ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo

「心の荷物預かり所」で記事を検索しました。

ブログ投稿画像

2020.01.28

心の荷物預かり所
最後だとわかっていたなら センター長の石川です 先日、神戸ノエビアスタジアムで、ラグビー神戸製鋼と新日鉄釜石のOB戦がありました。 50~60歳代のオールドラガーマンが試合を行ったわけですが、 その趣旨は、お互いに震災があった地域としてその体験を忘れず、結びつきを深め、ともに歩んでいこうというものでした。 OB戦ノーサイド後の両チーム選手の交流風景です(ノエビアスタジアム) この時期に来ると思い出す詩があります。 阪神・淡路大震災の時、その男性は倒壊した家の瓦礫の中から小学生の娘を救い出します。幸運にも助けられた命でした。 時が経ち、その娘さんは仙台にお嫁に行きます。子どもが出来たとの知らせに初孫の顔が見られると男性は楽しみにしていました。 しかし、東北の大震災は、阪神の震災を生き抜いた娘さんの命を津波と共に奪ってしまったのです。 震災で亡くなられた方々のお名前が刻まれています(神戸) 悲嘆にくれるその男性が出会ったのが、ノーマ・コレット・マレックさんの詩だったのです。 私たちは日々この日この時を大して意識せずに暮らしています。 時に大げんかをしてしまった人もいるかもしれません。しかしそれがもし最後だったとしたならば、大ゲンカしたことが最後の記憶になります。 自分の感情にまかせて怒ってしまった時、もしかしたらそれがその人への最後の記憶になるかもしれません。そしてその記憶はずっと自分を苦しめることかもしれません。 忙しさを理由に、その人の最後の願いになってしまったことを聞いてあげられなかったとき、それは一生悔やむことになるかもしれません。 私たちの仕事に通じることでもあるのでしょう。 私は研修で、しっとりとした曲とともにこの詩を流す時があります。 今回、曲はありませんが、読んでもらえるだけで、一日一日を大切にしたい、人に暖かくしたいと思うのではないでしょうか。 昼と夜の間の刹那時 「最後だとわかっていたなら」 あなたがドアを出ていくのを見るのが   最後だとわかっていたら わたしは あなたを抱きしめて         キスをして    そしてまたもう一度呼び寄せて         抱きしめただろう あなたは言われなくとも    わかってくれていたかもしれないけれど   最後だとわかっていたら          一言だけでもいい  「あなたを愛してる」と          わたしは 伝えただろう たしかにいつも明日はやってくる    でももしそれが私の勘違いで   今日ですべてが終わるのだとしたら、  わたしは 今日     どんなにあなたを愛しているか 伝えたい そしてわたしたちは           忘れないようにしたい 若くても年老いていても時間は平等に過ぎ去ります 若い人にも  年老いた人にも         明日は誰にも   約束されていないのだということを 愛する人を抱きしめられるのは    今日が最後になるかもしれないことを 微笑みや 抱擁や キスをするための      ほんのちょっとの時間を           どうして惜しんだのかと 忙しさを理由に  その人の最後の願いとなってしまったことを    どうして してあげられなかったのかと また1日歳をとる準備の景色 あなたはどの言葉とともに生きるのだろう だから 今日     あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう  「ごめんね」や        「許してね」や     「ありがとう」や             「気にしないで」を        伝える時をもとう そうすれば      もし明日が来ないとしても    あなたは今日を            後悔しないだろうから   ノーマ・ コーネット・ マレック 作 サンクチュアリ出版 「最後だとわかっていたなら」より 佐川 睦 訳
ブログ投稿画像

2019.12.16

心の荷物預かり所
1秒を実感する瞬間 センター長の石川です。 最近はブログをさぼり気味です。 実は、ネタはたくさんあるのです。 特にラグビーネタは山ほどに(笑) もちろん認知症のお話も。 でもなかなか、たどり着けない… そういえば、稲田の訓練の様子。稲田が載せてない! なんてことだ! まぁそのうちに私が撮った写真を元に載せることにします。 と言うように、時間はあっという間に過ぎていきます。 その時間、1秒1秒の積み重ね。 新しい時間はあっという間に訪れ、あっという間に過去の時間になってしまいますね。 そんな、1秒を感じるときが、 もう随分過ぎ去った時間になりますが、 令和元年11月11日11時11分11秒にありました! 宇宙との繋がりは、計り知れないほどの時間の積み重ねですね。(野辺山にて) この日、私はデイサービスの皆さんと共にカウントダウン? いや、11分0秒から読み上げていったので、カウントアップ!?をしました。 瞬く間に12秒になってしまいましたが、 令和元年11月11日11時11分11秒の1秒を、皆さんで共有した時間でした。 さて、作為ではなく、本当に偶然だったそうですが、 阪急電車では、なんと車両番号が1111の電車がこの日の11時11分に出発したそうです。 偶然にしてはあまりにも奇跡的な偶然ですね。 朝日デジタルより 阪急は10、20分などの時間に急行や特急が出発し、1分後に普通が出発するので、 11時11分発があったのですね。 それにしてもこの日のこの時間の電車の車両番号までが1111とは… 次は令和11年11月11日ですかね。 その前に、令和2年2月22日2時(或いは22時)22分22秒ですかね~ う~ん、デイサービスでのカウントダウンはできないな(苦笑) 午後2時という考えならば、出来そうですね~
ブログ投稿画像

2019.09.06

心の荷物預かり所
三億キロ彼方に思いを寄せて センター長の石川です。 長い林道をひたすら登っていくと、突然目の前に巨大なパラボラアンテナが現れます。 突然、でっかいアンテナが現れます。 これはJAXAの直径64メートル、総重量2000トンに及ぶ巨大アンテナで、宇宙探査機の追跡管制を行います。つまり探査機への動作指令や、データ受信などをこのアンテナで行っているのです。 今は地球から約3億キロ(距離は位置によって、前後します)離れた「リュウグウ」にいる「はやぶさ2」と通信をしているのがこのアンテナなのです。 はるか彼方からくる微弱な電波を受けるでかいアンテナですね! 3億キロも離れたところとやりとりするので、とても微弱な電波を捉えることになります。 この時は、はやぶさ2と通信中でした。 電波が波打っているときは、はやぶさ2と通信中です。 このアンテナが向かう遥か遥か3億キロ離れた彼方の宇宙に、小さな小さな小さな「はやぶさ2」がいるのだと思うだけで、ちょっとワクワクしてしまいますし、はやぶさ2と繋がった気がします。 三億キロ彼方のはやぶさ2に電波を送っています。 宇宙を見上げると、私たちがいかに小さな世界、小さな社会の中で、いがみあったり、ぶつかったりしていることが、とても情けないことであるということがわかりますね。 宇宙の星々はとてつもなく遠いです。
ブログ投稿画像

2019.07.11

心の荷物預かり所
織姫星と彦星の真実 センター長の石川です。 ちょっとブログをさぼっておりました。 そのため、七夕様の記事も今頃にということです。 さて、今年の七夕様、織姫さんと彦さんは逢えたのでしょうか? 7日の夜は、私はテレビの「ノーサイドゲーム」を見ていたので、この日の星空は知りません(苦笑) でも前日の七夕イブの夜、一瞬切れた雲の隙間から夏の大三角を写すことが出来ました。 織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)もはっきりと写っていました。 天の川も雲なのかどうなのかよくわかりませんが、写っているようです。 梅雨の合間のたなばたイブ、かろうじて見ることが出来ました   年に一度逢うと言われる織姫と彦さん 実際にはこの二つの星の距離は、 152,000,000,000,000キロ 152兆キロ離れているのです。 新幹線のぞみ号なら、5700万年、牛車なら87億年かかる距離なんですね~ う~ん、毎年なんて会えないな~ 光のスピードでも15~16年かかってしまいます。 まぁきっと最新の宇宙船に乗って、ワープしているのかもしれませんが、そうなると風情がないですね。 ベガは地球から25光年、アルタイルは17光年、デネブは1400光年も離れています。 この写真は天の川がはっきりと写っているものです。 今年はまだお目にかかってません。 上方の星がデネブと言います。下方の左側がアルタイル(彦)、天の川から少し離れたところに ベガ(織姫)で、この三星を結んで夏の大三角と言います。 晴れた日なら、大阪の空でも見ることが出来ますよ。 早く梅雨が終わってほしいですね。
ブログ投稿画像

2019.06.24

心の荷物預かり所
まなざしの先にあるものは 写真家渋谷敦志さん センター長の石川です。 以前にも紹介したことがあります渋谷敦志さんの写真展が現在大阪で開かれています。 アフリカの紛争、貧困、飢餓地域を取材に行かれた時の写真が中心の展示会です。 まなざしの先にあるものは… 撮る側と撮られる側と、その相手のまなざしにどう答えていくのか。奥深いテーマでもあります。写真から何を想うか、それも見る人の解釈の仕方で変わるかもしれません。 撮影はOKでした。もう少しほかの写真も撮ればよかったと後悔。 渋谷さんはギャラリートークで決められた時間以外も、気さくに来訪者と話をしてくれます。 7月4日まで開催されてます 特にこちらがファインダーを通じて見つめる人たちのまなざしは、私のことをどう見ているのか、「見ているつもりが見られている」という話は、私たちケア実践者も同じで、私たちは利用者様にしっかりと見られ、判断されているのだということを忘れて、私たち視点からばかり見ているところがあるとも言えるかもしれません。 渋谷さんとともに 様々な領域の方とお話しするのは楽しいものです。ケアに結び付けられるヒントもいっぱいもらえます。 もしお時間があれば、まなざしが出会える場所に訪れてみてはどうでしょうか。 富士フォトサロン(大阪本町) 7月4日まで。大阪メトロ本町駅下車 富士フイルムフォトサロンにて。 本も読見応えがあります。
ブログ投稿画像

2019.06.10

心の荷物預かり所
姨捨山伝説 姨捨山伝説は各地にいくつかありますが、今回は長野県のお話。 川中島の合戦場を見下ろす位置に「姨捨駅」があります。 この駅や姨捨サービスエリアに来るたびに、お婆さんが捨てられてないか心配になってしまいます(笑) 無人駅なので、出入り自由です。観光ブームで?立派な駅舎になりました。 この「姨捨」は、「田毎の月」でも有名な場所です。 ここから見下ろす棚田は最近ちょっとした観光名所になりました。 豪華列車「四季島」も停車し、乗客は列車から降りて、この棚田を見下ろすそうです。 「田毎の月」とは、田んぼに水が張られたときにそのひとつひとつの田んぼに月が映る風情から、昔から名所として知られていたようです。 安藤広重も描いていますので、昔から有名な場所だったのですね。 私が訪れた時は新月。雲も出ていましたので、星も月も田んぼには映りませんでした。 わかりずらいですが、手前に棚田、その向こうは川中島、そして長野市街の明かりです。 さて、「姨捨山伝説」については、写真の説明のように、決して悲しい話ではなく、むしろお年寄りを大切にしよう、お年寄りの知恵を大事にしようという話なのです。 姨捨伝説のお話しです。お年寄りは知恵袋ですね。 ただこの説明文には記されてないのですが、とても大事なお話の部分があります。写真の説明文の前の方の部分になります。 田毎の月の絵 向こうに見えるのは姨捨山(冠着山)か。 「村では一定の年齢になった老人を山に捨てに行く取り決めがありました。ある村人の母親もその年齢になり、満月の夜、村人は年老いた母親を背負いながら姨捨山(今は冠着山と呼ばれている)に登り始めました。村人が息を切らしながら山道を登っていると背中のばあちゃん(母親)が木々の枝を折っては山道に落としていくのです。村人はまたわけのわからないことをばあちゃんがやっていると思っていました。 そして村人は山頂に着き、ばあちゃんを降ろしました。満月は山陰に沈みかけ、辺りには暗闇が迫っていました。にこにこと笑顔で見送る母親の姿に後ろ髪引かれる思いで、村人は山道を下り始めました。するとどうでしょう。月明りもなく道がわかりにくくなっていたのですが、ばあちゃんが折って落とした木の枝を踏む音で帰り道がわかるのです。息子が無事に村へ帰れるようにとばあちゃんが枝を折っていたのだとわかると、息子は「ばあちゃん捨てられない!」と引き戻り、再びばあちゃんを背負って村まで帰ったのでした。」 あとは、写真の説明の通りです。 姨捨山伝説にはこのように、母の思い、息子の思いも語られているのです。単に口減らしのために山に捨てられる高齢者の話ではないのです。 去り行く電車の姿が似合う駅です.ここはスイッチバックが行われる場所ともなっています。 幸い(笑)駅に捨てられたおばあさんはいませんでしたが、同行の友人は「姨捨山老人ホーム」という名前のホームがあればいいのにねと言います。「私は捨てられるようにこの老人ホームに入れられたけど、でもこの老人ホームめっちゃ過ごしやすい!来て満足!捨てられてよかった!」と利用者が言うようなホームがあればいいのにねと。なるほど、名前は姨捨だけど、捨てられてよかった!と本人が言うような老人ホーム。それもまたおもしろいかもしれませんね(笑)
ブログ投稿画像

2019.06.06

心の荷物預かり所
見つかって本当によかったよ~!(高橋まゆみ人形館より) 長野県飯山市に「高橋まゆみ人形館」があります。 旅の途中に寄った所でしたが 心にグググッとくる人形がありました。 粘土で作られた爺やんや婆やんたちの表情が実に素晴らしいのですが、 その中で、雪の中でばあちゃんをぎゅっと抱きしめるじいちゃんの写真に引き付けられました。 (写真はポストカードを接写したものです) ばあちゃん,ああ、本当に見つかってよかった! まさしく道に迷っていた認知症のばあちゃんを見つけた時の 「無事でいてくれた!本当に良かった!」 という、じいちゃんの思いがひしひしと伝わってくるものでした。 膝には雪が付いていて、もしかしたら転んだのかもしれません。 後でわかったのですが、実際に認知症のとある方をモデルにしたのだとか。 写真では横顔しかわかりませんが、 展示してある人形では、ばあちゃんの表情がすごくよくわかります。 これだけ喜んでいるじいちゃんに対して、 混とんとした自分の頭の世界から抜け出せないばあちゃんの表情が見事に描かれています。 写真と違って、立体的に見える人形は それぞれの視点から見えるものが違って、感じるものも違ってきました。 (展示人形は撮影禁止です) こんな明るい爺やん婆やんの人形も一杯展示されています。 人生楽しまなあかんで~ って、言ってるような。   もう一枚、心にググっと入ってきた人形があったのですが、 それは次回に。 高橋まゆみ人形館のHPはこちらです。 https://www.ningyoukan.net/     認知症の人が道に迷っても、「見つかってよかった!」となるように!
ブログ投稿画像 センター長の石川です 先日、神戸ノエビアスタジアムで、ラグビー神戸製鋼と新日鉄釜石のOB戦がありました。 50~60歳代のオールドラガーマンが試合を行ったわけですが、 その趣旨は、お互いに震災があった地域としてその体験を忘れず、結びつきを深め、ともに歩んでいこうというものでした。 [caption id="attachment_1280" align="aligncenter" width="650"] OB戦ノーサイド後の両チーム選手の交流風景です(ノエビアスタジアム)[/caption] この時期に来ると思い出す詩があります。 阪神・淡路大震災の時、その男性は倒壊した家の瓦礫の中から小学生の娘を救い出します。幸運にも助けられた命でした。 時が経ち、その娘さんは仙台にお嫁に行きます。子どもが出来たとの知らせに初孫の顔が見られると男性は楽しみにしていました。 しかし、東北の大震災は、阪神の震災を生き抜いた娘さんの命を津波と共に奪ってしまったのです。 [caption id="attachment_1279" align="aligncenter" width="650"] 震災で亡くなられた方々のお名前が刻まれています(神戸)[/caption] 悲嘆にくれるその男性が出会ったのが、ノーマ・コレット・マレックさんの詩だったのです。 私たちは日々この日この時を大して意識せずに暮らしています。 時に大げんかをしてしまった人もいるかもしれません。しかしそれがもし最後だったとしたならば、大ゲンカしたことが最後の記憶になります。 自分の感情にまかせて怒ってしまった時、もしかしたらそれがその人への最後の記憶になるかもしれません。そしてその記憶はずっと自分を苦しめることかもしれません。 忙しさを理由に、その人の最後の願いになってしまったことを聞いてあげられなかったとき、それは一生悔やむことになるかもしれません。 私たちの仕事に通じることでもあるのでしょう。 私は研修で、しっとりとした曲とともにこの詩を流す時があります。 今回、曲はありませんが、読んでもらえるだけで、一日一日を大切にしたい、人に暖かくしたいと思うのではないでしょうか。 [caption id="attachment_1278" align="aligncenter" width="650"] 昼と夜の間の刹那時[/caption] 「最後だとわかっていたなら」 あなたがドアを出ていくのを見るのが   最後だとわかっていたら わたしは あなたを抱きしめて         キスをして    そしてまたもう一度呼び寄せて         抱きしめただろう あなたは言われなくとも    わかってくれていたかもしれないけれど   最後だとわかっていたら          一言だけでもいい  「あなたを愛してる」と          わたしは 伝えただろう たしかにいつも明日はやってくる    でももしそれが私の勘違いで   今日ですべてが終わるのだとしたら、  わたしは 今日     どんなにあなたを愛しているか 伝えたい そしてわたしたちは           忘れないようにしたい [caption id="attachment_1277" align="aligncenter" width="650"] 若くても年老いていても時間は平等に過ぎ去ります[/caption] 若い人にも  年老いた人にも         明日は誰にも   約束されていないのだということを 愛する人を抱きしめられるのは    今日が最後になるかもしれないことを 微笑みや 抱擁や キスをするための      ほんのちょっとの時間を           どうして惜しんだのかと 忙しさを理由に  その人の最後の願いとなってしまったことを    どうして してあげられなかったのかと [caption id="attachment_1276" align="aligncenter" width="650"] また1日歳をとる準備の景色 あなたはどの言葉とともに生きるのだろう[/caption] だから 今日     あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう  「ごめんね」や        「許してね」や     「ありがとう」や             「気にしないで」を        伝える時をもとう そうすれば      もし明日が来ないとしても    あなたは今日を            後悔しないだろうから   ノーマ・ コーネット・ マレック 作 サンクチュアリ出版 「最後だとわかっていたなら」より 佐川 睦 訳
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 最近はブログをさぼり気味です。 実は、ネタはたくさんあるのです。 特にラグビーネタは山ほどに(笑) もちろん認知症のお話も。 でもなかなか、たどり着けない… そういえば、稲田の訓練の様子。稲田が載せてない! なんてことだ! まぁそのうちに私が撮った写真を元に載せることにします。 と言うように、時間はあっという間に過ぎていきます。 その時間、1秒1秒の積み重ね。 新しい時間はあっという間に訪れ、あっという間に過去の時間になってしまいますね。 そんな、1秒を感じるときが、 もう随分過ぎ去った時間になりますが、 令和元年11月11日11時11分11秒にありました! [caption id="attachment_1198" align="aligncenter" width="650"] 宇宙との繋がりは、計り知れないほどの時間の積み重ねですね。(野辺山にて)[/caption] この日、私はデイサービスの皆さんと共にカウントダウン? いや、11分0秒から読み上げていったので、カウントアップ!?をしました。 瞬く間に12秒になってしまいましたが、 令和元年11月11日11時11分11秒の1秒を、皆さんで共有した時間でした。 さて、作為ではなく、本当に偶然だったそうですが、 阪急電車では、なんと車両番号が1111の電車がこの日の11時11分に出発したそうです。 偶然にしてはあまりにも奇跡的な偶然ですね。 [caption id="attachment_1200" align="aligncenter" width="640"] 朝日デジタルより[/caption] 阪急は10、20分などの時間に急行や特急が出発し、1分後に普通が出発するので、 11時11分発があったのですね。 それにしてもこの日のこの時間の電車の車両番号までが1111とは… 次は令和11年11月11日ですかね。 その前に、令和2年2月22日2時(或いは22時)22分22秒ですかね~ う~ん、デイサービスでのカウントダウンはできないな(苦笑) 午後2時という考えならば、出来そうですね~
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 長い林道をひたすら登っていくと、突然目の前に巨大なパラボラアンテナが現れます。 [caption id="attachment_985" align="aligncenter" width="650"] 突然、でっかいアンテナが現れます。[/caption] これはJAXAの直径64メートル、総重量2000トンに及ぶ巨大アンテナで、宇宙探査機の追跡管制を行います。つまり探査機への動作指令や、データ受信などをこのアンテナで行っているのです。 今は地球から約3億キロ(距離は位置によって、前後します)離れた「リュウグウ」にいる「はやぶさ2」と通信をしているのがこのアンテナなのです。 [caption id="attachment_987" align="aligncenter" width="650"] はるか彼方からくる微弱な電波を受けるでかいアンテナですね![/caption] 3億キロも離れたところとやりとりするので、とても微弱な電波を捉えることになります。 この時は、はやぶさ2と通信中でした。 [caption id="attachment_984" align="aligncenter" width="650"] 電波が波打っているときは、はやぶさ2と通信中です。[/caption] このアンテナが向かう遥か遥か3億キロ離れた彼方の宇宙に、小さな小さな小さな「はやぶさ2」がいるのだと思うだけで、ちょっとワクワクしてしまいますし、はやぶさ2と繋がった気がします。 [caption id="attachment_986" align="aligncenter" width="650"] 三億キロ彼方のはやぶさ2に電波を送っています。[/caption] 宇宙を見上げると、私たちがいかに小さな世界、小さな社会の中で、いがみあったり、ぶつかったりしていることが、とても情けないことであるということがわかりますね。 [caption id="attachment_988" align="aligncenter" width="650"] 宇宙の星々はとてつもなく遠いです。[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 私はアニメファンでも、アニメオタクでもなく、まったく知らないと言ってもいいくらいなのですが、しかし、CGではない手書きの繊細さが見事な日本製アニメは、世界中の若者たちとの共感を生んでいることは知っていました。 とかく日本と対立的な国でも、アニメを通じて日本と繋がっている。 政治家にはできない市民レベルの繋がりが出来ていたと言えますね。 そういう意味では、日本の文化・産業としても大いなる損失ですし、 何よりも多くの若い人の命が断たれたのはあまりにも悲しいことです。 振り返れば、「聲の形」などは、所詮アニメじゃんって、バカにできる内容のものでもないです。 [caption id="attachment_877" align="aligncenter" width="400"] いじめの問題を取り上げていました。[/caption] 京都アニメーション最新作の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の映像は芸術品を見るかのようなものです。この映像を描いた人たちが今はもういないのです。 たかがアニメというなかれ。 世界中の人の心が繋がっているもの 「アニメなんてオタクが見るもの」と思って、めったに見ない人も、一度見てみたらどうでしょうか。 私もその一人ですが。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 ちょっとブログをさぼっておりました。 そのため、七夕様の記事も今頃にということです。 さて、今年の七夕様、織姫さんと彦さんは逢えたのでしょうか? 7日の夜は、私はテレビの「ノーサイドゲーム」を見ていたので、この日の星空は知りません(苦笑) でも前日の七夕イブの夜、一瞬切れた雲の隙間から夏の大三角を写すことが出来ました。 織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)もはっきりと写っていました。 天の川も雲なのかどうなのかよくわかりませんが、写っているようです。 [caption id="attachment_856" align="aligncenter" width="650"] 梅雨の合間のたなばたイブ、かろうじて見ることが出来ました[/caption]   年に一度逢うと言われる織姫と彦さん 実際にはこの二つの星の距離は、 152,000,000,000,000キロ 152兆キロ離れているのです。 新幹線のぞみ号なら、5700万年、牛車なら87億年かかる距離なんですね~ う~ん、毎年なんて会えないな~ 光のスピードでも15~16年かかってしまいます。 まぁきっと最新の宇宙船に乗って、ワープしているのかもしれませんが、そうなると風情がないですね。 [caption id="attachment_857" align="aligncenter" width="650"] ベガは地球から25光年、アルタイルは17光年、デネブは1400光年も離れています。[/caption] この写真は天の川がはっきりと写っているものです。 今年はまだお目にかかってません。 上方の星がデネブと言います。下方の左側がアルタイル(彦)、天の川から少し離れたところに ベガ(織姫)で、この三星を結んで夏の大三角と言います。 晴れた日なら、大阪の空でも見ることが出来ますよ。 早く梅雨が終わってほしいですね。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 以前にも紹介したことがあります渋谷敦志さんの写真展が現在大阪で開かれています。 アフリカの紛争、貧困、飢餓地域を取材に行かれた時の写真が中心の展示会です。 [caption id="attachment_826" align="aligncenter" width="650"] まなざしの先にあるものは…[/caption] 撮る側と撮られる側と、その相手のまなざしにどう答えていくのか。奥深いテーマでもあります。写真から何を想うか、それも見る人の解釈の仕方で変わるかもしれません。 [caption id="attachment_827" align="aligncenter" width="650"] 撮影はOKでした。もう少しほかの写真も撮ればよかったと後悔。[/caption] 渋谷さんはギャラリートークで決められた時間以外も、気さくに来訪者と話をしてくれます。 [caption id="attachment_830" align="aligncenter" width="650"] 7月4日まで開催されてます[/caption] 特にこちらがファインダーを通じて見つめる人たちのまなざしは、私のことをどう見ているのか、「見ているつもりが見られている」という話は、私たちケア実践者も同じで、私たちは利用者様にしっかりと見られ、判断されているのだということを忘れて、私たち視点からばかり見ているところがあるとも言えるかもしれません。 [caption id="attachment_828" align="aligncenter" width="650"] 渋谷さんとともに[/caption] 様々な領域の方とお話しするのは楽しいものです。ケアに結び付けられるヒントもいっぱいもらえます。 もしお時間があれば、まなざしが出会える場所に訪れてみてはどうでしょうか。 [caption id="attachment_829" align="aligncenter" width="650"] 富士フォトサロン(大阪本町)[/caption] 7月4日まで。大阪メトロ本町駅下車 富士フイルムフォトサロンにて。 [caption id="attachment_431" align="aligncenter" width="650"] 本も読見応えがあります。[/caption]
ブログ投稿画像 姨捨山伝説は各地にいくつかありますが、今回は長野県のお話。 川中島の合戦場を見下ろす位置に「姨捨駅」があります。 この駅や姨捨サービスエリアに来るたびに、お婆さんが捨てられてないか心配になってしまいます(笑) [caption id="attachment_768" align="aligncenter" width="650"] 無人駅なので、出入り自由です。観光ブームで?立派な駅舎になりました。[/caption] この「姨捨」は、「田毎の月」でも有名な場所です。 ここから見下ろす棚田は最近ちょっとした観光名所になりました。 豪華列車「四季島」も停車し、乗客は列車から降りて、この棚田を見下ろすそうです。 「田毎の月」とは、田んぼに水が張られたときにそのひとつひとつの田んぼに月が映る風情から、昔から名所として知られていたようです。 [caption id="attachment_771" align="aligncenter" width="400"] 安藤広重も描いていますので、昔から有名な場所だったのですね。[/caption] 私が訪れた時は新月。雲も出ていましたので、星も月も田んぼには映りませんでした。 [caption id="attachment_767" align="aligncenter" width="650"] わかりずらいですが、手前に棚田、その向こうは川中島、そして長野市街の明かりです。[/caption] さて、「姨捨山伝説」については、写真の説明のように、決して悲しい話ではなく、むしろお年寄りを大切にしよう、お年寄りの知恵を大事にしようという話なのです。 [caption id="attachment_770" align="aligncenter" width="650"] 姨捨伝説のお話しです。お年寄りは知恵袋ですね。[/caption] ただこの説明文には記されてないのですが、とても大事なお話の部分があります。写真の説明文の前の方の部分になります。 [caption id="attachment_766" align="alignleft" width="329"] 田毎の月の絵 向こうに見えるのは姨捨山(冠着山)か。[/caption] 「村では一定の年齢になった老人を山に捨てに行く取り決めがありました。ある村人の母親もその年齢になり、満月の夜、村人は年老いた母親を背負いながら姨捨山(今は冠着山と呼ばれている)に登り始めました。村人が息を切らしながら山道を登っていると背中のばあちゃん(母親)が木々の枝を折っては山道に落としていくのです。村人はまたわけのわからないことをばあちゃんがやっていると思っていました。 そして村人は山頂に着き、ばあちゃんを降ろしました。満月は山陰に沈みかけ、辺りには暗闇が迫っていました。にこにこと笑顔で見送る母親の姿に後ろ髪引かれる思いで、村人は山道を下り始めました。するとどうでしょう。月明りもなく道がわかりにくくなっていたのですが、ばあちゃんが折って落とした木の枝を踏む音で帰り道がわかるのです。息子が無事に村へ帰れるようにとばあちゃんが枝を折っていたのだとわかると、息子は「ばあちゃん捨てられない!」と引き戻り、再びばあちゃんを背負って村まで帰ったのでした。」 あとは、写真の説明の通りです。 姨捨山伝説にはこのように、母の思い、息子の思いも語られているのです。単に口減らしのために山に捨てられる高齢者の話ではないのです。 [caption id="attachment_769" align="aligncenter" width="650"] 去り行く電車の姿が似合う駅です.ここはスイッチバックが行われる場所ともなっています。[/caption] 幸い(笑)駅に捨てられたおばあさんはいませんでしたが、同行の友人は「姨捨山老人ホーム」という名前のホームがあればいいのにねと言います。「私は捨てられるようにこの老人ホームに入れられたけど、でもこの老人ホームめっちゃ過ごしやすい!来て満足!捨てられてよかった!」と利用者が言うようなホームがあればいいのにねと。なるほど、名前は姨捨だけど、捨てられてよかった!と本人が言うような老人ホーム。それもまたおもしろいかもしれませんね(笑)
ブログ投稿画像 長野県飯山市に「高橋まゆみ人形館」があります。 旅の途中に寄った所でしたが 心にグググッとくる人形がありました。 粘土で作られた爺やんや婆やんたちの表情が実に素晴らしいのですが、 その中で、雪の中でばあちゃんをぎゅっと抱きしめるじいちゃんの写真に引き付けられました。 (写真はポストカードを接写したものです) [caption id="attachment_757" align="aligncenter" width="650"] ばあちゃん,ああ、本当に見つかってよかった![/caption] まさしく道に迷っていた認知症のばあちゃんを見つけた時の 「無事でいてくれた!本当に良かった!」 という、じいちゃんの思いがひしひしと伝わってくるものでした。 膝には雪が付いていて、もしかしたら転んだのかもしれません。 後でわかったのですが、実際に認知症のとある方をモデルにしたのだとか。 写真では横顔しかわかりませんが、 展示してある人形では、ばあちゃんの表情がすごくよくわかります。 これだけ喜んでいるじいちゃんに対して、 混とんとした自分の頭の世界から抜け出せないばあちゃんの表情が見事に描かれています。 写真と違って、立体的に見える人形は それぞれの視点から見えるものが違って、感じるものも違ってきました。 (展示人形は撮影禁止です) こんな明るい爺やん婆やんの人形も一杯展示されています。 [caption id="attachment_755" align="aligncenter" width="650"] 人生楽しまなあかんで~ って、言ってるような。[/caption]   もう一枚、心にググっと入ってきた人形があったのですが、 それは次回に。 高橋まゆみ人形館のHPはこちらです。 https://www.ningyoukan.net/     認知症の人が道に迷っても、「見つかってよかった!」となるように!