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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2021.12.01

認知症の教室(専門職用)
法人職員による取組研究発表会開催される 11月29、30の両日、法人職員による研究発表会がありました。(連日18時30分から21時まで) 毎年行われているもので、今年で8回目になります。 今回も様々な部署から熱意のある取組み研究発表がありました。 時間が5分に限られているので、発表側もその中でまとめるのに苦労されたのではないかと思います。 その見せ方も様々で、ドラマ風のユニークな発表もありました。バラエティに富んでいいと思います。 怪しい このように研究発表をするということは、まず「考える」つまり探究心を働かせることになります。 原因・背景・理由を考えるだけでなく、想定や推測などの想像力を働かせることにもなり、 他者の発表を聴くことで、創造力にも繋がっていきます。 とても怪しい ケアの世界はともすれば狭い世界しか知らない閉鎖的かつネガティブ思考に働くことが多いと言えます。 その世界を広め、ポジティブ思考に転換するには、やはり「探求(究)心」を持つこと。 それを常日頃心掛けることでしょう。   ケアで何か困ったことが起きた時、 すぐに、どうしたらいいかわからない、どうしようもないのなどと考えるのではなく、 「わからないことがわかったら、めちゃ嬉しいやん!」と考えて、「探求(究)心」を働かすことですね。 三千メートルの山からの景色です 「わからない」とあきらめる前に、「なるほど、そうだったのか!」となるように、 「探求(究)心」を働かせましょう。 天狗にならないよう、ときには鼻をつまむことです。   「わからない」は、あきらめるために存在するのではなく、 「わかる」ために存在しているのです。 「わからない」を乗り越えて人は成長していくのです。
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2021.11.30

認知症の教室(専門職用)
猿の表情から分かること 以前にも実際に見えているものは、一人ひとり解釈が違うと書きました。 例えば下記の猿の写真 人それぞれに感想は違うと思います。 「サル、怖い!」「襲われそう!」「野生やな。」「サル、嫌い!」「何見てんのやろ?」「誰かに似てる」「凛々しい顔やな。」等々… 「怖い!」という傾向はあるかもしれませんが、同じ写真に人それぞれに色々な感想をもつでしょう。 では下記の写真ではどんな感想をもつでしょうか? 「気持ちよさそうやな。」「いい匂いするんかな?」「なんの花?なんやろ」「サルでもいい匂いってわかるんかな?」「サルでも心地よいのがわかるんやな」「なんかほっとする風景」等々… 一枚目の写真同様、人それぞれに様々な感想をもつでしょう。 このように、同じ写真を見ていても、ひとりひとり解釈は違ってきます。 この解釈の違いは、当然ケア実践者の間でも起きます。 ですから、意見のすり合わせが必要なのです。 勝手な思い込みで動かないことです。   ところでこの二枚の写真の猿、同じ猿なんですよね。 一枚目の猿の表情は厳しく、二枚目の猿の表情は穏やかです。 猿にも表情があるのだと言うことです。 ところが二枚目の写真を見なければ、猿に対して二枚目の写真にあるような穏やかな感想は持たないでしょう。 そして一枚目の写真の印象が、固定観念として残っていきます。 そのことが、見えているものの判断を狂わせていくのです。 たかが猿の写真。 でも探求心を働かせ、思考を展開させれば、色々なことがわかるかもしれません。
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2021.11.27

認知症の教室(専門職用)
傾聴すべきは… センター長の石川です。 先日某県の認知症研修に行ってきました。 9時から5時までしゃべり詰めのリモート研修で、ちょっと大変でしたが、 教える側でありながら、学びも多くありました。 研修は教えているつもりが逆に学びも多く得られるのでいいですね。 さてそのひとつ。 カンファレンスを行う上においての情報について。 ①ケア側が欲しい情報とは何か ②利用者が思っているケア側に知って欲しい情報とは何か について、ブレイクアウトルームで議論してもらいました。   5つのグループから出た意見を大雑把にまとめてみると、 ①では、・ライフスタイルやライフヒストリー ・身体状況(既往歴) ・パーソナリティ ・課題となる行動 ・家族との関係性 など、アセスメント項目などが多く上がりました。 一方2⃣では、①の項目はあるものの、今思ってること (家に帰りたい、苦しみをわかって欲しい、自由にさせて、寂しい、痛い等) が多く上がりました。 つまり利用者視点になって考えると、「今、この時間の気持ちを知って欲しい」と言うことになります。 ここに大きな乖離がありますね。 ケアスタッフの考えと、利用者の考えは、色々な場面で乖離しているかもしれません。 もちろん、①で挙げられたようなアセスメント情報は必要不可欠なものです。 しかし利用者 (人生の時間がもうあまりないと感じている) にしてみれば、自分のライフヒストリーなんか今はどうでもいい、今、この時を心地よく生きたいという思いの方が大きいでしょう。     ではこの乖離はどうしたら埋められるのか? やはり、まずは「利用者の話を聴くこと。」 ここからがスタートです。 信頼関係が出来、穏やかな時間が作れれば、 ライフヒストリーの情報を元にした「語らい」もできるようになるでしょう。   私たちが思っている以上に、ケア側と利用者の思考は離れているかもしれません。 耳を傾けるのは、人のうわさ話ではなく、利用者の声なのです。
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2021.11.12

認知症の教室(専門職用)
擬人化トレーニング 「相手の気持ちになって考えよう」と、 ケアの現場ではよく言われます。 しかし人間は、自分の心の中には自分の考えが一杯詰まっているので 本来、相手の気持ちを考え、さらに受容すると言うのはとても苦手なのです。 SNSで平気でいじめをしてしまうのも、 相手の気持ちなど全く考えないからです。 しかし私たちの仕事は、「相手の気持ちを考えたり、受け止めたりすること」 それが出来なければ、専門職としての魅力は半減します。 この仕事に就いたからには、ケアの実践者として「自分はどうありたいのか」と 問いかけなければならないでしょう。 「相手の気持ちを考える」 そのため普段から柔らかい思考を持たなければなりません。 日頃から相手はどう思っているのだろうか?と考える姿勢が必要です。 ちょっとでいいのです。 ほんの少し立ち止まり、相手の気持ちを考える時間を持ちます。 そのトレーニングのひとつとして、どんなものにも声を掛け、 何を思っているのか想像するという、擬人化トレーニングをすることです。 それを普段からちょくちょく行うことです。 以下の3枚のお猿の写真は、私が撮影したものですが、 1枚1枚の写真に、「お猿の気持ち(思っていること)」を考えてみて、 書いてみてください。 ちょっとしたショートストーリーが出来るかもしれませんよ。       どうでしょうか。一枚一枚にお猿の気持ちを想像して書いてみる。 この瞬間に、あなたは「お猿の立場」で考えています。 どんなものでもいいので、ちょっと立ち止って、考えてみる。 そんなトレーニングをやってみてください。 今は電車に乗っていても何が起きるかわからない時代です。 スマホばっかりやってないで、周辺に目をやり、いろいろ想像してみることですね。 それだけでも心の柔軟性は養われます。 スマホの狭い画面ばかり見ていては得られない、心の世界を広げる情報がそこにあります。  
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2021.11.04

認知症の教室(専門職用)
耳を澄ませば・実践編 音は意外と気になるものです。 イヤホンで聞く人がノイズキャンセラーを使うのは、 雑音(自分にとって不快な音)が多いからでしょう。 では、自分の身の回りのことの全てが不確かな(認識する機能が弱まっている)状況にある認知症の人には、 周囲の様々な音(もちろん人の声も含みます)はどのように感じているのでしょうか? あくまでも模擬的な体感になりますが、普段真剣に考えることのない音について 考えてみましょう。 🙉 聞か猿ではありません 【実践条件】 *「耳を澄ませば実践者」は、ケアの現場のどこかの場所(できれば利用者が普段いる場所)に座ります。 *「耳を澄ませば実践者」は、基本目をつぶります。目隠ししたほうが実験を周囲の人に理解しやすいと思いますが、危険察知に備えてすぐに外せるようにしておきます。 *実践時間は何時でも構いませんが、認知症の人が落ち着かなくなる時間帯、職員が動き回っている時間帯など、この時の「音」について確認したい時間帯を選びます。 *1回10分程度(もう少し短くてもよい)で行います。 *「耳を澄ませば実践者」は壁と同じ存在になりますので、業務にもかかわりませんし、利用者のケアにも関わりません(危険を察知した場合はのぞく) *「耳を澄ませば実践者」の大変なところは、もちろん「聴く」ことに集中することですが、「感じたことを記憶する」という作業があります。 *記憶したものは、下記書式にまとめます。 聞き耳を立て、親やグループの情報を集めています。   何人かで行うのが良いでしょう。 そして心地よい音と、そうでない音を自覚し、ケアの改善に繋げてもらえればいいでしょう。   (写真は石川撮影分です。箕面の猿ではありません)
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2021.11.02

認知症の教室(専門職用)
耳を澄ませば… 私たちは耳を澄まして聞くと言うことをどれだけやっているでしょうか? 静かな所に行けば、聞こえてくるのは耳鳴りだけっていう人もいるかもしれません。 でも一度自然の中で耳を澄ませてみれば、様々な大地の息吹(生命体の声も含む)が聴こえてきます。 私は人の少ない大自然の山の中に行くのが好きなのですが、これは先日撮影した写真。 この場所で聴こえてきたものは、 木々の中を通り過ぎる風の音、雪の囁き、鳥の囀り、森たちの呟き(木と木が触れ合う音)、 波の囁き、遠くから聞こえる鹿の鳴き声、そして登山者の話し声… 耳鳴りのする私の耳ですが、ここでは影を潜めています。 耳を澄ませば色々な音があることが伝わってきます。 都会でもじっと聞いていれば、様々な音に溢れていることがわかります。 あべのハルカスからも、こっちを見ている人がいたのでしょうね。 では場所を変えて。 一度施設のどこかのフロアで、じっと耳を澄ませて聴こえてくるものを分析してみてはどうでしょうか。 当たり前のように溢れている音が、(人の声も当然)実はとても不快なもの、あるいはその逆もあるかもしれません。 認知症の人の場合、特に認識力が落ちてしまいます。 私たちが理解できた音でも、本人にとってはとても不快な(理解できない音や声)音かもしれません。 例えば台車を転がす音が理解できなければ、それは不安につながる音かもしれないのです。 当たり前のように流れている時間、そして当たり前のように溢れるくらい多い様々な音 一度立ち止って、耳を澄ませてみてください。 目をつぶって耳を澄ませば、もしかしたら不安になる音ばかりかもしれませんよ。 どのような音や声が心落ち着くのか、そうでない音なのか、何かを感じてみてください。
ブログ投稿画像 11月29、30の両日、法人職員による研究発表会がありました。(連日18時30分から21時まで) 毎年行われているもので、今年で8回目になります。 今回も様々な部署から熱意のある取組み研究発表がありました。 時間が5分に限られているので、発表側もその中でまとめるのに苦労されたのではないかと思います。 その見せ方も様々で、ドラマ風のユニークな発表もありました。バラエティに富んでいいと思います。 [caption id="attachment_3309" align="alignnone" width="1024"] 怪しい[/caption] このように研究発表をするということは、まず「考える」つまり探究心を働かせることになります。 原因・背景・理由を考えるだけでなく、想定や推測などの想像力を働かせることにもなり、 他者の発表を聴くことで、創造力にも繋がっていきます。 [caption id="attachment_3310" align="alignnone" width="1024"] とても怪しい[/caption] ケアの世界はともすれば狭い世界しか知らない閉鎖的かつネガティブ思考に働くことが多いと言えます。 その世界を広め、ポジティブ思考に転換するには、やはり「探求(究)心」を持つこと。 それを常日頃心掛けることでしょう。   ケアで何か困ったことが起きた時、 すぐに、どうしたらいいかわからない、どうしようもないのなどと考えるのではなく、 「わからないことがわかったら、めちゃ嬉しいやん!」と考えて、「探求(究)心」を働かすことですね。 [caption id="attachment_3200" align="alignnone" width="810"] 三千メートルの山からの景色です[/caption] 「わからない」とあきらめる前に、「なるほど、そうだったのか!」となるように、 「探求(究)心」を働かせましょう。 [caption id="attachment_3102" align="alignnone" width="960"] 天狗にならないよう、ときには鼻をつまむことです。[/caption]   「わからない」は、あきらめるために存在するのではなく、 「わかる」ために存在しているのです。 「わからない」を乗り越えて人は成長していくのです。
ブログ投稿画像 以前にも実際に見えているものは、一人ひとり解釈が違うと書きました。 例えば下記の猿の写真 人それぞれに感想は違うと思います。 「サル、怖い!」「襲われそう!」「野生やな。」「サル、嫌い!」「何見てんのやろ?」「誰かに似てる」「凛々しい顔やな。」等々… 「怖い!」という傾向はあるかもしれませんが、同じ写真に人それぞれに色々な感想をもつでしょう。 では下記の写真ではどんな感想をもつでしょうか? 「気持ちよさそうやな。」「いい匂いするんかな?」「なんの花?なんやろ」「サルでもいい匂いってわかるんかな?」「サルでも心地よいのがわかるんやな」「なんかほっとする風景」等々… 一枚目の写真同様、人それぞれに様々な感想をもつでしょう。 このように、同じ写真を見ていても、ひとりひとり解釈は違ってきます。 この解釈の違いは、当然ケア実践者の間でも起きます。 ですから、意見のすり合わせが必要なのです。 勝手な思い込みで動かないことです。   ところでこの二枚の写真の猿、同じ猿なんですよね。 一枚目の猿の表情は厳しく、二枚目の猿の表情は穏やかです。 猿にも表情があるのだと言うことです。 ところが二枚目の写真を見なければ、猿に対して二枚目の写真にあるような穏やかな感想は持たないでしょう。 そして一枚目の写真の印象が、固定観念として残っていきます。 そのことが、見えているものの判断を狂わせていくのです。 たかが猿の写真。 でも探求心を働かせ、思考を展開させれば、色々なことがわかるかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先日某県の認知症研修に行ってきました。 9時から5時までしゃべり詰めのリモート研修で、ちょっと大変でしたが、 教える側でありながら、学びも多くありました。 研修は教えているつもりが逆に学びも多く得られるのでいいですね。 さてそのひとつ。 カンファレンスを行う上においての情報について。 ①ケア側が欲しい情報とは何か ②利用者が思っているケア側に知って欲しい情報とは何か について、ブレイクアウトルームで議論してもらいました。   5つのグループから出た意見を大雑把にまとめてみると、 ①では、・ライフスタイルやライフヒストリー ・身体状況(既往歴) ・パーソナリティ ・課題となる行動 ・家族との関係性 など、アセスメント項目などが多く上がりました。 一方2⃣では、①の項目はあるものの、今思ってること (家に帰りたい、苦しみをわかって欲しい、自由にさせて、寂しい、痛い等) が多く上がりました。 つまり利用者視点になって考えると、「今、この時間の気持ちを知って欲しい」と言うことになります。 ここに大きな乖離がありますね。 ケアスタッフの考えと、利用者の考えは、色々な場面で乖離しているかもしれません。 もちろん、①で挙げられたようなアセスメント情報は必要不可欠なものです。 しかし利用者 (人生の時間がもうあまりないと感じている) にしてみれば、自分のライフヒストリーなんか今はどうでもいい、今、この時を心地よく生きたいという思いの方が大きいでしょう。     ではこの乖離はどうしたら埋められるのか? やはり、まずは「利用者の話を聴くこと。」 ここからがスタートです。 信頼関係が出来、穏やかな時間が作れれば、 ライフヒストリーの情報を元にした「語らい」もできるようになるでしょう。   私たちが思っている以上に、ケア側と利用者の思考は離れているかもしれません。 耳を傾けるのは、人のうわさ話ではなく、利用者の声なのです。
ブログ投稿画像 「相手の気持ちになって考えよう」と、 ケアの現場ではよく言われます。 しかし人間は、自分の心の中には自分の考えが一杯詰まっているので 本来、相手の気持ちを考え、さらに受容すると言うのはとても苦手なのです。 SNSで平気でいじめをしてしまうのも、 相手の気持ちなど全く考えないからです。 しかし私たちの仕事は、「相手の気持ちを考えたり、受け止めたりすること」 それが出来なければ、専門職としての魅力は半減します。 この仕事に就いたからには、ケアの実践者として「自分はどうありたいのか」と 問いかけなければならないでしょう。 「相手の気持ちを考える」 そのため普段から柔らかい思考を持たなければなりません。 日頃から相手はどう思っているのだろうか?と考える姿勢が必要です。 ちょっとでいいのです。 ほんの少し立ち止まり、相手の気持ちを考える時間を持ちます。 そのトレーニングのひとつとして、どんなものにも声を掛け、 何を思っているのか想像するという、擬人化トレーニングをすることです。 それを普段からちょくちょく行うことです。 以下の3枚のお猿の写真は、私が撮影したものですが、 1枚1枚の写真に、「お猿の気持ち(思っていること)」を考えてみて、 書いてみてください。 ちょっとしたショートストーリーが出来るかもしれませんよ。       どうでしょうか。一枚一枚にお猿の気持ちを想像して書いてみる。 この瞬間に、あなたは「お猿の立場」で考えています。 どんなものでもいいので、ちょっと立ち止って、考えてみる。 そんなトレーニングをやってみてください。 今は電車に乗っていても何が起きるかわからない時代です。 スマホばっかりやってないで、周辺に目をやり、いろいろ想像してみることですね。 それだけでも心の柔軟性は養われます。 スマホの狭い画面ばかり見ていては得られない、心の世界を広げる情報がそこにあります。  
ブログ投稿画像 音は意外と気になるものです。 イヤホンで聞く人がノイズキャンセラーを使うのは、 雑音(自分にとって不快な音)が多いからでしょう。 では、自分の身の回りのことの全てが不確かな(認識する機能が弱まっている)状況にある認知症の人には、 周囲の様々な音(もちろん人の声も含みます)はどのように感じているのでしょうか? あくまでも模擬的な体感になりますが、普段真剣に考えることのない音について 考えてみましょう。 [caption id="attachment_3243" align="alignnone" width="1024"] 🙉 聞か猿ではありません[/caption] 【実践条件】 *「耳を澄ませば実践者」は、ケアの現場のどこかの場所(できれば利用者が普段いる場所)に座ります。 *「耳を澄ませば実践者」は、基本目をつぶります。目隠ししたほうが実験を周囲の人に理解しやすいと思いますが、危険察知に備えてすぐに外せるようにしておきます。 *実践時間は何時でも構いませんが、認知症の人が落ち着かなくなる時間帯、職員が動き回っている時間帯など、この時の「音」について確認したい時間帯を選びます。 *1回10分程度(もう少し短くてもよい)で行います。 *「耳を澄ませば実践者」は壁と同じ存在になりますので、業務にもかかわりませんし、利用者のケアにも関わりません(危険を察知した場合はのぞく) *「耳を澄ませば実践者」の大変なところは、もちろん「聴く」ことに集中することですが、「感じたことを記憶する」という作業があります。 *記憶したものは、下記書式にまとめます。 [caption id="attachment_3241" align="alignnone" width="1024"] 聞き耳を立て、親やグループの情報を集めています。[/caption]   何人かで行うのが良いでしょう。 そして心地よい音と、そうでない音を自覚し、ケアの改善に繋げてもらえればいいでしょう。   (写真は石川撮影分です。箕面の猿ではありません)
ブログ投稿画像 私たちは耳を澄まして聞くと言うことをどれだけやっているでしょうか? 静かな所に行けば、聞こえてくるのは耳鳴りだけっていう人もいるかもしれません。 でも一度自然の中で耳を澄ませてみれば、様々な大地の息吹(生命体の声も含む)が聴こえてきます。 私は人の少ない大自然の山の中に行くのが好きなのですが、これは先日撮影した写真。 この場所で聴こえてきたものは、 木々の中を通り過ぎる風の音、雪の囁き、鳥の囀り、森たちの呟き(木と木が触れ合う音)、 波の囁き、遠くから聞こえる鹿の鳴き声、そして登山者の話し声… 耳鳴りのする私の耳ですが、ここでは影を潜めています。 耳を澄ませば色々な音があることが伝わってきます。 都会でもじっと聞いていれば、様々な音に溢れていることがわかります。 [caption id="attachment_2035" align="alignnone" width="650"] あべのハルカスからも、こっちを見ている人がいたのでしょうね。[/caption] では場所を変えて。 一度施設のどこかのフロアで、じっと耳を澄ませて聴こえてくるものを分析してみてはどうでしょうか。 当たり前のように溢れている音が、(人の声も当然)実はとても不快なもの、あるいはその逆もあるかもしれません。 認知症の人の場合、特に認識力が落ちてしまいます。 私たちが理解できた音でも、本人にとってはとても不快な(理解できない音や声)音かもしれません。 例えば台車を転がす音が理解できなければ、それは不安につながる音かもしれないのです。 当たり前のように流れている時間、そして当たり前のように溢れるくらい多い様々な音 一度立ち止って、耳を澄ませてみてください。 目をつぶって耳を澄ませば、もしかしたら不安になる音ばかりかもしれませんよ。 どのような音や声が心落ち着くのか、そうでない音なのか、何かを感じてみてください。