ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo

「認知症の教室(一般市民用)」で記事を検索しました。

ブログ投稿画像

2021.10.09

認知症の教室(一般市民用)
ケア実践者として必要な「探求(探究)心」 センター長の石川です。 前回、私たちケア実践者は「探求(探究)心」を持たなければならないと書きました。 実は、施設のケア従事者より、在宅の介護家族の方が、はるかに「探求(探究)心」を働かせ、 日々のケアで創意工夫されているのです。 専門的知識がなくてもあれやこれやと考えておられるのです。 毎日が必死ですから。   では、その「探求(探究)心」について、少し説明したいと思います。   なにやら、言葉遊びのようなややこしさですが、 ようするに、前向きに考えていこうというものですね。   なんか今のところ、ぼやーっとしていまいち飲み込めないかもしれません。 「技術」として目に見えない「心の姿勢」のようなものなので 実体としてつかみにくいかもしれませんね。 しかし、この見えない技術を持てるか持てないかで自分自身が随分変わってきます。   利用者を野菜や魚と同等に見ているわけではありません。 専門家としての視点の持ち方について書いています。     介護の専門家であるケア実践者は、「時間がない」! 「どうしたらいいかわからない」とよく思ってしまいます。 しかし本当は「時間を作ろうと思えば作れる」し、「何とかしたい」という思いもあるのです。 だって、この仕事を選んだのですから。 「大丈夫。なんとかなります。」 次回は「探求(探究)心」から少し離れて、別角度から考えてみます。
ブログ投稿画像

2021.10.07

認知症の教室(一般市民用)
好奇心・探求心のあるケアワーカーになるために センター長の石川です ノーベル賞を取られた真鍋さん、凄いですね。 気象学を志すものとしては、超偉大な人だそうです。 その真鍋さんは、好奇心・探求心をいっぱい持って研究に励まれたそうです。 しかし真鍋さんいわく、今の日本の教育は そのような好奇心・探求心を育むようなシステムではないと言われていました。 確かに、探求心を持つ前に、 どうしたらいいかわからないと終わってしまっているところがあると思います。 ところが、研究もさることながら、このケアワークと言う仕事も、探求心はなくてはならないものなのです。 何故ならば、人の心や体やその人の人生に関わる仕事だからです。 今、実践者研修などで認知症ケアを学んでいるケアスタッフも多くなってきました。 ここでは、教科書的な実践者研修ではない所で私がしゃべっている内容を スライドと共に順次アップしていきたいと思います。 好奇心・探求心のあるケアワーカーになるために。 とは言うものの、今のケアの現場は本当に大変ですね。 それでもこのような大変な状況でも、 皆さんは皆さんなりに一生懸命考え、なんとかしようとしています。 そのなんとかしようとしているところを、何とかしたいと思うのです。 そこで視野を広げるために押さえておいて欲しいことを提示します。 この山は鳥取県にある大山(だいせん)です。 伯耆富士と呼ばれる有名な山ですね。 では、この山はどこの山でしょうか? 実は、この山も同じ大山なのです。 形が全く違いますが、岡山側から見るとこんな形をしています。 見る場所が変われば、同じ山でも随分変わってしまいます。 人に例えれば、それぞれの立つ位置からは同じものを見ていても、 捉え方考え方は違っているということですね。 人それぞれに立場が違えれば、見かた捉え方が違うでしょう。 それは普通のことです。 ここで忘れてはならないのは、私たち(ケア側)は、 常に利用者から見られているということです。 その私たちは、意見の相違(見え方の違い)はあるかもしれないけれど、 利用者の幸福を願う気持ちでは同じはずなのです。 だからこそ、思考を柔軟にして、探究心を持つことを忘れてはならないのです。 (つづく)
ブログ投稿画像

2021.10.02

認知症の教室(一般市民用)
若年性認知症の方の集い10月・ゲスト若林美樹さん センター長の石川です。 今回の「楽カフェ」若年性認知症の方との集いは、 認知症のご本人が5名、家族が3名での参加でした。 今回はゲストに歌手の若林美樹さんが来てくれました。 若林さんは奈良県橿原市出身で、現在は東大阪を中心に、 ケーブルテレビや、ラジオ大阪にも出ておられます。 ラグビーの応援歌も3曲歌っている方です。 次は若年性認知症の方の応援ソングを作りたいと 今回一緒に参加してくれました。 すっかりと皆さんの中に溶け込み、 お話をしてくれる姿がよかったですね。 歌を3曲歌ってくれた若林さん。 長い間コロナ禍で明るい歌声をま近かに聞けなかっただけに とても明るい雰囲気になり、本来なら終了後はすぐに帰られる皆さんが、 多くの方と談笑されていました。 若林さんには、再来年東大阪市で行われる若年性認知症の方の全国大会で 唄っていただければいいなと思っています。 今回、介護者の妻からデイサービスなどの入浴介助を女性が行っていることが多いと聞き、 ちょっと抵抗感がありますと言われました。 若年性認知症の方の介護者も若いので、夫を(妻を)異性がケアすることへの抵抗感は当たり前だと思います。 さて、次回はいよいよ市役所でのお弁当配りです。 ドキドキ、ワクワクですね。
ブログ投稿画像

2021.09.29

認知症の教室(一般市民用)
人を想う・白い曼殊沙華 センター長の石川です。 認知症状が進むと、私たちが当たり前に理解していることがわからなくなります。 簡単に一言で書きましたが、 私たちが当たり前に理解していることがわからなくなるということがどういうことなのか、 もっと真剣に考える必要があります。 何度も書きますが、介護の専門職として、 認知症の人の状況(心理)を考えていくことを行うのは当たり前のことになります。 色々なことが不確かになっていく中で認知症の人が頼れるのは、やはり「人」でしょう。 認知症状が進んでも「人を想う」気持ちは、それを明確に表現できなくても 最期の最期まで残っていると言えます。 「人の気配」を感じるだけでも心は落ち着きます。 それだけ人は認知症の人にとって重要な意味を持ちます。 認知症の人の大敵は「孤独」なのです。 少しずつ、専門職として認知症の人の思いに近づいていくことについて書いていきたいと思います。   白い曼殊沙華(彼岸花)を見つけました。 花言葉は「思う人はあなただけ」とか「もう一度会いたい」などの意味があるそうです。 う~ん、ちょっと切ない感じもしますが、 認知症の人の思いと通じるところはあるかもしれません。
ブログ投稿画像

2021.09.22

認知症の教室(一般市民用)
第68回ネットワーク委員会開催される センター長の石川です。 21日、第68回「英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会」が開催されました。 今回も参加者からの活発な意見が交わされました。 やはり話題の中心は、コロナウイルスについてです。 東大阪市では65歳以上の高齢者の85%が2回終了、12歳以上でも50%弱の方が終了しているそうです。 ただこれからはインフルエンザワクチンの季節になっていきます。 しかしそのワクチンの供給量は6~8割とのこと。少し心配な面もあるとのことです。 また若い人の間ではSNSでの不正確な情報を簡単に信じてしまい、ワクチンを打たなかったり、 悪気もなくドタキャンする人も多いと医療関係者からの意見でした。 学校関係は一時休校するところもありましたが、今は下火になっていってるとのこと。 それでも修学旅行や運動会などにかなりの支障が出ているそうです。 さらに老人センターに人が来なくなった。特に男性が来なくなり、みんなどうしているのだろうと案じている状況とのこと。 そしてコロナに関連した詐欺も多発しており、 河内警察から何とか住民の皆さんに「安まちメール」を活用した防犯をお願いしたいとの要望があり、 地域自治会としても動かなければならないと思われたようです。 このように各委員からは活発な情報提供が寄せられました。 気になるのは、初期集中チームへの要請が最近とんとないと言うことです。 コロナ禍で隠されてしまっているのか、それとも包括支援センターで解決されて行ってるのか、 理由はわからないけど、初期集中チームへの要請が止まっているとのことでした。 このように今はコロナとの闘いに明け暮れと言う状況ですが、 半年先か1年先かわかりませんが、安心声掛けつながり訓練を実施するときは、 ICTも取り入れた新たなスタイルも模索中とお伝えしました。 ネットワーク委員会は短時間ながら、中味の濃い時間となりました。 これからも地域のために話し合いを続けていきます。
ブログ投稿画像

2021.09.10

認知症の教室(一般市民用)
認知症ケアは本当に良くなったのだろうか? センター長の石川です。 ここに掲げた写真群は、元写真を写したもので写りが悪いですが、私が若かりし頃の特養での風景です。 当時勤めていた特養から30分ほどの公園に、 皆さんお出掛けしてなんと、バーベキューならぬ、豚汁パーティを行ったのです。 多くの車いすの方と共に、元気溌剌な認知症の方も数名参加されていました。 割烹着の方は、コミュニケーションも厳しい状態で、絶えず施設を出て行きます。 一緒についていくのですが、他人の家を自分の家だと言ってきかず入っていかれたり、 ひたすら歩き続ける方でしたが、割烹着姿でわかるように、「かつての日本のお母さん」のような人でした。 背の高い帽子をかぶっておられる男性は通訳をされていたので英語が堪能で、 ケネディ元大統領と友人だったと、ケネディの手紙を見せてくれた方でしたが、 認知症状はかなり進行しており、毎日の関りが大変だった方です。 しかし当時はある意味自由奔放でした。 認知症の人への施設入所による制限ってあったのかな?とも思うくらいです。 好きなように外へ出て(ついていく職員は大変でしたが)、ドライブにもよく行き、 公園やレストラン、そして一泊旅行にも行ったものです。 当時夕方になると帰宅願望の方が数名おられましたので、「たそがれどきドライブ」として、 車でお出かけすると、落ち着かれたので、ドライブは結構行ってました。 今ならすぐにリスクマネジメントが頭に浮かび、何かと制限が掛かってしまいます。 いい意味なのか悪い意味なのか、当時はそんなことあまり考えなかったです。 「いっちゃえ、やっちゃえ、ありのまま」 そんな感じだったでしょうか。 確かに今の認知症ケアは、尊厳を守り敬意を払うという基本理念の徹底が図られています。 様々なことで身体拘束が当たり前だった時代からは、はるかに進んだと言えるでしょう。 しかし、当時の写真を振り返ると、 「認知症があろうとなかろうと、とにかく楽しもう!」という心意気があったのではないかと思います。 今はこのように「外に出る」ことすらなくなってきています。 認知症の人は(認知症の人でなくても)外で自由奔放は許されないのか? コロナ禍ということではなく、このような自由奔放さが、 「安心・安全」の合言葉の中で埋没して言っているように感じるのです。 はたして、認知症ケアは本当に良くなったのか? 疑問に思う今日この頃です。
ブログ投稿画像

2021.09.06

認知症の教室(一般市民用)
若年性認知症の方の集い(9月) ~声掛けのヒントについて~ センター長の石川です 9月の若年性認知症の方の集い(楽Café)に参加してきました。 今回は7名の当事者の方が参加予定でしたが、 利用事業所でのコロナウイルス発生や蔓延状態に参加を諦められた方がおられ、 3名の当事者の方の参加となりました。 そのうち1名は新規の方で、当事者の方は手作業に、 ご家族の方は別個に家族のお話を聴く場を設けました。 その詳細については、個人情報に関わりますのでここには書けませんが、 あらためて、「確かだったものが、不確かになっていくこと」の不安や混乱をご家族やご本人から感じることが出来ました。 市役所でのお弁当配りは延期になりました。   「確かだったものが、不確かになっていくこと」とは、 当り前のように私たちがわかっていることがわからなくなると言うことです。 つまり当たり前のように「これはペットボトルだ」とわかっていたことが、 「これが何なのか?」と分からなくなってしまうことなのです。 https://yoshijukai.or.jp/ninchisho-yui/wp-content/uploads/sites/9/2021/09/DSC_0318ABa.mp4 もちろん、ペットボトルがどのようなものなのか、そしてどう使うのかは、記憶として私たちの脳には刻まれて、瞬時にその記憶は取り出せるのですが、認知症状が進むと、その記憶が取り出せなくなるのです。 だから目の前に見えているペットボトルが何なのかわからなくなり、そのわからなくなるものが一杯になって、不安や混乱に繋がっていくのです。 どうしても「言葉が出てこない」当事者に対しては、声掛け側も行き詰ってしまいます。 出来ないことに声掛け側も引きずられてしまうのです。その雰囲気は当事者にも伝わります。 そんな時は、とにかく前向きになるような、ポジティブな言葉(ハッピーワード)掛けを行います。 今まで話していた内容と全く違うものでも構いません。 「そやけどAさんほんとに凄いですね!」とか「めっちゃ頑張ってますね!」とか「私も応援しますから!」などの言葉掛けで本人の気分も不安から救われていくのです。 そしてやはり会話の時は「笑顔を忘れないこと」。 不安を訴えておられるときは「真剣なまなざしで頷きながら聞くこと」。 それだけでも当事者は気持ちが楽になるのです。
ブログ投稿画像

2021.09.03

認知症の教室(一般市民用)
しんどい一日の終わり方 センター長の石川です。 「皆様いかがお過ごしでしょうか」なんて言う言葉が空々しく感じるほど、 コロナウイルスの状況はひっ迫していると言えますね。 そのため皆さん、我慢、我慢、我慢の日々が続きます。 普通の暮らしにも制限が掛かりますし、何処かへ行きたくても気軽には行けません。 仕事上でもストレスが溜まります。 特にケアの仕事は、感染へのピリピリ感もあるし、 現場実践の中ではかなりの心身の疲労感があるのではないかと思います。 公私ともに精神的負担も掛かっていると言えるでしょう。 「はぁ疲れた(*´Д`)」で終わることが多いと思います。 コロナウイルスだけでなく、利用者と上手く関われなかったり、 同僚との間がうまくいかなかったり、様々なことが疲労感として残っていきます。 そのようなことが日々積み重なっていくと、最後には心が倒れてしまいます。 セルフケアになるのですが、しんどい毎日の終わり方があります。 「はぁ(*´Д`)今日もしんどかった…」で終わると、それだけが疲労感が積み重なっていきます。 そんな時は、 「はぁ(*´Д`)しんどかった…」とつぶやくと同時に、 「こんなにしんどかったのに、よく頑張ったね私」 と、自分で自分をほめることです。 「今日は同僚のAさんと上手くいかなかった。でもしっかりと耐えたよね、そんな私は偉い!」 と、自分自身をほめ、ご褒美としてキャンディやチョコレートなど、好きなものを一個食べてください。 そしてその後はスイッチオフ。自分の好きな世界に没頭しましょう。 そうやって、自分で自分の心を守ることも心得ておいてください。 トンネルの先に光明が見えるのは もう少し先になりそうですから。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 前回、私たちケア実践者は「探求(探究)心」を持たなければならないと書きました。 実は、施設のケア従事者より、在宅の介護家族の方が、はるかに「探求(探究)心」を働かせ、 日々のケアで創意工夫されているのです。 専門的知識がなくてもあれやこれやと考えておられるのです。 毎日が必死ですから。   では、その「探求(探究)心」について、少し説明したいと思います。   なにやら、言葉遊びのようなややこしさですが、 ようするに、前向きに考えていこうというものですね。   なんか今のところ、ぼやーっとしていまいち飲み込めないかもしれません。 「技術」として目に見えない「心の姿勢」のようなものなので 実体としてつかみにくいかもしれませんね。 しかし、この見えない技術を持てるか持てないかで自分自身が随分変わってきます。   利用者を野菜や魚と同等に見ているわけではありません。 専門家としての視点の持ち方について書いています。     介護の専門家であるケア実践者は、「時間がない」! 「どうしたらいいかわからない」とよく思ってしまいます。 しかし本当は「時間を作ろうと思えば作れる」し、「何とかしたい」という思いもあるのです。 だって、この仕事を選んだのですから。 「大丈夫。なんとかなります。」 次回は「探求(探究)心」から少し離れて、別角度から考えてみます。
ブログ投稿画像 センター長の石川です ノーベル賞を取られた真鍋さん、凄いですね。 気象学を志すものとしては、超偉大な人だそうです。 その真鍋さんは、好奇心・探求心をいっぱい持って研究に励まれたそうです。 しかし真鍋さんいわく、今の日本の教育は そのような好奇心・探求心を育むようなシステムではないと言われていました。 確かに、探求心を持つ前に、 どうしたらいいかわからないと終わってしまっているところがあると思います。 ところが、研究もさることながら、このケアワークと言う仕事も、探求心はなくてはならないものなのです。 何故ならば、人の心や体やその人の人生に関わる仕事だからです。 今、実践者研修などで認知症ケアを学んでいるケアスタッフも多くなってきました。 ここでは、教科書的な実践者研修ではない所で私がしゃべっている内容を スライドと共に順次アップしていきたいと思います。 好奇心・探求心のあるケアワーカーになるために。 とは言うものの、今のケアの現場は本当に大変ですね。 それでもこのような大変な状況でも、 皆さんは皆さんなりに一生懸命考え、なんとかしようとしています。 そのなんとかしようとしているところを、何とかしたいと思うのです。 そこで視野を広げるために押さえておいて欲しいことを提示します。 この山は鳥取県にある大山(だいせん)です。 伯耆富士と呼ばれる有名な山ですね。 では、この山はどこの山でしょうか? 実は、この山も同じ大山なのです。 形が全く違いますが、岡山側から見るとこんな形をしています。 見る場所が変われば、同じ山でも随分変わってしまいます。 人に例えれば、それぞれの立つ位置からは同じものを見ていても、 捉え方考え方は違っているということですね。 人それぞれに立場が違えれば、見かた捉え方が違うでしょう。 それは普通のことです。 ここで忘れてはならないのは、私たち(ケア側)は、 常に利用者から見られているということです。 その私たちは、意見の相違(見え方の違い)はあるかもしれないけれど、 利用者の幸福を願う気持ちでは同じはずなのです。 だからこそ、思考を柔軟にして、探究心を持つことを忘れてはならないのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今回の「楽カフェ」若年性認知症の方との集いは、 認知症のご本人が5名、家族が3名での参加でした。 今回はゲストに歌手の若林美樹さんが来てくれました。 若林さんは奈良県橿原市出身で、現在は東大阪を中心に、 ケーブルテレビや、ラジオ大阪にも出ておられます。 ラグビーの応援歌も3曲歌っている方です。 次は若年性認知症の方の応援ソングを作りたいと 今回一緒に参加してくれました。 すっかりと皆さんの中に溶け込み、 お話をしてくれる姿がよかったですね。 歌を3曲歌ってくれた若林さん。 長い間コロナ禍で明るい歌声をま近かに聞けなかっただけに とても明るい雰囲気になり、本来なら終了後はすぐに帰られる皆さんが、 多くの方と談笑されていました。 若林さんには、再来年東大阪市で行われる若年性認知症の方の全国大会で 唄っていただければいいなと思っています。 今回、介護者の妻からデイサービスなどの入浴介助を女性が行っていることが多いと聞き、 ちょっと抵抗感がありますと言われました。 若年性認知症の方の介護者も若いので、夫を(妻を)異性がケアすることへの抵抗感は当たり前だと思います。 さて、次回はいよいよ市役所でのお弁当配りです。 ドキドキ、ワクワクですね。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 認知症状が進むと、私たちが当たり前に理解していることがわからなくなります。 簡単に一言で書きましたが、 私たちが当たり前に理解していることがわからなくなるということがどういうことなのか、 もっと真剣に考える必要があります。 何度も書きますが、介護の専門職として、 認知症の人の状況(心理)を考えていくことを行うのは当たり前のことになります。 色々なことが不確かになっていく中で認知症の人が頼れるのは、やはり「人」でしょう。 認知症状が進んでも「人を想う」気持ちは、それを明確に表現できなくても 最期の最期まで残っていると言えます。 「人の気配」を感じるだけでも心は落ち着きます。 それだけ人は認知症の人にとって重要な意味を持ちます。 認知症の人の大敵は「孤独」なのです。 少しずつ、専門職として認知症の人の思いに近づいていくことについて書いていきたいと思います。   白い曼殊沙華(彼岸花)を見つけました。 花言葉は「思う人はあなただけ」とか「もう一度会いたい」などの意味があるそうです。 う~ん、ちょっと切ない感じもしますが、 認知症の人の思いと通じるところはあるかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 21日、第68回「英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会」が開催されました。 今回も参加者からの活発な意見が交わされました。 やはり話題の中心は、コロナウイルスについてです。 東大阪市では65歳以上の高齢者の85%が2回終了、12歳以上でも50%弱の方が終了しているそうです。 ただこれからはインフルエンザワクチンの季節になっていきます。 しかしそのワクチンの供給量は6~8割とのこと。少し心配な面もあるとのことです。 また若い人の間ではSNSでの不正確な情報を簡単に信じてしまい、ワクチンを打たなかったり、 悪気もなくドタキャンする人も多いと医療関係者からの意見でした。 学校関係は一時休校するところもありましたが、今は下火になっていってるとのこと。 それでも修学旅行や運動会などにかなりの支障が出ているそうです。 さらに老人センターに人が来なくなった。特に男性が来なくなり、みんなどうしているのだろうと案じている状況とのこと。 そしてコロナに関連した詐欺も多発しており、 河内警察から何とか住民の皆さんに「安まちメール」を活用した防犯をお願いしたいとの要望があり、 地域自治会としても動かなければならないと思われたようです。 このように各委員からは活発な情報提供が寄せられました。 気になるのは、初期集中チームへの要請が最近とんとないと言うことです。 コロナ禍で隠されてしまっているのか、それとも包括支援センターで解決されて行ってるのか、 理由はわからないけど、初期集中チームへの要請が止まっているとのことでした。 このように今はコロナとの闘いに明け暮れと言う状況ですが、 半年先か1年先かわかりませんが、安心声掛けつながり訓練を実施するときは、 ICTも取り入れた新たなスタイルも模索中とお伝えしました。 ネットワーク委員会は短時間ながら、中味の濃い時間となりました。 これからも地域のために話し合いを続けていきます。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 ここに掲げた写真群は、元写真を写したもので写りが悪いですが、私が若かりし頃の特養での風景です。 当時勤めていた特養から30分ほどの公園に、 皆さんお出掛けしてなんと、バーベキューならぬ、豚汁パーティを行ったのです。 多くの車いすの方と共に、元気溌剌な認知症の方も数名参加されていました。 割烹着の方は、コミュニケーションも厳しい状態で、絶えず施設を出て行きます。 一緒についていくのですが、他人の家を自分の家だと言ってきかず入っていかれたり、 ひたすら歩き続ける方でしたが、割烹着姿でわかるように、「かつての日本のお母さん」のような人でした。 背の高い帽子をかぶっておられる男性は通訳をされていたので英語が堪能で、 ケネディ元大統領と友人だったと、ケネディの手紙を見せてくれた方でしたが、 認知症状はかなり進行しており、毎日の関りが大変だった方です。 しかし当時はある意味自由奔放でした。 認知症の人への施設入所による制限ってあったのかな?とも思うくらいです。 好きなように外へ出て(ついていく職員は大変でしたが)、ドライブにもよく行き、 公園やレストラン、そして一泊旅行にも行ったものです。 当時夕方になると帰宅願望の方が数名おられましたので、「たそがれどきドライブ」として、 車でお出かけすると、落ち着かれたので、ドライブは結構行ってました。 今ならすぐにリスクマネジメントが頭に浮かび、何かと制限が掛かってしまいます。 いい意味なのか悪い意味なのか、当時はそんなことあまり考えなかったです。 「いっちゃえ、やっちゃえ、ありのまま」 そんな感じだったでしょうか。 確かに今の認知症ケアは、尊厳を守り敬意を払うという基本理念の徹底が図られています。 様々なことで身体拘束が当たり前だった時代からは、はるかに進んだと言えるでしょう。 しかし、当時の写真を振り返ると、 「認知症があろうとなかろうと、とにかく楽しもう!」という心意気があったのではないかと思います。 今はこのように「外に出る」ことすらなくなってきています。 認知症の人は(認知症の人でなくても)外で自由奔放は許されないのか? コロナ禍ということではなく、このような自由奔放さが、 「安心・安全」の合言葉の中で埋没して言っているように感じるのです。 はたして、認知症ケアは本当に良くなったのか? 疑問に思う今日この頃です。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 9月の若年性認知症の方の集い(楽Café)に参加してきました。 今回は7名の当事者の方が参加予定でしたが、 利用事業所でのコロナウイルス発生や蔓延状態に参加を諦められた方がおられ、 3名の当事者の方の参加となりました。 そのうち1名は新規の方で、当事者の方は手作業に、 ご家族の方は別個に家族のお話を聴く場を設けました。 その詳細については、個人情報に関わりますのでここには書けませんが、 あらためて、「確かだったものが、不確かになっていくこと」の不安や混乱をご家族やご本人から感じることが出来ました。 [caption id="attachment_3128" align="alignnone" width="1024"] 市役所でのお弁当配りは延期になりました。[/caption]   「確かだったものが、不確かになっていくこと」とは、 当り前のように私たちがわかっていることがわからなくなると言うことです。 つまり当たり前のように「これはペットボトルだ」とわかっていたことが、 「これが何なのか?」と分からなくなってしまうことなのです。 [video width="1920" height="1080" mp4="https://yoshijukai.or.jp/ninchisho-yui/wp-content/uploads/sites/9/2021/09/DSC_0318ABa.mp4"][/video] もちろん、ペットボトルがどのようなものなのか、そしてどう使うのかは、記憶として私たちの脳には刻まれて、瞬時にその記憶は取り出せるのですが、認知症状が進むと、その記憶が取り出せなくなるのです。 だから目の前に見えているペットボトルが何なのかわからなくなり、そのわからなくなるものが一杯になって、不安や混乱に繋がっていくのです。 どうしても「言葉が出てこない」当事者に対しては、声掛け側も行き詰ってしまいます。 出来ないことに声掛け側も引きずられてしまうのです。その雰囲気は当事者にも伝わります。 そんな時は、とにかく前向きになるような、ポジティブな言葉(ハッピーワード)掛けを行います。 今まで話していた内容と全く違うものでも構いません。 「そやけどAさんほんとに凄いですね!」とか「めっちゃ頑張ってますね!」とか「私も応援しますから!」などの言葉掛けで本人の気分も不安から救われていくのです。 そしてやはり会話の時は「笑顔を忘れないこと」。 不安を訴えておられるときは「真剣なまなざしで頷きながら聞くこと」。 それだけでも当事者は気持ちが楽になるのです。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 「皆様いかがお過ごしでしょうか」なんて言う言葉が空々しく感じるほど、 コロナウイルスの状況はひっ迫していると言えますね。 そのため皆さん、我慢、我慢、我慢の日々が続きます。 普通の暮らしにも制限が掛かりますし、何処かへ行きたくても気軽には行けません。 仕事上でもストレスが溜まります。 特にケアの仕事は、感染へのピリピリ感もあるし、 現場実践の中ではかなりの心身の疲労感があるのではないかと思います。 公私ともに精神的負担も掛かっていると言えるでしょう。 「はぁ疲れた(*´Д`)」で終わることが多いと思います。 コロナウイルスだけでなく、利用者と上手く関われなかったり、 同僚との間がうまくいかなかったり、様々なことが疲労感として残っていきます。 そのようなことが日々積み重なっていくと、最後には心が倒れてしまいます。 セルフケアになるのですが、しんどい毎日の終わり方があります。 「はぁ(*´Д`)今日もしんどかった…」で終わると、それだけが疲労感が積み重なっていきます。 そんな時は、 「はぁ(*´Д`)しんどかった…」とつぶやくと同時に、 「こんなにしんどかったのに、よく頑張ったね私」 と、自分で自分をほめることです。 「今日は同僚のAさんと上手くいかなかった。でもしっかりと耐えたよね、そんな私は偉い!」 と、自分自身をほめ、ご褒美としてキャンディやチョコレートなど、好きなものを一個食べてください。 そしてその後はスイッチオフ。自分の好きな世界に没頭しましょう。 そうやって、自分で自分の心を守ることも心得ておいてください。 トンネルの先に光明が見えるのは もう少し先になりそうですから。