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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2020.09.30

認知症の教室(専門職用)
認知機能検査の紹介です センター長の石川です。 先日、稲田地域包括主催のファイブ・コグ検査に参加してきました。 当日は東大阪大学短期大学部介護福祉学科重松義成准教授により、その進行が進められました。 ファイブ・コグ(Five Cognitive Functions)とは、高齢者用の集団認知機能検査として、東京都健康長寿医療センター研究所と筑波大学精神医学によって開発された検査です。 一般高齢者の活動機能の変化を評価できるものです。 記憶、注意、言語、視空間認知、思考の5つの認知領域と運動機能を判定していきます。 検査によって、現在の認知機能を知ることが出来、活動へのモチベーションを高めることが出来ます。 自分の活動が既に認知症予防になっていることを知ってもらう、或いは教室や講座、活動グループの紹介などが行えます。 (以上、「認知症予防サポートセンター」HPより引用) この検査後に評価を行い、さらに様々な取組に参加したうえで再評価を行い、自分の認知症予防向上力を認識していくことが出来ます。 コロナ禍で、心身の動きが鈍るなか、認知症予備軍が増えているのは間違いなく、そのためにも必要な検査ではないかと思います。 但し、既に認知症状が発症している方がこの検査を受けると、「できないつらさ」をもたらしてしまうので、受験者の精査が必要かと思います。(ここは重要です) さらに結果得点が、「モチベーションを高める」ものになるか、「不安をもたらす」ものになるか、それは紙一重ではないかと思います。 そこは主催者側の適切なサポートが必要になるのではないでしょうか。  
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2020.09.24

認知症の教室(専門職用)
わからないことを楽しもう! センター長の石川です。 かつてラグビーの平尾誠二選手が現役の時の決勝戦。 平尾選手が属する神戸製鋼はリードされ、いよいよノーサイドの時間が目前に迫る。 「このまま負けてしまうのか。」 神戸製鋼の誰もが負けを覚悟したとき、平尾選手が言った。 「おもろなってきたな~」 この大ピンチを楽しもうとしている平尾選手の言葉に、みんな驚いたという。 そしてその言葉に載せられるかのように、次の瞬間大逆転のトライが生まれ 神戸製鋼は優勝したのです。 朝日新聞デジタルより引用 私が大好きな写真ですが、既に発病されていた時ですね。 私たちの仕事は、わからないこと、困ったことが一杯です。 「どうしよう、困ったな~」 「どうしたらいいかわからないです」 よく聞く言葉ですね。 でも、「わからない」と言ってしまったら、そこで終わりです。 何の進化も成長も生まれないのです。 ちょっと立ち止って考えてみよう!わからなかったことがわかるのは楽しいぞ。 平尾選手は絶体絶命のピンチに「おもろなってきたな」という前向きな考えを生み出しました。 「わからないなぁ~ と言うことは、わかるために頑張れるやん。おもろなってきた。」 と言う、発想の転換をするのです。 人類の進歩の歴史そのものが、「わからないなら、わかるまで探求しよう!」との考えが、 今の皆さんの生活の便利さに繋がっているのです。 「わからないことって、実は新しい何かが生まれるためのスタート地点」なのです。 今一度書きます。 わからないで終わらせたら、何の進化も成長も生まれません。 「え?どうしてや?なんでや?どないなってんねん?これはおもろなってきたぞ!」 と言うように、わからないことを楽しむのです。 そうすれば、必然的に探究心や新たな発想に繋がっていきます。 わからないをわかるためには、勉強もしなくっちゃ 探求心は「なるほど、こういうことやったんか、おもろいな~」となっていきます。 物事をネガティブに暗く考えることは誰にでも出来ます。 「わからへん。困ったな。でもおもろなってきたやん。」 という発想が、あなた自身の輝きへと繋がるのでしょう。
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2020.09.19

認知症の教室(専門職用)
職場を変えるのは一人一人の小さな力 センター長の石川です。 今日は、2019年5月に「認知症の人にやさしい街をめざして」と題した国際シンポジウム(主催:朝日新聞社、朝日新聞厚生文化事業団)が、大阪で開催された時の基調講演者、イギリス・プリマス大学で、認知症アカデミックパートナーシップリーダーを務めるイアン・シェリフさんのお話し「認知症フレンドリーコミュニティー構築の道のり」から、冒頭の部分を紹介したいと思います。 大きな世界を変える小さな個人 「世界を変えるのは、一人ひとりの小さな力」 アメリカの文化人類学者であるマーガレット・ミード(Margaret Mead)の言葉です。 Never doubt that a small group of thoughtful, committed, citizens can change the world. Indeed, it is the only thing that ever has. この言葉には、「思慮深く決意に満ちた人たちの小さなグループが、世界を変えられると疑ってはいけない」という意味が込められています。 つまり、これまでに世界を変えたのは、個人やグループによる小さな力なのです。 小さな力とは、皆さんのことです。 私たちが世界を変えるのです。 皆さんも一緒に、認知症の人たちにやさしい世界へ変えていきましょう。 *「なかまある」HPより引用 いい方向に変えていくって、ワクワクドキドキだね。 以上が冒頭の部分ですが、 この言葉の、「世界」を「職場」に読み替えてみてください。或いは「自分の街」でも読み替えられます。 「職場を変えるのは、一人ひとりの小さな力」ですね。 「小さな力とは、皆さんのことです。私たち(皆さんが)が職場を変えるのです。皆さんも一緒に、認知症の人たちにやさしい職場(街)へ変えていきましょう。」 となりますね。 この熱い思いこそが、具体的に何を行うかを考えるためのスタート地点になります。 「利用者(認知症の人)のより良い生活のために、職場を変える!」 そういう、ワクワクドキドキ感こそが、前へ進むエネルギーになるのですね! 国籍年齢関係なくみんなで話しあっていけば、ワンチームになる
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2020.09.18

認知症の教室(専門職用)
コロナ禍における認知症の人への影響について センター長の石川です。 暑い日がまだ続きますが、朝晩は少し過ごしやすいでしょうか。 さて、ぼちぼちコロナ禍における認知症の人への影響を調査したものが出てくるのではないかと思っていましたが、 以下のような調査結果が掲載されていました。 特にコロナが人々に脅威となり始めた2月から、緊急事態宣言中の調査となります。 東大阪の空 以下、「大学ジャーナル」より転載させていただきました。 広島大学、コロナ禍における認知症患者および家族への影響を調査 介護高齢者認知症新型コロナウイルス感染症広島大学 広島大学大学院医系科学研究科共生社会医学講座の石井伸弥寄附講座教授らのグループは、新型コロナウイルス感染症感染拡大下(2020年2月~6月頃)に、入院もしくは入所中の認知症者とその家族にどのような影響があったのかオンライン調査を行った。 研究は日本老年医学会、広島大学公衆衛生学講座と共同で行われた。 調査は全国の高齢者医療・介護施設および介護支援専門員を対象に実施し、945施設・介護支援専門員751人の回答を得た。 調査によると、コロナ禍における入所系医療・介護施設の運営状況については、32.5%に大きな変化が生じていたほか、ほぼ全ての施設が入所者の日常的な活動に制限が生じたことが分かった。 通所系や訪問系サービスに関しては、介護支援専門員の71.5%が事業所の運営状況に大きな変化があったと回答。 認知症者が少なくとも一部のサービスを「受けられなくなった」「受けなくなった」と回答したのは78.7%だった。 認知症患者への影響はどうだったか。 「影響が生じた」と回答したのは、医療・介護施設の38.5%、介護支援専門員の38.1%。みられた影響としては、特に行動心理症状の出現・悪化、認知機能の低下、身体活動量の低下等が挙げられた。 介護保険サービスが受けられなくなった際の家族への負担について聞くと、「家族が介護を行うことがあった」と72.6%の介護支援専門員が回答。 家族への影響については、「仕事を休んだ」が約4割で最多、身体的な負担、精神的な負担が生じたとする回答もそれぞれ2割を超えた。 今後、石井教授らは、コロナ禍における認知症者の実情についてさらに深く調査するため、秋田大学高齢者医療先端研究センター等と共同で、高齢者医療介護施設従業員や介護支援専門員を対象としたインタビュー調査を実施する予定。 調査結果は、認知症高齢者が感染拡大を予防する「新しい生活様式」を実践するため、どのような支援が適切か検討する基礎資料として活用されることが期待される。 参考:【広島大学】新型コロナウイルス感染症の拡大により、認知症の人の症状悪化 と家族の介護負担増の実態が明らかに ~ 全国 945 施設・介護支援専門員 751 人のオンライン調査結果 ~(PDF) みんなで助けあっていかないとね やはり認知症の人への影響は出ているということですね。 さらにこの調査の後は、長い梅雨、そして猛暑による熱中症が待っていました。 じわじわと認知症の人への悪影響、介護家族の疲労増大が増えてきていると思われます。 そして、一息ついた後には、インフルエンザや寒い冬が待ち受けています。 私たち自身大変ですが、認知症の人にはもっと大変な状況が待ち受けています。 さらに、これまでは認知症状がなかった人に認知症状が現れる、或いは体力低下が現れる人の増大も予想されます。 本当に大変な状況は、これからかもしれません。
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2020.09.02

認知症の教室(専門職用)
インプットとアウトプット センター長の石川です。 「インプットとアウトプット」 よく聞く言葉ですね。 インプットはもちろん、色々と勉強したことや体験を取り込むことですね。 テキストの内容を読み込んでいくことはインプットになります。 しかし、インプットだけではその知識はすぐに忘れ去られてしまうとのこと。 大事なのは、インプットしたことはアウトプットするということなのです。 アウトプットする方法は、インプットした内容を書き出したり、言葉に出して読むなどの方法があります。 インプットしたものを他の人に伝える(アウトプットする)ためにまとめるのも一つの方法です。 他の人に正しく伝えるためにまとめることを「言葉に出す、書き出す」ことをすると、 インプットの内容が自分のものになっていきます。 では独り言はアウトプットになっているのか? 私もよく独り言を言います。特に「なんでやねん!」的な独り言を。 でも単にぶつぶつ言うのと、意識して文章を読んで声に出すのとは違います。 身に付く独り言(アウトプット)は、その独り言を意識しているかどうかでしょうか。   認知症の人の場合、まずインプットすることが厳しいのですが、 伝えた言葉(例えば、「お風呂に行きましょうか」と言う声掛けをゆっくりと繰り返す)を、 本人にも言ってもらう(「え?お風呂か?」)ことにより、本人には理解しやすいのではないかと思います。 インプットしたら、アウトプットする。 ミーティングなども同じです。 言葉に出して、書いてみて。その行為の中でインプットした内容を理解し、まとめ、そして他の人にも正しく伝えられるようになっていくのです。    
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2020.08.31

認知症の教室(専門職用)
いつまで私たち視点(或いは上から視点)で認知症の人を見るのだろう センター長の石川です。 今日は、硬派の話になります。 長くなりますが、意見提言として読んでいただければと思います。 「認知症高齢者の日常生活自立度判定基準」と言うのがあることは皆さんご存知ですよね。 特に専門職は、把握しておかなければならない基準です。 関わる認知症の人がどの程度の認知症の状態なのかを把握するためにも必要になってきます。 ですから私たちは、ケアする認知症の人が、大体どのくらいの認知症状で、その方の生活の不具合がどれだけ進行しているのかを確認しておく必要があります。 認知症高齢者の日常生活自立度判定基準 このように、その人の認知症の度合いをみるために使われていますが、 基準の右欄「判断にあたっての留意事項~」の欄を読めばわかるように、 まずは、基本として在宅でどこまで支えていける状態であるのか、 まさしく「日常生活の自立度のための判定基準」なのです。 ここではⅢbまでは、在宅生活が基本と書かれています。 この判定基準を、認知症の重症度だけを見るものという間違った見方をしないようにしてください。 捉え方を間違うと、恐ろしい黒雲が襲ってきます しかしながら、何故認知症の重症度を見るものと思ってしまうのかと言うと、 基準の「みられる症状・行動の例」に問題があるからかもしれません。 あえて言わせてもらうと、「いつまで私たち視点(或いは上から視点)で認知症の人を見るのだろう」と思うのです。 「どれだけ大変な人かを計測する指標」みたいに思ってしまうのです。 例えば、見られる症状・行動の例(Ⅲa)では、「着替え、食事、排便、排尿が上手にできない、時間がかかる。やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為等」という文言があります。 これは明らかに認知症の人を一人の人として敬意を表さない、私たち側からの上から視点の捉え方と言えます。 まるで犯罪履歴でも読むかのようなこの文言の列挙には不快感を覚えます。 また、ここに書かれている行動の多くは、周囲の人たちの影響にも左右されるものです。 ここは重要なポイントです。 私たち側に問題があるかもしれないのに、私たちが大変な目に合う行動だからと、全てを本人に擦り付けているのです。 これを認知症の人から見たらどう思われるでしょうか? もし私がⅢaに該当するのなら、「Ⅲaの大変な認知症の人」というレッテルを貼られるのでしょうか。 いつまでたっても認知症の人を蔑む視点が消えていないと言えるのではないでしょうか。 読み方を間違えないよう、正しく基準を理解しましょう。 出来ないこと、やれないこと、困った行動の列挙ではなく、 やれること、出来ること、わかっていることを拾い上げて、 出来る限りその方の自立を助けていくことが、本当の自立度ではないでしょうか。 ネガティブな見方の基準からポジティブな見方の基準へと捉え方を変えていく時期ではないかと思うのです。 因みに医師と調査員とが全く違うマーキングをすることが多々あります。 調査員がⅢaと思っているのに医師がⅠと判断したり、医師がⅣ、調査員がⅠなどという判断の食い違いは多々あります。 私たちはこの「認知症高齢者の日常生活自立度判定基準」を指標として把握しながらも、 決してそれがその人の全てではないということを頭に入れて、 その方の状況をしっかりと見てください。 つまり、正しく理解するということです。 皆さんの温かいハートが認知症の人を支えます。 そして目の前の認知症の人を一人の人として敬意を示し、 視点を「認知症で大変な人」ではなくて 「認知症はあるけれど、色々な可能性がまだまだ一杯残っているひとりの人」という視点で捉えれば、 様々な症状・行動も減少していくと思うのです。 それこそが、ケアワークに関わる者の真骨頂と言えるのではないでしょうか。
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2020.08.18

認知症の教室(専門職用)
認知症でもひとりの人として敬意をもって センター長の石川です。 17日、稲田地域包括支援センターの介護者教室に、A小学校のB校長先生が来られました。 B校長先生の認知症ケア体験をお話ししていただくためです。 B校長先生に来ていただくきっかけは、私たちがA小学校へキッズサポーター講座に行った折りに、 B校長先生も自らの介護体験を子どもたちにお話しされたことによります。 その時のB校長先生のお話を、児童たちは、目を真ん丸にして聞いていました。 校長先生のめっちゃ大変だった認知症介護話を真剣に聞く児童たち B校長先生の今回のお話は、ある意味「達観」されていました。 認知症になられたお母様の介護体験話なのですが、ケアの大変さだけを語られるのではなく、 認知症になった母でも、本来の母らしさを取り戻す時があり、 とかく認知症になって大変な状況の所しか見えなくなる中で、 一人の人としての姿を見ることが出来ることを温かく語っておられました。 コロナ禍 校長先生もフェイスシールドつけてのお話しです。 その人の生きざまを受け止め、 そして認知症であってもひとりの人としての尊厳を大切にしなければならない。 体験者ならではのお話しであると同時に、専門職も学ばなければならないお話しであったのではないかと感じました。 いわゆる「大変さだけを訴える体験談」ではない、 「認知症であってもひとりの人として敬意を持つ」こと。 介護を全うした多くの家族の方から聞くことが出来る言葉ではないでしょうか。 こんな時だからこそ前向きに考えましょう!と、校長先生 こんな時期ですが、ネガティブに考えてしまってもどうしようもないので、 何事も前向きに捉えて考えていきましょうというB校長先生。 その通りだと思います。  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先日、稲田地域包括主催のファイブ・コグ検査に参加してきました。 当日は東大阪大学短期大学部介護福祉学科重松義成准教授により、その進行が進められました。 ファイブ・コグ(Five Cognitive Functions)とは、高齢者用の集団認知機能検査として、東京都健康長寿医療センター研究所と筑波大学精神医学によって開発された検査です。 一般高齢者の活動機能の変化を評価できるものです。 記憶、注意、言語、視空間認知、思考の5つの認知領域と運動機能を判定していきます。 検査によって、現在の認知機能を知ることが出来、活動へのモチベーションを高めることが出来ます。 自分の活動が既に認知症予防になっていることを知ってもらう、或いは教室や講座、活動グループの紹介などが行えます。 (以上、「認知症予防サポートセンター」HPより引用) この検査後に評価を行い、さらに様々な取組に参加したうえで再評価を行い、自分の認知症予防向上力を認識していくことが出来ます。 コロナ禍で、心身の動きが鈍るなか、認知症予備軍が増えているのは間違いなく、そのためにも必要な検査ではないかと思います。 但し、既に認知症状が発症している方がこの検査を受けると、「できないつらさ」をもたらしてしまうので、受験者の精査が必要かと思います。(ここは重要です) さらに結果得点が、「モチベーションを高める」ものになるか、「不安をもたらす」ものになるか、それは紙一重ではないかと思います。 そこは主催者側の適切なサポートが必要になるのではないでしょうか。  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 かつてラグビーの平尾誠二選手が現役の時の決勝戦。 平尾選手が属する神戸製鋼はリードされ、いよいよノーサイドの時間が目前に迫る。 「このまま負けてしまうのか。」 神戸製鋼の誰もが負けを覚悟したとき、平尾選手が言った。 「おもろなってきたな~」 この大ピンチを楽しもうとしている平尾選手の言葉に、みんな驚いたという。 そしてその言葉に載せられるかのように、次の瞬間大逆転のトライが生まれ 神戸製鋼は優勝したのです。 [caption id="attachment_1961" align="aligncenter" width="640"] 朝日新聞デジタルより引用 私が大好きな写真ですが、既に発病されていた時ですね。[/caption] 私たちの仕事は、わからないこと、困ったことが一杯です。 「どうしよう、困ったな~」 「どうしたらいいかわからないです」 よく聞く言葉ですね。 でも、「わからない」と言ってしまったら、そこで終わりです。 何の進化も成長も生まれないのです。 [caption id="attachment_1960" align="aligncenter" width="650"] ちょっと立ち止って考えてみよう!わからなかったことがわかるのは楽しいぞ。[/caption] 平尾選手は絶体絶命のピンチに「おもろなってきたな」という前向きな考えを生み出しました。 「わからないなぁ~ と言うことは、わかるために頑張れるやん。おもろなってきた。」 と言う、発想の転換をするのです。 人類の進歩の歴史そのものが、「わからないなら、わかるまで探求しよう!」との考えが、 今の皆さんの生活の便利さに繋がっているのです。 「わからないことって、実は新しい何かが生まれるためのスタート地点」なのです。 今一度書きます。 わからないで終わらせたら、何の進化も成長も生まれません。 「え?どうしてや?なんでや?どないなってんねん?これはおもろなってきたぞ!」 と言うように、わからないことを楽しむのです。 そうすれば、必然的に探究心や新たな発想に繋がっていきます。 [caption id="attachment_1878" align="aligncenter" width="650"] わからないをわかるためには、勉強もしなくっちゃ[/caption] 探求心は「なるほど、こういうことやったんか、おもろいな~」となっていきます。 物事をネガティブに暗く考えることは誰にでも出来ます。 「わからへん。困ったな。でもおもろなってきたやん。」 という発想が、あなた自身の輝きへと繋がるのでしょう。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今日は、2019年5月に「認知症の人にやさしい街をめざして」と題した国際シンポジウム(主催:朝日新聞社、朝日新聞厚生文化事業団)が、大阪で開催された時の基調講演者、イギリス・プリマス大学で、認知症アカデミックパートナーシップリーダーを務めるイアン・シェリフさんのお話し「認知症フレンドリーコミュニティー構築の道のり」から、冒頭の部分を紹介したいと思います。 [caption id="attachment_1880" align="aligncenter" width="650"] 大きな世界を変える小さな個人[/caption] 「世界を変えるのは、一人ひとりの小さな力」 アメリカの文化人類学者であるマーガレット・ミード(Margaret Mead)の言葉です。 Never doubt that a small group of thoughtful, committed, citizens can change the world. Indeed, it is the only thing that ever has. この言葉には、「思慮深く決意に満ちた人たちの小さなグループが、世界を変えられると疑ってはいけない」という意味が込められています。 つまり、これまでに世界を変えたのは、個人やグループによる小さな力なのです。 小さな力とは、皆さんのことです。 私たちが世界を変えるのです。 皆さんも一緒に、認知症の人たちにやさしい世界へ変えていきましょう。 *「なかまある」HPより引用 [caption id="attachment_1935" align="aligncenter" width="650"] いい方向に変えていくって、ワクワクドキドキだね。[/caption] 以上が冒頭の部分ですが、 この言葉の、「世界」を「職場」に読み替えてみてください。或いは「自分の街」でも読み替えられます。 「職場を変えるのは、一人ひとりの小さな力」ですね。 「小さな力とは、皆さんのことです。私たち(皆さんが)が職場を変えるのです。皆さんも一緒に、認知症の人たちにやさしい職場(街)へ変えていきましょう。」 となりますね。 この熱い思いこそが、具体的に何を行うかを考えるためのスタート地点になります。 「利用者(認知症の人)のより良い生活のために、職場を変える!」 そういう、ワクワクドキドキ感こそが、前へ進むエネルギーになるのですね! [caption id="attachment_1938" align="aligncenter" width="650"] 国籍年齢関係なくみんなで話しあっていけば、ワンチームになる[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 暑い日がまだ続きますが、朝晩は少し過ごしやすいでしょうか。 さて、ぼちぼちコロナ禍における認知症の人への影響を調査したものが出てくるのではないかと思っていましたが、 以下のような調査結果が掲載されていました。 特にコロナが人々に脅威となり始めた2月から、緊急事態宣言中の調査となります。 [caption id="attachment_1873" align="aligncenter" width="650"] 東大阪の空[/caption] 以下、「大学ジャーナル」より転載させていただきました。 広島大学、コロナ禍における認知症患者および家族への影響を調査 介護高齢者認知症新型コロナウイルス感染症広島大学 広島大学大学院医系科学研究科共生社会医学講座の石井伸弥寄附講座教授らのグループは、新型コロナウイルス感染症感染拡大下(2020年2月~6月頃)に、入院もしくは入所中の認知症者とその家族にどのような影響があったのかオンライン調査を行った。 研究は日本老年医学会、広島大学公衆衛生学講座と共同で行われた。 調査は全国の高齢者医療・介護施設および介護支援専門員を対象に実施し、945施設・介護支援専門員751人の回答を得た。 調査によると、コロナ禍における入所系医療・介護施設の運営状況については、32.5%に大きな変化が生じていたほか、ほぼ全ての施設が入所者の日常的な活動に制限が生じたことが分かった。 通所系や訪問系サービスに関しては、介護支援専門員の71.5%が事業所の運営状況に大きな変化があったと回答。 認知症者が少なくとも一部のサービスを「受けられなくなった」「受けなくなった」と回答したのは78.7%だった。 認知症患者への影響はどうだったか。 「影響が生じた」と回答したのは、医療・介護施設の38.5%、介護支援専門員の38.1%。みられた影響としては、特に行動心理症状の出現・悪化、認知機能の低下、身体活動量の低下等が挙げられた。 介護保険サービスが受けられなくなった際の家族への負担について聞くと、「家族が介護を行うことがあった」と72.6%の介護支援専門員が回答。 家族への影響については、「仕事を休んだ」が約4割で最多、身体的な負担、精神的な負担が生じたとする回答もそれぞれ2割を超えた。 今後、石井教授らは、コロナ禍における認知症者の実情についてさらに深く調査するため、秋田大学高齢者医療先端研究センター等と共同で、高齢者医療介護施設従業員や介護支援専門員を対象としたインタビュー調査を実施する予定。 調査結果は、認知症高齢者が感染拡大を予防する「新しい生活様式」を実践するため、どのような支援が適切か検討する基礎資料として活用されることが期待される。 参考:【広島大学】新型コロナウイルス感染症の拡大により、認知症の人の症状悪化 と家族の介護負担増の実態が明らかに ~ 全国 945 施設・介護支援専門員 751 人のオンライン調査結果 ~(PDF) [caption id="attachment_1930" align="aligncenter" width="650"] みんなで助けあっていかないとね[/caption] やはり認知症の人への影響は出ているということですね。 さらにこの調査の後は、長い梅雨、そして猛暑による熱中症が待っていました。 じわじわと認知症の人への悪影響、介護家族の疲労増大が増えてきていると思われます。 そして、一息ついた後には、インフルエンザや寒い冬が待ち受けています。 私たち自身大変ですが、認知症の人にはもっと大変な状況が待ち受けています。 さらに、これまでは認知症状がなかった人に認知症状が現れる、或いは体力低下が現れる人の増大も予想されます。 本当に大変な状況は、これからかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 少しどのようなテーマで書こうか悩んで、しばらくブログをお休みしてました。 そして、そうこうしているうちに少しずつネタが溜まってきました。 今日は、私たち自身、とても気を付けなければならないことです。 まずは、下記の投稿をお読みください。 [caption id="attachment_1925" align="aligncenter" width="650"] 朝日新聞9月17日声欄より[/caption] ケアの仕事でも十分起こりうることです。 自分では何気なく言ってる言葉が相手を著しく傷つけていることは多々あるのではないでしょうか。 ましてその日、その日一日を必死に生きている高齢者に対しての 厳しい言葉は、人を死に追いやるナイフと何ら変わりはありません。 反面、言葉で救われることも多々あります。 同じ言葉を使うなら、人が安心する言葉を使いましょう。 そのほうがきっとその安心する言葉を使う人の人生にとっても、 お得な人生になるのですから。 たった一度しかない、限られた時間の枠でしか生きられない人生なのですから。 [caption id="attachment_1924" align="aligncenter" width="650"] 笑顔が一番![/caption]   コロナ禍で特に人々の心がぎすぎすする現状だからこそ、 闇に光を灯す言葉が使えるかどうかは 一人一人の胸の内にあると言えるのでしょう。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 「インプットとアウトプット」 よく聞く言葉ですね。 インプットはもちろん、色々と勉強したことや体験を取り込むことですね。 テキストの内容を読み込んでいくことはインプットになります。 しかし、インプットだけではその知識はすぐに忘れ去られてしまうとのこと。 大事なのは、インプットしたことはアウトプットするということなのです。 アウトプットする方法は、インプットした内容を書き出したり、言葉に出して読むなどの方法があります。 インプットしたものを他の人に伝える(アウトプットする)ためにまとめるのも一つの方法です。 他の人に正しく伝えるためにまとめることを「言葉に出す、書き出す」ことをすると、 インプットの内容が自分のものになっていきます。 では独り言はアウトプットになっているのか? 私もよく独り言を言います。特に「なんでやねん!」的な独り言を。 でも単にぶつぶつ言うのと、意識して文章を読んで声に出すのとは違います。 身に付く独り言(アウトプット)は、その独り言を意識しているかどうかでしょうか。   認知症の人の場合、まずインプットすることが厳しいのですが、 伝えた言葉(例えば、「お風呂に行きましょうか」と言う声掛けをゆっくりと繰り返す)を、 本人にも言ってもらう(「え?お風呂か?」)ことにより、本人には理解しやすいのではないかと思います。 インプットしたら、アウトプットする。 ミーティングなども同じです。 言葉に出して、書いてみて。その行為の中でインプットした内容を理解し、まとめ、そして他の人にも正しく伝えられるようになっていくのです。    
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今日は、硬派の話になります。 長くなりますが、意見提言として読んでいただければと思います。 「認知症高齢者の日常生活自立度判定基準」と言うのがあることは皆さんご存知ですよね。 特に専門職は、把握しておかなければならない基準です。 関わる認知症の人がどの程度の認知症の状態なのかを把握するためにも必要になってきます。 ですから私たちは、ケアする認知症の人が、大体どのくらいの認知症状で、その方の生活の不具合がどれだけ進行しているのかを確認しておく必要があります。 [caption id="attachment_1879" align="aligncenter" width="650"] 認知症高齢者の日常生活自立度判定基準[/caption] このように、その人の認知症の度合いをみるために使われていますが、 基準の右欄「判断にあたっての留意事項~」の欄を読めばわかるように、 まずは、基本として在宅でどこまで支えていける状態であるのか、 まさしく「日常生活の自立度のための判定基準」なのです。 ここではⅢbまでは、在宅生活が基本と書かれています。 この判定基準を、認知症の重症度だけを見るものという間違った見方をしないようにしてください。 [caption id="attachment_1877" align="aligncenter" width="960"] 捉え方を間違うと、恐ろしい黒雲が襲ってきます[/caption] しかしながら、何故認知症の重症度を見るものと思ってしまうのかと言うと、 基準の「みられる症状・行動の例」に問題があるからかもしれません。 あえて言わせてもらうと、「いつまで私たち視点(或いは上から視点)で認知症の人を見るのだろう」と思うのです。 「どれだけ大変な人かを計測する指標」みたいに思ってしまうのです。 例えば、見られる症状・行動の例(Ⅲa)では、「着替え、食事、排便、排尿が上手にできない、時間がかかる。やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為等」という文言があります。 これは明らかに認知症の人を一人の人として敬意を表さない、私たち側からの上から視点の捉え方と言えます。 まるで犯罪履歴でも読むかのようなこの文言の列挙には不快感を覚えます。 また、ここに書かれている行動の多くは、周囲の人たちの影響にも左右されるものです。 ここは重要なポイントです。 私たち側に問題があるかもしれないのに、私たちが大変な目に合う行動だからと、全てを本人に擦り付けているのです。 これを認知症の人から見たらどう思われるでしょうか? もし私がⅢaに該当するのなら、「Ⅲaの大変な認知症の人」というレッテルを貼られるのでしょうか。 いつまでたっても認知症の人を蔑む視点が消えていないと言えるのではないでしょうか。 [caption id="attachment_1878" align="aligncenter" width="2560"] 読み方を間違えないよう、正しく基準を理解しましょう。[/caption] 出来ないこと、やれないこと、困った行動の列挙ではなく、 やれること、出来ること、わかっていることを拾い上げて、 出来る限りその方の自立を助けていくことが、本当の自立度ではないでしょうか。 ネガティブな見方の基準からポジティブな見方の基準へと捉え方を変えていく時期ではないかと思うのです。 因みに医師と調査員とが全く違うマーキングをすることが多々あります。 調査員がⅢaと思っているのに医師がⅠと判断したり、医師がⅣ、調査員がⅠなどという判断の食い違いは多々あります。 私たちはこの「認知症高齢者の日常生活自立度判定基準」を指標として把握しながらも、 決してそれがその人の全てではないということを頭に入れて、 その方の状況をしっかりと見てください。 つまり、正しく理解するということです。 [caption id="attachment_1880" align="aligncenter" width="1771"] 皆さんの温かいハートが認知症の人を支えます。[/caption] そして目の前の認知症の人を一人の人として敬意を示し、 視点を「認知症で大変な人」ではなくて 「認知症はあるけれど、色々な可能性がまだまだ一杯残っているひとりの人」という視点で捉えれば、 様々な症状・行動も減少していくと思うのです。 それこそが、ケアワークに関わる者の真骨頂と言えるのではないでしょうか。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 17日、稲田地域包括支援センターの介護者教室に、A小学校のB校長先生が来られました。 B校長先生の認知症ケア体験をお話ししていただくためです。 B校長先生に来ていただくきっかけは、私たちがA小学校へキッズサポーター講座に行った折りに、 B校長先生も自らの介護体験を子どもたちにお話しされたことによります。 その時のB校長先生のお話を、児童たちは、目を真ん丸にして聞いていました。 [caption id="attachment_979" align="aligncenter" width="650"] 校長先生のめっちゃ大変だった認知症介護話を真剣に聞く児童たち[/caption] B校長先生の今回のお話は、ある意味「達観」されていました。 認知症になられたお母様の介護体験話なのですが、ケアの大変さだけを語られるのではなく、 認知症になった母でも、本来の母らしさを取り戻す時があり、 とかく認知症になって大変な状況の所しか見えなくなる中で、 一人の人としての姿を見ることが出来ることを温かく語っておられました。 [caption id="attachment_1848" align="aligncenter" width="650"] コロナ禍 校長先生もフェイスシールドつけてのお話しです。[/caption] その人の生きざまを受け止め、 そして認知症であってもひとりの人としての尊厳を大切にしなければならない。 体験者ならではのお話しであると同時に、専門職も学ばなければならないお話しであったのではないかと感じました。 いわゆる「大変さだけを訴える体験談」ではない、 「認知症であってもひとりの人として敬意を持つ」こと。 介護を全うした多くの家族の方から聞くことが出来る言葉ではないでしょうか。 [caption id="attachment_1849" align="aligncenter" width="650"] こんな時だからこそ前向きに考えましょう!と、校長先生[/caption] こんな時期ですが、ネガティブに考えてしまってもどうしようもないので、 何事も前向きに捉えて考えていきましょうというB校長先生。 その通りだと思います。