手への気遣いとも言えます。 認知症の人への関りでも同じでしょう。 私たちの仕事は温度差をなくすことでもあるのです。 大震災の犠牲になられた方に、合掌。  
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2023.03.08

心の荷物預かり所
オレンジメンバーの勉強会に行ってきました オレンジメンバーの勉強会、今回は河内永和の東大阪市の会館でありました。 普段から車を多用しているのですが、今回は職場から電車で向かいました。 登山に、キャンプに、写真撮影、そして通勤にと、何かと車を使うことが多い毎日。 これではだめだと、コロナも下火になったので、週1回はおよそ2時間かけて 電車通勤しようと思いました。 歩くし、エスカレーターを使わない階段の上り下りは登山のいいトレーニングにもなります。 そして様々な人を見るのもいい刺激になります。 同じパターンでないことをたまにやってみると、違う視野や考えが広がりますね。 常に主観の中にいる自分に、客観的視点を持たすという意味もあります。 さて、違う視野ということで、今回のオレンジメンバーの勉強会は、 認知症の人からは、私たちはどう見えているのか?という内容でした。 10名のメイトさんでしたが、それぞれに熱く語っておられる姿がいい感じでした。 最近は脳科学など、根拠をもとに原因理由、背景を探っていくことを よくお話しするのですが、(それはあまりにもケアの現場の考えが曖昧だから) 実は、「なんかいい感じ」(クオリア)という感覚的なものも とても大切なのだと思います。 お店に入った時の「なんか、ええ感じのお店やな~」という、 ええ感じ(大阪弁の方がええ感じ)という感覚的なもの。 もっとも、ええ感じになるためには、 根拠をもとにした、しっかりとした理念(理念というと、理路整然としたという感じですが、実は情熱という感覚が支えている)と、 体制作りがあってこそのものなのですよね。 話をオレンジメンバー勉強会に戻すと、 私の話そのものより、メンバーさんによる語らいから湧き出る「なんかええ感じ」が、 実は認知症ケアのとても大切な部分に繋がっていくということなのです。 10名の参加者、少な!と思うなかれ。このええ感じは、100名分に相当するのですから。 私も教える立場でありながら、皆さんからエネルギーをもらいました。 出会いがあるのは嬉しいものです。感謝。
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2023.03.01

心の荷物預かり所
オーケストラからケアの現場を考える・シンフォニーホールへ再び 日曜日に訪れたシンフォニーホール 火曜日に再び訪れました。 日曜日は超満員でしたが、火曜日は新進演奏家育成プロジェクトということもあり、 ちょっと寂しい入りだったかな。 朝日放送(ABC)が建てた(今は別会社が運営)ザ・シンフォニーホールも40年ですか。 その間、何回訪れたことでしょうか。 前述したクラシック好きの認知症のAさんとの出会いがなければ、 このホールに生演奏を聴きに来ることもなかったかもしれません。 今回は難解な音楽ばかりで、初めての人にはとっつきにくかったかもしれませんね。 オーケストラは、一人一人が切磋琢磨する上で(一人一人の技術を磨き、他のメンバーはライバルにもなる)、 チームワークを作り上げていきます。 いがみ合っていてはいい音楽は作れません。 オーケストラにもやはり序列がありますが、 それでも観衆により良い音楽を提供するために、チームとしてまとまっていきます。 その姿は、チームで動くケアの現場と重なるものがあります。 そういう意味で今回私は、オーケストラの動きとチームワークも見ていました。 さらに今回は若手の育成プログラムですから、 そのソリストたちの下支えとしてのオーケストラになります。 当たり前ですが、ひとりひとりのポジション(担当楽器)に真剣に取り組んでいる姿が見て取れました。 それはケアの現場も同じですね。 人間ですから文句は出てくるでしょうが、文句を言ってる時間を技術を磨くことに団員は傾けているのです。 オーケストラで大切なのはコンサートマスター(コンマス)の存在です。 一見指揮者のようにも思えますが、このコンマスこそが、オーケストラをまとめる重要な役割を担っています。 ケアの現場も、施設長(指揮者)もさることながら、 コンマスの立場にいる人が重要なカギを握ると言えます。 新進演奏家の皆様の頑張りは良かったですね。 今回英田地区認知症ケアネットワーク委員会の委員の先生のご子息が登壇され、 素晴らしい演奏を聴かせてくれました。 ラフマニノフの難曲を暗譜で弾かれたダイナミックな演奏、これから期待できますね。 このような機会を与えていただいた委員の先生に感謝です。 ありがとうございました。
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2023.02.28

心の荷物預かり所
83歳のタクト 「チャイコフスキー交響曲第6番悲愴」 まだ私が某施設で生活相談員の職についていた時のことです。 車いすに乗った認知症状のあるAさんは、常にケア職員に罵倒を浴びせ、 時に職員に車いすごとぶつかっていく、当時としてはケア職員から見て難儀な入居者でした。 私もどう関わったらいいかわからなかったのですが、 そのAさんの枕元に、クラシック音楽が入ったテープを多く見つけました。 当時、少しはクラシックに興味があった私は、Aさんにクラシック音楽のことで話し掛けました。 「好きな曲は何ですか?」と聞くと、「チャイコ、6番」と答えます。 チャイコフスキー作曲の「交響曲第6番悲愴」のことでした。 そこで、6番のCDを買ってきて、Aさんに聴いてもらいました。 落ち着きなく動き回るAさんが、約45分の演奏の間、ずっと落ち着いて聴いていたのです。 色々話をすると、青春時代につきあっていた男性がこの曲が好きで、 それ以来この曲だけでなく、クラシック音楽も好きになったとか。 以降、録画した演奏会を見てもらったりもしました。 オーケストラの配置(第1ヴァイオリン、第2バイオリン、ビオラの位置とか…)についても教えてもらったりしました。 以降、私にとってもチャイコフスキー第6番悲愴は忘れえぬ曲となったのです。 その悲愴を先日の日曜日、シンフォニーホールに聴きに行きました。 指揮者は今年83歳になる小林研一郎。 かつて何度もこの指揮者の曲を聴きに行ったことがありますが、日本でも有数の指揮者です。 そのコバケンもかなりのご高齢ながら、熱い指揮姿を見せてくれました。 タクトを振るうというより、「思い」を全身でオーケストラに伝えていく (実際、あまりタクトを振らなかった)そんな感じでした。 「悲愴」の第1楽章は戦争や災害、コロナなどで苦しむ人々の苦悩が、 第4楽章は老いと死を見つめるような心にぐっと入る魂の演奏でした。 因みにもう一つのプログラムはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。 この演目、今日も聴きに行くんですよね~(苦笑)
ブログ投稿画像 今日は3月11日 大阪では、普段と変わらぬ3月11日です。 恐らく、東北・関東と、関西では温度差があるのでしょう。 1月17日は、その逆でした。 いや、兵庫の隣りの大阪でさえもそうだったかな。 惨状の神戸から大阪に戻った途端、普通の生活の状況 その温度差に涙が止まりませんでした。 しかし確実に南海トラフ地震はやってきます。 それでも関西圏では比較的安全な、奈良、滋賀と、 直面する和歌山、大阪では意識が違うかもしれません。 いや、大阪人もまだ意識にはない、 或いは「起きない」と信じたいと、逃げているのかもしれません。 [caption id="attachment_4363" align="alignnone" width="1909"] 多大な被害を受けた東灘区にて[/caption]   温度差は様々なところで起こっています。 関心があるかないかでも随分違います。 職域の違いでもあるでしょう。 冬の寒さで冷たくなった手で、室内の温かいところにいた人の手を握ったら、 その冷たさ(温度差)に、冷えてない手の人は「つめたいやんか!」と 驚いて、時に怒ったりもします。 その温度差は、なかなかすぐには相いれないものなのかもしれません。 しかし介護職は、もし自分の手が冷たければ、 さすったり、息を掛けたりして、 自分の手を温めてから利用者の手を持ちます。(そのはず) 逆に利用者の手が冷たければ、温かい自分の手でさすってあげて 利用者の手を温めようとします。 つまり温度差はその差を埋めるために存在するとも言えます。 温度差をなくす。 それは、相手への気遣いとも言えます。 認知症の人への関りでも同じでしょう。 私たちの仕事は温度差をなくすことでもあるのです。 大震災の犠牲になられた方に、合掌。  
ブログ投稿画像 オレンジメンバーの勉強会、今回は河内永和の東大阪市の会館でありました。 普段から車を多用しているのですが、今回は職場から電車で向かいました。 登山に、キャンプに、写真撮影、そして通勤にと、何かと車を使うことが多い毎日。 これではだめだと、コロナも下火になったので、週1回はおよそ2時間かけて 電車通勤しようと思いました。 歩くし、エスカレーターを使わない階段の上り下りは登山のいいトレーニングにもなります。 そして様々な人を見るのもいい刺激になります。 同じパターンでないことをたまにやってみると、違う視野や考えが広がりますね。 常に主観の中にいる自分に、客観的視点を持たすという意味もあります。 さて、違う視野ということで、今回のオレンジメンバーの勉強会は、 認知症の人からは、私たちはどう見えているのか?という内容でした。 10名のメイトさんでしたが、それぞれに熱く語っておられる姿がいい感じでした。 最近は脳科学など、根拠をもとに原因理由、背景を探っていくことを よくお話しするのですが、(それはあまりにもケアの現場の考えが曖昧だから) 実は、「なんかいい感じ」(クオリア)という感覚的なものも とても大切なのだと思います。 お店に入った時の「なんか、ええ感じのお店やな~」という、 ええ感じ(大阪弁の方がええ感じ)という感覚的なもの。 もっとも、ええ感じになるためには、 根拠をもとにした、しっかりとした理念(理念というと、理路整然としたという感じですが、実は情熱という感覚が支えている)と、 体制作りがあってこそのものなのですよね。 話をオレンジメンバー勉強会に戻すと、 私の話そのものより、メンバーさんによる語らいから湧き出る「なんかええ感じ」が、 実は認知症ケアのとても大切な部分に繋がっていくということなのです。 10名の参加者、少な!と思うなかれ。このええ感じは、100名分に相当するのですから。 私も教える立場でありながら、皆さんからエネルギーをもらいました。 出会いがあるのは嬉しいものです。感謝。
ブログ投稿画像 日曜日に訪れたシンフォニーホール 火曜日に再び訪れました。 日曜日は超満員でしたが、火曜日は新進演奏家育成プロジェクトということもあり、 ちょっと寂しい入りだったかな。 朝日放送(ABC)が建てた(今は別会社が運営)ザ・シンフォニーホールも40年ですか。 その間、何回訪れたことでしょうか。 前述したクラシック好きの認知症のAさんとの出会いがなければ、 このホールに生演奏を聴きに来ることもなかったかもしれません。 今回は難解な音楽ばかりで、初めての人にはとっつきにくかったかもしれませんね。 オーケストラは、一人一人が切磋琢磨する上で(一人一人の技術を磨き、他のメンバーはライバルにもなる)、 チームワークを作り上げていきます。 いがみ合っていてはいい音楽は作れません。 オーケストラにもやはり序列がありますが、 それでも観衆により良い音楽を提供するために、チームとしてまとまっていきます。 その姿は、チームで動くケアの現場と重なるものがあります。 そういう意味で今回私は、オーケストラの動きとチームワークも見ていました。 さらに今回は若手の育成プログラムですから、 そのソリストたちの下支えとしてのオーケストラになります。 当たり前ですが、ひとりひとりのポジション(担当楽器)に真剣に取り組んでいる姿が見て取れました。 それはケアの現場も同じですね。 人間ですから文句は出てくるでしょうが、文句を言ってる時間を技術を磨くことに団員は傾けているのです。 オーケストラで大切なのはコンサートマスター(コンマス)の存在です。 一見指揮者のようにも思えますが、このコンマスこそが、オーケストラをまとめる重要な役割を担っています。 ケアの現場も、施設長(指揮者)もさることながら、 コンマスの立場にいる人が重要なカギを握ると言えます。 新進演奏家の皆様の頑張りは良かったですね。 今回英田地区認知症ケアネットワーク委員会の委員の先生のご子息が登壇され、 素晴らしい演奏を聴かせてくれました。 ラフマニノフの難曲を暗譜で弾かれたダイナミックな演奏、これから期待できますね。 このような機会を与えていただいた委員の先生に感謝です。 ありがとうございました。
ブログ投稿画像 まだ私が某施設で生活相談員の職についていた時のことです。 車いすに乗った認知症状のあるAさんは、常にケア職員に罵倒を浴びせ、 時に職員に車いすごとぶつかっていく、当時としてはケア職員から見て難儀な入居者でした。 私もどう関わったらいいかわからなかったのですが、 そのAさんの枕元に、クラシック音楽が入ったテープを多く見つけました。 当時、少しはクラシックに興味があった私は、Aさんにクラシック音楽のことで話し掛けました。 「好きな曲は何ですか?」と聞くと、「チャイコ、6番」と答えます。 チャイコフスキー作曲の「交響曲第6番悲愴」のことでした。 そこで、6番のCDを買ってきて、Aさんに聴いてもらいました。 落ち着きなく動き回るAさんが、約45分の演奏の間、ずっと落ち着いて聴いていたのです。 色々話をすると、青春時代につきあっていた男性がこの曲が好きで、 それ以来この曲だけでなく、クラシック音楽も好きになったとか。 以降、録画した演奏会を見てもらったりもしました。 オーケストラの配置(第1ヴァイオリン、第2バイオリン、ビオラの位置とか…)についても教えてもらったりしました。 以降、私にとってもチャイコフスキー第6番悲愴は忘れえぬ曲となったのです。 その悲愴を先日の日曜日、シンフォニーホールに聴きに行きました。 指揮者は今年83歳になる小林研一郎。 かつて何度もこの指揮者の曲を聴きに行ったことがありますが、日本でも有数の指揮者です。 そのコバケンもかなりのご高齢ながら、熱い指揮姿を見せてくれました。 タクトを振るうというより、「思い」を全身でオーケストラに伝えていく (実際、あまりタクトを振らなかった)そんな感じでした。 「悲愴」の第1楽章は戦争や災害、コロナなどで苦しむ人々の苦悩が、 第4楽章は老いと死を見つめるような心にぐっと入る魂の演奏でした。 因みにもう一つのプログラムはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。 この演目、今日も聴きに行くんですよね~(苦笑)