2020.05.02 | トピックス, 認知症の教室(一般市民用), 認知症の教室(専門職用)
認知症の人の「人生の歴史を尊重する」こと
2020.06.02
オリンピックだってなくなる明日があるのだから(専門職向け)
認知症の教室(専門職用)
センター長の石川です
今回は少し厳しめの、専門職向け内容です。
昨年のことですが、私は認知症や虐待防止の講義でよく言っていた話があります。
「来年皆さん東京オリンピックが当たり前のように見られると思っているけど、どんなに医療保険や生命保険に入ってたって、東京オリンピックが見られるなんて保障は誰にもどこにもないのです。」と。
別に東京オリンピックが延期(恐らくは中止)されることを予言したわけではありません。
ところがこんな形で今年ほんとうにオリンピックがなくなって、昨年あんなことを言わなければよかったと、ちょっと後悔しております。
要は何を言いたかったかと言うと、
「人の人生、若かろうが高齢であろうが、誰もが明日の命が保障されているわけではないということなのです。つまり、不適切なケアをしたり、人の文句ばっかり言って時間を過ごすこと自体が、その人の人生の大変な無駄使いの時間なんですよということなのです。明日がないかもしれないというのに!
それに自分の人生も一生に一回限り。そのたった一回だけの自分の大切な人生を、人を嘲り笑う、他の人から見て残念な人として見られて終わっていいのだろうか。
明日死ぬかもしれないのに!」
と言うことを言いたかったのですね。
人間ですから愚痴や文句も言いたいときは一杯あります。
でもそれだけで人生終わるのはあまりにも自分の価値を下げたまま終わるということです。
自分の価値が下がるのは人のせいと思っている限り、絶対その人の価値は上がりません。
もったいない。
一回しかない人生なのに。
自分の人生を大切にするということは、人の人生を大切にするということにも繋がります。
まずは自ら自分の価値を下げるような行動ばかりしないことです。
何故ならば、何度も書きますが、たった一度しかないあなたの人生の明日は、
誰にも保障されていないからです。
あれだけみんなが楽しみにしていたオリンピックだってなくなってしまうのですから。
唯一無二のあなたが(あなたの生きた人生が)「いやな人だったね」の評価で終わるなんて寂しすぎます。
「時間は有限です。人の文句ばかりを言う時間を、建設的なことを考える時間として使いましょう。そうでないと、人生を損します。」
人生の時間を無駄に使うケア職員ほど、認知症の人の人生も大切にしないのです。
「自分の人生の価値を下げるだけなら勝手にどうぞです。でも他の人の人生や認知症の人の大切な人生まで侵害しないでほしいのです。」
ケアの「専門職」ならば、その専門職の意味を問うてみてください。
専門職は、人の人生を侵害し、自分の価値を下げるためにあるのだろうか、と。
明日の保障がない、たった一度の人生で。