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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2023.08.18

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の「感情伝染」とは(3) 感情がなぜ伝わるのか、その理由は「扁桃体」と「海馬」に関係します。 つまり、脳科学の観点から説明できるものなのです。 前回に引き続き、中央法規出版社 恩蔵絢子、永島徹著「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」を参照にして書きます。   記憶の中枢となる「海馬」と感情の中枢になる「扁桃体」とは隣り合っています。 特に「扁桃体」はある意味自分の生命にかかわることに反応する場所です。 イラストACよりフリー素材を許可を得てダウンロード 海馬と扁桃体は隣り合わせです   たとえば自分がAさんに攻撃され、いじめられたとします。 扁桃体はAさんは自分を攻撃するいじめる人なので気を付けるようにという注意喚起を海馬に情報を送り、 海馬はAさんをいじめる人として記憶します。 このように扁桃体は自分を護るための場所とも言えます。 それゆえ、他者の行動に対して真っ先に反応する場所とも言えるでしょう。 フリーソフトいやすとやさんより   それでも記憶中枢の海馬が認知症によってダメージを受けている場合、 そもそも反応できるのだろうかという疑問が残ります。 しかし、私たちはそのような先入観があるから、認知症の人は理解できないと思い込んでしまうのです。 認知症の人からすれば、具体的、明確なやり取りはわからなくても、 快不快の感情はしっかりと感じ取っているのです。 それどころか、「この人は自分に対してつらく当たる人だ」という記憶も思い起こせるのです。 (つづく)
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2023.08.12

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の「感情伝染」とは(2) 前回、「私たちは、認知症の人に対して、大きな勘違いをしています。」と書きました。 認知症の人は、何を言っても理解できない。 そんな大きな誤解が、認知症の人の前で平気でその人に対する悪態を吐いたりします。 しかし、悪態を吐かれたことを、 認知症の人はしっかりと感じ取っていることを、私たちはわかっていないのです。 脳科学者の恩蔵絢子氏は、以下のように書いています。 「アルツハイマー型認知症の人は、周囲の人が高速で(私たちの普通の会話)やりとりする会話についていくことは、海馬の萎縮のせいで難しいところがあります。 数秒前まで語られていた膨大な言葉(私たちからすれば普通の会話)を覚えておかなければ、 会話についていくことができないからです。 しかし、アルツハイマー型認知症の人は、相手の感情を読むことはとても得意です。 完全には会話の内容を理解できなくても、言葉のトーン、相手の顔つきなどにはとても敏感で、 何か自分についてネガティブな情報を言われていることは、理解できるのです。」 (中央法規出版社 恩蔵絢子、永島徹著「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」P141より抜粋。( )内は石川が注釈) このように、しっかりと私たちの言葉や態度を感じ取っておられるのです。 ですから、決して認知症の人は何もわからない人ではないということ。 そこを私たちは誤解してはならないのです。 では、なぜ認知機能が低下しているのに、感情は読み取っていくことができるのか。 つまり感情が伝染していくのか?  次回に書き込みます。(つづく) 8月11日、山の日ですが、私は山には登らず、クラシックコンサートに行ってました。 85歳のマエストロのラストコンサート(大阪での定期演奏会ということです)でした。 渾身の指揮の後、腰の痛みと疲労を隠しながら、 何度も何度も頭を下げて、舞台を後にされました。 日本の一時代を担った名指揮者でした。 ひとつの時代が終わる…  そんな切なさと感動を覚えたコンサートでした。
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2023.08.10

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の「感情伝染」とは(1) これまで認知症の人のことで、何度か取り上げていたのが、周辺環境に関することです。 環境というと、景色や温度などの住み心地良さがまずは頭に思い浮かびますが、 もちろんそれらも重要なものではあるのですが、 やはりなんと言っても、「人」そのものが最大の環境になります。 在宅の場合は、介護者やサービス事業所の職員となり、 入居されている方はケアスタッフが多大な影響を与える環境要因になります。 ケアスタッフの動きひとつで、認知症の人の「生活していく上での快・不快」が変わっていきます。   しかし私たちは、認知症の人に対して、大きな勘違いをしています。 それは、認知症の人は「何もわからない人」と思っていることです。 例えば、真夏でも厚着している人がいれば、暑さもわからなくなっている、 つまり認知症の人は、周辺環境だけでなく 自分の身体の状況もわからなくなっている人と捉えてしまうでしょう。 確かに認知機能の低下は、通常の日常生活機能を失っていくことに繋がります。 しかし、私たちがもし認知症の人を険しい表情で睨み付けたら、 認知症の人の表情も強ばるでしょう。 ケア職員が何もわからない人という思いから、指示的、命令的な言葉を発すると、 認知症の人は険しい表情を浮かべるでしょう。 それは、「認知症の人は、何もわからない人」ではなく、 私たちの行動に必ず反応しているということなのです。 (つづく)
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2023.08.09

認知症の教室(専門職用)
第90回目を迎えた英田地区認知症ケアネットワーク委員会 「認知症でも大丈夫!自分力とお助け力が広くつながるまちづくり」をスローガンに、 2014年後半に設立された「英田地区認知症ケアネットワーク委員会」 早いものというか、凄いというか、なんと90回目の開催となりました。 これまでに、委員会は様々な取り組みを行ってきました。 基本的に個別支援を話しあうのではなく、スローガンにあるように、 認知症になっても安心して暮らせるまちづくりを目指して、地域の皆様への啓発活動を行ってきました。 例えば、「安心声掛けつながり訓練」「ティータイム勉強会」「出前講座」 そして、広く東大阪市民に門戸を開いた「シンポジウム」など、数々の活動を実施しています。 コロナ禍で、それらの行事を自粛せざるおえない時もありましたが、 委員会だけは毎月継続して実施し、今日に至っています。 出前講座の風景 実験中   今後の予定として、英田北地区の安心声掛け訓練、 そして出前型ティータイム勉強会(若しくは、出前型シンポジウム)のように、 各地域に出向いていって行う活動を実施予定です。 出前講座 歯の健康は万病予防   なおこのように委員の皆様自身が地域に出向いて、 地域住民の方に講座や懇親会を開催するという取り組みは、 全国的にも珍しいものとなっています。 今後もこの活動について適時報告してまいります。 出前講座 健康寿命をのばそう!
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2023.08.07

認知症の教室(専門職用)
少しずつ広がる認知症サポーター講座 認知症施策は、国家プロジェクトとして進められています。 その一環としてあるのが認知症サポーター講座です。 子どもから高齢者まで、多くの方が受講の対象となり、 全国各地で進められています。 下の写真は、某スーパーの出入り口に貼られている 認知症サポータ講座を受講した、認知症サポーターが職員にいますよという目印です。 このように、企業が進んで認知症の人への関わり方を勉強しているところが、 徐々に増えてきているのです。 先日訪れた中学校 今、中学は様々なカリキュラムに追われ、また先生方も多忙を極めています。 そのような中で、サポーター講座をお願いするのは至難の業なのです。 しかし、前向きに考えてくださり、人権研修の一環として取り入れてもらえそうです。 学校の先生方、或いは保護者の皆さんにとっては、 自分の親の介護に直面する年代の方々でもあります。 生徒さんだけでなく、先生方や保護者世代へのアプローチも必要なのです。 花園ラグビー場に一番近い中学校です。   この中学校、ラグビー部の生徒たちが練習をしていました。 この人たちの中から、将来の日本代表選手が出るかもしれませんね。
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2023.08.04

認知症の教室(専門職用)
若年性認知症介護家族の方の講演 東大阪社協で、キャラバンメイト養成講座が開かれ 若年性認知症の介護家族の方のお話がありました。 淡々と認知症の初期から現在に至るまでを話されていましたが、 男性介護者ゆえの戸惑いも多くあったようです。 特に、ご本人の認知症状が進む中、 かなりの焦燥感に襲われ、人間不信にもなられたとのこと。 しかし、地域包括支援センターや、ケアマネジャー、デイサービス担当者の専門職の皆さんに助けられたこと。 そしてそれらの専門職の皆さんが、みんな温かい笑顔で迎えてくれたこと それが何よりでしたと語っておられました。 また、地域住民の方が、認知症の人を避けるのではなく、 認知症の妻に対しても、気さくに挨拶をしてくれるだけでも 十分に気持ちが助けられるとも話されていました。 ただ診断をしてくれた病院が、「地域包括支援センター」という相談に行ける場所を紹介してくれなかったので、 自分で色々と探すことになり、その分回り道をしてしまったとのこと。 まだまだ地域包括支援センターの存在が知れ渡っていないということでもあるのです。 今回お話をしていただいた介護者は、12月9日に開催される 一般市民向け講演会においてもお話ししていただける予定です。 この講演会についての詳細は決まり次第お知らせします。
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2023.08.03

認知症の教室(専門職用)
「心理的安全性」について 「心理的安全性」という言葉をご存知でしょうか? これはビジネス界で使われている言葉で、 主に職場環境改善の本として、リーダーや管理者向けに書かれていると言えます。 特に職場での部下への声のかけ方などが中心です。 私がよくお話しする「セキュアベース」とは少し意味合いが違いますが、 職員たちが心理的安全性を感じる中で仕事を行えるようにというものでしょうか。 本が何冊か出ているので、ビジネス界では重要なものとなっていると言えるでしょう。 リーダー的立場の人は一読しておく必要があるでしょう。 積乱雲がその威容を見せる季節です   ケアの現場では、職員の心理的安全性は、即、利用者の心理的安全性に繋がります。 利用者が生活する上での最大の環境要因は、ケア職員にあるからです。 認知症の人なら、なおさらケア職員の存在は大きくなります。 しかし、職員の心理的安全性は必要ですが、 何よりも利用者の心理的安全性を目指し、 確保しなければならないのがこのケアの仕事です。 映し出されている文字を読んでください。   考え方を整理すると、 「私たち(職員)の環境が悪いから、利用者の環境をよくできるはずがない」ではなく、 「利用者の生活環境をよくするためには、何が必要か?」というように、 イシュー(論点)を間違えないようにしなければなりません。 利用者のために何が必要か?と考えた中で、 そのひとつとして、職員の心理的安全性が必要というのが出てくることなのです。 「私たちがしんどいんやから、利用者の生活環境改善なんかできない。」という考えは、 お箸を逆さまに持って使うのと同じなのです。
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2023.08.02

認知症の教室(専門職用)
感性があふれる館 白山登山の帰りに立ち寄ったのが、「日本一短い手紙の館」でした。 毎年募集コンクールをしている有名なところですね。 日本一短いかどうかは別にして、ここには数多くの感性溢れる手紙の入賞作が展示されています。 毎年テーマに沿って「誰それへ」(自分宛でもよい)と手紙を送るものです。 LINEなど、言葉が(文字が)あっという間に消費してしまう中、心がこもった一文字一文字になります。 特に私が好きなのは、一人二役の往復書簡です。 これは相手の立場になって手紙を返信するもの。 研修でも使える、相手の立場になって考えてみようというものですね。 私が特に好きなのは、「愛犬ハナへの手紙」 飼い主から愛犬ハナへ 「雨がこう多いと億劫なもんでねぇ。散歩にも連れていけなくて。」 愛犬ハナから飼い主へ 「ごっついストレスたまるわ。お前も鎖でつながれてみいや。」  飼い主が、愛犬の気持ちになって返信したものですね。   入賞はしていませんが、これも私のお気に入りです。 ・妻から亡くなった認知症の夫(お父さん)へ 「ほんまに、認知症になったときは介護で大変やったよお父さん。 今は自由な時間できて人生エンジョイしてる。でもね、寂しさだけはなくならへんわ。」 ・亡くなった認知症の夫から妻へ 「ほんまにえらい迷惑かけたなぁ。でも人生エンジョイできる時間ができてよかった。 まぁ寂しさくらい残しとかんと、忘れられてしまうからな~」  家族のつらき日々とともに、コミュニケーション能力が厳しくなり、 伝えたくても伝えられない認知症の人の思いがよく出ていますね。 ケアの現場では、次のようなものも。 ・ケアワーカーの私から認知症のAさんへ 「なんで忙しいときに限って家へ帰ると言って私たちを困らせるのですか?」 ・認知症のAさんからケアワーカーのあなたへ 「あんたが忙しいかどうか知ったことじゃない。 私はただただ安心してくつろげる家に帰りたいだけなんや。」 一人二役の往復書簡はこのように、相手のことを思うトレーニングにもなるのです。 一度、誰かのことを思って一人二役往復書簡をやってみてはどうでしょうか。 いじめの手紙、お経の手紙、なんか泣けますね。   因みに、今年のテーマは「時」です。 みなさんもチャレンジしてみませんか? できたら介護の関係で。 下記のサイトから申込できます。 https://maruoka-fumi.jp/ippitsu.html
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2023.07.31

認知症の教室(専門職用)
認知症の人の夏 今年の夏は異常に暑い! と、毎年言ってるような気がします。 その中でも今年は連日厳しい暑さが続きます。 しかし、認知症の人の場合、脳の認知機能の低下は、「暑い、寒い」という感覚さえも奪ってしまいます。 ですので、夏でも厚着しているということはよくあります。 認知症は季節の感覚までも奪ってしまうので、周囲の人たちによる注意と環境整備が必要になります。   家から出て行ってしまって、道に迷ってしまう人にとっては過酷な状況です。 暑いから外には出ないという判断はできないので、 暑かろうが寒かろうが、外出しなければならないという思いの方が強いので、 結局過酷な暑さ寒さにさらされてしまいます。 なんでこんな暑い時に!と、私たちの視点から見ると、 とんでもないことと、理解できない行動なのですが、 本人には本人なりに理由があっての行動なのです。 パンダも暑さでへたばっています。   しかし暑さは容赦なく認知症の人に襲い掛かります。 一刻も早い発見が必要になります。暑いと出歩く地域住民も少なく、 路地裏に座り込んでいて発見が遅れるということも十分にありうるのです。 出来れば何らかの形でGPS発信機を持ってもらえれば最良なのですが、 うまく所持してもらえないという課題もあります。   さて、探すというと、2万1千人の中から一人を探すというのは至難の業ですね。 先週の土曜日、ラグビーワールドカップに向けた強化試合ともいえる、 日本代表対トンガの試合が花園ラグビー場でありました。 本来こんな猛烈な暑さの中でラグビーはやるようなものではないのですが、 久しぶりの関西での国際試合、2万1千人の人が来訪、花園ラグビー場はほぼほぼ満員になりました。   ある認知症の男性は、妻とともに熱烈なラグビーファンです。 今回の試合も早々にチケットを申し込まれたそうです。 当の本人の認知症状は、常にケアが必要な状況ですが、妻と子どもさんとともに観戦するとか。 私もこの試合を観戦するために、ラグビー場に行ったのですが、 さすが2万人もの人がいると、その姿を見つけられませんでした。   果たして無事に観戦できたのか? それはまた後日、介護者の方に聞いてみたいと思いますが、 認知症だからということで、様々な行動や活動に制限を掛けるのではなく、 むしろ感情は豊かに残っておられるので、 その感情に響く刺激はとても必要なことだと思います。   野球でもそうですが、スタジアムに入った時の独特の雰囲気、あれはテレビでは味わえません。 生で味わう雰囲気。認知症だからダメなのではなく、 認知症だからなお一層大切な体験と言えるかもしれません。 環境は認知症の人にとって、生活を左右する重要なアイテムなのです。  
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2023.07.21

認知症の教室(専門職用)
安全運転講習と認知症の人との関わり方 先日、アーバンケア島之内で「安全運転講習会」が開かれました。 この時に講習を担当してくれた警察官は、 以前、認知症サポーター研修を受講していた方でした。 最初にそのサポーター講座の話をされ、 そこで学んだ認知症の人への関わり方は、安全運転に似ていると話されていました。 人を驚かせる(脅威を感じさせる)ような運転はしない 急がない 相手の心を不快にさせない(クラクションなど) これらは、認知症の人への接し方、3つの「ない」 「おどろかせない」「急がせない」「心を傷つけない」と 共通しているのですね。 とにかくゆっくりと、(急がせても認知症の人は混乱するだけです) 十分に注意をして(認知症の人の事象だけでなく、周辺環境にも注視して) 温かくやさしい表情で(驚いたり、自尊心が傷つけられないように) これらの認知症の人への関わり方は、 確かに、安全運転に繋がっているのですね。 私を含め、車を運転する多くの人は、どちらかというと攻撃的になります。 自己中心的になり、相手が悪いと思いがちです。 しかし、どんなに安全運転していても、縦横無尽に走りまくる自転車に 閉口することもあります。 自動車の運転は、いかに気分の切り替えが出来るかどうかです。 割り込みに腹が立つことはいくらでもあります。 最近は特に私は車間を空けるだけに、いくらでも入られたりします。 ムカッと来た時、どうすれば「気にしない気にしない」と思うような心の余裕を持てるのか。 怒りではない代替え思考を働かせるトレーニングにもなるのですね。 いつどんな時でもユーモアを。ピリピリしている人には持てないものです。 認知症の人への関わり方は、とにかくケア側がイライラしたら、 認知症の人もイライラしてしまいます。 安全運転に心掛けるように、 ゆっくりと落ち着いて関わらないと事故の元になってしまいます。 逆に言えば、例えば施設の車が、荒っぽい運転をしていたら その施設のケアも荒っぽいのではと、思われてしまうのです。
ブログ投稿画像 感情がなぜ伝わるのか、その理由は「扁桃体」と「海馬」に関係します。 つまり、脳科学の観点から説明できるものなのです。 前回に引き続き、中央法規出版社 恩蔵絢子、永島徹著「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」を参照にして書きます。   記憶の中枢となる「海馬」と感情の中枢になる「扁桃体」とは隣り合っています。 特に「扁桃体」はある意味自分の生命にかかわることに反応する場所です。 [caption id="attachment_4992" align="alignnone" width="1024"] イラストACよりフリー素材を許可を得てダウンロード 海馬と扁桃体は隣り合わせです[/caption]   たとえば自分がAさんに攻撃され、いじめられたとします。 扁桃体はAさんは自分を攻撃するいじめる人なので気を付けるようにという注意喚起を海馬に情報を送り、 海馬はAさんをいじめる人として記憶します。 このように扁桃体は自分を護るための場所とも言えます。 それゆえ、他者の行動に対して真っ先に反応する場所とも言えるでしょう。 [caption id="attachment_3636" align="alignnone" width="365"] フリーソフトいやすとやさんより[/caption]   それでも記憶中枢の海馬が認知症によってダメージを受けている場合、 そもそも反応できるのだろうかという疑問が残ります。 しかし、私たちはそのような先入観があるから、認知症の人は理解できないと思い込んでしまうのです。 認知症の人からすれば、具体的、明確なやり取りはわからなくても、 快不快の感情はしっかりと感じ取っているのです。 それどころか、「この人は自分に対してつらく当たる人だ」という記憶も思い起こせるのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 前回、「私たちは、認知症の人に対して、大きな勘違いをしています。」と書きました。 認知症の人は、何を言っても理解できない。 そんな大きな誤解が、認知症の人の前で平気でその人に対する悪態を吐いたりします。 しかし、悪態を吐かれたことを、 認知症の人はしっかりと感じ取っていることを、私たちはわかっていないのです。 脳科学者の恩蔵絢子氏は、以下のように書いています。 「アルツハイマー型認知症の人は、周囲の人が高速で(私たちの普通の会話)やりとりする会話についていくことは、海馬の萎縮のせいで難しいところがあります。 数秒前まで語られていた膨大な言葉(私たちからすれば普通の会話)を覚えておかなければ、 会話についていくことができないからです。 しかし、アルツハイマー型認知症の人は、相手の感情を読むことはとても得意です。 完全には会話の内容を理解できなくても、言葉のトーン、相手の顔つきなどにはとても敏感で、 何か自分についてネガティブな情報を言われていることは、理解できるのです。」 (中央法規出版社 恩蔵絢子、永島徹著「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」P141より抜粋。( )内は石川が注釈) このように、しっかりと私たちの言葉や態度を感じ取っておられるのです。 ですから、決して認知症の人は何もわからない人ではないということ。 そこを私たちは誤解してはならないのです。 では、なぜ認知機能が低下しているのに、感情は読み取っていくことができるのか。 つまり感情が伝染していくのか?  次回に書き込みます。(つづく) 8月11日、山の日ですが、私は山には登らず、クラシックコンサートに行ってました。 85歳のマエストロのラストコンサート(大阪での定期演奏会ということです)でした。 渾身の指揮の後、腰の痛みと疲労を隠しながら、 何度も何度も頭を下げて、舞台を後にされました。 日本の一時代を担った名指揮者でした。 ひとつの時代が終わる…  そんな切なさと感動を覚えたコンサートでした。
ブログ投稿画像 これまで認知症の人のことで、何度か取り上げていたのが、周辺環境に関することです。 環境というと、景色や温度などの住み心地良さがまずは頭に思い浮かびますが、 もちろんそれらも重要なものではあるのですが、 やはりなんと言っても、「人」そのものが最大の環境になります。 在宅の場合は、介護者やサービス事業所の職員となり、 入居されている方はケアスタッフが多大な影響を与える環境要因になります。 ケアスタッフの動きひとつで、認知症の人の「生活していく上での快・不快」が変わっていきます。   しかし私たちは、認知症の人に対して、大きな勘違いをしています。 それは、認知症の人は「何もわからない人」と思っていることです。 例えば、真夏でも厚着している人がいれば、暑さもわからなくなっている、 つまり認知症の人は、周辺環境だけでなく 自分の身体の状況もわからなくなっている人と捉えてしまうでしょう。 確かに認知機能の低下は、通常の日常生活機能を失っていくことに繋がります。 しかし、私たちがもし認知症の人を険しい表情で睨み付けたら、 認知症の人の表情も強ばるでしょう。 ケア職員が何もわからない人という思いから、指示的、命令的な言葉を発すると、 認知症の人は険しい表情を浮かべるでしょう。 それは、「認知症の人は、何もわからない人」ではなく、 私たちの行動に必ず反応しているということなのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 「認知症でも大丈夫!自分力とお助け力が広くつながるまちづくり」をスローガンに、 2014年後半に設立された「英田地区認知症ケアネットワーク委員会」 早いものというか、凄いというか、なんと90回目の開催となりました。 これまでに、委員会は様々な取り組みを行ってきました。 基本的に個別支援を話しあうのではなく、スローガンにあるように、 認知症になっても安心して暮らせるまちづくりを目指して、地域の皆様への啓発活動を行ってきました。 例えば、「安心声掛けつながり訓練」「ティータイム勉強会」「出前講座」 そして、広く東大阪市民に門戸を開いた「シンポジウム」など、数々の活動を実施しています。 コロナ禍で、それらの行事を自粛せざるおえない時もありましたが、 委員会だけは毎月継続して実施し、今日に至っています。 [caption id="attachment_4968" align="alignnone" width="1245"] 出前講座の風景 実験中[/caption]   今後の予定として、英田北地区の安心声掛け訓練、 そして出前型ティータイム勉強会(若しくは、出前型シンポジウム)のように、 各地域に出向いていって行う活動を実施予定です。 [caption id="attachment_4969" align="alignnone" width="1485"] 出前講座 歯の健康は万病予防[/caption]   なおこのように委員の皆様自身が地域に出向いて、 地域住民の方に講座や懇親会を開催するという取り組みは、 全国的にも珍しいものとなっています。 今後もこの活動について適時報告してまいります。 [caption id="attachment_4970" align="alignnone" width="2560"] 出前講座 健康寿命をのばそう![/caption]
ブログ投稿画像 認知症施策は、国家プロジェクトとして進められています。 その一環としてあるのが認知症サポーター講座です。 子どもから高齢者まで、多くの方が受講の対象となり、 全国各地で進められています。 下の写真は、某スーパーの出入り口に貼られている 認知症サポータ講座を受講した、認知症サポーターが職員にいますよという目印です。 このように、企業が進んで認知症の人への関わり方を勉強しているところが、 徐々に増えてきているのです。 先日訪れた中学校 今、中学は様々なカリキュラムに追われ、また先生方も多忙を極めています。 そのような中で、サポーター講座をお願いするのは至難の業なのです。 しかし、前向きに考えてくださり、人権研修の一環として取り入れてもらえそうです。 学校の先生方、或いは保護者の皆さんにとっては、 自分の親の介護に直面する年代の方々でもあります。 生徒さんだけでなく、先生方や保護者世代へのアプローチも必要なのです。 [caption id="attachment_4961" align="alignnone" width="2560"] 花園ラグビー場に一番近い中学校です。[/caption]   この中学校、ラグビー部の生徒たちが練習をしていました。 この人たちの中から、将来の日本代表選手が出るかもしれませんね。
ブログ投稿画像 東大阪社協で、キャラバンメイト養成講座が開かれ 若年性認知症の介護家族の方のお話がありました。 淡々と認知症の初期から現在に至るまでを話されていましたが、 男性介護者ゆえの戸惑いも多くあったようです。 特に、ご本人の認知症状が進む中、 かなりの焦燥感に襲われ、人間不信にもなられたとのこと。 しかし、地域包括支援センターや、ケアマネジャー、デイサービス担当者の専門職の皆さんに助けられたこと。 そしてそれらの専門職の皆さんが、みんな温かい笑顔で迎えてくれたこと それが何よりでしたと語っておられました。 また、地域住民の方が、認知症の人を避けるのではなく、 認知症の妻に対しても、気さくに挨拶をしてくれるだけでも 十分に気持ちが助けられるとも話されていました。 ただ診断をしてくれた病院が、「地域包括支援センター」という相談に行ける場所を紹介してくれなかったので、 自分で色々と探すことになり、その分回り道をしてしまったとのこと。 まだまだ地域包括支援センターの存在が知れ渡っていないということでもあるのです。 今回お話をしていただいた介護者は、12月9日に開催される 一般市民向け講演会においてもお話ししていただける予定です。 この講演会についての詳細は決まり次第お知らせします。
ブログ投稿画像 「心理的安全性」という言葉をご存知でしょうか? これはビジネス界で使われている言葉で、 主に職場環境改善の本として、リーダーや管理者向けに書かれていると言えます。 特に職場での部下への声のかけ方などが中心です。 私がよくお話しする「セキュアベース」とは少し意味合いが違いますが、 職員たちが心理的安全性を感じる中で仕事を行えるようにというものでしょうか。 本が何冊か出ているので、ビジネス界では重要なものとなっていると言えるでしょう。 リーダー的立場の人は一読しておく必要があるでしょう。 [caption id="attachment_4948" align="alignnone" width="2560"] 積乱雲がその威容を見せる季節です[/caption]   ケアの現場では、職員の心理的安全性は、即、利用者の心理的安全性に繋がります。 利用者が生活する上での最大の環境要因は、ケア職員にあるからです。 認知症の人なら、なおさらケア職員の存在は大きくなります。 しかし、職員の心理的安全性は必要ですが、 何よりも利用者の心理的安全性を目指し、 確保しなければならないのがこのケアの仕事です。 [caption id="attachment_4949" align="alignnone" width="1226"] 映し出されている文字を読んでください。[/caption]   考え方を整理すると、 「私たち(職員)の環境が悪いから、利用者の環境をよくできるはずがない」ではなく、 「利用者の生活環境をよくするためには、何が必要か?」というように、 イシュー(論点)を間違えないようにしなければなりません。 利用者のために何が必要か?と考えた中で、 そのひとつとして、職員の心理的安全性が必要というのが出てくることなのです。 「私たちがしんどいんやから、利用者の生活環境改善なんかできない。」という考えは、 お箸を逆さまに持って使うのと同じなのです。
ブログ投稿画像 白山登山の帰りに立ち寄ったのが、「日本一短い手紙の館」でした。 毎年募集コンクールをしている有名なところですね。 日本一短いかどうかは別にして、ここには数多くの感性溢れる手紙の入賞作が展示されています。 毎年テーマに沿って「誰それへ」(自分宛でもよい)と手紙を送るものです。 LINEなど、言葉が(文字が)あっという間に消費してしまう中、心がこもった一文字一文字になります。 特に私が好きなのは、一人二役の往復書簡です。 これは相手の立場になって手紙を返信するもの。 研修でも使える、相手の立場になって考えてみようというものですね。 私が特に好きなのは、「愛犬ハナへの手紙」 飼い主から愛犬ハナへ 「雨がこう多いと億劫なもんでねぇ。散歩にも連れていけなくて。」 愛犬ハナから飼い主へ 「ごっついストレスたまるわ。お前も鎖でつながれてみいや。」  飼い主が、愛犬の気持ちになって返信したものですね。   入賞はしていませんが、これも私のお気に入りです。 ・妻から亡くなった認知症の夫(お父さん)へ 「ほんまに、認知症になったときは介護で大変やったよお父さん。 今は自由な時間できて人生エンジョイしてる。でもね、寂しさだけはなくならへんわ。」 ・亡くなった認知症の夫から妻へ 「ほんまにえらい迷惑かけたなぁ。でも人生エンジョイできる時間ができてよかった。 まぁ寂しさくらい残しとかんと、忘れられてしまうからな~」  家族のつらき日々とともに、コミュニケーション能力が厳しくなり、 伝えたくても伝えられない認知症の人の思いがよく出ていますね。 ケアの現場では、次のようなものも。 ・ケアワーカーの私から認知症のAさんへ 「なんで忙しいときに限って家へ帰ると言って私たちを困らせるのですか?」 ・認知症のAさんからケアワーカーのあなたへ 「あんたが忙しいかどうか知ったことじゃない。 私はただただ安心してくつろげる家に帰りたいだけなんや。」 一人二役の往復書簡はこのように、相手のことを思うトレーニングにもなるのです。 一度、誰かのことを思って一人二役往復書簡をやってみてはどうでしょうか。 [caption id="attachment_4939" align="alignnone" width="2048"] いじめの手紙、お経の手紙、なんか泣けますね。[/caption]   因みに、今年のテーマは「時」です。 みなさんもチャレンジしてみませんか? できたら介護の関係で。 下記のサイトから申込できます。 https://maruoka-fumi.jp/ippitsu.html
ブログ投稿画像 今年の夏は異常に暑い! と、毎年言ってるような気がします。 その中でも今年は連日厳しい暑さが続きます。 しかし、認知症の人の場合、脳の認知機能の低下は、「暑い、寒い」という感覚さえも奪ってしまいます。 ですので、夏でも厚着しているということはよくあります。 認知症は季節の感覚までも奪ってしまうので、周囲の人たちによる注意と環境整備が必要になります。   家から出て行ってしまって、道に迷ってしまう人にとっては過酷な状況です。 暑いから外には出ないという判断はできないので、 暑かろうが寒かろうが、外出しなければならないという思いの方が強いので、 結局過酷な暑さ寒さにさらされてしまいます。 なんでこんな暑い時に!と、私たちの視点から見ると、 とんでもないことと、理解できない行動なのですが、 本人には本人なりに理由があっての行動なのです。 [caption id="attachment_4556" align="alignnone" width="1600"] パンダも暑さでへたばっています。[/caption]   しかし暑さは容赦なく認知症の人に襲い掛かります。 一刻も早い発見が必要になります。暑いと出歩く地域住民も少なく、 路地裏に座り込んでいて発見が遅れるということも十分にありうるのです。 出来れば何らかの形でGPS発信機を持ってもらえれば最良なのですが、 うまく所持してもらえないという課題もあります。   さて、探すというと、2万1千人の中から一人を探すというのは至難の業ですね。 先週の土曜日、ラグビーワールドカップに向けた強化試合ともいえる、 日本代表対トンガの試合が花園ラグビー場でありました。 本来こんな猛烈な暑さの中でラグビーはやるようなものではないのですが、 久しぶりの関西での国際試合、2万1千人の人が来訪、花園ラグビー場はほぼほぼ満員になりました。   ある認知症の男性は、妻とともに熱烈なラグビーファンです。 今回の試合も早々にチケットを申し込まれたそうです。 当の本人の認知症状は、常にケアが必要な状況ですが、妻と子どもさんとともに観戦するとか。 私もこの試合を観戦するために、ラグビー場に行ったのですが、 さすが2万人もの人がいると、その姿を見つけられませんでした。   果たして無事に観戦できたのか? それはまた後日、介護者の方に聞いてみたいと思いますが、 認知症だからということで、様々な行動や活動に制限を掛けるのではなく、 むしろ感情は豊かに残っておられるので、 その感情に響く刺激はとても必要なことだと思います。   野球でもそうですが、スタジアムに入った時の独特の雰囲気、あれはテレビでは味わえません。 生で味わう雰囲気。認知症だからダメなのではなく、 認知症だからなお一層大切な体験と言えるかもしれません。 環境は認知症の人にとって、生活を左右する重要なアイテムなのです。  
ブログ投稿画像 先日、アーバンケア島之内で「安全運転講習会」が開かれました。 この時に講習を担当してくれた警察官は、 以前、認知症サポーター研修を受講していた方でした。 最初にそのサポーター講座の話をされ、 そこで学んだ認知症の人への関わり方は、安全運転に似ていると話されていました。 人を驚かせる(脅威を感じさせる)ような運転はしない 急がない 相手の心を不快にさせない(クラクションなど) これらは、認知症の人への接し方、3つの「ない」 「おどろかせない」「急がせない」「心を傷つけない」と 共通しているのですね。 とにかくゆっくりと、(急がせても認知症の人は混乱するだけです) 十分に注意をして(認知症の人の事象だけでなく、周辺環境にも注視して) 温かくやさしい表情で(驚いたり、自尊心が傷つけられないように) これらの認知症の人への関わり方は、 確かに、安全運転に繋がっているのですね。 私を含め、車を運転する多くの人は、どちらかというと攻撃的になります。 自己中心的になり、相手が悪いと思いがちです。 しかし、どんなに安全運転していても、縦横無尽に走りまくる自転車に 閉口することもあります。 自動車の運転は、いかに気分の切り替えが出来るかどうかです。 割り込みに腹が立つことはいくらでもあります。 最近は特に私は車間を空けるだけに、いくらでも入られたりします。 ムカッと来た時、どうすれば「気にしない気にしない」と思うような心の余裕を持てるのか。 怒りではない代替え思考を働かせるトレーニングにもなるのですね。 いつどんな時でもユーモアを。ピリピリしている人には持てないものです。 認知症の人への関わり方は、とにかくケア側がイライラしたら、 認知症の人もイライラしてしまいます。 安全運転に心掛けるように、 ゆっくりと落ち着いて関わらないと事故の元になってしまいます。 逆に言えば、例えば施設の車が、荒っぽい運転をしていたら その施設のケアも荒っぽいのではと、思われてしまうのです。