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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2024.07.05

認知症の教室(専門職用)
昨年の認知症行方不明者は1万9千人! 認知症の行方不明者が11年連続で増加し、昨年は1万9039名だったそうです。 (同じ人が何回も保護されるケースも含まれていますが) そのうち、亡くなった方が、502名、昨年中に見つからなかった方が250名もおられたそうです。 502名という数字はかなり大きいですね。 高齢者の増加とともに、行方不明者も増えていると言えますが、 以前のことを思えば、最近はGPSの活用などで まだ発見されやすくなったとはいえ、いまだ行方不明の方が昨年だけで250名もおられるのです。 必ずしも本人がGPSを持ち歩くわけでもなく、靴に付けても必ずその靴を履くわけでもありません。 警察への連絡は重要ですが、 やはりマニアックかもしれませんが、地域の見守りが重要です。 地域が繋がっていくという意味も含めて、 毎年実施している「安心声掛けつながり訓練」はベーシックでかつ大切な イベントとなっているのです。 少しでも早く、道迷いの人を見つけ、連絡すること。 そうすることで、不幸な出来事を減らすことに繋がるのです。 今年の夏はさらに厳しい酷暑になっています。 道迷いの人も、そうでない熱中症の人も、早期発見ですね。 ちょっとしたおせっかいからの声掛け、 そのちょっとしたおせっかいが、命を救うことに繋がるかもしれません。      
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2024.07.01

認知症の教室(専門職用)
夢に現れた40年前の認知症の人 何故か、認知症の人と関わり始めたころに接した人のことは、 名前どころか、様々なエピソードも含めて結構覚えています。 それだけ初めて認知症の人と接したころのことは強烈な体験だったのでしょう。 そんなかなりエキサイティングな記憶がある認知症の方々の中の一人が何故か夢に出てきました。 なんとまだご健在で、当老人ホームに入所希望という夢なのです。 40年前、当時私が勤めていた施設の入居者なんですが、 当時で80代でしたから、今なら120歳代ということになりますね。 まぁ夢ですから大体訳の分からないものを見てしまいます。 思い起こせば、当時の認知症の人との関りは、 当の本人も、そして私たちも「奔放」だったと言えます。 認知症ケアの研修すらない頃、特養に認知症の人が入所すること自体が まれな頃だったのです。(多くの認知症の人は精神病院に入院させられ、身体拘束と薬漬けの上で亡くなっていった) まず、施設はノーロックだったので、皆さんドンドン出て行かれます。 その都度一緒に「当時でいう徘徊」に付きあうか、行方不明になって大捜索なんてことが度々でした。 出て行かれた人との付き添いは、時に怒鳴られ、叩かれるという人もあれば、 3時間、4時間と遠方まで一緒に歩いたこともあります。 今と違って携帯電話なんてない時代。施設に連絡するのも大変だったのです。 書き出せば物凄い量になるくらい、当時の認知症の人との思い出は一杯あります。 ある意味、認知症の人の行動に対して制限は少なく、 その分行動も奔放だったのですが、 暗中模索の私たちのケアも、好き勝手なことをやっていたことを思うと、 奔放だったのかもしれません。 例えば、家に帰るという人に電話を家にするからお家の人の言うことを聞いてね、と、 内線電話で息子に扮した職員と対話させるなど、 今から思えば、「振り込み詐欺まがい」のこともやってましたね。 或いは、夕暮れ時になると、皆さん帰る帰るというので、 数名まとめてマイクロバスに乗って公園に散歩に行ったり、レストランにお茶しに行き、 帰る時間が夕ご飯を過ぎて、ケアスタッフさんに怒られたこともあります。 まぁ当時は私たちも結構好き勝手にやんちゃしてたのですね。 そんな中に夢に出てきた人もいたのです。 ほんとにこの方とのやり取りも色々あり、書き出すと長くなってしまいますので割愛しますが、 とても思い出深いものなのです。 しかし、ケア側として、今、奔放なケアができるのかというと、 もう難しい時代になったと言えるかもしれません。 今はクレーム対応に気を遣い、コンプライアンスにがんじがらめ、 そして認知症の人に対しても、いかにコントロールしていくかがポイントになっているように思います。 昭和は不適切こともたくさんありましたが、 今よりはずっと自由だったと言えるかもしれません。 なぜ今になってその当時の人が夢に出てきたのか?  それは奔放さを忘れ、 心や考え方が小さくなっている自分自身への戒めだったのかもしれません。
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2024.06.28

認知症の教室(専門職用)
他人事ではなく自分事。今が心配なのです。 地域住民向け認知症サポーター講座に行ってきました。 最近は地域からの要望が多いですね。 16年後には、認知症予備軍の人も含めて3人に1人が認知症になると言っても、 やはり参加される方は、今が心配なのです。 高齢の方の参加が多い場合、 通常のサポーター講座の内容では心にヒットしないかもしれません。 高齢でない方が受講者の場合、 認知症の人への理解を、ある意味「他人事」だからこそ学びになるところがあります。 ところが、高齢者が受講者の場合、認知症は決して「他人事」ではなく、 「自分事」として捉えるでしょう。 自分は他人事でありたいと思っていても、自分事としてまじかにあるものなのです。 その不安は、若い人以上に感じるところがあるでしょう。 この後さらに参加者が増え、満席になりました。   サポーター講座はどこか「他人事」から入るところがあるとも言えます。 そう、認知症は他人事だからこそ、認知症の人への理解の学びを実践するのです。 しかし、高齢者が対象の場合、すぐ隣りにいる「自分事」への不安に対する 受容が必要になるでしょう。 さらに、何とか他人事でありたいという思いが、認知症にならないための 予防法を知りたいと思うのは、当然のことだと言えます。 型通りのサポーター講座ではなく、 受講者の状況も見ながら、受講者の不安も受け止めた サポーター講座にしなければならないと、 日々思うのです。  
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2024.06.25

認知症の教室(専門職用)
安心声掛けつながり訓練開催しました! 道に迷っている認知症の人にあたたかい声掛けをする訓練 「第8回英田南校区安心声掛けつながり訓練」が6月22日に開催されました。 「認知症でも大丈夫!自分力とお助け力でつながるまちづくり」をスローガンに、 この訓練を始めて9年になります。 80名以上の地域住民の方が参加してくれました   コロナの時は中止もありましたが、小規模実施で続けてきました。 英田南校区では、第8回目になる訓練は、 地域住民の方が90名近く(認知症役を演じてくれた5名の方を含む)参加してくれました。 オレンジチームの紹介もしてもらいました   会場はアーバンチャイルドこども園の大ホールをお借りして実施しました。 社協さんや市の地域包括ケア課、河内警察署などのネットワーク委員をはじめ、 各町会の町会長や民生委員さんの協力もいただき、 安心して暮らせる、顔が見える関係づくりの場になればとも思います。 道迷いの人だけでなく、いつもと違う元気のない人への声掛け法も見てもらいました。   また今回は、道迷いの人だけでなく、これまで元気だった人が いつもと違うな? ちょっとおかしいかな?と、 「ちょっとしたおせっかい」も認知症の早期発見につながると、 声掛けの練習をしてもらいました。 河内警察署にもおはなししてもらいました   それにしても、認知症役を演じてくれた地域住民の方、 皆さん、迫真の演技でした。 認知症の人の思いに最も近づき、 かつ、どのような声掛けをされたら安心するのか、 それを肌で感じられた、今回一番得した人たちだったのではないかと思います。 ありがとうございました。 捜索開始です   子どもさんたちも参加され、元気よく声を掛けてくれてましたね。 そして訓練終了後は、みんなで食するカレーライスタイムの復活です。 子どもさんも元気に参加してくれました   なお、今回の訓練の様子は、7月3日のJコム「虹色ネットワーク」の中で 放送されます。 以下、訓練の様子の写真です。 声掛け訓練中。本当は取り囲むのは✕ですが、今回は訓練なので。 子どもたちも一生懸命声を掛けてくれました 認知症役を演じてくれているのは、地域住民の方です ゆっくりとあたたかく、声を掛けていきます。認知症役は地域住民の方です。 認知症役の地域住民の方、迫真の演技でなかなか見つけることができませんでした。その間、実際の方と遭遇。 一生懸命声を掛けてくれる参加者です。 場所を提供していただいたこども園の園長先生にもコメントいただきました。 連合会長の寺尾会長からもあたたかいコメントをいただきました。    
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2024.06.12

認知症の教室(専門職用)
認知症ケア学会が開催されます 今年も認知症ケア学会開催ですね。 場所は東京 テーマが「AIと認知症」 ついに認知症の世界にも、AIが来たかという感じですね。 でもね、なんか違和感があるのですね。 もちろんAIを否定しているわけではないのですが、 また、このご時世ですから、活用できるところはドンドン使っちゃおうでいいと思います。 例えば、認知症の人が置かれている状況を、AIは即座に分析して、 対応方法を提示してくれるかもしれません。 ケアマネジャーのケアプランも、AIならあっという間に作ってしまうかもしれません。 確かに業務量を減らすことに貢献できる! スタッフの負担軽減に繋がるのですから! でもね、どうなんでしょう? 認知症の人との関り 色々な記録関係や情報収集はAIに任せたとして、 やはり認知症の人と直接かかわる介護者は、「人と人」の繋がりから来る コミュニケーション技法などを、マニアックに学んでいかなければならないと思うのです。 そう、マニュアルワーク(手作業)なところがあるのが認知症ケアとも言えます。 あまりにもAIに頼りすぎると、人間は「考える」ことをしなくなり、 気が付けば、AIの言いなりになっている、ということにもなるかもしれませんね。 認知症ケア学会では、どのような話が聞けるのでしょうか? 写真は、幻のアジサイと言われている「シチダンカ」です。
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2024.06.10

認知症の教室(専門職用)
~心が揺れる~ 家族会より 認知症の人を介護する家族の会「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回は8名の方が参加されました。 娘、息子、夫、妻、嫁という様々な立場の方が参加されました。 個々それぞれの思いを打ち明けられていましたが、 共通していたのは、 「わかってはいても、つい怒ってしまう」と言うことです。 そしてそのあと、怒ってしまった自分を責めているのです。 そりゃそうですよね。 日頃から様々な認知症状に悩まされている介護者からすると、 ついついイラっとしてしまうことは当たり前と言えるでしょう。 そしてイラっとしてしまった自分を責める。 介護者にとっては逃げるに逃げられない状況の上、 毎日のこと。ついつい怒ってしまうことはあるでしょう。 「怒ったらあかんとわかっていても、怒ってしまう。」のです。 介護者の心は揺れまくりです。 また家での介護に限界を生じたときどうするか 家族の大いなる悩みは、「入所を考えるのか」 「入所後後悔しないだろうか」という 入所か否か、さらに入所してもらって、はたして心は落ち着くのだろうか? そんな悩みに心が揺れているという話も何人かから聞かれました。 施設入所させることに対する罪の意識のようなもの そして施設入所しても、そのような意識が続くのではないか… とても大きな家族の決断と悩みと言えるかもしれません。 心の揺れは、どのような決断をしたとしても続くのかもしれません。 ひとつ大事なことは、介護者(家族)が倒れたら、 当事者共々大変な状況になってしまうということです。 介護者にも介護者の人生があります。 自分の時間が欲しいということがいくらでもあると言えるでしょう。 介護者自身の人生も大切にすること。 それが第一でしょう。 しかし、心の揺れはどのような状況であれ、ついて回るかもしれません。 その心の揺れを受け止め、支えることが専門職の役割でもあるのです。
ブログ投稿画像 認知症の行方不明者が11年連続で増加し、昨年は1万9039名だったそうです。 (同じ人が何回も保護されるケースも含まれていますが) そのうち、亡くなった方が、502名、昨年中に見つからなかった方が250名もおられたそうです。 502名という数字はかなり大きいですね。 高齢者の増加とともに、行方不明者も増えていると言えますが、 以前のことを思えば、最近はGPSの活用などで まだ発見されやすくなったとはいえ、いまだ行方不明の方が昨年だけで250名もおられるのです。 必ずしも本人がGPSを持ち歩くわけでもなく、靴に付けても必ずその靴を履くわけでもありません。 警察への連絡は重要ですが、 やはりマニアックかもしれませんが、地域の見守りが重要です。 地域が繋がっていくという意味も含めて、 毎年実施している「安心声掛けつながり訓練」はベーシックでかつ大切な イベントとなっているのです。 少しでも早く、道迷いの人を見つけ、連絡すること。 そうすることで、不幸な出来事を減らすことに繋がるのです。 今年の夏はさらに厳しい酷暑になっています。 道迷いの人も、そうでない熱中症の人も、早期発見ですね。 ちょっとしたおせっかいからの声掛け、 そのちょっとしたおせっかいが、命を救うことに繋がるかもしれません。      
ブログ投稿画像 何故か、認知症の人と関わり始めたころに接した人のことは、 名前どころか、様々なエピソードも含めて結構覚えています。 それだけ初めて認知症の人と接したころのことは強烈な体験だったのでしょう。 そんなかなりエキサイティングな記憶がある認知症の方々の中の一人が何故か夢に出てきました。 なんとまだご健在で、当老人ホームに入所希望という夢なのです。 40年前、当時私が勤めていた施設の入居者なんですが、 当時で80代でしたから、今なら120歳代ということになりますね。 まぁ夢ですから大体訳の分からないものを見てしまいます。 思い起こせば、当時の認知症の人との関りは、 当の本人も、そして私たちも「奔放」だったと言えます。 認知症ケアの研修すらない頃、特養に認知症の人が入所すること自体が まれな頃だったのです。(多くの認知症の人は精神病院に入院させられ、身体拘束と薬漬けの上で亡くなっていった) まず、施設はノーロックだったので、皆さんドンドン出て行かれます。 その都度一緒に「当時でいう徘徊」に付きあうか、行方不明になって大捜索なんてことが度々でした。 出て行かれた人との付き添いは、時に怒鳴られ、叩かれるという人もあれば、 3時間、4時間と遠方まで一緒に歩いたこともあります。 今と違って携帯電話なんてない時代。施設に連絡するのも大変だったのです。 書き出せば物凄い量になるくらい、当時の認知症の人との思い出は一杯あります。 ある意味、認知症の人の行動に対して制限は少なく、 その分行動も奔放だったのですが、 暗中模索の私たちのケアも、好き勝手なことをやっていたことを思うと、 奔放だったのかもしれません。 例えば、家に帰るという人に電話を家にするからお家の人の言うことを聞いてね、と、 内線電話で息子に扮した職員と対話させるなど、 今から思えば、「振り込み詐欺まがい」のこともやってましたね。 或いは、夕暮れ時になると、皆さん帰る帰るというので、 数名まとめてマイクロバスに乗って公園に散歩に行ったり、レストランにお茶しに行き、 帰る時間が夕ご飯を過ぎて、ケアスタッフさんに怒られたこともあります。 まぁ当時は私たちも結構好き勝手にやんちゃしてたのですね。 そんな中に夢に出てきた人もいたのです。 ほんとにこの方とのやり取りも色々あり、書き出すと長くなってしまいますので割愛しますが、 とても思い出深いものなのです。 しかし、ケア側として、今、奔放なケアができるのかというと、 もう難しい時代になったと言えるかもしれません。 今はクレーム対応に気を遣い、コンプライアンスにがんじがらめ、 そして認知症の人に対しても、いかにコントロールしていくかがポイントになっているように思います。 昭和は不適切こともたくさんありましたが、 今よりはずっと自由だったと言えるかもしれません。 なぜ今になってその当時の人が夢に出てきたのか?  それは奔放さを忘れ、 心や考え方が小さくなっている自分自身への戒めだったのかもしれません。
ブログ投稿画像 地域住民向け認知症サポーター講座に行ってきました。 最近は地域からの要望が多いですね。 16年後には、認知症予備軍の人も含めて3人に1人が認知症になると言っても、 やはり参加される方は、今が心配なのです。 高齢の方の参加が多い場合、 通常のサポーター講座の内容では心にヒットしないかもしれません。 高齢でない方が受講者の場合、 認知症の人への理解を、ある意味「他人事」だからこそ学びになるところがあります。 ところが、高齢者が受講者の場合、認知症は決して「他人事」ではなく、 「自分事」として捉えるでしょう。 自分は他人事でありたいと思っていても、自分事としてまじかにあるものなのです。 その不安は、若い人以上に感じるところがあるでしょう。 [caption id="attachment_5731" align="alignnone" width="2560"] この後さらに参加者が増え、満席になりました。[/caption]   サポーター講座はどこか「他人事」から入るところがあるとも言えます。 そう、認知症は他人事だからこそ、認知症の人への理解の学びを実践するのです。 しかし、高齢者が対象の場合、すぐ隣りにいる「自分事」への不安に対する 受容が必要になるでしょう。 さらに、何とか他人事でありたいという思いが、認知症にならないための 予防法を知りたいと思うのは、当然のことだと言えます。 型通りのサポーター講座ではなく、 受講者の状況も見ながら、受講者の不安も受け止めた サポーター講座にしなければならないと、 日々思うのです。  
ブログ投稿画像 道に迷っている認知症の人にあたたかい声掛けをする訓練 「第8回英田南校区安心声掛けつながり訓練」が6月22日に開催されました。 「認知症でも大丈夫!自分力とお助け力でつながるまちづくり」をスローガンに、 この訓練を始めて9年になります。 [caption id="attachment_5708" align="alignnone" width="1600"] 80名以上の地域住民の方が参加してくれました[/caption]   コロナの時は中止もありましたが、小規模実施で続けてきました。 英田南校区では、第8回目になる訓練は、 地域住民の方が90名近く(認知症役を演じてくれた5名の方を含む)参加してくれました。 [caption id="attachment_5702" align="alignnone" width="1600"] オレンジチームの紹介もしてもらいました[/caption]   会場はアーバンチャイルドこども園の大ホールをお借りして実施しました。 社協さんや市の地域包括ケア課、河内警察署などのネットワーク委員をはじめ、 各町会の町会長や民生委員さんの協力もいただき、 安心して暮らせる、顔が見える関係づくりの場になればとも思います。 [caption id="attachment_5703" align="alignnone" width="1600"] 道迷いの人だけでなく、いつもと違う元気のない人への声掛け法も見てもらいました。[/caption]   また今回は、道迷いの人だけでなく、これまで元気だった人が いつもと違うな? ちょっとおかしいかな?と、 「ちょっとしたおせっかい」も認知症の早期発見につながると、 声掛けの練習をしてもらいました。 [caption id="attachment_5707" align="alignnone" width="1600"] 河内警察署にもおはなししてもらいました[/caption]   それにしても、認知症役を演じてくれた地域住民の方、 皆さん、迫真の演技でした。 認知症の人の思いに最も近づき、 かつ、どのような声掛けをされたら安心するのか、 それを肌で感じられた、今回一番得した人たちだったのではないかと思います。 ありがとうございました。 [caption id="attachment_5704" align="alignnone" width="1600"] 捜索開始です[/caption]   子どもさんたちも参加され、元気よく声を掛けてくれてましたね。 そして訓練終了後は、みんなで食するカレーライスタイムの復活です。 [caption id="attachment_5717" align="alignnone" width="1600"] 子どもさんも元気に参加してくれました[/caption]   なお、今回の訓練の様子は、7月3日のJコム「虹色ネットワーク」の中で 放送されます。 以下、訓練の様子の写真です。 [caption id="attachment_5709" align="alignnone" width="1600"] 声掛け訓練中。本当は取り囲むのは✕ですが、今回は訓練なので。[/caption] [caption id="attachment_5710" align="alignnone" width="1600"] 子どもたちも一生懸命声を掛けてくれました[/caption] [caption id="attachment_5711" align="alignnone" width="1600"] 認知症役を演じてくれているのは、地域住民の方です[/caption] [caption id="attachment_5712" align="alignnone" width="1600"] ゆっくりとあたたかく、声を掛けていきます。認知症役は地域住民の方です。[/caption] [caption id="attachment_5713" align="alignnone" width="1600"] 認知症役の地域住民の方、迫真の演技でなかなか見つけることができませんでした。その間、実際の方と遭遇。[/caption] [caption id="attachment_5714" align="alignnone" width="1600"] 一生懸命声を掛けてくれる参加者です。[/caption] [caption id="attachment_5716" align="alignnone" width="1600"] 場所を提供していただいたこども園の園長先生にもコメントいただきました。[/caption] [caption id="attachment_5715" align="alignnone" width="1600"] 連合会長の寺尾会長からもあたたかいコメントをいただきました。[/caption]    
ブログ投稿画像 今年も認知症ケア学会開催ですね。 場所は東京 テーマが「AIと認知症」 ついに認知症の世界にも、AIが来たかという感じですね。 でもね、なんか違和感があるのですね。 もちろんAIを否定しているわけではないのですが、 また、このご時世ですから、活用できるところはドンドン使っちゃおうでいいと思います。 例えば、認知症の人が置かれている状況を、AIは即座に分析して、 対応方法を提示してくれるかもしれません。 ケアマネジャーのケアプランも、AIならあっという間に作ってしまうかもしれません。 確かに業務量を減らすことに貢献できる! スタッフの負担軽減に繋がるのですから! でもね、どうなんでしょう? 認知症の人との関り 色々な記録関係や情報収集はAIに任せたとして、 やはり認知症の人と直接かかわる介護者は、「人と人」の繋がりから来る コミュニケーション技法などを、マニアックに学んでいかなければならないと思うのです。 そう、マニュアルワーク(手作業)なところがあるのが認知症ケアとも言えます。 あまりにもAIに頼りすぎると、人間は「考える」ことをしなくなり、 気が付けば、AIの言いなりになっている、ということにもなるかもしれませんね。 認知症ケア学会では、どのような話が聞けるのでしょうか? 写真は、幻のアジサイと言われている「シチダンカ」です。
ブログ投稿画像 認知症の人を介護する家族の会「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回は8名の方が参加されました。 娘、息子、夫、妻、嫁という様々な立場の方が参加されました。 個々それぞれの思いを打ち明けられていましたが、 共通していたのは、 「わかってはいても、つい怒ってしまう」と言うことです。 そしてそのあと、怒ってしまった自分を責めているのです。 そりゃそうですよね。 日頃から様々な認知症状に悩まされている介護者からすると、 ついついイラっとしてしまうことは当たり前と言えるでしょう。 そしてイラっとしてしまった自分を責める。 介護者にとっては逃げるに逃げられない状況の上、 毎日のこと。ついつい怒ってしまうことはあるでしょう。 「怒ったらあかんとわかっていても、怒ってしまう。」のです。 介護者の心は揺れまくりです。 また家での介護に限界を生じたときどうするか 家族の大いなる悩みは、「入所を考えるのか」 「入所後後悔しないだろうか」という 入所か否か、さらに入所してもらって、はたして心は落ち着くのだろうか? そんな悩みに心が揺れているという話も何人かから聞かれました。 施設入所させることに対する罪の意識のようなもの そして施設入所しても、そのような意識が続くのではないか… とても大きな家族の決断と悩みと言えるかもしれません。 心の揺れは、どのような決断をしたとしても続くのかもしれません。 ひとつ大事なことは、介護者(家族)が倒れたら、 当事者共々大変な状況になってしまうということです。 介護者にも介護者の人生があります。 自分の時間が欲しいということがいくらでもあると言えるでしょう。 介護者自身の人生も大切にすること。 それが第一でしょう。 しかし、心の揺れはどのような状況であれ、ついて回るかもしれません。 その心の揺れを受け止め、支えることが専門職の役割でもあるのです。