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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2021.02.05

認知症の教室(専門職用)
問題発言高齢者を認知症だと言わないで センター長の石川です 世の中一部の権力を持つ高齢者の発言、行動で、若い世代から「老害」と言う言葉を盛んに聞きます。 確かに先日のフォレスト氏の発言や一階の上の人の行動や発言を聞いていると 全くもって酷いもので、多くの普通の高齢者まで迷惑してしまいます。 つまり、老人になると、「老害」しかないと思われ、 それが認知症と繋がってしまうのです。 SNSでのコメントでは、フォレスト氏は「痴呆だ」(認知症とも言わず) 「痴呆老人はさっさと、引退しろ!」みたいな言葉が次々と出てきます。 やはり、認知症の人を蔑視、軽蔑する風潮は世間に染みこんでいるのでしょうか。 特に若い世代に、このままでは老人イコール自分たちを害する人たちと思われてしまうでしょう。 つまり、しょうもないことでの世間の大騒ぎですが、 高齢者理解、認知症の人への理解と言う意味では、捨てておけないことなのです。 多くの高齢者は若い人達に知識をつたえる知恵者であり、学びの師なのです。 例えば入居者一人一人は若い世代にとって学びの師なのです。 認知症があったとしてもその人から学ぶことがものすごくあるのです。 ところが一部の権威的立場にある高齢者の行動や発言は、それらの思いを吹き飛ばしてしまいます。 そして、「老害」は「認知症」と結びつき、軽蔑だけが助長されてしまいます。 若い世代は高齢者を「ヨーダ」と思い、学ぶ姿勢を。 年取った世代は自分を「ヨーダ」と思い、出しゃばらず若い世代を見守り導くことを。 でも老いも若きもそんなことはどうでもいいよーだ…
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2021.02.04

認知症の教室(専門職用)
若年性認知症の方との関り(13)【なぜ若年性認知症になってしまったのか】 Bさんは40代後半で認知症を発症しました。 何故この若さで認知症を発症することになったのか。 その原因理由についてはかなり解明されてきました。(これについては長くなるのでまた別項で) しかし、若年性認知症発症の理由は、残念ながらまだまだ不明な点が多いのです。 B女医さんが発病された当時、今からもう30年近く前のことですが、 認知症になる原因理由は当然まだ不明なことが殆どでした。 当時、認知症の方を診断していた専門医(この先生には大変お世話になりました。いろいろ勉強もさせてもらいました)は、 Bさんの診察に際し、家族にBさんが認知症の人を診察していた経緯がないか、ということを聞かれていました。 先生は診察が終わると、必ず丁寧に手洗いを行い、イソジンでうがいをされていました。 今なら当たり前の光景かもしれませんが、当時は随分神経質だなと私は思っていました。 Bさんが何故認知症を発症したのか? もしかしたらウイルスによるものかもしれない。 そんな可能性もぬぐい切れない当時の状況だったからです。 認知症ウイルス説は今となっては問題外のことですが、 医者が若年性認知症になってしまったということは、ウイルス説を含めた脅威だったわけです。 残念ながら、これだけ科学が進んでも、若年性認知症の人が減ることはありません。 確実的に発症している病気でもあるのです。 他人事ではないのです。 センター長の石川でした。 (つづく) 最近話題にのぼる「ウレタンマスク」。 ウレタンマスクをしている人を攻撃する人も現れて「なんとか警察」の再登場です。 本当に困ったものです。 ただ、ウレタンマスクへの正しい理解は必要だと思うので、下記リンク先の記事を読んでもらえればと思います。 要は、マスクをしっかりと付け、密集を防ぎ、換気をガンガン行う。これに尽きるのかなと。 ただ、介護施設で働く者は、公私の時間ともに、ウレタンマスクの使用は避けた方がよいでしょう。 https://toyokeizai.net/articles/-/409607
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2021.02.01

認知症の教室(専門職用)
人は変われるか? ケアワークにおいて② 人が変わる、悪い方ではなくて、いい方向に人が変われるかと言うのがテーマなのですが、 そのアプローチはいくつかあります。 その中でも「自己防衛機能」を活用するのは、あまり高次元のものではありません。 つまりあまり使いたくないものなのです。 しかしいきなり高次元のアプローチをしても難しいので、まずは人間の本能に直接関与するものとして、 自己防衛機能をうまく活用するという方法です。 要は本人の危機感を呼び覚ますということになります。 今日の東大阪の空 しかし中には上に立つ者として、その使い方を間違っている人もいます。 脅しのような圧力をかける使い方です。 圧力をかけることで、このままではまずいと無理やり思わせようとすることです。 これは間違いなく様々な手段で逆襲を喰らいます。 攻撃されたことに対して、10倍返しでミサイルを打ち返してくるかもしれません。 自己防衛機能が過度に働いて、圧力をかけた者に対して猛烈に反発するか、 若しくはその圧力で自己防衛どころか自己崩壊を起こさせてしまうということになります。 そのような圧力ではなく、一番低い部分での気づきになりますが、 「このままでは立場がまずくなるな」と、自分の中で感じてもらうこと。 つまり自分自身の現状の行動に対しての危機意識(自己防衛機能)が働き、行動の変化に繋がるのがよいでしょう。 多くの場合、利用者からの苦情がこの気づきに繋がることが多いのです。 ところが残念ながら、この一番低い部分の気づきすら生じない場合があります。 困りますね(苦笑) to be continued   さて、田中将大投手、日本でまたその雄姿を見ることが出来るようになりました。 大リーグでの活躍も嬉しいですが、暗い話題ばかりの今の日本、身近に活躍を見れるのはもっと嬉しいことですね。 前回もここにリンクした「あとひとつ」もう一度貼り付けておきます。 この唄で、元気をもらってください。 https://www.youtube.com/watch?v=ir5cF-EvBig センター長の石川でした。
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2021.01.26

認知症の教室(専門職用)
若年性認知症の方との関り(12)【私が崩壊していくということ】 Bさんの行動は激しいものでした。 常に動き回り、それでいて足元が不安定のため、 何度か転倒もありました。 そのため、頭にはラグビー選手のようなヘッドギアを付け、 腰にはパットの入ったズボンをはいてもらいました。 それでも常に目が離せない存在だったのです。 Bさんのその目はいつも潤み、いつも何かを訴えるかのように私たちを見ます。 そして大声。 恐らくは何かを訴えたい、何かを話したい、だけどその言葉が出てこない。 本当なら医者として、まだまだバリバリと働きたいはずなのに どうしようもなく自分が崩壊していく姿への悲愴な叫びだったのかもしれません。 職員の中にBさんの診療所で働いていた看護師がいて、 「先生、先生!」 と、声を掛けます。 一瞬、何かを感じたのか、穏やかな表情になります。 医者が医者たる姿を見せた一瞬だったのかもしれません。 認知症になってもその姿は人それぞれです。 穏やかな人もいれば、そうでない人もいます。 いずれにしても、自分で望んだ道ではなかったでしょう。 Bさんからは、「こんなはずじゃない!どうして!?」という思いが強く伝わってきたのでした。 その認知症と言う病魔に襲われて、悲壮な状況に追いやられてしまった人のことを 私たちはあまりにも冷酷な目で「認知症の大変な人」という思いで見ているのかもしれません。 (つづく) センター長の石川でした。
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2021.01.22

認知症の教室(専門職用)
若年性認知症の方との関り(11)【女医さんの心の叫び】 Bさんが、私が生活相談員をしている認知症専門フロアに来られた時、既に認知症状が進行していました。 小さな身体の方でした。50歳代でしたが可愛らしい表情の方で、 人気の女医さんだったということがよくわかります。 開業医として、評判の良い女医さんだったのです。 ところが、もの忘れが目立つようになり、時に精神的に不安定になり、 医療器具をひっくり返して暴れることもあったそうです。 人の命を守る仕事ゆえ、家族は早々に医師の仕事を辞めさせました。 しかし、使命として医師の仕事に誇りを持っていたBさんが、 その仕事が出来なくなったことで、認知症状は一気に進行してしまったのです。 「医者の仕事を奪ってしまったことが、本人にはつらかったのでしょう。それから一気に認知症が進んでしまいました。でも人の命を預かる仕事ですから、間違いがあってはならなかったので仕方なかったのです。」 と、娘さんが寂しく語ってくれました。 施設に来られてからのBさんの表情は、いつも険しく、そして哀しい表情でした。 そして、「ワァー!」と大声で泣き叫ぶのでした。 足元が不安定なのにもがくように歩き、悲壮感あふれる泣き叫び。 その叫びは、「なんでなんで!?どうしてどうして!?」と言う、 今の自分の状況が到底受け入れられない激しい心の叫びのように思われました。 その叫び声は「こんなはずじゃない!!」と言う、 認知症の人のすさまじい訴えの声として私の心に深く残ったのでした。 センター長の石川でした。 (つづく)
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2021.01.20

認知症の教室(専門職用)
人は変われるか?ケアワークにおいて① センター長の石川です 人は変われるのか? その確信を持ったラグビー選手の話を前回書きました。 しかし、本当に人は変われるか?と言われると、かなり難しいことかもしれません。 一人ひとり違うということは、それぞれに個性があり、 その個性があるからこそ、この世の中は成り立っていると言えます。 もちろん、人は変われるかは、個性まで変えろと言ってるわけではありません。 ここでは、ケア職員としての在り方を問うと言うことになります。 つまり前回書いたラグビー選手が、自分の天性にかまけて努力もせず、チームワークも関係なく試合に出ていたのが、 人が変わったかのように練習に励み、チームワークに貢献したラグビー選手になったように、 ケアの世界で働くものとして、ケアワークに対しての心構えと言うか、在り方が変わっていけるのか? ということがテーマになります。 おそらくは、半日講座ぐらい開けるかなというぐらいのボリュームになりそうですが、 少しずつ小出しに書いていきます。 今日の生駒山です そもそも人には(と言うか生命体には)「生きていくためにあらゆる手段を使う」という本能が備わっています。 憎きコロナウイルスにしてもそうです。 ウイルスの変異が今私たちにとって脅威になっていますが、ウイルスにとっては生きていくがゆえの変異なのでしょう。 話が随分それてしまいました。 つまり人にも生きるための「自己防衛機能」が備わっているのです。 この自己防衛機能があるがゆえに、人の心構えが変わると言うのは至難の業になってきます。 例えば、何か失敗したときに上司から責められた時の「言い訳」はまさしく自己防衛機能が働いている姿だと言えます。 「仕方なかった、わからなかった、どうしようもなかった」などの言葉を並べて、 自分は悪くないと、自分の心のダメージや立場を悪くすることを防ぐための必死の行動と言えます。 昨夕、野口さんに手を振りました。 ニュアンスは異なりますが、私たちが認知症の人に押してしまう「作話」と言うレッテル。 はたから見れば、在りもしない、出来もしないことを必死になって話す姿は、 私たちにとって困った行動として「作話あり」と判断しますが、 しかしその行動は、認知症の人にとって、自分は大丈夫、しっかりしている、問題ないと、 必死に「認知症」という病魔に対抗し、生きていこうとする自己防衛反応の姿ともいえるのです。 では、ケアスタッフはどうすればその心構えが変わっていくのか? ひとつの方法として、この「自己防衛機能」を逆に活用すると言うものがあります。 ちょっと先まで、to be continued
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2021.01.18

認知症の教室(専門職用)
若年性認知症の方との集いと1月17日 1月16日(土)1月定例の若年性認知症の方との集い(楽カフェ)が開催されました。 今回は、ご家族様のグループに参加させてもらいました。 詳細は書けませんが、本当に苦労されている様子、 その中でも色々考えながらケアをされていること等 熱い思いが伝わってくるものでした。 デイサービスの利用などはあるものの、ほぼフルタイムでケアをして行かなければならないのが家族です。 その家族へのサポートを、もっと深めていかなければならないと思うのです。 さて、そのように本人、家族にとって大切な集いの時間ではあるので、開催はされるべきだとは思うのですが、 大阪は「緊急事態宣言」が出ているのです。 それは「人の動きを止める」ことが大切なのですが、宣言が出てもお構いなくという感じがします。 行政からして地域活動は止めるな!ですから、では何のための「緊急事態宣言」なのかと思ってしまいます。 単に飲食関係が、感染率が高いからと、まるで悪者にしているような感じですね。 震災メモリアル 昨日は1月17日 あれからもう26年も経過したのですね。 現地での救援活動は、今も深く脳裏に焼き付いて忘れられないものになっています。 というか、心の傷として残るくらいの衝撃だったかもしれません。 当時の救援活動を私は約3万7千字の文章として書き残していますが、そのうちのごく一部だけを転載します。 まずは初動の所から。正式救援隊の一員としてはこの時からですが、震災後すぐに先輩の安否確認のために現地には入っていました。ほぼ序章のようなところです。 JR神戸駅の時計 地震から10日後、大阪の老人福祉関係者の被災地支援策もようやくまとまり始め、被災地に対する援助が徐々に動きだした。阪神間の市街地には老人ホ-ムの数は少なく(当時)、大きな被害を受けている所は少なかった。殆どが北区や西区などの外周部にあり、建物自体には問題は少なかったが、市中心部からの緊急避難の高齢者が各施設に押し寄せ、どの施設も定員を遥かにオ-バ-した状態にあった。 そのため、まずそれらの施設に対する職員の応援派遣が実施された。大阪の各施設から選抜されたケア職員達が三田経由でそれらの施設に向かった。各施設ともライフラインは維持されており、派遣職員が寝食に困るということはなかったが、これらの施設とは対照的に、ライフラインが全く破壊されたうえに、目前に大きな被害を見つめることになった特別養護老人ホ-ムが二か所あった。芦屋市の「あしや聖徳園」と、長田区の「長田ケアホ-ム」だった。 「あしや聖徳園」は21歳の若いケア職員を失っている。山好きの女性で、休みの日にはいつも山に行っていたという。彼女の住む文化住宅は一階が崩壊、仲間達が懸命に瓦礫を掘り起こしたが、彼女の恋人が瓦礫の隙間から手を延ばし触れた彼女の手はすでに冷たくなっていた。彼は、嗚咽し泣き崩れたという。 阪神大震災は、数多くの恋人達の愛をも引き裂いていた…。(ケア職員の犠牲者も出た) 「長田ケアホ-ム」は施設の目の前までが火災で何もかもなくなってしまった。前一面が焼け野原となってしまったのだ。目前の火災の中で、多くの人達が生きながら焼かれてしまったのだ。 最初に救援に入った東灘区摂津本山付近 写真原本が不明のため、PCのワード画像より転写しているため、画像は見ずらいです. 次は実際の救援活動の一コマです。今も強く印象に残っているシーンです。 野寄公園にある自衛隊のテントの間に挟まれるように3~4人用の小さなテントが建っている。その小さなテントに寝たきりの母親を抱える息子夫婦が暮らしていた。3~4人用のテントといっても、ゆったりと寝ようと思えば2人までである。テントの中は非常に狭い空間なのだ。そのテントの外には辛うじて持ち出したと思われる洗面道具やバケツが置かれていた。 避難所の担当医師は、この老人の一般状態があまり良くないので入院の手配を進め、明日には入院出来るようになったと話してくれた。現在は点滴で何とか持ち堪えている状態だという。 しかし、寝たきりの彼女は私たちの前で、「家族と共に居たいから入院はしたくない。そのように、医者に伝えておいて欲しい。」と応えた。家族もその本人の意思を尊重した。 状態が悪化しつつある寝たきり老人が、劣悪な環境の続くテントでの生活を選んだ。 家を失い、生活を失い、全てのものを失った彼女にとって、家族は唯一失われずにそばに居てほしいものだった。ここで入院して離ればなれになって、家族までも失いたくなかったのだ。例え自分の命を縮めようとも、もうこれ以上、大切なものを失いたくはなかったのだ。 私たちは、そのテントをみつめることだけしかできなかった…。 その後、この家族がどうなったか、私は全く知らない。しかし、極限の中での人間の「絆」というものの強さを深く感じずにはいられなかった。 なす術なく立ちすくんでそのテントを見つめるだけの私達…。家族の「絆」を前にして、誰が「入院が最高の選択。」と云えるだろうか。 担当医師に本人と家族の意向を伝えると、その医師も何も云わなかった。いや、何も云えなかったのだ、きっと…。 厳しい寒さの中、その方はテントでの生活を選ばれた。人生最後の選択だったかもしれない。   センター長の石川でした。
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2021.01.13

認知症の教室(専門職用)
若年性認知症の方との関り(10)【慕われていた女医さんの発病】 センター長の石川です。 年が変わり、若年性認知症の方二人目の紹介です。 そもそも、何故若いうちに認知症状が出てしまうのか。 それはまだまだ不明なところが多いのです。 ただ、若年性認知症は、ほぼ高齢期の認知症と同様の原因(基礎疾患)により発症するということなのです。 厚生労働省の調査によると、若年性認知症の原因を基礎疾患別に見ると、脳血管性認知症が39.8%を占めています。 続いてアルツハイマー型認知症が25.4%、頭部外傷後遺症が7.7%、前頭側頭葉変性症(ピック病)が3.7%、アルコールの乱用によるアルコール性認知症が3.5%、レビー小体型認知症が3.0%となっています。 脳血管性及びアルツハイマー型で65%を占めているのです。 知らず知らずのうちに忍び寄ってくる暗雲 脳血管性についてはその原因はわかっていますが、それは何らかの病気として現れることが多いと言えます。 しかし私が接した方は、いつのまにか、つまりアルツハイマー病の方が多く、 その生活に知らずのうちに忍び寄ってきたと言える人がほとんどでした。 アルツハイマー病に関しては、脳に蓄積される不純物(アミロイドβ)が神経伝達組織を破壊してしまうことがわかってきました。 その蓄積量がオーバーフローするとアルツハイマー病を発症するのですが、 それが何故若いうちから?となると、不明な点も多いのです。 今回紹介させていただく女医さんのBさんも、本人自身全く予期せぬアルツハイマー病の発症だったと言えるかもしれません。 それはBさんの「叫び」が物語っていたのです。 (つづく)   大阪も緊急事態宣言発令されました。私の友人の施設もクラスターが発生しました。 まさしく、今直前にウイルスはいると言えます。 私が楽しみにしていたラグビートップリーグの開幕も、選手が次から次へと感染し、中止を余儀なくされています。 特に首都圏のチームに多く発症しており、やはり感染者数は危機的状況を物語っていると言えるかもしれません。 それでも負けないようにと、ここでは心がくじけそうになった時に見るビデオを時々載せていきます。 今回は中島みゆきのCoverですが、なかなか良いので聴いてください。 https://www.youtube.com/watch?v=KpX4Ko-5cEA  
ブログ投稿画像 センター長の石川です 2月6日、若年性認知症の方の集い(楽カフェ)が開かれました。 今回は4名の方が参加され、うち1名は初参加の方でした。 コロナ禍においてなかなか外へ出る機会もままならぬ中、貴重な集いの時間と言えます。 今回は「マットゴルフ」を実施。 ゴルフをやっていた方が多く結構皆さん上手です。 [caption id="attachment_2366" align="aligncenter" width="650"] まずはショートコースから。ゴルフ中前の道路で追突事故があり、大きな音がしました。[/caption] ただこのような「何かを行う」状況では、それぞれの方の現状が見えてきます。 ちょっとつらい時でもありますね。 今回から参加された家族は、介護家族同士の話し合いの中で、 同席の介護家族から色々と介護方法を教えてもらい、かなり有益だったようです。 介護家族からの言葉なので納得力もあります。 家族同士の集いが持つ意味はかなり大きいですね。 [caption id="attachment_2365" align="aligncenter" width="650"] ロングコース しっかりと入れる人も![/caption] さて島之内の家族会「ほっこりなつどい」もコロナや寒さが下火になってきましたので、3月に予定しています。 またお知らせしますね。 [caption id="attachment_2367" align="aligncenter" width="650"] 梅が咲き始めましたよ!(茨木市の里山で)[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です 世の中一部の権力を持つ高齢者の発言、行動で、若い世代から「老害」と言う言葉を盛んに聞きます。 確かに先日のフォレスト氏の発言や一階の上の人の行動や発言を聞いていると 全くもって酷いもので、多くの普通の高齢者まで迷惑してしまいます。 つまり、老人になると、「老害」しかないと思われ、 それが認知症と繋がってしまうのです。 SNSでのコメントでは、フォレスト氏は「痴呆だ」(認知症とも言わず) 「痴呆老人はさっさと、引退しろ!」みたいな言葉が次々と出てきます。 やはり、認知症の人を蔑視、軽蔑する風潮は世間に染みこんでいるのでしょうか。 特に若い世代に、このままでは老人イコール自分たちを害する人たちと思われてしまうでしょう。 つまり、しょうもないことでの世間の大騒ぎですが、 高齢者理解、認知症の人への理解と言う意味では、捨てておけないことなのです。 多くの高齢者は若い人達に知識をつたえる知恵者であり、学びの師なのです。 例えば入居者一人一人は若い世代にとって学びの師なのです。 認知症があったとしてもその人から学ぶことがものすごくあるのです。 ところが一部の権威的立場にある高齢者の行動や発言は、それらの思いを吹き飛ばしてしまいます。 そして、「老害」は「認知症」と結びつき、軽蔑だけが助長されてしまいます。 若い世代は高齢者を「ヨーダ」と思い、学ぶ姿勢を。 年取った世代は自分を「ヨーダ」と思い、出しゃばらず若い世代を見守り導くことを。 でも老いも若きもそんなことはどうでもいいよーだ…
ブログ投稿画像 Bさんは40代後半で認知症を発症しました。 何故この若さで認知症を発症することになったのか。 その原因理由についてはかなり解明されてきました。(これについては長くなるのでまた別項で) しかし、若年性認知症発症の理由は、残念ながらまだまだ不明な点が多いのです。 B女医さんが発病された当時、今からもう30年近く前のことですが、 認知症になる原因理由は当然まだ不明なことが殆どでした。 当時、認知症の方を診断していた専門医(この先生には大変お世話になりました。いろいろ勉強もさせてもらいました)は、 Bさんの診察に際し、家族にBさんが認知症の人を診察していた経緯がないか、ということを聞かれていました。 先生は診察が終わると、必ず丁寧に手洗いを行い、イソジンでうがいをされていました。 今なら当たり前の光景かもしれませんが、当時は随分神経質だなと私は思っていました。 Bさんが何故認知症を発症したのか? もしかしたらウイルスによるものかもしれない。 そんな可能性もぬぐい切れない当時の状況だったからです。 認知症ウイルス説は今となっては問題外のことですが、 医者が若年性認知症になってしまったということは、ウイルス説を含めた脅威だったわけです。 残念ながら、これだけ科学が進んでも、若年性認知症の人が減ることはありません。 確実的に発症している病気でもあるのです。 他人事ではないのです。 センター長の石川でした。 (つづく) 最近話題にのぼる「ウレタンマスク」。 ウレタンマスクをしている人を攻撃する人も現れて「なんとか警察」の再登場です。 本当に困ったものです。 ただ、ウレタンマスクへの正しい理解は必要だと思うので、下記リンク先の記事を読んでもらえればと思います。 要は、マスクをしっかりと付け、密集を防ぎ、換気をガンガン行う。これに尽きるのかなと。 ただ、介護施設で働く者は、公私の時間ともに、ウレタンマスクの使用は避けた方がよいでしょう。 https://toyokeizai.net/articles/-/409607
ブログ投稿画像 人が変わる、悪い方ではなくて、いい方向に人が変われるかと言うのがテーマなのですが、 そのアプローチはいくつかあります。 その中でも「自己防衛機能」を活用するのは、あまり高次元のものではありません。 つまりあまり使いたくないものなのです。 しかしいきなり高次元のアプローチをしても難しいので、まずは人間の本能に直接関与するものとして、 自己防衛機能をうまく活用するという方法です。 要は本人の危機感を呼び覚ますということになります。 [caption id="attachment_2345" align="aligncenter" width="650"] 今日の東大阪の空[/caption] しかし中には上に立つ者として、その使い方を間違っている人もいます。 脅しのような圧力をかける使い方です。 圧力をかけることで、このままではまずいと無理やり思わせようとすることです。 これは間違いなく様々な手段で逆襲を喰らいます。 攻撃されたことに対して、10倍返しでミサイルを打ち返してくるかもしれません。 自己防衛機能が過度に働いて、圧力をかけた者に対して猛烈に反発するか、 若しくはその圧力で自己防衛どころか自己崩壊を起こさせてしまうということになります。 そのような圧力ではなく、一番低い部分での気づきになりますが、 「このままでは立場がまずくなるな」と、自分の中で感じてもらうこと。 つまり自分自身の現状の行動に対しての危機意識(自己防衛機能)が働き、行動の変化に繋がるのがよいでしょう。 多くの場合、利用者からの苦情がこの気づきに繋がることが多いのです。 ところが残念ながら、この一番低い部分の気づきすら生じない場合があります。 困りますね(苦笑) to be continued   さて、田中将大投手、日本でまたその雄姿を見ることが出来るようになりました。 大リーグでの活躍も嬉しいですが、暗い話題ばかりの今の日本、身近に活躍を見れるのはもっと嬉しいことですね。 前回もここにリンクした「あとひとつ」もう一度貼り付けておきます。 この唄で、元気をもらってください。 https://www.youtube.com/watch?v=ir5cF-EvBig センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 Bさんの行動は激しいものでした。 常に動き回り、それでいて足元が不安定のため、 何度か転倒もありました。 そのため、頭にはラグビー選手のようなヘッドギアを付け、 腰にはパットの入ったズボンをはいてもらいました。 それでも常に目が離せない存在だったのです。 Bさんのその目はいつも潤み、いつも何かを訴えるかのように私たちを見ます。 そして大声。 恐らくは何かを訴えたい、何かを話したい、だけどその言葉が出てこない。 本当なら医者として、まだまだバリバリと働きたいはずなのに どうしようもなく自分が崩壊していく姿への悲愴な叫びだったのかもしれません。 職員の中にBさんの診療所で働いていた看護師がいて、 「先生、先生!」 と、声を掛けます。 一瞬、何かを感じたのか、穏やかな表情になります。 医者が医者たる姿を見せた一瞬だったのかもしれません。 認知症になってもその姿は人それぞれです。 穏やかな人もいれば、そうでない人もいます。 いずれにしても、自分で望んだ道ではなかったでしょう。 Bさんからは、「こんなはずじゃない!どうして!?」という思いが強く伝わってきたのでした。 その認知症と言う病魔に襲われて、悲壮な状況に追いやられてしまった人のことを 私たちはあまりにも冷酷な目で「認知症の大変な人」という思いで見ているのかもしれません。 (つづく) センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 Bさんが、私が生活相談員をしている認知症専門フロアに来られた時、既に認知症状が進行していました。 小さな身体の方でした。50歳代でしたが可愛らしい表情の方で、 人気の女医さんだったということがよくわかります。 開業医として、評判の良い女医さんだったのです。 ところが、もの忘れが目立つようになり、時に精神的に不安定になり、 医療器具をひっくり返して暴れることもあったそうです。 人の命を守る仕事ゆえ、家族は早々に医師の仕事を辞めさせました。 しかし、使命として医師の仕事に誇りを持っていたBさんが、 その仕事が出来なくなったことで、認知症状は一気に進行してしまったのです。 「医者の仕事を奪ってしまったことが、本人にはつらかったのでしょう。それから一気に認知症が進んでしまいました。でも人の命を預かる仕事ですから、間違いがあってはならなかったので仕方なかったのです。」 と、娘さんが寂しく語ってくれました。 施設に来られてからのBさんの表情は、いつも険しく、そして哀しい表情でした。 そして、「ワァー!」と大声で泣き叫ぶのでした。 足元が不安定なのにもがくように歩き、悲壮感あふれる泣き叫び。 その叫びは、「なんでなんで!?どうしてどうして!?」と言う、 今の自分の状況が到底受け入れられない激しい心の叫びのように思われました。 その叫び声は「こんなはずじゃない!!」と言う、 認知症の人のすさまじい訴えの声として私の心に深く残ったのでした。 センター長の石川でした。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です 人は変われるのか? その確信を持ったラグビー選手の話を前回書きました。 しかし、本当に人は変われるか?と言われると、かなり難しいことかもしれません。 一人ひとり違うということは、それぞれに個性があり、 その個性があるからこそ、この世の中は成り立っていると言えます。 もちろん、人は変われるかは、個性まで変えろと言ってるわけではありません。 ここでは、ケア職員としての在り方を問うと言うことになります。 つまり前回書いたラグビー選手が、自分の天性にかまけて努力もせず、チームワークも関係なく試合に出ていたのが、 人が変わったかのように練習に励み、チームワークに貢献したラグビー選手になったように、 ケアの世界で働くものとして、ケアワークに対しての心構えと言うか、在り方が変わっていけるのか? ということがテーマになります。 おそらくは、半日講座ぐらい開けるかなというぐらいのボリュームになりそうですが、 少しずつ小出しに書いていきます。 [caption id="attachment_2318" align="aligncenter" width="650"] 今日の生駒山です[/caption] そもそも人には(と言うか生命体には)「生きていくためにあらゆる手段を使う」という本能が備わっています。 憎きコロナウイルスにしてもそうです。 ウイルスの変異が今私たちにとって脅威になっていますが、ウイルスにとっては生きていくがゆえの変異なのでしょう。 話が随分それてしまいました。 つまり人にも生きるための「自己防衛機能」が備わっているのです。 この自己防衛機能があるがゆえに、人の心構えが変わると言うのは至難の業になってきます。 例えば、何か失敗したときに上司から責められた時の「言い訳」はまさしく自己防衛機能が働いている姿だと言えます。 「仕方なかった、わからなかった、どうしようもなかった」などの言葉を並べて、 自分は悪くないと、自分の心のダメージや立場を悪くすることを防ぐための必死の行動と言えます。 [caption id="attachment_2317" align="aligncenter" width="650"] 昨夕、野口さんに手を振りました。[/caption] ニュアンスは異なりますが、私たちが認知症の人に押してしまう「作話」と言うレッテル。 はたから見れば、在りもしない、出来もしないことを必死になって話す姿は、 私たちにとって困った行動として「作話あり」と判断しますが、 しかしその行動は、認知症の人にとって、自分は大丈夫、しっかりしている、問題ないと、 必死に「認知症」という病魔に対抗し、生きていこうとする自己防衛反応の姿ともいえるのです。 では、ケアスタッフはどうすればその心構えが変わっていくのか? ひとつの方法として、この「自己防衛機能」を逆に活用すると言うものがあります。 ちょっと先まで、to be continued
ブログ投稿画像 1月16日(土)1月定例の若年性認知症の方との集い(楽カフェ)が開催されました。 今回は、ご家族様のグループに参加させてもらいました。 詳細は書けませんが、本当に苦労されている様子、 その中でも色々考えながらケアをされていること等 熱い思いが伝わってくるものでした。 デイサービスの利用などはあるものの、ほぼフルタイムでケアをして行かなければならないのが家族です。 その家族へのサポートを、もっと深めていかなければならないと思うのです。 さて、そのように本人、家族にとって大切な集いの時間ではあるので、開催はされるべきだとは思うのですが、 大阪は「緊急事態宣言」が出ているのです。 それは「人の動きを止める」ことが大切なのですが、宣言が出てもお構いなくという感じがします。 行政からして地域活動は止めるな!ですから、では何のための「緊急事態宣言」なのかと思ってしまいます。 単に飲食関係が、感染率が高いからと、まるで悪者にしているような感じですね。 [caption id="attachment_2310" align="aligncenter" width="650"] 震災メモリアル[/caption] 昨日は1月17日 あれからもう26年も経過したのですね。 現地での救援活動は、今も深く脳裏に焼き付いて忘れられないものになっています。 というか、心の傷として残るくらいの衝撃だったかもしれません。 当時の救援活動を私は約3万7千字の文章として書き残していますが、そのうちのごく一部だけを転載します。 まずは初動の所から。正式救援隊の一員としてはこの時からですが、震災後すぐに先輩の安否確認のために現地には入っていました。ほぼ序章のようなところです。 [caption id="attachment_2309" align="aligncenter" width="650"] JR神戸駅の時計[/caption] 地震から10日後、大阪の老人福祉関係者の被災地支援策もようやくまとまり始め、被災地に対する援助が徐々に動きだした。阪神間の市街地には老人ホ-ムの数は少なく(当時)、大きな被害を受けている所は少なかった。殆どが北区や西区などの外周部にあり、建物自体には問題は少なかったが、市中心部からの緊急避難の高齢者が各施設に押し寄せ、どの施設も定員を遥かにオ-バ-した状態にあった。 そのため、まずそれらの施設に対する職員の応援派遣が実施された。大阪の各施設から選抜されたケア職員達が三田経由でそれらの施設に向かった。各施設ともライフラインは維持されており、派遣職員が寝食に困るということはなかったが、これらの施設とは対照的に、ライフラインが全く破壊されたうえに、目前に大きな被害を見つめることになった特別養護老人ホ-ムが二か所あった。芦屋市の「あしや聖徳園」と、長田区の「長田ケアホ-ム」だった。 「あしや聖徳園」は21歳の若いケア職員を失っている。山好きの女性で、休みの日にはいつも山に行っていたという。彼女の住む文化住宅は一階が崩壊、仲間達が懸命に瓦礫を掘り起こしたが、彼女の恋人が瓦礫の隙間から手を延ばし触れた彼女の手はすでに冷たくなっていた。彼は、嗚咽し泣き崩れたという。 阪神大震災は、数多くの恋人達の愛をも引き裂いていた…。(ケア職員の犠牲者も出た) 「長田ケアホ-ム」は施設の目の前までが火災で何もかもなくなってしまった。前一面が焼け野原となってしまったのだ。目前の火災の中で、多くの人達が生きながら焼かれてしまったのだ。 最初に救援に入った東灘区摂津本山付近 写真原本が不明のため、PCのワード画像より転写しているため、画像は見ずらいです. 次は実際の救援活動の一コマです。今も強く印象に残っているシーンです。 野寄公園にある自衛隊のテントの間に挟まれるように3~4人用の小さなテントが建っている。その小さなテントに寝たきりの母親を抱える息子夫婦が暮らしていた。3~4人用のテントといっても、ゆったりと寝ようと思えば2人までである。テントの中は非常に狭い空間なのだ。そのテントの外には辛うじて持ち出したと思われる洗面道具やバケツが置かれていた。 避難所の担当医師は、この老人の一般状態があまり良くないので入院の手配を進め、明日には入院出来るようになったと話してくれた。現在は点滴で何とか持ち堪えている状態だという。 しかし、寝たきりの彼女は私たちの前で、「家族と共に居たいから入院はしたくない。そのように、医者に伝えておいて欲しい。」と応えた。家族もその本人の意思を尊重した。 状態が悪化しつつある寝たきり老人が、劣悪な環境の続くテントでの生活を選んだ。 家を失い、生活を失い、全てのものを失った彼女にとって、家族は唯一失われずにそばに居てほしいものだった。ここで入院して離ればなれになって、家族までも失いたくなかったのだ。例え自分の命を縮めようとも、もうこれ以上、大切なものを失いたくはなかったのだ。 私たちは、そのテントをみつめることだけしかできなかった…。 その後、この家族がどうなったか、私は全く知らない。しかし、極限の中での人間の「絆」というものの強さを深く感じずにはいられなかった。 なす術なく立ちすくんでそのテントを見つめるだけの私達…。家族の「絆」を前にして、誰が「入院が最高の選択。」と云えるだろうか。 担当医師に本人と家族の意向を伝えると、その医師も何も云わなかった。いや、何も云えなかったのだ、きっと…。 [caption id="attachment_2312" align="aligncenter" width="650"] 厳しい寒さの中、その方はテントでの生活を選ばれた。人生最後の選択だったかもしれない。[/caption]   センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 年が変わり、若年性認知症の方二人目の紹介です。 そもそも、何故若いうちに認知症状が出てしまうのか。 それはまだまだ不明なところが多いのです。 ただ、若年性認知症は、ほぼ高齢期の認知症と同様の原因(基礎疾患)により発症するということなのです。 厚生労働省の調査によると、若年性認知症の原因を基礎疾患別に見ると、脳血管性認知症が39.8%を占めています。 続いてアルツハイマー型認知症が25.4%、頭部外傷後遺症が7.7%、前頭側頭葉変性症(ピック病)が3.7%、アルコールの乱用によるアルコール性認知症が3.5%、レビー小体型認知症が3.0%となっています。 脳血管性及びアルツハイマー型で65%を占めているのです。 [caption id="attachment_2299" align="aligncenter" width="650"] 知らず知らずのうちに忍び寄ってくる暗雲[/caption] 脳血管性についてはその原因はわかっていますが、それは何らかの病気として現れることが多いと言えます。 しかし私が接した方は、いつのまにか、つまりアルツハイマー病の方が多く、 その生活に知らずのうちに忍び寄ってきたと言える人がほとんどでした。 アルツハイマー病に関しては、脳に蓄積される不純物(アミロイドβ)が神経伝達組織を破壊してしまうことがわかってきました。 その蓄積量がオーバーフローするとアルツハイマー病を発症するのですが、 それが何故若いうちから?となると、不明な点も多いのです。 今回紹介させていただく女医さんのBさんも、本人自身全く予期せぬアルツハイマー病の発症だったと言えるかもしれません。 それはBさんの「叫び」が物語っていたのです。 (つづく)   大阪も緊急事態宣言発令されました。私の友人の施設もクラスターが発生しました。 まさしく、今直前にウイルスはいると言えます。 私が楽しみにしていたラグビートップリーグの開幕も、選手が次から次へと感染し、中止を余儀なくされています。 特に首都圏のチームに多く発症しており、やはり感染者数は危機的状況を物語っていると言えるかもしれません。 それでも負けないようにと、ここでは心がくじけそうになった時に見るビデオを時々載せていきます。 今回は中島みゆきのCoverですが、なかなか良いので聴いてください。 https://www.youtube.com/watch?v=KpX4Ko-5cEA