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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2020.07.01

認知症の教室(専門職用)
「井の中の蛙大海を知らず」でいいのだろうか?  センター長の石川です。 「井の中の蛙大海を知らず」ということわざを皆さんご存知でしょうか? 井戸の中にいる蛙は、海のことを知らない。つまり狭い範囲のことしか知らないで生きているということなのですね。「夏の虫は、氷のことを語ることが出来ない」と言うことわざも同類語ですね。 俺は蛙ではない たった一度の人生、ほんの少しのことしか知らないのは、折角の一度しかない人生、もったいないですね。 私たちの仕事も同じです。 目の前や周囲のことだけ見ていたら、なんの発展もないでしょう。 大変見にくくて申し訳ないのですが、今年の認知症ケア学会の発表内容のほんの一部です。 今回だけで300もの発表があったのです。そして300通りの考え方、捉え方、方法などがあるのです。認知症ケアに特化しただけで! 私たちは目の前のことしか見ていないと思いませんか?それも極端に。 これだけ色々皆さん考えて、アプローチしているというのに! そして発表するからには積極的に取り組むことが必要です。 なのに、あまりのも井の中の蛙になっていませんか? これは認知症ケアの世界だけの話ですので、世界はもっともっとでっかいです。 全く違う世界の発表を聞くと(例えば物理学とか)、???ってなってしまいますが、なるほど!と思うことも一杯あります。 私は、全く異質な世界の人の話を聞くのが大好きです。 書籍もケアの世界の本ではなく、全然違う世界の本を読むのが好きです。 そこには自分の知らない世界が一杯広がっており、そこから今の自分の仕事に役立つヒントが一杯あって、それを吸収するのです。 一見ケアの世界と何の関係もなさそうな、天文学や気象学も、実は結構認知症ケアと関連していることがあるのですよね。 たった一度しかない人生。色々なことに興味を持って吸収してほしいものです。 一方、「井の中の蛙大海を知らず」には、後からつけられた言葉があります。「井の中の蛙大海を知らず。されど、空の青さ(深さ)を知る」です。 たとえ井戸の中という狭い範囲であっても、空を見上げれば、その青さや深さを知ることが出来るということですね。それは言い換えれば、「専門性を深める」ということになるでしょう。 範囲としては狭いけど、その専門性を磨く(深める)ということですね。 「井の中の蛙大海を知らず。されど、空の青さ(深さ)を知る」 海も青空も広く青く深いですね! ふたつとも大切な意味があります。 ただ、専門性を深めるためには、目の前だけ見ていては深められないことも事実です。
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2020.06.30

認知症の教室(専門職用)
自分が感染者だと思って行動してください センター長の石川です。 私たちは基本、自分は感染者になりたくないという思いの中で生きています。 人間誰でも自己防衛本能があるからです。 自分はコロナに感染したくない。 自分は認知症になりたくない。 ある意味、当然な思いかもしれません。 夏雲に変わってきました 認知症になりたくないから、認知症予防や介護予防のために頑張ったりもします。 自分事ですから。 逆に言えば、認知症の人ご本人に対しては、所詮「他人事」と心の中では思っているかもしれません。 だから、認知症の人の行動は、私たちを困らせる行動としてみてしまうのです。 専門職が、認知症の人の思いや行動は所詮他人事と思うと、酷い状況になるでしょう。 認知症の人のことを様々な視点から理解し、その人の思いに立てるかどうかは、 専門職にとって重要なポイントになるのです。 一昨日のお月は真っ二つでした さて、話をコロナウィルスに戻します。 「自分が感染者だと思って行動してください」というのは、私たちは移りたくない思いばかりが先行しますが、コロナウィルスはもしかしたら既にあなたの体の中にあり、自分は症状がなくても、他の人には移す可能性が多分にあるかもしれないということなのです。(厚労省もそう指摘しています) もしかしたらあなたは無症状感染者かもしれない。 そう思って行動してくださいということなのです。 天の川が見える季節です つまり、人が多く集まるところへ行くのは、感染に弱い状態にある人(年齢に関係なく)に感染させてしまう可能性があるということになります。 「人が多く集まるところに行くと感染する」ではなく、 「人が多く集まるところに行くと感染させる」可能性を、 あなたにはあるということを忘れないでください。 残念ながら、人と人が接近し、集団になると感染確率が高くなるのは証明されているのですから。 密集しての井戸端会議はダメですよ 今は、密集したアジサイではなく、ガクアジサイになりましょう。 物理的距離は開けてくださいね。でも心と心は接近です。
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2020.06.26

認知症の教室(専門職用)
認知症ケア学会抄録が届きました。 センター長の石川です。 第21回認知症ケア学会の発表者の内容が掲載された抄録がようやく届きました。 今年の認知症ケア学会は5月末に仙台で行われる予定でしたが、 コロナ禍であえなく中止に。 実は今回、法人として口頭発表を予定していました。 抄録には発表内容の概要だけが載っています。 それが全てになりました。 楠根中学の生徒さんたちと進めてきた認知症の人にやさしいまちづくりに向けた発表だったのですが、 残念でなりません。 この楠根中学との取り組みについては、後日取りまとめて、 このブログで発表したいと考えていますので、よろしくお願いします。 口頭発表は10分間、スライドを交えて説明する予定でした。   さて、認知症ケア学会、多くの人が発表されていますが、 最近は医療系の研究発表が多いような気がします。 ケア現場での取り組みの発表が少ないのは残念ですね。 この抄録、2,545円で購入できるそうです。 高いな~(笑) でもどんな発表があるのかを見るだけでも視野が広がります。 どうしても自らの場所ばかり見て、井の中の蛙になりがちです。 出来ればこのような大会に参加し、様々な発表を見聞きし、 刺激を受けるのはいいと思います。 でも大会自体、今後どうなることやら、ですね。 ぼちぼち活動再開ですね。    
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2020.06.02

認知症の教室(専門職用)
オリンピックだってなくなる明日があるのだから(専門職向け) センター長の石川です 今回は少し厳しめの、専門職向け内容です。 昨年のことですが、私は認知症や虐待防止の講義でよく言っていた話があります。 「来年皆さん東京オリンピックが当たり前のように見られると思っているけど、どんなに医療保険や生命保険に入ってたって、東京オリンピックが見られるなんて保障は誰にもどこにもないのです。」と。 別に東京オリンピックが延期(恐らくは中止)されることを予言したわけではありません。 ところがこんな形で今年ほんとうにオリンピックがなくなって、昨年あんなことを言わなければよかったと、ちょっと後悔しております。 要は何を言いたかったかと言うと、 「人の人生、若かろうが高齢であろうが、誰もが明日の命が保障されているわけではないということなのです。つまり、不適切なケアをしたり、人の文句ばっかり言って時間を過ごすこと自体が、その人の人生の大変な無駄使いの時間なんですよということなのです。明日がないかもしれないというのに! それに自分の人生も一生に一回限り。そのたった一回だけの自分の大切な人生を、人を嘲り笑う、他の人から見て残念な人として見られて終わっていいのだろうか。 明日死ぬかもしれないのに!」 と言うことを言いたかったのですね。 人間ですから愚痴や文句も言いたいときは一杯あります。 でもそれだけで人生終わるのはあまりにも自分の価値を下げたまま終わるということです。 自分の価値が下がるのは人のせいと思っている限り、絶対その人の価値は上がりません。 もったいない。 一回しかない人生なのに。 尊鉢厄神釈迦院 自分の人生を大切にするということは、人の人生を大切にするということにも繋がります。 まずは自ら自分の価値を下げるような行動ばかりしないことです。 何故ならば、何度も書きますが、たった一度しかないあなたの人生の明日は、 誰にも保障されていないからです。 あれだけみんなが楽しみにしていたオリンピックだってなくなってしまうのですから。 唯一無二のあなたが(あなたの生きた人生が)「いやな人だったね」の評価で終わるなんて寂しすぎます。 「時間は有限です。人の文句ばかりを言う時間を、建設的なことを考える時間として使いましょう。そうでないと、人生を損します。」 尊鉢厄神釈迦院 人生の時間を無駄に使うケア職員ほど、認知症の人の人生も大切にしないのです。 「自分の人生の価値を下げるだけなら勝手にどうぞです。でも他の人の人生や認知症の人の大切な人生まで侵害しないでほしいのです。」 ケアの「専門職」ならば、その専門職の意味を問うてみてください。 専門職は、人の人生を侵害し、自分の価値を下げるためにあるのだろうか、と。 明日の保障がない、たった一度の人生で。 コロナも人の人生を侵害する人も許さないぞ!
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2020.04.01

認知症の教室(専門職用)
認知症の人とのケア物語② センター長の石川です M保健師が連れてきた二人の認知症の人。 Aさんはコミュニケーションがほとんど取れない方でしたが、穏やかな方でした。しかし生活上の何もかもがケアの必要な方です。 もう一人のBさんは、逆にアグレッシブな方でした。とにかく落ち着かない。 すぐに出て行こうとされるし、止めると大声を出し、そして噛みつかれます。 ここでもう一度、当時の特別養護老人ホームの状況を説明しておくと、デイやショートというサービスは、その制度そのものが、ようやく始まったばかりという状況です。 働くケアワーカーたちは、簡単なヘルパー研修を経たうえで働いていますので、今の介護福祉士のような専門的勉強と試験を受けてはいません。 いわゆるシロウト集団と言っても過言ではありません。 それはまだ駆け出しの私も同じようなものです。 まして認知症(当時は痴呆症)の症状については書かれてあっても、ケアの方法など書かれている書籍はほとんどありませんでした。 ですから全てが手探りです。 そして、施設もロックアウトするなどと言うことはなかったので、出て行こうと思えば、いくらでも出ていけたのです。 そのため、出て行く方(当時は徘徊者と呼んでいました)に対しては、一緒についていくしかなかったのです。 因みに当時の入所者へのケアは下記の写真のようなことが当たり前のように各地の施設で行われていました。 私がいた施設ではさすがにここまでのことはなかったですが、これに近いものはあったでしょう。 何をしているところかわからない人もいるかもしれません。 おむつ交換ですね。それを廊下で平気でやっていたのです。 おむつ交換が廊下で当たり前のように行われていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より つまり、認知症の人は特にですが、当時の老人ホームでは、人権や尊厳などなく、とにかく必要最低限のケアを行う状況です。 「めんどうみられている、面倒見たってる」という構図そのものだったのです。 さて、Aさんは私が初めて会った認知症の人ですが、今でも名前を憶えています。 やさしい笑顔を浮かべてくれる人でしたが、とにかく話が通じない。 今でこそ、認知症の人とのコミュニケーションについては色々と勉強もできますが、当時は「なんでわかれへんのや?」「それが認知症ちゃうの?」「じゃあどうして伝えるねん?」「こっちの言うことに従わせるしかないやろ」みたいな問答を職員としていたものです。 今となっては正しいとは言えない対応でしたが、とにかく私たちの誘導のままに動いてもらいました。 私たちが本当に困ったのが、アグレッシブでいつも噛みつかれたBさんへのアプローチでした。 (つづく)
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2020.03.31

認知症の教室(専門職用)
認知症の人とのケア物語① ~40年前~ センター長の石川です これまでの認知症ケアについて、書き綴っていたことがなかったと思い、ぼちぼちではありますが、このブログで書き綴っていこうかなと思います。 私と認知症の人との出会いはかれこれ40年以上も前になるかなと思います。 当時私はM市の特別養護老人ホームに勤務していました。 まだ右も左もわからない時代でしたが、生活相談員(当時は生活指導員と呼んでました)兼介護員(当時は介護福祉士の資格などなく、介護職員のことを寮母と呼んでました。)として、入所の受け入れも行っていました。もちろん当時は介護保険など存在せず、入所は行政による措置入所(「収容依頼書」が送られてくる)という時代です。 そんな時にM市にある保健所のN保健師が、ある人を入所させてほしいと強引に言ってきたのでした。 因みに、この時代は、老人保健施設もグループホームもありません。 サービスとしては、デイサービスもショートステイもようやく始まろうかという時代です。 つまり特別養護老人ホームという入所だけの施設があった時代なのです。 当時の特養は、8~12人部屋というのは当たり前。びっしりと高齢者が値がされていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より その時代にあって、私がいた施設はI理事長という全国的にも有名な人がおられる施設でした。 先見性のある人で、私が勤めた時にはデイサービス開設準備室があり、今では当たり前のようにあるデイサービスを、確か日本で2番目に始めた施設でもあるのです。 またショートステイ、ナイトケアなどのサービスも始めた、まさしく現在の高齢者サービスの礎を築いたのがI理事長だと言えます。 そのI理事長にN保健師が直談判してきたのです。 認知症(当時は痴呆性老人と呼んでいました)の人を入所させてほしい!と。 寝たきりになった認知症の人はおられるものの、アクティブな認知症の人を受け入れる特別養護老人ホームは、まだほとんどない時代のことです。 では当時の認知症の人はどこへ行っていたのか? 多くは精神科の病院に入れられ、薬を飲まされ、身体拘束を受け、そして死んでいくか、或いは、家族が丸抱えで家から出さないで介護をしていた時代だったのです。 中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より 「あんな薬を飲まされて、縛られてしまうような病院には入れたくない!何とか人間らしく暮らせるようお願いしたい!I理事長の施設ならできるでしょ!」とN保健師は、半ば強引に二人の認知症の人を立て続けに連れてきたのです。 先進的な考えを持つI理事長が断るわけはありません。 当時は「認知症」(痴呆症)の人への知識もケアの方法も全く分からない、いや知らない状態の私たちケアの現場に、突然アクティブな認知症の人がやってきたのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 「井の中の蛙大海を知らず」ということわざを皆さんご存知でしょうか? 井戸の中にいる蛙は、海のことを知らない。つまり狭い範囲のことしか知らないで生きているということなのですね。「夏の虫は、氷のことを語ることが出来ない」と言うことわざも同類語ですね。 [caption id="attachment_1501" align="aligncenter" width="650"] 俺は蛙ではない[/caption] たった一度の人生、ほんの少しのことしか知らないのは、折角の一度しかない人生、もったいないですね。 私たちの仕事も同じです。 目の前や周囲のことだけ見ていたら、なんの発展もないでしょう。 大変見にくくて申し訳ないのですが、今年の認知症ケア学会の発表内容のほんの一部です。 今回だけで300もの発表があったのです。そして300通りの考え方、捉え方、方法などがあるのです。認知症ケアに特化しただけで! 私たちは目の前のことしか見ていないと思いませんか?それも極端に。 これだけ色々皆さん考えて、アプローチしているというのに! そして発表するからには積極的に取り組むことが必要です。 なのに、あまりのも井の中の蛙になっていませんか? これは認知症ケアの世界だけの話ですので、世界はもっともっとでっかいです。 全く違う世界の発表を聞くと(例えば物理学とか)、???ってなってしまいますが、なるほど!と思うことも一杯あります。 私は、全く異質な世界の人の話を聞くのが大好きです。 書籍もケアの世界の本ではなく、全然違う世界の本を読むのが好きです。 そこには自分の知らない世界が一杯広がっており、そこから今の自分の仕事に役立つヒントが一杯あって、それを吸収するのです。 一見ケアの世界と何の関係もなさそうな、天文学や気象学も、実は結構認知症ケアと関連していることがあるのですよね。 たった一度しかない人生。色々なことに興味を持って吸収してほしいものです。 一方、「井の中の蛙大海を知らず」には、後からつけられた言葉があります。「井の中の蛙大海を知らず。されど、空の青さ(深さ)を知る」です。 たとえ井戸の中という狭い範囲であっても、空を見上げれば、その青さや深さを知ることが出来るということですね。それは言い換えれば、「専門性を深める」ということになるでしょう。 範囲としては狭いけど、その専門性を磨く(深める)ということですね。 「井の中の蛙大海を知らず。されど、空の青さ(深さ)を知る」 [caption id="attachment_871" align="aligncenter" width="650"] 海も青空も広く青く深いですね![/caption] ふたつとも大切な意味があります。 ただ、専門性を深めるためには、目の前だけ見ていては深められないことも事実です。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 私たちは基本、自分は感染者になりたくないという思いの中で生きています。 人間誰でも自己防衛本能があるからです。 自分はコロナに感染したくない。 自分は認知症になりたくない。 ある意味、当然な思いかもしれません。 [caption id="attachment_1692" align="aligncenter" width="650"] 夏雲に変わってきました[/caption] 認知症になりたくないから、認知症予防や介護予防のために頑張ったりもします。 自分事ですから。 逆に言えば、認知症の人ご本人に対しては、所詮「他人事」と心の中では思っているかもしれません。 だから、認知症の人の行動は、私たちを困らせる行動としてみてしまうのです。 専門職が、認知症の人の思いや行動は所詮他人事と思うと、酷い状況になるでしょう。 認知症の人のことを様々な視点から理解し、その人の思いに立てるかどうかは、 専門職にとって重要なポイントになるのです。 [caption id="attachment_1694" align="aligncenter" width="650"] 一昨日のお月は真っ二つでした[/caption] さて、話をコロナウィルスに戻します。 「自分が感染者だと思って行動してください」というのは、私たちは移りたくない思いばかりが先行しますが、コロナウィルスはもしかしたら既にあなたの体の中にあり、自分は症状がなくても、他の人には移す可能性が多分にあるかもしれないということなのです。(厚労省もそう指摘しています) もしかしたらあなたは無症状感染者かもしれない。 そう思って行動してくださいということなのです。 [caption id="attachment_1693" align="aligncenter" width="650"] 天の川が見える季節です[/caption] つまり、人が多く集まるところへ行くのは、感染に弱い状態にある人(年齢に関係なく)に感染させてしまう可能性があるということになります。 「人が多く集まるところに行くと感染する」ではなく、 「人が多く集まるところに行くと感染させる」可能性を、 あなたにはあるということを忘れないでください。 残念ながら、人と人が接近し、集団になると感染確率が高くなるのは証明されているのですから。 [caption id="attachment_1611" align="aligncenter" width="650"] 密集しての井戸端会議はダメですよ[/caption] 今は、密集したアジサイではなく、ガクアジサイになりましょう。 [caption id="attachment_1695" align="aligncenter" width="640"] 物理的距離は開けてくださいね。でも心と心は接近です。[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 第21回認知症ケア学会の発表者の内容が掲載された抄録がようやく届きました。 今年の認知症ケア学会は5月末に仙台で行われる予定でしたが、 コロナ禍であえなく中止に。 実は今回、法人として口頭発表を予定していました。 抄録には発表内容の概要だけが載っています。 それが全てになりました。 楠根中学の生徒さんたちと進めてきた認知症の人にやさしいまちづくりに向けた発表だったのですが、 残念でなりません。 この楠根中学との取り組みについては、後日取りまとめて、 このブログで発表したいと考えていますので、よろしくお願いします。 [caption id="attachment_1679" align="aligncenter" width="650"] 口頭発表は10分間、スライドを交えて説明する予定でした。[/caption]   さて、認知症ケア学会、多くの人が発表されていますが、 最近は医療系の研究発表が多いような気がします。 ケア現場での取り組みの発表が少ないのは残念ですね。 この抄録、2,545円で購入できるそうです。 高いな~(笑) でもどんな発表があるのかを見るだけでも視野が広がります。 どうしても自らの場所ばかり見て、井の中の蛙になりがちです。 出来ればこのような大会に参加し、様々な発表を見聞きし、 刺激を受けるのはいいと思います。 でも大会自体、今後どうなることやら、ですね。 [caption id="attachment_1652" align="aligncenter" width="650"] ぼちぼち活動再開ですね。[/caption]    
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 書籍紹介その2です。 今回は認知症専門医である石原哲郎著の「なぜ、認知症のある人とうまくかかわれないのか?」(本人の声から学ぶ実践メゾット)です。 これから認知症を勉強する人、 今認知症の人との関りで悩んでいる人、 そして認知症の人のことを理解してもらえない人など、 専門職も介護者も一般の方も、誰が読んでもわかりやすい本になっています。 本人も、家族も、認知症の診断を受けることに伴うつらさに対して、より良い生活を送ってほしいという思いから書かれた本です。 認知症の当事者のお話しも入っています。 [caption id="attachment_1083" align="aligncenter" width="650"] 私のことをわかってね[/caption] 主に書かれているのは以下の3点です。 ・認知症という病とともに生きる人の人権 ・認知症のある人と周囲の人との関係の重要性 ・認知症についての正しい知識と情報 特に認知症の人の人権については、重要なところなので、是非とも読んでいただければと思います。 「なぜ、認知症のある人とうまくかかわれないのか?」石原哲郎著 中央法規出版 価格2,000円
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今回は本の紹介、その1です。 基本、ケアの専門職向けに書かれたものですが、どなたが読まれてもよいのかなと思います。 私自身は、宗教的なことや、スピリチュアルと名のつくものとは距離を置いている立場なのですが、 この本は、そのような面を取り除いても(気にしなくても)読める、 看取りの時のケア専門職や看取りのそばにいる人へのサポートになる本ではないでしょうか。 [caption id="attachment_1664" align="aligncenter" width="586"] 看取りに向き合うための13の戒め[/caption] この著者の方自身は存じてませんが、以前チャプレンの小西達也様とお話しさせてもらったことがあります。 人間が生きていくうえで付きまとう「苦悩」にどう向き合っていくのか。 少なくともケアの専門職として、多くの学びがありました。 [caption id="attachment_1665" align="aligncenter" width="650"] 書籍の帯説明[/caption] さてこの本の最終章に「二利を回す」と言う言葉があります。 自利、つまり自分の満足がなければ、他利、他の人の満足に繋がらないという意味だそうです。 私たちの世界にも繋がりますね。詳しくは書籍をご覧ください。 (玉置妙憂著 中央法規出版 1600円) 因みにこの本の題名は、私が選びました(笑)
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今回は少し厳しめの、専門職向け内容です。 昨年のことですが、私は認知症や虐待防止の講義でよく言っていた話があります。 「来年皆さん東京オリンピックが当たり前のように見られると思っているけど、どんなに医療保険や生命保険に入ってたって、東京オリンピックが見られるなんて保障は誰にもどこにもないのです。」と。 別に東京オリンピックが延期(恐らくは中止)されることを予言したわけではありません。 ところがこんな形で今年ほんとうにオリンピックがなくなって、昨年あんなことを言わなければよかったと、ちょっと後悔しております。 要は何を言いたかったかと言うと、 「人の人生、若かろうが高齢であろうが、誰もが明日の命が保障されているわけではないということなのです。つまり、不適切なケアをしたり、人の文句ばっかり言って時間を過ごすこと自体が、その人の人生の大変な無駄使いの時間なんですよということなのです。明日がないかもしれないというのに! それに自分の人生も一生に一回限り。そのたった一回だけの自分の大切な人生を、人を嘲り笑う、他の人から見て残念な人として見られて終わっていいのだろうか。 明日死ぬかもしれないのに!」 と言うことを言いたかったのですね。 人間ですから愚痴や文句も言いたいときは一杯あります。 でもそれだけで人生終わるのはあまりにも自分の価値を下げたまま終わるということです。 自分の価値が下がるのは人のせいと思っている限り、絶対その人の価値は上がりません。 もったいない。 一回しかない人生なのに。 [caption id="attachment_1601" align="aligncenter" width="650"] 尊鉢厄神釈迦院[/caption] 自分の人生を大切にするということは、人の人生を大切にするということにも繋がります。 まずは自ら自分の価値を下げるような行動ばかりしないことです。 何故ならば、何度も書きますが、たった一度しかないあなたの人生の明日は、 誰にも保障されていないからです。 あれだけみんなが楽しみにしていたオリンピックだってなくなってしまうのですから。 唯一無二のあなたが(あなたの生きた人生が)「いやな人だったね」の評価で終わるなんて寂しすぎます。 「時間は有限です。人の文句ばかりを言う時間を、建設的なことを考える時間として使いましょう。そうでないと、人生を損します。」 [caption id="attachment_1603" align="aligncenter" width="650"] 尊鉢厄神釈迦院[/caption] 人生の時間を無駄に使うケア職員ほど、認知症の人の人生も大切にしないのです。 「自分の人生の価値を下げるだけなら勝手にどうぞです。でも他の人の人生や認知症の人の大切な人生まで侵害しないでほしいのです。」 ケアの「専門職」ならば、その専門職の意味を問うてみてください。 専門職は、人の人生を侵害し、自分の価値を下げるためにあるのだろうか、と。 明日の保障がない、たった一度の人生で。 [caption id="attachment_1301" align="aligncenter" width="650"] コロナも人の人生を侵害する人も許さないぞ![/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 毎回コロナ情報をお伝えしたりしていますが、今回は認知症の人のお話。 私が時々研修で使う3分ほどの短いビデオがあります。 その短い時間の中に、今目の前に見えている認知症の人の行動の大変さに囚われるのではなく、 その人にも一生懸命生きてきた人生があるということ、 その一生懸命生きてきた人生に敬意を示すこと。 つまり、それが認知症ケアの基本的姿勢になること。 この短い映像の中に描かれています。 ご覧ください 👇 https://www.youtube.com/watch?v=tIudBRsTOw8&t=11s   と、なんとこのビデオ、種明かしすると「銀のさら」のCMなんですよね~ この「銀のさら」のCMは他にもたくさんあります。それは上記のようなまじめなものと言うより、笑えるCMがほとんどです。 この場ではその笑えるCMは不謹慎と思われても困るので載せませんが、 お家で楽しまれる分にはいいのではないでしょうか。 笑うことは大切です。難しく考えすぎず、笑いましょう。(人を馬鹿にした笑いはダメですよ!) 笑いは免疫力を高める薬にもなります。 [caption id="attachment_1445" align="aligncenter" width="650"] ソーシャルディスタンス守りましょう![/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です M保健師が連れてきた二人の認知症の人。 Aさんはコミュニケーションがほとんど取れない方でしたが、穏やかな方でした。しかし生活上の何もかもがケアの必要な方です。 もう一人のBさんは、逆にアグレッシブな方でした。とにかく落ち着かない。 すぐに出て行こうとされるし、止めると大声を出し、そして噛みつかれます。 ここでもう一度、当時の特別養護老人ホームの状況を説明しておくと、デイやショートというサービスは、その制度そのものが、ようやく始まったばかりという状況です。 働くケアワーカーたちは、簡単なヘルパー研修を経たうえで働いていますので、今の介護福祉士のような専門的勉強と試験を受けてはいません。 いわゆるシロウト集団と言っても過言ではありません。 それはまだ駆け出しの私も同じようなものです。 まして認知症(当時は痴呆症)の症状については書かれてあっても、ケアの方法など書かれている書籍はほとんどありませんでした。 ですから全てが手探りです。 そして、施設もロックアウトするなどと言うことはなかったので、出て行こうと思えば、いくらでも出ていけたのです。 そのため、出て行く方(当時は徘徊者と呼んでいました)に対しては、一緒についていくしかなかったのです。 因みに当時の入所者へのケアは下記の写真のようなことが当たり前のように各地の施設で行われていました。 私がいた施設ではさすがにここまでのことはなかったですが、これに近いものはあったでしょう。 何をしているところかわからない人もいるかもしれません。 おむつ交換ですね。それを廊下で平気でやっていたのです。 [caption id="attachment_1402" align="aligncenter" width="650"] おむつ交換が廊下で当たり前のように行われていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より[/caption] つまり、認知症の人は特にですが、当時の老人ホームでは、人権や尊厳などなく、とにかく必要最低限のケアを行う状況です。 「めんどうみられている、面倒見たってる」という構図そのものだったのです。 さて、Aさんは私が初めて会った認知症の人ですが、今でも名前を憶えています。 やさしい笑顔を浮かべてくれる人でしたが、とにかく話が通じない。 今でこそ、認知症の人とのコミュニケーションについては色々と勉強もできますが、当時は「なんでわかれへんのや?」「それが認知症ちゃうの?」「じゃあどうして伝えるねん?」「こっちの言うことに従わせるしかないやろ」みたいな問答を職員としていたものです。 今となっては正しいとは言えない対応でしたが、とにかく私たちの誘導のままに動いてもらいました。 私たちが本当に困ったのが、アグレッシブでいつも噛みつかれたBさんへのアプローチでした。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です これまでの認知症ケアについて、書き綴っていたことがなかったと思い、ぼちぼちではありますが、このブログで書き綴っていこうかなと思います。 私と認知症の人との出会いはかれこれ40年以上も前になるかなと思います。 当時私はM市の特別養護老人ホームに勤務していました。 まだ右も左もわからない時代でしたが、生活相談員(当時は生活指導員と呼んでました)兼介護員(当時は介護福祉士の資格などなく、介護職員のことを寮母と呼んでました。)として、入所の受け入れも行っていました。もちろん当時は介護保険など存在せず、入所は行政による措置入所(「収容依頼書」が送られてくる)という時代です。 そんな時にM市にある保健所のN保健師が、ある人を入所させてほしいと強引に言ってきたのでした。 因みに、この時代は、老人保健施設もグループホームもありません。 サービスとしては、デイサービスもショートステイもようやく始まろうかという時代です。 つまり特別養護老人ホームという入所だけの施設があった時代なのです。 [caption id="attachment_1395" align="aligncenter" width="650"] 当時の特養は、8~12人部屋というのは当たり前。びっしりと高齢者が値がされていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より[/caption] その時代にあって、私がいた施設はI理事長という全国的にも有名な人がおられる施設でした。 先見性のある人で、私が勤めた時にはデイサービス開設準備室があり、今では当たり前のようにあるデイサービスを、確か日本で2番目に始めた施設でもあるのです。 またショートステイ、ナイトケアなどのサービスも始めた、まさしく現在の高齢者サービスの礎を築いたのがI理事長だと言えます。 そのI理事長にN保健師が直談判してきたのです。 認知症(当時は痴呆性老人と呼んでいました)の人を入所させてほしい!と。 寝たきりになった認知症の人はおられるものの、アクティブな認知症の人を受け入れる特別養護老人ホームは、まだほとんどない時代のことです。 では当時の認知症の人はどこへ行っていたのか? 多くは精神科の病院に入れられ、薬を飲まされ、身体拘束を受け、そして死んでいくか、或いは、家族が丸抱えで家から出さないで介護をしていた時代だったのです。 [caption id="attachment_1396" align="aligncenter" width="650"] 中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より[/caption] 「あんな薬を飲まされて、縛られてしまうような病院には入れたくない!何とか人間らしく暮らせるようお願いしたい!I理事長の施設ならできるでしょ!」とN保健師は、半ば強引に二人の認知症の人を立て続けに連れてきたのです。 先進的な考えを持つI理事長が断るわけはありません。 当時は「認知症」(痴呆症)の人への知識もケアの方法も全く分からない、いや知らない状態の私たちケアの現場に、突然アクティブな認知症の人がやってきたのです。 (つづく)