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2021.01.18

トピックス
若年性認知症の方との集いと1月17日 1月16日(土)1月定例の若年性認知症の方との集い(楽カフェ)が開催されました。 今回は、ご家族様のグループに参加させてもらいました。 詳細は書けませんが、本当に苦労されている様子、 その中でも色々考えながらケアをされていること等 熱い思いが伝わってくるものでした。 デイサービスの利用などはあるものの、ほぼフルタイムでケアをして行かなければならないのが家族です。 その家族へのサポートを、もっと深めていかなければならないと思うのです。 さて、そのように本人、家族にとって大切な集いの時間ではあるので、開催はされるべきだとは思うのですが、 大阪は「緊急事態宣言」が出ているのです。 それは「人の動きを止める」ことが大切なのですが、宣言が出てもお構いなくという感じがします。 行政からして地域活動は止めるな!ですから、では何のための「緊急事態宣言」なのかと思ってしまいます。 単に飲食関係が、感染率が高いからと、まるで悪者にしているような感じですね。 震災メモリアル 昨日は1月17日 あれからもう26年も経過したのですね。 現地での救援活動は、今も深く脳裏に焼き付いて忘れられないものになっています。 というか、心の傷として残るくらいの衝撃だったかもしれません。 当時の救援活動を私は約3万7千字の文章として書き残していますが、そのうちのごく一部だけを転載します。 まずは初動の所から。正式救援隊の一員としてはこの時からですが、震災後すぐに先輩の安否確認のために現地には入っていました。ほぼ序章のようなところです。 JR神戸駅の時計 地震から10日後、大阪の老人福祉関係者の被災地支援策もようやくまとまり始め、被災地に対する援助が徐々に動きだした。阪神間の市街地には老人ホ-ムの数は少なく(当時)、大きな被害を受けている所は少なかった。殆どが北区や西区などの外周部にあり、建物自体には問題は少なかったが、市中心部からの緊急避難の高齢者が各施設に押し寄せ、どの施設も定員を遥かにオ-バ-した状態にあった。 そのため、まずそれらの施設に対する職員の応援派遣が実施された。大阪の各施設から選抜されたケア職員達が三田経由でそれらの施設に向かった。各施設ともライフラインは維持されており、派遣職員が寝食に困るということはなかったが、これらの施設とは対照的に、ライフラインが全く破壊されたうえに、目前に大きな被害を見つめることになった特別養護老人ホ-ムが二か所あった。芦屋市の「あしや聖徳園」と、長田区の「長田ケアホ-ム」だった。 「あしや聖徳園」は21歳の若いケア職員を失っている。山好きの女性で、休みの日にはいつも山に行っていたという。彼女の住む文化住宅は一階が崩壊、仲間達が懸命に瓦礫を掘り起こしたが、彼女の恋人が瓦礫の隙間から手を延ばし触れた彼女の手はすでに冷たくなっていた。彼は、嗚咽し泣き崩れたという。 阪神大震災は、数多くの恋人達の愛をも引き裂いていた…。(ケア職員の犠牲者も出た) 「長田ケアホ-ム」は施設の目の前までが火災で何もかもなくなってしまった。前一面が焼け野原となってしまったのだ。目前の火災の中で、多くの人達が生きながら焼かれてしまったのだ。 最初に救援に入った東灘区摂津本山付近 写真原本が不明のため、PCのワード画像より転写しているため、画像は見ずらいです. 次は実際の救援活動の一コマです。今も強く印象に残っているシーンです。 野寄公園にある自衛隊のテントの間に挟まれるように3~4人用の小さなテントが建っている。その小さなテントに寝たきりの母親を抱える息子夫婦が暮らしていた。3~4人用のテントといっても、ゆったりと寝ようと思えば2人までである。テントの中は非常に狭い空間なのだ。そのテントの外には辛うじて持ち出したと思われる洗面道具やバケツが置かれていた。 避難所の担当医師は、この老人の一般状態があまり良くないので入院の手配を進め、明日には入院出来るようになったと話してくれた。現在は点滴で何とか持ち堪えている状態だという。 しかし、寝たきりの彼女は私たちの前で、「家族と共に居たいから入院はしたくない。そのように、医者に伝えておいて欲しい。」と応えた。家族もその本人の意思を尊重した。 状態が悪化しつつある寝たきり老人が、劣悪な環境の続くテントでの生活を選んだ。 家を失い、生活を失い、全てのものを失った彼女にとって、家族は唯一失われずにそばに居てほしいものだった。ここで入院して離ればなれになって、家族までも失いたくなかったのだ。例え自分の命を縮めようとも、もうこれ以上、大切なものを失いたくはなかったのだ。 私たちは、そのテントをみつめることだけしかできなかった…。 その後、この家族がどうなったか、私は全く知らない。しかし、極限の中での人間の「絆」というものの強さを深く感じずにはいられなかった。 なす術なく立ちすくんでそのテントを見つめるだけの私達…。家族の「絆」を前にして、誰が「入院が最高の選択。」と云えるだろうか。 担当医師に本人と家族の意向を伝えると、その医師も何も云わなかった。いや、何も云えなかったのだ、きっと…。 厳しい寒さの中、その方はテントでの生活を選ばれた。人生最後の選択だったかもしれない。   センター長の石川でした。
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2021.01.14

トピックス
人は変われるのか センター長の石川です。 いつもラグビーの話で申し訳ないです。 かつて増保輝則と言う天才的ラガーマンがいました。 天性の感覚を持ち、早稲田大学でもトッププレーヤーでした。 しかし、その天性故か、練習はしんどいからしない、タックルなんかやらないと 努力することを嫌い、身体はぶくぶく太り、相撲の武蔵丸のあだ名もつけられます。 しかし天才的ラガーマンである増保選手は19歳で日本代表にも選ばれました。 ラグビーファンの私にとっても、果てしなく暗黒に落ちる大敗でした。 ところが、1995年のラグビーワールドカップで 日本はニュージーランドに145点も取られるという屈辱的大敗を喫します。 タックルに行こうとしない増保は厳しいバッシングを受けることになります。 彼は大事な試合の前にカジノに遊びに行っていたくらいですから。 私も大嫌いな選手でした。 しかし彼に何があったのか? 丸々太った体がすっかりスリムになっていました。 次に増保選手を見た時には、すっかりとスリムになっただけでなく、 チームのために献身的にタックルに行き、え?なんでそこにいるの?と思うほど走り回っている、 「俺がではなく、チームのために」献身的に動き回っている姿だったのです。 その時私は確信しました。 「人は変われるのだ」と。 「生まれ変わるのなら、生きているうちに」 そうなのです。 死んでから生まれ変わろうとしても、次はゴキブリやダンゴムシになるかもしれません。 生まれ変わるのなら、生きているうちに。なのです。 しかし実際に、変わって欲しいなとこちら側が思っても 相手にその気がなければ変わらないのです。 気づいてない人もいますし、いくら言っても気づかない人もいます。 同時に変わりたいと思っても、なかなか変われないのも事実です。 では、どうすればいいのか? それは to be continued ということで。
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2021.01.13

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若年性認知症の方との関り(10)【慕われていた女医さんの発病】 センター長の石川です。 年が変わり、若年性認知症の方二人目の紹介です。 そもそも、何故若いうちに認知症状が出てしまうのか。 それはまだまだ不明なところが多いのです。 ただ、若年性認知症は、ほぼ高齢期の認知症と同様の原因(基礎疾患)により発症するということなのです。 厚生労働省の調査によると、若年性認知症の原因を基礎疾患別に見ると、脳血管性認知症が39.8%を占めています。 続いてアルツハイマー型認知症が25.4%、頭部外傷後遺症が7.7%、前頭側頭葉変性症(ピック病)が3.7%、アルコールの乱用によるアルコール性認知症が3.5%、レビー小体型認知症が3.0%となっています。 脳血管性及びアルツハイマー型で65%を占めているのです。 知らず知らずのうちに忍び寄ってくる暗雲 脳血管性についてはその原因はわかっていますが、それは何らかの病気として現れることが多いと言えます。 しかし私が接した方は、いつのまにか、つまりアルツハイマー病の方が多く、 その生活に知らずのうちに忍び寄ってきたと言える人がほとんどでした。 アルツハイマー病に関しては、脳に蓄積される不純物(アミロイドβ)が神経伝達組織を破壊してしまうことがわかってきました。 その蓄積量がオーバーフローするとアルツハイマー病を発症するのですが、 それが何故若いうちから?となると、不明な点も多いのです。 今回紹介させていただく女医さんのBさんも、本人自身全く予期せぬアルツハイマー病の発症だったと言えるかもしれません。 それはBさんの「叫び」が物語っていたのです。 (つづく)   大阪も緊急事態宣言発令されました。私の友人の施設もクラスターが発生しました。 まさしく、今直前にウイルスはいると言えます。 私が楽しみにしていたラグビートップリーグの開幕も、選手が次から次へと感染し、中止を余儀なくされています。 特に首都圏のチームに多く発症しており、やはり感染者数は危機的状況を物語っていると言えるかもしれません。 それでも負けないようにと、ここでは心がくじけそうになった時に見るビデオを時々載せていきます。 今回は中島みゆきのCoverですが、なかなか良いので聴いてください。 https://www.youtube.com/watch?v=KpX4Ko-5cEA  
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2021.01.12

トピックス
天理大学ラグビー部のレジリエンス センター長の石川です 関西に住む昔からの、そして根っからのラグビーファンとして 36年ぶりの関西勢の優勝はめっちゃ嬉しかったですね。 関西では抜きんでて強くなった天理大学ですが、 高校を卒業した有名選手はみんな東京の大学に行き、 関東の大学は切磋琢磨した試合を経験しています。 しかし天理大学はそのような経験のない中での闘いでした。 何よりも、無名の戦士たちの集まりなのです。 天理大学様HPよりお借りしました   4トライを挙げた市川敬太 英田中学の卒業生です。 高校は日進高校。ラグビー部は点を一杯取られるだけの無名校です。 目の前に花園ラグビー場がありながら、縁遠い場所だったのです。 市川選手は英田出身の選手だったのですね。 天理大学様HPよりお借りしました。松岡主将と市川選手(12番) まるで高校生の選手宣誓かと言うような松岡主将 彼も全くのラグビー無名校からの出身です。 フィフタのような大きな選手もいますが、 多くの選手が必ずしも秀でた才能を持って入学してきたわけではないのです。 そのラグビー部を襲ったコロナウイルス。 ラグビー部員だけでなく、天理市そのものが天地をひっくり返したような大騒ぎとなり、 誹謗中傷はラグビー部員のみならず、天理大学生にまで及びました。 練習もろくにできない、そんな中からの出発 まさしく天理大学ラグビー部のレジリエンス(逆境力)だったのです。 あの時誹謗中傷した人々は、今、どんな思いなのでしょうか。 弱さに負けて人を中傷する人と、逆境の中で耐えて進む人と、さて…   足の激痛を、大声をあげて堪えた松岡主将 「あの元気さこそが、この時代に必要なリーダーだ」と解説者。 まさしくこの時代を映し出した、天理大学ラグビー部の優勝だったのかもしれません。 天理市の皆さん、おめでとう! 天理市のマスコットです。名前は、忘れました!   *余談ですが、天理大学にはでかい外国人選手がいてずるいという声があります。 今やラグビーの世界でも国際化は進んでいます。日本代表は強くなったと言っても諸外国はもっと大きく強いのです。 大学の頃から大きな相手にどう戦っていくかという経験は大切になります。 また、でかい選手がいるだけでは勝てません。周りの無名の選手たちが頑張ってこそですね。 市川のトライもフィフタとの阿吽の呼吸から生まれたものと言えます。 介護の世界も同じだと思います。 天理大学様より拝借しました
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2020.12.29

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誇るべきプロジェクトメンバー センター長の石川です 今年は本当にとんでもない一年でしたね。 でも、皆様よく耐えられたと思います。 地域の皆様はじめ、多くの方々、本当に我慢と不安の一年でしたね。 ただ、年が変わっても、この冬の間はまだまだ我慢と不安の日が残念ながら続くと思います。 でも、来年は「レジリエンスresilience(逆境力、回復力、復元力などの意味)」の年です。 春を待ち、じっと地中で耐える虫や根っこのように、今少し耐えていきましょう。 今を耐えることが、ウイルス最前線(命の現場だけでなく、生活を支える多くの方々)で働く方々への応援になるのです。 今年はあまり写真を撮りにいけませんでしたが、この写真は今年を表す、お気に入りの写真となりました。 最後に、手前味噌になりますが、島之内のメンバーに感謝の言葉を。 めっちゃ大変な一年でした。 毎日が心身ともにしんどいと思います。 でも皆さんは、一介の介護職員、一介の相談員、看護職員、洗濯、清掃員、給食員ではないのです。 ただのケア職員の一員ではないのです。 皆さんはショートステイ含めて75名の方の、 人生のラストにケアが必要になった方を支えていく プロジェクトメンバーなのです。 それも年齢層を越えた国際チームの一人なのです。 このプロジェクトメンバーがいなければ、75名の方は悲惨な人生のラストを送ることになったかもしれません。 そうではないエンディングに向けて働いている皆さん。 認知症の方も皆さんを頼りにしているのです。 そんなプロジェクトメンバーの皆さんのことを私は誇りに思いますし、 誇りを持てる仕事として、自信を持ってもらえればと思います。 もちろん、在宅分野のプロジェクトメンバーの皆さんにも感謝です。 皆様の存在があってこそ、このコロナウイルスの苦境を地域の人は乗り越えていけるのです。 「ありがとうございます」の一言に尽きますね。     でも、愚痴をこぼしたいこともあるでしょう。 悩むこともあるでしょう。 聴くことしかできませんが、しんどくなったら 遠慮なく私を使ってください。 そして最後の最後に、そのプロジェクトメンバーの皆さんを引張っていく施設長。 本当にしんどい日々がまだまだ続きますが、施設長あってのプロジェクトメンバーです。 一番気苦労多い折れそうな細い体をみんなで支えていきましょう! それでは、今年のブログはこれにて終了です。 皆様、良い年をお迎えください。 来年は、レジリエンスです!
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2020.12.28

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まなざしの微笑み センター長の石川です 「まなざしの微笑み」と書くと、まるで「モナリザの微笑み」みたいですね。 ただモナリザは、顔全体の表情から、あの独特の微笑みを感じることが出来ます。 しかし、今はマスク着用の時代です。 著作の関係でマスクをしたモナリザの画像は載せられませんが、 目だけのモナリザでは微笑んでいるのかどうかわかりません。 しかし、マスクが必携な今、私たちはこの目だけで相手に思いを伝えることをやらなければなりません。 「目の表情」がとても重要なのです。 大きな世界を変える小さな個人   この目。意外とことわざが一杯あります。 「目から鱗が落ちる」「目くじらを立てる」「目のかたき」「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」等々 目の表情は、その時のその人の心の動きを表すと言えるでしょう。 「目力」(めじから)がある人は、信念を持った人として捉えられます。 ただ「目が泳ぐ」人からすれば、「目力」を持った人は恐怖でしょう。 「目が泳ぐ」人は、人見知りや緊張もありますが、自信のなさ、不安、誤魔化しのある人と言えます。 ただ、ケアの現場では、「目が泳ぐ」(眼をそらす、きょろきょろするなど、相手が不安に感じてしまう目の表情)ケア職員だと、やはりケアを受ける側は不安になってしまいます。 相手を安心させるには、「微笑んだまなざし、そして信頼できそうな目力」+「温かいコミュニケーション」に「身振り手振り」を加えます。 認知症の方の場合、情報が入りにくいのでなおさら必要になりますね。 とにかく今は顔の中で表情が表現できるのは、目だけになります。 「まなざしの微笑み」は、相手の心をほぐす、最大要素です。 皆さんも「目の表情」をトレーニングしましょう! あたたかなまなざしは、冷えた心も温めてくれます。
ブログ投稿画像 1月16日(土)1月定例の若年性認知症の方との集い(楽カフェ)が開催されました。 今回は、ご家族様のグループに参加させてもらいました。 詳細は書けませんが、本当に苦労されている様子、 その中でも色々考えながらケアをされていること等 熱い思いが伝わってくるものでした。 デイサービスの利用などはあるものの、ほぼフルタイムでケアをして行かなければならないのが家族です。 その家族へのサポートを、もっと深めていかなければならないと思うのです。 さて、そのように本人、家族にとって大切な集いの時間ではあるので、開催はされるべきだとは思うのですが、 大阪は「緊急事態宣言」が出ているのです。 それは「人の動きを止める」ことが大切なのですが、宣言が出てもお構いなくという感じがします。 行政からして地域活動は止めるな!ですから、では何のための「緊急事態宣言」なのかと思ってしまいます。 単に飲食関係が、感染率が高いからと、まるで悪者にしているような感じですね。 [caption id="attachment_2310" align="aligncenter" width="650"] 震災メモリアル[/caption] 昨日は1月17日 あれからもう26年も経過したのですね。 現地での救援活動は、今も深く脳裏に焼き付いて忘れられないものになっています。 というか、心の傷として残るくらいの衝撃だったかもしれません。 当時の救援活動を私は約3万7千字の文章として書き残していますが、そのうちのごく一部だけを転載します。 まずは初動の所から。正式救援隊の一員としてはこの時からですが、震災後すぐに先輩の安否確認のために現地には入っていました。ほぼ序章のようなところです。 [caption id="attachment_2309" align="aligncenter" width="650"] JR神戸駅の時計[/caption] 地震から10日後、大阪の老人福祉関係者の被災地支援策もようやくまとまり始め、被災地に対する援助が徐々に動きだした。阪神間の市街地には老人ホ-ムの数は少なく(当時)、大きな被害を受けている所は少なかった。殆どが北区や西区などの外周部にあり、建物自体には問題は少なかったが、市中心部からの緊急避難の高齢者が各施設に押し寄せ、どの施設も定員を遥かにオ-バ-した状態にあった。 そのため、まずそれらの施設に対する職員の応援派遣が実施された。大阪の各施設から選抜されたケア職員達が三田経由でそれらの施設に向かった。各施設ともライフラインは維持されており、派遣職員が寝食に困るということはなかったが、これらの施設とは対照的に、ライフラインが全く破壊されたうえに、目前に大きな被害を見つめることになった特別養護老人ホ-ムが二か所あった。芦屋市の「あしや聖徳園」と、長田区の「長田ケアホ-ム」だった。 「あしや聖徳園」は21歳の若いケア職員を失っている。山好きの女性で、休みの日にはいつも山に行っていたという。彼女の住む文化住宅は一階が崩壊、仲間達が懸命に瓦礫を掘り起こしたが、彼女の恋人が瓦礫の隙間から手を延ばし触れた彼女の手はすでに冷たくなっていた。彼は、嗚咽し泣き崩れたという。 阪神大震災は、数多くの恋人達の愛をも引き裂いていた…。(ケア職員の犠牲者も出た) 「長田ケアホ-ム」は施設の目の前までが火災で何もかもなくなってしまった。前一面が焼け野原となってしまったのだ。目前の火災の中で、多くの人達が生きながら焼かれてしまったのだ。 最初に救援に入った東灘区摂津本山付近 写真原本が不明のため、PCのワード画像より転写しているため、画像は見ずらいです. 次は実際の救援活動の一コマです。今も強く印象に残っているシーンです。 野寄公園にある自衛隊のテントの間に挟まれるように3~4人用の小さなテントが建っている。その小さなテントに寝たきりの母親を抱える息子夫婦が暮らしていた。3~4人用のテントといっても、ゆったりと寝ようと思えば2人までである。テントの中は非常に狭い空間なのだ。そのテントの外には辛うじて持ち出したと思われる洗面道具やバケツが置かれていた。 避難所の担当医師は、この老人の一般状態があまり良くないので入院の手配を進め、明日には入院出来るようになったと話してくれた。現在は点滴で何とか持ち堪えている状態だという。 しかし、寝たきりの彼女は私たちの前で、「家族と共に居たいから入院はしたくない。そのように、医者に伝えておいて欲しい。」と応えた。家族もその本人の意思を尊重した。 状態が悪化しつつある寝たきり老人が、劣悪な環境の続くテントでの生活を選んだ。 家を失い、生活を失い、全てのものを失った彼女にとって、家族は唯一失われずにそばに居てほしいものだった。ここで入院して離ればなれになって、家族までも失いたくなかったのだ。例え自分の命を縮めようとも、もうこれ以上、大切なものを失いたくはなかったのだ。 私たちは、そのテントをみつめることだけしかできなかった…。 その後、この家族がどうなったか、私は全く知らない。しかし、極限の中での人間の「絆」というものの強さを深く感じずにはいられなかった。 なす術なく立ちすくんでそのテントを見つめるだけの私達…。家族の「絆」を前にして、誰が「入院が最高の選択。」と云えるだろうか。 担当医師に本人と家族の意向を伝えると、その医師も何も云わなかった。いや、何も云えなかったのだ、きっと…。 [caption id="attachment_2312" align="aligncenter" width="650"] 厳しい寒さの中、その方はテントでの生活を選ばれた。人生最後の選択だったかもしれない。[/caption]   センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 いつもラグビーの話で申し訳ないです。 かつて増保輝則と言う天才的ラガーマンがいました。 天性の感覚を持ち、早稲田大学でもトッププレーヤーでした。 しかし、その天性故か、練習はしんどいからしない、タックルなんかやらないと 努力することを嫌い、身体はぶくぶく太り、相撲の武蔵丸のあだ名もつけられます。 しかし天才的ラガーマンである増保選手は19歳で日本代表にも選ばれました。 [caption id="attachment_2302" align="aligncenter" width="500"] ラグビーファンの私にとっても、果てしなく暗黒に落ちる大敗でした。[/caption] ところが、1995年のラグビーワールドカップで 日本はニュージーランドに145点も取られるという屈辱的大敗を喫します。 タックルに行こうとしない増保は厳しいバッシングを受けることになります。 彼は大事な試合の前にカジノに遊びに行っていたくらいですから。 私も大嫌いな選手でした。 しかし彼に何があったのか? [caption id="attachment_2303" align="aligncenter" width="275"] 丸々太った体がすっかりスリムになっていました。[/caption] 次に増保選手を見た時には、すっかりとスリムになっただけでなく、 チームのために献身的にタックルに行き、え?なんでそこにいるの?と思うほど走り回っている、 「俺がではなく、チームのために」献身的に動き回っている姿だったのです。 その時私は確信しました。 「人は変われるのだ」と。 「生まれ変わるのなら、生きているうちに」 そうなのです。 死んでから生まれ変わろうとしても、次はゴキブリやダンゴムシになるかもしれません。 生まれ変わるのなら、生きているうちに。なのです。 しかし実際に、変わって欲しいなとこちら側が思っても 相手にその気がなければ変わらないのです。 気づいてない人もいますし、いくら言っても気づかない人もいます。 同時に変わりたいと思っても、なかなか変われないのも事実です。 では、どうすればいいのか? それは to be continued ということで。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 年が変わり、若年性認知症の方二人目の紹介です。 そもそも、何故若いうちに認知症状が出てしまうのか。 それはまだまだ不明なところが多いのです。 ただ、若年性認知症は、ほぼ高齢期の認知症と同様の原因(基礎疾患)により発症するということなのです。 厚生労働省の調査によると、若年性認知症の原因を基礎疾患別に見ると、脳血管性認知症が39.8%を占めています。 続いてアルツハイマー型認知症が25.4%、頭部外傷後遺症が7.7%、前頭側頭葉変性症(ピック病)が3.7%、アルコールの乱用によるアルコール性認知症が3.5%、レビー小体型認知症が3.0%となっています。 脳血管性及びアルツハイマー型で65%を占めているのです。 [caption id="attachment_2299" align="aligncenter" width="650"] 知らず知らずのうちに忍び寄ってくる暗雲[/caption] 脳血管性についてはその原因はわかっていますが、それは何らかの病気として現れることが多いと言えます。 しかし私が接した方は、いつのまにか、つまりアルツハイマー病の方が多く、 その生活に知らずのうちに忍び寄ってきたと言える人がほとんどでした。 アルツハイマー病に関しては、脳に蓄積される不純物(アミロイドβ)が神経伝達組織を破壊してしまうことがわかってきました。 その蓄積量がオーバーフローするとアルツハイマー病を発症するのですが、 それが何故若いうちから?となると、不明な点も多いのです。 今回紹介させていただく女医さんのBさんも、本人自身全く予期せぬアルツハイマー病の発症だったと言えるかもしれません。 それはBさんの「叫び」が物語っていたのです。 (つづく)   大阪も緊急事態宣言発令されました。私の友人の施設もクラスターが発生しました。 まさしく、今直前にウイルスはいると言えます。 私が楽しみにしていたラグビートップリーグの開幕も、選手が次から次へと感染し、中止を余儀なくされています。 特に首都圏のチームに多く発症しており、やはり感染者数は危機的状況を物語っていると言えるかもしれません。 それでも負けないようにと、ここでは心がくじけそうになった時に見るビデオを時々載せていきます。 今回は中島みゆきのCoverですが、なかなか良いので聴いてください。 https://www.youtube.com/watch?v=KpX4Ko-5cEA  
ブログ投稿画像 センター長の石川です 関西に住む昔からの、そして根っからのラグビーファンとして 36年ぶりの関西勢の優勝はめっちゃ嬉しかったですね。 関西では抜きんでて強くなった天理大学ですが、 高校を卒業した有名選手はみんな東京の大学に行き、 関東の大学は切磋琢磨した試合を経験しています。 しかし天理大学はそのような経験のない中での闘いでした。 何よりも、無名の戦士たちの集まりなのです。 [caption id="attachment_2293" align="aligncenter" width="650"] 天理大学様HPよりお借りしました[/caption]   4トライを挙げた市川敬太 英田中学の卒業生です。 高校は日進高校。ラグビー部は点を一杯取られるだけの無名校です。 目の前に花園ラグビー場がありながら、縁遠い場所だったのです。 市川選手は英田出身の選手だったのですね。 [caption id="attachment_2294" align="aligncenter" width="650"] 天理大学様HPよりお借りしました。松岡主将と市川選手(12番)[/caption] まるで高校生の選手宣誓かと言うような松岡主将 彼も全くのラグビー無名校からの出身です。 フィフタのような大きな選手もいますが、 多くの選手が必ずしも秀でた才能を持って入学してきたわけではないのです。 そのラグビー部を襲ったコロナウイルス。 ラグビー部員だけでなく、天理市そのものが天地をひっくり返したような大騒ぎとなり、 誹謗中傷はラグビー部員のみならず、天理大学生にまで及びました。 練習もろくにできない、そんな中からの出発 まさしく天理大学ラグビー部のレジリエンス(逆境力)だったのです。 あの時誹謗中傷した人々は、今、どんな思いなのでしょうか。 弱さに負けて人を中傷する人と、逆境の中で耐えて進む人と、さて…   足の激痛を、大声をあげて堪えた松岡主将 「あの元気さこそが、この時代に必要なリーダーだ」と解説者。 まさしくこの時代を映し出した、天理大学ラグビー部の優勝だったのかもしれません。 天理市の皆さん、おめでとう! [caption id="attachment_2087" align="aligncenter" width="240"] 天理市のマスコットです。名前は、忘れました![/caption]   *余談ですが、天理大学にはでかい外国人選手がいてずるいという声があります。 今やラグビーの世界でも国際化は進んでいます。日本代表は強くなったと言っても諸外国はもっと大きく強いのです。 大学の頃から大きな相手にどう戦っていくかという経験は大切になります。 また、でかい選手がいるだけでは勝てません。周りの無名の選手たちが頑張ってこそですね。 市川のトライもフィフタとの阿吽の呼吸から生まれたものと言えます。 介護の世界も同じだと思います。 [caption id="attachment_2296" align="aligncenter" width="650"] 天理大学様より拝借しました[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今年は本当にとんでもない一年でしたね。 でも、皆様よく耐えられたと思います。 地域の皆様はじめ、多くの方々、本当に我慢と不安の一年でしたね。 ただ、年が変わっても、この冬の間はまだまだ我慢と不安の日が残念ながら続くと思います。 でも、来年は「レジリエンスresilience(逆境力、回復力、復元力などの意味)」の年です。 春を待ち、じっと地中で耐える虫や根っこのように、今少し耐えていきましょう。 今を耐えることが、ウイルス最前線(命の現場だけでなく、生活を支える多くの方々)で働く方々への応援になるのです。 [caption id="attachment_1601" align="aligncenter" width="650"] 今年はあまり写真を撮りにいけませんでしたが、この写真は今年を表す、お気に入りの写真となりました。[/caption] 最後に、手前味噌になりますが、島之内のメンバーに感謝の言葉を。 めっちゃ大変な一年でした。 毎日が心身ともにしんどいと思います。 でも皆さんは、一介の介護職員、一介の相談員、看護職員、洗濯、清掃員、給食員ではないのです。 ただのケア職員の一員ではないのです。 皆さんはショートステイ含めて75名の方の、 人生のラストにケアが必要になった方を支えていく プロジェクトメンバーなのです。 それも年齢層を越えた国際チームの一人なのです。 このプロジェクトメンバーがいなければ、75名の方は悲惨な人生のラストを送ることになったかもしれません。 そうではないエンディングに向けて働いている皆さん。 認知症の方も皆さんを頼りにしているのです。 そんなプロジェクトメンバーの皆さんのことを私は誇りに思いますし、 誇りを持てる仕事として、自信を持ってもらえればと思います。 もちろん、在宅分野のプロジェクトメンバーの皆さんにも感謝です。 皆様の存在があってこそ、このコロナウイルスの苦境を地域の人は乗り越えていけるのです。 「ありがとうございます」の一言に尽きますね。     でも、愚痴をこぼしたいこともあるでしょう。 悩むこともあるでしょう。 聴くことしかできませんが、しんどくなったら 遠慮なく私を使ってください。 そして最後の最後に、そのプロジェクトメンバーの皆さんを引張っていく施設長。 本当にしんどい日々がまだまだ続きますが、施設長あってのプロジェクトメンバーです。 一番気苦労多い折れそうな細い体をみんなで支えていきましょう! それでは、今年のブログはこれにて終了です。 皆様、良い年をお迎えください。 来年は、レジリエンスです!
ブログ投稿画像 センター長の石川です 「まなざしの微笑み」と書くと、まるで「モナリザの微笑み」みたいですね。 ただモナリザは、顔全体の表情から、あの独特の微笑みを感じることが出来ます。 しかし、今はマスク着用の時代です。 著作の関係でマスクをしたモナリザの画像は載せられませんが、 目だけのモナリザでは微笑んでいるのかどうかわかりません。 しかし、マスクが必携な今、私たちはこの目だけで相手に思いを伝えることをやらなければなりません。 「目の表情」がとても重要なのです。 [caption id="attachment_1880" align="alignnone" width="650"] 大きな世界を変える小さな個人[/caption]   この目。意外とことわざが一杯あります。 「目から鱗が落ちる」「目くじらを立てる」「目のかたき」「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」等々 目の表情は、その時のその人の心の動きを表すと言えるでしょう。 「目力」(めじから)がある人は、信念を持った人として捉えられます。 ただ「目が泳ぐ」人からすれば、「目力」を持った人は恐怖でしょう。 「目が泳ぐ」人は、人見知りや緊張もありますが、自信のなさ、不安、誤魔化しのある人と言えます。 ただ、ケアの現場では、「目が泳ぐ」(眼をそらす、きょろきょろするなど、相手が不安に感じてしまう目の表情)ケア職員だと、やはりケアを受ける側は不安になってしまいます。 相手を安心させるには、「微笑んだまなざし、そして信頼できそうな目力」+「温かいコミュニケーション」に「身振り手振り」を加えます。 認知症の方の場合、情報が入りにくいのでなおさら必要になりますね。 とにかく今は顔の中で表情が表現できるのは、目だけになります。 「まなざしの微笑み」は、相手の心をほぐす、最大要素です。 皆さんも「目の表情」をトレーニングしましょう! あたたかなまなざしは、冷えた心も温めてくれます。