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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2024.01.05

認知症の教室(専門職用)
認知症の人との「会話」と「対話」の違い 似たような言葉だけど似て非なるものかもしれません。 同様な言葉に議論(ディスカッション)や討論或いは論争(ディベート)があります。 ここでは、会話と対話(ダイアローグ)について、認知症の人と織り交ぜて書いてみたいと思います。 私も含め、私たちは認知症の人と話すとき、 「会話」で済ませていることがあるのではないかということなのです。 その時を何とか楽しくやり過ごすために、或いはその場を取り繕うためのものとして。 しかし会話はその場限りのもので、その認知症の方の本質的な思いに迫るものではありません。 むしろ認知症の人を上から視点で見て会話するという危険性もはらんでいます。 認知症の人がどのような思いを持っているのか、 同じ人と人として、その本質的な思いに近づくためには「対話」が必要になるのです。 しかし多くの場合、私たちは認知症の人と「会話」をして終わらせてしまいます。 (もちろん、会話タイムが悪いわけではありません) 「時間」という尺度で見れば、「会話」は「流す時間」であり、 「対話」は「濃い時間」と言えるでしょう。 ここという時には、「対話」の力を発揮して、認知症の人の思いを聴き、私も思いを返します。 上から視点になりがちな「会話」とは違うのが、対等な立場で語り合う「対話」なのです。 新家の公民館に飾られています   しかし、世界情勢は論争ばかりで、その論争は解決にはつながりません。 対話にははるかに遠い状況と言えるでしょう。 でも私たちの仕事は、論争ではありません。 それは職員関係でも同じでしょう。 (つづく)
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2023.12.30

認知症の教室(専門職用)
相手視点で考えること ・ 今年1年ありがとうございました 先日デイサービスのある利用者の方が、興奮激しく、何かを訴えておられました。 私を含め、私たちは、「またか、困ったね。」というような思いを持って、 その方を見ていました。 後々、その方が何故激しく怒って訴えていたのかという理由がわかり、 「そんな背景があっての訴えだったのか」と、 単に「また怒ってる、困ったな。」と思っただけの自分を大いに反省したものです。 普段、研修では「相手の視点になって考える」とよくお話をするのですが、 私だけに限らず、「私たちにとって困ってしまう行動」があると、 ついその行動に引きずられ、 本人の意思やその意思に至った原因・理由・背景が見えなくなってしまいます。 そこで、来年はもっと「誰でもできる相手視点に立って考える方法」について、 探究していきたいと思います。 常に課題を持って探求していくこと。もっと頑張らなければならないですね。   ということで、 阪神タイガースが日本一になった2023年もまもなくフィナーレですね。   今年一年、皆様にはお世話になり、また勉強させていただきました。 本当にありがとうありがとうございました。 感謝。 来年もよろしくお願いいたします。  
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2023.12.29

認知症の教室(専門職用)
自分たちが頑張ってきたこと、ほめる内容を考える 認知症の人と関わる中で、 当初めちゃくちゃ対応が大変だった人が いつのまにか穏やかになっておられるという時があると思います。 不穏状態に陥るのは、なんらかの原因・理由があるように 穏やかになられるのも、なんらかの理由があります。 それは多分に職員の関りによるものなのですが、 日々の忙しさからか、折角の自分たちの対応の良かったことを フィードバックせずに終わってしまうことがあります。 それはもったいないですね。 折角自分を褒められる題材なのに。 「なぜ、Aさんは落ち着かれたのか?」 そんなテーマで、一人10枚の付箋を渡し 落ちつかれた原因・背景について、ちょっと空いた時間に書いて ノートブック(ホワイトボードでも可)に貼り付ける。 こうすることで「考えることをする」のがトレーニングになります。 そして、後で数名集まってノートブックに貼り付けられた付箋を整理してみると、 自分たちが頑張った部分が浮き彫りになってくるかもしれません。 そうやって頑張った部分を自分でほめる、或いはほめてもらうこと。 ほめてもらうからには、しっかりと証拠を示すことです。 「なんとなく」とか「知らずうちに」とか「いつのまにか」などという 言葉はよく使いますが、 その「いつのまにか」には必ず何かの要因が働いているのです。 私たちがトイレに行くのは、おしっこをしたいという気持ちになるから ご飯を食べたいと思うのは、空腹を感じているから、と同じように 行動には必ずその行動を起こさせる要因があります。 ですから、穏やかになられたなら、それも何らかの原因・理由があります。 自分たちが頑張ったことが要因になっているならば、 大いに自分たちをほめてあげましょう。 自分をほめる材料があれば、自信にも繋がるのです。 2024年は自分たちに自信をつけること それは自分自身の人生を大切にし、 利用者の人生を大切にすることにも繋がります。
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2023.12.25

認知症の教室(専門職用)
家族会「ほっこりなつどい」開催されました 毎月実施している家族会ですが、 今回は認知症の人を介護されている家族の方が中心の家族会を実施しました。 6名の方が参加されたのですが、 介護者の方の立場は、妻、夫、娘、嫁と、様々な立場の人がおられ、 さらに認知症の当事者の方も、 アルツハイマー型認知病、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症と、様々な症状の方でした。 単に認知症と言っても、このように様々な症状の認知症があり、 そして認知症状の出方も変わってきます。 また、介護者の立場の違いにより、その介護の状況も変わってきます。 このように単に介護者と言っても、立場の違いでの悩み、 さらに当事者の認知症の症状によっても違ってくるのです。 ところがこの立場の違いがあっても、 家族間の話では、その苦労を受け止め、励ますシーンが何度もありました。 状況が違ったとしても、介護での苦労は同じなのです。 また、初参加の方は、 「来てどうするのかと思ったけど、胸の内を話せてよかった」と言われていました。 介護者が倒れたら、一番影響を受けるのは当事者の方です。 そして介護されている方にもそれぞれの人生があり、 その自分の人生の時間を楽しめる時間があっても、当然いいのです。 本人のこともさることながら、介護者自身も心が落ち着けるために、 デイサービスやショートステイのサービスがあります。 そして今回のような「家族会」があって、心に抱えた荷物を下ろすとともに、 また前へ進んでいけるエネルギーをもらうこと。 そんな「セキュアベース」(心の安全基地)としての家族会であったと言えるでしょう。 メリークリスマス! 良い年末をお過ごしください!   次回は1月27日を予定しています。
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2023.12.21

認知症の教室(専門職用)
94回認知症ケアネットワーク推進委員会開催されました 94回目となる「英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会」が開催されました。 地域からの報告では、すっかりと日常の風景が戻ってきたようで、 各地域の新聞も発行されるようになってきました。   しかし河内警察からの報告では、 相変わらず特殊詐欺が頻繁に起きているようです。 NTTの自動音声版のようなものもあるとか。 とにかく「お金を払えば」的なものは、みな詐欺と思ってもいいかもしれません。 特に認知機能の低下により、判断力が少し落ちた方が一番危ないですね。   来年のシンポジウムは、今話題の認知症のお薬について その実像が少しずつ分かってきましたが どのように伝えていくべきか、先生方で思案されるそうです。 1月には詳細決定予定です。 このように94回目を迎えたネットワーク委員会 また様々な取り組みを行いますので、 よろしくお願いします。   年末と言えば、高校ラグビーですね。 昨年に引き続き、英田南自治連合会では、 27,28の朝、ラグビー場来訪者にコーヒーを配られるそうです。 各、先着2,000名様ですので、お早目にお越しください。 因みにネットワーク委員会で使用している英田公民分館ですが NHK土曜ドラマのロケ地に使われたとか。 楽しみですね。(放送はまだ先だそうです) 昔ながらの校舎の雰囲気が残る場所です      
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2023.12.18

認知症の教室(専門職用)
寿命を分けるもの 近い将来的に4人に1人が認知症になる可能性があると言われています。 認知症の進行を止めると言われているお薬が出たと言っても、 まだまだその効果は限定的なようです。 一方、長寿の方も増えてきています。 しかし、私の周辺では、私よりはるかに若い人の死が続いています。 先週の土曜日、研修先の職員から、 共に研修を行っていたN君が亡くなったと聞かされました。 昨年、同じく共に研修を行っていたM君が亡くなったばかりなのに。 二人ともまだ40歳代です。 N君は不器用だけど一生懸命な男でした。 施設での認知症の人の尊厳を維持するために、頑張っていた男でした。 M君に続き、また一人、戦友をなくしたような喪失感があります。 寿命を分けるものっていったい何だろうとも思います。 多くの因子が絡み合ってのことなのでしょうが、 実際のところ、いつどこで何があるのかわからないのが人生で それを自分事として「捉えたくない」のも私たちかもしれません。 それにしても、まだまだこれからという時に、あまりにも早い後輩の死 認知症ケアの改善に向けての、立て続く実践者の死は大いなる痛手です。 昨年は地域包括支援センターで共に働いていた同僚も亡くなり、 次から次へと後輩が去っていきます。 人生いつどこで何が起きるかわかりません。 自分がやりたいことは 後回しにしないこと だと思います。 もしかしたら、認知症の予防ばかり考えるより、 自分がやりたいことに力を注ぐこと。 そうすれば、例え認知症になったとしても、 その力を注いでいることが その後も前向きに生きていくことに繋がるかもしれません。
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2023.12.12

認知症の教室(専門職用)
東大阪市認知症フォーラム開催されました 12月9日 東大阪商工会議所にて 東大阪市認知症フォーラム「つながる・支えあう~わたしたちにできること~」 が開催されました。 約140名の方が来られました。 今回の主体は若年性認知症の理解と支援です。 パネルディスカッションでは、 若年性認知症の妻を介護されている方の体験談を通じて 各関係機関の支援の状況などを伺いました。 (私が進行役をさせていただきました) 若年性認知症の方は、本人にとっても衝撃的であり、 それは家族にとっても同じです。 当事者の方をいかにサポートしていくかとともに 介護をされている方の人生をも大切にしてもらうためのサポートを行う。 そのためには関係機関のみならず、地域の方の理解も必要になりますね。 主治医先生、包括支援センター、ケアマネジャーそして介護者の方 それぞれに熱いお話しでした。 パネルディスカッションの後は、シンガーソングライター若林美樹さんの熱唱でした。 誰もが知っている「異邦人」は皆さんも一緒に歌っておられました。 そして若林さん自らが作詞作曲された若年性認知症の人の応援ソング 「あなたは大切な人」を最後に歌っていただきました。 この歌を始めて披露していただいたのは満開の桜の木の下でした。 その時も当事者の方が泣かれていたのですが、 この日も会場で泣かれている方がおられました。 フォーラム終了後は家族会を実施。 それぞれの思いを掃き出されていましたが、 本当に厳しい毎日を送っておられる状況がひしひしと伝わってきます。 気が付けば、陽がどっぷりとくれていましたが、 ご家族の方も帰り際は少し気持ちが楽になったのでしょうか。 少し元気になられた後ろ姿を見送りながら、私たちも会場を後にしました。
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2023.12.07

認知症の教室(専門職用)
心理学の概念からひもとく認知症(2) 前回ビッグファイブ理論の概念について説明しました。 一般的に使用されている性格分析と言えるものなのですが、 脳科学者の恩蔵絢子氏によれば、「心理学的に、その人らしさ」を表すとなると、 このビッグファイブになるだろうとのこと。 しかしそれゆえに、認知症の人をこの理論に当てはめてしまうと、 私たちは大いなる勘違いをするということなのです。 認知症状が表出すると、何よりも「神経症的傾向」の不安や緊張感が増加します。 この不安が増長すると、それまで外向的、開放的であった人の気持ちは萎え始め、 誠実性は自分を苦しめることに繋がり、他者との協調どころではなくなってきます。 つまり、「神経症的傾向」での不安や緊張感が高まると、 どんなに外向的であった人も内向的になり、 開放性も、誠実性も、協調性もダウンしてしまうのです。 そして、それをビッグファイブ理論に当てはめると、 下記のようにその方の性格そのもが、不安症状だけが目立ち、 他の心理的活動が著しくダウンしてしてしまった人間に見えてしまうのです。 そして私たちも、この図の落とし穴にはまった見方をしてしまいます。 認知症の人の神経症的傾向の高まりに伴うBPSDにだけ目を奪われ、 本来ならまだまだ残されているその人らしさ(ダウンしてしまったその他の因子)も見えなくなり、 認知症の人を「ひとりの人」として見ずに 「認知症の大変な人」だけで見てしまいます。 介護者にも心理的影響は押し寄せます。 介護者としての立場からの不安や緊張感が増し、 介護者自身の心理的因子もかなりの影響を受けてしまいます。 誠実性の強い方は何が何でも自分が面倒見なければならないと、 オーバーフローするくらい頑張ろうとするかもしれません。 外向的な人はあれやこれやと聞いたり調べたりに必死になり過ぎ、 逆に内向的な人は、聞くこともできず抱え込むかもしれません。 私たちでも、神経症的傾向が強まれば、他の心理的因子に影響が出るのと同じです。 このようにビッグファイブ理論に当てはめると、人の変化が見て取れます。 しかし反面、ダウンしたり変化した状況だけでその人を見てしまうと、 本当のその人らしさが見えなくなってしまいます。 問題はここからです。 本当のその人らしさが見れるようにするのにはどうしたらよいのか? そのためには、認知症の人にも、ケアスタッフにも、介護家族にも、 不安や緊張感が増幅した部分へのアプローチとしての、 セキュアベース(安全基地づくり)が必要となります。 (つづく)   (参考・引用) 〇恩蔵絢子氏「脳科学から見た認知症」
ブログ投稿画像 似たような言葉だけど似て非なるものかもしれません。 同様な言葉に議論(ディスカッション)や討論或いは論争(ディベート)があります。 ここでは、会話と対話(ダイアローグ)について、認知症の人と織り交ぜて書いてみたいと思います。 私も含め、私たちは認知症の人と話すとき、 「会話」で済ませていることがあるのではないかということなのです。 その時を何とか楽しくやり過ごすために、或いはその場を取り繕うためのものとして。 しかし会話はその場限りのもので、その認知症の方の本質的な思いに迫るものではありません。 むしろ認知症の人を上から視点で見て会話するという危険性もはらんでいます。 認知症の人がどのような思いを持っているのか、 同じ人と人として、その本質的な思いに近づくためには「対話」が必要になるのです。 しかし多くの場合、私たちは認知症の人と「会話」をして終わらせてしまいます。 (もちろん、会話タイムが悪いわけではありません) 「時間」という尺度で見れば、「会話」は「流す時間」であり、 「対話」は「濃い時間」と言えるでしょう。 ここという時には、「対話」の力を発揮して、認知症の人の思いを聴き、私も思いを返します。 上から視点になりがちな「会話」とは違うのが、対等な立場で語り合う「対話」なのです。 [caption id="attachment_5260" align="alignnone" width="2560"] 新家の公民館に飾られています[/caption]   しかし、世界情勢は論争ばかりで、その論争は解決にはつながりません。 対話にははるかに遠い状況と言えるでしょう。 でも私たちの仕事は、論争ではありません。 それは職員関係でも同じでしょう。 (つづく)
ブログ投稿画像 先日デイサービスのある利用者の方が、興奮激しく、何かを訴えておられました。 私を含め、私たちは、「またか、困ったね。」というような思いを持って、 その方を見ていました。 後々、その方が何故激しく怒って訴えていたのかという理由がわかり、 「そんな背景があっての訴えだったのか」と、 単に「また怒ってる、困ったな。」と思っただけの自分を大いに反省したものです。 普段、研修では「相手の視点になって考える」とよくお話をするのですが、 私だけに限らず、「私たちにとって困ってしまう行動」があると、 ついその行動に引きずられ、 本人の意思やその意思に至った原因・理由・背景が見えなくなってしまいます。 そこで、来年はもっと「誰でもできる相手視点に立って考える方法」について、 探究していきたいと思います。 常に課題を持って探求していくこと。もっと頑張らなければならないですね。   ということで、 阪神タイガースが日本一になった2023年もまもなくフィナーレですね。   今年一年、皆様にはお世話になり、また勉強させていただきました。 本当にありがとうありがとうございました。 感謝。 来年もよろしくお願いいたします。  
ブログ投稿画像 認知症の人と関わる中で、 当初めちゃくちゃ対応が大変だった人が いつのまにか穏やかになっておられるという時があると思います。 不穏状態に陥るのは、なんらかの原因・理由があるように 穏やかになられるのも、なんらかの理由があります。 それは多分に職員の関りによるものなのですが、 日々の忙しさからか、折角の自分たちの対応の良かったことを フィードバックせずに終わってしまうことがあります。 それはもったいないですね。 折角自分を褒められる題材なのに。 「なぜ、Aさんは落ち着かれたのか?」 そんなテーマで、一人10枚の付箋を渡し 落ちつかれた原因・背景について、ちょっと空いた時間に書いて ノートブック(ホワイトボードでも可)に貼り付ける。 こうすることで「考えることをする」のがトレーニングになります。 そして、後で数名集まってノートブックに貼り付けられた付箋を整理してみると、 自分たちが頑張った部分が浮き彫りになってくるかもしれません。 そうやって頑張った部分を自分でほめる、或いはほめてもらうこと。 ほめてもらうからには、しっかりと証拠を示すことです。 「なんとなく」とか「知らずうちに」とか「いつのまにか」などという 言葉はよく使いますが、 その「いつのまにか」には必ず何かの要因が働いているのです。 私たちがトイレに行くのは、おしっこをしたいという気持ちになるから ご飯を食べたいと思うのは、空腹を感じているから、と同じように 行動には必ずその行動を起こさせる要因があります。 ですから、穏やかになられたなら、それも何らかの原因・理由があります。 自分たちが頑張ったことが要因になっているならば、 大いに自分たちをほめてあげましょう。 自分をほめる材料があれば、自信にも繋がるのです。 2024年は自分たちに自信をつけること それは自分自身の人生を大切にし、 利用者の人生を大切にすることにも繋がります。
ブログ投稿画像 毎月実施している家族会ですが、 今回は認知症の人を介護されている家族の方が中心の家族会を実施しました。 6名の方が参加されたのですが、 介護者の方の立場は、妻、夫、娘、嫁と、様々な立場の人がおられ、 さらに認知症の当事者の方も、 アルツハイマー型認知病、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症と、様々な症状の方でした。 単に認知症と言っても、このように様々な症状の認知症があり、 そして認知症状の出方も変わってきます。 また、介護者の立場の違いにより、その介護の状況も変わってきます。 このように単に介護者と言っても、立場の違いでの悩み、 さらに当事者の認知症の症状によっても違ってくるのです。 ところがこの立場の違いがあっても、 家族間の話では、その苦労を受け止め、励ますシーンが何度もありました。 状況が違ったとしても、介護での苦労は同じなのです。 また、初参加の方は、 「来てどうするのかと思ったけど、胸の内を話せてよかった」と言われていました。 介護者が倒れたら、一番影響を受けるのは当事者の方です。 そして介護されている方にもそれぞれの人生があり、 その自分の人生の時間を楽しめる時間があっても、当然いいのです。 本人のこともさることながら、介護者自身も心が落ち着けるために、 デイサービスやショートステイのサービスがあります。 そして今回のような「家族会」があって、心に抱えた荷物を下ろすとともに、 また前へ進んでいけるエネルギーをもらうこと。 そんな「セキュアベース」(心の安全基地)としての家族会であったと言えるでしょう。 [caption id="attachment_5277" align="alignnone" width="1256"] メリークリスマス! 良い年末をお過ごしください![/caption]   次回は1月27日を予定しています。
ブログ投稿画像 94回目となる「英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会」が開催されました。 地域からの報告では、すっかりと日常の風景が戻ってきたようで、 各地域の新聞も発行されるようになってきました。   しかし河内警察からの報告では、 相変わらず特殊詐欺が頻繁に起きているようです。 NTTの自動音声版のようなものもあるとか。 とにかく「お金を払えば」的なものは、みな詐欺と思ってもいいかもしれません。 特に認知機能の低下により、判断力が少し落ちた方が一番危ないですね。   来年のシンポジウムは、今話題の認知症のお薬について その実像が少しずつ分かってきましたが どのように伝えていくべきか、先生方で思案されるそうです。 1月には詳細決定予定です。 このように94回目を迎えたネットワーク委員会 また様々な取り組みを行いますので、 よろしくお願いします。   年末と言えば、高校ラグビーですね。 昨年に引き続き、英田南自治連合会では、 27,28の朝、ラグビー場来訪者にコーヒーを配られるそうです。 各、先着2,000名様ですので、お早目にお越しください。 因みにネットワーク委員会で使用している英田公民分館ですが NHK土曜ドラマのロケ地に使われたとか。 楽しみですね。(放送はまだ先だそうです) [caption id="attachment_1646" align="alignnone" width="650"] 昔ながらの校舎の雰囲気が残る場所です[/caption]      
ブログ投稿画像 近い将来的に4人に1人が認知症になる可能性があると言われています。 認知症の進行を止めると言われているお薬が出たと言っても、 まだまだその効果は限定的なようです。 一方、長寿の方も増えてきています。 しかし、私の周辺では、私よりはるかに若い人の死が続いています。 先週の土曜日、研修先の職員から、 共に研修を行っていたN君が亡くなったと聞かされました。 昨年、同じく共に研修を行っていたM君が亡くなったばかりなのに。 二人ともまだ40歳代です。 N君は不器用だけど一生懸命な男でした。 施設での認知症の人の尊厳を維持するために、頑張っていた男でした。 M君に続き、また一人、戦友をなくしたような喪失感があります。 寿命を分けるものっていったい何だろうとも思います。 多くの因子が絡み合ってのことなのでしょうが、 実際のところ、いつどこで何があるのかわからないのが人生で それを自分事として「捉えたくない」のも私たちかもしれません。 それにしても、まだまだこれからという時に、あまりにも早い後輩の死 認知症ケアの改善に向けての、立て続く実践者の死は大いなる痛手です。 昨年は地域包括支援センターで共に働いていた同僚も亡くなり、 次から次へと後輩が去っていきます。 人生いつどこで何が起きるかわかりません。 自分がやりたいことは 後回しにしないこと だと思います。 もしかしたら、認知症の予防ばかり考えるより、 自分がやりたいことに力を注ぐこと。 そうすれば、例え認知症になったとしても、 その力を注いでいることが その後も前向きに生きていくことに繋がるかもしれません。
ブログ投稿画像 12月9日 東大阪商工会議所にて 東大阪市認知症フォーラム「つながる・支えあう~わたしたちにできること~」 が開催されました。 約140名の方が来られました。 今回の主体は若年性認知症の理解と支援です。 パネルディスカッションでは、 若年性認知症の妻を介護されている方の体験談を通じて 各関係機関の支援の状況などを伺いました。 (私が進行役をさせていただきました) 若年性認知症の方は、本人にとっても衝撃的であり、 それは家族にとっても同じです。 当事者の方をいかにサポートしていくかとともに 介護をされている方の人生をも大切にしてもらうためのサポートを行う。 そのためには関係機関のみならず、地域の方の理解も必要になりますね。 主治医先生、包括支援センター、ケアマネジャーそして介護者の方 それぞれに熱いお話しでした。 パネルディスカッションの後は、シンガーソングライター若林美樹さんの熱唱でした。 誰もが知っている「異邦人」は皆さんも一緒に歌っておられました。 そして若林さん自らが作詞作曲された若年性認知症の人の応援ソング 「あなたは大切な人」を最後に歌っていただきました。 この歌を始めて披露していただいたのは満開の桜の木の下でした。 その時も当事者の方が泣かれていたのですが、 この日も会場で泣かれている方がおられました。 フォーラム終了後は家族会を実施。 それぞれの思いを掃き出されていましたが、 本当に厳しい毎日を送っておられる状況がひしひしと伝わってきます。 気が付けば、陽がどっぷりとくれていましたが、 ご家族の方も帰り際は少し気持ちが楽になったのでしょうか。 少し元気になられた後ろ姿を見送りながら、私たちも会場を後にしました。
ブログ投稿画像 前回ビッグファイブ理論の概念について説明しました。 一般的に使用されている性格分析と言えるものなのですが、 脳科学者の恩蔵絢子氏によれば、「心理学的に、その人らしさ」を表すとなると、 このビッグファイブになるだろうとのこと。 しかしそれゆえに、認知症の人をこの理論に当てはめてしまうと、 私たちは大いなる勘違いをするということなのです。 認知症状が表出すると、何よりも「神経症的傾向」の不安や緊張感が増加します。 この不安が増長すると、それまで外向的、開放的であった人の気持ちは萎え始め、 誠実性は自分を苦しめることに繋がり、他者との協調どころではなくなってきます。 つまり、「神経症的傾向」での不安や緊張感が高まると、 どんなに外向的であった人も内向的になり、 開放性も、誠実性も、協調性もダウンしてしまうのです。 そして、それをビッグファイブ理論に当てはめると、 下記のようにその方の性格そのもが、不安症状だけが目立ち、 他の心理的活動が著しくダウンしてしてしまった人間に見えてしまうのです。 そして私たちも、この図の落とし穴にはまった見方をしてしまいます。 認知症の人の神経症的傾向の高まりに伴うBPSDにだけ目を奪われ、 本来ならまだまだ残されているその人らしさ(ダウンしてしまったその他の因子)も見えなくなり、 認知症の人を「ひとりの人」として見ずに 「認知症の大変な人」だけで見てしまいます。 介護者にも心理的影響は押し寄せます。 介護者としての立場からの不安や緊張感が増し、 介護者自身の心理的因子もかなりの影響を受けてしまいます。 誠実性の強い方は何が何でも自分が面倒見なければならないと、 オーバーフローするくらい頑張ろうとするかもしれません。 外向的な人はあれやこれやと聞いたり調べたりに必死になり過ぎ、 逆に内向的な人は、聞くこともできず抱え込むかもしれません。 私たちでも、神経症的傾向が強まれば、他の心理的因子に影響が出るのと同じです。 このようにビッグファイブ理論に当てはめると、人の変化が見て取れます。 しかし反面、ダウンしたり変化した状況だけでその人を見てしまうと、 本当のその人らしさが見えなくなってしまいます。 問題はここからです。 本当のその人らしさが見れるようにするのにはどうしたらよいのか? そのためには、認知症の人にも、ケアスタッフにも、介護家族にも、 不安や緊張感が増幅した部分へのアプローチとしての、 セキュアベース(安全基地づくり)が必要となります。 (つづく)   (参考・引用) 〇恩蔵絢子氏「脳科学から見た認知症」