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「トピックス」で記事を検索しました。

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2021.02.05

トピックス
問題発言高齢者を認知症だと言わないで センター長の石川です 世の中一部の権力を持つ高齢者の発言、行動で、若い世代から「老害」と言う言葉を盛んに聞きます。 確かに先日のフォレスト氏の発言や一階の上の人の行動や発言を聞いていると 全くもって酷いもので、多くの普通の高齢者まで迷惑してしまいます。 つまり、老人になると、「老害」しかないと思われ、 それが認知症と繋がってしまうのです。 SNSでのコメントでは、フォレスト氏は「痴呆だ」(認知症とも言わず) 「痴呆老人はさっさと、引退しろ!」みたいな言葉が次々と出てきます。 やはり、認知症の人を蔑視、軽蔑する風潮は世間に染みこんでいるのでしょうか。 特に若い世代に、このままでは老人イコール自分たちを害する人たちと思われてしまうでしょう。 つまり、しょうもないことでの世間の大騒ぎですが、 高齢者理解、認知症の人への理解と言う意味では、捨てておけないことなのです。 多くの高齢者は若い人達に知識をつたえる知恵者であり、学びの師なのです。 例えば入居者一人一人は若い世代にとって学びの師なのです。 認知症があったとしてもその人から学ぶことがものすごくあるのです。 ところが一部の権威的立場にある高齢者の行動や発言は、それらの思いを吹き飛ばしてしまいます。 そして、「老害」は「認知症」と結びつき、軽蔑だけが助長されてしまいます。 若い世代は高齢者を「ヨーダ」と思い、学ぶ姿勢を。 年取った世代は自分を「ヨーダ」と思い、出しゃばらず若い世代を見守り導くことを。 でも老いも若きもそんなことはどうでもいいよーだ…
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2021.02.04

トピックス
若年性認知症の方との関り(13)【なぜ若年性認知症になってしまったのか】 Bさんは40代後半で認知症を発症しました。 何故この若さで認知症を発症することになったのか。 その原因理由についてはかなり解明されてきました。(これについては長くなるのでまた別項で) しかし、若年性認知症発症の理由は、残念ながらまだまだ不明な点が多いのです。 B女医さんが発病された当時、今からもう30年近く前のことですが、 認知症になる原因理由は当然まだ不明なことが殆どでした。 当時、認知症の方を診断していた専門医(この先生には大変お世話になりました。いろいろ勉強もさせてもらいました)は、 Bさんの診察に際し、家族にBさんが認知症の人を診察していた経緯がないか、ということを聞かれていました。 先生は診察が終わると、必ず丁寧に手洗いを行い、イソジンでうがいをされていました。 今なら当たり前の光景かもしれませんが、当時は随分神経質だなと私は思っていました。 Bさんが何故認知症を発症したのか? もしかしたらウイルスによるものかもしれない。 そんな可能性もぬぐい切れない当時の状況だったからです。 認知症ウイルス説は今となっては問題外のことですが、 医者が若年性認知症になってしまったということは、ウイルス説を含めた脅威だったわけです。 残念ながら、これだけ科学が進んでも、若年性認知症の人が減ることはありません。 確実的に発症している病気でもあるのです。 他人事ではないのです。 センター長の石川でした。 (つづく) 最近話題にのぼる「ウレタンマスク」。 ウレタンマスクをしている人を攻撃する人も現れて「なんとか警察」の再登場です。 本当に困ったものです。 ただ、ウレタンマスクへの正しい理解は必要だと思うので、下記リンク先の記事を読んでもらえればと思います。 要は、マスクをしっかりと付け、密集を防ぎ、換気をガンガン行う。これに尽きるのかなと。 ただ、介護施設で働く者は、公私の時間ともに、ウレタンマスクの使用は避けた方がよいでしょう。 https://toyokeizai.net/articles/-/409607
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2021.02.02

トピックス
泣いた赤鬼(本当の鬼は人間なのでは?) センター長の石川です 今日は節分ですね。2月3日ではなく、2月2日です。 日本独特のはるか昔からある年中行事のひとつですが、 この古風な行事も実は「宇宙」ととても関係しているのですね。 詳しくは書けませんが、地球が太陽の周囲を回る公転周期との関係で、節分の日が変わると言うことになります。 古風な行事もこのような宇宙規模の動きの中にあるのですね。 南日本新聞より 因みに前回2月2日だったのが明治30年。 124年前だったのに、次の2月2日は2025年と4年後です。 意外と早いですね。 ウェザーニュースより 節分は鬼を払うと言うことで、鬼が悪者になる日なのですが、私はあまり好きではありません。 地域によっては、「福は内、鬼も内」と言って、鬼は悪者かもしれないけれど改心させ受け入れましょうと言うものです。 或いは、鬼は自分の神社に集め、周囲の村に福が来るように「鬼は内(神社に集める)福は外(村に行く)」という神社もあるそうです。 「福は内、鬼も内」と言うのは、いかにも日本人的やさしさが感じられますね。 私が鬼の排斥が嫌いなのは、その昔、濱田廣介の「泣いた赤鬼」を読んで、泣いたからかもしれません。 勧善懲悪ではなく、相手の気持ちも思いやること。 私の見かた捉え方を多角的に見ることという考えの原点の物語かもしれません。 原書不明 とは言うものの、赤鬼は昔から疫病と結び付けられ、疫病退散の意味があったようです。 今年だけは赤鬼に辛抱してもらいましょう。 でも、実のところ、本当の鬼は「人間そのもの」かもしれませんねぇ。 平気で誹謗中傷する人たち、まさしく鬼そのものではないでしょうか。
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2021.02.01

トピックス
人は変われるか? ケアワークにおいて② 人が変わる、悪い方ではなくて、いい方向に人が変われるかと言うのがテーマなのですが、 そのアプローチはいくつかあります。 その中でも「自己防衛機能」を活用するのは、あまり高次元のものではありません。 つまりあまり使いたくないものなのです。 しかしいきなり高次元のアプローチをしても難しいので、まずは人間の本能に直接関与するものとして、 自己防衛機能をうまく活用するという方法です。 要は本人の危機感を呼び覚ますということになります。 今日の東大阪の空 しかし中には上に立つ者として、その使い方を間違っている人もいます。 脅しのような圧力をかける使い方です。 圧力をかけることで、このままではまずいと無理やり思わせようとすることです。 これは間違いなく様々な手段で逆襲を喰らいます。 攻撃されたことに対して、10倍返しでミサイルを打ち返してくるかもしれません。 自己防衛機能が過度に働いて、圧力をかけた者に対して猛烈に反発するか、 若しくはその圧力で自己防衛どころか自己崩壊を起こさせてしまうということになります。 そのような圧力ではなく、一番低い部分での気づきになりますが、 「このままでは立場がまずくなるな」と、自分の中で感じてもらうこと。 つまり自分自身の現状の行動に対しての危機意識(自己防衛機能)が働き、行動の変化に繋がるのがよいでしょう。 多くの場合、利用者からの苦情がこの気づきに繋がることが多いのです。 ところが残念ながら、この一番低い部分の気づきすら生じない場合があります。 困りますね(苦笑) to be continued   さて、田中将大投手、日本でまたその雄姿を見ることが出来るようになりました。 大リーグでの活躍も嬉しいですが、暗い話題ばかりの今の日本、身近に活躍を見れるのはもっと嬉しいことですね。 前回もここにリンクした「あとひとつ」もう一度貼り付けておきます。 この唄で、元気をもらってください。 https://www.youtube.com/watch?v=ir5cF-EvBig センター長の石川でした。
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2021.01.26

トピックス
若年性認知症の方との関り(12)【私が崩壊していくということ】 Bさんの行動は激しいものでした。 常に動き回り、それでいて足元が不安定のため、 何度か転倒もありました。 そのため、頭にはラグビー選手のようなヘッドギアを付け、 腰にはパットの入ったズボンをはいてもらいました。 それでも常に目が離せない存在だったのです。 Bさんのその目はいつも潤み、いつも何かを訴えるかのように私たちを見ます。 そして大声。 恐らくは何かを訴えたい、何かを話したい、だけどその言葉が出てこない。 本当なら医者として、まだまだバリバリと働きたいはずなのに どうしようもなく自分が崩壊していく姿への悲愴な叫びだったのかもしれません。 職員の中にBさんの診療所で働いていた看護師がいて、 「先生、先生!」 と、声を掛けます。 一瞬、何かを感じたのか、穏やかな表情になります。 医者が医者たる姿を見せた一瞬だったのかもしれません。 認知症になってもその姿は人それぞれです。 穏やかな人もいれば、そうでない人もいます。 いずれにしても、自分で望んだ道ではなかったでしょう。 Bさんからは、「こんなはずじゃない!どうして!?」という思いが強く伝わってきたのでした。 その認知症と言う病魔に襲われて、悲壮な状況に追いやられてしまった人のことを 私たちはあまりにも冷酷な目で「認知症の大変な人」という思いで見ているのかもしれません。 (つづく) センター長の石川でした。
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2021.01.22

トピックス
若年性認知症の方との関り(11)【女医さんの心の叫び】 Bさんが、私が生活相談員をしている認知症専門フロアに来られた時、既に認知症状が進行していました。 小さな身体の方でした。50歳代でしたが可愛らしい表情の方で、 人気の女医さんだったということがよくわかります。 開業医として、評判の良い女医さんだったのです。 ところが、もの忘れが目立つようになり、時に精神的に不安定になり、 医療器具をひっくり返して暴れることもあったそうです。 人の命を守る仕事ゆえ、家族は早々に医師の仕事を辞めさせました。 しかし、使命として医師の仕事に誇りを持っていたBさんが、 その仕事が出来なくなったことで、認知症状は一気に進行してしまったのです。 「医者の仕事を奪ってしまったことが、本人にはつらかったのでしょう。それから一気に認知症が進んでしまいました。でも人の命を預かる仕事ですから、間違いがあってはならなかったので仕方なかったのです。」 と、娘さんが寂しく語ってくれました。 施設に来られてからのBさんの表情は、いつも険しく、そして哀しい表情でした。 そして、「ワァー!」と大声で泣き叫ぶのでした。 足元が不安定なのにもがくように歩き、悲壮感あふれる泣き叫び。 その叫びは、「なんでなんで!?どうしてどうして!?」と言う、 今の自分の状況が到底受け入れられない激しい心の叫びのように思われました。 その叫び声は「こんなはずじゃない!!」と言う、 認知症の人のすさまじい訴えの声として私の心に深く残ったのでした。 センター長の石川でした。 (つづく)
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2021.01.20

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人は変われるか?ケアワークにおいて① センター長の石川です 人は変われるのか? その確信を持ったラグビー選手の話を前回書きました。 しかし、本当に人は変われるか?と言われると、かなり難しいことかもしれません。 一人ひとり違うということは、それぞれに個性があり、 その個性があるからこそ、この世の中は成り立っていると言えます。 もちろん、人は変われるかは、個性まで変えろと言ってるわけではありません。 ここでは、ケア職員としての在り方を問うと言うことになります。 つまり前回書いたラグビー選手が、自分の天性にかまけて努力もせず、チームワークも関係なく試合に出ていたのが、 人が変わったかのように練習に励み、チームワークに貢献したラグビー選手になったように、 ケアの世界で働くものとして、ケアワークに対しての心構えと言うか、在り方が変わっていけるのか? ということがテーマになります。 おそらくは、半日講座ぐらい開けるかなというぐらいのボリュームになりそうですが、 少しずつ小出しに書いていきます。 今日の生駒山です そもそも人には(と言うか生命体には)「生きていくためにあらゆる手段を使う」という本能が備わっています。 憎きコロナウイルスにしてもそうです。 ウイルスの変異が今私たちにとって脅威になっていますが、ウイルスにとっては生きていくがゆえの変異なのでしょう。 話が随分それてしまいました。 つまり人にも生きるための「自己防衛機能」が備わっているのです。 この自己防衛機能があるがゆえに、人の心構えが変わると言うのは至難の業になってきます。 例えば、何か失敗したときに上司から責められた時の「言い訳」はまさしく自己防衛機能が働いている姿だと言えます。 「仕方なかった、わからなかった、どうしようもなかった」などの言葉を並べて、 自分は悪くないと、自分の心のダメージや立場を悪くすることを防ぐための必死の行動と言えます。 昨夕、野口さんに手を振りました。 ニュアンスは異なりますが、私たちが認知症の人に押してしまう「作話」と言うレッテル。 はたから見れば、在りもしない、出来もしないことを必死になって話す姿は、 私たちにとって困った行動として「作話あり」と判断しますが、 しかしその行動は、認知症の人にとって、自分は大丈夫、しっかりしている、問題ないと、 必死に「認知症」という病魔に対抗し、生きていこうとする自己防衛反応の姿ともいえるのです。 では、ケアスタッフはどうすればその心構えが変わっていくのか? ひとつの方法として、この「自己防衛機能」を逆に活用すると言うものがあります。 ちょっと先まで、to be continued
ブログ投稿画像 センター長の石川です 世の中一部の権力を持つ高齢者の発言、行動で、若い世代から「老害」と言う言葉を盛んに聞きます。 確かに先日のフォレスト氏の発言や一階の上の人の行動や発言を聞いていると 全くもって酷いもので、多くの普通の高齢者まで迷惑してしまいます。 つまり、老人になると、「老害」しかないと思われ、 それが認知症と繋がってしまうのです。 SNSでのコメントでは、フォレスト氏は「痴呆だ」(認知症とも言わず) 「痴呆老人はさっさと、引退しろ!」みたいな言葉が次々と出てきます。 やはり、認知症の人を蔑視、軽蔑する風潮は世間に染みこんでいるのでしょうか。 特に若い世代に、このままでは老人イコール自分たちを害する人たちと思われてしまうでしょう。 つまり、しょうもないことでの世間の大騒ぎですが、 高齢者理解、認知症の人への理解と言う意味では、捨てておけないことなのです。 多くの高齢者は若い人達に知識をつたえる知恵者であり、学びの師なのです。 例えば入居者一人一人は若い世代にとって学びの師なのです。 認知症があったとしてもその人から学ぶことがものすごくあるのです。 ところが一部の権威的立場にある高齢者の行動や発言は、それらの思いを吹き飛ばしてしまいます。 そして、「老害」は「認知症」と結びつき、軽蔑だけが助長されてしまいます。 若い世代は高齢者を「ヨーダ」と思い、学ぶ姿勢を。 年取った世代は自分を「ヨーダ」と思い、出しゃばらず若い世代を見守り導くことを。 でも老いも若きもそんなことはどうでもいいよーだ…
ブログ投稿画像 Bさんは40代後半で認知症を発症しました。 何故この若さで認知症を発症することになったのか。 その原因理由についてはかなり解明されてきました。(これについては長くなるのでまた別項で) しかし、若年性認知症発症の理由は、残念ながらまだまだ不明な点が多いのです。 B女医さんが発病された当時、今からもう30年近く前のことですが、 認知症になる原因理由は当然まだ不明なことが殆どでした。 当時、認知症の方を診断していた専門医(この先生には大変お世話になりました。いろいろ勉強もさせてもらいました)は、 Bさんの診察に際し、家族にBさんが認知症の人を診察していた経緯がないか、ということを聞かれていました。 先生は診察が終わると、必ず丁寧に手洗いを行い、イソジンでうがいをされていました。 今なら当たり前の光景かもしれませんが、当時は随分神経質だなと私は思っていました。 Bさんが何故認知症を発症したのか? もしかしたらウイルスによるものかもしれない。 そんな可能性もぬぐい切れない当時の状況だったからです。 認知症ウイルス説は今となっては問題外のことですが、 医者が若年性認知症になってしまったということは、ウイルス説を含めた脅威だったわけです。 残念ながら、これだけ科学が進んでも、若年性認知症の人が減ることはありません。 確実的に発症している病気でもあるのです。 他人事ではないのです。 センター長の石川でした。 (つづく) 最近話題にのぼる「ウレタンマスク」。 ウレタンマスクをしている人を攻撃する人も現れて「なんとか警察」の再登場です。 本当に困ったものです。 ただ、ウレタンマスクへの正しい理解は必要だと思うので、下記リンク先の記事を読んでもらえればと思います。 要は、マスクをしっかりと付け、密集を防ぎ、換気をガンガン行う。これに尽きるのかなと。 ただ、介護施設で働く者は、公私の時間ともに、ウレタンマスクの使用は避けた方がよいでしょう。 https://toyokeizai.net/articles/-/409607
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今日は節分ですね。2月3日ではなく、2月2日です。 日本独特のはるか昔からある年中行事のひとつですが、 この古風な行事も実は「宇宙」ととても関係しているのですね。 詳しくは書けませんが、地球が太陽の周囲を回る公転周期との関係で、節分の日が変わると言うことになります。 古風な行事もこのような宇宙規模の動きの中にあるのですね。 [caption id="attachment_2351" align="aligncenter" width="237"] 南日本新聞より[/caption] 因みに前回2月2日だったのが明治30年。 124年前だったのに、次の2月2日は2025年と4年後です。 意外と早いですね。 [caption id="attachment_2350" align="aligncenter" width="650"] ウェザーニュースより[/caption] 節分は鬼を払うと言うことで、鬼が悪者になる日なのですが、私はあまり好きではありません。 地域によっては、「福は内、鬼も内」と言って、鬼は悪者かもしれないけれど改心させ受け入れましょうと言うものです。 或いは、鬼は自分の神社に集め、周囲の村に福が来るように「鬼は内(神社に集める)福は外(村に行く)」という神社もあるそうです。 「福は内、鬼も内」と言うのは、いかにも日本人的やさしさが感じられますね。 私が鬼の排斥が嫌いなのは、その昔、濱田廣介の「泣いた赤鬼」を読んで、泣いたからかもしれません。 勧善懲悪ではなく、相手の気持ちも思いやること。 私の見かた捉え方を多角的に見ることという考えの原点の物語かもしれません。 [caption id="attachment_2352" align="aligncenter" width="600"] 原書不明[/caption] とは言うものの、赤鬼は昔から疫病と結び付けられ、疫病退散の意味があったようです。 今年だけは赤鬼に辛抱してもらいましょう。 でも、実のところ、本当の鬼は「人間そのもの」かもしれませんねぇ。 平気で誹謗中傷する人たち、まさしく鬼そのものではないでしょうか。
ブログ投稿画像 人が変わる、悪い方ではなくて、いい方向に人が変われるかと言うのがテーマなのですが、 そのアプローチはいくつかあります。 その中でも「自己防衛機能」を活用するのは、あまり高次元のものではありません。 つまりあまり使いたくないものなのです。 しかしいきなり高次元のアプローチをしても難しいので、まずは人間の本能に直接関与するものとして、 自己防衛機能をうまく活用するという方法です。 要は本人の危機感を呼び覚ますということになります。 [caption id="attachment_2345" align="aligncenter" width="650"] 今日の東大阪の空[/caption] しかし中には上に立つ者として、その使い方を間違っている人もいます。 脅しのような圧力をかける使い方です。 圧力をかけることで、このままではまずいと無理やり思わせようとすることです。 これは間違いなく様々な手段で逆襲を喰らいます。 攻撃されたことに対して、10倍返しでミサイルを打ち返してくるかもしれません。 自己防衛機能が過度に働いて、圧力をかけた者に対して猛烈に反発するか、 若しくはその圧力で自己防衛どころか自己崩壊を起こさせてしまうということになります。 そのような圧力ではなく、一番低い部分での気づきになりますが、 「このままでは立場がまずくなるな」と、自分の中で感じてもらうこと。 つまり自分自身の現状の行動に対しての危機意識(自己防衛機能)が働き、行動の変化に繋がるのがよいでしょう。 多くの場合、利用者からの苦情がこの気づきに繋がることが多いのです。 ところが残念ながら、この一番低い部分の気づきすら生じない場合があります。 困りますね(苦笑) to be continued   さて、田中将大投手、日本でまたその雄姿を見ることが出来るようになりました。 大リーグでの活躍も嬉しいですが、暗い話題ばかりの今の日本、身近に活躍を見れるのはもっと嬉しいことですね。 前回もここにリンクした「あとひとつ」もう一度貼り付けておきます。 この唄で、元気をもらってください。 https://www.youtube.com/watch?v=ir5cF-EvBig センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 Bさんの行動は激しいものでした。 常に動き回り、それでいて足元が不安定のため、 何度か転倒もありました。 そのため、頭にはラグビー選手のようなヘッドギアを付け、 腰にはパットの入ったズボンをはいてもらいました。 それでも常に目が離せない存在だったのです。 Bさんのその目はいつも潤み、いつも何かを訴えるかのように私たちを見ます。 そして大声。 恐らくは何かを訴えたい、何かを話したい、だけどその言葉が出てこない。 本当なら医者として、まだまだバリバリと働きたいはずなのに どうしようもなく自分が崩壊していく姿への悲愴な叫びだったのかもしれません。 職員の中にBさんの診療所で働いていた看護師がいて、 「先生、先生!」 と、声を掛けます。 一瞬、何かを感じたのか、穏やかな表情になります。 医者が医者たる姿を見せた一瞬だったのかもしれません。 認知症になってもその姿は人それぞれです。 穏やかな人もいれば、そうでない人もいます。 いずれにしても、自分で望んだ道ではなかったでしょう。 Bさんからは、「こんなはずじゃない!どうして!?」という思いが強く伝わってきたのでした。 その認知症と言う病魔に襲われて、悲壮な状況に追いやられてしまった人のことを 私たちはあまりにも冷酷な目で「認知症の大変な人」という思いで見ているのかもしれません。 (つづく) センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 Bさんが、私が生活相談員をしている認知症専門フロアに来られた時、既に認知症状が進行していました。 小さな身体の方でした。50歳代でしたが可愛らしい表情の方で、 人気の女医さんだったということがよくわかります。 開業医として、評判の良い女医さんだったのです。 ところが、もの忘れが目立つようになり、時に精神的に不安定になり、 医療器具をひっくり返して暴れることもあったそうです。 人の命を守る仕事ゆえ、家族は早々に医師の仕事を辞めさせました。 しかし、使命として医師の仕事に誇りを持っていたBさんが、 その仕事が出来なくなったことで、認知症状は一気に進行してしまったのです。 「医者の仕事を奪ってしまったことが、本人にはつらかったのでしょう。それから一気に認知症が進んでしまいました。でも人の命を預かる仕事ですから、間違いがあってはならなかったので仕方なかったのです。」 と、娘さんが寂しく語ってくれました。 施設に来られてからのBさんの表情は、いつも険しく、そして哀しい表情でした。 そして、「ワァー!」と大声で泣き叫ぶのでした。 足元が不安定なのにもがくように歩き、悲壮感あふれる泣き叫び。 その叫びは、「なんでなんで!?どうしてどうして!?」と言う、 今の自分の状況が到底受け入れられない激しい心の叫びのように思われました。 その叫び声は「こんなはずじゃない!!」と言う、 認知症の人のすさまじい訴えの声として私の心に深く残ったのでした。 センター長の石川でした。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です 人は変われるのか? その確信を持ったラグビー選手の話を前回書きました。 しかし、本当に人は変われるか?と言われると、かなり難しいことかもしれません。 一人ひとり違うということは、それぞれに個性があり、 その個性があるからこそ、この世の中は成り立っていると言えます。 もちろん、人は変われるかは、個性まで変えろと言ってるわけではありません。 ここでは、ケア職員としての在り方を問うと言うことになります。 つまり前回書いたラグビー選手が、自分の天性にかまけて努力もせず、チームワークも関係なく試合に出ていたのが、 人が変わったかのように練習に励み、チームワークに貢献したラグビー選手になったように、 ケアの世界で働くものとして、ケアワークに対しての心構えと言うか、在り方が変わっていけるのか? ということがテーマになります。 おそらくは、半日講座ぐらい開けるかなというぐらいのボリュームになりそうですが、 少しずつ小出しに書いていきます。 [caption id="attachment_2318" align="aligncenter" width="650"] 今日の生駒山です[/caption] そもそも人には(と言うか生命体には)「生きていくためにあらゆる手段を使う」という本能が備わっています。 憎きコロナウイルスにしてもそうです。 ウイルスの変異が今私たちにとって脅威になっていますが、ウイルスにとっては生きていくがゆえの変異なのでしょう。 話が随分それてしまいました。 つまり人にも生きるための「自己防衛機能」が備わっているのです。 この自己防衛機能があるがゆえに、人の心構えが変わると言うのは至難の業になってきます。 例えば、何か失敗したときに上司から責められた時の「言い訳」はまさしく自己防衛機能が働いている姿だと言えます。 「仕方なかった、わからなかった、どうしようもなかった」などの言葉を並べて、 自分は悪くないと、自分の心のダメージや立場を悪くすることを防ぐための必死の行動と言えます。 [caption id="attachment_2317" align="aligncenter" width="650"] 昨夕、野口さんに手を振りました。[/caption] ニュアンスは異なりますが、私たちが認知症の人に押してしまう「作話」と言うレッテル。 はたから見れば、在りもしない、出来もしないことを必死になって話す姿は、 私たちにとって困った行動として「作話あり」と判断しますが、 しかしその行動は、認知症の人にとって、自分は大丈夫、しっかりしている、問題ないと、 必死に「認知症」という病魔に対抗し、生きていこうとする自己防衛反応の姿ともいえるのです。 では、ケアスタッフはどうすればその心構えが変わっていくのか? ひとつの方法として、この「自己防衛機能」を逆に活用すると言うものがあります。 ちょっと先まで、to be continued