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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2020.04.01

認知症の教室(専門職用)
認知症の人とのケア物語② センター長の石川です M保健師が連れてきた二人の認知症の人。 Aさんはコミュニケーションがほとんど取れない方でしたが、穏やかな方でした。しかし生活上の何もかもがケアの必要な方です。 もう一人のBさんは、逆にアグレッシブな方でした。とにかく落ち着かない。 すぐに出て行こうとされるし、止めると大声を出し、そして噛みつかれます。 ここでもう一度、当時の特別養護老人ホームの状況を説明しておくと、デイやショートというサービスは、その制度そのものが、ようやく始まったばかりという状況です。 働くケアワーカーたちは、簡単なヘルパー研修を経たうえで働いていますので、今の介護福祉士のような専門的勉強と試験を受けてはいません。 いわゆるシロウト集団と言っても過言ではありません。 それはまだ駆け出しの私も同じようなものです。 まして認知症(当時は痴呆症)の症状については書かれてあっても、ケアの方法など書かれている書籍はほとんどありませんでした。 ですから全てが手探りです。 そして、施設もロックアウトするなどと言うことはなかったので、出て行こうと思えば、いくらでも出ていけたのです。 そのため、出て行く方(当時は徘徊者と呼んでいました)に対しては、一緒についていくしかなかったのです。 因みに当時の入所者へのケアは下記の写真のようなことが当たり前のように各地の施設で行われていました。 私がいた施設ではさすがにここまでのことはなかったですが、これに近いものはあったでしょう。 何をしているところかわからない人もいるかもしれません。 おむつ交換ですね。それを廊下で平気でやっていたのです。 おむつ交換が廊下で当たり前のように行われていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より つまり、認知症の人は特にですが、当時の老人ホームでは、人権や尊厳などなく、とにかく必要最低限のケアを行う状況です。 「めんどうみられている、面倒見たってる」という構図そのものだったのです。 さて、Aさんは私が初めて会った認知症の人ですが、今でも名前を憶えています。 やさしい笑顔を浮かべてくれる人でしたが、とにかく話が通じない。 今でこそ、認知症の人とのコミュニケーションについては色々と勉強もできますが、当時は「なんでわかれへんのや?」「それが認知症ちゃうの?」「じゃあどうして伝えるねん?」「こっちの言うことに従わせるしかないやろ」みたいな問答を職員としていたものです。 今となっては正しいとは言えない対応でしたが、とにかく私たちの誘導のままに動いてもらいました。 私たちが本当に困ったのが、アグレッシブでいつも噛みつかれたBさんへのアプローチでした。 (つづく)
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2020.03.31

認知症の教室(専門職用)
認知症の人とのケア物語① ~40年前~ センター長の石川です これまでの認知症ケアについて、書き綴っていたことがなかったと思い、ぼちぼちではありますが、このブログで書き綴っていこうかなと思います。 私と認知症の人との出会いはかれこれ40年以上も前になるかなと思います。 当時私はM市の特別養護老人ホームに勤務していました。 まだ右も左もわからない時代でしたが、生活相談員(当時は生活指導員と呼んでました)兼介護員(当時は介護福祉士の資格などなく、介護職員のことを寮母と呼んでました。)として、入所の受け入れも行っていました。もちろん当時は介護保険など存在せず、入所は行政による措置入所(「収容依頼書」が送られてくる)という時代です。 そんな時にM市にある保健所のN保健師が、ある人を入所させてほしいと強引に言ってきたのでした。 因みに、この時代は、老人保健施設もグループホームもありません。 サービスとしては、デイサービスもショートステイもようやく始まろうかという時代です。 つまり特別養護老人ホームという入所だけの施設があった時代なのです。 当時の特養は、8~12人部屋というのは当たり前。びっしりと高齢者が値がされていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より その時代にあって、私がいた施設はI理事長という全国的にも有名な人がおられる施設でした。 先見性のある人で、私が勤めた時にはデイサービス開設準備室があり、今では当たり前のようにあるデイサービスを、確か日本で2番目に始めた施設でもあるのです。 またショートステイ、ナイトケアなどのサービスも始めた、まさしく現在の高齢者サービスの礎を築いたのがI理事長だと言えます。 そのI理事長にN保健師が直談判してきたのです。 認知症(当時は痴呆性老人と呼んでいました)の人を入所させてほしい!と。 寝たきりになった認知症の人はおられるものの、アクティブな認知症の人を受け入れる特別養護老人ホームは、まだほとんどない時代のことです。 では当時の認知症の人はどこへ行っていたのか? 多くは精神科の病院に入れられ、薬を飲まされ、身体拘束を受け、そして死んでいくか、或いは、家族が丸抱えで家から出さないで介護をしていた時代だったのです。 中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より 「あんな薬を飲まされて、縛られてしまうような病院には入れたくない!何とか人間らしく暮らせるようお願いしたい!I理事長の施設ならできるでしょ!」とN保健師は、半ば強引に二人の認知症の人を立て続けに連れてきたのです。 先進的な考えを持つI理事長が断るわけはありません。 当時は「認知症」(痴呆症)の人への知識もケアの方法も全く分からない、いや知らない状態の私たちケアの現場に、突然アクティブな認知症の人がやってきたのです。 (つづく)
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2019.12.27

認知症の教室(専門職用)
認知症予防の確立性 センター長の石川です。 最近特に注目されている認知症予防ですが、 ロンドン大学のクラウディア・クーパー教授によると、 確実に予防できるとわかっているものがあるそうです。 高血圧、肥満、糖尿病などのいわゆる生活習慣病、喫煙や運動不足、社会的孤立など、これらが認知症になる原因の35%と言われています。 つまり、これらのことにならないようにすることで、 認知症にならない確率が35%になるということです。 では残りの65%はというと、 確実に予防になる根拠が示されたものは、まだ、ないということです。 まずは確実な35%を増やすためには、生活習慣病に気を付け、喫煙せず、適度に運動して孤立をなくすということになります。 では残りの65%をどうすればいいのか? それは、来年のお楽しみということで。 さて、先日撮影した太陽の塔イルミナイトの風景です。 この季節、やはりイルミネーションが似合います。 夏が花火なら、冬はイルミネーション そういえば、最近は「家ナリエ」少なくなりましたね。 もう見栄張る君はブームが去ったのかな? ちなみに私の耳は耳鳴りで「ミミナリエ」状態ですが(苦笑)
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2019.09.10

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の頭の中はゴミで一杯なのか? センター長の石川です。 チームオレンジの説明会があった時のことです。 ある地域の方より、全国キャラバンメイト連絡協議会が発行した「つなぎのための情報整理・認知症の理解」という冊子の中の「ゴミのたまる認知症」という表現が、いかがなものかという意見がありました。 冊子7ページより 認知症の当事者の方が読み、「私たちの頭の中はゴミだらけなのか」と不快に思ったとのことでした。 最近では、認知症発症の要因として、たんぱく質のごみが脳に溜まって、そのたまったものが神経細胞を死滅させてしまうということがわかっており、諸先生方も講義でもよく使われています。 ある意味一般的に使われだしたとも言えます。それゆえ、この冊子にもごく普通に載っていたのでしょう。 しかし、「ゴミ」は汚いもの、不要なものという認識が私たちにはあります。 いくらたんぱく質のごみと説明されても、「私の頭の中は汚いゴミだらけなのか!?」と思ってしまい、不快な思いをされるのは当然のことだと思います。 特にこの冊子では、ゴミが強調され過ぎているとも言えます。 神経を死滅させる物質が蓄積されるなどの表現の方がいいかもしれません。 いつも何気なく使っている表現が、実はとても相手を傷つけているということあるかもしれませんね。 他人ごとではなく、自戒を込めて。
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2019.08.15

認知症の教室(専門職用)
輪の中にいると見えなくなる・吉田松陰 センター長の石川です。 台風襲来ですね。 自然が起こすこととはいえ、被害がないことを願いたいものですね。 さて、吉田松陰と言っても、今の人たちは知らない人の方が多いかもしれません。 知らなければ、調べてもらえばいいのですが、 要するに江戸時代末期の超有名人です。 松下村塾。吉田松陰が教えた場所。今でいえば大学ですね。(萩市観光協会より) その吉田松陰の言葉は現在に、そしてケアの世界に通じるものがあります。 まずは読んでみてください。 「輪の中にいると見えなくなる」 人が心ないことをしてしまう時、 当人にはそれが「ひどいこと」だとは自覚していないし、 少しも気にしていません。 もしも自分が部外者ならば、 はたから見て「ひどいこと」だってわかるはずです。 ですが人はひとたび輪の中に入ってしまうと、 どんなに賢い人でもその中に埋もれて、 自分のやっていることに、気づかなくなることがあるんです。 ですから、時々自分たちの行いを 客観的に考えてみることが大切です。 「もしかしたら私たちは、どうかしているのかもしれない」と。 超訳吉田松陰「覚悟の生き方」より   いじめはまさしくこのような感じでしょう。 人は複数になると、時に異常なことが正常に思えてしまいます。 残念ながら、人はそのようなダークサイドにはまりやすいのです。 ケアの世界でも同様と言えるでしょう。不適切なケアが不適切なケアと思わないこと。 ケアのことを何も知らない一般市民の方が突然ケアの現場を見たら、とても驚くかもしれません。 私自身も気を付けなけなければならないことですが、 あなたは、輪の中にいて正しいことが見えなくなっているかもしれないのです。 違う視点から見た人の意見はしっかりと聴く。 それは自分自身の人生を大切にすることに繋がります。 時々は、他の人の意見に耳を傾けることもやってみませんか? wikipedia  
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2019.08.09

認知症の教室(専門職用)
私たちはしっかりと見られている センター長の石川です。 昨日はグループホームのケースカンファレンスに行ってきました。 9名の入居者ではありますが、されど9名。スタッフさんたちは熱く話しあってくれます。反省点も踏まえ、一生懸命さが伝わってくる時間でした。 その中で思ったことは、やはり「入居者は私たちのことをしっかりと見ている」ということでしょうか。 デイサービスの方の作品です 認知症の入居者にとって、一人で生きていくのが無理なのは本人たちも感じているでしょう。 つまり私たちケアワーカーがいないと、たちどころに生活そのものが厳しくなってしまうのです。 それだけに認知症の人にとって、ケアワーカーとの関りは死活問題ともいえるのです。 だからこそ関わるケアワーカーがどのような人なのかということを、感覚的に観察し判断していると言えます。 生きていくからには嫌な思いはしたくないという自己防衛反応も働きますから、「いや」と感じたケアワーカーには、「いや」な対応で返すか、逃避するかという行動に繋がります。   普段は私たち側から見て感じて判断することが主体で仕事をしていますが、実は「見られ、観察され、判断されている」のは私たちケアワーカー側であるということを考えてみる必要があるのではないでしょうか。
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2019.06.04

認知症の教室(専門職用)
認知症という希望とは センター長の石川です。 長らくお休みしてました。 認知症ケア学会での松本一生先生と永島徹さんの姿です。 学会でのテーマは「認知症という希望」でした。 ちょっと理解しにくいテーマでしたが、松本先生が明確に答えてくれました。 「ケアという経験から(それは介護者だけでなく、子どもたちも含めて)、世代を越えて人と人が繋がっていくことになること。だからこそ、認知症の人は未来の人と人とのきずなを深めていくための希望なのだ」と。 社会福祉法人由寿会が実施している「安心声掛けつながり訓練」はまさしく、この実践と言えますね。 松本先生には、今回の会場でも一番最初にお会いした人でした。 少しばかしお話しもさせてもらいましたが、 自らもお忙しい身、なのにいつも癒しを与えてくれる先生ですね。 永島徹さんも、「認知症の人は実によく私たち(ケア実践者)を見ている。私たちのことをしっかりと判断しているのだと。」また、「ケア実践者は時間で利用者を動かしているのではないか。」との問いかけも。まさしくその通りですね。 認知症という未来 6月15日、参加よろしくお願いします! カレーライス、今年も用意してます!    
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2019.05.27

認知症の教室(専門職用)
第20回認知症ケア学会報告(その1) 今年の認知症ケア学会が国立京都国際会館で、5月25日、26日行われました。 全国各地から5000人近い人が集まったようですが、私は観光客で溢れいている京都で泊まるところがあったのかな?と、余計な心配をしていました(笑) それにしても、暑かったこと! 数々の国際会議が開かれている場所ですね。不便です(笑) さて、毎年認知症ケア学会では、数多くの発表、講演があります。 私も何回か、発表や講演側になったことはありますが、今回はいち参加者として、色々な話を聴かせてもらい勉強させてもらいました。 メインホールです。1200名入ります。 これだけ多くの人たちが認知症ケアの向上のために全国から集まってくることに改めて驚きを感じるとともに、どんどん斬新な考えやアイデア、そして実践が行われる中で、二つの異なる考えを持ちました。 ひとつは、ケア学会に参加した人たち(組織)は、さらなる刺激を受けてどんどん前へ進み、学会に参加しなかった人たち(組織)との差がますます広がっていくであろうということ。これに関しては私自身も井の中の蛙になっていないかと感じてしまうのです。 沢山の発表内容が載っている、めちゃ重い冊子です。 もうひとつは全く反対のことなのですが、毎回これだけの多くの人が認知症ケア学会に参加しているのに、果たしてその質は上がっているのか?ということです。確かに一部では質の向上が顕著かもしれません。しかしそれが全体的(全国的)な底上げにつながらなければ、単に認知症ケア学会員だけの自己満足に終わるかもしれません。 さらに、ケア学会では「なるほどそうだ、明日から頑張ろう!」と思った人も、いざ帰ってみるとそんな思いも忘れ、オールドカルチャーなことを継続している、こともあるかもしれませんね。 誰もが参加できるわけではないので、参加した者は、継続して伝えていく必要があると言えます。 というわけで、何回かに分けて、次回から認知症ケア学会で学んだものを伝えていきたいと思います。
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2019.05.16

認知症の教室(専門職用)
記 憶 槇原敬之の歌に「記憶」という歌があります。 歌自体は、母を想う気持ちで作られたようですが、 認知症の人へのやさしい心づかいの歌詞ともとれるのです。 大丈夫だよと 微笑んであげたいとき 思い出せる特別な場面がある   何かの拍子に思い出す 言葉を超えた思いの記憶 もしも思い出せないなら 僕がやさしく伝えよう 何かの拍子に思い出す 言葉を超えた想いの記憶 記憶の軌跡は消すことはできないと、思います。 以前の認知症の教室で、ジグゾーパズルのピースが一つひとつの記憶ならば、その記憶がばらばらになってしまうけど、断片的にその記憶が思い出される時があると書きました。 何かの拍子に思い出す記憶 記憶は決して消し去られたのではなく、裏返しになっても小さくなってもきっとどこかに存在するのでしょう。でもそれを、表現する能力自体が失われてしまっているのです。 言葉にはできなくなっているのです。 バラバラになってしまっても、きっとどこかにその記憶はある だからこそ、大丈夫だよと、微笑んでそばにいてあげること そして、手を握りやさしく伝えてあげること。 言葉にできなくても、ふと思い浮かぶ記憶に、 人生を生きてきた証を感じられる瞬間がある、と言えるかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です M保健師が連れてきた二人の認知症の人。 Aさんはコミュニケーションがほとんど取れない方でしたが、穏やかな方でした。しかし生活上の何もかもがケアの必要な方です。 もう一人のBさんは、逆にアグレッシブな方でした。とにかく落ち着かない。 すぐに出て行こうとされるし、止めると大声を出し、そして噛みつかれます。 ここでもう一度、当時の特別養護老人ホームの状況を説明しておくと、デイやショートというサービスは、その制度そのものが、ようやく始まったばかりという状況です。 働くケアワーカーたちは、簡単なヘルパー研修を経たうえで働いていますので、今の介護福祉士のような専門的勉強と試験を受けてはいません。 いわゆるシロウト集団と言っても過言ではありません。 それはまだ駆け出しの私も同じようなものです。 まして認知症(当時は痴呆症)の症状については書かれてあっても、ケアの方法など書かれている書籍はほとんどありませんでした。 ですから全てが手探りです。 そして、施設もロックアウトするなどと言うことはなかったので、出て行こうと思えば、いくらでも出ていけたのです。 そのため、出て行く方(当時は徘徊者と呼んでいました)に対しては、一緒についていくしかなかったのです。 因みに当時の入所者へのケアは下記の写真のようなことが当たり前のように各地の施設で行われていました。 私がいた施設ではさすがにここまでのことはなかったですが、これに近いものはあったでしょう。 何をしているところかわからない人もいるかもしれません。 おむつ交換ですね。それを廊下で平気でやっていたのです。 [caption id="attachment_1402" align="aligncenter" width="650"] おむつ交換が廊下で当たり前のように行われていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より[/caption] つまり、認知症の人は特にですが、当時の老人ホームでは、人権や尊厳などなく、とにかく必要最低限のケアを行う状況です。 「めんどうみられている、面倒見たってる」という構図そのものだったのです。 さて、Aさんは私が初めて会った認知症の人ですが、今でも名前を憶えています。 やさしい笑顔を浮かべてくれる人でしたが、とにかく話が通じない。 今でこそ、認知症の人とのコミュニケーションについては色々と勉強もできますが、当時は「なんでわかれへんのや?」「それが認知症ちゃうの?」「じゃあどうして伝えるねん?」「こっちの言うことに従わせるしかないやろ」みたいな問答を職員としていたものです。 今となっては正しいとは言えない対応でしたが、とにかく私たちの誘導のままに動いてもらいました。 私たちが本当に困ったのが、アグレッシブでいつも噛みつかれたBさんへのアプローチでした。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です これまでの認知症ケアについて、書き綴っていたことがなかったと思い、ぼちぼちではありますが、このブログで書き綴っていこうかなと思います。 私と認知症の人との出会いはかれこれ40年以上も前になるかなと思います。 当時私はM市の特別養護老人ホームに勤務していました。 まだ右も左もわからない時代でしたが、生活相談員(当時は生活指導員と呼んでました)兼介護員(当時は介護福祉士の資格などなく、介護職員のことを寮母と呼んでました。)として、入所の受け入れも行っていました。もちろん当時は介護保険など存在せず、入所は行政による措置入所(「収容依頼書」が送られてくる)という時代です。 そんな時にM市にある保健所のN保健師が、ある人を入所させてほしいと強引に言ってきたのでした。 因みに、この時代は、老人保健施設もグループホームもありません。 サービスとしては、デイサービスもショートステイもようやく始まろうかという時代です。 つまり特別養護老人ホームという入所だけの施設があった時代なのです。 [caption id="attachment_1395" align="aligncenter" width="650"] 当時の特養は、8~12人部屋というのは当たり前。びっしりと高齢者が値がされていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より[/caption] その時代にあって、私がいた施設はI理事長という全国的にも有名な人がおられる施設でした。 先見性のある人で、私が勤めた時にはデイサービス開設準備室があり、今では当たり前のようにあるデイサービスを、確か日本で2番目に始めた施設でもあるのです。 またショートステイ、ナイトケアなどのサービスも始めた、まさしく現在の高齢者サービスの礎を築いたのがI理事長だと言えます。 そのI理事長にN保健師が直談判してきたのです。 認知症(当時は痴呆性老人と呼んでいました)の人を入所させてほしい!と。 寝たきりになった認知症の人はおられるものの、アクティブな認知症の人を受け入れる特別養護老人ホームは、まだほとんどない時代のことです。 では当時の認知症の人はどこへ行っていたのか? 多くは精神科の病院に入れられ、薬を飲まされ、身体拘束を受け、そして死んでいくか、或いは、家族が丸抱えで家から出さないで介護をしていた時代だったのです。 [caption id="attachment_1396" align="aligncenter" width="650"] 中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より[/caption] 「あんな薬を飲まされて、縛られてしまうような病院には入れたくない!何とか人間らしく暮らせるようお願いしたい!I理事長の施設ならできるでしょ!」とN保健師は、半ば強引に二人の認知症の人を立て続けに連れてきたのです。 先進的な考えを持つI理事長が断るわけはありません。 当時は「認知症」(痴呆症)の人への知識もケアの方法も全く分からない、いや知らない状態の私たちケアの現場に、突然アクティブな認知症の人がやってきたのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 最近特に注目されている認知症予防ですが、 ロンドン大学のクラウディア・クーパー教授によると、 確実に予防できるとわかっているものがあるそうです。 高血圧、肥満、糖尿病などのいわゆる生活習慣病、喫煙や運動不足、社会的孤立など、これらが認知症になる原因の35%と言われています。 つまり、これらのことにならないようにすることで、 認知症にならない確率が35%になるということです。 では残りの65%はというと、 確実に予防になる根拠が示されたものは、まだ、ないということです。 まずは確実な35%を増やすためには、生活習慣病に気を付け、喫煙せず、適度に運動して孤立をなくすということになります。 では残りの65%をどうすればいいのか? それは、来年のお楽しみということで。 さて、先日撮影した太陽の塔イルミナイトの風景です。 この季節、やはりイルミネーションが似合います。 夏が花火なら、冬はイルミネーション そういえば、最近は「家ナリエ」少なくなりましたね。 もう見栄張る君はブームが去ったのかな? ちなみに私の耳は耳鳴りで「ミミナリエ」状態ですが(苦笑)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 チームオレンジの説明会があった時のことです。 ある地域の方より、全国キャラバンメイト連絡協議会が発行した「つなぎのための情報整理・認知症の理解」という冊子の中の「ゴミのたまる認知症」という表現が、いかがなものかという意見がありました。 [caption id="attachment_991" align="aligncenter" width="650"] 冊子7ページより[/caption] 認知症の当事者の方が読み、「私たちの頭の中はゴミだらけなのか」と不快に思ったとのことでした。 最近では、認知症発症の要因として、たんぱく質のごみが脳に溜まって、そのたまったものが神経細胞を死滅させてしまうということがわかっており、諸先生方も講義でもよく使われています。 ある意味一般的に使われだしたとも言えます。それゆえ、この冊子にもごく普通に載っていたのでしょう。 しかし、「ゴミ」は汚いもの、不要なものという認識が私たちにはあります。 いくらたんぱく質のごみと説明されても、「私の頭の中は汚いゴミだらけなのか!?」と思ってしまい、不快な思いをされるのは当然のことだと思います。 特にこの冊子では、ゴミが強調され過ぎているとも言えます。 神経を死滅させる物質が蓄積されるなどの表現の方がいいかもしれません。 いつも何気なく使っている表現が、実はとても相手を傷つけているということあるかもしれませんね。 他人ごとではなく、自戒を込めて。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 台風襲来ですね。 自然が起こすこととはいえ、被害がないことを願いたいものですね。 さて、吉田松陰と言っても、今の人たちは知らない人の方が多いかもしれません。 知らなければ、調べてもらえばいいのですが、 要するに江戸時代末期の超有名人です。 [caption id="attachment_945" align="aligncenter" width="500"] 松下村塾。吉田松陰が教えた場所。今でいえば大学ですね。(萩市観光協会より)[/caption] その吉田松陰の言葉は現在に、そしてケアの世界に通じるものがあります。 まずは読んでみてください。 「輪の中にいると見えなくなる」 人が心ないことをしてしまう時、 当人にはそれが「ひどいこと」だとは自覚していないし、 少しも気にしていません。 もしも自分が部外者ならば、 はたから見て「ひどいこと」だってわかるはずです。 ですが人はひとたび輪の中に入ってしまうと、 どんなに賢い人でもその中に埋もれて、 自分のやっていることに、気づかなくなることがあるんです。 ですから、時々自分たちの行いを 客観的に考えてみることが大切です。 「もしかしたら私たちは、どうかしているのかもしれない」と。 超訳吉田松陰「覚悟の生き方」より   いじめはまさしくこのような感じでしょう。 人は複数になると、時に異常なことが正常に思えてしまいます。 残念ながら、人はそのようなダークサイドにはまりやすいのです。 ケアの世界でも同様と言えるでしょう。不適切なケアが不適切なケアと思わないこと。 ケアのことを何も知らない一般市民の方が突然ケアの現場を見たら、とても驚くかもしれません。 私自身も気を付けなけなければならないことですが、 あなたは、輪の中にいて正しいことが見えなくなっているかもしれないのです。 違う視点から見た人の意見はしっかりと聴く。 それは自分自身の人生を大切にすることに繋がります。 時々は、他の人の意見に耳を傾けることもやってみませんか? [caption id="attachment_943" align="aligncenter" width="650"] wikipedia[/caption]  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 昨日はグループホームのケースカンファレンスに行ってきました。 9名の入居者ではありますが、されど9名。スタッフさんたちは熱く話しあってくれます。反省点も踏まえ、一生懸命さが伝わってくる時間でした。 その中で思ったことは、やはり「入居者は私たちのことをしっかりと見ている」ということでしょうか。 [caption id="attachment_925" align="aligncenter" width="650"] デイサービスの方の作品です[/caption] 認知症の入居者にとって、一人で生きていくのが無理なのは本人たちも感じているでしょう。 つまり私たちケアワーカーがいないと、たちどころに生活そのものが厳しくなってしまうのです。 それだけに認知症の人にとって、ケアワーカーとの関りは死活問題ともいえるのです。 だからこそ関わるケアワーカーがどのような人なのかということを、感覚的に観察し判断していると言えます。 生きていくからには嫌な思いはしたくないという自己防衛反応も働きますから、「いや」と感じたケアワーカーには、「いや」な対応で返すか、逃避するかという行動に繋がります。   普段は私たち側から見て感じて判断することが主体で仕事をしていますが、実は「見られ、観察され、判断されている」のは私たちケアワーカー側であるということを考えてみる必要があるのではないでしょうか。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 長らくお休みしてました。 認知症ケア学会での松本一生先生と永島徹さんの姿です。 学会でのテーマは「認知症という希望」でした。 ちょっと理解しにくいテーマでしたが、松本先生が明確に答えてくれました。 「ケアという経験から(それは介護者だけでなく、子どもたちも含めて)、世代を越えて人と人が繋がっていくことになること。だからこそ、認知症の人は未来の人と人とのきずなを深めていくための希望なのだ」と。 社会福祉法人由寿会が実施している「安心声掛けつながり訓練」はまさしく、この実践と言えますね。 松本先生には、今回の会場でも一番最初にお会いした人でした。 少しばかしお話しもさせてもらいましたが、 自らもお忙しい身、なのにいつも癒しを与えてくれる先生ですね。 永島徹さんも、「認知症の人は実によく私たち(ケア実践者)を見ている。私たちのことをしっかりと判断しているのだと。」また、「ケア実践者は時間で利用者を動かしているのではないか。」との問いかけも。まさしくその通りですね。 認知症という未来 6月15日、参加よろしくお願いします! [caption id="attachment_633" align="aligncenter" width="650"] カレーライス、今年も用意してます![/caption]    
ブログ投稿画像 今年の認知症ケア学会が国立京都国際会館で、5月25日、26日行われました。 全国各地から5000人近い人が集まったようですが、私は観光客で溢れいている京都で泊まるところがあったのかな?と、余計な心配をしていました(笑) それにしても、暑かったこと! [caption id="attachment_742" align="aligncenter" width="650"] 数々の国際会議が開かれている場所ですね。不便です(笑)[/caption] さて、毎年認知症ケア学会では、数多くの発表、講演があります。 私も何回か、発表や講演側になったことはありますが、今回はいち参加者として、色々な話を聴かせてもらい勉強させてもらいました。 [caption id="attachment_743" align="aligncenter" width="650"] メインホールです。1200名入ります。[/caption] これだけ多くの人たちが認知症ケアの向上のために全国から集まってくることに改めて驚きを感じるとともに、どんどん斬新な考えやアイデア、そして実践が行われる中で、二つの異なる考えを持ちました。 ひとつは、ケア学会に参加した人たち(組織)は、さらなる刺激を受けてどんどん前へ進み、学会に参加しなかった人たち(組織)との差がますます広がっていくであろうということ。これに関しては私自身も井の中の蛙になっていないかと感じてしまうのです。 [caption id="attachment_745" align="aligncenter" width="650"] 沢山の発表内容が載っている、めちゃ重い冊子です。[/caption] もうひとつは全く反対のことなのですが、毎回これだけの多くの人が認知症ケア学会に参加しているのに、果たしてその質は上がっているのか?ということです。確かに一部では質の向上が顕著かもしれません。しかしそれが全体的(全国的)な底上げにつながらなければ、単に認知症ケア学会員だけの自己満足に終わるかもしれません。 さらに、ケア学会では「なるほどそうだ、明日から頑張ろう!」と思った人も、いざ帰ってみるとそんな思いも忘れ、オールドカルチャーなことを継続している、こともあるかもしれませんね。 誰もが参加できるわけではないので、参加した者は、継続して伝えていく必要があると言えます。 というわけで、何回かに分けて、次回から認知症ケア学会で学んだものを伝えていきたいと思います。
ブログ投稿画像 槇原敬之の歌に「記憶」という歌があります。 歌自体は、母を想う気持ちで作られたようですが、 認知症の人へのやさしい心づかいの歌詞ともとれるのです。 大丈夫だよと 微笑んであげたいとき 思い出せる特別な場面がある   何かの拍子に思い出す 言葉を超えた思いの記憶 もしも思い出せないなら 僕がやさしく伝えよう 何かの拍子に思い出す 言葉を超えた想いの記憶 [caption id="attachment_721" align="aligncenter" width="650"] 記憶の軌跡は消すことはできないと、思います。[/caption] 以前の認知症の教室で、ジグゾーパズルのピースが一つひとつの記憶ならば、その記憶がばらばらになってしまうけど、断片的にその記憶が思い出される時があると書きました。 何かの拍子に思い出す記憶 記憶は決して消し去られたのではなく、裏返しになっても小さくなってもきっとどこかに存在するのでしょう。でもそれを、表現する能力自体が失われてしまっているのです。 言葉にはできなくなっているのです。 [caption id="attachment_720" align="aligncenter" width="650"] バラバラになってしまっても、きっとどこかにその記憶はある[/caption] だからこそ、大丈夫だよと、微笑んでそばにいてあげること そして、手を握りやさしく伝えてあげること。 言葉にできなくても、ふと思い浮かぶ記憶に、 人生を生きてきた証を感じられる瞬間がある、と言えるかもしれません。