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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2021.07.31

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の気持ちをどう理解する?(5)「認知機能ってなんだ?」 Aさんの思いを知るためには、まず「認知機能」と言うものを理解しなくてはなりません。 私たちにとって当たり前にある機能が、認知症になると当り前に働かなくなることなのです。 「認知症」といっても様々な症状があります(アルツハイマー病や脳血管性、レビー小体など) この件についてはあらためてお話しするとして、認知症は、「認知機能の低下」が主体となります。 じゃあ、認知機能ってなあに?と言うことになりますね。 認知機能とは、物事を判断する力なのですね。 (カエルだとわかります。本物のカエルではないので、かわいい飾りと判断します。これも認知機能です) 自分を取り巻く全ての状況を一瞬に判断するのが「認知機能」です。 私たちの日々の生活は、物事を判断して行動することの連続で成り立っているのです。 今見えてること聞こえてること感じていること、 それらを一瞬に判断して私たちは生活しています。 日々の活動は、認知機能が保たれることで成り立っているのです。 普段の私たちが、当たり前のように感じ、判断することを瞬時に行っているのが認知機能です。 そして認知症は、その当たり前のことが出来なくなることなのです。 「シチダンカ」希少な花だそうです。 分かりやすく言えば、「あいうえお」と言われた時に、瞬間的に「あいうえお」と言われたことを認識し、 ほぼ同時に、「なんで「あいうえお」やねん。」と自分が感じること、 これらがすべて認知機能の働きがあっての活動です。 認知機能が正常に働いて、何を言われたのか、それにどのような意味があるのかを瞬時に判断し、 相手に聞き返すことにも繋がっていきます。 ところが認知症ではこの認知機能がダメージを受けてしまいます。 つまり瞬時に判断し、行動するということが出来なくなるのです。 「あいうえお」と言われても、それが「あいうえお」と言われたのかどうかもわからなくなるのです。 当然、ケアスタッフに何か言われても、「え?なに?」と言うことになり、行動には移せないのです。 私たちがごく当たり前に認識し、行動していることが、認知症の人には厳しくなる。 そのことを、しっかりと分かったうえで、認知症の方に関わって欲しいのです。 次回はもう少しその状態について視点を変えて考えてみたいと思います。
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2021.07.29

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の気持ちをどう理解する?(4)「若年性の人との関りから考えてみる」 若年性の方との出会いの項で、途中で止まっていたFさん(ここではAさんに言い変えます)のケースを通じて、 認知症の人の心の世界に近づいていきたいと思います。 Aさんのケースをおさらいすると、50歳代の若年性認知症の女性です。 当時私は今でいう認知症対応型デイサービスの職員でした。 恐らくは日本でまだ数カ所しかなかった認知症の方へのデイサービスセンターでした。 センターと言うとでかい建物を想像しますが、 古い民家を改築したもので、約10名ほどが利用されていました。 Aさんの認知症はかなり進行しており、マンションに迎えに行くと常に真っ赤な顔で激怒されています。 たまにドアを開けた途端、物が飛んでくることもありました。 興奮しているAさんを二人掛かりで誘導するのですが、 エレベーターの中で私たち職員をはねのけようと怒りを爆発させ、 エレベーターが停まるほどになったこともあります。 車の乗り降りも一苦労。やっと乗ってもらったと思うと、今度は降りてくれません。毎回四苦八苦でした。 デイサービス利用者の皆さんは高齢者ばかりで、その中に若いAさんが加わります。 Aさんは常に声掛けすると落ち着かれ、笑顔も出るのですが、時々興奮状態になります。 その場合、外に出てボール投げやボール蹴りなどをしてその怒りを発散してもらいました。 とにかく若いので、力は有り余っているのです。 しかし、怒りを発散すると落ち着かれて水分を摂ってくれ笑顔が戻ります。 しかしお昼の待機中は一人で全員に関わらなければなりません。 そのようなときにAさんが激怒し始めたら、他の利用者にとっても危険な状況になります。 その場を離れることが出来ないので、部屋の中でAさんと相撲のように、がっぷり四つに組みます。 そのままAさんの怒りが収まるまで押し合いへし合いをしたのでした。 そうして興奮状態を収めていったのです。 このようにケア職員からすると、本当に悪戦苦闘のAさんのケア状況でした。 しかし、この時のAさんの心の世界はどのようなものだったのでしょうか? Aさんはどのような状況に置かれていたのでしょうか? そのAさんの思いを知るためには、まず「認知機能」と言うものを理解しなくてはなりません。 私たちにとって当たり前にある機能が、当り前に働かなくなることなのです。 (つづく)
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2021.07.24

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の気持ちをどう理解する?(3)「そもそも認知症とは?」 センター長の石川です。 認知症の人をどう理解する?で書き始めたのですが、 そもそも認知症ってどのようなものなのか? 私たちは認知症の人を、「コミュニケーションができない、伝えたいことが理解してもらえない、周囲に迷惑を掛ける、時に暴力が出る」等、そのような現象で捉えがちです。 要するに理解してもらえない誘導が必要な人ですね。 以前「認知症高齢者の日常生活自立度」Ⅲaの文言についてこのブログで載せたことがあるこの文章 「着替え、食事、排便、排尿が上手にできない、時間がかかる。やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為」 (「認知症高齢者の日常生活自立度」Ⅲaより) 確かに、認知症の状況を確認する指標として、これらBPSDを列挙するのは必要と言われるかもしれません。 しかし、これは認知症の人を同じ人間として敬意を示そうとする文章ではありません。 こんな見方ばかりするから、認知症ケアを間違えるのです。 上記の項目は、あくまでも私たち側から見た項目です。 そうではなく、認知症の人が置かれた状況や心の内面をしっかりと理解すること。 認知症を理解するということは、ここから始めないといけないのです。 でも現実には怒る人もいるし、大声出す人もいるし、時に手をあげる人もいる。 本当にケア側の苦労は絶えません。 お風呂にも入って欲しいのに、怒鳴られる。正直つらいし、困惑もします。 一生懸命なのにまるで虐待されているかのように声を上げられたら、気持ち落ち込むし、 何度も同じことを聞かれたら、忙しいのにかまっておられないとイライラもしてしまうでしょう。 それが普通だと思います。 次回からは、なぜそのような行動が出るのか、それをわかりやすく説明していきたいと思います。
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2021.07.22

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の気持ちをどう理解する?(2)~ダークサイトの誘惑~ 前回私たちの対人援助技術の上達を手助けしてくれる強力なトレーナーとは、 利用者、入居者(認知症の人)だと書きました。 この意味わかるでしょうか? 入居者は確かにケアが必要な方々です。 私たちケアスタッフ側がその衣食住を支えると言うことになります。 しかし、ここが危険なところで、 支える側ゆえの優位性と言うダークサイトへの誘惑が生じやすいということです。 利用者より優位な立場にいると言うことです。 ですから利用者のAさんがこうしたいと思っても、ケア側の都合に従わせるのです。 悪いことに、人間にあるミラーニューロン細胞は、「周囲に染まる」ことを促進してしまう細胞で、 周りがみんなダークサイトなら、それが普通に思ってしまうのです。 例えば寄ってたかってSNSで批判するのも、それ自体がおかしいことだとわからなくなるのです。 このダークサイトにはまってしまうと、 利用者、入居者は、私たちの対人援助技術向上のためのトレーナーにはなってもらえなくなります。 前回、少し学べば、そして柔軟な思考を持てば、 「対人援助技術」は少しずつ身に付いていきますと書きましたが、それは私たちの心掛け次第でもあるのです。 私たちの心が柔軟ならば、介護職はお金をもらいながら、 より良い介護技術を利用者から学ばせてもらうことになるのです。 それも多様なトレーナー(利用者)から。 日々、働きまわってしんどい毎日でしょうが、 毎日着実に、トレーナーから技術を磨かせてもらっているのです。めっちゃ、お得ですやん! でももし、常にケア側の優位性の中と言うダークサイトにいるのなら、 トレーナーにはそっぽを向かれ、自分にはダークなイメージだけがついて、 それがトレードマークになってしまうでしょう。 結局自分の人生を損することになります。 と、言葉で書いてもわかりづらいかもしれません。 これを劇画風?やアニメ風にして思い浮かべればわかりやすいかもしれません。 ダークサイトにはまると言うことは、あなたが悪者で登場するということです。 劇画の主人公になるならば、ダークな主人公より、 かっこいい(容姿だけでなく)主人公になることを想像してみましょう。 もし自分が介護劇画やアニメーションの主人公ならば、どう描かれたいのか。 そのように想像してみればわかりやすいかもしれません。 あなたはダークな介護者として劇画に登場したいですか?…   センター長の石川でした。
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2021.07.20

認知症の教室(専門職用)
第66回灼熱のネットワーク委員会開催される。 センター長の石川です。 7月20日、第66回英田地区認知症ケアネットワーク委員会が、英田公民分館で開催されました。 ところが、なんと会場のクーラーが故障していて全く冷えません。 ほかの部屋のクーラーも故障していて、稼働しているところは他の方が使われていて、 結局酷暑の中の委員会となりました。 しかしながら、地域の会長からは独居の人の状況を心配(コロナワクチンなど)する声や、 教育委員会室長からは、最近ヤングケアラーのことが課題になっているので、 実状について調査中であるとの意見が出されました。 地域包括ケア課からは、認知症ワーキンググループや、若年性認知症の方の集いの説明などがありました。 2023年には若年性認知症の方の全国大会が東大阪で開催される旨は私から報告しました。 いずれにしても、地域に根差すネットワーク委員会、様々な活動との連携も必要になってきますねということでした。 と、暑い中40分に短縮したものの、中味の濃い委員会でしたが、とにかく暑かったです。 委員の皆様、ありがとうございました。 古い建物の古いクーラー、直らないだろうな~
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2021.07.16

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の気持ちをどう理解する?(1) センター長の石川です 認知症の人であってもなくても、そもそも相手の気持ちを理解すると言うのは至難の業です。 基本、人の気持ちは簡単にわかるものではないですね。 それにはまず、自分自身の問題があります。 一人ひとりの中には自分自身が住んでいますよね?  当たり前の話ですが、それぞれの人にそれぞれに個性があるように、 私たちの中には、様々な価値観や意志、趣味嗜好から好き嫌いまで、 自分のパーソナリティを形作るあらゆるものが詰まっています。 つまり私たちの頭の中には、自分自身が一杯詰まっているので、 本来人の思いを受け入れると言うのは、とても苦手なのです。 ですから、この仕事でよく言われる 「相手の立場になって考えなさいとか、相手の気持ちを受容しなさい」とかいうのは、 実はできなくて当たり前なのです。 認知症の人の気持ちを理解するのは、さらに次元が高いと思ってしまうかもしれません。 ところがこの対人援助職と言う仕事は、他の人の考えや思いを受容すると言う、 とんでもないことをやっていかなければなりません。 まして、コミュニケーションもできない認知症の人の理解となると、 めちゃくちゃ難しいものに思えてしまうのです。 さて、困りましたね。 本来私たちは、人の思いや感じていることを受け止めることが苦手なのに! だからこそ、私たちには「対人援助技術」という、技術を持つことで、この苦手な壁を越えていけるのです。 また、認知症の人の状況を理解できれば、それ程難しいものでもありません。 では「技術」ってなんだ? 例えば、運転が全くできなかった人が、教習所に通い、運転技術を学び、 そして実際の公道を走ることで運転技術を向上させていきます。 それと同じことです。 少し学べば、そして柔軟な思考を持てば、「対人援助技術」は少しずつ身に付いていきます。 運転が公道を走れば上達していくように、「対人援助技術」もケアの現場の中で上達していくのです。 特に介護福祉士などの有資格者は、運転で生計を立てているプロドライバーと同様に、 プロとしての技術を身に着けていかなければならないのです。 そう言われると大変だと思いますが、 私たちには強力なトレーナーがいます。 私たちの対人援助技術の上達を手助けしてくれる、 利用者(認知症の人)という強力なトレーナーがいるのです。 (つづく)
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2021.07.10

認知症の教室(専門職用)
「アドボケーターについて」(その2)ケア従事者の使命 アドボケーター(advocater)の話、第2回目になります。 ちょっと、厳しめのことを書きます。 アドボケーターとは、「代弁者」と言う意味になります。 私たち対人援助職に就くものとして、必ず身に着けておかなければならない技術のひとつです。 繰り返します。 ケアマネジャーやケアワーカーなど対人援助を行う職業に就くものとして、 必ず知っておくべきものであり、また技術として持っておかなければならないのが「アドボケーター」つまり「代弁者」としての役割なのです。 では、誰の「代弁者」なのか? もちろん、私たちが支援している利用者のことになります。 特に自分の意志表示が厳しい認知症の人は、私たち側の判断だけで取り決めてしまうことが多々生じます。 そこで忘れてはならないのが、「本人の意思(意志)」です。 しかし、認知症の人の意思なんかわからない、 コミュニケーションができない人の思いなんてわからないと思うかもしれません。 ところが個々の意思の尊重は、私たち対人援助職に課せられている重要な役割なのです。 特に認知症の人の場合、アドボケーターをわかりやすく言えば、 その人のアバターになったつもりで考えることが必要です。 アバターのようなお花ですね   そして何よりも忘れてはならないことは、 入居利用者、特に認知症の人の側に立って考え、発言できるのは、 八百屋さんでも、魚屋さんでも、銀行員でも、警察官でもなく、 一番身近にいるケア従事者しかいないのです。 私たちが認知症の人(入居者)の思いに立たなければ、誰が立つのか!? 家族も今は入ることは出来ません。 このような状況の中で、認知症の人はわからない、伝えられない不安や孤独の中で、 誰も味方がなく、ケア側の言われるままに生きていかなければならないのです。 繰り返します。 「私たちが認知症の人の思いを汲まなければ、誰がその思いをわかってあげられるのか? 専門職である私たちしかいないのです。これは専門職の使命ともいえることです。」 例えば、カンファレンスの時、 認知症のAさんのアバター役(アドボケーター)を設け、本人の意思であろうことを発言します。 ある意味Aさんのアバターは、Aさんの弁護人と言う役割も担うのです。 例えばAさんの行動に困ったケア職員が、 その行動をなんとかしてほしいとカンファレンスで発言するとします。 この時Aさんのアバター役は、Aさんになり代わって、Aさんの思いを伝えるのです。 もしかしたら、Aさんの行動にはケア側の問題があったということもあるかもしれません。 誰かがAさんの立場に立たないと、全てはケア側の都合で決められて行ってしまうのです。 このように、カンファレンスではケア側だけの思いで何もかも決めるのではなく、 本人が意思表示できない人ならば、 その人のアバター役(アドボケーター)を職員の一人に設定しておくのです。 このアバター役を担った人は、とことん本人の思いを理解することを行っておかないと、 アバターにはなれません。 そのためにどうするかは、後日また掲載したいと思います。
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2021.07.05

認知症の教室(専門職用)
「若年性認知症の方の集い」レポート センター長の石川です。 コロナ禍の影響で、2か月中止になっていた「若年性認知症の方の集い(楽Café)」が、 若江岩田で開催されました。 今回の参加者は、50歳代の方が2名、60歳代前半の方が2名でした。 ご本人への関りと、介護家族の話を伺う二つのグループに分かれて行います。 9月に市役所でのお弁当配り実施予定だそうです。   新規の方もおられたので、前半はご本人の様子をうかがいながら、 後半は介護家族の方の話を聞いてきました。 当事者の方と関わると、介護家族の方の苦労が浮かび上がってきます。 今回、当事者の方はオリジナルマスク作りにチャレンジです。   私たちは毎分毎秒、瞬時に様々なことを、認知機能を働かせて理解し、行動していきますが、 ひとたび、その「瞬時に理解する認知機能」が支障をきたしだすと、 認知機能が正常な人とのギャップが大きく出てしまいます。 直前のことを忘れてしまったり、コミュニケーションがちぐはぐになる それだけで介護家族のストレスは、オーバーフローしてしまうのです。 そしてご本人も必死で、何とか「わかっている自分」を取り繕うとします。 ですから一見ごく普通の方です。 しかし、その一見ごく普通であるがゆえ、介護家族の苦労は増加してしまいます。 若年性認知症の方の場合、生活上の問題も出てきますし、家族の心の傷も生じてしまいます。 しかし実際には、それらのフォロー体制は確立されていないのが現状です。 「シチダンカ」希少な花だそうです。   当事者の方をサポートするとともに、介護家族もサポートする。 どちらも不可欠な両輪ですね。 介護家族同士のお話しでは、家族間同士のアドバイスが多く、これは凄い有効性があります。 そしてご本にに対しては、前回のブログで前触れしましたが、 私たちは「アドボケーター」としての役割を発揮していかなければならないのです。  
ブログ投稿画像 Aさんの思いを知るためには、まず「認知機能」と言うものを理解しなくてはなりません。 私たちにとって当たり前にある機能が、認知症になると当り前に働かなくなることなのです。 「認知症」といっても様々な症状があります(アルツハイマー病や脳血管性、レビー小体など) この件についてはあらためてお話しするとして、認知症は、「認知機能の低下」が主体となります。 じゃあ、認知機能ってなあに?と言うことになりますね。 認知機能とは、物事を判断する力なのですね。 (カエルだとわかります。本物のカエルではないので、かわいい飾りと判断します。これも認知機能です) 自分を取り巻く全ての状況を一瞬に判断するのが「認知機能」です。 私たちの日々の生活は、物事を判断して行動することの連続で成り立っているのです。 今見えてること聞こえてること感じていること、 それらを一瞬に判断して私たちは生活しています。 日々の活動は、認知機能が保たれることで成り立っているのです。 普段の私たちが、当たり前のように感じ、判断することを瞬時に行っているのが認知機能です。 そして認知症は、その当たり前のことが出来なくなることなのです。 [caption id="attachment_2855" align="alignnone" width="1024"] 「シチダンカ」希少な花だそうです。[/caption] 分かりやすく言えば、「あいうえお」と言われた時に、瞬間的に「あいうえお」と言われたことを認識し、 ほぼ同時に、「なんで「あいうえお」やねん。」と自分が感じること、 これらがすべて認知機能の働きがあっての活動です。 認知機能が正常に働いて、何を言われたのか、それにどのような意味があるのかを瞬時に判断し、 相手に聞き返すことにも繋がっていきます。 ところが認知症ではこの認知機能がダメージを受けてしまいます。 つまり瞬時に判断し、行動するということが出来なくなるのです。 「あいうえお」と言われても、それが「あいうえお」と言われたのかどうかもわからなくなるのです。 当然、ケアスタッフに何か言われても、「え?なに?」と言うことになり、行動には移せないのです。 私たちがごく当たり前に認識し、行動していることが、認知症の人には厳しくなる。 そのことを、しっかりと分かったうえで、認知症の方に関わって欲しいのです。 次回はもう少しその状態について視点を変えて考えてみたいと思います。
ブログ投稿画像 若年性の方との出会いの項で、途中で止まっていたFさん(ここではAさんに言い変えます)のケースを通じて、 認知症の人の心の世界に近づいていきたいと思います。 Aさんのケースをおさらいすると、50歳代の若年性認知症の女性です。 当時私は今でいう認知症対応型デイサービスの職員でした。 恐らくは日本でまだ数カ所しかなかった認知症の方へのデイサービスセンターでした。 センターと言うとでかい建物を想像しますが、 古い民家を改築したもので、約10名ほどが利用されていました。 Aさんの認知症はかなり進行しており、マンションに迎えに行くと常に真っ赤な顔で激怒されています。 たまにドアを開けた途端、物が飛んでくることもありました。 興奮しているAさんを二人掛かりで誘導するのですが、 エレベーターの中で私たち職員をはねのけようと怒りを爆発させ、 エレベーターが停まるほどになったこともあります。 車の乗り降りも一苦労。やっと乗ってもらったと思うと、今度は降りてくれません。毎回四苦八苦でした。 デイサービス利用者の皆さんは高齢者ばかりで、その中に若いAさんが加わります。 Aさんは常に声掛けすると落ち着かれ、笑顔も出るのですが、時々興奮状態になります。 その場合、外に出てボール投げやボール蹴りなどをしてその怒りを発散してもらいました。 とにかく若いので、力は有り余っているのです。 しかし、怒りを発散すると落ち着かれて水分を摂ってくれ笑顔が戻ります。 しかしお昼の待機中は一人で全員に関わらなければなりません。 そのようなときにAさんが激怒し始めたら、他の利用者にとっても危険な状況になります。 その場を離れることが出来ないので、部屋の中でAさんと相撲のように、がっぷり四つに組みます。 そのままAさんの怒りが収まるまで押し合いへし合いをしたのでした。 そうして興奮状態を収めていったのです。 このようにケア職員からすると、本当に悪戦苦闘のAさんのケア状況でした。 しかし、この時のAさんの心の世界はどのようなものだったのでしょうか? Aさんはどのような状況に置かれていたのでしょうか? そのAさんの思いを知るためには、まず「認知機能」と言うものを理解しなくてはなりません。 私たちにとって当たり前にある機能が、当り前に働かなくなることなのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 認知症の人をどう理解する?で書き始めたのですが、 そもそも認知症ってどのようなものなのか? 私たちは認知症の人を、「コミュニケーションができない、伝えたいことが理解してもらえない、周囲に迷惑を掛ける、時に暴力が出る」等、そのような現象で捉えがちです。 要するに理解してもらえない誘導が必要な人ですね。 以前「認知症高齢者の日常生活自立度」Ⅲaの文言についてこのブログで載せたことがあるこの文章 「着替え、食事、排便、排尿が上手にできない、時間がかかる。やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為」 (「認知症高齢者の日常生活自立度」Ⅲaより) 確かに、認知症の状況を確認する指標として、これらBPSDを列挙するのは必要と言われるかもしれません。 しかし、これは認知症の人を同じ人間として敬意を示そうとする文章ではありません。 こんな見方ばかりするから、認知症ケアを間違えるのです。 上記の項目は、あくまでも私たち側から見た項目です。 そうではなく、認知症の人が置かれた状況や心の内面をしっかりと理解すること。 認知症を理解するということは、ここから始めないといけないのです。 でも現実には怒る人もいるし、大声出す人もいるし、時に手をあげる人もいる。 本当にケア側の苦労は絶えません。 お風呂にも入って欲しいのに、怒鳴られる。正直つらいし、困惑もします。 一生懸命なのにまるで虐待されているかのように声を上げられたら、気持ち落ち込むし、 何度も同じことを聞かれたら、忙しいのにかまっておられないとイライラもしてしまうでしょう。 それが普通だと思います。 次回からは、なぜそのような行動が出るのか、それをわかりやすく説明していきたいと思います。
ブログ投稿画像 前回私たちの対人援助技術の上達を手助けしてくれる強力なトレーナーとは、 利用者、入居者(認知症の人)だと書きました。 この意味わかるでしょうか? 入居者は確かにケアが必要な方々です。 私たちケアスタッフ側がその衣食住を支えると言うことになります。 しかし、ここが危険なところで、 支える側ゆえの優位性と言うダークサイトへの誘惑が生じやすいということです。 利用者より優位な立場にいると言うことです。 ですから利用者のAさんがこうしたいと思っても、ケア側の都合に従わせるのです。 悪いことに、人間にあるミラーニューロン細胞は、「周囲に染まる」ことを促進してしまう細胞で、 周りがみんなダークサイトなら、それが普通に思ってしまうのです。 例えば寄ってたかってSNSで批判するのも、それ自体がおかしいことだとわからなくなるのです。 このダークサイトにはまってしまうと、 利用者、入居者は、私たちの対人援助技術向上のためのトレーナーにはなってもらえなくなります。 前回、少し学べば、そして柔軟な思考を持てば、 「対人援助技術」は少しずつ身に付いていきますと書きましたが、それは私たちの心掛け次第でもあるのです。 私たちの心が柔軟ならば、介護職はお金をもらいながら、 より良い介護技術を利用者から学ばせてもらうことになるのです。 それも多様なトレーナー(利用者)から。 日々、働きまわってしんどい毎日でしょうが、 毎日着実に、トレーナーから技術を磨かせてもらっているのです。めっちゃ、お得ですやん! でももし、常にケア側の優位性の中と言うダークサイトにいるのなら、 トレーナーにはそっぽを向かれ、自分にはダークなイメージだけがついて、 それがトレードマークになってしまうでしょう。 結局自分の人生を損することになります。 と、言葉で書いてもわかりづらいかもしれません。 これを劇画風?やアニメ風にして思い浮かべればわかりやすいかもしれません。 ダークサイトにはまると言うことは、あなたが悪者で登場するということです。 劇画の主人公になるならば、ダークな主人公より、 かっこいい(容姿だけでなく)主人公になることを想像してみましょう。 もし自分が介護劇画やアニメーションの主人公ならば、どう描かれたいのか。 そのように想像してみればわかりやすいかもしれません。 あなたはダークな介護者として劇画に登場したいですか?…   センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 7月20日、第66回英田地区認知症ケアネットワーク委員会が、英田公民分館で開催されました。 ところが、なんと会場のクーラーが故障していて全く冷えません。 ほかの部屋のクーラーも故障していて、稼働しているところは他の方が使われていて、 結局酷暑の中の委員会となりました。 しかしながら、地域の会長からは独居の人の状況を心配(コロナワクチンなど)する声や、 教育委員会室長からは、最近ヤングケアラーのことが課題になっているので、 実状について調査中であるとの意見が出されました。 地域包括ケア課からは、認知症ワーキンググループや、若年性認知症の方の集いの説明などがありました。 2023年には若年性認知症の方の全国大会が東大阪で開催される旨は私から報告しました。 いずれにしても、地域に根差すネットワーク委員会、様々な活動との連携も必要になってきますねということでした。 と、暑い中40分に短縮したものの、中味の濃い委員会でしたが、とにかく暑かったです。 委員の皆様、ありがとうございました。 古い建物の古いクーラー、直らないだろうな~
ブログ投稿画像 センター長の石川です 認知症の人であってもなくても、そもそも相手の気持ちを理解すると言うのは至難の業です。 基本、人の気持ちは簡単にわかるものではないですね。 それにはまず、自分自身の問題があります。 一人ひとりの中には自分自身が住んでいますよね?  当たり前の話ですが、それぞれの人にそれぞれに個性があるように、 私たちの中には、様々な価値観や意志、趣味嗜好から好き嫌いまで、 自分のパーソナリティを形作るあらゆるものが詰まっています。 つまり私たちの頭の中には、自分自身が一杯詰まっているので、 本来人の思いを受け入れると言うのは、とても苦手なのです。 ですから、この仕事でよく言われる 「相手の立場になって考えなさいとか、相手の気持ちを受容しなさい」とかいうのは、 実はできなくて当たり前なのです。 認知症の人の気持ちを理解するのは、さらに次元が高いと思ってしまうかもしれません。 ところがこの対人援助職と言う仕事は、他の人の考えや思いを受容すると言う、 とんでもないことをやっていかなければなりません。 まして、コミュニケーションもできない認知症の人の理解となると、 めちゃくちゃ難しいものに思えてしまうのです。 さて、困りましたね。 本来私たちは、人の思いや感じていることを受け止めることが苦手なのに! だからこそ、私たちには「対人援助技術」という、技術を持つことで、この苦手な壁を越えていけるのです。 また、認知症の人の状況を理解できれば、それ程難しいものでもありません。 では「技術」ってなんだ? 例えば、運転が全くできなかった人が、教習所に通い、運転技術を学び、 そして実際の公道を走ることで運転技術を向上させていきます。 それと同じことです。 少し学べば、そして柔軟な思考を持てば、「対人援助技術」は少しずつ身に付いていきます。 運転が公道を走れば上達していくように、「対人援助技術」もケアの現場の中で上達していくのです。 特に介護福祉士などの有資格者は、運転で生計を立てているプロドライバーと同様に、 プロとしての技術を身に着けていかなければならないのです。 そう言われると大変だと思いますが、 私たちには強力なトレーナーがいます。 私たちの対人援助技術の上達を手助けしてくれる、 利用者(認知症の人)という強力なトレーナーがいるのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 アドボケーター(advocater)の話、第2回目になります。 ちょっと、厳しめのことを書きます。 アドボケーターとは、「代弁者」と言う意味になります。 私たち対人援助職に就くものとして、必ず身に着けておかなければならない技術のひとつです。 繰り返します。 ケアマネジャーやケアワーカーなど対人援助を行う職業に就くものとして、 必ず知っておくべきものであり、また技術として持っておかなければならないのが「アドボケーター」つまり「代弁者」としての役割なのです。 では、誰の「代弁者」なのか? もちろん、私たちが支援している利用者のことになります。 特に自分の意志表示が厳しい認知症の人は、私たち側の判断だけで取り決めてしまうことが多々生じます。 そこで忘れてはならないのが、「本人の意思(意志)」です。 しかし、認知症の人の意思なんかわからない、 コミュニケーションができない人の思いなんてわからないと思うかもしれません。 ところが個々の意思の尊重は、私たち対人援助職に課せられている重要な役割なのです。 特に認知症の人の場合、アドボケーターをわかりやすく言えば、 その人のアバターになったつもりで考えることが必要です。 [caption id="attachment_1471" align="alignnone" width="650"] アバターのようなお花ですね[/caption]   そして何よりも忘れてはならないことは、 入居利用者、特に認知症の人の側に立って考え、発言できるのは、 八百屋さんでも、魚屋さんでも、銀行員でも、警察官でもなく、 一番身近にいるケア従事者しかいないのです。 私たちが認知症の人(入居者)の思いに立たなければ、誰が立つのか!? 家族も今は入ることは出来ません。 このような状況の中で、認知症の人はわからない、伝えられない不安や孤独の中で、 誰も味方がなく、ケア側の言われるままに生きていかなければならないのです。 繰り返します。 「私たちが認知症の人の思いを汲まなければ、誰がその思いをわかってあげられるのか? 専門職である私たちしかいないのです。これは専門職の使命ともいえることです。」 例えば、カンファレンスの時、 認知症のAさんのアバター役(アドボケーター)を設け、本人の意思であろうことを発言します。 ある意味Aさんのアバターは、Aさんの弁護人と言う役割も担うのです。 例えばAさんの行動に困ったケア職員が、 その行動をなんとかしてほしいとカンファレンスで発言するとします。 この時Aさんのアバター役は、Aさんになり代わって、Aさんの思いを伝えるのです。 もしかしたら、Aさんの行動にはケア側の問題があったということもあるかもしれません。 誰かがAさんの立場に立たないと、全てはケア側の都合で決められて行ってしまうのです。 このように、カンファレンスではケア側だけの思いで何もかも決めるのではなく、 本人が意思表示できない人ならば、 その人のアバター役(アドボケーター)を職員の一人に設定しておくのです。 このアバター役を担った人は、とことん本人の思いを理解することを行っておかないと、 アバターにはなれません。 そのためにどうするかは、後日また掲載したいと思います。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 コロナ禍の影響で、2か月中止になっていた「若年性認知症の方の集い(楽Café)」が、 若江岩田で開催されました。 今回の参加者は、50歳代の方が2名、60歳代前半の方が2名でした。 ご本人への関りと、介護家族の話を伺う二つのグループに分かれて行います。 [caption id="attachment_2854" align="aligncenter" width="1024"] 9月に市役所でのお弁当配り実施予定だそうです。[/caption]   新規の方もおられたので、前半はご本人の様子をうかがいながら、 後半は介護家族の方の話を聞いてきました。 当事者の方と関わると、介護家族の方の苦労が浮かび上がってきます。 [caption id="attachment_2853" align="alignnone" width="1024"] 今回、当事者の方はオリジナルマスク作りにチャレンジです。[/caption]   私たちは毎分毎秒、瞬時に様々なことを、認知機能を働かせて理解し、行動していきますが、 ひとたび、その「瞬時に理解する認知機能」が支障をきたしだすと、 認知機能が正常な人とのギャップが大きく出てしまいます。 直前のことを忘れてしまったり、コミュニケーションがちぐはぐになる それだけで介護家族のストレスは、オーバーフローしてしまうのです。 そしてご本人も必死で、何とか「わかっている自分」を取り繕うとします。 ですから一見ごく普通の方です。 しかし、その一見ごく普通であるがゆえ、介護家族の苦労は増加してしまいます。 若年性認知症の方の場合、生活上の問題も出てきますし、家族の心の傷も生じてしまいます。 しかし実際には、それらのフォロー体制は確立されていないのが現状です。 [caption id="attachment_2855" align="alignnone" width="1024"] 「シチダンカ」希少な花だそうです。[/caption]   当事者の方をサポートするとともに、介護家族もサポートする。 どちらも不可欠な両輪ですね。 介護家族同士のお話しでは、家族間同士のアドバイスが多く、これは凄い有効性があります。 そしてご本にに対しては、前回のブログで前触れしましたが、 私たちは「アドボケーター」としての役割を発揮していかなければならないのです。