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「認知症の教室(一般市民用)」で記事を検索しました。

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2022.05.23

認知症の教室(一般市民用)
第6回英田北 安心声掛けつながり訓練開催されました センター長の石川です。 コロナ禍のため2年間中止されていました「安心声掛け訓練」が 久しぶりに開催されました。 とは言っても、コロナはまだまだ収まっておらず、手探りでの再開です。 検温と消毒は、今や定番です   3月には英田南地区で実施しましたが、 今回も各自治会の会長様をはじめとして、30名の方が 英田北の公民館に集まっていただきました。 これまでのような、100名単位の2時間にわたる大きなものではありませんが、 また、カレーライスを一緒に食べるというものもありませんが、 1時間、濃い時間であったのではと思います。 記憶の伝達について実践してもらいました   認知症予防のお話から、声掛けの仕方、何故物忘れが出るのかなどを 実演を交えて行ってもらい、 声掛け訓練では、初めて参加の方に、声掛けの方法を伝授する参加者の方もおられ、 短いながらも充実した時間となっていました。 声掛け訓練に出かけます   また、この場を借りて、地域同士の連絡も行っておられ、 ちょっとしたコミュニティネットワークができていたようです。 さりげないアイコンタクトがいいですね   コロナ禍で、様々な行事が薄れていく中 小規模ながらも実施することに意味があるといえますね。 これからもぼちぼちと行っていきたいと思います。 まんまですね 昔宿場があった場所ですね さりげなくスキンシップ     順番待ちのグループは、認知症テストや体操を受けています。  
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2022.05.11

認知症の教室(一般市民用)
紙芝居の有用性(認知症のお話) センター長の石川です。 世の中色々起きますが、地道にコツコツと「つながり」を伝えていくことも大切ですね。 生きていく意味が見いだせるからです。 私の後輩は絵がとても上手で、その才能を活かして 子ども向けに「認知症のお話」の紙芝居を作りました。 私は写真が好きですが、絵が上手な人には深く頭が下がります。 写真はあくまでも機械を使いますが、絵は感性を働かせて作り上げていくからです。 そのためか、写真以上に親近感が沸きます。 特にこどもたちには「絵」がめっちゃわかりやすいんですよね。 後輩の才能に脱帽です! 兵庫県認知症介護指導者 矢野健太郎氏作成   今回は、YouTube配信のものを見ていただきますが、 社会状況が許せば、配信ではなく、生で子どもたちに伝えれば もっと親近感のあるものになり、 何よりも子どもとの直接的なやり取りもできるでしょう。 ここに「つながり」を伝える大切さがあります。 そういう意味でも「紙芝居」はとても有用性のあるものと思います。 https://www.youtube.com/watch?v=yRdYUwgLYcs どんなにデジタル化が進んでも、面と向かったコミュニケーションがないと 浅いつながりにしかならないでしょう。 キッズサポーター講座もペッパー君を使ってくれと言われます。 でも私は、紙芝居のほうがずっと有用性があると思います。 子どもたちがペッパー君に親近感を持つのではなく、 生のお話を聞かせてくれる人に持つこと。 そのようのことから人と人のつながりが深まっていくのです。
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2022.05.06

認知症の教室(一般市民用)
ステルス鬱に気を付けて ゴールデンウイークが終わると、一気にうつ病の人が増えるそうです。 特に、自分では気づかないうちに、うつ病になっていたということも多いようです。 ステルス鬱と言うそうです。 今はスマホで何らかの形で誰かと(何かと)繋がってないと落ち着かないという人も多いようです。 ところがそのスマホがストレス要因になっていることも多いのです。 それでもスマホは必需品になってしまっているので、見ないと気が済まないのですね。 いつのまにか自分の心を蝕んでいることに気づくことなく。 自分の心がちょっとおかしいと思ったら、 スマホをすぐに取り出せないザックに放り込んで 自然の中を歩くことです。 新緑の中、今は鳥のさえずりがとてもたくさん聞こえて心が落ち着きます。 そうなんです。前回、花は心を癒すと書きましたが、 小鳥たちの鳴き声(まぁニワトリやカラスは別として)も心を癒してくれます。 新緑、つまり緑色も心を落ち着かせてくれます。 これは私が言ってるのではなく、精神科医師の提言でもあります。 以前、認知症の人と新緑の森を歩いたことがあります。 普段の生活では出てこない、心豊かな表現力がいっぱい出てきました。 やはり自然は心の潤いに繋がるのですね。 お天気の良い一日、私は里山ハイキングしてきました。 観光地に行けばどこも人ばかり。逆に身近な里山は人が少なくてよいですね。 「サントリー山」は鳥たちが一杯さえずっていました。 心地よかったですね。 サントリー山に続く道を「サントリーロード」というそうです。 う~ん、思わず唄ってしまいそうです。 もちろん山の中にいるときは、スマホの存在など忘れていました。 心がすっきりしなければ、 里山でいいのでお出掛けしてみましょう! 気分転換 必要ですよ。
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2022.04.29

認知症の教室(一般市民用)
「花のエネルギーに気づかなければ…」 アーバンケア島之内の前では、今様々な花々が咲いています。 前回のストレスの解消と繋がるものなのですが、 私たちは本当に「その花のエネルギー」に気づいているのだろうか?と思うのです。 ジャスミンの香りが心にやさしいです   ほんの一瞬でもいいのです。 花々の前で立ち止まり、花を見つめると、花から「心の癒し」というエネルギーがもらえるでしょう。 花には私たちの心を癒してくれるというエネルギーがあるのに、 そのことにだんだんと気づかなくなっているのかもしれません。 世の中ぎすぎすしすぎだからでしょうか。 でも、花は認知症の人の心にもやさしく関わってくれます。 認知症の人は世界がどうあろうとも、 デジタルに監視される社会であろうとも そんなこと関係なく、心に一瞬、花から癒しというエネルギーをもらっているでしょう。 島之内前の花壇のお花です。   世の中デジタル化がどんどん進んでいきます。 いつの間にか人々は「デジタル社会主義」(私たちの生活すべてが、デジタルで管理、監督、そして監視される社会)に 取り込まれていき、花の持つエネルギーすら感じ取れなくなるかもしれません。 いらすとやさんより「AIに支配される人間」   そうすると、人の心へのいたわり、気づき、コミュニケーション力も失われていくでしょう。 認知症ケアも瓦解します。 デジタル化に支配されるのではなく、デジタルをうまく活用する。 できるのかな? 今の人間に。
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2022.04.25

認知症の教室(一般市民用)
全国若年認知症フォーラム開催されました。 昨年実施予定だった広島大会。 今年2月に開催されることになっていましたが、オミクロンが猛威を振るっている時期と重なり、 4月24日、ようやくリモート開催されました。 YouTube配信もあったので、私はそれにて参加しました。 一番印象に残ったのは、広島市西部認知症疾患医療センターの岩崎庸子先生の話でしょうか。 まさしく、「心への働きかけ」が大切なのだと、改めて感じます。 感情への働きかけ、それは1+1=2という論理的なものではないのでしょう。 「心地よさ」(その逆もあり)を感じること、 それが失われた(私たちから見ればそう思ってしまう)能力を最大限に発揮することにつながるのかもしれません。 個別の発表で感じることは、就労支援の難しさです。 当然、介護保険の制度を超えて考えていかなければならないので、垣根を越えた活動が必要になります。 厚労省の資料からわかるように、多くの方が就労を断念しています。 どのように社会の中で活動していただくか、課題解決には多くの人の協力が必要になってくるでしょう。 ちなみにこの資料を見ると、10代、20代の人の発病もあります。 若年認知症は40歳代からのものではないというのがわかります。 新たなる支援策として、「認知症の人と家族への一体的支援」というのが始まっています。 これについては今後情報収集を進めていきたいと思います。 今回、プログラムがいっぱいで、休憩時間もあまりなく、 私もすぐにできるチキンラーメンを食べながらの参加となりました(笑) 来年は、地元東大阪市で開催されます。リモートではなく、会場開催できればいいですね。
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2022.04.23

認知症の教室(一般市民用)
認知機能万能の世界での認知症の人 今やスマートフォンは私たちにとって欠かすことができない存在です。 生活必需品というより身体の一部ともいえるかもしれません。 このスマートフォンは「認知機能」の結集だといえます。 認知機能とは、人を取り巻くすべてのことを瞬時のうちに判断する機能です。 明るさ暗さ、温かさ寒さ、人間関係、思考… とにかく生活上かかわるすべてのことを認知機能が判断しています。 自分を取り巻くすべてのことを一瞬に判断するだけでなく、 自分の身体の状況も感じ取ります。 おなかがすいた、どこかが痛いというのも認知機能の一つですね。 ですから認知機能は、人が生活するうえで必要不可欠なものなのです。 そしてスマートフォンは、今では自分の身体の一部とも書きました。 情報を得る、情報を伝えるだけでなく、今や決済もできてしまう。 何でもできてしまう万能な道具でしょう。 同時にスマートフォンがないと今の人は、たちどころに不安になります。 時に自分の自由をも縛ってしまうスマートフォンなのに、 ないと、不安で不安で落ち着かなくなってしまいます。 まさしくスマートフォンに支配された、便利という言葉に目を眩まされた 哀しき人の姿がそこにあります。 でもこの万能な道具は認知機能があってこそ役立つものです。 いらすとやさんより   認知機能が厳しくなっていく認知症の人には 或いは認知機能の活動そのものが弱くなっていく高齢者には どんなに便利な道具であっても、生活するうえで意味のないものといえます。 何を言いたいかというと、認知機能万能の世界にどっぷりと漬かっている私たちは、 認知機能が厳しくなってしまった認知症の人を、排他的に見てしまうということなのです。 認知症の症状ばかりに目を向け、認知機能の世界で生きていくことができなくなった人たち というような視点で見降ろしてしまうこともあるのです。 認知症の人にとって、スマートフォンを忘れた!と不安になる皆さんのことなどどうでもよいのです。 どんなに便利な道具であっても、それはどうでもいいことです。 今この時間、安心して生きていけるのか。そのことのほうがずっと大切なのです。 認知機能の世界から見ている限り、 非認知機能の世界にいる認知症の人のことはわからないでしょう。 私たちはあまりにも便利さに惑わされ、 大切な何かを忘れていってるのではないでしょうか。 例えば、コミュニケーションはSNSを通じて行うことが多くなりました。 逆に言えば、面と向かってしゃべることができなくなっていくでしょう。 いらすとやさんより   休みの日は思い切ってスマートフォンのスイッチをオフにする。 不便さの代わりに自由度がきっと増えます。 スマートフォンのない不便さを今から体感しておかないと、 災害で電波基地局が破壊されたらスマートフォンなど単なる文鎮でしかなくなるのです。 便利さを享受し、活用しながらも、便利さに惑わされないことも必要でしょう。  
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2022.04.22

認知症の教室(一般市民用)
メタ認知力を身につけよう⑥「音について2」 メタ認知力 一言でいえば、今の自分を客観的に分析できる能力ということになります。 他の職員に訴えたいことがヒートアップしたとき 「あ、今私は感情的になって怒ってるな、これでは相手にはうまく伝わらないな。」と 判断できる能力となります。 「この話はうまく伝わってるのかな? 自分の話は強引だったのではないだろうか? 相手はどんなふうに聞いていたのだろうか?」 と、常にセルフチェックを行うことができるかどうか。ということになります。 「自分にとっての正当性は、必ずしも相手にとっての正当性ではない」 ということを念頭に置かなければなりません。 夜のアーバンケア島之内の照明に照らされた花もきれいです   しかし、人はついつい自分の意見を通したくなりますから いつの間にか客観的に自分の状況を見つめる視点を失ってしまいます。 そんな時は一旦「リセットする時間を作ること」です。 イラストやさんより   例えば、交差点のすぐ横で話をしていたとすると、あらゆる騒音が聞こえて、自分の心は落ち着きません。 そんな時よく行うのは「ちょっと静かなところで話をしようか」ということになります。 誰だって、盛んに車、バス、トラック、そしてバイクが行き交う交差点の横で、 ゆっくりと話をしたいとは思いません。話の内容もぎすぎすしたものになるでしょう。 「一旦リセットする」のテクニックについては次回お話しします。 イラストやさんより   音はそれだけ私たちのコミュニケーションに影響を与えるものなのです。 つまり、メタ認知力を働かせようとすると、周辺環境、特に音の影響力が大きいのです。 そもそもが雑然とした音の中では、メタ認知力が働かないどころか、 イライラのほうが大きくなってしまいます。 お花満開です。でも明るいとお花も眠れない?   利用者の生活環境も同じです。 心が落ち着くことができない音が多いほど、 知らずのうちに心の中に咲く花も枯れてしまうのです。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 コロナ禍のため2年間中止されていました「安心声掛け訓練」が 久しぶりに開催されました。 とは言っても、コロナはまだまだ収まっておらず、手探りでの再開です。 [caption id="attachment_3763" align="alignnone" width="1672"] 検温と消毒は、今や定番です[/caption]   3月には英田南地区で実施しましたが、 今回も各自治会の会長様をはじめとして、30名の方が 英田北の公民館に集まっていただきました。 これまでのような、100名単位の2時間にわたる大きなものではありませんが、 また、カレーライスを一緒に食べるというものもありませんが、 1時間、濃い時間であったのではと思います。 [caption id="attachment_3765" align="alignnone" width="1672"] 記憶の伝達について実践してもらいました[/caption]   認知症予防のお話から、声掛けの仕方、何故物忘れが出るのかなどを 実演を交えて行ってもらい、 声掛け訓練では、初めて参加の方に、声掛けの方法を伝授する参加者の方もおられ、 短いながらも充実した時間となっていました。 [caption id="attachment_3766" align="alignnone" width="1672"] 声掛け訓練に出かけます[/caption]   また、この場を借りて、地域同士の連絡も行っておられ、 ちょっとしたコミュニティネットワークができていたようです。 [caption id="attachment_3767" align="alignnone" width="1672"] さりげないアイコンタクトがいいですね[/caption]   コロナ禍で、様々な行事が薄れていく中 小規模ながらも実施することに意味があるといえますね。 これからもぼちぼちと行っていきたいと思います。 [caption id="attachment_3768" align="alignnone" width="1672"] まんまですね[/caption] [caption id="attachment_3769" align="alignnone" width="1672"] 昔宿場があった場所ですね[/caption] [caption id="attachment_3771" align="alignnone" width="1672"] さりげなくスキンシップ[/caption]     [caption id="attachment_3775" align="alignnone" width="2560"] 順番待ちのグループは、認知症テストや体操を受けています。[/caption]  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 75回目の「英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会」が5月17日開催されました。 地域からの報告では「東大阪市ふれあいまつり」などで徐々に人出が多くなってきているそうです。 地域活動を行うにおいて、コロナ禍はやはり課題になっています。 会館の使用など、まだ地域によってばらつきがあるようです。 今地域の方々が悩んでおられるのは、「秋祭り」をどうするかということらしいです。 地域の方にとって秋祭りは1年間のうちの最大のイベントです。 この2年間中止になっていたので、行いたいところですが、お祭りはどうしても飲酒飲食が伴います。 かなりの人出もあることでしょう。 コロナが収まらない状況が続いているだけに本当に悩ましい状況とのことです。 [caption id="attachment_3760" align="alignnone" width="776"] 左がトライ君 右は「あかにゃん」と言うそうです。[/caption]   また英田南では、「とまれ」のところを止まらず出てきた自転車と自動車が衝突し、 死亡事故につながった事故があったとのこと。 自転車はマナーを守り、自動車の運転も慎重に。 くれぐれも気を付けてください。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 世の中色々起きますが、地道にコツコツと「つながり」を伝えていくことも大切ですね。 生きていく意味が見いだせるからです。 私の後輩は絵がとても上手で、その才能を活かして 子ども向けに「認知症のお話」の紙芝居を作りました。 私は写真が好きですが、絵が上手な人には深く頭が下がります。 写真はあくまでも機械を使いますが、絵は感性を働かせて作り上げていくからです。 そのためか、写真以上に親近感が沸きます。 特にこどもたちには「絵」がめっちゃわかりやすいんですよね。 後輩の才能に脱帽です! [caption id="attachment_3749" align="alignnone" width="500"] 兵庫県認知症介護指導者 矢野健太郎氏作成[/caption]   今回は、YouTube配信のものを見ていただきますが、 社会状況が許せば、配信ではなく、生で子どもたちに伝えれば もっと親近感のあるものになり、 何よりも子どもとの直接的なやり取りもできるでしょう。 ここに「つながり」を伝える大切さがあります。 そういう意味でも「紙芝居」はとても有用性のあるものと思います。 https://www.youtube.com/watch?v=yRdYUwgLYcs どんなにデジタル化が進んでも、面と向かったコミュニケーションがないと 浅いつながりにしかならないでしょう。 キッズサポーター講座もペッパー君を使ってくれと言われます。 でも私は、紙芝居のほうがずっと有用性があると思います。 子どもたちがペッパー君に親近感を持つのではなく、 生のお話を聞かせてくれる人に持つこと。 そのようのことから人と人のつながりが深まっていくのです。
ブログ投稿画像 ゴールデンウイークが終わると、一気にうつ病の人が増えるそうです。 特に、自分では気づかないうちに、うつ病になっていたということも多いようです。 ステルス鬱と言うそうです。 今はスマホで何らかの形で誰かと(何かと)繋がってないと落ち着かないという人も多いようです。 ところがそのスマホがストレス要因になっていることも多いのです。 それでもスマホは必需品になってしまっているので、見ないと気が済まないのですね。 いつのまにか自分の心を蝕んでいることに気づくことなく。 自分の心がちょっとおかしいと思ったら、 スマホをすぐに取り出せないザックに放り込んで 自然の中を歩くことです。 新緑の中、今は鳥のさえずりがとてもたくさん聞こえて心が落ち着きます。 そうなんです。前回、花は心を癒すと書きましたが、 小鳥たちの鳴き声(まぁニワトリやカラスは別として)も心を癒してくれます。 新緑、つまり緑色も心を落ち着かせてくれます。 これは私が言ってるのではなく、精神科医師の提言でもあります。 以前、認知症の人と新緑の森を歩いたことがあります。 普段の生活では出てこない、心豊かな表現力がいっぱい出てきました。 やはり自然は心の潤いに繋がるのですね。 お天気の良い一日、私は里山ハイキングしてきました。 観光地に行けばどこも人ばかり。逆に身近な里山は人が少なくてよいですね。 「サントリー山」は鳥たちが一杯さえずっていました。 心地よかったですね。 サントリー山に続く道を「サントリーロード」というそうです。 う~ん、思わず唄ってしまいそうです。 もちろん山の中にいるときは、スマホの存在など忘れていました。 心がすっきりしなければ、 里山でいいのでお出掛けしてみましょう! 気分転換 必要ですよ。
ブログ投稿画像 アーバンケア島之内の前では、今様々な花々が咲いています。 前回のストレスの解消と繋がるものなのですが、 私たちは本当に「その花のエネルギー」に気づいているのだろうか?と思うのです。 [caption id="attachment_3706" align="alignnone" width="1024"] ジャスミンの香りが心にやさしいです[/caption]   ほんの一瞬でもいいのです。 花々の前で立ち止まり、花を見つめると、花から「心の癒し」というエネルギーがもらえるでしょう。 花には私たちの心を癒してくれるというエネルギーがあるのに、 そのことにだんだんと気づかなくなっているのかもしれません。 世の中ぎすぎすしすぎだからでしょうか。 でも、花は認知症の人の心にもやさしく関わってくれます。 認知症の人は世界がどうあろうとも、 デジタルに監視される社会であろうとも そんなこと関係なく、心に一瞬、花から癒しというエネルギーをもらっているでしょう。 [caption id="attachment_3705" align="alignnone" width="1024"] 島之内前の花壇のお花です。[/caption]   世の中デジタル化がどんどん進んでいきます。 いつの間にか人々は「デジタル社会主義」(私たちの生活すべてが、デジタルで管理、監督、そして監視される社会)に 取り込まれていき、花の持つエネルギーすら感じ取れなくなるかもしれません。 [caption id="attachment_3701" align="alignnone" width="500"] いらすとやさんより「AIに支配される人間」[/caption]   そうすると、人の心へのいたわり、気づき、コミュニケーション力も失われていくでしょう。 認知症ケアも瓦解します。 デジタル化に支配されるのではなく、デジタルをうまく活用する。 できるのかな? 今の人間に。
ブログ投稿画像 昨年実施予定だった広島大会。 今年2月に開催されることになっていましたが、オミクロンが猛威を振るっている時期と重なり、 4月24日、ようやくリモート開催されました。 YouTube配信もあったので、私はそれにて参加しました。 一番印象に残ったのは、広島市西部認知症疾患医療センターの岩崎庸子先生の話でしょうか。 まさしく、「心への働きかけ」が大切なのだと、改めて感じます。 感情への働きかけ、それは1+1=2という論理的なものではないのでしょう。 「心地よさ」(その逆もあり)を感じること、 それが失われた(私たちから見ればそう思ってしまう)能力を最大限に発揮することにつながるのかもしれません。 個別の発表で感じることは、就労支援の難しさです。 当然、介護保険の制度を超えて考えていかなければならないので、垣根を越えた活動が必要になります。 厚労省の資料からわかるように、多くの方が就労を断念しています。 どのように社会の中で活動していただくか、課題解決には多くの人の協力が必要になってくるでしょう。 ちなみにこの資料を見ると、10代、20代の人の発病もあります。 若年認知症は40歳代からのものではないというのがわかります。 新たなる支援策として、「認知症の人と家族への一体的支援」というのが始まっています。 これについては今後情報収集を進めていきたいと思います。 今回、プログラムがいっぱいで、休憩時間もあまりなく、 私もすぐにできるチキンラーメンを食べながらの参加となりました(笑) 来年は、地元東大阪市で開催されます。リモートではなく、会場開催できればいいですね。
ブログ投稿画像 今やスマートフォンは私たちにとって欠かすことができない存在です。 生活必需品というより身体の一部ともいえるかもしれません。 このスマートフォンは「認知機能」の結集だといえます。 認知機能とは、人を取り巻くすべてのことを瞬時のうちに判断する機能です。 明るさ暗さ、温かさ寒さ、人間関係、思考… とにかく生活上かかわるすべてのことを認知機能が判断しています。 自分を取り巻くすべてのことを一瞬に判断するだけでなく、 自分の身体の状況も感じ取ります。 おなかがすいた、どこかが痛いというのも認知機能の一つですね。 ですから認知機能は、人が生活するうえで必要不可欠なものなのです。 そしてスマートフォンは、今では自分の身体の一部とも書きました。 情報を得る、情報を伝えるだけでなく、今や決済もできてしまう。 何でもできてしまう万能な道具でしょう。 同時にスマートフォンがないと今の人は、たちどころに不安になります。 時に自分の自由をも縛ってしまうスマートフォンなのに、 ないと、不安で不安で落ち着かなくなってしまいます。 まさしくスマートフォンに支配された、便利という言葉に目を眩まされた 哀しき人の姿がそこにあります。 でもこの万能な道具は認知機能があってこそ役立つものです。 [caption id="attachment_3678" align="alignnone" width="224"] いらすとやさんより[/caption]   認知機能が厳しくなっていく認知症の人には 或いは認知機能の活動そのものが弱くなっていく高齢者には どんなに便利な道具であっても、生活するうえで意味のないものといえます。 何を言いたいかというと、認知機能万能の世界にどっぷりと漬かっている私たちは、 認知機能が厳しくなってしまった認知症の人を、排他的に見てしまうということなのです。 認知症の症状ばかりに目を向け、認知機能の世界で生きていくことができなくなった人たち というような視点で見降ろしてしまうこともあるのです。 認知症の人にとって、スマートフォンを忘れた!と不安になる皆さんのことなどどうでもよいのです。 どんなに便利な道具であっても、それはどうでもいいことです。 今この時間、安心して生きていけるのか。そのことのほうがずっと大切なのです。 認知機能の世界から見ている限り、 非認知機能の世界にいる認知症の人のことはわからないでしょう。 私たちはあまりにも便利さに惑わされ、 大切な何かを忘れていってるのではないでしょうか。 例えば、コミュニケーションはSNSを通じて行うことが多くなりました。 逆に言えば、面と向かってしゃべることができなくなっていくでしょう。 [caption id="attachment_3677" align="alignnone" width="141"] いらすとやさんより[/caption]   休みの日は思い切ってスマートフォンのスイッチをオフにする。 不便さの代わりに自由度がきっと増えます。 スマートフォンのない不便さを今から体感しておかないと、 災害で電波基地局が破壊されたらスマートフォンなど単なる文鎮でしかなくなるのです。 便利さを享受し、活用しながらも、便利さに惑わされないことも必要でしょう。  
ブログ投稿画像 メタ認知力 一言でいえば、今の自分を客観的に分析できる能力ということになります。 他の職員に訴えたいことがヒートアップしたとき 「あ、今私は感情的になって怒ってるな、これでは相手にはうまく伝わらないな。」と 判断できる能力となります。 「この話はうまく伝わってるのかな? 自分の話は強引だったのではないだろうか? 相手はどんなふうに聞いていたのだろうか?」 と、常にセルフチェックを行うことができるかどうか。ということになります。 「自分にとっての正当性は、必ずしも相手にとっての正当性ではない」 ということを念頭に置かなければなりません。 [caption id="attachment_3665" align="alignnone" width="1024"] 夜のアーバンケア島之内の照明に照らされた花もきれいです[/caption]   しかし、人はついつい自分の意見を通したくなりますから いつの間にか客観的に自分の状況を見つめる視点を失ってしまいます。 そんな時は一旦「リセットする時間を作ること」です。 [caption id="attachment_3669" align="alignnone" width="708"] イラストやさんより[/caption]   例えば、交差点のすぐ横で話をしていたとすると、あらゆる騒音が聞こえて、自分の心は落ち着きません。 そんな時よく行うのは「ちょっと静かなところで話をしようか」ということになります。 誰だって、盛んに車、バス、トラック、そしてバイクが行き交う交差点の横で、 ゆっくりと話をしたいとは思いません。話の内容もぎすぎすしたものになるでしょう。 「一旦リセットする」のテクニックについては次回お話しします。 [caption id="attachment_3666" align="alignnone" width="376"] イラストやさんより[/caption]   音はそれだけ私たちのコミュニケーションに影響を与えるものなのです。 つまり、メタ認知力を働かせようとすると、周辺環境、特に音の影響力が大きいのです。 そもそもが雑然とした音の中では、メタ認知力が働かないどころか、 イライラのほうが大きくなってしまいます。 [caption id="attachment_3667" align="alignnone" width="1024"] お花満開です。でも明るいとお花も眠れない?[/caption]   利用者の生活環境も同じです。 心が落ち着くことができない音が多いほど、 知らずのうちに心の中に咲く花も枯れてしまうのです。