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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2021.12.22

認知症の教室(専門職用)
第71回英田認知症ケアネットワーク委員会開催される。 センター長の石川です。 第71回目になりますネットワーク委員会が21日開催されました。 コロナ禍において、委員会の活動が制限される中でも継続的に開催されてきています。 地域の代表からの地域住民の状況や 社会福祉協議会、市の状況 そして医療関係者からの状況報告など 各分野からの活発な意見をいただきました。 地域においては各区ごとに行事の再開についてはでこぼこがあるようで 活動をオープンにしているところもあれば、まだストップの所があるなど 様々なようです。 今現在では感染者数は減っているとはいえ、オミクロン株など 新たな脅威が迫っており、まだ慎重にならざるおえない状況と言えるでしょう。 そのような中でも、オンラインによる介護者へのアプローチなど 考えていけることはそれなりにありそうです。 また、安心声掛け訓練も、英田南校区において3月12日に開催することが決まりました。 委員の中には、シンポジウムや出前講座など早く再開したいね~という意見も はてさて、この冬、私たちはコロナ禍をどう乗り切れるのか。 まだ、行く先は不透明 しかし、やれることはやっていく という所でしょうか。          
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2021.12.17

認知症の教室(専門職用)
記憶と感情(2) これは研修でよく使うスライドです。 何を言いたいかというと、 人間は生命本能的に自己保全が働くので、 生きていくためには自分に関わる人たちが、 自分が心地よく生きられる人なのかどうかを 見極めていくということなのです。 ここでは感覚的なものと書いていますが、 それが感情と言えます。 自分にとって目の前の人が良い人なのか悪い人なのか 自己防衛上判断するのが、感情です。 いわゆる気分を害する、或いは気分が良くなるということです。 その感情が心に残り、人の見極めに繋がります。 ここで矛盾が生じます。 記憶することが厳しいはずなのに、何故嫌な人のことは記憶に残っているのか? ただここで言えることは、「感情を害する」ことが生じた 具体的内容は覚えていないということです。 「怒鳴られた」「強引に引っ張られた」「睨まれた」など、 実際の具体的出来事は覚えてないことが多いのです。(余ほど衝撃的なものでない限り) だけど感情を害された(自分にとってとても嫌なことが生じた)出来事がきっかけで、 不穏、混乱に繋がってしまうのです。 しかし、具体的に何をされたかは覚えていなくても、 「自分の感情を害した人」のことは覚えている。 何故なのでしょう? もう少し探求してみたいと思います。   (つづく)
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2021.12.16

認知症の教室(専門職用)
記憶と感情(1) 先日藤戸小学校にキッズサポーター講座に行った時の事です。 覚えられなくなる仕組みについて話をした後、ある児童からこんな発言がありました。 「認知症になったら嫌なこともすぐ忘れるからいいと思う。」 この言葉がかなり私には引っ掛かりました。 もちろんこのように思っている人は大人にもいます。 しかしながら、「嫌なことは認知症の人の気持ちにも残っている」事実が多々あるのです。 「嫌なことは記憶に残るんだよ。」という説明を子どもにするとしたならば、 それは「覚えられない」と話したことと矛盾してしまいます。 この素朴な子どもの発言にうまく答えられない そう思うとその児童の言葉が、私の探求心へと繋がっていきました。 わかっているつもりでわかっていない そんな自分がいるのも事実です。 私は研修でよく話しているのですが、「感情は生きている」ということ。 例えば、不快な思いをさせた職員を毛嫌いする方。 その職員が自分に不快なことをしたと覚えているのですよね。 反対に心地よい対応をしてくれた職員のことも覚えている。 ところが、覚えられないことが基本にあるのに、 何故感情的なことは覚えているのだろうか? このことについて「感情的」な側面と「科学的」な側面と、両方から考えてみたいと思います。 (つづく)
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2021.12.11

認知症の教室(専門職用)
キッズサポーター新たな取組とISS センター長の石川です。 10日、藤戸小学校3年生(2クラス総数49名)に キッズサポーター講座を実施しました。 マンモス校の英田北小学校からすると、ほんとに少ないですね。 さて、今回は演技で見てもらうだけでない、 児童たちにも参加してもらう取り組みを行いました。 (顔が写ってしまうので、その場面の写真はありません) 伝言ゲームをベースに、もし途中の伝言者がいなくなったら 上手く伝えられなくなる、というのを児童たちに実演してもらいました。 なかなか脳の仕組みを理解するのは難しいと思いますが、 聞くだけよりは、わかったのではないかと思います。 反省点としては、子ども受けの写真は、それに引っ張られてしまうので もう少し工夫が必要かなと感じました。 「認知症はすぐに忘れてしまうから、嫌なことがあってもそれを覚えないからいいやん」 という感想を述べた児童もいました。 なるほど。素直に色々感想を持つことはいいことですね。 (あとでこっそりと、でも嫌なことは残ってしまうということを個別に伝えました) 「ばばあ」と言った児童がいたので、それは注意しましたが、 先生のフォローもあり、児童たちはみんな関心を持ってくれたようです。 これは大人用です。児童用は「キッズサポーター」と書かれています。 ただ「キッズサポータカード」ですが、「それってなんに使えるん?」という質問があり。 確かに「カード」とくれば、何かに使えるのかと今の児童たちは思ってしまいますよね。 講座を受けたステイタスなんてことはわかるはずもありません。 まだオレンジリングの方がステイタス感はありますね。 話は変わりますが、9日の夕方、大阪上空をISS(国際宇宙ステーション)が通過していきました。 大金持ちのボンボンに向かって手を振ったのですが、反応なし。 せめて窓から顔出して、手を振って欲しかったな~(笑) 生駒山の彼方に消えていきました。 これはスマホで撮ったもの。 案外と見えるものなので、次回大阪上空を通るときは空を見上げてみてください。        
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2021.12.09

認知症の教室(専門職用)
心のワクドキはおもしろい 「わからない」は、あきらめるために存在するのではなく、 「わかる」ために存在しているのです。  つまり、「わからない」があるからこそ、前進(成長)することが出来ると言うことです。 介護の仕事に就いているということは、その仕事の専門職と言うことになります。 専門職の凄いところは、常に考えていく姿勢ですね。 「わからないからもういいや」では、なんかもったいないですね。自分の人生が。 「わからないことは調べてみよう、探求してみよう」 そう思うだけで、心が動き出しますし、さすが専門職だな~と思うところでしょう。 あの森の向こうにはなにがあるのだろうか? この道はどこへ続いているのだろうか? それは行ってみないとわからないのです。 だから冒険心を持って進んでみると、心がワクワクしてきます (もちろん不安のドキドキもあるけれど) たった一度しかない人生、少しスパイスを効かせてワクワクドキドキしてみましょう。 休みになると、山を歩いている私。 最近は若い女性も増えました。単独の方も結構います。山ガール。 先日は六甲のマヤ遺跡のある山へ。 そこで、ほんの数メートル前にいたイノッシーとアイコンタクト。 こんな冒険も楽しんでいます。
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2021.12.01

認知症の教室(専門職用)
法人職員による取組研究発表会開催される 11月29、30の両日、法人職員による研究発表会がありました。(連日18時30分から21時まで) 毎年行われているもので、今年で8回目になります。 今回も様々な部署から熱意のある取組み研究発表がありました。 時間が5分に限られているので、発表側もその中でまとめるのに苦労されたのではないかと思います。 その見せ方も様々で、ドラマ風のユニークな発表もありました。バラエティに富んでいいと思います。 怪しい このように研究発表をするということは、まず「考える」つまり探究心を働かせることになります。 原因・背景・理由を考えるだけでなく、想定や推測などの想像力を働かせることにもなり、 他者の発表を聴くことで、創造力にも繋がっていきます。 とても怪しい ケアの世界はともすれば狭い世界しか知らない閉鎖的かつネガティブ思考に働くことが多いと言えます。 その世界を広め、ポジティブ思考に転換するには、やはり「探求(究)心」を持つこと。 それを常日頃心掛けることでしょう。   ケアで何か困ったことが起きた時、 すぐに、どうしたらいいかわからない、どうしようもないのなどと考えるのではなく、 「わからないことがわかったら、めちゃ嬉しいやん!」と考えて、「探求(究)心」を働かすことですね。 三千メートルの山からの景色です 「わからない」とあきらめる前に、「なるほど、そうだったのか!」となるように、 「探求(究)心」を働かせましょう。 天狗にならないよう、ときには鼻をつまむことです。   「わからない」は、あきらめるために存在するのではなく、 「わかる」ために存在しているのです。 「わからない」を乗り越えて人は成長していくのです。
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2021.11.30

認知症の教室(専門職用)
猿の表情から分かること 以前にも実際に見えているものは、一人ひとり解釈が違うと書きました。 例えば下記の猿の写真 人それぞれに感想は違うと思います。 「サル、怖い!」「襲われそう!」「野生やな。」「サル、嫌い!」「何見てんのやろ?」「誰かに似てる」「凛々しい顔やな。」等々… 「怖い!」という傾向はあるかもしれませんが、同じ写真に人それぞれに色々な感想をもつでしょう。 では下記の写真ではどんな感想をもつでしょうか? 「気持ちよさそうやな。」「いい匂いするんかな?」「なんの花?なんやろ」「サルでもいい匂いってわかるんかな?」「サルでも心地よいのがわかるんやな」「なんかほっとする風景」等々… 一枚目の写真同様、人それぞれに様々な感想をもつでしょう。 このように、同じ写真を見ていても、ひとりひとり解釈は違ってきます。 この解釈の違いは、当然ケア実践者の間でも起きます。 ですから、意見のすり合わせが必要なのです。 勝手な思い込みで動かないことです。   ところでこの二枚の写真の猿、同じ猿なんですよね。 一枚目の猿の表情は厳しく、二枚目の猿の表情は穏やかです。 猿にも表情があるのだと言うことです。 ところが二枚目の写真を見なければ、猿に対して二枚目の写真にあるような穏やかな感想は持たないでしょう。 そして一枚目の写真の印象が、固定観念として残っていきます。 そのことが、見えているものの判断を狂わせていくのです。 たかが猿の写真。 でも探求心を働かせ、思考を展開させれば、色々なことがわかるかもしれません。
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2021.11.27

認知症の教室(専門職用)
傾聴すべきは… センター長の石川です。 先日某県の認知症研修に行ってきました。 9時から5時までしゃべり詰めのリモート研修で、ちょっと大変でしたが、 教える側でありながら、学びも多くありました。 研修は教えているつもりが逆に学びも多く得られるのでいいですね。 さてそのひとつ。 カンファレンスを行う上においての情報について。 ①ケア側が欲しい情報とは何か ②利用者が思っているケア側に知って欲しい情報とは何か について、ブレイクアウトルームで議論してもらいました。   5つのグループから出た意見を大雑把にまとめてみると、 ①では、・ライフスタイルやライフヒストリー ・身体状況(既往歴) ・パーソナリティ ・課題となる行動 ・家族との関係性 など、アセスメント項目などが多く上がりました。 一方2⃣では、①の項目はあるものの、今思ってること (家に帰りたい、苦しみをわかって欲しい、自由にさせて、寂しい、痛い等) が多く上がりました。 つまり利用者視点になって考えると、「今、この時間の気持ちを知って欲しい」と言うことになります。 ここに大きな乖離がありますね。 ケアスタッフの考えと、利用者の考えは、色々な場面で乖離しているかもしれません。 もちろん、①で挙げられたようなアセスメント情報は必要不可欠なものです。 しかし利用者 (人生の時間がもうあまりないと感じている) にしてみれば、自分のライフヒストリーなんか今はどうでもいい、今、この時を心地よく生きたいという思いの方が大きいでしょう。     ではこの乖離はどうしたら埋められるのか? やはり、まずは「利用者の話を聴くこと。」 ここからがスタートです。 信頼関係が出来、穏やかな時間が作れれば、 ライフヒストリーの情報を元にした「語らい」もできるようになるでしょう。   私たちが思っている以上に、ケア側と利用者の思考は離れているかもしれません。 耳を傾けるのは、人のうわさ話ではなく、利用者の声なのです。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 第71回目になりますネットワーク委員会が21日開催されました。 コロナ禍において、委員会の活動が制限される中でも継続的に開催されてきています。 地域の代表からの地域住民の状況や 社会福祉協議会、市の状況 そして医療関係者からの状況報告など 各分野からの活発な意見をいただきました。 地域においては各区ごとに行事の再開についてはでこぼこがあるようで 活動をオープンにしているところもあれば、まだストップの所があるなど 様々なようです。 今現在では感染者数は減っているとはいえ、オミクロン株など 新たな脅威が迫っており、まだ慎重にならざるおえない状況と言えるでしょう。 そのような中でも、オンラインによる介護者へのアプローチなど 考えていけることはそれなりにありそうです。 また、安心声掛け訓練も、英田南校区において3月12日に開催することが決まりました。 委員の中には、シンポジウムや出前講座など早く再開したいね~という意見も はてさて、この冬、私たちはコロナ禍をどう乗り切れるのか。 まだ、行く先は不透明 しかし、やれることはやっていく という所でしょうか。          
ブログ投稿画像 これは研修でよく使うスライドです。 何を言いたいかというと、 人間は生命本能的に自己保全が働くので、 生きていくためには自分に関わる人たちが、 自分が心地よく生きられる人なのかどうかを 見極めていくということなのです。 ここでは感覚的なものと書いていますが、 それが感情と言えます。 自分にとって目の前の人が良い人なのか悪い人なのか 自己防衛上判断するのが、感情です。 いわゆる気分を害する、或いは気分が良くなるということです。 その感情が心に残り、人の見極めに繋がります。 ここで矛盾が生じます。 記憶することが厳しいはずなのに、何故嫌な人のことは記憶に残っているのか? ただここで言えることは、「感情を害する」ことが生じた 具体的内容は覚えていないということです。 「怒鳴られた」「強引に引っ張られた」「睨まれた」など、 実際の具体的出来事は覚えてないことが多いのです。(余ほど衝撃的なものでない限り) だけど感情を害された(自分にとってとても嫌なことが生じた)出来事がきっかけで、 不穏、混乱に繋がってしまうのです。 しかし、具体的に何をされたかは覚えていなくても、 「自分の感情を害した人」のことは覚えている。 何故なのでしょう? もう少し探求してみたいと思います。   (つづく)
ブログ投稿画像 先日藤戸小学校にキッズサポーター講座に行った時の事です。 覚えられなくなる仕組みについて話をした後、ある児童からこんな発言がありました。 「認知症になったら嫌なこともすぐ忘れるからいいと思う。」 この言葉がかなり私には引っ掛かりました。 もちろんこのように思っている人は大人にもいます。 しかしながら、「嫌なことは認知症の人の気持ちにも残っている」事実が多々あるのです。 「嫌なことは記憶に残るんだよ。」という説明を子どもにするとしたならば、 それは「覚えられない」と話したことと矛盾してしまいます。 この素朴な子どもの発言にうまく答えられない そう思うとその児童の言葉が、私の探求心へと繋がっていきました。 わかっているつもりでわかっていない そんな自分がいるのも事実です。 私は研修でよく話しているのですが、「感情は生きている」ということ。 例えば、不快な思いをさせた職員を毛嫌いする方。 その職員が自分に不快なことをしたと覚えているのですよね。 反対に心地よい対応をしてくれた職員のことも覚えている。 ところが、覚えられないことが基本にあるのに、 何故感情的なことは覚えているのだろうか? このことについて「感情的」な側面と「科学的」な側面と、両方から考えてみたいと思います。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 10日、藤戸小学校3年生(2クラス総数49名)に キッズサポーター講座を実施しました。 マンモス校の英田北小学校からすると、ほんとに少ないですね。 さて、今回は演技で見てもらうだけでない、 児童たちにも参加してもらう取り組みを行いました。 (顔が写ってしまうので、その場面の写真はありません) 伝言ゲームをベースに、もし途中の伝言者がいなくなったら 上手く伝えられなくなる、というのを児童たちに実演してもらいました。 なかなか脳の仕組みを理解するのは難しいと思いますが、 聞くだけよりは、わかったのではないかと思います。 反省点としては、子ども受けの写真は、それに引っ張られてしまうので もう少し工夫が必要かなと感じました。 「認知症はすぐに忘れてしまうから、嫌なことがあってもそれを覚えないからいいやん」 という感想を述べた児童もいました。 なるほど。素直に色々感想を持つことはいいことですね。 (あとでこっそりと、でも嫌なことは残ってしまうということを個別に伝えました) 「ばばあ」と言った児童がいたので、それは注意しましたが、 先生のフォローもあり、児童たちはみんな関心を持ってくれたようです。 [caption id="attachment_3337" align="alignnone" width="1024"] これは大人用です。児童用は「キッズサポーター」と書かれています。[/caption] ただ「キッズサポータカード」ですが、「それってなんに使えるん?」という質問があり。 確かに「カード」とくれば、何かに使えるのかと今の児童たちは思ってしまいますよね。 講座を受けたステイタスなんてことはわかるはずもありません。 まだオレンジリングの方がステイタス感はありますね。 話は変わりますが、9日の夕方、大阪上空をISS(国際宇宙ステーション)が通過していきました。 大金持ちのボンボンに向かって手を振ったのですが、反応なし。 せめて窓から顔出して、手を振って欲しかったな~(笑) 生駒山の彼方に消えていきました。 これはスマホで撮ったもの。 案外と見えるものなので、次回大阪上空を通るときは空を見上げてみてください。        
ブログ投稿画像 「わからない」は、あきらめるために存在するのではなく、 「わかる」ために存在しているのです。  つまり、「わからない」があるからこそ、前進(成長)することが出来ると言うことです。 介護の仕事に就いているということは、その仕事の専門職と言うことになります。 専門職の凄いところは、常に考えていく姿勢ですね。 「わからないからもういいや」では、なんかもったいないですね。自分の人生が。 「わからないことは調べてみよう、探求してみよう」 そう思うだけで、心が動き出しますし、さすが専門職だな~と思うところでしょう。 あの森の向こうにはなにがあるのだろうか? この道はどこへ続いているのだろうか? それは行ってみないとわからないのです。 だから冒険心を持って進んでみると、心がワクワクしてきます (もちろん不安のドキドキもあるけれど) たった一度しかない人生、少しスパイスを効かせてワクワクドキドキしてみましょう。 休みになると、山を歩いている私。 最近は若い女性も増えました。単独の方も結構います。山ガール。 先日は六甲のマヤ遺跡のある山へ。 そこで、ほんの数メートル前にいたイノッシーとアイコンタクト。 こんな冒険も楽しんでいます。
ブログ投稿画像 11月29、30の両日、法人職員による研究発表会がありました。(連日18時30分から21時まで) 毎年行われているもので、今年で8回目になります。 今回も様々な部署から熱意のある取組み研究発表がありました。 時間が5分に限られているので、発表側もその中でまとめるのに苦労されたのではないかと思います。 その見せ方も様々で、ドラマ風のユニークな発表もありました。バラエティに富んでいいと思います。 [caption id="attachment_3309" align="alignnone" width="1024"] 怪しい[/caption] このように研究発表をするということは、まず「考える」つまり探究心を働かせることになります。 原因・背景・理由を考えるだけでなく、想定や推測などの想像力を働かせることにもなり、 他者の発表を聴くことで、創造力にも繋がっていきます。 [caption id="attachment_3310" align="alignnone" width="1024"] とても怪しい[/caption] ケアの世界はともすれば狭い世界しか知らない閉鎖的かつネガティブ思考に働くことが多いと言えます。 その世界を広め、ポジティブ思考に転換するには、やはり「探求(究)心」を持つこと。 それを常日頃心掛けることでしょう。   ケアで何か困ったことが起きた時、 すぐに、どうしたらいいかわからない、どうしようもないのなどと考えるのではなく、 「わからないことがわかったら、めちゃ嬉しいやん!」と考えて、「探求(究)心」を働かすことですね。 [caption id="attachment_3200" align="alignnone" width="810"] 三千メートルの山からの景色です[/caption] 「わからない」とあきらめる前に、「なるほど、そうだったのか!」となるように、 「探求(究)心」を働かせましょう。 [caption id="attachment_3102" align="alignnone" width="960"] 天狗にならないよう、ときには鼻をつまむことです。[/caption]   「わからない」は、あきらめるために存在するのではなく、 「わかる」ために存在しているのです。 「わからない」を乗り越えて人は成長していくのです。
ブログ投稿画像 以前にも実際に見えているものは、一人ひとり解釈が違うと書きました。 例えば下記の猿の写真 人それぞれに感想は違うと思います。 「サル、怖い!」「襲われそう!」「野生やな。」「サル、嫌い!」「何見てんのやろ?」「誰かに似てる」「凛々しい顔やな。」等々… 「怖い!」という傾向はあるかもしれませんが、同じ写真に人それぞれに色々な感想をもつでしょう。 では下記の写真ではどんな感想をもつでしょうか? 「気持ちよさそうやな。」「いい匂いするんかな?」「なんの花?なんやろ」「サルでもいい匂いってわかるんかな?」「サルでも心地よいのがわかるんやな」「なんかほっとする風景」等々… 一枚目の写真同様、人それぞれに様々な感想をもつでしょう。 このように、同じ写真を見ていても、ひとりひとり解釈は違ってきます。 この解釈の違いは、当然ケア実践者の間でも起きます。 ですから、意見のすり合わせが必要なのです。 勝手な思い込みで動かないことです。   ところでこの二枚の写真の猿、同じ猿なんですよね。 一枚目の猿の表情は厳しく、二枚目の猿の表情は穏やかです。 猿にも表情があるのだと言うことです。 ところが二枚目の写真を見なければ、猿に対して二枚目の写真にあるような穏やかな感想は持たないでしょう。 そして一枚目の写真の印象が、固定観念として残っていきます。 そのことが、見えているものの判断を狂わせていくのです。 たかが猿の写真。 でも探求心を働かせ、思考を展開させれば、色々なことがわかるかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先日某県の認知症研修に行ってきました。 9時から5時までしゃべり詰めのリモート研修で、ちょっと大変でしたが、 教える側でありながら、学びも多くありました。 研修は教えているつもりが逆に学びも多く得られるのでいいですね。 さてそのひとつ。 カンファレンスを行う上においての情報について。 ①ケア側が欲しい情報とは何か ②利用者が思っているケア側に知って欲しい情報とは何か について、ブレイクアウトルームで議論してもらいました。   5つのグループから出た意見を大雑把にまとめてみると、 ①では、・ライフスタイルやライフヒストリー ・身体状況(既往歴) ・パーソナリティ ・課題となる行動 ・家族との関係性 など、アセスメント項目などが多く上がりました。 一方2⃣では、①の項目はあるものの、今思ってること (家に帰りたい、苦しみをわかって欲しい、自由にさせて、寂しい、痛い等) が多く上がりました。 つまり利用者視点になって考えると、「今、この時間の気持ちを知って欲しい」と言うことになります。 ここに大きな乖離がありますね。 ケアスタッフの考えと、利用者の考えは、色々な場面で乖離しているかもしれません。 もちろん、①で挙げられたようなアセスメント情報は必要不可欠なものです。 しかし利用者 (人生の時間がもうあまりないと感じている) にしてみれば、自分のライフヒストリーなんか今はどうでもいい、今、この時を心地よく生きたいという思いの方が大きいでしょう。     ではこの乖離はどうしたら埋められるのか? やはり、まずは「利用者の話を聴くこと。」 ここからがスタートです。 信頼関係が出来、穏やかな時間が作れれば、 ライフヒストリーの情報を元にした「語らい」もできるようになるでしょう。   私たちが思っている以上に、ケア側と利用者の思考は離れているかもしれません。 耳を傾けるのは、人のうわさ話ではなく、利用者の声なのです。