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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2020.11.25

認知症の教室(専門職用)
若年性認知症の方との関り(2) 若年性認知症の方との初めての出会い(1) センター長の石川です。 もう遥か昔のこと、だいたい35年前くらいのことです。 認知症も痴呆症と言われていた時代です。 私は、M市にある、とある法人の特養で、生活相談員(当時は指導員と呼んでいた)として勤務していました。 介護保険制度などと言うものがない、当然ケアマネジャーもいない時代です。 入所受付も担当だったのですが、M市から離れたS市から入所の申し込みがあったのです。 この当時はどこの地域からでも入所可能な時代で、依頼は行政の高齢福祉課が行っていました。 それでも基本は地元の方優先なのですが。 五月山動物園HPより なんでわざわざS市から?と思ったのですが、S市曰く、早急に受けていただきたいとのこと。 私が勤務していた特養が、当時としてはまだ珍しい認知症の方の専用フロアがある施設だったからということもあります。 しかしながら、S市には当時としては日本でも数少ない認知症の人を診ていたK病院があるのですが… (複雑な話ですが、S市の中にO市の病院があり、ややこしい関係だったのです) 兎にも角にもなんとかお願いしたいというS市からの要望で、今回の話の中心となるAさんの入所となったのです。 Aさんは50歳代、既にかなり認知症状が進んでいる状況でした。 Aさんこそが、私が初めて接した若年性認知症の方だったのです。 そして、そのAさんの妻から、驚くべき状況を聞いたのでした。 (つづく)
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2020.11.20

認知症の教室(専門職用)
若年性認知症の方との関り(1) センター長の石川です。 1年前のことですが、私と同年齢の方が入居されました。 若年性アルツハイマー病の方で、65歳を待たずに入居です。 この時点で既に認知症はかなり進行しておられたので 50歳台前半での発病ということになります。 自分と同年齢の方の状況は、心が複雑になります。 しかしながら、若年性認知症の方との関りの多くは、 私より年下かほぼ同年の方となります。 当然ご本人自身の衝撃は計り知れないものがありますが、 高齢者の認知症の発症とは異なるところがひとつあります。 ご家族の苦労についてはどの年代であろうと物凄く大変なことなのですが、 若年性認知症の方の場合、家族へのダメージは衝撃以上のものとして降りかかってきます。 ご本人のこともさることながら、家族へもしっかりと目を向けること。 家族へのサポートが重要なこと。 この点にも向き合わなければなりません。 今回から数回に分けて若年性認知症の方との関りを書いていきたいと思います。 思えば35年も前になる、私が最初に若年性認知症の方に関わった時のこと そして日本人として初めて国際アルツハイマー病学会でカミングアウトした 越智俊二さんとその妻の須美子とのことも追々書いていこうかと思っています。 決して他人事ではない、誰にでも起きうること。 家族の悲愴な叫び さらに私たち(サポート側)の視点は果たしてこれでよいのだろうか? という所まで、少し期間は長くなるとは思いますが、順次アップしていきます。 大きな世界を変える小さな個人 次回は私が初めて出会った若年性の方との関り。 かなり昔の話になりますが、35年経っても若年性認知症の方へのサポートは あまり変わりはないのかもしれません。
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2020.11.09

認知症の教室(専門職用)
まなざしをリセットしてみると センター長の石川です 今週は職員の研究発表会があります。 私は楠根中学との取り組みを発表しますが(これは後日ブログに載せます) その他に二つ、発表したいことがありました。 時間の関係でそれはできませんが、 ひとつは「まなざしのリセット」です。 例えば、「認知症高齢者の日常生活自立度」Ⅲaには、このような文章が載っています。 「やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為」 確かに、認知症の状況を確認する指標として、これらBPSDを列挙するのは必要と言われるかもしれません。 が、これは私たちからの視点です。 では認知症の人から見たらどうでしょうか。 認知症の人から見たケア実践者は、 「認知症だからということで、傲慢で、命令的で、上から視点で、話も聞いてくれないし、丁寧に説明もない、ただただ横柄な連中」と、思われているかもしれません。 視点を変えれば、全く違ったものが見えてくるのです。 「認知症高齢者の日常生活自立度」Ⅲaの文面は、認知症の人を同じ人間として敬意を示そうとする文章ではありません。 こんな見方ばかりするから、認知症ケアを間違えるのです。 つまり私たちは、見る視点を一度リセットしてみる必要があるのです。 やることは簡単です。 逆の立場で考え、それを書き出していくこと。 簡単なのですが、もともと人間は自我があってパーソナリティが確立されているので、 他者の思いに立つというのは実はとても苦手なのです。 だから、「対人援助技術」つまり、技術を持たなければならないのです。
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2020.10.17

認知症の教室(専門職用)
ほっこりなつどい開催されました。 センター長の石川です。 17日(土)、地域包括、デイサービスとの共同実施で 認知症の方を介護する皆様の「ほっこりなつどい」が開催されました。 冷たい雨が降るにもめげず、タクシーで来てくれた人を含め、 6名の家族の方が参加してくれました。 それぞれに、妻、兄弟、息子、娘と多様な状況の方が来られました。 コロナ禍ということもあり、人数を制限したうえでの、英田北公民館での実施でした。 それぞれに、困りごとを吐き出してもらい、聞いてもらえたこと、他の介護者の話が聞けたこと、情報共有できたこと、 そして利用しているデイサービスの職員との意見交換ができたこともよかったのではないかと思います。 1時間はあっという間に終わってしまいました。 アーバンケアでは利用者だけでなく、利用者の家族も支えるというコンセプトのもとでの開催でもありました。 特に認知症の人を介護されている家族の心身の負担は大きいので ストレスの掃き出しの一環にもなったのではないかと思います。 日常の生活について職員共々に話しあっています。 そして、利用しているデイサービスの職員や、包括の職員との意見交換は、 通常の認知症家族の会とは違った、利用者と事業所の関係性(意思疎通)を深めるものになったのではないかと思います。 特に認知症の人の場合、継続的に見守っていくことは必要不可欠と言えるでしょう。 家族同士の話しあいもありました これからも社会状況を見ながらということになりますが、継続して実施していきたいと思っております。        
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2020.10.13

認知症の教室(専門職用)
認知症の人を支えるということ センター長の石川です。 先週の土曜日、尼崎市高齢課並びに地域包括支援センター主催の、認知症の人を介護されている家族の方々50名を対象にした講演会に行ってきました。 常々認知症の人と面と向かっている介護者。 その苦労も人それぞれです。 100人いれば100通りの悩みがある。 そして専門職に対しては、その専門性を当然求めてくる。 その求めに私たちは果たして答えられているのだろうかと思うのです。 私自身も、介護者との関りの中から、 認知症の人への介護の在り方を学んでいったことの方が多いのではないでしょうか。 本当は、もっと皆様と密接に話が出来る講座ならよかったのですが、 何分コロナ禍における研修です。 出来るだけ会話を避け、また距離も置かれた中での座学中心というものになりました。 それでも質問の時は、それぞれに個々の悩みを打ち明けられ、 微力ではありますが、アドバイスさせていただいた次第です。 やはり、自分の悩みに蓋をしないで、吐き出すことが大切ですね。 由寿会ではこの土曜日に介護家族向けの「ほっこりなつどい」を開催します。 少しでも介護家族の皆様の心の重荷の軽減になり、ほっこりできる時間が設けられればと考えております。
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2020.09.30

認知症の教室(専門職用)
認知機能検査の紹介です センター長の石川です。 先日、稲田地域包括主催のファイブ・コグ検査に参加してきました。 当日は東大阪大学短期大学部介護福祉学科重松義成准教授により、その進行が進められました。 ファイブ・コグ(Five Cognitive Functions)とは、高齢者用の集団認知機能検査として、東京都健康長寿医療センター研究所と筑波大学精神医学によって開発された検査です。 一般高齢者の活動機能の変化を評価できるものです。 記憶、注意、言語、視空間認知、思考の5つの認知領域と運動機能を判定していきます。 検査によって、現在の認知機能を知ることが出来、活動へのモチベーションを高めることが出来ます。 自分の活動が既に認知症予防になっていることを知ってもらう、或いは教室や講座、活動グループの紹介などが行えます。 (以上、「認知症予防サポートセンター」HPより引用) この検査後に評価を行い、さらに様々な取組に参加したうえで再評価を行い、自分の認知症予防向上力を認識していくことが出来ます。 コロナ禍で、心身の動きが鈍るなか、認知症予備軍が増えているのは間違いなく、そのためにも必要な検査ではないかと思います。 但し、既に認知症状が発症している方がこの検査を受けると、「できないつらさ」をもたらしてしまうので、受験者の精査が必要かと思います。(ここは重要です) さらに結果得点が、「モチベーションを高める」ものになるか、「不安をもたらす」ものになるか、それは紙一重ではないかと思います。 そこは主催者側の適切なサポートが必要になるのではないでしょうか。  
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2020.09.24

認知症の教室(専門職用)
わからないことを楽しもう! センター長の石川です。 かつてラグビーの平尾誠二選手が現役の時の決勝戦。 平尾選手が属する神戸製鋼はリードされ、いよいよノーサイドの時間が目前に迫る。 「このまま負けてしまうのか。」 神戸製鋼の誰もが負けを覚悟したとき、平尾選手が言った。 「おもろなってきたな~」 この大ピンチを楽しもうとしている平尾選手の言葉に、みんな驚いたという。 そしてその言葉に載せられるかのように、次の瞬間大逆転のトライが生まれ 神戸製鋼は優勝したのです。 朝日新聞デジタルより引用 私が大好きな写真ですが、既に発病されていた時ですね。 私たちの仕事は、わからないこと、困ったことが一杯です。 「どうしよう、困ったな~」 「どうしたらいいかわからないです」 よく聞く言葉ですね。 でも、「わからない」と言ってしまったら、そこで終わりです。 何の進化も成長も生まれないのです。 ちょっと立ち止って考えてみよう!わからなかったことがわかるのは楽しいぞ。 平尾選手は絶体絶命のピンチに「おもろなってきたな」という前向きな考えを生み出しました。 「わからないなぁ~ と言うことは、わかるために頑張れるやん。おもろなってきた。」 と言う、発想の転換をするのです。 人類の進歩の歴史そのものが、「わからないなら、わかるまで探求しよう!」との考えが、 今の皆さんの生活の便利さに繋がっているのです。 「わからないことって、実は新しい何かが生まれるためのスタート地点」なのです。 今一度書きます。 わからないで終わらせたら、何の進化も成長も生まれません。 「え?どうしてや?なんでや?どないなってんねん?これはおもろなってきたぞ!」 と言うように、わからないことを楽しむのです。 そうすれば、必然的に探究心や新たな発想に繋がっていきます。 わからないをわかるためには、勉強もしなくっちゃ 探求心は「なるほど、こういうことやったんか、おもろいな~」となっていきます。 物事をネガティブに暗く考えることは誰にでも出来ます。 「わからへん。困ったな。でもおもろなってきたやん。」 という発想が、あなた自身の輝きへと繋がるのでしょう。
ブログ投稿画像 若年性認知症の方との初めての出会い(1) センター長の石川です。 もう遥か昔のこと、だいたい35年前くらいのことです。 認知症も痴呆症と言われていた時代です。 私は、M市にある、とある法人の特養で、生活相談員(当時は指導員と呼んでいた)として勤務していました。 介護保険制度などと言うものがない、当然ケアマネジャーもいない時代です。 入所受付も担当だったのですが、M市から離れたS市から入所の申し込みがあったのです。 この当時はどこの地域からでも入所可能な時代で、依頼は行政の高齢福祉課が行っていました。 それでも基本は地元の方優先なのですが。 [caption id="attachment_1745" align="aligncenter" width="650"] 五月山動物園HPより[/caption] なんでわざわざS市から?と思ったのですが、S市曰く、早急に受けていただきたいとのこと。 私が勤務していた特養が、当時としてはまだ珍しい認知症の方の専用フロアがある施設だったからということもあります。 しかしながら、S市には当時としては日本でも数少ない認知症の人を診ていたK病院があるのですが… (複雑な話ですが、S市の中にO市の病院があり、ややこしい関係だったのです) 兎にも角にもなんとかお願いしたいというS市からの要望で、今回の話の中心となるAさんの入所となったのです。 Aさんは50歳代、既にかなり認知症状が進んでいる状況でした。 Aさんこそが、私が初めて接した若年性認知症の方だったのです。 そして、そのAさんの妻から、驚くべき状況を聞いたのでした。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 1年前のことですが、私と同年齢の方が入居されました。 若年性アルツハイマー病の方で、65歳を待たずに入居です。 この時点で既に認知症はかなり進行しておられたので 50歳台前半での発病ということになります。 自分と同年齢の方の状況は、心が複雑になります。 しかしながら、若年性認知症の方との関りの多くは、 私より年下かほぼ同年の方となります。 当然ご本人自身の衝撃は計り知れないものがありますが、 高齢者の認知症の発症とは異なるところがひとつあります。 ご家族の苦労についてはどの年代であろうと物凄く大変なことなのですが、 若年性認知症の方の場合、家族へのダメージは衝撃以上のものとして降りかかってきます。 ご本人のこともさることながら、家族へもしっかりと目を向けること。 家族へのサポートが重要なこと。 この点にも向き合わなければなりません。 今回から数回に分けて若年性認知症の方との関りを書いていきたいと思います。 思えば35年も前になる、私が最初に若年性認知症の方に関わった時のこと そして日本人として初めて国際アルツハイマー病学会でカミングアウトした 越智俊二さんとその妻の須美子とのことも追々書いていこうかと思っています。 決して他人事ではない、誰にでも起きうること。 家族の悲愴な叫び さらに私たち(サポート側)の視点は果たしてこれでよいのだろうか? という所まで、少し期間は長くなるとは思いますが、順次アップしていきます。 [caption id="attachment_1880" align="aligncenter" width="650"] 大きな世界を変える小さな個人[/caption] 次回は私が初めて出会った若年性の方との関り。 かなり昔の話になりますが、35年経っても若年性認知症の方へのサポートは あまり変わりはないのかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今週は職員の研究発表会があります。 私は楠根中学との取り組みを発表しますが(これは後日ブログに載せます) その他に二つ、発表したいことがありました。 時間の関係でそれはできませんが、 ひとつは「まなざしのリセット」です。 例えば、「認知症高齢者の日常生活自立度」Ⅲaには、このような文章が載っています。 「やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為」 確かに、認知症の状況を確認する指標として、これらBPSDを列挙するのは必要と言われるかもしれません。 が、これは私たちからの視点です。 では認知症の人から見たらどうでしょうか。 認知症の人から見たケア実践者は、 「認知症だからということで、傲慢で、命令的で、上から視点で、話も聞いてくれないし、丁寧に説明もない、ただただ横柄な連中」と、思われているかもしれません。 視点を変えれば、全く違ったものが見えてくるのです。 「認知症高齢者の日常生活自立度」Ⅲaの文面は、認知症の人を同じ人間として敬意を示そうとする文章ではありません。 こんな見方ばかりするから、認知症ケアを間違えるのです。 つまり私たちは、見る視点を一度リセットしてみる必要があるのです。 やることは簡単です。 逆の立場で考え、それを書き出していくこと。 簡単なのですが、もともと人間は自我があってパーソナリティが確立されているので、 他者の思いに立つというのは実はとても苦手なのです。 だから、「対人援助技術」つまり、技術を持たなければならないのです。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 17日(土)、地域包括、デイサービスとの共同実施で 認知症の方を介護する皆様の「ほっこりなつどい」が開催されました。 冷たい雨が降るにもめげず、タクシーで来てくれた人を含め、 6名の家族の方が参加してくれました。 それぞれに、妻、兄弟、息子、娘と多様な状況の方が来られました。 コロナ禍ということもあり、人数を制限したうえでの、英田北公民館での実施でした。 それぞれに、困りごとを吐き出してもらい、聞いてもらえたこと、他の介護者の話が聞けたこと、情報共有できたこと、 そして利用しているデイサービスの職員との意見交換ができたこともよかったのではないかと思います。 1時間はあっという間に終わってしまいました。 アーバンケアでは利用者だけでなく、利用者の家族も支えるというコンセプトのもとでの開催でもありました。 特に認知症の人を介護されている家族の心身の負担は大きいので ストレスの掃き出しの一環にもなったのではないかと思います。 [caption id="attachment_2004" align="aligncenter" width="650"] 日常の生活について職員共々に話しあっています。[/caption] そして、利用しているデイサービスの職員や、包括の職員との意見交換は、 通常の認知症家族の会とは違った、利用者と事業所の関係性(意思疎通)を深めるものになったのではないかと思います。 特に認知症の人の場合、継続的に見守っていくことは必要不可欠と言えるでしょう。 [caption id="attachment_2003" align="aligncenter" width="650"] 家族同士の話しあいもありました[/caption] これからも社会状況を見ながらということになりますが、継続して実施していきたいと思っております。        
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先週の土曜日、尼崎市高齢課並びに地域包括支援センター主催の、認知症の人を介護されている家族の方々50名を対象にした講演会に行ってきました。 常々認知症の人と面と向かっている介護者。 その苦労も人それぞれです。 100人いれば100通りの悩みがある。 そして専門職に対しては、その専門性を当然求めてくる。 その求めに私たちは果たして答えられているのだろうかと思うのです。 私自身も、介護者との関りの中から、 認知症の人への介護の在り方を学んでいったことの方が多いのではないでしょうか。 本当は、もっと皆様と密接に話が出来る講座ならよかったのですが、 何分コロナ禍における研修です。 出来るだけ会話を避け、また距離も置かれた中での座学中心というものになりました。 それでも質問の時は、それぞれに個々の悩みを打ち明けられ、 微力ではありますが、アドバイスさせていただいた次第です。 やはり、自分の悩みに蓋をしないで、吐き出すことが大切ですね。 由寿会ではこの土曜日に介護家族向けの「ほっこりなつどい」を開催します。 少しでも介護家族の皆様の心の重荷の軽減になり、ほっこりできる時間が設けられればと考えております。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先日、稲田地域包括主催のファイブ・コグ検査に参加してきました。 当日は東大阪大学短期大学部介護福祉学科重松義成准教授により、その進行が進められました。 ファイブ・コグ(Five Cognitive Functions)とは、高齢者用の集団認知機能検査として、東京都健康長寿医療センター研究所と筑波大学精神医学によって開発された検査です。 一般高齢者の活動機能の変化を評価できるものです。 記憶、注意、言語、視空間認知、思考の5つの認知領域と運動機能を判定していきます。 検査によって、現在の認知機能を知ることが出来、活動へのモチベーションを高めることが出来ます。 自分の活動が既に認知症予防になっていることを知ってもらう、或いは教室や講座、活動グループの紹介などが行えます。 (以上、「認知症予防サポートセンター」HPより引用) この検査後に評価を行い、さらに様々な取組に参加したうえで再評価を行い、自分の認知症予防向上力を認識していくことが出来ます。 コロナ禍で、心身の動きが鈍るなか、認知症予備軍が増えているのは間違いなく、そのためにも必要な検査ではないかと思います。 但し、既に認知症状が発症している方がこの検査を受けると、「できないつらさ」をもたらしてしまうので、受験者の精査が必要かと思います。(ここは重要です) さらに結果得点が、「モチベーションを高める」ものになるか、「不安をもたらす」ものになるか、それは紙一重ではないかと思います。 そこは主催者側の適切なサポートが必要になるのではないでしょうか。  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 かつてラグビーの平尾誠二選手が現役の時の決勝戦。 平尾選手が属する神戸製鋼はリードされ、いよいよノーサイドの時間が目前に迫る。 「このまま負けてしまうのか。」 神戸製鋼の誰もが負けを覚悟したとき、平尾選手が言った。 「おもろなってきたな~」 この大ピンチを楽しもうとしている平尾選手の言葉に、みんな驚いたという。 そしてその言葉に載せられるかのように、次の瞬間大逆転のトライが生まれ 神戸製鋼は優勝したのです。 [caption id="attachment_1961" align="aligncenter" width="640"] 朝日新聞デジタルより引用 私が大好きな写真ですが、既に発病されていた時ですね。[/caption] 私たちの仕事は、わからないこと、困ったことが一杯です。 「どうしよう、困ったな~」 「どうしたらいいかわからないです」 よく聞く言葉ですね。 でも、「わからない」と言ってしまったら、そこで終わりです。 何の進化も成長も生まれないのです。 [caption id="attachment_1960" align="aligncenter" width="650"] ちょっと立ち止って考えてみよう!わからなかったことがわかるのは楽しいぞ。[/caption] 平尾選手は絶体絶命のピンチに「おもろなってきたな」という前向きな考えを生み出しました。 「わからないなぁ~ と言うことは、わかるために頑張れるやん。おもろなってきた。」 と言う、発想の転換をするのです。 人類の進歩の歴史そのものが、「わからないなら、わかるまで探求しよう!」との考えが、 今の皆さんの生活の便利さに繋がっているのです。 「わからないことって、実は新しい何かが生まれるためのスタート地点」なのです。 今一度書きます。 わからないで終わらせたら、何の進化も成長も生まれません。 「え?どうしてや?なんでや?どないなってんねん?これはおもろなってきたぞ!」 と言うように、わからないことを楽しむのです。 そうすれば、必然的に探究心や新たな発想に繋がっていきます。 [caption id="attachment_1878" align="aligncenter" width="650"] わからないをわかるためには、勉強もしなくっちゃ[/caption] 探求心は「なるほど、こういうことやったんか、おもろいな~」となっていきます。 物事をネガティブに暗く考えることは誰にでも出来ます。 「わからへん。困ったな。でもおもろなってきたやん。」 という発想が、あなた自身の輝きへと繋がるのでしょう。