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「トピックス」で記事を検索しました。

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2024.03.06

トピックス
第8回シンポジウム開催されました(その1) 社会福祉法人由寿会・英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会主催の 「認知症でも大丈夫!自分力とお助け力で広くつながるまちづくり・第8回シンポジウム」が 3月2日(土)若江岩田希来里イコーラムホールで開催されました。 写真が多数あり、整理がまだついていないため、 今回は(その1)として、スペシャルゲストの澤井梨丘さんの登場前までの写真となります。 来場者数は260名。ホール満員となりました。 寒い中、来場していただいた皆様には感謝です。 また認知症への関心の高さも感じさせました。 由井理事長に代わり、アーバンケア島之内山下施設長が挨拶   今回で8回目となるシンポジウム。 10年前に発足したネットワーク委員会は、毎年広く市民の方への 認知症啓発として実施しています。(コロナ時は中止あり) 登壇の委員の皆様は、河内医師会、河内薬剤師会、英田北自治連合会、 英田南自治連合会、英田北校区福祉委員会、英田南校区福祉委員会、 社会福祉協議会の皆様です。 今回は認知症予防・フレイル予防に向けた内容を実施 まずはフレイル予防に向けた準備運動を 法人機能訓練グループで実施しました。 総勢260名、狭い空間ながら、皆さん立ち上がって頑張っておられました。 そしていよいよ、本日のスペシャルゲストの登場です!
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2024.02.14

トピックス
木浪選手の心意気 朝の通勤時は色々なゲストの話をラジオで聞いています。 多様な職種の人の話を聞けるのは、知らない世界の話が一杯聞けて楽しいですね。 ラジオなので想像力をも働かせます。 今朝は、阪神タイガースの木浪選手のインタビューでした。 まぁ野球という、比較的皆さんが知っている世界の話ですが、 おもしろかったのは、8番バッターとしての木浪選手の心意気でした。 8番バッターというのは、野球の世界では、 レギュラー選手でも一番期待されていない打順の選手というイメージがあります。 しかし昨年の阪神タイガースで、最恐の8番バッターとして、 その存在の大きさを示した選手でした。 最強ではなく、最も恐れられる8番バッターとして君臨したのです。 その木浪選手、今年も8番バッターを希望したそうです。 普通なら昨年の活躍から、もっと早い打順も希望できるのにかかわらず。 木浪選手自体も最初は「8番バッターかぁ…」という残念な気持ちは当初あったそうです。 しかし8番バッターが何かと頑張る中で、得点や勝利に繋がっているということが見えてきて、 8番バッターの大切さがわかってきたとのことでした。 今は、「8番バッターのイメージを変えたい。8番バッターの存在感を示したい」と、 進んで希望しているとのこと。 さらに数値目標は?と聞かれたことに対して、 「日々の努力があれば、結果として数字がついてくるので、数値を目標にしているわけではない」とのこと。 まさしくその通りで、数字を気にしすぎると、その数字に縛られ、 毎日をプレッシャーの中で過ごすことになりかねないのです。 「8番バッターのこれまでのイメージを変えたい」 かっこいいですね! 決して3番や4番の選手のような主役ではないけれど、 このような8番バッターがいるからこそ、チームは強くなると、言えます。 誰もが4番バッターになるわけではないし、4番バッターだけで勝てるものではない。 でも誰かが8番バッターを頑張ることで、最強のチームとなる。 ケアの現場も同じかもですね。 リーダーだけが頑張っても強いチームにはなれないのです。  
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2024.02.10

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誰かが行かねば道は開けぬ 日本の偉大なるマエストロ、小澤征爾が亡くなりました。 昨年の夏、リクライニング型車いすに乗ってジョン・ウイリアムスに挨拶に出た姿を見て これは厳しいなぁ~ とは思っていたのですが… 小澤征爾の凄いところは、やはり誰も挑戦したことのない領域に飛び込んで道を開いたことでしょう。 「日本人の指揮者? 日本人に、モーツアルトが、バッハが、ベートーヴェンがわかるのか?」と、 欧米の音楽家たちに散々と嫌味を言われながらも、偉大なるマエストロまで登りつめたのです。 確たる名声を得ても、その指揮に批判はありました。 私自身も必ずしも大好きな指揮者だったわけではありません。 しかし、小澤征爾が、日本人にもクラシックに優秀な指揮者や演奏家がいるのだという道を開いたからこそ、 その後多くの日本人指揮者や演奏家が、その道を通って世界に認められていったと言えるのです。 私が持っているCDのジャケットより   「誰かが行かねば、道はできない」のです。 どのような世界でも (たとえ職場のような小さな変革でも) 誰かがやらなければ、 新しい道は開かないのです。 そう、新たな変革は、誰かが道を開くことから始まります。 (チームとして一丸となってということも可能でしょう)   話が変わりますが、3月2日のシンポジウム まだ申し込みは可能です。 ゲストの澤井梨丘さん(将来の薬師丸ひろ子とも言われています)は、 先日も全国ネットの歌番組で出ていましたね。シンポジウムでも歌声を披露してくれます。 また認知症の最新情報も河内医師会、河内薬剤師会の先生から、わかりやすいお話し、 口腔ケアと食事についても、めっちゃよくわかるお話があります。 中身てんこ盛り、入場無料、どこの地域の方でも大丈夫です。 お申し込みはお早めに!
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2024.02.03

トピックス
ひととなりから拾うもの(師匠から学ぶこと) ケア従事者から見ると、落ち着きのない方、不穏症状を出している方には、 対応が大変、忙しいのに難儀だなどと思ってしまうかもしれません。 その時点において「対応に困ってしまうAさん」、もっと辛辣な言葉を使うと、 「対応が面倒なAさん」というように、Aさんの今の行動の姿だけを見て Aさんの人格を見てしまうことが往々にしてあるのではないでしょうか。 家族からすれば、認知症でないときのAさんの姿を見ている時間がはるかに長く、 元気なときのAさんの姿と、現状の姿のギャップに苦しむことになります。 神戸税関の夜景です。本文とは関係ありません。   しかしケア実践者は、不穏症状などのいわゆるBPSDにばかり目を奪われ、 そこで「大変な認知症のAさん」というレッテルを知らずのうちに貼ってしまいます。 しかしそんなレッテルを貼ることが私たちの仕事ではありません。 ケア実践者の真髄は、認知症の人の厳しくなった日常生活上のフォローのほかに、 その方の「人となり」(そのひとらしさ)を拾い上げることとも言えます。 膝をさすると笑います。本文とは関係ありません。   事例をひとつ。 デイサービスで、落ち着きなく常に動き回るBさん。家に送ってくれる車を待っています。 スタッフからすれば、その落ち着きなさと、 早く送ってほしいという訴えへの対応に四苦八苦します。 しかし落ちついて話をしてみると、 Bさんが職場のリーダーとして働いていたころの話がよく出ます。 「こういうところよくチェックしとかないといかんな。」 「それやってくれたんか、ありがとう。」 「ようできとるやないか、オーケーそれでいこか。」等、会社運営のリーダーとして、 確認をし、注意し、部下たちのことをほめて感謝の言葉を述べる、 良きリーダーとしての姿が浮かび上がってきます。 月の出です。本文とは関係ありません。   現在Bさんは、在宅中はわからないことで混乱状態。かなり介護者は大変な状況にあります。 その苦労に比べたら専門職の苦労は一時のことでしょう。 BPSD一杯のBさんではなく、その人の本来の「人となり」を見つけ出すこと。 そうでないと、人としての敬意を示すことはできません。 むしろ、会社のリーダーとして頑張ってこられた姿に、私は学ぶことがありました。 会話すること自体は、その方と繋がりを持つことになりますが、 もう少し腰を据えて会話から対話にしてみると、もっとその方のことがわかるのではないでしょうか。 そんな時間はないって、言われそうですが、それは逃げ口上。 時間は生み出すものです。短い時間でも濃く使えばいいのです。(下欄に続く)   人生の師匠という言葉がありますが、師匠は特定のずば抜けた人ではなく、 私たちが関わる方全ての人が師匠であるといえるでしょう。 お金をもらいながら、その多種多様な師匠たちから、 ケアのノウハウを教えてもらっているのが、 ケア職であるとも言えるのではないでしょうか。
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2024.01.26

トピックス
知れば知るほど自分の無知を知る 人が知っていることは、広い世界からすればほんの一握りかもしれません。 私も認知症ケアのことをよく知っていると言っても、わからないことの方が山ほどあります。 先日も、前頭側頭型認知症の方とその家族の支援で壁にぶち当たってしまいました。 では、わからなければどうするか? わからないまま、わからないから仕方がないとあきらめるのか、 わからないなら、わかるために探究心を働かせ、勉強するのか? もしかしたら、忙しいし、余計なことはしたくないし、わからないことはわからないし、 それでいいじゃんという意見もあるかもしれません。 どの道を選ぶかはその人次第ですが。 わかろうとするための動機付けは、 やはり本人や家族のつらさを感じ取るということでしょうか。 つらさを感じ取れば、わからないまま放置して時を過ごすことが、 自分で自分をつまらない人間として決めてしまうことなのだと思うでしょう。 わからなければわかろうとする。 そうすると、知らなかったことを知ることになります。 「え? そんなことも知らなかったんだ! 」と、 知れば知るほど自分の無知を知ることになるのです。 この言葉には続きがあります。 「知れば知るほど自分の無知を知る。そして人として深まる。」 つまり探究心を働かせ、知らなかったことを知るうちに、 人としても成長するということなのですね。 最初はわからなくて当たり前。要はそのわからないをどうするか、ですね。 先日脳科学者の恩蔵先生の話を聴いてきたのですが、(その内容については後日に) 人の脳の奥深さ、可能性を感じさせる話でした。 私たちは、認知症があると、できないやれない理解しないことが一杯の人と捉えてしまいますが、 実はできることやれること理解していることが一杯あるのに、 そこにとんと目をやっていないということなのですね。 もしかしたら、「できないやれない理解しない人」と定義づけておいた方が、 ケア側は楽なのかもしれません。 「世界が広がる!」 そいう感動を得るためには、探究心が必要です。  
ブログ投稿画像 社会福祉法人由寿会・英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会主催の 「認知症でも大丈夫!自分力とお助け力で広くつながるまちづくり・第8回シンポジウム」が 3月2日(土)若江岩田希来里イコーラムホールで開催されました。 写真が多数あり、整理がまだついていないため、 今回は(その1)として、スペシャルゲストの澤井梨丘さんの登場前までの写真となります。 来場者数は260名。ホール満員となりました。 寒い中、来場していただいた皆様には感謝です。 また認知症への関心の高さも感じさせました。 [caption id="attachment_5434" align="alignnone" width="1600"] 由井理事長に代わり、アーバンケア島之内山下施設長が挨拶[/caption]   今回で8回目となるシンポジウム。 10年前に発足したネットワーク委員会は、毎年広く市民の方への 認知症啓発として実施しています。(コロナ時は中止あり) 登壇の委員の皆様は、河内医師会、河内薬剤師会、英田北自治連合会、 英田南自治連合会、英田北校区福祉委員会、英田南校区福祉委員会、 社会福祉協議会の皆様です。 今回は認知症予防・フレイル予防に向けた内容を実施 まずはフレイル予防に向けた準備運動を 法人機能訓練グループで実施しました。 総勢260名、狭い空間ながら、皆さん立ち上がって頑張っておられました。 そしていよいよ、本日のスペシャルゲストの登場です!
ブログ投稿画像 朝の通勤時は色々なゲストの話をラジオで聞いています。 多様な職種の人の話を聞けるのは、知らない世界の話が一杯聞けて楽しいですね。 ラジオなので想像力をも働かせます。 今朝は、阪神タイガースの木浪選手のインタビューでした。 まぁ野球という、比較的皆さんが知っている世界の話ですが、 おもしろかったのは、8番バッターとしての木浪選手の心意気でした。 8番バッターというのは、野球の世界では、 レギュラー選手でも一番期待されていない打順の選手というイメージがあります。 しかし昨年の阪神タイガースで、最恐の8番バッターとして、 その存在の大きさを示した選手でした。 最強ではなく、最も恐れられる8番バッターとして君臨したのです。 その木浪選手、今年も8番バッターを希望したそうです。 普通なら昨年の活躍から、もっと早い打順も希望できるのにかかわらず。 木浪選手自体も最初は「8番バッターかぁ…」という残念な気持ちは当初あったそうです。 しかし8番バッターが何かと頑張る中で、得点や勝利に繋がっているということが見えてきて、 8番バッターの大切さがわかってきたとのことでした。 今は、「8番バッターのイメージを変えたい。8番バッターの存在感を示したい」と、 進んで希望しているとのこと。 さらに数値目標は?と聞かれたことに対して、 「日々の努力があれば、結果として数字がついてくるので、数値を目標にしているわけではない」とのこと。 まさしくその通りで、数字を気にしすぎると、その数字に縛られ、 毎日をプレッシャーの中で過ごすことになりかねないのです。 「8番バッターのこれまでのイメージを変えたい」 かっこいいですね! 決して3番や4番の選手のような主役ではないけれど、 このような8番バッターがいるからこそ、チームは強くなると、言えます。 誰もが4番バッターになるわけではないし、4番バッターだけで勝てるものではない。 でも誰かが8番バッターを頑張ることで、最強のチームとなる。 ケアの現場も同じかもですね。 リーダーだけが頑張っても強いチームにはなれないのです。  
ブログ投稿画像 日本の偉大なるマエストロ、小澤征爾が亡くなりました。 昨年の夏、リクライニング型車いすに乗ってジョン・ウイリアムスに挨拶に出た姿を見て これは厳しいなぁ~ とは思っていたのですが… 小澤征爾の凄いところは、やはり誰も挑戦したことのない領域に飛び込んで道を開いたことでしょう。 「日本人の指揮者? 日本人に、モーツアルトが、バッハが、ベートーヴェンがわかるのか?」と、 欧米の音楽家たちに散々と嫌味を言われながらも、偉大なるマエストロまで登りつめたのです。 確たる名声を得ても、その指揮に批判はありました。 私自身も必ずしも大好きな指揮者だったわけではありません。 しかし、小澤征爾が、日本人にもクラシックに優秀な指揮者や演奏家がいるのだという道を開いたからこそ、 その後多くの日本人指揮者や演奏家が、その道を通って世界に認められていったと言えるのです。 [caption id="attachment_5400" align="alignnone" width="2048"] 私が持っているCDのジャケットより[/caption]   「誰かが行かねば、道はできない」のです。 どのような世界でも (たとえ職場のような小さな変革でも) 誰かがやらなければ、 新しい道は開かないのです。 そう、新たな変革は、誰かが道を開くことから始まります。 (チームとして一丸となってということも可能でしょう)   話が変わりますが、3月2日のシンポジウム まだ申し込みは可能です。 ゲストの澤井梨丘さん(将来の薬師丸ひろ子とも言われています)は、 先日も全国ネットの歌番組で出ていましたね。シンポジウムでも歌声を披露してくれます。 また認知症の最新情報も河内医師会、河内薬剤師会の先生から、わかりやすいお話し、 口腔ケアと食事についても、めっちゃよくわかるお話があります。 中身てんこ盛り、入場無料、どこの地域の方でも大丈夫です。 お申し込みはお早めに!
ブログ投稿画像 ケア従事者から見ると、落ち着きのない方、不穏症状を出している方には、 対応が大変、忙しいのに難儀だなどと思ってしまうかもしれません。 その時点において「対応に困ってしまうAさん」、もっと辛辣な言葉を使うと、 「対応が面倒なAさん」というように、Aさんの今の行動の姿だけを見て Aさんの人格を見てしまうことが往々にしてあるのではないでしょうか。 家族からすれば、認知症でないときのAさんの姿を見ている時間がはるかに長く、 元気なときのAさんの姿と、現状の姿のギャップに苦しむことになります。 [caption id="attachment_5380" align="alignnone" width="2048"] 神戸税関の夜景です。本文とは関係ありません。[/caption]   しかしケア実践者は、不穏症状などのいわゆるBPSDにばかり目を奪われ、 そこで「大変な認知症のAさん」というレッテルを知らずのうちに貼ってしまいます。 しかしそんなレッテルを貼ることが私たちの仕事ではありません。 ケア実践者の真髄は、認知症の人の厳しくなった日常生活上のフォローのほかに、 その方の「人となり」(そのひとらしさ)を拾い上げることとも言えます。 [caption id="attachment_5393" align="alignnone" width="2048"] 膝をさすると笑います。本文とは関係ありません。[/caption]   事例をひとつ。 デイサービスで、落ち着きなく常に動き回るBさん。家に送ってくれる車を待っています。 スタッフからすれば、その落ち着きなさと、 早く送ってほしいという訴えへの対応に四苦八苦します。 しかし落ちついて話をしてみると、 Bさんが職場のリーダーとして働いていたころの話がよく出ます。 「こういうところよくチェックしとかないといかんな。」 「それやってくれたんか、ありがとう。」 「ようできとるやないか、オーケーそれでいこか。」等、会社運営のリーダーとして、 確認をし、注意し、部下たちのことをほめて感謝の言葉を述べる、 良きリーダーとしての姿が浮かび上がってきます。 [caption id="attachment_5392" align="alignnone" width="2048"] 月の出です。本文とは関係ありません。[/caption]   現在Bさんは、在宅中はわからないことで混乱状態。かなり介護者は大変な状況にあります。 その苦労に比べたら専門職の苦労は一時のことでしょう。 BPSD一杯のBさんではなく、その人の本来の「人となり」を見つけ出すこと。 そうでないと、人としての敬意を示すことはできません。 むしろ、会社のリーダーとして頑張ってこられた姿に、私は学ぶことがありました。 会話すること自体は、その方と繋がりを持つことになりますが、 もう少し腰を据えて会話から対話にしてみると、もっとその方のことがわかるのではないでしょうか。 そんな時間はないって、言われそうですが、それは逃げ口上。 時間は生み出すものです。短い時間でも濃く使えばいいのです。(下欄に続く)   人生の師匠という言葉がありますが、師匠は特定のずば抜けた人ではなく、 私たちが関わる方全ての人が師匠であるといえるでしょう。 お金をもらいながら、その多種多様な師匠たちから、 ケアのノウハウを教えてもらっているのが、 ケア職であるとも言えるのではないでしょうか。
ブログ投稿画像 人が知っていることは、広い世界からすればほんの一握りかもしれません。 私も認知症ケアのことをよく知っていると言っても、わからないことの方が山ほどあります。 先日も、前頭側頭型認知症の方とその家族の支援で壁にぶち当たってしまいました。 では、わからなければどうするか? わからないまま、わからないから仕方がないとあきらめるのか、 わからないなら、わかるために探究心を働かせ、勉強するのか? もしかしたら、忙しいし、余計なことはしたくないし、わからないことはわからないし、 それでいいじゃんという意見もあるかもしれません。 どの道を選ぶかはその人次第ですが。 わかろうとするための動機付けは、 やはり本人や家族のつらさを感じ取るということでしょうか。 つらさを感じ取れば、わからないまま放置して時を過ごすことが、 自分で自分をつまらない人間として決めてしまうことなのだと思うでしょう。 わからなければわかろうとする。 そうすると、知らなかったことを知ることになります。 「え? そんなことも知らなかったんだ! 」と、 知れば知るほど自分の無知を知ることになるのです。 この言葉には続きがあります。 「知れば知るほど自分の無知を知る。そして人として深まる。」 つまり探究心を働かせ、知らなかったことを知るうちに、 人としても成長するということなのですね。 最初はわからなくて当たり前。要はそのわからないをどうするか、ですね。 先日脳科学者の恩蔵先生の話を聴いてきたのですが、(その内容については後日に) 人の脳の奥深さ、可能性を感じさせる話でした。 私たちは、認知症があると、できないやれない理解しないことが一杯の人と捉えてしまいますが、 実はできることやれること理解していることが一杯あるのに、 そこにとんと目をやっていないということなのですね。 もしかしたら、「できないやれない理解しない人」と定義づけておいた方が、 ケア側は楽なのかもしれません。 「世界が広がる!」 そいう感動を得るためには、探究心が必要です。