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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2023.03.03

認知症の教室(専門職用)
お雛祭りに春を感じる ある認知症の人が、ひな人形に話し掛けていました。 「毎日朝から晩まで、重たい着物着て座っていたらしんどいやろうに…」 その方の気遣いが感じられますね。 人形であれ、意思を持たないあらゆる個体(椅子とか机とか、 日常生活におけるあらゆるもの)であれ、 それに対する気遣いを持つということは、 物を大切にするということに繋がるのかもしれません。 現にこのひな人形、当直者も寝静まる時間帯に、 「あ~あ、今日も一日座りっぱなしで疲れた!」と言って、 足を延ばしているのです。 「それにこの着物、重たくて肩が凝る…」 その女雛の言葉に、男雛が立ち上がり、女雛の肩をやさしく揉んであげているのです。 なるほど、女雛は男雛より年上に見えますね。 そして二人は当直者が起きだしてくる前に、 「さ、元の形に戻りましょう」 と言って、伸ばしていた足を元に戻すのです。 皆さんは気づいたことがありませんが? 動かないはずの人形が、 次の日、ほんのちょっと位置がずれていたり、 形がわずかながら変わったりしていることに。 因みに男雛が向かって左側に座っているのは関東。 主に京都(関西)は、男雛が右側、女雛が左側だそうです。 このお二人は関東出身かもしれません。 そして3月 花々のつぼみも大きくなってきました。 春はすぐそこまで来ているようです。
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2023.03.01

認知症の教室(専門職用)
オーケストラからケアの現場を考える・シンフォニーホールへ再び 日曜日に訪れたシンフォニーホール 火曜日に再び訪れました。 日曜日は超満員でしたが、火曜日は新進演奏家育成プロジェクトということもあり、 ちょっと寂しい入りだったかな。 朝日放送(ABC)が建てた(今は別会社が運営)ザ・シンフォニーホールも40年ですか。 その間、何回訪れたことでしょうか。 前述したクラシック好きの認知症のAさんとの出会いがなければ、 このホールに生演奏を聴きに来ることもなかったかもしれません。 今回は難解な音楽ばかりで、初めての人にはとっつきにくかったかもしれませんね。 オーケストラは、一人一人が切磋琢磨する上で(一人一人の技術を磨き、他のメンバーはライバルにもなる)、 チームワークを作り上げていきます。 いがみ合っていてはいい音楽は作れません。 オーケストラにもやはり序列がありますが、 それでも観衆により良い音楽を提供するために、チームとしてまとまっていきます。 その姿は、チームで動くケアの現場と重なるものがあります。 そういう意味で今回私は、オーケストラの動きとチームワークも見ていました。 さらに今回は若手の育成プログラムですから、 そのソリストたちの下支えとしてのオーケストラになります。 当たり前ですが、ひとりひとりのポジション(担当楽器)に真剣に取り組んでいる姿が見て取れました。 それはケアの現場も同じですね。 人間ですから文句は出てくるでしょうが、文句を言ってる時間を技術を磨くことに団員は傾けているのです。 オーケストラで大切なのはコンサートマスター(コンマス)の存在です。 一見指揮者のようにも思えますが、このコンマスこそが、オーケストラをまとめる重要な役割を担っています。 ケアの現場も、施設長(指揮者)もさることながら、 コンマスの立場にいる人が重要なカギを握ると言えます。 新進演奏家の皆様の頑張りは良かったですね。 今回英田地区認知症ケアネットワーク委員会の委員の先生のご子息が登壇され、 素晴らしい演奏を聴かせてくれました。 ラフマニノフの難曲を暗譜で弾かれたダイナミックな演奏、これから期待できますね。 このような機会を与えていただいた委員の先生に感謝です。 ありがとうございました。
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2023.02.28

認知症の教室(専門職用)
83歳のタクト 「チャイコフスキー交響曲第6番悲愴」 まだ私が某施設で生活相談員の職についていた時のことです。 車いすに乗った認知症状のあるAさんは、常にケア職員に罵倒を浴びせ、 時に職員に車いすごとぶつかっていく、当時としてはケア職員から見て難儀な入居者でした。 私もどう関わったらいいかわからなかったのですが、 そのAさんの枕元に、クラシック音楽が入ったテープを多く見つけました。 当時、少しはクラシックに興味があった私は、Aさんにクラシック音楽のことで話し掛けました。 「好きな曲は何ですか?」と聞くと、「チャイコ、6番」と答えます。 チャイコフスキー作曲の「交響曲第6番悲愴」のことでした。 そこで、6番のCDを買ってきて、Aさんに聴いてもらいました。 落ち着きなく動き回るAさんが、約45分の演奏の間、ずっと落ち着いて聴いていたのです。 色々話をすると、青春時代につきあっていた男性がこの曲が好きで、 それ以来この曲だけでなく、クラシック音楽も好きになったとか。 以降、録画した演奏会を見てもらったりもしました。 オーケストラの配置(第1ヴァイオリン、第2バイオリン、ビオラの位置とか…)についても教えてもらったりしました。 以降、私にとってもチャイコフスキー第6番悲愴は忘れえぬ曲となったのです。 その悲愴を先日の日曜日、シンフォニーホールに聴きに行きました。 指揮者は今年83歳になる小林研一郎。 かつて何度もこの指揮者の曲を聴きに行ったことがありますが、日本でも有数の指揮者です。 そのコバケンもかなりのご高齢ながら、熱い指揮姿を見せてくれました。 タクトを振るうというより、「思い」を全身でオーケストラに伝えていく (実際、あまりタクトを振らなかった)そんな感じでした。 「悲愴」の第1楽章は戦争や災害、コロナなどで苦しむ人々の苦悩が、 第4楽章は老いと死を見つめるような心にぐっと入る魂の演奏でした。 因みにもう一つのプログラムはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。 この演目、今日も聴きに行くんですよね~(苦笑)
ブログ投稿画像 ある認知症の人が、ひな人形に話し掛けていました。 「毎日朝から晩まで、重たい着物着て座っていたらしんどいやろうに…」 その方の気遣いが感じられますね。 人形であれ、意思を持たないあらゆる個体(椅子とか机とか、 日常生活におけるあらゆるもの)であれ、 それに対する気遣いを持つということは、 物を大切にするということに繋がるのかもしれません。 現にこのひな人形、当直者も寝静まる時間帯に、 「あ~あ、今日も一日座りっぱなしで疲れた!」と言って、 足を延ばしているのです。 「それにこの着物、重たくて肩が凝る…」 その女雛の言葉に、男雛が立ち上がり、女雛の肩をやさしく揉んであげているのです。 なるほど、女雛は男雛より年上に見えますね。 そして二人は当直者が起きだしてくる前に、 「さ、元の形に戻りましょう」 と言って、伸ばしていた足を元に戻すのです。 皆さんは気づいたことがありませんが? 動かないはずの人形が、 次の日、ほんのちょっと位置がずれていたり、 形がわずかながら変わったりしていることに。 因みに男雛が向かって左側に座っているのは関東。 主に京都(関西)は、男雛が右側、女雛が左側だそうです。 このお二人は関東出身かもしれません。 そして3月 花々のつぼみも大きくなってきました。 春はすぐそこまで来ているようです。
ブログ投稿画像 日曜日に訪れたシンフォニーホール 火曜日に再び訪れました。 日曜日は超満員でしたが、火曜日は新進演奏家育成プロジェクトということもあり、 ちょっと寂しい入りだったかな。 朝日放送(ABC)が建てた(今は別会社が運営)ザ・シンフォニーホールも40年ですか。 その間、何回訪れたことでしょうか。 前述したクラシック好きの認知症のAさんとの出会いがなければ、 このホールに生演奏を聴きに来ることもなかったかもしれません。 今回は難解な音楽ばかりで、初めての人にはとっつきにくかったかもしれませんね。 オーケストラは、一人一人が切磋琢磨する上で(一人一人の技術を磨き、他のメンバーはライバルにもなる)、 チームワークを作り上げていきます。 いがみ合っていてはいい音楽は作れません。 オーケストラにもやはり序列がありますが、 それでも観衆により良い音楽を提供するために、チームとしてまとまっていきます。 その姿は、チームで動くケアの現場と重なるものがあります。 そういう意味で今回私は、オーケストラの動きとチームワークも見ていました。 さらに今回は若手の育成プログラムですから、 そのソリストたちの下支えとしてのオーケストラになります。 当たり前ですが、ひとりひとりのポジション(担当楽器)に真剣に取り組んでいる姿が見て取れました。 それはケアの現場も同じですね。 人間ですから文句は出てくるでしょうが、文句を言ってる時間を技術を磨くことに団員は傾けているのです。 オーケストラで大切なのはコンサートマスター(コンマス)の存在です。 一見指揮者のようにも思えますが、このコンマスこそが、オーケストラをまとめる重要な役割を担っています。 ケアの現場も、施設長(指揮者)もさることながら、 コンマスの立場にいる人が重要なカギを握ると言えます。 新進演奏家の皆様の頑張りは良かったですね。 今回英田地区認知症ケアネットワーク委員会の委員の先生のご子息が登壇され、 素晴らしい演奏を聴かせてくれました。 ラフマニノフの難曲を暗譜で弾かれたダイナミックな演奏、これから期待できますね。 このような機会を与えていただいた委員の先生に感謝です。 ありがとうございました。
ブログ投稿画像 まだ私が某施設で生活相談員の職についていた時のことです。 車いすに乗った認知症状のあるAさんは、常にケア職員に罵倒を浴びせ、 時に職員に車いすごとぶつかっていく、当時としてはケア職員から見て難儀な入居者でした。 私もどう関わったらいいかわからなかったのですが、 そのAさんの枕元に、クラシック音楽が入ったテープを多く見つけました。 当時、少しはクラシックに興味があった私は、Aさんにクラシック音楽のことで話し掛けました。 「好きな曲は何ですか?」と聞くと、「チャイコ、6番」と答えます。 チャイコフスキー作曲の「交響曲第6番悲愴」のことでした。 そこで、6番のCDを買ってきて、Aさんに聴いてもらいました。 落ち着きなく動き回るAさんが、約45分の演奏の間、ずっと落ち着いて聴いていたのです。 色々話をすると、青春時代につきあっていた男性がこの曲が好きで、 それ以来この曲だけでなく、クラシック音楽も好きになったとか。 以降、録画した演奏会を見てもらったりもしました。 オーケストラの配置(第1ヴァイオリン、第2バイオリン、ビオラの位置とか…)についても教えてもらったりしました。 以降、私にとってもチャイコフスキー第6番悲愴は忘れえぬ曲となったのです。 その悲愴を先日の日曜日、シンフォニーホールに聴きに行きました。 指揮者は今年83歳になる小林研一郎。 かつて何度もこの指揮者の曲を聴きに行ったことがありますが、日本でも有数の指揮者です。 そのコバケンもかなりのご高齢ながら、熱い指揮姿を見せてくれました。 タクトを振るうというより、「思い」を全身でオーケストラに伝えていく (実際、あまりタクトを振らなかった)そんな感じでした。 「悲愴」の第1楽章は戦争や災害、コロナなどで苦しむ人々の苦悩が、 第4楽章は老いと死を見つめるような心にぐっと入る魂の演奏でした。 因みにもう一つのプログラムはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。 この演目、今日も聴きに行くんですよね~(苦笑)