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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2021.03.18

認知症の教室(専門職用)
今も心に刺さったままの棘 センター長の石川です。 もう遥かはるか昔のことになりますが、 今も心に刺さった棘として、しっかりと残っている記憶があります。 大学を卒業してもプー太郎だった私は、京都の田舎の特養に、住み込みバイトしていました。 仕事内容はケアワークですね。 今はケアワーカーさんとか介護職員とか言いますが、当時は寮母さんと呼ばれていました。 私も寮母さんと共に、排せつ、入浴、食事介助等を行っていたのです。 その寮母さんたちが「あの年寄りは!」と、 ある入所者の男性に対する不満をいつも一杯話をしていたのです。 その男性は、食事を持っていくたびに、「こんなものいらん!俺はウナギしか食べへん!」と言って、 お盆をひっくり返すのでした。 寮母さんたちの不満の大きさに、その時私は「ええかっこ」したかったのでしょうか。 「それじゃ、僕が行って怒ってきます!」 と当時はまだ血気盛んだった私は、その男性の所に行き 「なんでそんなわがままばかり言うんや!もっと若い人に慕われる年寄にならなあかんやないか!」 と、怒鳴ったのです。 職員室に帰り、意気揚々に「叱ってきましたよ!」って、報告したことも覚えています。 ある日、私がとてもお世話になっていた恩師にそのことを話しました。 「あまりにもわがままばかり言う年寄りがいたんで、若い人に慕われる年寄にならなあかん!って怒鳴ってやったんです。」 まさしく、私にはその行動が自慢だったわけです。 しかし、恩師は哀しい表情を浮かべ、一言「君はまだ若いなぁ…」とだけ返してくれました。 その時です。 「あれ?」と思ったのです。 自分自身は正しい行動をしたと思ったのに、 恩師はそれをその表情から「気づけよ」って言われていたように思いました。 もしかして、意気揚々と、まるで正義の味方のように利用者を怒鳴って帰ってきたこと、そのことが自慢だった自分。 でもそれが間違っていたとしたら… その男性が何故ウナギを食べたかったのか… 私はその方のことを調べました。 その男性には視力低下がありました。 当時「ウナギに含まれるビタミンは目にいい」と聞いていた男性は、 日に日に見えなくなっていく恐怖と不安の中、毎日でもウナギを食べたい、目が少しでも良くなって欲しい! そんな切実なる願いから来ていた行動だったのです。 そのこともわからず、私はその人に対し、怒鳴り、そしてそのことが自慢だと思っていたのです。 二十代前半の若造に怒鳴られたその男性は、どんなにつらかったことでしょうか。 取り返しのつかない私の行動でした。 ある日、ある寮母さんがその男性のためにウナギを買ってきてくれていました。 男性は涙ながらにそのことに感謝し、ウナギを食べておられました。 もし私に気づきを与えてくれた恩師がいなければ、私はどうなっていたのだろうか。 「気づき」を与えてくれる存在の人がいること。 大切なことだと思います。 この私の最低最悪な失敗という棘は、 私自身への戒めとして、40年以上経っても私の心から抜かずにそのままにしています。 高齢者(利用者)に向かって怒鳴っても、それは後味の悪さにしかならないのです。
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2021.03.09

認知症の教室(専門職用)
ありがとうの日(サンキュー!) センター長の石川です。 今日は「ありがとうの日」ですね。 3月9日ですから。 「ありがとう」ってみんな言えてるのかな。 私はレストランで食事を持ってきてもらった時(この1年行ってませんが) 何かを買った時、店員さんに必ず「ありがとう」と言います。 客なのになんで礼を言わないとあかんのかと、よく言われます。 でも働いてくれるその人がいなければ、食べたり買ったりできないのですから やっぱり「ありがとう」です。 さすがに「ございます」はこの場合付けないですが。 ただ、普段の私自身が感謝の思いが足りなすぎるので、 何かの折に言わないと、「ありがとう」の大切な意味を忘れてしまうのです。 そう、自分自身を戒めるための習慣なのかもしれません。 でも仕事中にちゃんと感謝の意が伝えられているかと言えば、 反省、反省、反省ですね。 ご年配の方、認知症の方も、何らかの形で社会を支えてきてくれた方々です。 なのに私たちは感謝の意を忘れすぎているかもしれません。 笑顔の前にコロナの不安は吹っ飛びます(マスクの上にマスクです) 通り一遍の挨拶は仕事中によくするけれど、時には心を込めて 「あなたがいて助かっている。本当にありがとう。」 って、言ってみれば、疲れた自分の心の中に 爽やかな風が吹くかもしれません。 もちろん、その爽やかな風は、相手にも伝わると思います。
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2021.03.02

認知症の教室(専門職用)
出前講座開催されました!パート2(英田北) センター長の石川です。 2月26日、今回は島之内二丁目公民館で、リボンの広場の時間をお借りして、 ネットワーク委員会による出前講座を開催しました。 今回はあき薬局の川口先生と、実習生のお二人に、 実験付きお薬の正しい飲み方についてお話ししていただきました。 お薬と私たちの生活は切っても切れないもの。 最近多くの皆さんが飲んでいるサプリメントを含めて、飲み合わせをしてはいけないものや、 薬の飲み方の注意点など、丁寧に伝えていただきました。 コップ半分以上の水で、お薬はしっかりと飲まないと、食道に薬がくっついたりしてしまうので要注意です。 またサプリメントもお薬と併用することで効きすぎたりするので、 必ず薬剤師さんに、どんなサプリメントを飲んでいるのか伝えてほしいとのことです。   さて、お薬の話の後は、英田南でも作った手作り磁石(冷蔵庫に張り付けるようなもの)の作成です。 島之内2の会長、副会長が一緒に並んで楽しく作っておられたのが良かったですね。 コロナ禍ではありますが、 少しでも外出の時間を作り、頭と体を動かすことが、今はとても大切ですね。
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2021.02.22

認知症の教室(専門職用)
見かた捉え方を変えて見ること 池の端で、ばあちゃんが鯉に向かって100円玉を投げていました。 それを見た男性が、 「なんで100円投げてんねん。」 と、ばあちゃんに聞きました。 ばあちゃんは鯉に100円玉を投げながら 「そこに、こいのえさ100円って書いてあるやろ。」 確かに。 でも私たちはそれを、ばあちゃんの勘違い、認知力の欠如と断言するかもしれません。 「何言うてんねん、ぼけとんのか。トレビの泉やあるまいし。」 と、普通なら、そう思うかもしれません。 それが普段仕事においても私たちがやってしまう判断です。 でもそれは硬直化した考えかもしれません。 四角四面ではなく、発想を働かせること 「あ、なるほどね~ そんな捉え方もあるわな~ おもろいやん。」とか 「ほんまやな~ ここの鯉は贅沢やな~」とか 「ばあちゃんなかなかやるな~ そらそう読めるわな~」とか 見かた捉え方を変えてみると、また別の発想、考えが生まれるかもしれません。 温かなユーモアを交えると、頭の柔軟性は増えていきます。   「それは間違ってる。」とだけを思ってしまうことの方が、 間違っているのかもしれません。   センター長の石川でした。
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2021.02.15

認知症の教室(専門職用)
認知症と多様性について センター長の石川です。 東京オリンピック・パラリンピックでは森元会長の発言から大騒動になりました。 ただこれはオリンピック精神に反すると言うより、社会的人間としてどうなのかと言うことになります。 2019年のラグビーワールドカップでは、「多様な人々が一つになる」と言うことが実現できた時でした。 日本代表が確たる証拠です。 私も何度か足を運んだスタンドにおいても、敵味方国籍人種を越えたノーサイドの精神で溢れていました。 2019年はいい年だったな~ 元々地域社会は多様な人たちで成り立っています。 当然認知症の人も、その多様性のひとつ、多様な人たちの一人なのです。 今回の話題の中で、差別なく様々な人たちに敬意を示すことの大切さの中に、 認知症の人のことも忘れないで欲しいと思うのです。 (ただSNSでは認知症の人を軽蔑するような書き込みが数多くありました) 認知症の人は、1+1=2のような数値化できない世界(そんな世界はないと否定する人もおられますが)を表し、 学ばせてくれる素晴らしき人たちなのですから。 この部分だけでも、いくらでも語れますよ。 今日の元気が出るビデオ 時には挫折し、この先がどうなっていくか不安な今、若き日に燃やした情熱を思い出し、 Reスタートしてほしい、そんなビデオです。 前回の田中将大に続いて野球ネタです。 「遠くの空 指さすんだ」 https://www.youtube.com/watch?v=DtJIUfbb3cY   さて次回は、私たちの生活にとってなくてはならない「穴」の話です。
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2021.02.11

認知症の教室(専門職用)
若年性認知症の方との関り(14)【痛い記憶】 若年性認知症になられたB女医さんの最終回です。 Bさんのことでは、私はとんでもない失態と言うか、痛い記憶があります。 当時は日本でもまだ数少ない認知症の人の専用フロアがあった私が勤めていた施設は、見学者も数多く来られました。 毎日のように見学者の対応に追われるような状況でもあったのです。 私がその見学者を誘導し、フロアで説明する役割を担っていました。 その見学者たちが皆さん一様に驚く話がありました。 「若くして認知症になられたお医者さんも入所者におられます。」と。 すると、見学者は皆、へぇーと声を上げるのです。 当時はまだ若年性認知症のことはほとんど知られていない頃だったので、 私の話はセンセーショナルな話だったのです。 この頃の私は、認知症の人への敬意も尊厳の保持も、そのかけらすらない説明を、見学者に行っていたのです。 話だけではなく、認知症の人をパーソンではなく、「困った対象者」のような感じで見ていたのかもしれません。 そしてあの日も見学者を案内し、そのセンセーショナルな話をフロアで話をしていた時です。 詰所からガチャっという音が聞こえました。 当時は詰所でタバコが吸える時代でした。(職員は禁止されてましたが) 面会者や見学者は詰所でタバコが吸えたのです。 そのガチャという音は、今でこそあまり見かけなくなりましたが、 灰皿の真ん中の突起を押すと、吸い殻が中に落ちる回転式灰皿の突起を押したときの音だったのです。 その音に振り返って私が詰所を見ると、そこにBさんの夫がいたのです。 日に日に変わっていき、混乱していく妻を支えてきた人でした。 間違いなく、私の見学者への説明を夫は聞いていたでしょう。 その灰皿の音は「私の妻をさらし者にするな!」という無言の抗議だったと、私はその時気づかされました。 今でもその時のガチャ!という灰皿の音は、私にとって痛い記憶として残っています。 まさしく思い上がっていた私への戒めの音だったのです。 真ん中の突起を押すと、ガチャっという音とともにお皿が回転し、吸い殻が中に収納されます。 常にふらつきながらもなんとか歩こうとして、その都度転倒を繰り返すBさんのその姿、 そして涙を浮かべながら、大声を上げ悲壮感を訴えるその表情も、 それこそ「死に物狂いの認知症と言う病魔へ抵抗しようとする姿」であったのではないでしょうか。 同時に私たちに救いを求める姿であったのかもしれません。 私たちから見て困ってしまう行動も、 本人にとっては「必死になって生きていこうとする自分自身への生命の証」なのかもしれません。 B女医さんの話はこれで終わります。 次回からは猛烈に暴れる女性の話になります。 センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 もう遥かはるか昔のことになりますが、 今も心に刺さった棘として、しっかりと残っている記憶があります。 大学を卒業してもプー太郎だった私は、京都の田舎の特養に、住み込みバイトしていました。 仕事内容はケアワークですね。 今はケアワーカーさんとか介護職員とか言いますが、当時は寮母さんと呼ばれていました。 私も寮母さんと共に、排せつ、入浴、食事介助等を行っていたのです。 その寮母さんたちが「あの年寄りは!」と、 ある入所者の男性に対する不満をいつも一杯話をしていたのです。 その男性は、食事を持っていくたびに、「こんなものいらん!俺はウナギしか食べへん!」と言って、 お盆をひっくり返すのでした。 寮母さんたちの不満の大きさに、その時私は「ええかっこ」したかったのでしょうか。 「それじゃ、僕が行って怒ってきます!」 と当時はまだ血気盛んだった私は、その男性の所に行き 「なんでそんなわがままばかり言うんや!もっと若い人に慕われる年寄にならなあかんやないか!」 と、怒鳴ったのです。 職員室に帰り、意気揚々に「叱ってきましたよ!」って、報告したことも覚えています。 ある日、私がとてもお世話になっていた恩師にそのことを話しました。 「あまりにもわがままばかり言う年寄りがいたんで、若い人に慕われる年寄にならなあかん!って怒鳴ってやったんです。」 まさしく、私にはその行動が自慢だったわけです。 しかし、恩師は哀しい表情を浮かべ、一言「君はまだ若いなぁ…」とだけ返してくれました。 その時です。 「あれ?」と思ったのです。 自分自身は正しい行動をしたと思ったのに、 恩師はそれをその表情から「気づけよ」って言われていたように思いました。 もしかして、意気揚々と、まるで正義の味方のように利用者を怒鳴って帰ってきたこと、そのことが自慢だった自分。 でもそれが間違っていたとしたら… その男性が何故ウナギを食べたかったのか… 私はその方のことを調べました。 その男性には視力低下がありました。 当時「ウナギに含まれるビタミンは目にいい」と聞いていた男性は、 日に日に見えなくなっていく恐怖と不安の中、毎日でもウナギを食べたい、目が少しでも良くなって欲しい! そんな切実なる願いから来ていた行動だったのです。 そのこともわからず、私はその人に対し、怒鳴り、そしてそのことが自慢だと思っていたのです。 二十代前半の若造に怒鳴られたその男性は、どんなにつらかったことでしょうか。 取り返しのつかない私の行動でした。 ある日、ある寮母さんがその男性のためにウナギを買ってきてくれていました。 男性は涙ながらにそのことに感謝し、ウナギを食べておられました。 もし私に気づきを与えてくれた恩師がいなければ、私はどうなっていたのだろうか。 「気づき」を与えてくれる存在の人がいること。 大切なことだと思います。 この私の最低最悪な失敗という棘は、 私自身への戒めとして、40年以上経っても私の心から抜かずにそのままにしています。 高齢者(利用者)に向かって怒鳴っても、それは後味の悪さにしかならないのです。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今日は「ありがとうの日」ですね。 3月9日ですから。 「ありがとう」ってみんな言えてるのかな。 私はレストランで食事を持ってきてもらった時(この1年行ってませんが) 何かを買った時、店員さんに必ず「ありがとう」と言います。 客なのになんで礼を言わないとあかんのかと、よく言われます。 でも働いてくれるその人がいなければ、食べたり買ったりできないのですから やっぱり「ありがとう」です。 さすがに「ございます」はこの場合付けないですが。 ただ、普段の私自身が感謝の思いが足りなすぎるので、 何かの折に言わないと、「ありがとう」の大切な意味を忘れてしまうのです。 そう、自分自身を戒めるための習慣なのかもしれません。 でも仕事中にちゃんと感謝の意が伝えられているかと言えば、 反省、反省、反省ですね。 ご年配の方、認知症の方も、何らかの形で社会を支えてきてくれた方々です。 なのに私たちは感謝の意を忘れすぎているかもしれません。 [caption id="attachment_2272" align="aligncenter" width="650"] 笑顔の前にコロナの不安は吹っ飛びます(マスクの上にマスクです)[/caption] 通り一遍の挨拶は仕事中によくするけれど、時には心を込めて 「あなたがいて助かっている。本当にありがとう。」 って、言ってみれば、疲れた自分の心の中に 爽やかな風が吹くかもしれません。 もちろん、その爽やかな風は、相手にも伝わると思います。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 2月26日、今回は島之内二丁目公民館で、リボンの広場の時間をお借りして、 ネットワーク委員会による出前講座を開催しました。 今回はあき薬局の川口先生と、実習生のお二人に、 実験付きお薬の正しい飲み方についてお話ししていただきました。 お薬と私たちの生活は切っても切れないもの。 最近多くの皆さんが飲んでいるサプリメントを含めて、飲み合わせをしてはいけないものや、 薬の飲み方の注意点など、丁寧に伝えていただきました。 コップ半分以上の水で、お薬はしっかりと飲まないと、食道に薬がくっついたりしてしまうので要注意です。 またサプリメントもお薬と併用することで効きすぎたりするので、 必ず薬剤師さんに、どんなサプリメントを飲んでいるのか伝えてほしいとのことです。   さて、お薬の話の後は、英田南でも作った手作り磁石(冷蔵庫に張り付けるようなもの)の作成です。 島之内2の会長、副会長が一緒に並んで楽しく作っておられたのが良かったですね。 コロナ禍ではありますが、 少しでも外出の時間を作り、頭と体を動かすことが、今はとても大切ですね。
ブログ投稿画像 池の端で、ばあちゃんが鯉に向かって100円玉を投げていました。 それを見た男性が、 「なんで100円投げてんねん。」 と、ばあちゃんに聞きました。 ばあちゃんは鯉に100円玉を投げながら 「そこに、こいのえさ100円って書いてあるやろ。」 確かに。 でも私たちはそれを、ばあちゃんの勘違い、認知力の欠如と断言するかもしれません。 「何言うてんねん、ぼけとんのか。トレビの泉やあるまいし。」 と、普通なら、そう思うかもしれません。 それが普段仕事においても私たちがやってしまう判断です。 でもそれは硬直化した考えかもしれません。 [caption id="attachment_2393" align="aligncenter" width="650"] 四角四面ではなく、発想を働かせること[/caption] 「あ、なるほどね~ そんな捉え方もあるわな~ おもろいやん。」とか 「ほんまやな~ ここの鯉は贅沢やな~」とか 「ばあちゃんなかなかやるな~ そらそう読めるわな~」とか 見かた捉え方を変えてみると、また別の発想、考えが生まれるかもしれません。 温かなユーモアを交えると、頭の柔軟性は増えていきます。   「それは間違ってる。」とだけを思ってしまうことの方が、 間違っているのかもしれません。   センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 東京オリンピック・パラリンピックでは森元会長の発言から大騒動になりました。 ただこれはオリンピック精神に反すると言うより、社会的人間としてどうなのかと言うことになります。 2019年のラグビーワールドカップでは、「多様な人々が一つになる」と言うことが実現できた時でした。 日本代表が確たる証拠です。 私も何度か足を運んだスタンドにおいても、敵味方国籍人種を越えたノーサイドの精神で溢れていました。 [caption id="attachment_2377" align="aligncenter" width="650"] 2019年はいい年だったな~[/caption] 元々地域社会は多様な人たちで成り立っています。 当然認知症の人も、その多様性のひとつ、多様な人たちの一人なのです。 今回の話題の中で、差別なく様々な人たちに敬意を示すことの大切さの中に、 認知症の人のことも忘れないで欲しいと思うのです。 (ただSNSでは認知症の人を軽蔑するような書き込みが数多くありました) 認知症の人は、1+1=2のような数値化できない世界(そんな世界はないと否定する人もおられますが)を表し、 学ばせてくれる素晴らしき人たちなのですから。 この部分だけでも、いくらでも語れますよ。 今日の元気が出るビデオ 時には挫折し、この先がどうなっていくか不安な今、若き日に燃やした情熱を思い出し、 Reスタートしてほしい、そんなビデオです。 前回の田中将大に続いて野球ネタです。 「遠くの空 指さすんだ」 https://www.youtube.com/watch?v=DtJIUfbb3cY   さて次回は、私たちの生活にとってなくてはならない「穴」の話です。
ブログ投稿画像 若年性認知症になられたB女医さんの最終回です。 Bさんのことでは、私はとんでもない失態と言うか、痛い記憶があります。 当時は日本でもまだ数少ない認知症の人の専用フロアがあった私が勤めていた施設は、見学者も数多く来られました。 毎日のように見学者の対応に追われるような状況でもあったのです。 私がその見学者を誘導し、フロアで説明する役割を担っていました。 その見学者たちが皆さん一様に驚く話がありました。 「若くして認知症になられたお医者さんも入所者におられます。」と。 すると、見学者は皆、へぇーと声を上げるのです。 当時はまだ若年性認知症のことはほとんど知られていない頃だったので、 私の話はセンセーショナルな話だったのです。 この頃の私は、認知症の人への敬意も尊厳の保持も、そのかけらすらない説明を、見学者に行っていたのです。 話だけではなく、認知症の人をパーソンではなく、「困った対象者」のような感じで見ていたのかもしれません。 そしてあの日も見学者を案内し、そのセンセーショナルな話をフロアで話をしていた時です。 詰所からガチャっという音が聞こえました。 当時は詰所でタバコが吸える時代でした。(職員は禁止されてましたが) 面会者や見学者は詰所でタバコが吸えたのです。 そのガチャという音は、今でこそあまり見かけなくなりましたが、 灰皿の真ん中の突起を押すと、吸い殻が中に落ちる回転式灰皿の突起を押したときの音だったのです。 その音に振り返って私が詰所を見ると、そこにBさんの夫がいたのです。 日に日に変わっていき、混乱していく妻を支えてきた人でした。 間違いなく、私の見学者への説明を夫は聞いていたでしょう。 その灰皿の音は「私の妻をさらし者にするな!」という無言の抗議だったと、私はその時気づかされました。 今でもその時のガチャ!という灰皿の音は、私にとって痛い記憶として残っています。 まさしく思い上がっていた私への戒めの音だったのです。 [caption id="attachment_2372" align="aligncenter" width="225"] 真ん中の突起を押すと、ガチャっという音とともにお皿が回転し、吸い殻が中に収納されます。[/caption] 常にふらつきながらもなんとか歩こうとして、その都度転倒を繰り返すBさんのその姿、 そして涙を浮かべながら、大声を上げ悲壮感を訴えるその表情も、 それこそ「死に物狂いの認知症と言う病魔へ抵抗しようとする姿」であったのではないでしょうか。 同時に私たちに救いを求める姿であったのかもしれません。 私たちから見て困ってしまう行動も、 本人にとっては「必死になって生きていこうとする自分自身への生命の証」なのかもしれません。 B女医さんの話はこれで終わります。 次回からは猛烈に暴れる女性の話になります。 センター長の石川でした。