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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2023.11.06

心の荷物預かり所
選手ウォッチングが楽しかった日本シリーズ 日本シリーズ、「阪神タイガース優勝おめでとうございます!」 前回の日本一が32年前ですから、知らない人も多いのではないでしょうか。 私は前回の優勝、見てましたよ。掛布、岡田、バース! 素晴らしかったですね。 それにしても32年って、凄い年月です。 さて、元阪急ブレーブスのファンだった私は、阪神タイガースのファンでもありました。 その昔、阪急対阪神の西宮市内日本シリーズを期待していたのですが、 当時は阪神が弱すぎて願いかなわずでした。 その阪急の流れをくむオリックスとの対戦は、両方とも好きなチームだけに どっちも応援、なのですが、選手一人一人のウォッチングが楽しかったです。 その中で一番強く印象に残ったのは、宇田川投手の涙でした。 ドラフトにもかからない育成選手から拾い上げられ、 でも彼はやさしすぎるというか、心が弱いのですね。 だからいい球を持っていても芽が出ない。 そこを人材育成頑張ってWBCにも出れるくらいの選手になったのですね。 それだけに打たれて、純粋すぎる心が崩れてしまったのでしょう。 彼を慰める選手たちの姿が印象的でした。 オリックスはこのように育成上がりの選手が多いのです。 選手を育てるのが上手なのでしょう。 一方、阪神はドラフト1位の選手がそのまま活躍しています。 ドラフト1位でも芽が出ない選手が多い中、 その才能をしっかりと引き出している球団とも言えます。 そういう意味で、選手一人一人のドラマが実に面白かったし、 人材育成としても見て楽しい二チームでした。 因みに初戦の山本投手と村上投手。 日本一の投手としての気負いが見て取れ、余裕がなかった山本由伸。 一方、無心に楽しく投げた村上投手の差が出ましたね。 逆に第6戦は、村上選手に無心に楽しむ思いが消え、 気負いが本来の投球を邪魔した感じです。 一方山本投手は、本来の実力を後半ほどしっかり出せたと言えるでしょう。 日本で見れるこれが最後の姿!を熱く見せてくれました。 隠れた才能を伸ばす、才能をさらに引っ張り出す、 本来の実力を出せるか出せないか、精神的なものが微妙に影響することなど試合を楽しむというより、 ひとり一人の選手を見ていく。 人材育成においても、人間観察力を磨くうえでも楽しい日本シリーズでした。 そして浪花節的かもしれませんが、これまで功労のあった湯浅、青柳、 そして中継ぎの功労者桐敷を出すところなど、 私の歳に近い岡田監督の采配の粋なところを感じました。 阪神タイガース優勝おめでとうございます! オリックスも素晴らしかった!
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2023.10.23

心の荷物預かり所
雨が降った後に出逢えるかもしれないすてきなもの 9月のことになりますが、北アルプス薬師岳に登ってきました。 その稜線上にある山小屋「太郎平小屋」までは、 登山口から5時間登って着くことができます。 テレビで小屋のオーナーの五十嶋さんがご健在ということを知って、 老体に鞭をうって登ってきました。 遠く稜線上に太郎平小屋の屋根が見えてきます   今から35年前、当時私はガンガン山に登っていた時でしたが、 私の後輩が、山をなめた登山をして遭難、 太郎平小屋にえらい迷惑をかけたと聞き、それは謝りに行かなければならないと、 彼を連れて訪れた小屋だったのです。 その時に五十嶋オーナーと撮った写真を持参して登ったのです。 35年前の五十嶋オーナーと私。五十嶋さん、ちょっと恐そうな?山男です。   五十嶋オーナーは今年84歳。 今もなお、5時間の山道を登り、小屋に常駐し、 若いスタッフたちに采配を振るっておられました。 その五十嶋氏と35年ぶりの対面でした。 「どや、男前やろ」と若いスタッフにその写真を見せて喜ぶ五十嶋氏。 めっちゃ喜んでくれました。 そしてあらためて、35年ぶりにまたツーショットで写真を撮らせていただきました。 とても温厚な表情ですが、登山者の安全を守るため、厳しい側面も持っておられます。 35年経って五十嶋オーナーやさしい表情に。   最近は、私と同世代や年下の人の認知症の人の相談が増えてきました。 認知症は、高齢者だけでなく、もっと若い人にも襲ってきます。 認知症にはなりたくないと思っていても、いつしか忍び寄ってくる認知症。 ご本人や介護家族の思いを聴く中で 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」 だとしみじみと思います。 五十嶋オーナーは84歳でも、なお元気に厳しい環境下の山小屋で頑張っておられます。 最近は100歳の女性の方のスカイダイビングをする姿も見ました。 写真家?西本さんも91歳でもなおパソコンを駆使してユニークな写真を撮っています。 今年新装なった山頂の祠。きんぴかに光る薬師如来像が置かれています。   片や、谷村新司さん、もんたよしのりさんなど、親しんだ歌手が70代前半の「若さ」で、 そして私自身も後輩の死に接することが多くなりました。 人生はいつどうなるのかわかりません。 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」ですね。 まだまだこれから、学びたいことも一杯あります。 遠く、富山湾が見えます。   五十嶋オーナーの、「でっかい虹が出てるよ」との声に外へ出てみました。 その太郎平小屋から見た虹 架け橋ではなかったけど、でっかく太い虹でした。 心に雨が降ったとしても、 いや、雨が降ったからこそ 出逢えるかもしれない虹 心に雨が降っても、 そのあとには心潤う出逢いがあるかもしれませんね。 ヘレン・ケラーの言葉です
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2023.09.27

心の荷物預かり所
その方の世界に付きあっていくこと 認知症の人と関わる中で、 時々「え?なんのこと?」というような話が出てくるときがあります。 それはかつてのその方が体験した記憶の一部のことが多いでしょう。 その記憶は例えれば、パズルのパーツの一つとも言えます。 認知症がない時は整っていたパズルの絵も、 認知機能の低下に伴い、その記憶というパーツが一つ抜け、二つ抜けしていきます。 やがてその記憶のパーツはバラバラになり、 まともな絵ではなくなってしまうのです。 これだけ見たらなんだかわからない形 これは長野県なのです。   しかし、その記憶のパーツは、全く失われるわけではなく、 何かの拍子で、何かの記憶パーツがふと言葉として出てきます。 それがいつどこでどのようなものなのか、 私たちには見当もつかないのですが、 その方にとっては、人生の大切な記憶のかけらと言えるのです。 しかし、私たちがその記憶のかけらのことを理解せず、 私たちの世界で判断して誘導したりしようとすると、 その方の世界に寄り添わず、トラブルになってしまいます。 ふと出てきたその方の記憶のかけら そしてその世界 その方にとっては、大切な人生の記憶の一部なのです。 その世界に私たちは付きあってあげること。 つまり、その方の世界の話で、会話を弾ませること。 もう少し詳しく言えば、私たちもその世界の話を楽しむということです。 もしかしたら、本人の記憶も、事実の記憶ではなく、 妄想や夢想から作られた記憶かもしれません。 私たちも、多かれ少なかれ、妄想や夢想があるように。 出てくる話が事実かどうかは別にして、 その方の世界に付きあい、共感すること。 それはその方の人生を大切にするということなのです。 そして私たち専門職の「傾聴」や「共感」の姿勢の トレーニングにもつながることなのです。 認知症の人は、認知症のためにわからないことが多い人ではなく、 私たち専門職にとって、その専門性をアップしてくれる すてきなトレーナーなのです。
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2023.09.15

心の荷物預かり所
マスター(師匠)に出会える日々 最近、80歳代のマスター(師匠)に会ったり話したりすることが度々あります。 先日は、2,300メートルの場所にある山小屋の84歳のオーナーに会ってきました。 若い従業員たちからはマスターと呼ばれている山小屋のオヤジさんとは、 35年前にちょっとしたことでお世話になった方でもあります。 つまり35年ぶりの再会。 84才でありながら、5時間の北アルプスの険しい山道を登って、 今も山小屋を守っているのです。   この山小屋のマスターのことは、後日詳しくお話しするとして、 実は、町の師匠と呼ばれる方が、結構身近にはおられるのですね。 認知症があってもなくても、様々な道を極めてきた人たちから、 学ぶことはまだまだ多いのです。 ケア実践者は、町のマスターたちから学ぶという姿勢をもっと持たなければならないでしょう。 単なる利用者と思うと、学びはなくなります。 今年新装なった2,926mの山頂の祠。きんぴかに光る薬師如来像が置かれています。ふもとから険しい山道を8時間登って着きます。   マスター(師匠)に言えることは、歳を取ればとるほど謙虚にかつ大きく捉えること。 「実るほど、こうべを垂れる稲穂かな」ですね。
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2023.08.21

心の荷物預かり所
認知症の人の「感情伝染」とは(4)~しつらえについて~ 少し本流(人と人の感情の動き)からずれますが、 認知症であってもなくても、周辺の環境が大きな影響を与えます。 最大の環境要因は人であることは、以前のブログにも書きましたが、 「生活環境」という観点からいえば、「しつらえ」も、感情に多大に影響するということになります。   殺風景な部屋にいるのか、そうでない部屋にいるのか、 それだけで感情に与える影響が変わってきます。 つまり、生活環境が良いか悪いかも感情伝染するということです。 生活環境が悪ければ、そこで住まわれる人の感情も砂漠化するのです。   例えば、デイサービスに来られる方も、 センターに入った時にほっと安心できる空間か、或いは、そうでないかは、 ポイントを付けるとすると、大きな得失点に繋がります。 もちろん、人の関わり方(挨拶や言葉遣いやケアの仕方)が一番大きいのですが、 入った時の印象も大きな得失点に繋がります。   皆さんも、病院でも、スーパーでも、様々なお店でも、 入った時の第一印象は心に刻印付けられますよね? 誰だって、落ち着くところにいたいと思いますよね? そんな当たり前のことを、意外と施設では行われていないかもしれません。   環境(雰囲気)は、その事業所の評価に大きく影響するということです。 「なんか知らんけど、ええ感じの雰囲気やな~」と、感じる、 質感(クオリア)を感じるかどうか、 つまり「しつらえ」(心地よい生活環境を整えること)は、 事業所の評価を高めるためにも、利用者の感情にも大いに影響を与えるものなのです。
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2023.08.04

心の荷物預かり所
若年性認知症介護家族の方の講演 東大阪社協で、キャラバンメイト養成講座が開かれ 若年性認知症の介護家族の方のお話がありました。 淡々と認知症の初期から現在に至るまでを話されていましたが、 男性介護者ゆえの戸惑いも多くあったようです。 特に、ご本人の認知症状が進む中、 かなりの焦燥感に襲われ、人間不信にもなられたとのこと。 しかし、地域包括支援センターや、ケアマネジャー、デイサービス担当者の専門職の皆さんに助けられたこと。 そしてそれらの専門職の皆さんが、みんな温かい笑顔で迎えてくれたこと それが何よりでしたと語っておられました。 また、地域住民の方が、認知症の人を避けるのではなく、 認知症の妻に対しても、気さくに挨拶をしてくれるだけでも 十分に気持ちが助けられるとも話されていました。 ただ診断をしてくれた病院が、「地域包括支援センター」という相談に行ける場所を紹介してくれなかったので、 自分で色々と探すことになり、その分回り道をしてしまったとのこと。 まだまだ地域包括支援センターの存在が知れ渡っていないということでもあるのです。 今回お話をしていただいた介護者は、12月9日に開催される 一般市民向け講演会においてもお話ししていただける予定です。 この講演会についての詳細は決まり次第お知らせします。
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2023.08.03

心の荷物預かり所
「心理的安全性」について 「心理的安全性」という言葉をご存知でしょうか? これはビジネス界で使われている言葉で、 主に職場環境改善の本として、リーダーや管理者向けに書かれていると言えます。 特に職場での部下への声のかけ方などが中心です。 私がよくお話しする「セキュアベース」とは少し意味合いが違いますが、 職員たちが心理的安全性を感じる中で仕事を行えるようにというものでしょうか。 本が何冊か出ているので、ビジネス界では重要なものとなっていると言えるでしょう。 リーダー的立場の人は一読しておく必要があるでしょう。 積乱雲がその威容を見せる季節です   ケアの現場では、職員の心理的安全性は、即、利用者の心理的安全性に繋がります。 利用者が生活する上での最大の環境要因は、ケア職員にあるからです。 認知症の人なら、なおさらケア職員の存在は大きくなります。 しかし、職員の心理的安全性は必要ですが、 何よりも利用者の心理的安全性を目指し、 確保しなければならないのがこのケアの仕事です。 映し出されている文字を読んでください。   考え方を整理すると、 「私たち(職員)の環境が悪いから、利用者の環境をよくできるはずがない」ではなく、 「利用者の生活環境をよくするためには、何が必要か?」というように、 イシュー(論点)を間違えないようにしなければなりません。 利用者のために何が必要か?と考えた中で、 そのひとつとして、職員の心理的安全性が必要というのが出てくることなのです。 「私たちがしんどいんやから、利用者の生活環境改善なんかできない。」という考えは、 お箸を逆さまに持って使うのと同じなのです。
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2023.07.27

心の荷物預かり所
月に咲く花 いぶし銀 「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」 私は彼のことを「いぶし銀のケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。 彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、 その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、 いつも自分は何をやってんだかと思ったものです。 決して目立つことはなく、地味だけど黙々と利用者に関わる姿は とかく自分は評価されたいと動く人たちが多い中で ある意味、異彩を放つ存在だったと言えます。 彼が突然亡くなってから1年 将来を託せる人の早逝は、痛手です。 彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。 決して華やかではないけれど、しっかりと咲いている路傍の花 自分は評価されたいと動き回るネオンのような光よりもはるかに美しいのです。 いつどこでどうなるかわからない人生。 一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。 どんなに暑くてもどんなに寒くても 宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が 今でも目に浮かびます。   「雨ニモマケズ」(石川改編) 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けず 新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも 丈夫なからだと心をもち 決して怒らず いつも冷静に対処し、利用者には笑っている 一日に、相談・訪問・デイ・ショート 守るべき人たちのことを よく見聞きし分かり そして忘れず 地域の住民や高齢者にとって 灯台のような建物から 東に病気の高齢者あれば 行って適切なマネジメントをし 西に疲れた介護者あれば 行ってそのつらさを受け止め 南に死にそうな人があれば 行って看取りを支え 北に認知症の人が不安の中にいれば あたたかなまなざしと言葉をかけ 日照りの時は汗を流して自転車をこぎ 寒い冬も北風に負けずに歩き マスコミにはその地味な努力を 褒められもせず 苦にもされず それでもひたすら頑張っている そういういぶし銀のようなあなたを 私は 誇りに思いたい。  
ブログ投稿画像 日本シリーズ、「阪神タイガース優勝おめでとうございます!」 前回の日本一が32年前ですから、知らない人も多いのではないでしょうか。 私は前回の優勝、見てましたよ。掛布、岡田、バース! 素晴らしかったですね。 それにしても32年って、凄い年月です。 さて、元阪急ブレーブスのファンだった私は、阪神タイガースのファンでもありました。 その昔、阪急対阪神の西宮市内日本シリーズを期待していたのですが、 当時は阪神が弱すぎて願いかなわずでした。 その阪急の流れをくむオリックスとの対戦は、両方とも好きなチームだけに どっちも応援、なのですが、選手一人一人のウォッチングが楽しかったです。 その中で一番強く印象に残ったのは、宇田川投手の涙でした。 ドラフトにもかからない育成選手から拾い上げられ、 でも彼はやさしすぎるというか、心が弱いのですね。 だからいい球を持っていても芽が出ない。 そこを人材育成頑張ってWBCにも出れるくらいの選手になったのですね。 それだけに打たれて、純粋すぎる心が崩れてしまったのでしょう。 彼を慰める選手たちの姿が印象的でした。 オリックスはこのように育成上がりの選手が多いのです。 選手を育てるのが上手なのでしょう。 一方、阪神はドラフト1位の選手がそのまま活躍しています。 ドラフト1位でも芽が出ない選手が多い中、 その才能をしっかりと引き出している球団とも言えます。 そういう意味で、選手一人一人のドラマが実に面白かったし、 人材育成としても見て楽しい二チームでした。 因みに初戦の山本投手と村上投手。 日本一の投手としての気負いが見て取れ、余裕がなかった山本由伸。 一方、無心に楽しく投げた村上投手の差が出ましたね。 逆に第6戦は、村上選手に無心に楽しむ思いが消え、 気負いが本来の投球を邪魔した感じです。 一方山本投手は、本来の実力を後半ほどしっかり出せたと言えるでしょう。 日本で見れるこれが最後の姿!を熱く見せてくれました。 隠れた才能を伸ばす、才能をさらに引っ張り出す、 本来の実力を出せるか出せないか、精神的なものが微妙に影響することなど試合を楽しむというより、 ひとり一人の選手を見ていく。 人材育成においても、人間観察力を磨くうえでも楽しい日本シリーズでした。 そして浪花節的かもしれませんが、これまで功労のあった湯浅、青柳、 そして中継ぎの功労者桐敷を出すところなど、 私の歳に近い岡田監督の采配の粋なところを感じました。 阪神タイガース優勝おめでとうございます! オリックスも素晴らしかった!
ブログ投稿画像 9月のことになりますが、北アルプス薬師岳に登ってきました。 その稜線上にある山小屋「太郎平小屋」までは、 登山口から5時間登って着くことができます。 テレビで小屋のオーナーの五十嶋さんがご健在ということを知って、 老体に鞭をうって登ってきました。 [caption id="attachment_5123" align="alignnone" width="2048"] 遠く稜線上に太郎平小屋の屋根が見えてきます[/caption]   今から35年前、当時私はガンガン山に登っていた時でしたが、 私の後輩が、山をなめた登山をして遭難、 太郎平小屋にえらい迷惑をかけたと聞き、それは謝りに行かなければならないと、 彼を連れて訪れた小屋だったのです。 その時に五十嶋オーナーと撮った写真を持参して登ったのです。 [caption id="attachment_5130" align="alignnone" width="2048"] 35年前の五十嶋オーナーと私。五十嶋さん、ちょっと恐そうな?山男です。[/caption]   五十嶋オーナーは今年84歳。 今もなお、5時間の山道を登り、小屋に常駐し、 若いスタッフたちに采配を振るっておられました。 その五十嶋氏と35年ぶりの対面でした。 「どや、男前やろ」と若いスタッフにその写真を見せて喜ぶ五十嶋氏。 めっちゃ喜んでくれました。 そしてあらためて、35年ぶりにまたツーショットで写真を撮らせていただきました。 とても温厚な表情ですが、登山者の安全を守るため、厳しい側面も持っておられます。 [caption id="attachment_5129" align="alignnone" width="1897"] 35年経って五十嶋オーナーやさしい表情に。[/caption]   最近は、私と同世代や年下の人の認知症の人の相談が増えてきました。 認知症は、高齢者だけでなく、もっと若い人にも襲ってきます。 認知症にはなりたくないと思っていても、いつしか忍び寄ってくる認知症。 ご本人や介護家族の思いを聴く中で 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」 だとしみじみと思います。 五十嶋オーナーは84歳でも、なお元気に厳しい環境下の山小屋で頑張っておられます。 最近は100歳の女性の方のスカイダイビングをする姿も見ました。 写真家?西本さんも91歳でもなおパソコンを駆使してユニークな写真を撮っています。 [caption id="attachment_5040" align="alignnone" width="2048"] 今年新装なった山頂の祠。きんぴかに光る薬師如来像が置かれています。[/caption]   片や、谷村新司さん、もんたよしのりさんなど、親しんだ歌手が70代前半の「若さ」で、 そして私自身も後輩の死に接することが多くなりました。 人生はいつどうなるのかわかりません。 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」ですね。 まだまだこれから、学びたいことも一杯あります。 [caption id="attachment_5128" align="alignnone" width="2048"] 遠く、富山湾が見えます。[/caption]   五十嶋オーナーの、「でっかい虹が出てるよ」との声に外へ出てみました。 その太郎平小屋から見た虹 架け橋ではなかったけど、でっかく太い虹でした。 心に雨が降ったとしても、 いや、雨が降ったからこそ 出逢えるかもしれない虹 心に雨が降っても、 そのあとには心潤う出逢いがあるかもしれませんね。 [caption id="attachment_5126" align="alignnone" width="730"] ヘレン・ケラーの言葉です[/caption]
ブログ投稿画像 認知症の人と関わる中で、 時々「え?なんのこと?」というような話が出てくるときがあります。 それはかつてのその方が体験した記憶の一部のことが多いでしょう。 その記憶は例えれば、パズルのパーツの一つとも言えます。 認知症がない時は整っていたパズルの絵も、 認知機能の低下に伴い、その記憶というパーツが一つ抜け、二つ抜けしていきます。 やがてその記憶のパーツはバラバラになり、 まともな絵ではなくなってしまうのです。 [caption id="attachment_5080" align="alignnone" width="471"] これだけ見たらなんだかわからない形 これは長野県なのです。[/caption]   しかし、その記憶のパーツは、全く失われるわけではなく、 何かの拍子で、何かの記憶パーツがふと言葉として出てきます。 それがいつどこでどのようなものなのか、 私たちには見当もつかないのですが、 その方にとっては、人生の大切な記憶のかけらと言えるのです。 しかし、私たちがその記憶のかけらのことを理解せず、 私たちの世界で判断して誘導したりしようとすると、 その方の世界に寄り添わず、トラブルになってしまいます。 ふと出てきたその方の記憶のかけら そしてその世界 その方にとっては、大切な人生の記憶の一部なのです。 その世界に私たちは付きあってあげること。 つまり、その方の世界の話で、会話を弾ませること。 もう少し詳しく言えば、私たちもその世界の話を楽しむということです。 もしかしたら、本人の記憶も、事実の記憶ではなく、 妄想や夢想から作られた記憶かもしれません。 私たちも、多かれ少なかれ、妄想や夢想があるように。 出てくる話が事実かどうかは別にして、 その方の世界に付きあい、共感すること。 それはその方の人生を大切にするということなのです。 そして私たち専門職の「傾聴」や「共感」の姿勢の トレーニングにもつながることなのです。 認知症の人は、認知症のためにわからないことが多い人ではなく、 私たち専門職にとって、その専門性をアップしてくれる すてきなトレーナーなのです。
ブログ投稿画像 最近、80歳代のマスター(師匠)に会ったり話したりすることが度々あります。 先日は、2,300メートルの場所にある山小屋の84歳のオーナーに会ってきました。 若い従業員たちからはマスターと呼ばれている山小屋のオヤジさんとは、 35年前にちょっとしたことでお世話になった方でもあります。 つまり35年ぶりの再会。 84才でありながら、5時間の北アルプスの険しい山道を登って、 今も山小屋を守っているのです。   この山小屋のマスターのことは、後日詳しくお話しするとして、 実は、町の師匠と呼ばれる方が、結構身近にはおられるのですね。 認知症があってもなくても、様々な道を極めてきた人たちから、 学ぶことはまだまだ多いのです。 ケア実践者は、町のマスターたちから学ぶという姿勢をもっと持たなければならないでしょう。 単なる利用者と思うと、学びはなくなります。 [caption id="attachment_5040" align="alignnone" width="2048"] 今年新装なった2,926mの山頂の祠。きんぴかに光る薬師如来像が置かれています。ふもとから険しい山道を8時間登って着きます。[/caption]   マスター(師匠)に言えることは、歳を取ればとるほど謙虚にかつ大きく捉えること。 「実るほど、こうべを垂れる稲穂かな」ですね。
ブログ投稿画像 少し本流(人と人の感情の動き)からずれますが、 認知症であってもなくても、周辺の環境が大きな影響を与えます。 最大の環境要因は人であることは、以前のブログにも書きましたが、 「生活環境」という観点からいえば、「しつらえ」も、感情に多大に影響するということになります。   殺風景な部屋にいるのか、そうでない部屋にいるのか、 それだけで感情に与える影響が変わってきます。 つまり、生活環境が良いか悪いかも感情伝染するということです。 生活環境が悪ければ、そこで住まわれる人の感情も砂漠化するのです。   例えば、デイサービスに来られる方も、 センターに入った時にほっと安心できる空間か、或いは、そうでないかは、 ポイントを付けるとすると、大きな得失点に繋がります。 もちろん、人の関わり方(挨拶や言葉遣いやケアの仕方)が一番大きいのですが、 入った時の印象も大きな得失点に繋がります。   皆さんも、病院でも、スーパーでも、様々なお店でも、 入った時の第一印象は心に刻印付けられますよね? 誰だって、落ち着くところにいたいと思いますよね? そんな当たり前のことを、意外と施設では行われていないかもしれません。   環境(雰囲気)は、その事業所の評価に大きく影響するということです。 「なんか知らんけど、ええ感じの雰囲気やな~」と、感じる、 質感(クオリア)を感じるかどうか、 つまり「しつらえ」(心地よい生活環境を整えること)は、 事業所の評価を高めるためにも、利用者の感情にも大いに影響を与えるものなのです。
ブログ投稿画像 東大阪社協で、キャラバンメイト養成講座が開かれ 若年性認知症の介護家族の方のお話がありました。 淡々と認知症の初期から現在に至るまでを話されていましたが、 男性介護者ゆえの戸惑いも多くあったようです。 特に、ご本人の認知症状が進む中、 かなりの焦燥感に襲われ、人間不信にもなられたとのこと。 しかし、地域包括支援センターや、ケアマネジャー、デイサービス担当者の専門職の皆さんに助けられたこと。 そしてそれらの専門職の皆さんが、みんな温かい笑顔で迎えてくれたこと それが何よりでしたと語っておられました。 また、地域住民の方が、認知症の人を避けるのではなく、 認知症の妻に対しても、気さくに挨拶をしてくれるだけでも 十分に気持ちが助けられるとも話されていました。 ただ診断をしてくれた病院が、「地域包括支援センター」という相談に行ける場所を紹介してくれなかったので、 自分で色々と探すことになり、その分回り道をしてしまったとのこと。 まだまだ地域包括支援センターの存在が知れ渡っていないということでもあるのです。 今回お話をしていただいた介護者は、12月9日に開催される 一般市民向け講演会においてもお話ししていただける予定です。 この講演会についての詳細は決まり次第お知らせします。
ブログ投稿画像 「心理的安全性」という言葉をご存知でしょうか? これはビジネス界で使われている言葉で、 主に職場環境改善の本として、リーダーや管理者向けに書かれていると言えます。 特に職場での部下への声のかけ方などが中心です。 私がよくお話しする「セキュアベース」とは少し意味合いが違いますが、 職員たちが心理的安全性を感じる中で仕事を行えるようにというものでしょうか。 本が何冊か出ているので、ビジネス界では重要なものとなっていると言えるでしょう。 リーダー的立場の人は一読しておく必要があるでしょう。 [caption id="attachment_4948" align="alignnone" width="2560"] 積乱雲がその威容を見せる季節です[/caption]   ケアの現場では、職員の心理的安全性は、即、利用者の心理的安全性に繋がります。 利用者が生活する上での最大の環境要因は、ケア職員にあるからです。 認知症の人なら、なおさらケア職員の存在は大きくなります。 しかし、職員の心理的安全性は必要ですが、 何よりも利用者の心理的安全性を目指し、 確保しなければならないのがこのケアの仕事です。 [caption id="attachment_4949" align="alignnone" width="1226"] 映し出されている文字を読んでください。[/caption]   考え方を整理すると、 「私たち(職員)の環境が悪いから、利用者の環境をよくできるはずがない」ではなく、 「利用者の生活環境をよくするためには、何が必要か?」というように、 イシュー(論点)を間違えないようにしなければなりません。 利用者のために何が必要か?と考えた中で、 そのひとつとして、職員の心理的安全性が必要というのが出てくることなのです。 「私たちがしんどいんやから、利用者の生活環境改善なんかできない。」という考えは、 お箸を逆さまに持って使うのと同じなのです。
ブログ投稿画像 いぶし銀 「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」 私は彼のことを「いぶし銀のケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。 彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、 その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、 いつも自分は何をやってんだかと思ったものです。 決して目立つことはなく、地味だけど黙々と利用者に関わる姿は とかく自分は評価されたいと動く人たちが多い中で ある意味、異彩を放つ存在だったと言えます。 彼が突然亡くなってから1年 将来を託せる人の早逝は、痛手です。 彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。 決して華やかではないけれど、しっかりと咲いている路傍の花 自分は評価されたいと動き回るネオンのような光よりもはるかに美しいのです。 いつどこでどうなるかわからない人生。 一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。 どんなに暑くてもどんなに寒くても 宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が 今でも目に浮かびます。   「雨ニモマケズ」(石川改編) 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けず 新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも 丈夫なからだと心をもち 決して怒らず いつも冷静に対処し、利用者には笑っている 一日に、相談・訪問・デイ・ショート 守るべき人たちのことを よく見聞きし分かり そして忘れず 地域の住民や高齢者にとって 灯台のような建物から 東に病気の高齢者あれば 行って適切なマネジメントをし 西に疲れた介護者あれば 行ってそのつらさを受け止め 南に死にそうな人があれば 行って看取りを支え 北に認知症の人が不安の中にいれば あたたかなまなざしと言葉をかけ 日照りの時は汗を流して自転車をこぎ 寒い冬も北風に負けずに歩き マスコミにはその地味な努力を 褒められもせず 苦にもされず それでもひたすら頑張っている そういういぶし銀のようなあなたを 私は 誇りに思いたい。