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「必見!最新情報」で記事を検索しました。

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2022.05.11

必見!最新情報
紙芝居の有用性(認知症のお話) センター長の石川です。 世の中色々起きますが、地道にコツコツと「つながり」を伝えていくことも大切ですね。 生きていく意味が見いだせるからです。 私の後輩は絵がとても上手で、その才能を活かして 子ども向けに「認知症のお話」の紙芝居を作りました。 私は写真が好きですが、絵が上手な人には深く頭が下がります。 写真はあくまでも機械を使いますが、絵は感性を働かせて作り上げていくからです。 そのためか、写真以上に親近感が沸きます。 特にこどもたちには「絵」がめっちゃわかりやすいんですよね。 後輩の才能に脱帽です! 兵庫県認知症介護指導者 矢野健太郎氏作成   今回は、YouTube配信のものを見ていただきますが、 社会状況が許せば、配信ではなく、生で子どもたちに伝えれば もっと親近感のあるものになり、 何よりも子どもとの直接的なやり取りもできるでしょう。 ここに「つながり」を伝える大切さがあります。 そういう意味でも「紙芝居」はとても有用性のあるものと思います。 https://www.youtube.com/watch?v=yRdYUwgLYcs どんなにデジタル化が進んでも、面と向かったコミュニケーションがないと 浅いつながりにしかならないでしょう。 キッズサポーター講座もペッパー君を使ってくれと言われます。 でも私は、紙芝居のほうがずっと有用性があると思います。 子どもたちがペッパー君に親近感を持つのではなく、 生のお話を聞かせてくれる人に持つこと。 そのようのことから人と人のつながりが深まっていくのです。
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2022.04.29

必見!最新情報
「花のエネルギーに気づかなければ…」 アーバンケア島之内の前では、今様々な花々が咲いています。 前回のストレスの解消と繋がるものなのですが、 私たちは本当に「その花のエネルギー」に気づいているのだろうか?と思うのです。 ジャスミンの香りが心にやさしいです   ほんの一瞬でもいいのです。 花々の前で立ち止まり、花を見つめると、花から「心の癒し」というエネルギーがもらえるでしょう。 花には私たちの心を癒してくれるというエネルギーがあるのに、 そのことにだんだんと気づかなくなっているのかもしれません。 世の中ぎすぎすしすぎだからでしょうか。 でも、花は認知症の人の心にもやさしく関わってくれます。 認知症の人は世界がどうあろうとも、 デジタルに監視される社会であろうとも そんなこと関係なく、心に一瞬、花から癒しというエネルギーをもらっているでしょう。 島之内前の花壇のお花です。   世の中デジタル化がどんどん進んでいきます。 いつの間にか人々は「デジタル社会主義」(私たちの生活すべてが、デジタルで管理、監督、そして監視される社会)に 取り込まれていき、花の持つエネルギーすら感じ取れなくなるかもしれません。 いらすとやさんより「AIに支配される人間」   そうすると、人の心へのいたわり、気づき、コミュニケーション力も失われていくでしょう。 認知症ケアも瓦解します。 デジタル化に支配されるのではなく、デジタルをうまく活用する。 できるのかな? 今の人間に。
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2022.04.28

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メタ認知力を身につけよう7「吐き出すと掃き出すの違い」 人は何かとストレスを溜め込む存在です。 自我があり自己防衛機能があるので当然のことといえます。 ケアの現場でのストレスは、ケア実践上でのことは当然としてあるでしょうが、 何よりも対人関係でのストレスが多いといえるでしょう。 そのストレスは、溜め込まないということが大切になります。 人それぞれに、自分なりのストレス対処方法を持っているとは思いますが、 時に誰かに聞いてもらうということ、それは最大のストレス対処になります。 誰かに聞いてもらうことで、自分の中のストレスを「はきだす」のです。 しかしここで考えてほしいのですが、 「吐き出す」と「掃き出す」は意味合いが違ってくるということです。 「愚痴を吐く」という言葉があるように、悪口、文句ばかり言ってストレスを発散させようとする行為です。 典型的なのが、何人か集まって「人の悪口を言う」という行動でしょう。 心の中には、悪口言って気分爽快という悪魔が住み続けたままです。 いらすとやさんより   一方、「掃き出す」は、心の中のクリーニングに繋がります。 心の中をきれいにするのです。 単に愚痴を言うのではなく、「メタ認知力」つまり、実際のところ自分はどうだったのか、 そして相手の思いはどうだったのかと、客観的に考える視点を持ちながら、ストレスを掃き出していきます。 いらすとやさんより   さて、ここで重要なのは、聴き手(多くの場合は上司)の在り方です。 「聞いてください!」と言ってきた人に対して(あるいは聴きに行くこともあるでしょう) 単に愚痴を吐き出させることで終わるのではなく、 「なるほど」と受け止めながらも、そのストレスの要因となったものは何だったのか、 相手はどんな思いでいたのだろうかと、さりげなく「一緒に客観的に考えてみよう」という姿勢を持つことです。 そのためには自分の心もメタ認知力を働かせなければなりません。 いらすとやさんより   ストレスを「吐き出す」は、人の悪口を言ってすっきりする、 匿名のSNSで誹謗中傷してストレスを解消しようとするのと同じです。 心の中の悪魔は大きくなる一方でしょう。 ストレスの解消は「掃き出して」、心の中をきれいにするというのでなければ、 いつまでたっても人間関係の悪のスパイラルから抜け出せないことになるでしょう。
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2022.04.27

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認知症ケアはめっちゃ学びがいっぱい! これから新たにケアの世界に来られる方も多いかと思います。 そのケアの世界でハードルが高いとされるのが認知症ケアです。 認知症の人とどうかかわったらよいかわからない? そうですね。わからないことが一杯かもしれません。 逆に考えれば、謎解きの材料がいっぱいあるということです。 わからないことが一杯ある! 逆に言えば、学ぶことが一杯ある! めっちゃ面白いじゃないですか! いらすとやさんより   もちろん、わかっていく過程にはいろいろ勉強もしていかなければなりませんし、 壁にぶつかることもあるでしょう。 壁にぶつかるということは、それを乗り越えていこうとする 新たなるチャレンジ精神が湧いてくるのです。 いらすとやさんより   壁はあきらめるために存在しているのではないのです。 皆さんの成長のために存在しているのですね。 世の中の全ての発展は、この壁を乗り越えて発展したのですよ! いらすとやさんより   「わからないこと」は皆さんが成長していくために存在するのです。 そして認知症の人は、実は皆さんのケアスキルを めちゃくちゃアップさせてくれる方々なのです。 働きながら自分も成長できる。 それは認知症の人自身も助かることに繋がるのです。 https://yoshijukai.or.jp/ninchisho-yui/wp-content/uploads/sites/9/2022/04/278837951_4817191468406747_4932857067441627028_n.mp4 こんなお得な仕事、いいね!ですね。
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2022.04.25

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全国若年認知症フォーラム開催されました。 昨年実施予定だった広島大会。 今年2月に開催されることになっていましたが、オミクロンが猛威を振るっている時期と重なり、 4月24日、ようやくリモート開催されました。 YouTube配信もあったので、私はそれにて参加しました。 一番印象に残ったのは、広島市西部認知症疾患医療センターの岩崎庸子先生の話でしょうか。 まさしく、「心への働きかけ」が大切なのだと、改めて感じます。 感情への働きかけ、それは1+1=2という論理的なものではないのでしょう。 「心地よさ」(その逆もあり)を感じること、 それが失われた(私たちから見ればそう思ってしまう)能力を最大限に発揮することにつながるのかもしれません。 個別の発表で感じることは、就労支援の難しさです。 当然、介護保険の制度を超えて考えていかなければならないので、垣根を越えた活動が必要になります。 厚労省の資料からわかるように、多くの方が就労を断念しています。 どのように社会の中で活動していただくか、課題解決には多くの人の協力が必要になってくるでしょう。 ちなみにこの資料を見ると、10代、20代の人の発病もあります。 若年認知症は40歳代からのものではないというのがわかります。 新たなる支援策として、「認知症の人と家族への一体的支援」というのが始まっています。 これについては今後情報収集を進めていきたいと思います。 今回、プログラムがいっぱいで、休憩時間もあまりなく、 私もすぐにできるチキンラーメンを食べながらの参加となりました(笑) 来年は、地元東大阪市で開催されます。リモートではなく、会場開催できればいいですね。
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2022.04.23

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認知機能万能の世界での認知症の人 今やスマートフォンは私たちにとって欠かすことができない存在です。 生活必需品というより身体の一部ともいえるかもしれません。 このスマートフォンは「認知機能」の結集だといえます。 認知機能とは、人を取り巻くすべてのことを瞬時のうちに判断する機能です。 明るさ暗さ、温かさ寒さ、人間関係、思考… とにかく生活上かかわるすべてのことを認知機能が判断しています。 自分を取り巻くすべてのことを一瞬に判断するだけでなく、 自分の身体の状況も感じ取ります。 おなかがすいた、どこかが痛いというのも認知機能の一つですね。 ですから認知機能は、人が生活するうえで必要不可欠なものなのです。 そしてスマートフォンは、今では自分の身体の一部とも書きました。 情報を得る、情報を伝えるだけでなく、今や決済もできてしまう。 何でもできてしまう万能な道具でしょう。 同時にスマートフォンがないと今の人は、たちどころに不安になります。 時に自分の自由をも縛ってしまうスマートフォンなのに、 ないと、不安で不安で落ち着かなくなってしまいます。 まさしくスマートフォンに支配された、便利という言葉に目を眩まされた 哀しき人の姿がそこにあります。 でもこの万能な道具は認知機能があってこそ役立つものです。 いらすとやさんより   認知機能が厳しくなっていく認知症の人には 或いは認知機能の活動そのものが弱くなっていく高齢者には どんなに便利な道具であっても、生活するうえで意味のないものといえます。 何を言いたいかというと、認知機能万能の世界にどっぷりと漬かっている私たちは、 認知機能が厳しくなってしまった認知症の人を、排他的に見てしまうということなのです。 認知症の症状ばかりに目を向け、認知機能の世界で生きていくことができなくなった人たち というような視点で見降ろしてしまうこともあるのです。 認知症の人にとって、スマートフォンを忘れた!と不安になる皆さんのことなどどうでもよいのです。 どんなに便利な道具であっても、それはどうでもいいことです。 今この時間、安心して生きていけるのか。そのことのほうがずっと大切なのです。 認知機能の世界から見ている限り、 非認知機能の世界にいる認知症の人のことはわからないでしょう。 私たちはあまりにも便利さに惑わされ、 大切な何かを忘れていってるのではないでしょうか。 例えば、コミュニケーションはSNSを通じて行うことが多くなりました。 逆に言えば、面と向かってしゃべることができなくなっていくでしょう。 いらすとやさんより   休みの日は思い切ってスマートフォンのスイッチをオフにする。 不便さの代わりに自由度がきっと増えます。 スマートフォンのない不便さを今から体感しておかないと、 災害で電波基地局が破壊されたらスマートフォンなど単なる文鎮でしかなくなるのです。 便利さを享受し、活用しながらも、便利さに惑わされないことも必要でしょう。  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 75回目の「英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会」が5月17日開催されました。 地域からの報告では「東大阪市ふれあいまつり」などで徐々に人出が多くなってきているそうです。 地域活動を行うにおいて、コロナ禍はやはり課題になっています。 会館の使用など、まだ地域によってばらつきがあるようです。 今地域の方々が悩んでおられるのは、「秋祭り」をどうするかということらしいです。 地域の方にとって秋祭りは1年間のうちの最大のイベントです。 この2年間中止になっていたので、行いたいところですが、お祭りはどうしても飲酒飲食が伴います。 かなりの人出もあることでしょう。 コロナが収まらない状況が続いているだけに本当に悩ましい状況とのことです。 [caption id="attachment_3760" align="alignnone" width="776"] 左がトライ君 右は「あかにゃん」と言うそうです。[/caption]   また英田南では、「とまれ」のところを止まらず出てきた自転車と自動車が衝突し、 死亡事故につながった事故があったとのこと。 自転車はマナーを守り、自動車の運転も慎重に。 くれぐれも気を付けてください。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 世の中色々起きますが、地道にコツコツと「つながり」を伝えていくことも大切ですね。 生きていく意味が見いだせるからです。 私の後輩は絵がとても上手で、その才能を活かして 子ども向けに「認知症のお話」の紙芝居を作りました。 私は写真が好きですが、絵が上手な人には深く頭が下がります。 写真はあくまでも機械を使いますが、絵は感性を働かせて作り上げていくからです。 そのためか、写真以上に親近感が沸きます。 特にこどもたちには「絵」がめっちゃわかりやすいんですよね。 後輩の才能に脱帽です! [caption id="attachment_3749" align="alignnone" width="500"] 兵庫県認知症介護指導者 矢野健太郎氏作成[/caption]   今回は、YouTube配信のものを見ていただきますが、 社会状況が許せば、配信ではなく、生で子どもたちに伝えれば もっと親近感のあるものになり、 何よりも子どもとの直接的なやり取りもできるでしょう。 ここに「つながり」を伝える大切さがあります。 そういう意味でも「紙芝居」はとても有用性のあるものと思います。 https://www.youtube.com/watch?v=yRdYUwgLYcs どんなにデジタル化が進んでも、面と向かったコミュニケーションがないと 浅いつながりにしかならないでしょう。 キッズサポーター講座もペッパー君を使ってくれと言われます。 でも私は、紙芝居のほうがずっと有用性があると思います。 子どもたちがペッパー君に親近感を持つのではなく、 生のお話を聞かせてくれる人に持つこと。 そのようのことから人と人のつながりが深まっていくのです。
ブログ投稿画像 アーバンケア島之内の前では、今様々な花々が咲いています。 前回のストレスの解消と繋がるものなのですが、 私たちは本当に「その花のエネルギー」に気づいているのだろうか?と思うのです。 [caption id="attachment_3706" align="alignnone" width="1024"] ジャスミンの香りが心にやさしいです[/caption]   ほんの一瞬でもいいのです。 花々の前で立ち止まり、花を見つめると、花から「心の癒し」というエネルギーがもらえるでしょう。 花には私たちの心を癒してくれるというエネルギーがあるのに、 そのことにだんだんと気づかなくなっているのかもしれません。 世の中ぎすぎすしすぎだからでしょうか。 でも、花は認知症の人の心にもやさしく関わってくれます。 認知症の人は世界がどうあろうとも、 デジタルに監視される社会であろうとも そんなこと関係なく、心に一瞬、花から癒しというエネルギーをもらっているでしょう。 [caption id="attachment_3705" align="alignnone" width="1024"] 島之内前の花壇のお花です。[/caption]   世の中デジタル化がどんどん進んでいきます。 いつの間にか人々は「デジタル社会主義」(私たちの生活すべてが、デジタルで管理、監督、そして監視される社会)に 取り込まれていき、花の持つエネルギーすら感じ取れなくなるかもしれません。 [caption id="attachment_3701" align="alignnone" width="500"] いらすとやさんより「AIに支配される人間」[/caption]   そうすると、人の心へのいたわり、気づき、コミュニケーション力も失われていくでしょう。 認知症ケアも瓦解します。 デジタル化に支配されるのではなく、デジタルをうまく活用する。 できるのかな? 今の人間に。
ブログ投稿画像 人は何かとストレスを溜め込む存在です。 自我があり自己防衛機能があるので当然のことといえます。 ケアの現場でのストレスは、ケア実践上でのことは当然としてあるでしょうが、 何よりも対人関係でのストレスが多いといえるでしょう。 そのストレスは、溜め込まないということが大切になります。 人それぞれに、自分なりのストレス対処方法を持っているとは思いますが、 時に誰かに聞いてもらうということ、それは最大のストレス対処になります。 誰かに聞いてもらうことで、自分の中のストレスを「はきだす」のです。 しかしここで考えてほしいのですが、 「吐き出す」と「掃き出す」は意味合いが違ってくるということです。 「愚痴を吐く」という言葉があるように、悪口、文句ばかり言ってストレスを発散させようとする行為です。 典型的なのが、何人か集まって「人の悪口を言う」という行動でしょう。 心の中には、悪口言って気分爽快という悪魔が住み続けたままです。 [caption id="attachment_3704" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   一方、「掃き出す」は、心の中のクリーニングに繋がります。 心の中をきれいにするのです。 単に愚痴を言うのではなく、「メタ認知力」つまり、実際のところ自分はどうだったのか、 そして相手の思いはどうだったのかと、客観的に考える視点を持ちながら、ストレスを掃き出していきます。 [caption id="attachment_3702" align="alignnone" width="289"] いらすとやさんより[/caption]   さて、ここで重要なのは、聴き手(多くの場合は上司)の在り方です。 「聞いてください!」と言ってきた人に対して(あるいは聴きに行くこともあるでしょう) 単に愚痴を吐き出させることで終わるのではなく、 「なるほど」と受け止めながらも、そのストレスの要因となったものは何だったのか、 相手はどんな思いでいたのだろうかと、さりげなく「一緒に客観的に考えてみよう」という姿勢を持つことです。 そのためには自分の心もメタ認知力を働かせなければなりません。 [caption id="attachment_3700" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   ストレスを「吐き出す」は、人の悪口を言ってすっきりする、 匿名のSNSで誹謗中傷してストレスを解消しようとするのと同じです。 心の中の悪魔は大きくなる一方でしょう。 ストレスの解消は「掃き出して」、心の中をきれいにするというのでなければ、 いつまでたっても人間関係の悪のスパイラルから抜け出せないことになるでしょう。
ブログ投稿画像 これから新たにケアの世界に来られる方も多いかと思います。 そのケアの世界でハードルが高いとされるのが認知症ケアです。 認知症の人とどうかかわったらよいかわからない? そうですね。わからないことが一杯かもしれません。 逆に考えれば、謎解きの材料がいっぱいあるということです。 わからないことが一杯ある! 逆に言えば、学ぶことが一杯ある! めっちゃ面白いじゃないですか! [caption id="attachment_3695" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   もちろん、わかっていく過程にはいろいろ勉強もしていかなければなりませんし、 壁にぶつかることもあるでしょう。 壁にぶつかるということは、それを乗り越えていこうとする 新たなるチャレンジ精神が湧いてくるのです。 [caption id="attachment_3693" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   壁はあきらめるために存在しているのではないのです。 皆さんの成長のために存在しているのですね。 世の中の全ての発展は、この壁を乗り越えて発展したのですよ! [caption id="attachment_3694" align="alignnone" width="400"] いらすとやさんより[/caption]   「わからないこと」は皆さんが成長していくために存在するのです。 そして認知症の人は、実は皆さんのケアスキルを めちゃくちゃアップさせてくれる方々なのです。 働きながら自分も成長できる。 それは認知症の人自身も助かることに繋がるのです。 [video width="1920" height="1080" mp4="https://yoshijukai.or.jp/ninchisho-yui/wp-content/uploads/sites/9/2022/04/278837951_4817191468406747_4932857067441627028_n.mp4"][/video] こんなお得な仕事、いいね!ですね。
ブログ投稿画像 昨年実施予定だった広島大会。 今年2月に開催されることになっていましたが、オミクロンが猛威を振るっている時期と重なり、 4月24日、ようやくリモート開催されました。 YouTube配信もあったので、私はそれにて参加しました。 一番印象に残ったのは、広島市西部認知症疾患医療センターの岩崎庸子先生の話でしょうか。 まさしく、「心への働きかけ」が大切なのだと、改めて感じます。 感情への働きかけ、それは1+1=2という論理的なものではないのでしょう。 「心地よさ」(その逆もあり)を感じること、 それが失われた(私たちから見ればそう思ってしまう)能力を最大限に発揮することにつながるのかもしれません。 個別の発表で感じることは、就労支援の難しさです。 当然、介護保険の制度を超えて考えていかなければならないので、垣根を越えた活動が必要になります。 厚労省の資料からわかるように、多くの方が就労を断念しています。 どのように社会の中で活動していただくか、課題解決には多くの人の協力が必要になってくるでしょう。 ちなみにこの資料を見ると、10代、20代の人の発病もあります。 若年認知症は40歳代からのものではないというのがわかります。 新たなる支援策として、「認知症の人と家族への一体的支援」というのが始まっています。 これについては今後情報収集を進めていきたいと思います。 今回、プログラムがいっぱいで、休憩時間もあまりなく、 私もすぐにできるチキンラーメンを食べながらの参加となりました(笑) 来年は、地元東大阪市で開催されます。リモートではなく、会場開催できればいいですね。
ブログ投稿画像 今やスマートフォンは私たちにとって欠かすことができない存在です。 生活必需品というより身体の一部ともいえるかもしれません。 このスマートフォンは「認知機能」の結集だといえます。 認知機能とは、人を取り巻くすべてのことを瞬時のうちに判断する機能です。 明るさ暗さ、温かさ寒さ、人間関係、思考… とにかく生活上かかわるすべてのことを認知機能が判断しています。 自分を取り巻くすべてのことを一瞬に判断するだけでなく、 自分の身体の状況も感じ取ります。 おなかがすいた、どこかが痛いというのも認知機能の一つですね。 ですから認知機能は、人が生活するうえで必要不可欠なものなのです。 そしてスマートフォンは、今では自分の身体の一部とも書きました。 情報を得る、情報を伝えるだけでなく、今や決済もできてしまう。 何でもできてしまう万能な道具でしょう。 同時にスマートフォンがないと今の人は、たちどころに不安になります。 時に自分の自由をも縛ってしまうスマートフォンなのに、 ないと、不安で不安で落ち着かなくなってしまいます。 まさしくスマートフォンに支配された、便利という言葉に目を眩まされた 哀しき人の姿がそこにあります。 でもこの万能な道具は認知機能があってこそ役立つものです。 [caption id="attachment_3678" align="alignnone" width="224"] いらすとやさんより[/caption]   認知機能が厳しくなっていく認知症の人には 或いは認知機能の活動そのものが弱くなっていく高齢者には どんなに便利な道具であっても、生活するうえで意味のないものといえます。 何を言いたいかというと、認知機能万能の世界にどっぷりと漬かっている私たちは、 認知機能が厳しくなってしまった認知症の人を、排他的に見てしまうということなのです。 認知症の症状ばかりに目を向け、認知機能の世界で生きていくことができなくなった人たち というような視点で見降ろしてしまうこともあるのです。 認知症の人にとって、スマートフォンを忘れた!と不安になる皆さんのことなどどうでもよいのです。 どんなに便利な道具であっても、それはどうでもいいことです。 今この時間、安心して生きていけるのか。そのことのほうがずっと大切なのです。 認知機能の世界から見ている限り、 非認知機能の世界にいる認知症の人のことはわからないでしょう。 私たちはあまりにも便利さに惑わされ、 大切な何かを忘れていってるのではないでしょうか。 例えば、コミュニケーションはSNSを通じて行うことが多くなりました。 逆に言えば、面と向かってしゃべることができなくなっていくでしょう。 [caption id="attachment_3677" align="alignnone" width="141"] いらすとやさんより[/caption]   休みの日は思い切ってスマートフォンのスイッチをオフにする。 不便さの代わりに自由度がきっと増えます。 スマートフォンのない不便さを今から体感しておかないと、 災害で電波基地局が破壊されたらスマートフォンなど単なる文鎮でしかなくなるのです。 便利さを享受し、活用しながらも、便利さに惑わされないことも必要でしょう。