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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2024.06.10

心の荷物預かり所
~心が揺れる~ 家族会より 認知症の人を介護する家族の会「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回は8名の方が参加されました。 娘、息子、夫、妻、嫁という様々な立場の方が参加されました。 個々それぞれの思いを打ち明けられていましたが、 共通していたのは、 「わかってはいても、つい怒ってしまう」と言うことです。 そしてそのあと、怒ってしまった自分を責めているのです。 そりゃそうですよね。 日頃から様々な認知症状に悩まされている介護者からすると、 ついついイラっとしてしまうことは当たり前と言えるでしょう。 そしてイラっとしてしまった自分を責める。 介護者にとっては逃げるに逃げられない状況の上、 毎日のこと。ついつい怒ってしまうことはあるでしょう。 「怒ったらあかんとわかっていても、怒ってしまう。」のです。 介護者の心は揺れまくりです。 また家での介護に限界を生じたときどうするか 家族の大いなる悩みは、「入所を考えるのか」 「入所後後悔しないだろうか」という 入所か否か、さらに入所してもらって、はたして心は落ち着くのだろうか? そんな悩みに心が揺れているという話も何人かから聞かれました。 施設入所させることに対する罪の意識のようなもの そして施設入所しても、そのような意識が続くのではないか… とても大きな家族の決断と悩みと言えるかもしれません。 心の揺れは、どのような決断をしたとしても続くのかもしれません。 ひとつ大事なことは、介護者(家族)が倒れたら、 当事者共々大変な状況になってしまうということです。 介護者にも介護者の人生があります。 自分の時間が欲しいということがいくらでもあると言えるでしょう。 介護者自身の人生も大切にすること。 それが第一でしょう。 しかし、心の揺れはどのような状況であれ、ついて回るかもしれません。 その心の揺れを受け止め、支えることが専門職の役割でもあるのです。
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2024.06.03

心の荷物預かり所
靴の履き間違えから ~「なんでも包括」の背景にあるもの~ 靴を履き間違えてお出掛けしたことはありませんか? 例えば、他人の靴を履いて帰るとか、左右別の靴を履いていくとか… 幸い私はまだそのようなことはありませんが、 いつやってしまうかもしれない出来事なのです。 最近訪問先で、靴を間違えて履いて帰ったという職員の話を聞いて思い出したことがありました。 私が大阪市の地域包括支援センターに在籍していた頃です。 地域のある開業医から電話が入りました。 「患者のAさんが、別の患者さんの靴を履いて帰った、家に行って取り戻してほしい。」 という内容でした。 「なんでも包括」と言われるように、最近は多種多様なことで包括に電話が掛かってきます。 この時も、「なんやねんこのドクター、そんなことで電話してくんな!」と思いました。 頭の中では愚痴と文句が溢れてましたが、 もしかしたら認知症状がある方かもしれないと思い、訪問することにしました。 この街のシンボル「見返りトミー」   Aさんは独り暮らしなのですが、自宅を訪問すると、黒ピカの靴が一杯玄関にありました。 ドクターからエナメルの黒い靴と聞いていたのですが、 どれが病院から履いて帰って来たのかわかりません。 ご本人はとても陽気な女性で、 「そうか、すまんすまん、どれが履いてきた靴かわからんわ。みんな持って行ってええよ。」と言われたのです。 どうやらAさんはきれいな靴を見かけると、 自分の汚れた靴を置いて、きれいな靴を履いて帰ってくるようです。 仕方なく私は、きれいな靴を全部持って開業医のところへ行ったのですが、 「他人が履いた靴なんかもう履けない。」と患者が言っていたので、 もういいよとのドクターからの返事でした。 ムカッと来た私でしたが、本人が置いていった汚れた靴をプラスして、Aさんの家に帰りました。 これがきっかけで、Aさんと関わるようになり、 認知症状が明確に出ていることがわかり、支援が必要なところがいくつもあったため、 介護サービス導入へと繋がっていったのです。 最初は「間違った靴を取り戻してほしい」というドクターからのとんでもない電話でしたが、 結果、独居の認知症高齢者の支援に繋がりました。 「なんでも包括」は困ったものですが、 中にはその背景に支援と繋がるものが隠れているとも言えます。 因みにこの開業医とは、このことがきっかけになり、 その他のケースとも気軽に連携が取れるようになりました。 ある意味Aさんの行動が、色々な人とのつながりを生み出したとも言えます。 Aさんはお散歩好きで、道端で会うこともありました。 「これから、がんこへ(がんこ寿司)食べに行くねん。一緒に行こか?」と言われたことがあります。 陽気なAさんでしたが、その人生のラストシーンは哀しいものでした。
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2024.05.08

心の荷物預かり所
音楽は人と人を繋げられるか 昨夜家に遅めに帰り、つけたテレビの番組。 何故人類は音楽を生み出したのか、途中から見たので、そんな題名だったと思います。 その番組で、認知症の人と音楽についても、脳科学的にその効果について説明されていました。 詳細は映像を見直してからでないと書けませんが、 イギリスの認知症病棟の人々が、ビートルズの歌をみんなで合唱するシーンは圧巻でした。 特に脳の機能がフルパワーになる、 思春期に聞いた音楽は、強力に脳に残るようです。 認知症の人への音楽の効用は、これまで多くの研究で言われていることなので、 今更言うまでもないことなのですが、療法と構えるだけでなく、 日頃から気軽にそして身近に使えるものとして、音楽があるということでしょう。 注意する点は音楽をかける側にあります。 果たしてその音楽が、その方にあっているのかどうか、 そして聞かせてほったらかしにしていないかどうか、 認知症の人ではなく、ケア側の問題が大きいのかなと思います。 音楽が何故人類に生まれたか?  化石として残っているものではないので、その研究はまだ途上だそうですが、 恐らくは、「音楽は人と人を繋げる」ために生まれたのではないかということです。 ですから、認知症の人と音楽を聴く場合、 ともに楽しむということを忘れてはならないでしょう。   もしかしたら、音楽は、世界の人々を結び付けられる力を持ったものだと思うのですが、 残念ながら、銃声や破壊音、そして人が殺されていく悲惨な戦争の前に、 音楽はかき消され、失われてしまっているのかもしれません。
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2024.04.25

心の荷物預かり所
日々楽しむこと(澤井梨丘さん情報含む) 日々楽しむこと それは毎日が貴重な人生の一日だからです。 普段はそんなこと考えて過ごすことはないでしょうけど、 人生の一日一日は、確実にその数を減らしていくのです。 それも冷酷なほどに。 月の出です。   それだけに、大きなイベントだけでなく、ささやかな楽しみでもその日一日に持つことですね。 仕事で疲れたときの、スイッチオフの時間を活かした使い方をしましょう。 認知症の人も、不安な一日よりも、楽しい一日の方が、有意義ある時間になるのです。 ということで、テレビドラマを楽しむのもいいですね。 シンポジウムで会場中の人を虜にした澤井梨丘さんが、 今日から始まる木村拓哉、天海祐希主演の「Believe」に出演(準レギュラー?)しています。 見てくださいね! それにしても、こんな有名人たちと共演する澤井さん 今から思えば、よくも私どものシンポジウムに来てくれたな~って、思ってしまいます。 さて、美味しいものを食べに行くのも、日々楽しむことの一つです。 神戸花隈駅近くの「Sion」さんでは、旧オリエンタルホテルのビーフカレーがいただけます。 なるほど! と、思うめっちゃ美味いカレーです。 オーナーシェフの一枝さんは、元阪神タイガースのヘッドコーチ一枝修平さんのご子息の方です。 気さくにお話しできる方なので、カレーの味を出すまでの苦労話も聞くことができるでしょう。 写真も気軽に撮らせていただきました。 どんなことでもいいので、日々楽しむこと。 皆さんも、ちょっとした楽しみ、大それた楽しみ、持って見ましょう!      
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2024.02.14

心の荷物預かり所
木浪選手の心意気 朝の通勤時は色々なゲストの話をラジオで聞いています。 多様な職種の人の話を聞けるのは、知らない世界の話が一杯聞けて楽しいですね。 ラジオなので想像力をも働かせます。 今朝は、阪神タイガースの木浪選手のインタビューでした。 まぁ野球という、比較的皆さんが知っている世界の話ですが、 おもしろかったのは、8番バッターとしての木浪選手の心意気でした。 8番バッターというのは、野球の世界では、 レギュラー選手でも一番期待されていない打順の選手というイメージがあります。 しかし昨年の阪神タイガースで、最恐の8番バッターとして、 その存在の大きさを示した選手でした。 最強ではなく、最も恐れられる8番バッターとして君臨したのです。 その木浪選手、今年も8番バッターを希望したそうです。 普通なら昨年の活躍から、もっと早い打順も希望できるのにかかわらず。 木浪選手自体も最初は「8番バッターかぁ…」という残念な気持ちは当初あったそうです。 しかし8番バッターが何かと頑張る中で、得点や勝利に繋がっているということが見えてきて、 8番バッターの大切さがわかってきたとのことでした。 今は、「8番バッターのイメージを変えたい。8番バッターの存在感を示したい」と、 進んで希望しているとのこと。 さらに数値目標は?と聞かれたことに対して、 「日々の努力があれば、結果として数字がついてくるので、数値を目標にしているわけではない」とのこと。 まさしくその通りで、数字を気にしすぎると、その数字に縛られ、 毎日をプレッシャーの中で過ごすことになりかねないのです。 「8番バッターのこれまでのイメージを変えたい」 かっこいいですね! 決して3番や4番の選手のような主役ではないけれど、 このような8番バッターがいるからこそ、チームは強くなると、言えます。 誰もが4番バッターになるわけではないし、4番バッターだけで勝てるものではない。 でも誰かが8番バッターを頑張ることで、最強のチームとなる。 ケアの現場も同じかもですね。 リーダーだけが頑張っても強いチームにはなれないのです。  
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2024.01.26

心の荷物預かり所
知れば知るほど自分の無知を知る 人が知っていることは、広い世界からすればほんの一握りかもしれません。 私も認知症ケアのことをよく知っていると言っても、わからないことの方が山ほどあります。 先日も、前頭側頭型認知症の方とその家族の支援で壁にぶち当たってしまいました。 では、わからなければどうするか? わからないまま、わからないから仕方がないとあきらめるのか、 わからないなら、わかるために探究心を働かせ、勉強するのか? もしかしたら、忙しいし、余計なことはしたくないし、わからないことはわからないし、 それでいいじゃんという意見もあるかもしれません。 どの道を選ぶかはその人次第ですが。 わかろうとするための動機付けは、 やはり本人や家族のつらさを感じ取るということでしょうか。 つらさを感じ取れば、わからないまま放置して時を過ごすことが、 自分で自分をつまらない人間として決めてしまうことなのだと思うでしょう。 わからなければわかろうとする。 そうすると、知らなかったことを知ることになります。 「え? そんなことも知らなかったんだ! 」と、 知れば知るほど自分の無知を知ることになるのです。 この言葉には続きがあります。 「知れば知るほど自分の無知を知る。そして人として深まる。」 つまり探究心を働かせ、知らなかったことを知るうちに、 人としても成長するということなのですね。 最初はわからなくて当たり前。要はそのわからないをどうするか、ですね。 先日脳科学者の恩蔵先生の話を聴いてきたのですが、(その内容については後日に) 人の脳の奥深さ、可能性を感じさせる話でした。 私たちは、認知症があると、できないやれない理解しないことが一杯の人と捉えてしまいますが、 実はできることやれること理解していることが一杯あるのに、 そこにとんと目をやっていないということなのですね。 もしかしたら、「できないやれない理解しない人」と定義づけておいた方が、 ケア側は楽なのかもしれません。 「世界が広がる!」 そいう感動を得るためには、探究心が必要です。  
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2024.01.18

心の荷物預かり所
1.17希望の灯 防災とボランティアの日 阪神・淡路大震災から29年、慰霊碑のある東遊園地には、 震災を知らない若い人たちが多かったとのこと。 語り継ぎ、繋がっていくことが継続されているのだと、少し安心感も。 私は一足先に東遊園地の「希望の灯り」に行かせてもらいました。 当時は震災に対する救援体制など確立されておらず、 さらに被災地ボランティアが始まったのも、この阪神・淡路大震災からと言えます。 そのため、1月17日が「防災とボランティアの日」になったのも、ここから始まったと言えるからですね。 このような状況の中、前回にも書いたように大阪府社協は、 介護施設への応援派遣、避難所への派遣、そして避難者の施設での受け入れという、 三段構えで救援活動に入ったのですが、 その模索的対応は、厚労省の官僚には嫌味を言われたのですが、 今では下記の記事にもあるように、体制作りが確立されているのですね。 介護施設で働く職員も被災しているので、激務の中、倒れるケア職員もおり、 このように介護施設へのサポートも大切なのです。 私の場合、今でいうDWATの役割を担っていたと言えますね。 避難所で一番聞いた訴えが「認知症の人への対応」でした。 確かにただでさえ混乱と不安の中におられる認知症の人にとっては、 避難所での生活は混乱の極みを迎えると言えるでしょう。 能登半島の被災地域に、一日も早く希望の灯りがともることを願います。 さて、下記は5年前に書いた文章ですね。その記憶は今もなお鮮烈に残っています。 TVドラマ「BRIDGE」を見ました。 ドラマ前半、主人公が神戸から大阪へ橋を渡ろうとしたとき、 目の前の大阪がネオン輝く普通の姿で、振り向けば神戸は真っ暗で、 その対比に愕然とするシーンがあります。 実は、私も同じような体験をしました。 救援活動を終えて、大阪へ帰るその橋を渡った時に… ドラマでも時々出てくる「よそ者に何がわかる」そんな視線を受けながら、 所詮よそ者に何ができるのかと苦悩しながらがれきの街を走り回った日々… 野寄公園の雨に打たれる小さなテントの中、 救援の医師からなんとか入院を説得してくれと頼まれ、小さなテントの中に親子を尋ねました。 母親は高齢で寝たきり、状態が悪化していたのです。 しかし何もかも失い息子とだけは離れたくないと、その母親は入院をかたくなに拒否され、 どうすることもできなかった無力な私でした。 本山第二、三小学校の避難所でもあまりにも数多くの難題課題に困惑するだけの自分がいました。 認知症の方への対応が大変という訴えも多くありました。 家の下敷きになり、助けられぬうちに炎に飲み込まれた数多くの方。 残された家族との対面は悲痛極まりなかったのです。 ルミナリエの準備が出来ていました   多くの哀しい出来事と人の温かさを感じる中、 怒りと悔しさともどかしさと哀しさと不甲斐なさを一杯抱えたまま、 活動を終えて大阪に帰って来て、その光輝くネオンを見た途端から ずっと泣きっぱなしだったのです。それも号泣でした。 もう随分前の話。 されど今も、そしてこれからも、人々の哀しみ、苦しみ、 そしてあたたかさは伝えていかなければならないと思います。  合掌   震災で亡くなられた方々のお名前が刻まれています
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2024.01.04

心の荷物預かり所
誰も行ったことのないところへ おめでとうございますとは言いにくい、新年の幕開けとなりました。 今年一年いったいどうなるのかという不安が出てきますね。 まずは、今年もよろしくお願いします。 焼け野原になった街を見ると神戸長田を思い出してしまいます。 崩れ落ちた家々を見ると、救助活動に入った時のことも思い出してしまいます。 そこへ羽田での衝突事故の報道。 年始早々の動揺に、思わず収まっていた不整脈が表出しました。 これら報道番組をずっと見ていると、「共感疲労」を起こすそうです。 まして、阪神・東北で実体験した人には、トラウマともなり、 そのつらさがわかっているだけに、余計に心苦しくなってしまうこともあるでしょう。 報道から一定の距離を開けることも必要だそうです。 世界に目を向けると、新年になろうと関係なく戦争で多くの人の命が失われる現実が続いています。 でも私たちが求めているのは、殺し合いでもいがみ合いでも憎しみあうことでも偏見でもありません。 戦争で憎しみあうくらいなら、冒険に出る。その冒険で困難なことが待ち受けていても 人々は助け合って前へ進もうとする。なのですね。 今年のトヨタ自動車、会長の豊田章男氏の演説が印象的でした。 トヨタ自動車そのものを応援するものでもないのですが、 ケアの現場でも持たなければいけない言葉だと思います。 特に私が好きな「スタートレック」の言葉を、今年はこれで行く!と言われたことには 思わず微笑んでしまいましたが。 「会社として利益追求は当然のことだが、それが一番大切なことではない。 みんなが、その能力と、想像力と情熱がなければ、利益にはつながらない。」 「勇敢に行く。誰も行ったことのないところへ!」(スタートレックの言葉です) 「自分自身を成長させ、視野を広げていくことに挑戦しましょう!お互い支えあっていきましょう!」 トヨタ社員に送られた言葉ですが、これらの言葉は、ケアの現場で働く職員にも言えることでしょう。 つらい年明けにはなりましたが、心暗くしてふさぎ込むのではなく、 しっかりと前を向いてチャレンジすることを忘れてはならないと、言えるでしょう。 豊田会長の年頭の挨拶です https://www.youtube.com/watch?v=SFf35jSRBl0&t=170s  
ブログ投稿画像 認知症の人を介護する家族の会「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回は8名の方が参加されました。 娘、息子、夫、妻、嫁という様々な立場の方が参加されました。 個々それぞれの思いを打ち明けられていましたが、 共通していたのは、 「わかってはいても、つい怒ってしまう」と言うことです。 そしてそのあと、怒ってしまった自分を責めているのです。 そりゃそうですよね。 日頃から様々な認知症状に悩まされている介護者からすると、 ついついイラっとしてしまうことは当たり前と言えるでしょう。 そしてイラっとしてしまった自分を責める。 介護者にとっては逃げるに逃げられない状況の上、 毎日のこと。ついつい怒ってしまうことはあるでしょう。 「怒ったらあかんとわかっていても、怒ってしまう。」のです。 介護者の心は揺れまくりです。 また家での介護に限界を生じたときどうするか 家族の大いなる悩みは、「入所を考えるのか」 「入所後後悔しないだろうか」という 入所か否か、さらに入所してもらって、はたして心は落ち着くのだろうか? そんな悩みに心が揺れているという話も何人かから聞かれました。 施設入所させることに対する罪の意識のようなもの そして施設入所しても、そのような意識が続くのではないか… とても大きな家族の決断と悩みと言えるかもしれません。 心の揺れは、どのような決断をしたとしても続くのかもしれません。 ひとつ大事なことは、介護者(家族)が倒れたら、 当事者共々大変な状況になってしまうということです。 介護者にも介護者の人生があります。 自分の時間が欲しいということがいくらでもあると言えるでしょう。 介護者自身の人生も大切にすること。 それが第一でしょう。 しかし、心の揺れはどのような状況であれ、ついて回るかもしれません。 その心の揺れを受け止め、支えることが専門職の役割でもあるのです。
ブログ投稿画像 靴を履き間違えてお出掛けしたことはありませんか? 例えば、他人の靴を履いて帰るとか、左右別の靴を履いていくとか… 幸い私はまだそのようなことはありませんが、 いつやってしまうかもしれない出来事なのです。 最近訪問先で、靴を間違えて履いて帰ったという職員の話を聞いて思い出したことがありました。 私が大阪市の地域包括支援センターに在籍していた頃です。 地域のある開業医から電話が入りました。 「患者のAさんが、別の患者さんの靴を履いて帰った、家に行って取り戻してほしい。」 という内容でした。 「なんでも包括」と言われるように、最近は多種多様なことで包括に電話が掛かってきます。 この時も、「なんやねんこのドクター、そんなことで電話してくんな!」と思いました。 頭の中では愚痴と文句が溢れてましたが、 もしかしたら認知症状がある方かもしれないと思い、訪問することにしました。 [caption id="attachment_5662" align="alignnone" width="1024"] この街のシンボル「見返りトミー」[/caption]   Aさんは独り暮らしなのですが、自宅を訪問すると、黒ピカの靴が一杯玄関にありました。 ドクターからエナメルの黒い靴と聞いていたのですが、 どれが病院から履いて帰って来たのかわかりません。 ご本人はとても陽気な女性で、 「そうか、すまんすまん、どれが履いてきた靴かわからんわ。みんな持って行ってええよ。」と言われたのです。 どうやらAさんはきれいな靴を見かけると、 自分の汚れた靴を置いて、きれいな靴を履いて帰ってくるようです。 仕方なく私は、きれいな靴を全部持って開業医のところへ行ったのですが、 「他人が履いた靴なんかもう履けない。」と患者が言っていたので、 もういいよとのドクターからの返事でした。 ムカッと来た私でしたが、本人が置いていった汚れた靴をプラスして、Aさんの家に帰りました。 これがきっかけで、Aさんと関わるようになり、 認知症状が明確に出ていることがわかり、支援が必要なところがいくつもあったため、 介護サービス導入へと繋がっていったのです。 最初は「間違った靴を取り戻してほしい」というドクターからのとんでもない電話でしたが、 結果、独居の認知症高齢者の支援に繋がりました。 「なんでも包括」は困ったものですが、 中にはその背景に支援と繋がるものが隠れているとも言えます。 因みにこの開業医とは、このことがきっかけになり、 その他のケースとも気軽に連携が取れるようになりました。 ある意味Aさんの行動が、色々な人とのつながりを生み出したとも言えます。 Aさんはお散歩好きで、道端で会うこともありました。 「これから、がんこへ(がんこ寿司)食べに行くねん。一緒に行こか?」と言われたことがあります。 陽気なAさんでしたが、その人生のラストシーンは哀しいものでした。
ブログ投稿画像 昨夜家に遅めに帰り、つけたテレビの番組。 何故人類は音楽を生み出したのか、途中から見たので、そんな題名だったと思います。 その番組で、認知症の人と音楽についても、脳科学的にその効果について説明されていました。 詳細は映像を見直してからでないと書けませんが、 イギリスの認知症病棟の人々が、ビートルズの歌をみんなで合唱するシーンは圧巻でした。 特に脳の機能がフルパワーになる、 思春期に聞いた音楽は、強力に脳に残るようです。 認知症の人への音楽の効用は、これまで多くの研究で言われていることなので、 今更言うまでもないことなのですが、療法と構えるだけでなく、 日頃から気軽にそして身近に使えるものとして、音楽があるということでしょう。 注意する点は音楽をかける側にあります。 果たしてその音楽が、その方にあっているのかどうか、 そして聞かせてほったらかしにしていないかどうか、 認知症の人ではなく、ケア側の問題が大きいのかなと思います。 音楽が何故人類に生まれたか?  化石として残っているものではないので、その研究はまだ途上だそうですが、 恐らくは、「音楽は人と人を繋げる」ために生まれたのではないかということです。 ですから、認知症の人と音楽を聴く場合、 ともに楽しむということを忘れてはならないでしょう。   もしかしたら、音楽は、世界の人々を結び付けられる力を持ったものだと思うのですが、 残念ながら、銃声や破壊音、そして人が殺されていく悲惨な戦争の前に、 音楽はかき消され、失われてしまっているのかもしれません。
ブログ投稿画像 日々楽しむこと それは毎日が貴重な人生の一日だからです。 普段はそんなこと考えて過ごすことはないでしょうけど、 人生の一日一日は、確実にその数を減らしていくのです。 それも冷酷なほどに。 [caption id="attachment_5392" align="alignnone" width="1024"] 月の出です。[/caption]   それだけに、大きなイベントだけでなく、ささやかな楽しみでもその日一日に持つことですね。 仕事で疲れたときの、スイッチオフの時間を活かした使い方をしましょう。 認知症の人も、不安な一日よりも、楽しい一日の方が、有意義ある時間になるのです。 ということで、テレビドラマを楽しむのもいいですね。 シンポジウムで会場中の人を虜にした澤井梨丘さんが、 今日から始まる木村拓哉、天海祐希主演の「Believe」に出演(準レギュラー?)しています。 見てくださいね! それにしても、こんな有名人たちと共演する澤井さん 今から思えば、よくも私どものシンポジウムに来てくれたな~って、思ってしまいます。 さて、美味しいものを食べに行くのも、日々楽しむことの一つです。 神戸花隈駅近くの「Sion」さんでは、旧オリエンタルホテルのビーフカレーがいただけます。 なるほど! と、思うめっちゃ美味いカレーです。 オーナーシェフの一枝さんは、元阪神タイガースのヘッドコーチ一枝修平さんのご子息の方です。 気さくにお話しできる方なので、カレーの味を出すまでの苦労話も聞くことができるでしょう。 写真も気軽に撮らせていただきました。 どんなことでもいいので、日々楽しむこと。 皆さんも、ちょっとした楽しみ、大それた楽しみ、持って見ましょう!      
ブログ投稿画像 朝の通勤時は色々なゲストの話をラジオで聞いています。 多様な職種の人の話を聞けるのは、知らない世界の話が一杯聞けて楽しいですね。 ラジオなので想像力をも働かせます。 今朝は、阪神タイガースの木浪選手のインタビューでした。 まぁ野球という、比較的皆さんが知っている世界の話ですが、 おもしろかったのは、8番バッターとしての木浪選手の心意気でした。 8番バッターというのは、野球の世界では、 レギュラー選手でも一番期待されていない打順の選手というイメージがあります。 しかし昨年の阪神タイガースで、最恐の8番バッターとして、 その存在の大きさを示した選手でした。 最強ではなく、最も恐れられる8番バッターとして君臨したのです。 その木浪選手、今年も8番バッターを希望したそうです。 普通なら昨年の活躍から、もっと早い打順も希望できるのにかかわらず。 木浪選手自体も最初は「8番バッターかぁ…」という残念な気持ちは当初あったそうです。 しかし8番バッターが何かと頑張る中で、得点や勝利に繋がっているということが見えてきて、 8番バッターの大切さがわかってきたとのことでした。 今は、「8番バッターのイメージを変えたい。8番バッターの存在感を示したい」と、 進んで希望しているとのこと。 さらに数値目標は?と聞かれたことに対して、 「日々の努力があれば、結果として数字がついてくるので、数値を目標にしているわけではない」とのこと。 まさしくその通りで、数字を気にしすぎると、その数字に縛られ、 毎日をプレッシャーの中で過ごすことになりかねないのです。 「8番バッターのこれまでのイメージを変えたい」 かっこいいですね! 決して3番や4番の選手のような主役ではないけれど、 このような8番バッターがいるからこそ、チームは強くなると、言えます。 誰もが4番バッターになるわけではないし、4番バッターだけで勝てるものではない。 でも誰かが8番バッターを頑張ることで、最強のチームとなる。 ケアの現場も同じかもですね。 リーダーだけが頑張っても強いチームにはなれないのです。  
ブログ投稿画像 人が知っていることは、広い世界からすればほんの一握りかもしれません。 私も認知症ケアのことをよく知っていると言っても、わからないことの方が山ほどあります。 先日も、前頭側頭型認知症の方とその家族の支援で壁にぶち当たってしまいました。 では、わからなければどうするか? わからないまま、わからないから仕方がないとあきらめるのか、 わからないなら、わかるために探究心を働かせ、勉強するのか? もしかしたら、忙しいし、余計なことはしたくないし、わからないことはわからないし、 それでいいじゃんという意見もあるかもしれません。 どの道を選ぶかはその人次第ですが。 わかろうとするための動機付けは、 やはり本人や家族のつらさを感じ取るということでしょうか。 つらさを感じ取れば、わからないまま放置して時を過ごすことが、 自分で自分をつまらない人間として決めてしまうことなのだと思うでしょう。 わからなければわかろうとする。 そうすると、知らなかったことを知ることになります。 「え? そんなことも知らなかったんだ! 」と、 知れば知るほど自分の無知を知ることになるのです。 この言葉には続きがあります。 「知れば知るほど自分の無知を知る。そして人として深まる。」 つまり探究心を働かせ、知らなかったことを知るうちに、 人としても成長するということなのですね。 最初はわからなくて当たり前。要はそのわからないをどうするか、ですね。 先日脳科学者の恩蔵先生の話を聴いてきたのですが、(その内容については後日に) 人の脳の奥深さ、可能性を感じさせる話でした。 私たちは、認知症があると、できないやれない理解しないことが一杯の人と捉えてしまいますが、 実はできることやれること理解していることが一杯あるのに、 そこにとんと目をやっていないということなのですね。 もしかしたら、「できないやれない理解しない人」と定義づけておいた方が、 ケア側は楽なのかもしれません。 「世界が広がる!」 そいう感動を得るためには、探究心が必要です。  
ブログ投稿画像 阪神・淡路大震災から29年、慰霊碑のある東遊園地には、 震災を知らない若い人たちが多かったとのこと。 語り継ぎ、繋がっていくことが継続されているのだと、少し安心感も。 私は一足先に東遊園地の「希望の灯り」に行かせてもらいました。 当時は震災に対する救援体制など確立されておらず、 さらに被災地ボランティアが始まったのも、この阪神・淡路大震災からと言えます。 そのため、1月17日が「防災とボランティアの日」になったのも、ここから始まったと言えるからですね。 このような状況の中、前回にも書いたように大阪府社協は、 介護施設への応援派遣、避難所への派遣、そして避難者の施設での受け入れという、 三段構えで救援活動に入ったのですが、 その模索的対応は、厚労省の官僚には嫌味を言われたのですが、 今では下記の記事にもあるように、体制作りが確立されているのですね。 介護施設で働く職員も被災しているので、激務の中、倒れるケア職員もおり、 このように介護施設へのサポートも大切なのです。 私の場合、今でいうDWATの役割を担っていたと言えますね。 避難所で一番聞いた訴えが「認知症の人への対応」でした。 確かにただでさえ混乱と不安の中におられる認知症の人にとっては、 避難所での生活は混乱の極みを迎えると言えるでしょう。 能登半島の被災地域に、一日も早く希望の灯りがともることを願います。 さて、下記は5年前に書いた文章ですね。その記憶は今もなお鮮烈に残っています。 TVドラマ「BRIDGE」を見ました。 ドラマ前半、主人公が神戸から大阪へ橋を渡ろうとしたとき、 目の前の大阪がネオン輝く普通の姿で、振り向けば神戸は真っ暗で、 その対比に愕然とするシーンがあります。 実は、私も同じような体験をしました。 救援活動を終えて、大阪へ帰るその橋を渡った時に… ドラマでも時々出てくる「よそ者に何がわかる」そんな視線を受けながら、 所詮よそ者に何ができるのかと苦悩しながらがれきの街を走り回った日々… 野寄公園の雨に打たれる小さなテントの中、 救援の医師からなんとか入院を説得してくれと頼まれ、小さなテントの中に親子を尋ねました。 母親は高齢で寝たきり、状態が悪化していたのです。 しかし何もかも失い息子とだけは離れたくないと、その母親は入院をかたくなに拒否され、 どうすることもできなかった無力な私でした。 本山第二、三小学校の避難所でもあまりにも数多くの難題課題に困惑するだけの自分がいました。 認知症の方への対応が大変という訴えも多くありました。 家の下敷きになり、助けられぬうちに炎に飲み込まれた数多くの方。 残された家族との対面は悲痛極まりなかったのです。 [caption id="attachment_5343" align="alignnone" width="1926"] ルミナリエの準備が出来ていました[/caption]   多くの哀しい出来事と人の温かさを感じる中、 怒りと悔しさともどかしさと哀しさと不甲斐なさを一杯抱えたまま、 活動を終えて大阪に帰って来て、その光輝くネオンを見た途端から ずっと泣きっぱなしだったのです。それも号泣でした。 もう随分前の話。 されど今も、そしてこれからも、人々の哀しみ、苦しみ、 そしてあたたかさは伝えていかなければならないと思います。  合掌   [caption id="attachment_1279" align="alignnone" width="650"] 震災で亡くなられた方々のお名前が刻まれています[/caption]
ブログ投稿画像 おめでとうございますとは言いにくい、新年の幕開けとなりました。 今年一年いったいどうなるのかという不安が出てきますね。 まずは、今年もよろしくお願いします。 焼け野原になった街を見ると神戸長田を思い出してしまいます。 崩れ落ちた家々を見ると、救助活動に入った時のことも思い出してしまいます。 そこへ羽田での衝突事故の報道。 年始早々の動揺に、思わず収まっていた不整脈が表出しました。 これら報道番組をずっと見ていると、「共感疲労」を起こすそうです。 まして、阪神・東北で実体験した人には、トラウマともなり、 そのつらさがわかっているだけに、余計に心苦しくなってしまうこともあるでしょう。 報道から一定の距離を開けることも必要だそうです。 世界に目を向けると、新年になろうと関係なく戦争で多くの人の命が失われる現実が続いています。 でも私たちが求めているのは、殺し合いでもいがみ合いでも憎しみあうことでも偏見でもありません。 戦争で憎しみあうくらいなら、冒険に出る。その冒険で困難なことが待ち受けていても 人々は助け合って前へ進もうとする。なのですね。 今年のトヨタ自動車、会長の豊田章男氏の演説が印象的でした。 トヨタ自動車そのものを応援するものでもないのですが、 ケアの現場でも持たなければいけない言葉だと思います。 特に私が好きな「スタートレック」の言葉を、今年はこれで行く!と言われたことには 思わず微笑んでしまいましたが。 「会社として利益追求は当然のことだが、それが一番大切なことではない。 みんなが、その能力と、想像力と情熱がなければ、利益にはつながらない。」 「勇敢に行く。誰も行ったことのないところへ!」(スタートレックの言葉です) 「自分自身を成長させ、視野を広げていくことに挑戦しましょう!お互い支えあっていきましょう!」 トヨタ社員に送られた言葉ですが、これらの言葉は、ケアの現場で働く職員にも言えることでしょう。 つらい年明けにはなりましたが、心暗くしてふさぎ込むのではなく、 しっかりと前を向いてチャレンジすることを忘れてはならないと、言えるでしょう。 豊田会長の年頭の挨拶です https://www.youtube.com/watch?v=SFf35jSRBl0&t=170s