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「トピックス」で記事を検索しました。

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2021.04.12

トピックス
みんな違って みんな尊い あるがまま センター長の石川です。 もう一か月ほど前になりますが、 我が国の認知症ケアの第一人者である、長谷川和夫先生から色紙をいただきました。 長谷川先生は、皆様ご存知の通り、自らが認知症であるとカミングアウトされています。 認知症も徐々に進行していき、もの忘れも多くなってきていた状況の中、 私のような市井の民に書いてくださりました。 さすがに字は少し不安定になっていますが、そのあまりにも重い言葉に ブログに書き込むにはしばし時間が必要となりました。 「認知症になっても心は生きている」 既に認知症ケアでは、当然わかっておかなければならない言葉ですが、 次の、 「みんな違って みんな尊い」と言う言葉が深く重たいのです。 約7~8年前の長谷川先生。講演を一緒にさせてもらいました。 今や多様性(ダイバーシティ)が普通の時代 まさしく、みんな違って、みんな尊いのです。 認知症の人も、認知症の人として特化するのではなく、 (それは周囲を困らせる存在の人として見られてしまう) 一人の人として見る視点を忘れてはならないと言うことでもあるのです。 そう考えると、「認知症ケア」として括ってしまうこと自体が 時代遅れではないのかなと考えてしまいます。 中央法規出版社 税別1300円です と、あれこれ考えているうちに一か月 「みんな違って みんな尊い あるがまま」 もう少し深く考えていきたいと思います。
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2021.03.30

トピックス
違う視点で見て考えることの大切さ(英田北小4年キッズサポーター講座) センター長の石川です。 英田北小学校1年生とのイベントに引き続き、4年生向けにキッズサポーター講座を開きました。 彼らは1年生の時にアーバンケア島之内に見学に来ているので 全員がアーバンケア知ってる、お祭りにも行ったことがあると答えてくれました。 さてそのキッズサポーター講座なのですが、 2年前に実施した別の小学校の先生から「認知症は怖いものという印象だけが残った」という意見をいただきました。 本来は、認知症の人の思いを理解し、やさしく声を掛けて欲しいという趣旨なのですが、 どうやら認知症の人の行動や恐ろしさのほうが印象に残ったのかもしれません。 この写真は今回の英田北小学校でのサポーター講座です 当時の資料を振り返ると、半分は認知症の人の状況説明 (それはテキストにも「認知症ってなあに?」というテーマがあるのように、認知症はどんな病気なのかを説明することとなっている) 後半は認知症の人への声の掛け方、優しく接してほしいと言う説明になっています。 決して、認知症の怖さだけを強調するものではないのです。 しかし、これはあくまでも実施者側の私たちからの視点です。 受け取り側は違った感覚を持ったということが重要なのです。 振り返れば、この時は劇を演じてもらっていますが、 その内容は何度も何度も同じ質問をするおばあちゃんに子どもが困ってしまうというものです。 ここが強調され過ぎると、「私たちを困らせる、困った認知症のおばあちゃん」になってしまうでしょうし、 説明する内容もそこを強調したものになっていたのかもしれません。 今ケアの世界でも、私の講義においても他者からの視点を重要視してお話ししています。 例えば、認知症自立度Ⅲbでは、『着替え、食事、排便、排尿が上手にできない、時間がかかる。やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為等』と書かれています。 日常生活自立度のランクは、認知症の度合いを示すものとして普通に使われていますが、 認知症の人を、問題を起こす困った人のように書かれています。 これが私たちからの視点です。 しかし、「逆に認知症の人から見た私たちは、話もろくに聞いてくれず、理解できる説明もせず、横柄で傲慢な自分勝手な人たち」と思われているかもしれません。 桜の上にほんのりとお月が写っています このようにキッズサポーター講座においても、私たち側視点になりすぎていたのかもしれないのです。 同じ劇をするのなら、認知症の人の行動に困ってしまう私たちではなく、 「混乱不安の中にいる認知症の人のつらさの姿」、 或いは「適切な声の掛け方」などを見てもらう(或いは一緒に行う)などの、 視点を変えた形で組み直す必要があるでしょう。 違う視点で見て考えることの大切さを、あらためて感じています。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 もう一か月ほど前になりますが、 我が国の認知症ケアの第一人者である、長谷川和夫先生から色紙をいただきました。 長谷川先生は、皆様ご存知の通り、自らが認知症であるとカミングアウトされています。 認知症も徐々に進行していき、もの忘れも多くなってきていた状況の中、 私のような市井の民に書いてくださりました。 さすがに字は少し不安定になっていますが、そのあまりにも重い言葉に ブログに書き込むにはしばし時間が必要となりました。 「認知症になっても心は生きている」 既に認知症ケアでは、当然わかっておかなければならない言葉ですが、 次の、 「みんな違って みんな尊い」と言う言葉が深く重たいのです。 [caption id="attachment_1239" align="aligncenter" width="650"] 約7~8年前の長谷川先生。講演を一緒にさせてもらいました。[/caption] 今や多様性(ダイバーシティ)が普通の時代 まさしく、みんな違って、みんな尊いのです。 認知症の人も、認知症の人として特化するのではなく、 (それは周囲を困らせる存在の人として見られてしまう) 一人の人として見る視点を忘れてはならないと言うことでもあるのです。 そう考えると、「認知症ケア」として括ってしまうこと自体が 時代遅れではないのかなと考えてしまいます。 [caption id="attachment_2232" align="aligncenter" width="566"] 中央法規出版社 税別1300円です[/caption] と、あれこれ考えているうちに一か月 「みんな違って みんな尊い あるがまま」 もう少し深く考えていきたいと思います。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 桜は散ってしまいましたね。 来年までのマイルストーン(木ですけど)として、新たな1年を迎えるという所でしょうか。 [caption id="attachment_2544" align="aligncenter" width="650"] 見つめあう こういう写真を一杯撮りたいですね。[/caption] 先週、桜が満開の時に撮影した幾星霜の方々の写真、その2になります。 [caption id="attachment_2543" align="aligncenter" width="650"] ほのぼの…[/caption] 今年の桜を見れたことに感謝し 来年また桜を見れることを願って [caption id="attachment_2547" align="aligncenter" width="650"] 桜陽は心地よさそうです[/caption] [caption id="attachment_2549" align="aligncenter" width="650"] ええ気持ち 写真はやはりVサイン[/caption] 今回はとやかく書かないので、 皆さんの笑顔をご覧ください。 [caption id="attachment_2545" align="aligncenter" width="650"] 桜を見ると、心にも花が咲きます[/caption] [caption id="attachment_2546" align="aligncenter" width="650"] 桜もしっかり写してな~[/caption] [caption id="attachment_2548" align="aligncenter" width="650"] どんな時でも、シャキッと![/caption]   [caption id="attachment_2541" align="aligncenter" width="650"] 上手に写してや[/caption] [caption id="attachment_2542" align="aligncenter" width="650"] ほら、べっぴんに写ってるよ[/caption] [caption id="attachment_2540" align="aligncenter" width="650"] 外やなぁ~ ええなぁ外は 暑いけど。[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 英田北小学校1年生とのイベントに引き続き、4年生向けにキッズサポーター講座を開きました。 彼らは1年生の時にアーバンケア島之内に見学に来ているので 全員がアーバンケア知ってる、お祭りにも行ったことがあると答えてくれました。 さてそのキッズサポーター講座なのですが、 2年前に実施した別の小学校の先生から「認知症は怖いものという印象だけが残った」という意見をいただきました。 本来は、認知症の人の思いを理解し、やさしく声を掛けて欲しいという趣旨なのですが、 どうやら認知症の人の行動や恐ろしさのほうが印象に残ったのかもしれません。 [caption id="attachment_2510" align="aligncenter" width="650"] この写真は今回の英田北小学校でのサポーター講座です[/caption] 当時の資料を振り返ると、半分は認知症の人の状況説明 (それはテキストにも「認知症ってなあに?」というテーマがあるのように、認知症はどんな病気なのかを説明することとなっている) 後半は認知症の人への声の掛け方、優しく接してほしいと言う説明になっています。 決して、認知症の怖さだけを強調するものではないのです。 しかし、これはあくまでも実施者側の私たちからの視点です。 受け取り側は違った感覚を持ったということが重要なのです。 振り返れば、この時は劇を演じてもらっていますが、 その内容は何度も何度も同じ質問をするおばあちゃんに子どもが困ってしまうというものです。 ここが強調され過ぎると、「私たちを困らせる、困った認知症のおばあちゃん」になってしまうでしょうし、 説明する内容もそこを強調したものになっていたのかもしれません。 今ケアの世界でも、私の講義においても他者からの視点を重要視してお話ししています。 例えば、認知症自立度Ⅲbでは、『着替え、食事、排便、排尿が上手にできない、時間がかかる。やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為等』と書かれています。 日常生活自立度のランクは、認知症の度合いを示すものとして普通に使われていますが、 認知症の人を、問題を起こす困った人のように書かれています。 これが私たちからの視点です。 しかし、「逆に認知症の人から見た私たちは、話もろくに聞いてくれず、理解できる説明もせず、横柄で傲慢な自分勝手な人たち」と思われているかもしれません。 [caption id="attachment_2508" align="aligncenter" width="650"] 桜の上にほんのりとお月が写っています[/caption] このようにキッズサポーター講座においても、私たち側視点になりすぎていたのかもしれないのです。 同じ劇をするのなら、認知症の人の行動に困ってしまう私たちではなく、 「混乱不安の中にいる認知症の人のつらさの姿」、 或いは「適切な声の掛け方」などを見てもらう(或いは一緒に行う)などの、 視点を変えた形で組み直す必要があるでしょう。 違う視点で見て考えることの大切さを、あらためて感じています。