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「トピックス」で記事を検索しました。

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2020.12.07

トピックス
RAKU cafe(若年性認知症の方の集い)に参加してきました。 センター長の石川です 12月5日の土曜日、若年性認知症の方の集いが若江岩田にある花園生活支援センターでありました。 今回は4名の当事者の方とその家族、ケアマネジャーなどのケア担当者も参加、 また見学参加で5地域の包括支援センターのスタッフも来られてました。 集いでは、家族組と、当事者組に分かれ、近況報告などを行います。 私は当事者の方のグループに。 若いスタッフさんが知らない流れていた歌を、一緒に歌えるのは私が同年齢であるからというところでしょうか。 それぞれの人なりに悩みはあるものの、明るい表情の皆さんで、 サポートしているワーカーさんやケアマネジャーさんとの信頼関係も深いようでした。 大人の都合で、団らん風景の写真はありません。 ただ、集いの後の家族グループからの報告会では、かなり大変な状況の訴えもあったとのことです。 集いでは笑顔の当事者も、家へ帰ると介護者との軋轢が発生するのは当然かもしれません。 当事者を支えるのはサービスの活用など、専門職が何らかの形でサポートしていきます。 しかし家族の心身の疲労に対してのサポートをもっと重要視していく必要があります。 ショートやデイを利用している間、家族は休めてるではないかと考えるのは、私たち側の思い込みかもしれません。 もっと深い心の疲労感を、受け止める人がいないと言えるかもしれません。 認知症の人のケアだけでも心にダメージを受ける家族の方は多くおられます。 若年性の方を支えるとなった時の精神的ダメージはなおさらと言えるでしょう。 当事者の支援と介護家族の支援は両輪と言うのは皆様もわかってもらえると思うのですが、 家族への支援はまだまだ弱いと言えるでしょう。 乗鞍岳からの紅葉 さて、12月16日には当事者の方々が市役所でのお弁当発注、配達を頑張ってくれます。 市長さんや議員さんにも届けてくれるそうです。 もちろん、私もお手伝いに行かせてもらいます。 市内にはまだ多くの若年性認知症の方がおられると思います。 それもそれぞれ違った状況の中で。若年性認知症の方だけでなく、やるべきことは多々ありますね。 コロナ禍ではありますが、認知症の人のつらさは自粛できないのですから。
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2020.12.04

トピックス
若年性認知症の方との関り(4)「偏見と衝撃」 「偏見と衝撃」 今でこそ若年性認知症は社会的理解がある程度深まったと思うのですが、 この当時、認知症は高齢者が罹るもの、まだ若いのに認知症?? などと怪訝な目で見られた時代でした。 まして仕事上のミスの頻発は、病気ではなくて、当の本人に問題があると厳しく問われていたのです。 つまりAさんは躊躇なく会社を辞めさせられたのです。 それは家族にとっても衝撃な出来事でした。 家族構成は妻と、遅くに生まれた長男。確かまだ中学生になったばかりだったかと。 つい最近までキャッチボールで楽しんだであろう父親が、家族からすれば信じられないような行動をする父親になってしまったのですから。 繰り返し書きますが、当時は「認知症(痴呆症)」への一般市民の理解は皆無な時代です。 Aさんの行動は、多くの人たちに蔑まれるのです。 世間の偏見、それをAさんの家族は、信じられない状況の中で、じっと耐えなければならなかったのです。 会社を辞めさせられたAさんは、そのことも理解できず、駅に向かい電車に乗ろうとしました。 結果は行方不明となり、やはりどうしていいかわからずに立ちすくむところを通報されていました。 そしてAさん家族を襲った最大の危機は、経済的苦境でした。 働き盛りのAさんが職を失い、収入がゼロになってしまったのです。 後々書こうと思いますが、福岡市の越智さん夫婦も同様でした。 (つづく) センター長石川
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2020.12.01

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若年性認知症の方との関り(3)「駅に立ちすくむ」 若年性認知症の方との初めての出会い(2) 【駅に立ちすくむ】 センター長の石川です。 約35年前のことですが、若年性認知症の方との初めての出会いは、結構覚えているものです。 そして35年経っても、もしかしたら状況はあまり変わっていないのではないかとも思うのです。 過去に再び戻ります。 Aさんの最初の異変は駅でした。 改札を出てから、「え?家はどっちだ?」 と、帰る方向がわからなくなり、しばらく呆然と立ちすくんでいたのです。 不審に思った駅員が声を掛けたのです。   ここで押さえておいて欲しいことは、 今でこそ認知症の人のことを理解する人は増えてきて、 また若年性認知症があることも認識され始めてきている状況と言えます。 しかし、35年前は全く違う状況だったのです。 とてもきれいな空でした 「認知症」は「痴呆症」と言われ、痴呆性老人という、 まるで既に人間ではない扱い(あえて、扱いという言葉を使います)を受け、 社会的には「問題老人」としてのレッテルを貼られていたのです。 まして若年性認知症の方への風当たりは酷いものでした。 Aさんの家族は、家族で抱える、隠すしかないところまで追い込まれるのです。 昨夜はビーバームーンでした。 改札を出て、「あれ、どっちだっけ…」と立ちすくむときの、 Aさんの不安、恐怖、心細さは、筆舌しがたいものだったでしょう。     今、私たちは簡単に「徘徊」という言葉を使っています。(この「徘徊」は徐々に使われなくなってはきていますが) しかし、家に帰る道がわからなくなった時の本人の切ないほどの心細さを、 どこまで理解しているかというと、やはり起こった事象にしか目が行ってないのかもしれません。   50代初頭、会社でもミスが多くなったAさんは、退職へと追い込まれていったのです。 (つづく)  
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2020.11.28

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負けるもんか! センター長の石川です。 今朝の出勤時、虹を見ました。 こんな朝早くに虹を見るなんて滅多にないですね。 私には希望に繋がる虹に見えました。 とは言うものの、この冬は厳しい冬になりそうです。 寒さだけでなく、とくに精神的に不安や恐怖や戸惑いが厳しい冬かもしれません。 だけど、その厳しい冬の向こうには、 必ず桜の花咲く春が待っています。 HONDA創始者、本田宗一郎の言葉ですね。でも、休みは必要だけどね。 本田宗一郎はなかなかいい言葉を残していますね。 私自身はHONDAの車とは縁遠いのですが、心に響きます。 どうしても厳しさの前では心も体も縮こまってしまいます。 だからこそ、 顔を上げて 笑顔を浮かべて ジョークも言ってみましょう。 ネガティブになっても何も生まれません。 いい言葉ですね!顔を上げないとできないことです。   それでも心が苦しいときは、 「負けるもんか!」 と、叫んでください。 たまには屋上に上り、でっかい空と青空を眺めながら 「負けるもんか!」と叫ぶのもいいでしょう。 どこまでも青い生駒山上空 心の空き地も広がります。 そう、こんな社会情勢に負けていたら 1万円払って5千円のお釣りをもらわずに帰ってくるようなものです。 大損ですよ!   私は時々、朝の出勤時に、ナオトインティライミの「未来へ」を聴きます。 これまで何度かこのブログで載せていたものですね。 また別バージョンを載せておきます。 https://www.youtube.com/watch?v=_IhWcBc-XJM&list=RD_IhWcBc-XJM&start_radio=1&t=60 どんな状況でも「負けるもんか!」と、乗り越えていきましょう!
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2020.11.25

トピックス
若年性認知症の方との関り(2) 若年性認知症の方との初めての出会い(1) センター長の石川です。 もう遥か昔のこと、だいたい35年前くらいのことです。 認知症も痴呆症と言われていた時代です。 私は、M市にある、とある法人の特養で、生活相談員(当時は指導員と呼んでいた)として勤務していました。 介護保険制度などと言うものがない、当然ケアマネジャーもいない時代です。 入所受付も担当だったのですが、M市から離れたS市から入所の申し込みがあったのです。 この当時はどこの地域からでも入所可能な時代で、依頼は行政の高齢福祉課が行っていました。 それでも基本は地元の方優先なのですが。 五月山動物園HPより なんでわざわざS市から?と思ったのですが、S市曰く、早急に受けていただきたいとのこと。 私が勤務していた特養が、当時としてはまだ珍しい認知症の方の専用フロアがある施設だったからということもあります。 しかしながら、S市には当時としては日本でも数少ない認知症の人を診ていたK病院があるのですが… (複雑な話ですが、S市の中にO市の病院があり、ややこしい関係だったのです) 兎にも角にもなんとかお願いしたいというS市からの要望で、今回の話の中心となるAさんの入所となったのです。 Aさんは50歳代、既にかなり認知症状が進んでいる状況でした。 Aさんこそが、私が初めて接した若年性認知症の方だったのです。 そして、そのAさんの妻から、驚くべき状況を聞いたのでした。 (つづく)
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2020.11.23

トピックス
400キロ彼方の野口さんだぁ! センター長の石川です。 21日の夕方、国際宇宙ステーション(ISS)が上空を飛んでいきました。 ISSには今、野口宇宙飛行士が乗っていますね。 400キロ上空の光の点に7名もの人が乗っているというのは不思議な感覚です。 職場の屋上から撮影しました。 見え始めです。右が島之内のエレベーター塔、左下に木星と土星が写っています。 ISSは肉眼でもよく見えます。 写真にすると、少しシャッターを開けとくことになるので線で写りますが、 実際には白く光る点がゆっくりと動いているのが見れます。 ゆっくりと見えると言っても、秒速約7.7キロ、時速にすると27,700キロという超高速です。 地球を約90分で一周してしまいます。 ほぼ上空を通過しました。野口さん、日本を見てるかな?約20秒開放 何度かは日本の上空を飛んでくれるので 太陽光に照らされたISSを見ることが出来るのです。 北東の方向で、すっと消えていきました。 さて、宇宙から見た地球 そこには国境などと言う線はありません。 小さな小さな星に人間たちがひしめいています。 なのに分断、排斥、差別、誹謗中傷がうごめいています。 人間は本当に進化したのでしょうか? むしろ、退化が始まっているのかもしれませんね。 サッカー場くらいの大きさがあります。(Wikipediaより) コロナで大変な時期ですが、私たちは「顔を上げて」 大きな空を見て、前を見て、進んでいきましょう!  
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2020.11.20

トピックス
若年性認知症の方との関り(1) センター長の石川です。 1年前のことですが、私と同年齢の方が入居されました。 若年性アルツハイマー病の方で、65歳を待たずに入居です。 この時点で既に認知症はかなり進行しておられたので 50歳台前半での発病ということになります。 自分と同年齢の方の状況は、心が複雑になります。 しかしながら、若年性認知症の方との関りの多くは、 私より年下かほぼ同年の方となります。 当然ご本人自身の衝撃は計り知れないものがありますが、 高齢者の認知症の発症とは異なるところがひとつあります。 ご家族の苦労についてはどの年代であろうと物凄く大変なことなのですが、 若年性認知症の方の場合、家族へのダメージは衝撃以上のものとして降りかかってきます。 ご本人のこともさることながら、家族へもしっかりと目を向けること。 家族へのサポートが重要なこと。 この点にも向き合わなければなりません。 今回から数回に分けて若年性認知症の方との関りを書いていきたいと思います。 思えば35年も前になる、私が最初に若年性認知症の方に関わった時のこと そして日本人として初めて国際アルツハイマー病学会でカミングアウトした 越智俊二さんとその妻の須美子とのことも追々書いていこうかと思っています。 決して他人事ではない、誰にでも起きうること。 家族の悲愴な叫び さらに私たち(サポート側)の視点は果たしてこれでよいのだろうか? という所まで、少し期間は長くなるとは思いますが、順次アップしていきます。 大きな世界を変える小さな個人 次回は私が初めて出会った若年性の方との関り。 かなり昔の話になりますが、35年経っても若年性認知症の方へのサポートは あまり変わりはないのかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 12月5日の土曜日、若年性認知症の方の集いが若江岩田にある花園生活支援センターでありました。 今回は4名の当事者の方とその家族、ケアマネジャーなどのケア担当者も参加、 また見学参加で5地域の包括支援センターのスタッフも来られてました。 集いでは、家族組と、当事者組に分かれ、近況報告などを行います。 私は当事者の方のグループに。 若いスタッフさんが知らない流れていた歌を、一緒に歌えるのは私が同年齢であるからというところでしょうか。 それぞれの人なりに悩みはあるものの、明るい表情の皆さんで、 サポートしているワーカーさんやケアマネジャーさんとの信頼関係も深いようでした。 [caption id="attachment_2175" align="aligncenter" width="650"] 大人の都合で、団らん風景の写真はありません。[/caption] ただ、集いの後の家族グループからの報告会では、かなり大変な状況の訴えもあったとのことです。 集いでは笑顔の当事者も、家へ帰ると介護者との軋轢が発生するのは当然かもしれません。 当事者を支えるのはサービスの活用など、専門職が何らかの形でサポートしていきます。 しかし家族の心身の疲労に対してのサポートをもっと重要視していく必要があります。 ショートやデイを利用している間、家族は休めてるではないかと考えるのは、私たち側の思い込みかもしれません。 もっと深い心の疲労感を、受け止める人がいないと言えるかもしれません。 認知症の人のケアだけでも心にダメージを受ける家族の方は多くおられます。 若年性の方を支えるとなった時の精神的ダメージはなおさらと言えるでしょう。 当事者の支援と介護家族の支援は両輪と言うのは皆様もわかってもらえると思うのですが、 家族への支援はまだまだ弱いと言えるでしょう。 [caption id="attachment_2174" align="aligncenter" width="650"] 乗鞍岳からの紅葉[/caption] さて、12月16日には当事者の方々が市役所でのお弁当発注、配達を頑張ってくれます。 市長さんや議員さんにも届けてくれるそうです。 もちろん、私もお手伝いに行かせてもらいます。 市内にはまだ多くの若年性認知症の方がおられると思います。 それもそれぞれ違った状況の中で。若年性認知症の方だけでなく、やるべきことは多々ありますね。 コロナ禍ではありますが、認知症の人のつらさは自粛できないのですから。
ブログ投稿画像 「偏見と衝撃」 今でこそ若年性認知症は社会的理解がある程度深まったと思うのですが、 この当時、認知症は高齢者が罹るもの、まだ若いのに認知症?? などと怪訝な目で見られた時代でした。 まして仕事上のミスの頻発は、病気ではなくて、当の本人に問題があると厳しく問われていたのです。 つまりAさんは躊躇なく会社を辞めさせられたのです。 それは家族にとっても衝撃な出来事でした。 家族構成は妻と、遅くに生まれた長男。確かまだ中学生になったばかりだったかと。 つい最近までキャッチボールで楽しんだであろう父親が、家族からすれば信じられないような行動をする父親になってしまったのですから。 繰り返し書きますが、当時は「認知症(痴呆症)」への一般市民の理解は皆無な時代です。 Aさんの行動は、多くの人たちに蔑まれるのです。 世間の偏見、それをAさんの家族は、信じられない状況の中で、じっと耐えなければならなかったのです。 会社を辞めさせられたAさんは、そのことも理解できず、駅に向かい電車に乗ろうとしました。 結果は行方不明となり、やはりどうしていいかわからずに立ちすくむところを通報されていました。 そしてAさん家族を襲った最大の危機は、経済的苦境でした。 働き盛りのAさんが職を失い、収入がゼロになってしまったのです。 後々書こうと思いますが、福岡市の越智さん夫婦も同様でした。 (つづく) センター長石川
ブログ投稿画像 若年性認知症の方との初めての出会い(2) 【駅に立ちすくむ】 センター長の石川です。 約35年前のことですが、若年性認知症の方との初めての出会いは、結構覚えているものです。 そして35年経っても、もしかしたら状況はあまり変わっていないのではないかとも思うのです。 過去に再び戻ります。 Aさんの最初の異変は駅でした。 改札を出てから、「え?家はどっちだ?」 と、帰る方向がわからなくなり、しばらく呆然と立ちすくんでいたのです。 不審に思った駅員が声を掛けたのです。   ここで押さえておいて欲しいことは、 今でこそ認知症の人のことを理解する人は増えてきて、 また若年性認知症があることも認識され始めてきている状況と言えます。 しかし、35年前は全く違う状況だったのです。 [caption id="attachment_2160" align="aligncenter" width="650"] とてもきれいな空でした[/caption] 「認知症」は「痴呆症」と言われ、痴呆性老人という、 まるで既に人間ではない扱い(あえて、扱いという言葉を使います)を受け、 社会的には「問題老人」としてのレッテルを貼られていたのです。 まして若年性認知症の方への風当たりは酷いものでした。 Aさんの家族は、家族で抱える、隠すしかないところまで追い込まれるのです。 [caption id="attachment_2159" align="aligncenter" width="650"] 昨夜はビーバームーンでした。[/caption] 改札を出て、「あれ、どっちだっけ…」と立ちすくむときの、 Aさんの不安、恐怖、心細さは、筆舌しがたいものだったでしょう。     今、私たちは簡単に「徘徊」という言葉を使っています。(この「徘徊」は徐々に使われなくなってはきていますが) しかし、家に帰る道がわからなくなった時の本人の切ないほどの心細さを、 どこまで理解しているかというと、やはり起こった事象にしか目が行ってないのかもしれません。   50代初頭、会社でもミスが多くなったAさんは、退職へと追い込まれていったのです。 (つづく)  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先週第2回目のネットワーク委員会の出前講座が開催されました。 今回は英田北地区、島之内集会所での「リボンの広場」での開催です。 [caption id="attachment_2155" align="aligncenter" width="650"] 歯周病は、恐ろしい病気を引き起こします。[/caption] ネットワーク委員の松前先生による「口腔ケア」のお話しでした。 特に歯周病について。 恐ろしい歯周病菌は、心臓や脳に飛んでいき重大な病気を引き起こします。 また脳の神経細胞にも悪さをし、アルツハイマー病の一因にもなっているようです。 [caption id="attachment_2153" align="aligncenter" width="650"] 歯間ブラシの質問が多かったですね。[/caption] それだけお口の中の健康は重要なのです。 私のように歯を100本も抜くような不摂生はしてはダメですよ。 歯の磨き方など、松前先生には丁寧に教えていただき、 質問も多々あり、あっというまの1時間でした。 [caption id="attachment_2154" align="aligncenter" width="650"] 本来なら歯ブラシ使っての実演をするところ。今年はできません。[/caption] 皆さん、単に歯を磨くだけでなく、丁寧に磨きましょう! そして、歯医者さんには早めに行きましょう! [caption id="attachment_1451" align="aligncenter" width="650"] コロナウイルスに負けるな!作戦、実行中[/caption]  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今朝の出勤時、虹を見ました。 こんな朝早くに虹を見るなんて滅多にないですね。 私には希望に繋がる虹に見えました。 とは言うものの、この冬は厳しい冬になりそうです。 寒さだけでなく、とくに精神的に不安や恐怖や戸惑いが厳しい冬かもしれません。 だけど、その厳しい冬の向こうには、 必ず桜の花咲く春が待っています。 [caption id="attachment_2146" align="aligncenter" width="480"] HONDA創始者、本田宗一郎の言葉ですね。でも、休みは必要だけどね。[/caption] 本田宗一郎はなかなかいい言葉を残していますね。 私自身はHONDAの車とは縁遠いのですが、心に響きます。 どうしても厳しさの前では心も体も縮こまってしまいます。 だからこそ、 顔を上げて 笑顔を浮かべて ジョークも言ってみましょう。 ネガティブになっても何も生まれません。 [caption id="attachment_2147" align="aligncenter" width="512"] いい言葉ですね!顔を上げないとできないことです。[/caption]   それでも心が苦しいときは、 「負けるもんか!」 と、叫んでください。 たまには屋上に上り、でっかい空と青空を眺めながら 「負けるもんか!」と叫ぶのもいいでしょう。 [caption id="attachment_2142" align="aligncenter" width="650"] どこまでも青い生駒山上空 心の空き地も広がります。[/caption] そう、こんな社会情勢に負けていたら 1万円払って5千円のお釣りをもらわずに帰ってくるようなものです。 大損ですよ!   私は時々、朝の出勤時に、ナオトインティライミの「未来へ」を聴きます。 これまで何度かこのブログで載せていたものですね。 また別バージョンを載せておきます。 https://www.youtube.com/watch?v=_IhWcBc-XJM&list=RD_IhWcBc-XJM&start_radio=1&t=60 どんな状況でも「負けるもんか!」と、乗り越えていきましょう!
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今回のリボンの広場(認知症予防カフェ)は、 ネットワーク委員会の委員である河内薬剤師会川口秀子先生による出前講座でした。 [caption id="attachment_2138" align="aligncenter" width="650"] お薬は身近な存在ですね。[/caption] 大盛り上がりと言っても、参加人数は制限があるので12名の方でしたが、 内容で盛り上がりました。 今回のテーマは、「薬の飲み合わせ」について。 [caption id="attachment_2137" align="aligncenter" width="650"] な~るほど!っていう感じですね。[/caption] 川口先生と薬剤師実習生の二人による実験は、話を聞くだけでなく、 見せてもくれるものだったので、皆さん楽しんでおられました。 [caption id="attachment_2136" align="aligncenter" width="650"] 実験開始。背後に怪しい男が…[/caption] 薬を何故コップ一杯の水で飲まなければならないのかという実験もあり、 1時間があっという間でした。 [caption id="attachment_2135" align="aligncenter" width="650"] 飲み合わせがだめなものを実験で教えてくれます。またもや背後に怪しいとここが[/caption] コロナが再び猛威を振るい始めた状況でしたが、 細々でも地域の活動が続けられればと思います。 [caption id="attachment_2134" align="aligncenter" width="1157"] 実験を見るのは面白いですね。またまた怪しい男が背景に[/caption] 川口先生ありがとうございました!
ブログ投稿画像 若年性認知症の方との初めての出会い(1) センター長の石川です。 もう遥か昔のこと、だいたい35年前くらいのことです。 認知症も痴呆症と言われていた時代です。 私は、M市にある、とある法人の特養で、生活相談員(当時は指導員と呼んでいた)として勤務していました。 介護保険制度などと言うものがない、当然ケアマネジャーもいない時代です。 入所受付も担当だったのですが、M市から離れたS市から入所の申し込みがあったのです。 この当時はどこの地域からでも入所可能な時代で、依頼は行政の高齢福祉課が行っていました。 それでも基本は地元の方優先なのですが。 [caption id="attachment_1745" align="aligncenter" width="650"] 五月山動物園HPより[/caption] なんでわざわざS市から?と思ったのですが、S市曰く、早急に受けていただきたいとのこと。 私が勤務していた特養が、当時としてはまだ珍しい認知症の方の専用フロアがある施設だったからということもあります。 しかしながら、S市には当時としては日本でも数少ない認知症の人を診ていたK病院があるのですが… (複雑な話ですが、S市の中にO市の病院があり、ややこしい関係だったのです) 兎にも角にもなんとかお願いしたいというS市からの要望で、今回の話の中心となるAさんの入所となったのです。 Aさんは50歳代、既にかなり認知症状が進んでいる状況でした。 Aさんこそが、私が初めて接した若年性認知症の方だったのです。 そして、そのAさんの妻から、驚くべき状況を聞いたのでした。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 21日の夕方、国際宇宙ステーション(ISS)が上空を飛んでいきました。 ISSには今、野口宇宙飛行士が乗っていますね。 400キロ上空の光の点に7名もの人が乗っているというのは不思議な感覚です。 職場の屋上から撮影しました。 [caption id="attachment_2127" align="aligncenter" width="650"] 見え始めです。右が島之内のエレベーター塔、左下に木星と土星が写っています。[/caption] ISSは肉眼でもよく見えます。 写真にすると、少しシャッターを開けとくことになるので線で写りますが、 実際には白く光る点がゆっくりと動いているのが見れます。 ゆっくりと見えると言っても、秒速約7.7キロ、時速にすると27,700キロという超高速です。 地球を約90分で一周してしまいます。 [caption id="attachment_2126" align="aligncenter" width="650"] ほぼ上空を通過しました。野口さん、日本を見てるかな?約20秒開放[/caption] 何度かは日本の上空を飛んでくれるので 太陽光に照らされたISSを見ることが出来るのです。 [caption id="attachment_2125" align="aligncenter" width="650"] 北東の方向で、すっと消えていきました。[/caption] さて、宇宙から見た地球 そこには国境などと言う線はありません。 小さな小さな星に人間たちがひしめいています。 なのに分断、排斥、差別、誹謗中傷がうごめいています。 人間は本当に進化したのでしょうか? むしろ、退化が始まっているのかもしれませんね。 [caption id="attachment_2124" align="aligncenter" width="650"] サッカー場くらいの大きさがあります。(Wikipediaより)[/caption] コロナで大変な時期ですが、私たちは「顔を上げて」 大きな空を見て、前を見て、進んでいきましょう!  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 1年前のことですが、私と同年齢の方が入居されました。 若年性アルツハイマー病の方で、65歳を待たずに入居です。 この時点で既に認知症はかなり進行しておられたので 50歳台前半での発病ということになります。 自分と同年齢の方の状況は、心が複雑になります。 しかしながら、若年性認知症の方との関りの多くは、 私より年下かほぼ同年の方となります。 当然ご本人自身の衝撃は計り知れないものがありますが、 高齢者の認知症の発症とは異なるところがひとつあります。 ご家族の苦労についてはどの年代であろうと物凄く大変なことなのですが、 若年性認知症の方の場合、家族へのダメージは衝撃以上のものとして降りかかってきます。 ご本人のこともさることながら、家族へもしっかりと目を向けること。 家族へのサポートが重要なこと。 この点にも向き合わなければなりません。 今回から数回に分けて若年性認知症の方との関りを書いていきたいと思います。 思えば35年も前になる、私が最初に若年性認知症の方に関わった時のこと そして日本人として初めて国際アルツハイマー病学会でカミングアウトした 越智俊二さんとその妻の須美子とのことも追々書いていこうかと思っています。 決して他人事ではない、誰にでも起きうること。 家族の悲愴な叫び さらに私たち(サポート側)の視点は果たしてこれでよいのだろうか? という所まで、少し期間は長くなるとは思いますが、順次アップしていきます。 [caption id="attachment_1880" align="aligncenter" width="650"] 大きな世界を変える小さな個人[/caption] 次回は私が初めて出会った若年性の方との関り。 かなり昔の話になりますが、35年経っても若年性認知症の方へのサポートは あまり変わりはないのかもしれません。