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「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

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2023.09.27

心の荷物預かり所
その方の世界に付きあっていくこと 認知症の人と関わる中で、 時々「え?なんのこと?」というような話が出てくるときがあります。 それはかつてのその方が体験した記憶の一部のことが多いでしょう。 その記憶は例えれば、パズルのパーツの一つとも言えます。 認知症がない時は整っていたパズルの絵も、 認知機能の低下に伴い、その記憶というパーツが一つ抜け、二つ抜けしていきます。 やがてその記憶のパーツはバラバラになり、 まともな絵ではなくなってしまうのです。 これだけ見たらなんだかわからない形 これは長野県なのです。   しかし、その記憶のパーツは、全く失われるわけではなく、 何かの拍子で、何かの記憶パーツがふと言葉として出てきます。 それがいつどこでどのようなものなのか、 私たちには見当もつかないのですが、 その方にとっては、人生の大切な記憶のかけらと言えるのです。 しかし、私たちがその記憶のかけらのことを理解せず、 私たちの世界で判断して誘導したりしようとすると、 その方の世界に寄り添わず、トラブルになってしまいます。 ふと出てきたその方の記憶のかけら そしてその世界 その方にとっては、大切な人生の記憶の一部なのです。 その世界に私たちは付きあってあげること。 つまり、その方の世界の話で、会話を弾ませること。 もう少し詳しく言えば、私たちもその世界の話を楽しむということです。 もしかしたら、本人の記憶も、事実の記憶ではなく、 妄想や夢想から作られた記憶かもしれません。 私たちも、多かれ少なかれ、妄想や夢想があるように。 出てくる話が事実かどうかは別にして、 その方の世界に付きあい、共感すること。 それはその方の人生を大切にするということなのです。 そして私たち専門職の「傾聴」や「共感」の姿勢の トレーニングにもつながることなのです。 認知症の人は、認知症のためにわからないことが多い人ではなく、 私たち専門職にとって、その専門性をアップしてくれる すてきなトレーナーなのです。
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2023.09.15

心の荷物預かり所
マスター(師匠)に出会える日々 最近、80歳代のマスター(師匠)に会ったり話したりすることが度々あります。 先日は、2,300メートルの場所にある山小屋の84歳のオーナーに会ってきました。 若い従業員たちからはマスターと呼ばれている山小屋のオヤジさんとは、 35年前にちょっとしたことでお世話になった方でもあります。 つまり35年ぶりの再会。 84才でありながら、5時間の北アルプスの険しい山道を登って、 今も山小屋を守っているのです。   この山小屋のマスターのことは、後日詳しくお話しするとして、 実は、町の師匠と呼ばれる方が、結構身近にはおられるのですね。 認知症があってもなくても、様々な道を極めてきた人たちから、 学ぶことはまだまだ多いのです。 ケア実践者は、町のマスターたちから学ぶという姿勢をもっと持たなければならないでしょう。 単なる利用者と思うと、学びはなくなります。 今年新装なった2,926mの山頂の祠。きんぴかに光る薬師如来像が置かれています。ふもとから険しい山道を8時間登って着きます。   マスター(師匠)に言えることは、歳を取ればとるほど謙虚にかつ大きく捉えること。 「実るほど、こうべを垂れる稲穂かな」ですね。
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2023.08.21

心の荷物預かり所
認知症の人の「感情伝染」とは(4)~しつらえについて~ 少し本流(人と人の感情の動き)からずれますが、 認知症であってもなくても、周辺の環境が大きな影響を与えます。 最大の環境要因は人であることは、以前のブログにも書きましたが、 「生活環境」という観点からいえば、「しつらえ」も、感情に多大に影響するということになります。   殺風景な部屋にいるのか、そうでない部屋にいるのか、 それだけで感情に与える影響が変わってきます。 つまり、生活環境が良いか悪いかも感情伝染するということです。 生活環境が悪ければ、そこで住まわれる人の感情も砂漠化するのです。   例えば、デイサービスに来られる方も、 センターに入った時にほっと安心できる空間か、或いは、そうでないかは、 ポイントを付けるとすると、大きな得失点に繋がります。 もちろん、人の関わり方(挨拶や言葉遣いやケアの仕方)が一番大きいのですが、 入った時の印象も大きな得失点に繋がります。   皆さんも、病院でも、スーパーでも、様々なお店でも、 入った時の第一印象は心に刻印付けられますよね? 誰だって、落ち着くところにいたいと思いますよね? そんな当たり前のことを、意外と施設では行われていないかもしれません。   環境(雰囲気)は、その事業所の評価に大きく影響するということです。 「なんか知らんけど、ええ感じの雰囲気やな~」と、感じる、 質感(クオリア)を感じるかどうか、 つまり「しつらえ」(心地よい生活環境を整えること)は、 事業所の評価を高めるためにも、利用者の感情にも大いに影響を与えるものなのです。
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2023.08.04

心の荷物預かり所
若年性認知症介護家族の方の講演 東大阪社協で、キャラバンメイト養成講座が開かれ 若年性認知症の介護家族の方のお話がありました。 淡々と認知症の初期から現在に至るまでを話されていましたが、 男性介護者ゆえの戸惑いも多くあったようです。 特に、ご本人の認知症状が進む中、 かなりの焦燥感に襲われ、人間不信にもなられたとのこと。 しかし、地域包括支援センターや、ケアマネジャー、デイサービス担当者の専門職の皆さんに助けられたこと。 そしてそれらの専門職の皆さんが、みんな温かい笑顔で迎えてくれたこと それが何よりでしたと語っておられました。 また、地域住民の方が、認知症の人を避けるのではなく、 認知症の妻に対しても、気さくに挨拶をしてくれるだけでも 十分に気持ちが助けられるとも話されていました。 ただ診断をしてくれた病院が、「地域包括支援センター」という相談に行ける場所を紹介してくれなかったので、 自分で色々と探すことになり、その分回り道をしてしまったとのこと。 まだまだ地域包括支援センターの存在が知れ渡っていないということでもあるのです。 今回お話をしていただいた介護者は、12月9日に開催される 一般市民向け講演会においてもお話ししていただける予定です。 この講演会についての詳細は決まり次第お知らせします。
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2023.08.03

心の荷物預かり所
「心理的安全性」について 「心理的安全性」という言葉をご存知でしょうか? これはビジネス界で使われている言葉で、 主に職場環境改善の本として、リーダーや管理者向けに書かれていると言えます。 特に職場での部下への声のかけ方などが中心です。 私がよくお話しする「セキュアベース」とは少し意味合いが違いますが、 職員たちが心理的安全性を感じる中で仕事を行えるようにというものでしょうか。 本が何冊か出ているので、ビジネス界では重要なものとなっていると言えるでしょう。 リーダー的立場の人は一読しておく必要があるでしょう。 積乱雲がその威容を見せる季節です   ケアの現場では、職員の心理的安全性は、即、利用者の心理的安全性に繋がります。 利用者が生活する上での最大の環境要因は、ケア職員にあるからです。 認知症の人なら、なおさらケア職員の存在は大きくなります。 しかし、職員の心理的安全性は必要ですが、 何よりも利用者の心理的安全性を目指し、 確保しなければならないのがこのケアの仕事です。 映し出されている文字を読んでください。   考え方を整理すると、 「私たち(職員)の環境が悪いから、利用者の環境をよくできるはずがない」ではなく、 「利用者の生活環境をよくするためには、何が必要か?」というように、 イシュー(論点)を間違えないようにしなければなりません。 利用者のために何が必要か?と考えた中で、 そのひとつとして、職員の心理的安全性が必要というのが出てくることなのです。 「私たちがしんどいんやから、利用者の生活環境改善なんかできない。」という考えは、 お箸を逆さまに持って使うのと同じなのです。
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2023.07.27

心の荷物預かり所
月に咲く花 いぶし銀 「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」 私は彼のことを「いぶし銀のケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。 彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、 その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、 いつも自分は何をやってんだかと思ったものです。 決して目立つことはなく、地味だけど黙々と利用者に関わる姿は とかく自分は評価されたいと動く人たちが多い中で ある意味、異彩を放つ存在だったと言えます。 彼が突然亡くなってから1年 将来を託せる人の早逝は、痛手です。 彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。 決して華やかではないけれど、しっかりと咲いている路傍の花 自分は評価されたいと動き回るネオンのような光よりもはるかに美しいのです。 いつどこでどうなるかわからない人生。 一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。 どんなに暑くてもどんなに寒くても 宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が 今でも目に浮かびます。   「雨ニモマケズ」(石川改編) 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けず 新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも 丈夫なからだと心をもち 決して怒らず いつも冷静に対処し、利用者には笑っている 一日に、相談・訪問・デイ・ショート 守るべき人たちのことを よく見聞きし分かり そして忘れず 地域の住民や高齢者にとって 灯台のような建物から 東に病気の高齢者あれば 行って適切なマネジメントをし 西に疲れた介護者あれば 行ってそのつらさを受け止め 南に死にそうな人があれば 行って看取りを支え 北に認知症の人が不安の中にいれば あたたかなまなざしと言葉をかけ 日照りの時は汗を流して自転車をこぎ 寒い冬も北風に負けずに歩き マスコミにはその地味な努力を 褒められもせず 苦にもされず それでもひたすら頑張っている そういういぶし銀のようなあなたを 私は 誇りに思いたい。  
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2023.07.26

心の荷物預かり所
格別・至福の時(山頂からのご来光) 若い頃はガンガンに山に登っていて、 北アルプスもほとんどの山を登ってしまったくらいです。 この山に登ったのは29年前。 当時、デイサービスの一職員として働いていましたが、 仕事から来るストレスからか、激しい不整脈に襲われ、 もう山には登れない身体になってしまったのかと、ひどく落ち込んでいました。 医者からは心因性のものだから大丈夫と言われ、 それでも不整脈はあったので、「救心」を飲みながら恐々登ったのが「白山」(2702m)だったのです。 山頂に着いた時、登れた喜びから思わず涙した山でもありました。 その白山に29年ぶりに登ってきました。 この吊り橋を渡るところから登山は始まります   若い時と違って今は「へなちょこ登山者」です。 また若い人たちがやたら多く、登り下りともどんどん追い抜かれていきました。 いや本当に若い山ボーイ、山ガールが多くなり、ちょっとびっくりです。 はるか下の登山口から登ってきましたが、まだ中間点です。   5時間山を登り続けて山小屋に到着。 翌朝は3時起床、ライトの明かりの中、約45分かけて山頂へ。 雲海の向こうに上がるご来光を見る瞬間、格別、至福、そして心が洗われる瞬間でした。 いかに世界が広いか、逆にいかに自分の心が小さいかを感じるときでもあったのです。 槍穂高は残念ながら雲の中でした。   普段の私たちは、通勤に3時間(私の場合)、仕事時間が9時間、寝る時間を7時間として、 食事や入浴、片づけなどに2時間とすると、自由に使える時間は3時間ほどです。 その3時間に勉強したりということもありますし、趣味に関することもします。 仕事が長引けば、その自由な時間はもっと削られます。 つまり日々通り過ぎてしまう毎日の時間、自分が自由に使える時間はそんなにないのです。 まして子育てに追われると、それどころではないでしょう。 延命水、流れておらず延命できませんでした(苦笑)   しかし人の一生の時間は決められていません。 一人一人みな違うのです。 若くして亡くなる人もいれば、志半ばで亡くなる人もいます。 私も年上の人はもちろんのこと、同期どころか後輩が次々と亡くなっていきます。 普段気にしない人生の時間は有限であること。 登山はこの年齢ではさすがにきついけど、 これからもチャレンジの気持ちを忘れずに、 有限の時間を心潤う感動の時を求めて 有効的に使っていきたいと思います。 夜明け前の雰囲気が好きですね  
ブログ投稿画像 認知症の人と関わる中で、 時々「え?なんのこと?」というような話が出てくるときがあります。 それはかつてのその方が体験した記憶の一部のことが多いでしょう。 その記憶は例えれば、パズルのパーツの一つとも言えます。 認知症がない時は整っていたパズルの絵も、 認知機能の低下に伴い、その記憶というパーツが一つ抜け、二つ抜けしていきます。 やがてその記憶のパーツはバラバラになり、 まともな絵ではなくなってしまうのです。 [caption id="attachment_5080" align="alignnone" width="471"] これだけ見たらなんだかわからない形 これは長野県なのです。[/caption]   しかし、その記憶のパーツは、全く失われるわけではなく、 何かの拍子で、何かの記憶パーツがふと言葉として出てきます。 それがいつどこでどのようなものなのか、 私たちには見当もつかないのですが、 その方にとっては、人生の大切な記憶のかけらと言えるのです。 しかし、私たちがその記憶のかけらのことを理解せず、 私たちの世界で判断して誘導したりしようとすると、 その方の世界に寄り添わず、トラブルになってしまいます。 ふと出てきたその方の記憶のかけら そしてその世界 その方にとっては、大切な人生の記憶の一部なのです。 その世界に私たちは付きあってあげること。 つまり、その方の世界の話で、会話を弾ませること。 もう少し詳しく言えば、私たちもその世界の話を楽しむということです。 もしかしたら、本人の記憶も、事実の記憶ではなく、 妄想や夢想から作られた記憶かもしれません。 私たちも、多かれ少なかれ、妄想や夢想があるように。 出てくる話が事実かどうかは別にして、 その方の世界に付きあい、共感すること。 それはその方の人生を大切にするということなのです。 そして私たち専門職の「傾聴」や「共感」の姿勢の トレーニングにもつながることなのです。 認知症の人は、認知症のためにわからないことが多い人ではなく、 私たち専門職にとって、その専門性をアップしてくれる すてきなトレーナーなのです。
ブログ投稿画像 最近、80歳代のマスター(師匠)に会ったり話したりすることが度々あります。 先日は、2,300メートルの場所にある山小屋の84歳のオーナーに会ってきました。 若い従業員たちからはマスターと呼ばれている山小屋のオヤジさんとは、 35年前にちょっとしたことでお世話になった方でもあります。 つまり35年ぶりの再会。 84才でありながら、5時間の北アルプスの険しい山道を登って、 今も山小屋を守っているのです。   この山小屋のマスターのことは、後日詳しくお話しするとして、 実は、町の師匠と呼ばれる方が、結構身近にはおられるのですね。 認知症があってもなくても、様々な道を極めてきた人たちから、 学ぶことはまだまだ多いのです。 ケア実践者は、町のマスターたちから学ぶという姿勢をもっと持たなければならないでしょう。 単なる利用者と思うと、学びはなくなります。 [caption id="attachment_5040" align="alignnone" width="2048"] 今年新装なった2,926mの山頂の祠。きんぴかに光る薬師如来像が置かれています。ふもとから険しい山道を8時間登って着きます。[/caption]   マスター(師匠)に言えることは、歳を取ればとるほど謙虚にかつ大きく捉えること。 「実るほど、こうべを垂れる稲穂かな」ですね。
ブログ投稿画像 少し本流(人と人の感情の動き)からずれますが、 認知症であってもなくても、周辺の環境が大きな影響を与えます。 最大の環境要因は人であることは、以前のブログにも書きましたが、 「生活環境」という観点からいえば、「しつらえ」も、感情に多大に影響するということになります。   殺風景な部屋にいるのか、そうでない部屋にいるのか、 それだけで感情に与える影響が変わってきます。 つまり、生活環境が良いか悪いかも感情伝染するということです。 生活環境が悪ければ、そこで住まわれる人の感情も砂漠化するのです。   例えば、デイサービスに来られる方も、 センターに入った時にほっと安心できる空間か、或いは、そうでないかは、 ポイントを付けるとすると、大きな得失点に繋がります。 もちろん、人の関わり方(挨拶や言葉遣いやケアの仕方)が一番大きいのですが、 入った時の印象も大きな得失点に繋がります。   皆さんも、病院でも、スーパーでも、様々なお店でも、 入った時の第一印象は心に刻印付けられますよね? 誰だって、落ち着くところにいたいと思いますよね? そんな当たり前のことを、意外と施設では行われていないかもしれません。   環境(雰囲気)は、その事業所の評価に大きく影響するということです。 「なんか知らんけど、ええ感じの雰囲気やな~」と、感じる、 質感(クオリア)を感じるかどうか、 つまり「しつらえ」(心地よい生活環境を整えること)は、 事業所の評価を高めるためにも、利用者の感情にも大いに影響を与えるものなのです。
ブログ投稿画像 東大阪社協で、キャラバンメイト養成講座が開かれ 若年性認知症の介護家族の方のお話がありました。 淡々と認知症の初期から現在に至るまでを話されていましたが、 男性介護者ゆえの戸惑いも多くあったようです。 特に、ご本人の認知症状が進む中、 かなりの焦燥感に襲われ、人間不信にもなられたとのこと。 しかし、地域包括支援センターや、ケアマネジャー、デイサービス担当者の専門職の皆さんに助けられたこと。 そしてそれらの専門職の皆さんが、みんな温かい笑顔で迎えてくれたこと それが何よりでしたと語っておられました。 また、地域住民の方が、認知症の人を避けるのではなく、 認知症の妻に対しても、気さくに挨拶をしてくれるだけでも 十分に気持ちが助けられるとも話されていました。 ただ診断をしてくれた病院が、「地域包括支援センター」という相談に行ける場所を紹介してくれなかったので、 自分で色々と探すことになり、その分回り道をしてしまったとのこと。 まだまだ地域包括支援センターの存在が知れ渡っていないということでもあるのです。 今回お話をしていただいた介護者は、12月9日に開催される 一般市民向け講演会においてもお話ししていただける予定です。 この講演会についての詳細は決まり次第お知らせします。
ブログ投稿画像 「心理的安全性」という言葉をご存知でしょうか? これはビジネス界で使われている言葉で、 主に職場環境改善の本として、リーダーや管理者向けに書かれていると言えます。 特に職場での部下への声のかけ方などが中心です。 私がよくお話しする「セキュアベース」とは少し意味合いが違いますが、 職員たちが心理的安全性を感じる中で仕事を行えるようにというものでしょうか。 本が何冊か出ているので、ビジネス界では重要なものとなっていると言えるでしょう。 リーダー的立場の人は一読しておく必要があるでしょう。 [caption id="attachment_4948" align="alignnone" width="2560"] 積乱雲がその威容を見せる季節です[/caption]   ケアの現場では、職員の心理的安全性は、即、利用者の心理的安全性に繋がります。 利用者が生活する上での最大の環境要因は、ケア職員にあるからです。 認知症の人なら、なおさらケア職員の存在は大きくなります。 しかし、職員の心理的安全性は必要ですが、 何よりも利用者の心理的安全性を目指し、 確保しなければならないのがこのケアの仕事です。 [caption id="attachment_4949" align="alignnone" width="1226"] 映し出されている文字を読んでください。[/caption]   考え方を整理すると、 「私たち(職員)の環境が悪いから、利用者の環境をよくできるはずがない」ではなく、 「利用者の生活環境をよくするためには、何が必要か?」というように、 イシュー(論点)を間違えないようにしなければなりません。 利用者のために何が必要か?と考えた中で、 そのひとつとして、職員の心理的安全性が必要というのが出てくることなのです。 「私たちがしんどいんやから、利用者の生活環境改善なんかできない。」という考えは、 お箸を逆さまに持って使うのと同じなのです。
ブログ投稿画像 いぶし銀 「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」 私は彼のことを「いぶし銀のケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。 彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、 その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、 いつも自分は何をやってんだかと思ったものです。 決して目立つことはなく、地味だけど黙々と利用者に関わる姿は とかく自分は評価されたいと動く人たちが多い中で ある意味、異彩を放つ存在だったと言えます。 彼が突然亡くなってから1年 将来を託せる人の早逝は、痛手です。 彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。 決して華やかではないけれど、しっかりと咲いている路傍の花 自分は評価されたいと動き回るネオンのような光よりもはるかに美しいのです。 いつどこでどうなるかわからない人生。 一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。 どんなに暑くてもどんなに寒くても 宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が 今でも目に浮かびます。   「雨ニモマケズ」(石川改編) 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けず 新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも 丈夫なからだと心をもち 決して怒らず いつも冷静に対処し、利用者には笑っている 一日に、相談・訪問・デイ・ショート 守るべき人たちのことを よく見聞きし分かり そして忘れず 地域の住民や高齢者にとって 灯台のような建物から 東に病気の高齢者あれば 行って適切なマネジメントをし 西に疲れた介護者あれば 行ってそのつらさを受け止め 南に死にそうな人があれば 行って看取りを支え 北に認知症の人が不安の中にいれば あたたかなまなざしと言葉をかけ 日照りの時は汗を流して自転車をこぎ 寒い冬も北風に負けずに歩き マスコミにはその地味な努力を 褒められもせず 苦にもされず それでもひたすら頑張っている そういういぶし銀のようなあなたを 私は 誇りに思いたい。  
ブログ投稿画像 若い頃はガンガンに山に登っていて、 北アルプスもほとんどの山を登ってしまったくらいです。 この山に登ったのは29年前。 当時、デイサービスの一職員として働いていましたが、 仕事から来るストレスからか、激しい不整脈に襲われ、 もう山には登れない身体になってしまったのかと、ひどく落ち込んでいました。 医者からは心因性のものだから大丈夫と言われ、 それでも不整脈はあったので、「救心」を飲みながら恐々登ったのが「白山」(2702m)だったのです。 山頂に着いた時、登れた喜びから思わず涙した山でもありました。 その白山に29年ぶりに登ってきました。 [caption id="attachment_4916" align="alignnone" width="2560"] この吊り橋を渡るところから登山は始まります[/caption]   若い時と違って今は「へなちょこ登山者」です。 また若い人たちがやたら多く、登り下りともどんどん追い抜かれていきました。 いや本当に若い山ボーイ、山ガールが多くなり、ちょっとびっくりです。 [caption id="attachment_4915" align="alignnone" width="2560"] はるか下の登山口から登ってきましたが、まだ中間点です。[/caption]   5時間山を登り続けて山小屋に到着。 翌朝は3時起床、ライトの明かりの中、約45分かけて山頂へ。 雲海の向こうに上がるご来光を見る瞬間、格別、至福、そして心が洗われる瞬間でした。 いかに世界が広いか、逆にいかに自分の心が小さいかを感じるときでもあったのです。 [caption id="attachment_4913" align="alignnone" width="2048"] 槍穂高は残念ながら雲の中でした。[/caption]   普段の私たちは、通勤に3時間(私の場合)、仕事時間が9時間、寝る時間を7時間として、 食事や入浴、片づけなどに2時間とすると、自由に使える時間は3時間ほどです。 その3時間に勉強したりということもありますし、趣味に関することもします。 仕事が長引けば、その自由な時間はもっと削られます。 つまり日々通り過ぎてしまう毎日の時間、自分が自由に使える時間はそんなにないのです。 まして子育てに追われると、それどころではないでしょう。 [caption id="attachment_4914" align="alignnone" width="2560"] 延命水、流れておらず延命できませんでした(苦笑)[/caption]   しかし人の一生の時間は決められていません。 一人一人みな違うのです。 若くして亡くなる人もいれば、志半ばで亡くなる人もいます。 私も年上の人はもちろんのこと、同期どころか後輩が次々と亡くなっていきます。 普段気にしない人生の時間は有限であること。 登山はこの年齢ではさすがにきついけど、 これからもチャレンジの気持ちを忘れずに、 有限の時間を心潤う感動の時を求めて 有効的に使っていきたいと思います。 [caption id="attachment_4912" align="alignnone" width="300"] 夜明け前の雰囲気が好きですね[/caption]