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「認知症の教室(一般市民用)」で記事を検索しました。

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2022.01.15

認知症の教室(一般市民用)
記憶と感情(4)脳科学の視点から このテーマ、しばらく時間が空きました。 認知症になると、記憶を引っ張り出したり、取り込んだりすることが難しくなっていきます。 しかし、不快なこと、楽しかったことなどの感情で得たものは、案外と記憶されているのです。 とても不快な対応をされた職員の顔はよく覚えていたり、 自分がとても楽しかったレクレーションのことは記憶していたりします。 これはどういうことなのでしょうか。 記憶中枢に繋がる神経細胞がダメージを受けているというのに! それには科学的に迫る必要もあります。 分かりやすいのが、恩蔵絢子氏の「脳科学者の母が、認知症になる」(河出書房)です。 著作の関係があるので、文章を丸ごと写して載せるということは出来ませんが、 「脳の中には言語的なエピソードとして記憶を定着させる「海馬」のすぐ隣に 「扁桃体」と呼ばれる感情の中枢が位置している」(P172) と言うことなのです。 つまり「記憶」の殿堂である「海馬」とは別に、 感情の殿堂である「扁桃体」が存在するということなのです。 さらに「扁桃体」つまり、感情の方が「海馬」より先に立つ存在なのだそうです。 詳しくは次回に。   さて、オミクロン株が爆発的に罹患者を増やしています。 どこの介護施設もスタッフ維持に向けて戦々恐々となっています。 皆様もくれぐれも、「換気」「不織布マスク」(ウレタンはしてないのと同じくらいだそうです)「消毒」「人に会わない」ですね。   気分が落ち込んだ人は、何も考えずにこの映像を見て、笑ってください。(ちょっと長いですが) https://www.youtube.com/watch?v=Dn-N2QgsrVU
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2022.01.06

認知症の教室(一般市民用)
メタバースでの認知症ケア 今年はメタバースMetaverse(仮想現実空間)が一気に広がりそうですね。 今は認知症研修やそれ以外の研修でも、ほとんどがオンラインによる研修となっています。 しかし、ブレイクアウトルームを活用したとしても、グループワークはやはり対面の方がいいですね。 その点メタバースだと、例えば「認知症研修所」という場所を設定し、 そこに受講者のアバターが集合、そのアバター同士でグループワークも可能なわけで、 まるで実際の対面グループワークのようなものも可能となります。 認知症理解のための資料も立体化され、平面資料を見ている今より理解できやすいかもしれません。 今はパソコンに話しかける日が続きます。   そうなのです。 数年後には研修も「メタバース」で行われるかもなのです。 そして会議もメタバース上で密になってもできるということなのです。 今はこのようなこともできなくなりました。しかしメタバースではこのようなことも可能です。   しかし、メタバースで認知症の人への理解は本当に可能なのでしょうか? それは使いようかもしれません。 実際のケアはメタバースの中ではできないのです。 しかし認知症の人の視点に立って考えるという点では、メタバースで体験することは可能かもしれません。 要はメタバースをうまく活用して、現実のケアに役立てるということでしょうか。 しかしながら、多くの人がメタバースを活用しだしたらどうなるか?   まず身体機能は著しく低下するでしょう。身体機能の低下は認知機能の低下にも繋がります。 任天堂からは「リングフィットアドベンチャー」と言う、ゲームをしながら運動するものもありますが、 実際に動き回るのとは大きな差異があります。 大自然は地球からの最高の贈り物でしょう。   やはり外の空気を吸って、実際の景色を眺めて歩く。これに勝るものはありません。
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2021.12.30

認知症の教室(一般市民用)
顔上げて前を向いて歩いていこう! センター長の石川です。 一刻落ち着いていた感染者数が、再び増加し始めました。 オミクロン株という新種の脅威も迫っています。 人々はさすがにコロナ禍に、もううんざり、 精神的にも辟易しているのではないかと思います。 この冬が最大の決戦の場になるでしょうか。 ある若年性認知症の方が語っておられました。 「うつむいていたら心もうつむいてしまう。だから顔を上げて前を見る。」と。 うつむいて得することと言えば、マスクを踏まずに済むことくらいでしょうか。 (最近はお金も犬の糞もない) そうです。 「顔を上げて前を向いて歩きましょう!」こんな時期だからこそ! 小さなチンアナゴもしっかりと上を向いています。すぐに引っ込むけど 動物たちも、生きていくためには前を向いているのです。 ウォンバットも頑張って穴を掘ります! 周囲に睨みを効かせて!う~ん、ちょっと頼りない? コロナウイルスをつついて食べれたらいいのに かけがえのない戻らぬ時間 だからこそ、 さぁ、顔を上げて、前を向いて、歩いていきましょう! 顔上げて、胸もしっかり張って! しっかりと前を向こうぜ! 前向いて、しっかりと未来を見るんだ! 私が好きな佐藤竹善さんの曲 「カオあげて」  心の窓を開け放って  風はまだ冷たいけど  きっと晴れる日が来る、青空が戻ってくる。 https://www.youtube.com/watch?v=Ld-3UBpZ_O4 「歩み」  さぁ行こう  今こそともに踏み出そう  かけがえのない時間を胸に抱いて  歩き出そう https://www.youtube.com/watch?v=F8djt_iKSlE   本年は本当に多くの皆様に助けられました。 感謝の一言です。 では、よい年をお迎えください! 来年は俺の年 タイガースも優勝だ
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2021.12.28

認知症の教室(一般市民用)
記憶と感情(3)~長谷川和夫先生との思い出~ センター長の石川です。 さて、認知症の典型的な症状として、「記憶を引き出せない・記憶できない」というものがあります。 特に新しい出来事を記憶していけないため、直近の出来事が記憶できず、 同じことを何度も繰り返し聞いてきたり、さっき食べた食事のことも忘れてしまいます。 この状況のことを、11月に亡くなられた長谷川和夫先生は、 「確かなものが一つひとつ不確かなものに変わっていく」と表現されていました。 その長谷川先生とは、「晩年の元気なころ」よくお話をさせていただきました。 そのひとつは厚労省から委託を受けた「認知症ケア高度化推進事業」のワーキング委員として、 毎月認知症研究研修東京センターに行っていた時のことです。 当時長谷川先生は東京センターのセンター長をされていて、まさしく熟達の域におられました。 その時から「私たちはもっと認知症の人の思いに立って考えなければならない」とおっしゃられ、 その結果として生まれたものが「ひもときシート」だったのです。 ひもときシートに関しては、また別の機会に喋りたいと思います。 さらに長谷川先生には何度か市民向け研修で大阪に来ていただきました。 松本一生先生との二本立て研修は、大きな市民ホールが溢れるほどの参加者でした。 超大物とのセット研修は本当に緊張そのものでした。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA ただ、それらの研修の都度、長谷川先生とお話しできたのは何よりの宝物になりました。 「確かなものが不確かになっていく」その不安は自分でもどうしようもなく大きいと話されていました。 「確かな記憶が不確かになっていく」しかしその感情はしっかりと意識付けされているのです。   (つづく)
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2021.12.22

認知症の教室(一般市民用)
第71回英田認知症ケアネットワーク委員会開催される。 センター長の石川です。 第71回目になりますネットワーク委員会が21日開催されました。 コロナ禍において、委員会の活動が制限される中でも継続的に開催されてきています。 地域の代表からの地域住民の状況や 社会福祉協議会、市の状況 そして医療関係者からの状況報告など 各分野からの活発な意見をいただきました。 地域においては各区ごとに行事の再開についてはでこぼこがあるようで 活動をオープンにしているところもあれば、まだストップの所があるなど 様々なようです。 今現在では感染者数は減っているとはいえ、オミクロン株など 新たな脅威が迫っており、まだ慎重にならざるおえない状況と言えるでしょう。 そのような中でも、オンラインによる介護者へのアプローチなど 考えていけることはそれなりにありそうです。 また、安心声掛け訓練も、英田南校区において3月12日に開催することが決まりました。 委員の中には、シンポジウムや出前講座など早く再開したいね~という意見も はてさて、この冬、私たちはコロナ禍をどう乗り切れるのか。 まだ、行く先は不透明 しかし、やれることはやっていく という所でしょうか。          
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2021.12.17

認知症の教室(一般市民用)
記憶と感情(2) これは研修でよく使うスライドです。 何を言いたいかというと、 人間は生命本能的に自己保全が働くので、 生きていくためには自分に関わる人たちが、 自分が心地よく生きられる人なのかどうかを 見極めていくということなのです。 ここでは感覚的なものと書いていますが、 それが感情と言えます。 自分にとって目の前の人が良い人なのか悪い人なのか 自己防衛上判断するのが、感情です。 いわゆる気分を害する、或いは気分が良くなるということです。 その感情が心に残り、人の見極めに繋がります。 ここで矛盾が生じます。 記憶することが厳しいはずなのに、何故嫌な人のことは記憶に残っているのか? ただここで言えることは、「感情を害する」ことが生じた 具体的内容は覚えていないということです。 「怒鳴られた」「強引に引っ張られた」「睨まれた」など、 実際の具体的出来事は覚えてないことが多いのです。(余ほど衝撃的なものでない限り) だけど感情を害された(自分にとってとても嫌なことが生じた)出来事がきっかけで、 不穏、混乱に繋がってしまうのです。 しかし、具体的に何をされたかは覚えていなくても、 「自分の感情を害した人」のことは覚えている。 何故なのでしょう? もう少し探求してみたいと思います。   (つづく)
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2021.12.16

認知症の教室(一般市民用)
記憶と感情(1) 先日藤戸小学校にキッズサポーター講座に行った時の事です。 覚えられなくなる仕組みについて話をした後、ある児童からこんな発言がありました。 「認知症になったら嫌なこともすぐ忘れるからいいと思う。」 この言葉がかなり私には引っ掛かりました。 もちろんこのように思っている人は大人にもいます。 しかしながら、「嫌なことは認知症の人の気持ちにも残っている」事実が多々あるのです。 「嫌なことは記憶に残るんだよ。」という説明を子どもにするとしたならば、 それは「覚えられない」と話したことと矛盾してしまいます。 この素朴な子どもの発言にうまく答えられない そう思うとその児童の言葉が、私の探求心へと繋がっていきました。 わかっているつもりでわかっていない そんな自分がいるのも事実です。 私は研修でよく話しているのですが、「感情は生きている」ということ。 例えば、不快な思いをさせた職員を毛嫌いする方。 その職員が自分に不快なことをしたと覚えているのですよね。 反対に心地よい対応をしてくれた職員のことも覚えている。 ところが、覚えられないことが基本にあるのに、 何故感情的なことは覚えているのだろうか? このことについて「感情的」な側面と「科学的」な側面と、両方から考えてみたいと思います。 (つづく)
ブログ投稿画像 このテーマ、しばらく時間が空きました。 認知症になると、記憶を引っ張り出したり、取り込んだりすることが難しくなっていきます。 しかし、不快なこと、楽しかったことなどの感情で得たものは、案外と記憶されているのです。 とても不快な対応をされた職員の顔はよく覚えていたり、 自分がとても楽しかったレクレーションのことは記憶していたりします。 これはどういうことなのでしょうか。 記憶中枢に繋がる神経細胞がダメージを受けているというのに! それには科学的に迫る必要もあります。 分かりやすいのが、恩蔵絢子氏の「脳科学者の母が、認知症になる」(河出書房)です。 著作の関係があるので、文章を丸ごと写して載せるということは出来ませんが、 「脳の中には言語的なエピソードとして記憶を定着させる「海馬」のすぐ隣に 「扁桃体」と呼ばれる感情の中枢が位置している」(P172) と言うことなのです。 つまり「記憶」の殿堂である「海馬」とは別に、 感情の殿堂である「扁桃体」が存在するということなのです。 さらに「扁桃体」つまり、感情の方が「海馬」より先に立つ存在なのだそうです。 詳しくは次回に。   さて、オミクロン株が爆発的に罹患者を増やしています。 どこの介護施設もスタッフ維持に向けて戦々恐々となっています。 皆様もくれぐれも、「換気」「不織布マスク」(ウレタンはしてないのと同じくらいだそうです)「消毒」「人に会わない」ですね。   気分が落ち込んだ人は、何も考えずにこの映像を見て、笑ってください。(ちょっと長いですが) https://www.youtube.com/watch?v=Dn-N2QgsrVU
ブログ投稿画像 今年はメタバースMetaverse(仮想現実空間)が一気に広がりそうですね。 今は認知症研修やそれ以外の研修でも、ほとんどがオンラインによる研修となっています。 しかし、ブレイクアウトルームを活用したとしても、グループワークはやはり対面の方がいいですね。 その点メタバースだと、例えば「認知症研修所」という場所を設定し、 そこに受講者のアバターが集合、そのアバター同士でグループワークも可能なわけで、 まるで実際の対面グループワークのようなものも可能となります。 認知症理解のための資料も立体化され、平面資料を見ている今より理解できやすいかもしれません。 [caption id="attachment_3389" align="alignnone" width="1024"] 今はパソコンに話しかける日が続きます。[/caption]   そうなのです。 数年後には研修も「メタバース」で行われるかもなのです。 そして会議もメタバース上で密になってもできるということなのです。 [caption id="attachment_3388" align="alignnone" width="1024"] 今はこのようなこともできなくなりました。しかしメタバースではこのようなことも可能です。[/caption]   しかし、メタバースで認知症の人への理解は本当に可能なのでしょうか? それは使いようかもしれません。 実際のケアはメタバースの中ではできないのです。 しかし認知症の人の視点に立って考えるという点では、メタバースで体験することは可能かもしれません。 要はメタバースをうまく活用して、現実のケアに役立てるということでしょうか。 しかしながら、多くの人がメタバースを活用しだしたらどうなるか?   まず身体機能は著しく低下するでしょう。身体機能の低下は認知機能の低下にも繋がります。 任天堂からは「リングフィットアドベンチャー」と言う、ゲームをしながら運動するものもありますが、 実際に動き回るのとは大きな差異があります。 [caption id="attachment_3375" align="alignnone" width="1024"] 大自然は地球からの最高の贈り物でしょう。[/caption]   やはり外の空気を吸って、実際の景色を眺めて歩く。これに勝るものはありません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 一刻落ち着いていた感染者数が、再び増加し始めました。 オミクロン株という新種の脅威も迫っています。 人々はさすがにコロナ禍に、もううんざり、 精神的にも辟易しているのではないかと思います。 この冬が最大の決戦の場になるでしょうか。 ある若年性認知症の方が語っておられました。 「うつむいていたら心もうつむいてしまう。だから顔を上げて前を見る。」と。 うつむいて得することと言えば、マスクを踏まずに済むことくらいでしょうか。 (最近はお金も犬の糞もない) そうです。 「顔を上げて前を向いて歩きましょう!」こんな時期だからこそ! [caption id="attachment_3371" align="alignnone" width="1024"] 小さなチンアナゴもしっかりと上を向いています。すぐに引っ込むけど[/caption] 動物たちも、生きていくためには前を向いているのです。 [caption id="attachment_3370" align="alignnone" width="1024"] ウォンバットも頑張って穴を掘ります![/caption] [caption id="attachment_3369" align="alignnone" width="1024"] 周囲に睨みを効かせて!う~ん、ちょっと頼りない?[/caption] [caption id="attachment_3367" align="alignnone" width="1024"] コロナウイルスをつついて食べれたらいいのに[/caption] かけがえのない戻らぬ時間 だからこそ、 さぁ、顔を上げて、前を向いて、歩いていきましょう! [caption id="attachment_3368" align="alignnone" width="1024"] 顔上げて、胸もしっかり張って![/caption] [caption id="attachment_3366" align="alignnone" width="1024"] しっかりと前を向こうぜ![/caption] [caption id="attachment_3364" align="alignnone" width="1024"] 前向いて、しっかりと未来を見るんだ![/caption] 私が好きな佐藤竹善さんの曲 「カオあげて」  心の窓を開け放って  風はまだ冷たいけど  きっと晴れる日が来る、青空が戻ってくる。 https://www.youtube.com/watch?v=Ld-3UBpZ_O4 「歩み」  さぁ行こう  今こそともに踏み出そう  かけがえのない時間を胸に抱いて  歩き出そう https://www.youtube.com/watch?v=F8djt_iKSlE   本年は本当に多くの皆様に助けられました。 感謝の一言です。 では、よい年をお迎えください! [caption id="attachment_3365" align="alignnone" width="1024"] 来年は俺の年 タイガースも優勝だ[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 さて、認知症の典型的な症状として、「記憶を引き出せない・記憶できない」というものがあります。 特に新しい出来事を記憶していけないため、直近の出来事が記憶できず、 同じことを何度も繰り返し聞いてきたり、さっき食べた食事のことも忘れてしまいます。 この状況のことを、11月に亡くなられた長谷川和夫先生は、 「確かなものが一つひとつ不確かなものに変わっていく」と表現されていました。 その長谷川先生とは、「晩年の元気なころ」よくお話をさせていただきました。 そのひとつは厚労省から委託を受けた「認知症ケア高度化推進事業」のワーキング委員として、 毎月認知症研究研修東京センターに行っていた時のことです。 当時長谷川先生は東京センターのセンター長をされていて、まさしく熟達の域におられました。 その時から「私たちはもっと認知症の人の思いに立って考えなければならない」とおっしゃられ、 その結果として生まれたものが「ひもときシート」だったのです。 ひもときシートに関しては、また別の機会に喋りたいと思います。 さらに長谷川先生には何度か市民向け研修で大阪に来ていただきました。 松本一生先生との二本立て研修は、大きな市民ホールが溢れるほどの参加者でした。 超大物とのセット研修は本当に緊張そのものでした。 [caption id="attachment_3361" align="alignnone" width="778"] OLYMPUS DIGITAL CAMERA[/caption] ただ、それらの研修の都度、長谷川先生とお話しできたのは何よりの宝物になりました。 「確かなものが不確かになっていく」その不安は自分でもどうしようもなく大きいと話されていました。 「確かな記憶が不確かになっていく」しかしその感情はしっかりと意識付けされているのです。   (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 第71回目になりますネットワーク委員会が21日開催されました。 コロナ禍において、委員会の活動が制限される中でも継続的に開催されてきています。 地域の代表からの地域住民の状況や 社会福祉協議会、市の状況 そして医療関係者からの状況報告など 各分野からの活発な意見をいただきました。 地域においては各区ごとに行事の再開についてはでこぼこがあるようで 活動をオープンにしているところもあれば、まだストップの所があるなど 様々なようです。 今現在では感染者数は減っているとはいえ、オミクロン株など 新たな脅威が迫っており、まだ慎重にならざるおえない状況と言えるでしょう。 そのような中でも、オンラインによる介護者へのアプローチなど 考えていけることはそれなりにありそうです。 また、安心声掛け訓練も、英田南校区において3月12日に開催することが決まりました。 委員の中には、シンポジウムや出前講座など早く再開したいね~という意見も はてさて、この冬、私たちはコロナ禍をどう乗り切れるのか。 まだ、行く先は不透明 しかし、やれることはやっていく という所でしょうか。          
ブログ投稿画像 これは研修でよく使うスライドです。 何を言いたいかというと、 人間は生命本能的に自己保全が働くので、 生きていくためには自分に関わる人たちが、 自分が心地よく生きられる人なのかどうかを 見極めていくということなのです。 ここでは感覚的なものと書いていますが、 それが感情と言えます。 自分にとって目の前の人が良い人なのか悪い人なのか 自己防衛上判断するのが、感情です。 いわゆる気分を害する、或いは気分が良くなるということです。 その感情が心に残り、人の見極めに繋がります。 ここで矛盾が生じます。 記憶することが厳しいはずなのに、何故嫌な人のことは記憶に残っているのか? ただここで言えることは、「感情を害する」ことが生じた 具体的内容は覚えていないということです。 「怒鳴られた」「強引に引っ張られた」「睨まれた」など、 実際の具体的出来事は覚えてないことが多いのです。(余ほど衝撃的なものでない限り) だけど感情を害された(自分にとってとても嫌なことが生じた)出来事がきっかけで、 不穏、混乱に繋がってしまうのです。 しかし、具体的に何をされたかは覚えていなくても、 「自分の感情を害した人」のことは覚えている。 何故なのでしょう? もう少し探求してみたいと思います。   (つづく)
ブログ投稿画像 先日藤戸小学校にキッズサポーター講座に行った時の事です。 覚えられなくなる仕組みについて話をした後、ある児童からこんな発言がありました。 「認知症になったら嫌なこともすぐ忘れるからいいと思う。」 この言葉がかなり私には引っ掛かりました。 もちろんこのように思っている人は大人にもいます。 しかしながら、「嫌なことは認知症の人の気持ちにも残っている」事実が多々あるのです。 「嫌なことは記憶に残るんだよ。」という説明を子どもにするとしたならば、 それは「覚えられない」と話したことと矛盾してしまいます。 この素朴な子どもの発言にうまく答えられない そう思うとその児童の言葉が、私の探求心へと繋がっていきました。 わかっているつもりでわかっていない そんな自分がいるのも事実です。 私は研修でよく話しているのですが、「感情は生きている」ということ。 例えば、不快な思いをさせた職員を毛嫌いする方。 その職員が自分に不快なことをしたと覚えているのですよね。 反対に心地よい対応をしてくれた職員のことも覚えている。 ところが、覚えられないことが基本にあるのに、 何故感情的なことは覚えているのだろうか? このことについて「感情的」な側面と「科学的」な側面と、両方から考えてみたいと思います。 (つづく)