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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2024.09.12

心の荷物預かり所
星に願いを 非科学的な話は愉しい ちょっと心も体も疲れたなと思ったら 星空を見上げてみてはどうでしょうか? おっと、大阪の空では星も見えませんね。 でも昨夜は、国際宇宙ステーションや人工衛星が飛ぶ姿が見えたり、 夏の大三角も見えました。 その夏の大三角の場所には、天の川があるのですが、 昨夜は大阪の空でも何となく見えた気がします。 あくまでも「気」ですけど。 くじゅう高原 長者原にて   まぁ大阪は無理だとしても、奈良や和歌山まで足を延ばせば、 星空をたくさん見ることはできるでしょう。 先日乗ったフェリーのさんふらわあの船上からも見ることが出来ました。 くじゅう高原 長者原にて   「なんで星って光ってるんやろなぁ~」 「そりゃ~ 心が癒されるからやろ。蛍の光と一緒とちゃうか。」 なんて言う、非科学的な会話が愉しいのです。 そうなんです。星の光も、蛍の光も、何故か心を癒す効果があるのです。 (非科学的と書きましたが、実際には脳科学的に証明されているかもしれませんが) まぁこれだけ科学技術が進歩しても、お化けや謎現象などの話、皆さん大好きですから。 くじゅう高原 長者原にて   ちょっと心が疲れたら、星の光を見に遠出をしてみましょう。 認知症の人も、非科学的な話は、感情に通じるので 愉しくお話ができます。 認知機能は厳しくなったとしても、非認知機能は豊かに働いているので 非科学的な話は盛り上がることができるでしょう。
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2024.09.04

心の荷物預かり所
ケースやケアの検討会だけではなく カンファレンスと言うと、各個別ケースへのケアについてや、 ケアそのものの確認や技術に関するものや、認知症の人の理解(見かた捉え方)など、 私たちの主業務である「ケア」や「ケアマネジメント」のことが主題になると思います。 でもたまには「ケアという主題」から、 離れたことを考えてみるのも良いのではないでしょうか? 何故ならば、ケアの現場は息が詰まりそうなくらい どっぷりと浸かりながら仕事をしているので、 ある意味「考え方に柔軟性」を持ったり、 「想像力や創造力」を働かす余裕はないと言えます。 そのため認知症の人の理解と言っても、 自分に降りかかっている大変さを何とかしたいという意識の方が強く働くのでしょう。 そこで一旦、その息の詰まるような仕事の話から離れてみる 話し合いの場面があっってもいいかもしれません。 例えば、先日書いたようなショートステイ利用の方や家族への 「ちょっとした心遣い、気遣い」を主題にして、 「どのようなことが喜ばれるのだろうか」とか、「気遣い」ってどんなことだろうとか、 直接ケアの話ではない話をしてみること。 或いは旅行に行ったときに感じたざっくばらんな話をしてみてもいいかもしれません。 旅先のホスピタリティの良し悪しは、自分たちの仕事にも繋がっていくのです。 自分の推しの話をするのもいいでしょう。 何故その人(物)の推しになったのか。 そこには自分の心を揺るがす何かがあったからでしょう。 自分の心を揺るがすものってどのようなものなのか?  などなど、ケア実践とは全く違う話を討論してみる、 そんなカンファレンス? の時間があってもいいのではないでしょうか。 中之島美術館にもいる、シップスキャット   狭~い世界だけで論議するのではなく、違う視点で話しあってみると、 「これって、ケアに活かせるよね」っといったものが浮かんでくるかもしれません。 息が詰まるほどケアのことで頭が一杯!  だと、考える余地はないでしょう。 残った息を吐き出して、深呼吸をしなければ苦しさは増すだけです。 考える余地を生み出せるかどうか、心に空き地を作れるかどうか、 そのためには敢えてケアの世界から離れた話をしてみるのもいいのではないでしょうか。
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2024.08.24

心の荷物預かり所
夏バテ時には、心を笑わすことを行いましょう 大阪風に言えば、「なんでやねん!」と笑いながら突っ込むこと 夏バテに疲れた心には、そんな心をリラックスさせることが必要ですね。 笑いは脳の栄養とも言われています。 認知症の人の場合、脳の栄養が不足すると、認知症状の進行が早まります。 逆に笑いは認知症状を緩和させることができます。 同様に、認知症予防のために、笑いと言う栄養物質を脳に与えることは かなり効果があるとも言われています。 ということで、笑いやユーモア、楽しいジョークは、脳内物質を豊かにするのです。 さて、下記の写真 左の道標と右の道標 その間隔は、僅か一歩なのですが… 賤ヶ岳方面(右から左へ)へは、一歩で100メートル距離が延びるようです。 う~ん、この一歩、あまり進みたくないような 一歩歩くたびに距離が伸びていくようにも思います。 では、左から右、余呉湖方面は、この一歩で400メートルも進めるのです。 僅か一歩で400メートル進めるのはなんとも楽ちんですね。 と言うか、この道標、「なんでやねん!」と思わず突っ込みたくなるものでした。 カメラを持って、ぶらり歩いてみたら、 なんでやねん!と思わず突っ込んで笑ってしまうことがあるかもしれませんね。 そのように、心を働かせることで、暑い夏を乗り切りましょう!
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2024.08.16

心の荷物預かり所
信友直子さんの講演会にて 映画「ぼけますからよろしくお願いします」の監督である 信友直子さんの講演会に参加してきました。 信友さんはフジテレビでドキュメンタリー制作のディレクターなどで活躍されていた方で、 自分の母親が認知症になったことで、その姿を映像で納めた方です。 想像力を持てるかどうか、これは全てのキーワードであること カメラで撮影する中で、引きで(ワイドで)見ると、 客観的に視点を変えて見れる 「ぼけますからよろしくお願いします」とは、お母様が言われた言葉ですが、 たとえ認知症になっても社会で(地域で)支えてねという意味合いがある言葉だとも言えます。 実際に映画「ぼけますからよろしくお願いします」と、 続編「お母さんお帰り」を見ていただくことをお勧めします。 私はパネルディスカッションで司会を務めさせてもらったのですが、 続編に出てくるお母様の一時帰宅の場面 介護タクシーの運転手さんを探すのも大変だったようですが、 (家の中まで抱きかかえてはいるのは業務外であるし危険であると、多くの事業所に断られていた) その運転手さんが一時帰宅の場面で感動して号泣されたそうです。 介護保険制度と言う、制度でがんじがらめになる中 信友さんたち家族の思いを汲んだこの運転手さんの思い 今、このような思いが忘れられているような気がします。   (矢野健太郎氏撮影分) 因みに、信友さんのお父様は現在102歳 とにかく元気よく食べられる方です。長生きの秘訣ですね。 映画上映後、すっかり町(呉市)のアイドルになったようですが、 信友さんは、神戸中華街の行列ができる豚まん店の豚まんを買って帰り、 お父様は喜んで食されたようです。  (FBぼけますからよろしくお願いします より) プライムビデオは有料ですが、U-NEXTでは無料で見れるようです。 是非ともご覧ください。
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2024.07.12

心の荷物預かり所
介護職員とマインドフルネス 昨日のNHKの番組「トリセツ」で取り上げられた「新・瞑想法」(マインドフルネス)。 見られた方もおられるかもしれませんが、 「わかったような、わからなかったような」そんな感じだったのではないでしょうか。 要は、「わかったような、わからなかったような」ということが「わかった」ことがポイントなのです。 介護職は、身体も動かしますが、感情労働とも言われます。 身体も疲れるけど、それ以上に心が(脳が)疲れてしまうとも言えます。 認知症の人とのケアでは、多分に感情労働が多く、心が(脳が)疲れてしまうことが多いでしょう。 その介護職の精神的安定性を得るもののひとつとして、「マインドフルネス」があります。 瞑想とかいうと、怪しい宗教なのかなと思ってしまいますが、 例えばアップル社のような大企業でも実践されているものなのです。 簡単に言えば、「迷走」している心を「瞑想」を通じて「整える」という感じでしょうか。 「瞑想」だけピックアップすると、座禅でも組むような感じですが、 簡単にできる呼吸法もありますし、 何かに打ち込むことも、それ自体が「瞑想の代わり」を行っていることがあります。 例えば、プチプチを潰すときの行動。 これもある意味、瞑想しているとも言えます。 「マンダラート」に集中して実践することも、ある意味マインドフルネスと言えます。 (「マンダラート」の効能についてはまた別の機会に) 心がネガティブな記憶で一杯になった時、その混乱を落ち着かせて、 整理をし、前へ向いて再び歩ける気持ちになるための行動が、マインドフルネスと言えます。 まぁ私自身は10年以上前から提唱しているのですが、 私自身あまりやってませんので(苦笑)、反省しきりですが、 マインドフルネスの実践で心が落ち着いた人も多くおられます。 「瞑想」=「無」になることではなく、むしろ様々な雑念がある中で、 それをありのままに受け止め、(雑念は悪と思わずに)心の中に散らかった余計な雑念の中で、 嫌な思いという雑念は、「いつまでも持っていても、役に立たない」なと思えば、 さっさと心から掃き出せばいいのです。 まぁこのように書いても、「難しいな」「ようわからん」と思うでしょう。 その「難しいな、ようわからん」という気持ちを持ったなということに気づけば、 「まぁとにかく一度やって見よかな、それからやないと、ほっといたらわからんままやから。」と、 一歩前へ進めるのです。 私の説明よりも、介護職向けのマインドフルネスの本が出ていますので、それらも参照してください。 https://www.chuohoki.co.jp/products/welfare/5572/ マインドフルネスについては、また別の機会に取り上げたいと思います。
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2024.06.10

心の荷物預かり所
~心が揺れる~ 家族会より 認知症の人を介護する家族の会「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回は8名の方が参加されました。 娘、息子、夫、妻、嫁という様々な立場の方が参加されました。 個々それぞれの思いを打ち明けられていましたが、 共通していたのは、 「わかってはいても、つい怒ってしまう」と言うことです。 そしてそのあと、怒ってしまった自分を責めているのです。 そりゃそうですよね。 日頃から様々な認知症状に悩まされている介護者からすると、 ついついイラっとしてしまうことは当たり前と言えるでしょう。 そしてイラっとしてしまった自分を責める。 介護者にとっては逃げるに逃げられない状況の上、 毎日のこと。ついつい怒ってしまうことはあるでしょう。 「怒ったらあかんとわかっていても、怒ってしまう。」のです。 介護者の心は揺れまくりです。 また家での介護に限界を生じたときどうするか 家族の大いなる悩みは、「入所を考えるのか」 「入所後後悔しないだろうか」という 入所か否か、さらに入所してもらって、はたして心は落ち着くのだろうか? そんな悩みに心が揺れているという話も何人かから聞かれました。 施設入所させることに対する罪の意識のようなもの そして施設入所しても、そのような意識が続くのではないか… とても大きな家族の決断と悩みと言えるかもしれません。 心の揺れは、どのような決断をしたとしても続くのかもしれません。 ひとつ大事なことは、介護者(家族)が倒れたら、 当事者共々大変な状況になってしまうということです。 介護者にも介護者の人生があります。 自分の時間が欲しいということがいくらでもあると言えるでしょう。 介護者自身の人生も大切にすること。 それが第一でしょう。 しかし、心の揺れはどのような状況であれ、ついて回るかもしれません。 その心の揺れを受け止め、支えることが専門職の役割でもあるのです。
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2024.06.03

心の荷物預かり所
靴の履き間違えから ~「なんでも包括」の背景にあるもの~ 靴を履き間違えてお出掛けしたことはありませんか? 例えば、他人の靴を履いて帰るとか、左右別の靴を履いていくとか… 幸い私はまだそのようなことはありませんが、 いつやってしまうかもしれない出来事なのです。 最近訪問先で、靴を間違えて履いて帰ったという職員の話を聞いて思い出したことがありました。 私が大阪市の地域包括支援センターに在籍していた頃です。 地域のある開業医から電話が入りました。 「患者のAさんが、別の患者さんの靴を履いて帰った、家に行って取り戻してほしい。」 という内容でした。 「なんでも包括」と言われるように、最近は多種多様なことで包括に電話が掛かってきます。 この時も、「なんやねんこのドクター、そんなことで電話してくんな!」と思いました。 頭の中では愚痴と文句が溢れてましたが、 もしかしたら認知症状がある方かもしれないと思い、訪問することにしました。 この街のシンボル「見返りトミー」   Aさんは独り暮らしなのですが、自宅を訪問すると、黒ピカの靴が一杯玄関にありました。 ドクターからエナメルの黒い靴と聞いていたのですが、 どれが病院から履いて帰って来たのかわかりません。 ご本人はとても陽気な女性で、 「そうか、すまんすまん、どれが履いてきた靴かわからんわ。みんな持って行ってええよ。」と言われたのです。 どうやらAさんはきれいな靴を見かけると、 自分の汚れた靴を置いて、きれいな靴を履いて帰ってくるようです。 仕方なく私は、きれいな靴を全部持って開業医のところへ行ったのですが、 「他人が履いた靴なんかもう履けない。」と患者が言っていたので、 もういいよとのドクターからの返事でした。 ムカッと来た私でしたが、本人が置いていった汚れた靴をプラスして、Aさんの家に帰りました。 これがきっかけで、Aさんと関わるようになり、 認知症状が明確に出ていることがわかり、支援が必要なところがいくつもあったため、 介護サービス導入へと繋がっていったのです。 最初は「間違った靴を取り戻してほしい」というドクターからのとんでもない電話でしたが、 結果、独居の認知症高齢者の支援に繋がりました。 「なんでも包括」は困ったものですが、 中にはその背景に支援と繋がるものが隠れているとも言えます。 因みにこの開業医とは、このことがきっかけになり、 その他のケースとも気軽に連携が取れるようになりました。 ある意味Aさんの行動が、色々な人とのつながりを生み出したとも言えます。 Aさんはお散歩好きで、道端で会うこともありました。 「これから、がんこへ(がんこ寿司)食べに行くねん。一緒に行こか?」と言われたことがあります。 陽気なAさんでしたが、その人生のラストシーンは哀しいものでした。
ブログ投稿画像 ちょっと心も体も疲れたなと思ったら 星空を見上げてみてはどうでしょうか? おっと、大阪の空では星も見えませんね。 でも昨夜は、国際宇宙ステーションや人工衛星が飛ぶ姿が見えたり、 夏の大三角も見えました。 その夏の大三角の場所には、天の川があるのですが、 昨夜は大阪の空でも何となく見えた気がします。 あくまでも「気」ですけど。 [caption id="attachment_5873" align="alignnone" width="1024"] くじゅう高原 長者原にて[/caption]   まぁ大阪は無理だとしても、奈良や和歌山まで足を延ばせば、 星空をたくさん見ることはできるでしょう。 先日乗ったフェリーのさんふらわあの船上からも見ることが出来ました。 [caption id="attachment_5872" align="alignnone" width="1024"] くじゅう高原 長者原にて[/caption]   「なんで星って光ってるんやろなぁ~」 「そりゃ~ 心が癒されるからやろ。蛍の光と一緒とちゃうか。」 なんて言う、非科学的な会話が愉しいのです。 そうなんです。星の光も、蛍の光も、何故か心を癒す効果があるのです。 (非科学的と書きましたが、実際には脳科学的に証明されているかもしれませんが) まぁこれだけ科学技術が進歩しても、お化けや謎現象などの話、皆さん大好きですから。 [caption id="attachment_5871" align="alignnone" width="1024"] くじゅう高原 長者原にて[/caption]   ちょっと心が疲れたら、星の光を見に遠出をしてみましょう。 認知症の人も、非科学的な話は、感情に通じるので 愉しくお話ができます。 認知機能は厳しくなったとしても、非認知機能は豊かに働いているので 非科学的な話は盛り上がることができるでしょう。
ブログ投稿画像 カンファレンスと言うと、各個別ケースへのケアについてや、 ケアそのものの確認や技術に関するものや、認知症の人の理解(見かた捉え方)など、 私たちの主業務である「ケア」や「ケアマネジメント」のことが主題になると思います。 でもたまには「ケアという主題」から、 離れたことを考えてみるのも良いのではないでしょうか? 何故ならば、ケアの現場は息が詰まりそうなくらい どっぷりと浸かりながら仕事をしているので、 ある意味「考え方に柔軟性」を持ったり、 「想像力や創造力」を働かす余裕はないと言えます。 そのため認知症の人の理解と言っても、 自分に降りかかっている大変さを何とかしたいという意識の方が強く働くのでしょう。 そこで一旦、その息の詰まるような仕事の話から離れてみる 話し合いの場面があっってもいいかもしれません。 例えば、先日書いたようなショートステイ利用の方や家族への 「ちょっとした心遣い、気遣い」を主題にして、 「どのようなことが喜ばれるのだろうか」とか、「気遣い」ってどんなことだろうとか、 直接ケアの話ではない話をしてみること。 或いは旅行に行ったときに感じたざっくばらんな話をしてみてもいいかもしれません。 旅先のホスピタリティの良し悪しは、自分たちの仕事にも繋がっていくのです。 自分の推しの話をするのもいいでしょう。 何故その人(物)の推しになったのか。 そこには自分の心を揺るがす何かがあったからでしょう。 自分の心を揺るがすものってどのようなものなのか?  などなど、ケア実践とは全く違う話を討論してみる、 そんなカンファレンス? の時間があってもいいのではないでしょうか。 [caption id="attachment_5359" align="alignnone" width="1024"] 中之島美術館にもいる、シップスキャット[/caption]   狭~い世界だけで論議するのではなく、違う視点で話しあってみると、 「これって、ケアに活かせるよね」っといったものが浮かんでくるかもしれません。 息が詰まるほどケアのことで頭が一杯!  だと、考える余地はないでしょう。 残った息を吐き出して、深呼吸をしなければ苦しさは増すだけです。 考える余地を生み出せるかどうか、心に空き地を作れるかどうか、 そのためには敢えてケアの世界から離れた話をしてみるのもいいのではないでしょうか。
ブログ投稿画像 大阪風に言えば、「なんでやねん!」と笑いながら突っ込むこと 夏バテに疲れた心には、そんな心をリラックスさせることが必要ですね。 笑いは脳の栄養とも言われています。 認知症の人の場合、脳の栄養が不足すると、認知症状の進行が早まります。 逆に笑いは認知症状を緩和させることができます。 同様に、認知症予防のために、笑いと言う栄養物質を脳に与えることは かなり効果があるとも言われています。 ということで、笑いやユーモア、楽しいジョークは、脳内物質を豊かにするのです。 さて、下記の写真 左の道標と右の道標 その間隔は、僅か一歩なのですが… 賤ヶ岳方面(右から左へ)へは、一歩で100メートル距離が延びるようです。 う~ん、この一歩、あまり進みたくないような 一歩歩くたびに距離が伸びていくようにも思います。 では、左から右、余呉湖方面は、この一歩で400メートルも進めるのです。 僅か一歩で400メートル進めるのはなんとも楽ちんですね。 と言うか、この道標、「なんでやねん!」と思わず突っ込みたくなるものでした。 カメラを持って、ぶらり歩いてみたら、 なんでやねん!と思わず突っ込んで笑ってしまうことがあるかもしれませんね。 そのように、心を働かせることで、暑い夏を乗り切りましょう!
ブログ投稿画像 映画「ぼけますからよろしくお願いします」の監督である 信友直子さんの講演会に参加してきました。 信友さんはフジテレビでドキュメンタリー制作のディレクターなどで活躍されていた方で、 自分の母親が認知症になったことで、その姿を映像で納めた方です。 想像力を持てるかどうか、これは全てのキーワードであること カメラで撮影する中で、引きで(ワイドで)見ると、 客観的に視点を変えて見れる 「ぼけますからよろしくお願いします」とは、お母様が言われた言葉ですが、 たとえ認知症になっても社会で(地域で)支えてねという意味合いがある言葉だとも言えます。 実際に映画「ぼけますからよろしくお願いします」と、 続編「お母さんお帰り」を見ていただくことをお勧めします。 私はパネルディスカッションで司会を務めさせてもらったのですが、 続編に出てくるお母様の一時帰宅の場面 介護タクシーの運転手さんを探すのも大変だったようですが、 (家の中まで抱きかかえてはいるのは業務外であるし危険であると、多くの事業所に断られていた) その運転手さんが一時帰宅の場面で感動して号泣されたそうです。 介護保険制度と言う、制度でがんじがらめになる中 信友さんたち家族の思いを汲んだこの運転手さんの思い 今、このような思いが忘れられているような気がします。   (矢野健太郎氏撮影分) 因みに、信友さんのお父様は現在102歳 とにかく元気よく食べられる方です。長生きの秘訣ですね。 映画上映後、すっかり町(呉市)のアイドルになったようですが、 信友さんは、神戸中華街の行列ができる豚まん店の豚まんを買って帰り、 お父様は喜んで食されたようです。  (FBぼけますからよろしくお願いします より) プライムビデオは有料ですが、U-NEXTでは無料で見れるようです。 是非ともご覧ください。
ブログ投稿画像 昨日のNHKの番組「トリセツ」で取り上げられた「新・瞑想法」(マインドフルネス)。 見られた方もおられるかもしれませんが、 「わかったような、わからなかったような」そんな感じだったのではないでしょうか。 要は、「わかったような、わからなかったような」ということが「わかった」ことがポイントなのです。 介護職は、身体も動かしますが、感情労働とも言われます。 身体も疲れるけど、それ以上に心が(脳が)疲れてしまうとも言えます。 認知症の人とのケアでは、多分に感情労働が多く、心が(脳が)疲れてしまうことが多いでしょう。 その介護職の精神的安定性を得るもののひとつとして、「マインドフルネス」があります。 瞑想とかいうと、怪しい宗教なのかなと思ってしまいますが、 例えばアップル社のような大企業でも実践されているものなのです。 簡単に言えば、「迷走」している心を「瞑想」を通じて「整える」という感じでしょうか。 「瞑想」だけピックアップすると、座禅でも組むような感じですが、 簡単にできる呼吸法もありますし、 何かに打ち込むことも、それ自体が「瞑想の代わり」を行っていることがあります。 例えば、プチプチを潰すときの行動。 これもある意味、瞑想しているとも言えます。 「マンダラート」に集中して実践することも、ある意味マインドフルネスと言えます。 (「マンダラート」の効能についてはまた別の機会に) 心がネガティブな記憶で一杯になった時、その混乱を落ち着かせて、 整理をし、前へ向いて再び歩ける気持ちになるための行動が、マインドフルネスと言えます。 まぁ私自身は10年以上前から提唱しているのですが、 私自身あまりやってませんので(苦笑)、反省しきりですが、 マインドフルネスの実践で心が落ち着いた人も多くおられます。 「瞑想」=「無」になることではなく、むしろ様々な雑念がある中で、 それをありのままに受け止め、(雑念は悪と思わずに)心の中に散らかった余計な雑念の中で、 嫌な思いという雑念は、「いつまでも持っていても、役に立たない」なと思えば、 さっさと心から掃き出せばいいのです。 まぁこのように書いても、「難しいな」「ようわからん」と思うでしょう。 その「難しいな、ようわからん」という気持ちを持ったなということに気づけば、 「まぁとにかく一度やって見よかな、それからやないと、ほっといたらわからんままやから。」と、 一歩前へ進めるのです。 私の説明よりも、介護職向けのマインドフルネスの本が出ていますので、それらも参照してください。 https://www.chuohoki.co.jp/products/welfare/5572/ マインドフルネスについては、また別の機会に取り上げたいと思います。
ブログ投稿画像 認知症の人を介護する家族の会「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回は8名の方が参加されました。 娘、息子、夫、妻、嫁という様々な立場の方が参加されました。 個々それぞれの思いを打ち明けられていましたが、 共通していたのは、 「わかってはいても、つい怒ってしまう」と言うことです。 そしてそのあと、怒ってしまった自分を責めているのです。 そりゃそうですよね。 日頃から様々な認知症状に悩まされている介護者からすると、 ついついイラっとしてしまうことは当たり前と言えるでしょう。 そしてイラっとしてしまった自分を責める。 介護者にとっては逃げるに逃げられない状況の上、 毎日のこと。ついつい怒ってしまうことはあるでしょう。 「怒ったらあかんとわかっていても、怒ってしまう。」のです。 介護者の心は揺れまくりです。 また家での介護に限界を生じたときどうするか 家族の大いなる悩みは、「入所を考えるのか」 「入所後後悔しないだろうか」という 入所か否か、さらに入所してもらって、はたして心は落ち着くのだろうか? そんな悩みに心が揺れているという話も何人かから聞かれました。 施設入所させることに対する罪の意識のようなもの そして施設入所しても、そのような意識が続くのではないか… とても大きな家族の決断と悩みと言えるかもしれません。 心の揺れは、どのような決断をしたとしても続くのかもしれません。 ひとつ大事なことは、介護者(家族)が倒れたら、 当事者共々大変な状況になってしまうということです。 介護者にも介護者の人生があります。 自分の時間が欲しいということがいくらでもあると言えるでしょう。 介護者自身の人生も大切にすること。 それが第一でしょう。 しかし、心の揺れはどのような状況であれ、ついて回るかもしれません。 その心の揺れを受け止め、支えることが専門職の役割でもあるのです。
ブログ投稿画像 靴を履き間違えてお出掛けしたことはありませんか? 例えば、他人の靴を履いて帰るとか、左右別の靴を履いていくとか… 幸い私はまだそのようなことはありませんが、 いつやってしまうかもしれない出来事なのです。 最近訪問先で、靴を間違えて履いて帰ったという職員の話を聞いて思い出したことがありました。 私が大阪市の地域包括支援センターに在籍していた頃です。 地域のある開業医から電話が入りました。 「患者のAさんが、別の患者さんの靴を履いて帰った、家に行って取り戻してほしい。」 という内容でした。 「なんでも包括」と言われるように、最近は多種多様なことで包括に電話が掛かってきます。 この時も、「なんやねんこのドクター、そんなことで電話してくんな!」と思いました。 頭の中では愚痴と文句が溢れてましたが、 もしかしたら認知症状がある方かもしれないと思い、訪問することにしました。 [caption id="attachment_5662" align="alignnone" width="1024"] この街のシンボル「見返りトミー」[/caption]   Aさんは独り暮らしなのですが、自宅を訪問すると、黒ピカの靴が一杯玄関にありました。 ドクターからエナメルの黒い靴と聞いていたのですが、 どれが病院から履いて帰って来たのかわかりません。 ご本人はとても陽気な女性で、 「そうか、すまんすまん、どれが履いてきた靴かわからんわ。みんな持って行ってええよ。」と言われたのです。 どうやらAさんはきれいな靴を見かけると、 自分の汚れた靴を置いて、きれいな靴を履いて帰ってくるようです。 仕方なく私は、きれいな靴を全部持って開業医のところへ行ったのですが、 「他人が履いた靴なんかもう履けない。」と患者が言っていたので、 もういいよとのドクターからの返事でした。 ムカッと来た私でしたが、本人が置いていった汚れた靴をプラスして、Aさんの家に帰りました。 これがきっかけで、Aさんと関わるようになり、 認知症状が明確に出ていることがわかり、支援が必要なところがいくつもあったため、 介護サービス導入へと繋がっていったのです。 最初は「間違った靴を取り戻してほしい」というドクターからのとんでもない電話でしたが、 結果、独居の認知症高齢者の支援に繋がりました。 「なんでも包括」は困ったものですが、 中にはその背景に支援と繋がるものが隠れているとも言えます。 因みにこの開業医とは、このことがきっかけになり、 その他のケースとも気軽に連携が取れるようになりました。 ある意味Aさんの行動が、色々な人とのつながりを生み出したとも言えます。 Aさんはお散歩好きで、道端で会うこともありました。 「これから、がんこへ(がんこ寿司)食べに行くねん。一緒に行こか?」と言われたことがあります。 陽気なAさんでしたが、その人生のラストシーンは哀しいものでした。