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「認知症の教室(一般市民用)」で記事を検索しました。

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2021.03.04

認知症の教室(一般市民用)
出口のないトンネルはない センター長の石川です。 大阪では第3波の感染者数が減少してきました。 しかし、人が動き始めると、再び増加するかもしれません。 最近の研究では、一般高齢者の3割に認知機能の低下がみられているとのことです。 そりゃそうです。 もう1年もの間、不活発を要求される状況の中に置かれているのですから。 認知症の人本人はもちろんのこと、 介護家族自身が、心身の極限に直面していると言えるでしょう。 ただ、全く先の見えない暗闇のトンネルの先に、 ようやく出口の明かりが見えてきたのは事実として受け止めましょう。 とは言っても、今はまだ暗いトンネルの中 まだしばらくは暗中模索で歩いていかなければなりません。 ワクチンもそう簡単には皆さんに行き渡らないでしょう。 でも確実にトンネルの出口の明かりは見えてきているのです。 復活の日は必ず来ます。 今はその灯りに向かって、しっかりと歩いていきましょう! これくらい明るくなってきて、足元が見えてくるのは、いつ頃になるでしょうか。 *介護がしんどくなって弱音を吐きたくなったら、いつでも電話してください! 愚痴でもボヤキでも吐き出しましょう。 溜め込むのが一番ダメです。 072-960-6070   (トンネルの向こうの明かりを撮影したくて、武庫川廃線を歩いてきました。トンネルの中は本当に真っ暗です。何も見えません。でもほんのりと出口の明かりが見えてきたときには不安が希望に変わりました。)
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2021.03.02

認知症の教室(一般市民用)
出前講座開催されました!パート2(英田北) センター長の石川です。 2月26日、今回は島之内二丁目公民館で、リボンの広場の時間をお借りして、 ネットワーク委員会による出前講座を開催しました。 今回はあき薬局の川口先生と、実習生のお二人に、 実験付きお薬の正しい飲み方についてお話ししていただきました。 お薬と私たちの生活は切っても切れないもの。 最近多くの皆さんが飲んでいるサプリメントを含めて、飲み合わせをしてはいけないものや、 薬の飲み方の注意点など、丁寧に伝えていただきました。 コップ半分以上の水で、お薬はしっかりと飲まないと、食道に薬がくっついたりしてしまうので要注意です。 またサプリメントもお薬と併用することで効きすぎたりするので、 必ず薬剤師さんに、どんなサプリメントを飲んでいるのか伝えてほしいとのことです。   さて、お薬の話の後は、英田南でも作った手作り磁石(冷蔵庫に張り付けるようなもの)の作成です。 島之内2の会長、副会長が一緒に並んで楽しく作っておられたのが良かったですね。 コロナ禍ではありますが、 少しでも外出の時間を作り、頭と体を動かすことが、今はとても大切ですね。
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2021.02.22

認知症の教室(一般市民用)
見かた捉え方を変えて見ること 池の端で、ばあちゃんが鯉に向かって100円玉を投げていました。 それを見た男性が、 「なんで100円投げてんねん。」 と、ばあちゃんに聞きました。 ばあちゃんは鯉に100円玉を投げながら 「そこに、こいのえさ100円って書いてあるやろ。」 確かに。 でも私たちはそれを、ばあちゃんの勘違い、認知力の欠如と断言するかもしれません。 「何言うてんねん、ぼけとんのか。トレビの泉やあるまいし。」 と、普通なら、そう思うかもしれません。 それが普段仕事においても私たちがやってしまう判断です。 でもそれは硬直化した考えかもしれません。 四角四面ではなく、発想を働かせること 「あ、なるほどね~ そんな捉え方もあるわな~ おもろいやん。」とか 「ほんまやな~ ここの鯉は贅沢やな~」とか 「ばあちゃんなかなかやるな~ そらそう読めるわな~」とか 見かた捉え方を変えてみると、また別の発想、考えが生まれるかもしれません。 温かなユーモアを交えると、頭の柔軟性は増えていきます。   「それは間違ってる。」とだけを思ってしまうことの方が、 間違っているのかもしれません。   センター長の石川でした。
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2021.02.20

認知症の教室(一般市民用)
あれから一年 センター長の石川です。 昨年の2月20日は、藤川幸之助氏の講演会があった日です。 未知のコロナウイルスの恐怖に怯え、世間が大騒ぎになり始めた時でした。 藤川幸之助氏講演会「支える側が支えられるとき」 講演会自体実施の有無が問われるほどの、ぎりぎりの状況での開催でした。 消毒、そして参加者は全員マスク。 今なら当たり前の景色も、当時はみんながマスクをしているのが異様に思えた時期でした。 まだおおらかな日でした そして心に残る藤川先生の講演は、 これからもあの日を境に… と、印象に残る講演会となりました。 思えば、たくさんの人が集まって心が和む話を聞けるのは、 今日時点において、この日が最後となりました。 和やかな雰囲気もこの日以降途絶えています 翌21日から、行事と言う行事は一斉に禁止。 そして面会もできない、鎖国状態と施設はなったのです。 まさかこんな状況が一年も続くとは、この時は誰も思わなかったでしょう。 それどころか、この時よりもはるかに感染者を多く出す第3波に襲われたのですから。 丸々一年間、面会できていないご家族の方も多くおられます。 本当に切ない、もどかしい日々だと思います。 職員も、つらく、長く、耐えることと、感染の恐怖に不安になる日々 「でした」と書きたいところですが、まだまだその日々は続きます。 ベランダ面会。話は携帯電話で行いました。 ワクチンも恐らくはかなり遅れるのではないでしょうか。 少なくても、あと半年、試練の日々が続くかもしれません。 今は耐え抜いていきましょう! トンネルの先の光は見えてきました。 まだ遠くにですが、でも着実にその光は大きくなっていきます。
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2021.02.15

認知症の教室(一般市民用)
認知症と多様性について センター長の石川です。 東京オリンピック・パラリンピックでは森元会長の発言から大騒動になりました。 ただこれはオリンピック精神に反すると言うより、社会的人間としてどうなのかと言うことになります。 2019年のラグビーワールドカップでは、「多様な人々が一つになる」と言うことが実現できた時でした。 日本代表が確たる証拠です。 私も何度か足を運んだスタンドにおいても、敵味方国籍人種を越えたノーサイドの精神で溢れていました。 2019年はいい年だったな~ 元々地域社会は多様な人たちで成り立っています。 当然認知症の人も、その多様性のひとつ、多様な人たちの一人なのです。 今回の話題の中で、差別なく様々な人たちに敬意を示すことの大切さの中に、 認知症の人のことも忘れないで欲しいと思うのです。 (ただSNSでは認知症の人を軽蔑するような書き込みが数多くありました) 認知症の人は、1+1=2のような数値化できない世界(そんな世界はないと否定する人もおられますが)を表し、 学ばせてくれる素晴らしき人たちなのですから。 この部分だけでも、いくらでも語れますよ。 今日の元気が出るビデオ 時には挫折し、この先がどうなっていくか不安な今、若き日に燃やした情熱を思い出し、 Reスタートしてほしい、そんなビデオです。 前回の田中将大に続いて野球ネタです。 「遠くの空 指さすんだ」 https://www.youtube.com/watch?v=DtJIUfbb3cY   さて次回は、私たちの生活にとってなくてはならない「穴」の話です。
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2021.02.11

認知症の教室(一般市民用)
若年性認知症の方との関り(14)【痛い記憶】 若年性認知症になられたB女医さんの最終回です。 Bさんのことでは、私はとんでもない失態と言うか、痛い記憶があります。 当時は日本でもまだ数少ない認知症の人の専用フロアがあった私が勤めていた施設は、見学者も数多く来られました。 毎日のように見学者の対応に追われるような状況でもあったのです。 私がその見学者を誘導し、フロアで説明する役割を担っていました。 その見学者たちが皆さん一様に驚く話がありました。 「若くして認知症になられたお医者さんも入所者におられます。」と。 すると、見学者は皆、へぇーと声を上げるのです。 当時はまだ若年性認知症のことはほとんど知られていない頃だったので、 私の話はセンセーショナルな話だったのです。 この頃の私は、認知症の人への敬意も尊厳の保持も、そのかけらすらない説明を、見学者に行っていたのです。 話だけではなく、認知症の人をパーソンではなく、「困った対象者」のような感じで見ていたのかもしれません。 そしてあの日も見学者を案内し、そのセンセーショナルな話をフロアで話をしていた時です。 詰所からガチャっという音が聞こえました。 当時は詰所でタバコが吸える時代でした。(職員は禁止されてましたが) 面会者や見学者は詰所でタバコが吸えたのです。 そのガチャという音は、今でこそあまり見かけなくなりましたが、 灰皿の真ん中の突起を押すと、吸い殻が中に落ちる回転式灰皿の突起を押したときの音だったのです。 その音に振り返って私が詰所を見ると、そこにBさんの夫がいたのです。 日に日に変わっていき、混乱していく妻を支えてきた人でした。 間違いなく、私の見学者への説明を夫は聞いていたでしょう。 その灰皿の音は「私の妻をさらし者にするな!」という無言の抗議だったと、私はその時気づかされました。 今でもその時のガチャ!という灰皿の音は、私にとって痛い記憶として残っています。 まさしく思い上がっていた私への戒めの音だったのです。 真ん中の突起を押すと、ガチャっという音とともにお皿が回転し、吸い殻が中に収納されます。 常にふらつきながらもなんとか歩こうとして、その都度転倒を繰り返すBさんのその姿、 そして涙を浮かべながら、大声を上げ悲壮感を訴えるその表情も、 それこそ「死に物狂いの認知症と言う病魔へ抵抗しようとする姿」であったのではないでしょうか。 同時に私たちに救いを求める姿であったのかもしれません。 私たちから見て困ってしまう行動も、 本人にとっては「必死になって生きていこうとする自分自身への生命の証」なのかもしれません。 B女医さんの話はこれで終わります。 次回からは猛烈に暴れる女性の話になります。 センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 大阪では第3波の感染者数が減少してきました。 しかし、人が動き始めると、再び増加するかもしれません。 最近の研究では、一般高齢者の3割に認知機能の低下がみられているとのことです。 そりゃそうです。 もう1年もの間、不活発を要求される状況の中に置かれているのですから。 認知症の人本人はもちろんのこと、 介護家族自身が、心身の極限に直面していると言えるでしょう。 ただ、全く先の見えない暗闇のトンネルの先に、 ようやく出口の明かりが見えてきたのは事実として受け止めましょう。 とは言っても、今はまだ暗いトンネルの中 まだしばらくは暗中模索で歩いていかなければなりません。 ワクチンもそう簡単には皆さんに行き渡らないでしょう。 でも確実にトンネルの出口の明かりは見えてきているのです。 復活の日は必ず来ます。 今はその灯りに向かって、しっかりと歩いていきましょう! [caption id="attachment_2423" align="aligncenter" width="650"] これくらい明るくなってきて、足元が見えてくるのは、いつ頃になるでしょうか。[/caption] *介護がしんどくなって弱音を吐きたくなったら、いつでも電話してください! 愚痴でもボヤキでも吐き出しましょう。 溜め込むのが一番ダメです。 072-960-6070   (トンネルの向こうの明かりを撮影したくて、武庫川廃線を歩いてきました。トンネルの中は本当に真っ暗です。何も見えません。でもほんのりと出口の明かりが見えてきたときには不安が希望に変わりました。)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 2月26日、今回は島之内二丁目公民館で、リボンの広場の時間をお借りして、 ネットワーク委員会による出前講座を開催しました。 今回はあき薬局の川口先生と、実習生のお二人に、 実験付きお薬の正しい飲み方についてお話ししていただきました。 お薬と私たちの生活は切っても切れないもの。 最近多くの皆さんが飲んでいるサプリメントを含めて、飲み合わせをしてはいけないものや、 薬の飲み方の注意点など、丁寧に伝えていただきました。 コップ半分以上の水で、お薬はしっかりと飲まないと、食道に薬がくっついたりしてしまうので要注意です。 またサプリメントもお薬と併用することで効きすぎたりするので、 必ず薬剤師さんに、どんなサプリメントを飲んでいるのか伝えてほしいとのことです。   さて、お薬の話の後は、英田南でも作った手作り磁石(冷蔵庫に張り付けるようなもの)の作成です。 島之内2の会長、副会長が一緒に並んで楽しく作っておられたのが良かったですね。 コロナ禍ではありますが、 少しでも外出の時間を作り、頭と体を動かすことが、今はとても大切ですね。
ブログ投稿画像 池の端で、ばあちゃんが鯉に向かって100円玉を投げていました。 それを見た男性が、 「なんで100円投げてんねん。」 と、ばあちゃんに聞きました。 ばあちゃんは鯉に100円玉を投げながら 「そこに、こいのえさ100円って書いてあるやろ。」 確かに。 でも私たちはそれを、ばあちゃんの勘違い、認知力の欠如と断言するかもしれません。 「何言うてんねん、ぼけとんのか。トレビの泉やあるまいし。」 と、普通なら、そう思うかもしれません。 それが普段仕事においても私たちがやってしまう判断です。 でもそれは硬直化した考えかもしれません。 [caption id="attachment_2393" align="aligncenter" width="650"] 四角四面ではなく、発想を働かせること[/caption] 「あ、なるほどね~ そんな捉え方もあるわな~ おもろいやん。」とか 「ほんまやな~ ここの鯉は贅沢やな~」とか 「ばあちゃんなかなかやるな~ そらそう読めるわな~」とか 見かた捉え方を変えてみると、また別の発想、考えが生まれるかもしれません。 温かなユーモアを交えると、頭の柔軟性は増えていきます。   「それは間違ってる。」とだけを思ってしまうことの方が、 間違っているのかもしれません。   センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 昨年の2月20日は、藤川幸之助氏の講演会があった日です。 未知のコロナウイルスの恐怖に怯え、世間が大騒ぎになり始めた時でした。 [caption id="attachment_2386" align="aligncenter" width="650"] 藤川幸之助氏講演会「支える側が支えられるとき」[/caption] 講演会自体実施の有無が問われるほどの、ぎりぎりの状況での開催でした。 消毒、そして参加者は全員マスク。 今なら当たり前の景色も、当時はみんながマスクをしているのが異様に思えた時期でした。 [caption id="attachment_2384" align="aligncenter" width="650"] まだおおらかな日でした[/caption] そして心に残る藤川先生の講演は、 これからもあの日を境に… と、印象に残る講演会となりました。 思えば、たくさんの人が集まって心が和む話を聞けるのは、 今日時点において、この日が最後となりました。 [caption id="attachment_2387" align="aligncenter" width="650"] 和やかな雰囲気もこの日以降途絶えています[/caption] 翌21日から、行事と言う行事は一斉に禁止。 そして面会もできない、鎖国状態と施設はなったのです。 まさかこんな状況が一年も続くとは、この時は誰も思わなかったでしょう。 それどころか、この時よりもはるかに感染者を多く出す第3波に襲われたのですから。 丸々一年間、面会できていないご家族の方も多くおられます。 本当に切ない、もどかしい日々だと思います。 職員も、つらく、長く、耐えることと、感染の恐怖に不安になる日々 「でした」と書きたいところですが、まだまだその日々は続きます。 [caption id="attachment_1584" align="aligncenter" width="297"] ベランダ面会。話は携帯電話で行いました。[/caption] ワクチンも恐らくはかなり遅れるのではないでしょうか。 少なくても、あと半年、試練の日々が続くかもしれません。 今は耐え抜いていきましょう! トンネルの先の光は見えてきました。 まだ遠くにですが、でも着実にその光は大きくなっていきます。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 東京オリンピック・パラリンピックでは森元会長の発言から大騒動になりました。 ただこれはオリンピック精神に反すると言うより、社会的人間としてどうなのかと言うことになります。 2019年のラグビーワールドカップでは、「多様な人々が一つになる」と言うことが実現できた時でした。 日本代表が確たる証拠です。 私も何度か足を運んだスタンドにおいても、敵味方国籍人種を越えたノーサイドの精神で溢れていました。 [caption id="attachment_2377" align="aligncenter" width="650"] 2019年はいい年だったな~[/caption] 元々地域社会は多様な人たちで成り立っています。 当然認知症の人も、その多様性のひとつ、多様な人たちの一人なのです。 今回の話題の中で、差別なく様々な人たちに敬意を示すことの大切さの中に、 認知症の人のことも忘れないで欲しいと思うのです。 (ただSNSでは認知症の人を軽蔑するような書き込みが数多くありました) 認知症の人は、1+1=2のような数値化できない世界(そんな世界はないと否定する人もおられますが)を表し、 学ばせてくれる素晴らしき人たちなのですから。 この部分だけでも、いくらでも語れますよ。 今日の元気が出るビデオ 時には挫折し、この先がどうなっていくか不安な今、若き日に燃やした情熱を思い出し、 Reスタートしてほしい、そんなビデオです。 前回の田中将大に続いて野球ネタです。 「遠くの空 指さすんだ」 https://www.youtube.com/watch?v=DtJIUfbb3cY   さて次回は、私たちの生活にとってなくてはならない「穴」の話です。
ブログ投稿画像 若年性認知症になられたB女医さんの最終回です。 Bさんのことでは、私はとんでもない失態と言うか、痛い記憶があります。 当時は日本でもまだ数少ない認知症の人の専用フロアがあった私が勤めていた施設は、見学者も数多く来られました。 毎日のように見学者の対応に追われるような状況でもあったのです。 私がその見学者を誘導し、フロアで説明する役割を担っていました。 その見学者たちが皆さん一様に驚く話がありました。 「若くして認知症になられたお医者さんも入所者におられます。」と。 すると、見学者は皆、へぇーと声を上げるのです。 当時はまだ若年性認知症のことはほとんど知られていない頃だったので、 私の話はセンセーショナルな話だったのです。 この頃の私は、認知症の人への敬意も尊厳の保持も、そのかけらすらない説明を、見学者に行っていたのです。 話だけではなく、認知症の人をパーソンではなく、「困った対象者」のような感じで見ていたのかもしれません。 そしてあの日も見学者を案内し、そのセンセーショナルな話をフロアで話をしていた時です。 詰所からガチャっという音が聞こえました。 当時は詰所でタバコが吸える時代でした。(職員は禁止されてましたが) 面会者や見学者は詰所でタバコが吸えたのです。 そのガチャという音は、今でこそあまり見かけなくなりましたが、 灰皿の真ん中の突起を押すと、吸い殻が中に落ちる回転式灰皿の突起を押したときの音だったのです。 その音に振り返って私が詰所を見ると、そこにBさんの夫がいたのです。 日に日に変わっていき、混乱していく妻を支えてきた人でした。 間違いなく、私の見学者への説明を夫は聞いていたでしょう。 その灰皿の音は「私の妻をさらし者にするな!」という無言の抗議だったと、私はその時気づかされました。 今でもその時のガチャ!という灰皿の音は、私にとって痛い記憶として残っています。 まさしく思い上がっていた私への戒めの音だったのです。 [caption id="attachment_2372" align="aligncenter" width="225"] 真ん中の突起を押すと、ガチャっという音とともにお皿が回転し、吸い殻が中に収納されます。[/caption] 常にふらつきながらもなんとか歩こうとして、その都度転倒を繰り返すBさんのその姿、 そして涙を浮かべながら、大声を上げ悲壮感を訴えるその表情も、 それこそ「死に物狂いの認知症と言う病魔へ抵抗しようとする姿」であったのではないでしょうか。 同時に私たちに救いを求める姿であったのかもしれません。 私たちから見て困ってしまう行動も、 本人にとっては「必死になって生きていこうとする自分自身への生命の証」なのかもしれません。 B女医さんの話はこれで終わります。 次回からは猛烈に暴れる女性の話になります。 センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 2月6日、若年性認知症の方の集い(楽カフェ)が開かれました。 今回は4名の方が参加され、うち1名は初参加の方でした。 コロナ禍においてなかなか外へ出る機会もままならぬ中、貴重な集いの時間と言えます。 今回は「マットゴルフ」を実施。 ゴルフをやっていた方が多く結構皆さん上手です。 [caption id="attachment_2366" align="aligncenter" width="650"] まずはショートコースから。ゴルフ中前の道路で追突事故があり、大きな音がしました。[/caption] ただこのような「何かを行う」状況では、それぞれの方の現状が見えてきます。 ちょっとつらい時でもありますね。 今回から参加された家族は、介護家族同士の話し合いの中で、 同席の介護家族から色々と介護方法を教えてもらい、かなり有益だったようです。 介護家族からの言葉なので納得力もあります。 家族同士の集いが持つ意味はかなり大きいですね。 [caption id="attachment_2365" align="aligncenter" width="650"] ロングコース しっかりと入れる人も![/caption] さて島之内の家族会「ほっこりなつどい」もコロナや寒さが下火になってきましたので、3月に予定しています。 またお知らせしますね。 [caption id="attachment_2367" align="aligncenter" width="650"] 梅が咲き始めましたよ!(茨木市の里山で)[/caption]