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「トピックス」で記事を検索しました。

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2021.09.22

トピックス
第68回ネットワーク委員会開催される センター長の石川です。 21日、第68回「英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会」が開催されました。 今回も参加者からの活発な意見が交わされました。 やはり話題の中心は、コロナウイルスについてです。 東大阪市では65歳以上の高齢者の85%が2回終了、12歳以上でも50%弱の方が終了しているそうです。 ただこれからはインフルエンザワクチンの季節になっていきます。 しかしそのワクチンの供給量は6~8割とのこと。少し心配な面もあるとのことです。 また若い人の間ではSNSでの不正確な情報を簡単に信じてしまい、ワクチンを打たなかったり、 悪気もなくドタキャンする人も多いと医療関係者からの意見でした。 学校関係は一時休校するところもありましたが、今は下火になっていってるとのこと。 それでも修学旅行や運動会などにかなりの支障が出ているそうです。 さらに老人センターに人が来なくなった。特に男性が来なくなり、みんなどうしているのだろうと案じている状況とのこと。 そしてコロナに関連した詐欺も多発しており、 河内警察から何とか住民の皆さんに「安まちメール」を活用した防犯をお願いしたいとの要望があり、 地域自治会としても動かなければならないと思われたようです。 このように各委員からは活発な情報提供が寄せられました。 気になるのは、初期集中チームへの要請が最近とんとないと言うことです。 コロナ禍で隠されてしまっているのか、それとも包括支援センターで解決されて行ってるのか、 理由はわからないけど、初期集中チームへの要請が止まっているとのことでした。 このように今はコロナとの闘いに明け暮れと言う状況ですが、 半年先か1年先かわかりませんが、安心声掛けつながり訓練を実施するときは、 ICTも取り入れた新たなスタイルも模索中とお伝えしました。 ネットワーク委員会は短時間ながら、中味の濃い時間となりました。 これからも地域のために話し合いを続けていきます。
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2021.09.18

トピックス
ネガティブ思考では天使はやってこない 9月9日のブログにテーマにあるような文章を書きました。 こんな話があります。 1900年代初頭の話です(お間違いのないように)   Aセールスマンは、「アフリカには靴を履いている人がいないので商売にはならない」 と会社に報告しました。 Bセールスマンは、「アフリカには靴を履いている人がいないので、靴を売る絶好のチャンスです。」 と会社に報告しました。 (ベンジャミン・ザンダー「TED」より)   私たちケアを考える立場の者は、一人ひとりの方の人生の大事なエンディング領域に関わる仕事です。 人生の終幕をどうプランニングしていくのか。 「できない、やれない、どうしようもない、やるだけ無駄」と思ったら、 そこで終了です。 天使なんて決してやって来ません。 常に顔を上げて、前を向いて考えれば、開拓できないような道でも開拓できるかもしれません。 奇跡を起こす天使だってやって来るかもしれません。 とは言っても、どうしてもネガティブ思考に陥ってしまう…   でもそんなネガティブ思考の自分を変えるとしたら、決して遅くはありません。 どこなら変えれますか?   過去は変えれないけど 未来は変えれます。 そしてその未来に繋がる現在から。 変える方法はいくらでもあります。   (どうしようもなく自分勝手なラグビー選手だった五郎丸渉は、この投げかけから、日本代表選手としての自覚を持ち変わっていったのでした。)
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2021.09.10

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認知症ケアは本当に良くなったのだろうか? センター長の石川です。 ここに掲げた写真群は、元写真を写したもので写りが悪いですが、私が若かりし頃の特養での風景です。 当時勤めていた特養から30分ほどの公園に、 皆さんお出掛けしてなんと、バーベキューならぬ、豚汁パーティを行ったのです。 多くの車いすの方と共に、元気溌剌な認知症の方も数名参加されていました。 割烹着の方は、コミュニケーションも厳しい状態で、絶えず施設を出て行きます。 一緒についていくのですが、他人の家を自分の家だと言ってきかず入っていかれたり、 ひたすら歩き続ける方でしたが、割烹着姿でわかるように、「かつての日本のお母さん」のような人でした。 背の高い帽子をかぶっておられる男性は通訳をされていたので英語が堪能で、 ケネディ元大統領と友人だったと、ケネディの手紙を見せてくれた方でしたが、 認知症状はかなり進行しており、毎日の関りが大変だった方です。 しかし当時はある意味自由奔放でした。 認知症の人への施設入所による制限ってあったのかな?とも思うくらいです。 好きなように外へ出て(ついていく職員は大変でしたが)、ドライブにもよく行き、 公園やレストラン、そして一泊旅行にも行ったものです。 当時夕方になると帰宅願望の方が数名おられましたので、「たそがれどきドライブ」として、 車でお出かけすると、落ち着かれたので、ドライブは結構行ってました。 今ならすぐにリスクマネジメントが頭に浮かび、何かと制限が掛かってしまいます。 いい意味なのか悪い意味なのか、当時はそんなことあまり考えなかったです。 「いっちゃえ、やっちゃえ、ありのまま」 そんな感じだったでしょうか。 確かに今の認知症ケアは、尊厳を守り敬意を払うという基本理念の徹底が図られています。 様々なことで身体拘束が当たり前だった時代からは、はるかに進んだと言えるでしょう。 しかし、当時の写真を振り返ると、 「認知症があろうとなかろうと、とにかく楽しもう!」という心意気があったのではないかと思います。 今はこのように「外に出る」ことすらなくなってきています。 認知症の人は(認知症の人でなくても)外で自由奔放は許されないのか? コロナ禍ということではなく、このような自由奔放さが、 「安心・安全」の合言葉の中で埋没して言っているように感じるのです。 はたして、認知症ケアは本当に良くなったのか? 疑問に思う今日この頃です。
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2021.09.06

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若年性認知症の方の集い(9月) ~声掛けのヒントについて~ センター長の石川です 9月の若年性認知症の方の集い(楽Café)に参加してきました。 今回は7名の当事者の方が参加予定でしたが、 利用事業所でのコロナウイルス発生や蔓延状態に参加を諦められた方がおられ、 3名の当事者の方の参加となりました。 そのうち1名は新規の方で、当事者の方は手作業に、 ご家族の方は別個に家族のお話を聴く場を設けました。 その詳細については、個人情報に関わりますのでここには書けませんが、 あらためて、「確かだったものが、不確かになっていくこと」の不安や混乱をご家族やご本人から感じることが出来ました。 市役所でのお弁当配りは延期になりました。   「確かだったものが、不確かになっていくこと」とは、 当り前のように私たちがわかっていることがわからなくなると言うことです。 つまり当たり前のように「これはペットボトルだ」とわかっていたことが、 「これが何なのか?」と分からなくなってしまうことなのです。 https://yoshijukai.or.jp/ninchisho-yui/wp-content/uploads/sites/9/2021/09/DSC_0318ABa.mp4 もちろん、ペットボトルがどのようなものなのか、そしてどう使うのかは、記憶として私たちの脳には刻まれて、瞬時にその記憶は取り出せるのですが、認知症状が進むと、その記憶が取り出せなくなるのです。 だから目の前に見えているペットボトルが何なのかわからなくなり、そのわからなくなるものが一杯になって、不安や混乱に繋がっていくのです。 どうしても「言葉が出てこない」当事者に対しては、声掛け側も行き詰ってしまいます。 出来ないことに声掛け側も引きずられてしまうのです。その雰囲気は当事者にも伝わります。 そんな時は、とにかく前向きになるような、ポジティブな言葉(ハッピーワード)掛けを行います。 今まで話していた内容と全く違うものでも構いません。 「そやけどAさんほんとに凄いですね!」とか「めっちゃ頑張ってますね!」とか「私も応援しますから!」などの言葉掛けで本人の気分も不安から救われていくのです。 そしてやはり会話の時は「笑顔を忘れないこと」。 不安を訴えておられるときは「真剣なまなざしで頷きながら聞くこと」。 それだけでも当事者は気持ちが楽になるのです。
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2021.09.03

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しんどい一日の終わり方 センター長の石川です。 「皆様いかがお過ごしでしょうか」なんて言う言葉が空々しく感じるほど、 コロナウイルスの状況はひっ迫していると言えますね。 そのため皆さん、我慢、我慢、我慢の日々が続きます。 普通の暮らしにも制限が掛かりますし、何処かへ行きたくても気軽には行けません。 仕事上でもストレスが溜まります。 特にケアの仕事は、感染へのピリピリ感もあるし、 現場実践の中ではかなりの心身の疲労感があるのではないかと思います。 公私ともに精神的負担も掛かっていると言えるでしょう。 「はぁ疲れた(*´Д`)」で終わることが多いと思います。 コロナウイルスだけでなく、利用者と上手く関われなかったり、 同僚との間がうまくいかなかったり、様々なことが疲労感として残っていきます。 そのようなことが日々積み重なっていくと、最後には心が倒れてしまいます。 セルフケアになるのですが、しんどい毎日の終わり方があります。 「はぁ(*´Д`)今日もしんどかった…」で終わると、それだけが疲労感が積み重なっていきます。 そんな時は、 「はぁ(*´Д`)しんどかった…」とつぶやくと同時に、 「こんなにしんどかったのに、よく頑張ったね私」 と、自分で自分をほめることです。 「今日は同僚のAさんと上手くいかなかった。でもしっかりと耐えたよね、そんな私は偉い!」 と、自分自身をほめ、ご褒美としてキャンディやチョコレートなど、好きなものを一個食べてください。 そしてその後はスイッチオフ。自分の好きな世界に没頭しましょう。 そうやって、自分で自分の心を守ることも心得ておいてください。 トンネルの先に光明が見えるのは もう少し先になりそうですから。
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2021.09.02

トピックス
昨日の専門職は明日の専門職とは言えない 通常の仕事以外にもコロナ対策で公私共々疲労が増している状況ではないでしょうか。 そんな中でちょっと辛口になりますが、 やはり忘れてはならないことは押さえておこうと思うのです。 ケアの業務に携わる多くの人は、何らかの資格を持った専門職です。 「専門職(せんもんしょく)とは、専門性を必要とする職のこと。」と、ウイキペディアには書かれています。 わからないをわかるためには、勉強もしなくっちゃ   私たちは経験の多い少ないを別にして、「専門職」としての専門性を発揮しなければなりません。 その専門性こそが「良いケア」に繋がるからです。 逆に言えば、「不適切なケア」(利用者ご本人の尊厳を守らず、本人に敬意を払わないケア)を行うならば、(気づかないこと、修正を行わない事も含む)それは専門職とは言えず、ただの「しょうもない人」です。 一生懸命勉強して取った資格が泣いてしまいます。 ただ、「見えているのに気づかない」ことは意外と私たちには多々あることです。 しかし、そこに「気づく」ことが、専門職であるかないかの違いです。 みんなで助けあっていかないとね   ただ専門職は「狭い範囲でのプロフェッショナル」でもあります。 広い視点が持てなくなってしまう時があります。 施設での専門的ケアが主体になるほど、人にはそれぞれの個性があり、 社会や環境と繋がっているのだという広い領域が見えなくなってしまいます。 顔を上げて見上げれば様々なものが見えてきます。   本当の専門職は、常に研鑽を行い、そのプロフェッショナル性に磨きをかけるのと同時に、 幅広い視野も持つことも問われるのです。 「昨日の専門職は、明日も専門職とは言えない」のですね。 自分自身にめっちゃ自戒を込めて。 天狗にならないよう、ときには鼻をつまむことです。   大変な時期、本当に皆様ありがとうございます。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 21日、第68回「英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会」が開催されました。 今回も参加者からの活発な意見が交わされました。 やはり話題の中心は、コロナウイルスについてです。 東大阪市では65歳以上の高齢者の85%が2回終了、12歳以上でも50%弱の方が終了しているそうです。 ただこれからはインフルエンザワクチンの季節になっていきます。 しかしそのワクチンの供給量は6~8割とのこと。少し心配な面もあるとのことです。 また若い人の間ではSNSでの不正確な情報を簡単に信じてしまい、ワクチンを打たなかったり、 悪気もなくドタキャンする人も多いと医療関係者からの意見でした。 学校関係は一時休校するところもありましたが、今は下火になっていってるとのこと。 それでも修学旅行や運動会などにかなりの支障が出ているそうです。 さらに老人センターに人が来なくなった。特に男性が来なくなり、みんなどうしているのだろうと案じている状況とのこと。 そしてコロナに関連した詐欺も多発しており、 河内警察から何とか住民の皆さんに「安まちメール」を活用した防犯をお願いしたいとの要望があり、 地域自治会としても動かなければならないと思われたようです。 このように各委員からは活発な情報提供が寄せられました。 気になるのは、初期集中チームへの要請が最近とんとないと言うことです。 コロナ禍で隠されてしまっているのか、それとも包括支援センターで解決されて行ってるのか、 理由はわからないけど、初期集中チームへの要請が止まっているとのことでした。 このように今はコロナとの闘いに明け暮れと言う状況ですが、 半年先か1年先かわかりませんが、安心声掛けつながり訓練を実施するときは、 ICTも取り入れた新たなスタイルも模索中とお伝えしました。 ネットワーク委員会は短時間ながら、中味の濃い時間となりました。 これからも地域のために話し合いを続けていきます。
ブログ投稿画像 9月9日のブログにテーマにあるような文章を書きました。 こんな話があります。 1900年代初頭の話です(お間違いのないように)   Aセールスマンは、「アフリカには靴を履いている人がいないので商売にはならない」 と会社に報告しました。 Bセールスマンは、「アフリカには靴を履いている人がいないので、靴を売る絶好のチャンスです。」 と会社に報告しました。 (ベンジャミン・ザンダー「TED」より)   私たちケアを考える立場の者は、一人ひとりの方の人生の大事なエンディング領域に関わる仕事です。 人生の終幕をどうプランニングしていくのか。 「できない、やれない、どうしようもない、やるだけ無駄」と思ったら、 そこで終了です。 天使なんて決してやって来ません。 常に顔を上げて、前を向いて考えれば、開拓できないような道でも開拓できるかもしれません。 奇跡を起こす天使だってやって来るかもしれません。 とは言っても、どうしてもネガティブ思考に陥ってしまう…   でもそんなネガティブ思考の自分を変えるとしたら、決して遅くはありません。 どこなら変えれますか?   過去は変えれないけど 未来は変えれます。 そしてその未来に繋がる現在から。 変える方法はいくらでもあります。   (どうしようもなく自分勝手なラグビー選手だった五郎丸渉は、この投げかけから、日本代表選手としての自覚を持ち変わっていったのでした。)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 ここに掲げた写真群は、元写真を写したもので写りが悪いですが、私が若かりし頃の特養での風景です。 当時勤めていた特養から30分ほどの公園に、 皆さんお出掛けしてなんと、バーベキューならぬ、豚汁パーティを行ったのです。 多くの車いすの方と共に、元気溌剌な認知症の方も数名参加されていました。 割烹着の方は、コミュニケーションも厳しい状態で、絶えず施設を出て行きます。 一緒についていくのですが、他人の家を自分の家だと言ってきかず入っていかれたり、 ひたすら歩き続ける方でしたが、割烹着姿でわかるように、「かつての日本のお母さん」のような人でした。 背の高い帽子をかぶっておられる男性は通訳をされていたので英語が堪能で、 ケネディ元大統領と友人だったと、ケネディの手紙を見せてくれた方でしたが、 認知症状はかなり進行しており、毎日の関りが大変だった方です。 しかし当時はある意味自由奔放でした。 認知症の人への施設入所による制限ってあったのかな?とも思うくらいです。 好きなように外へ出て(ついていく職員は大変でしたが)、ドライブにもよく行き、 公園やレストラン、そして一泊旅行にも行ったものです。 当時夕方になると帰宅願望の方が数名おられましたので、「たそがれどきドライブ」として、 車でお出かけすると、落ち着かれたので、ドライブは結構行ってました。 今ならすぐにリスクマネジメントが頭に浮かび、何かと制限が掛かってしまいます。 いい意味なのか悪い意味なのか、当時はそんなことあまり考えなかったです。 「いっちゃえ、やっちゃえ、ありのまま」 そんな感じだったでしょうか。 確かに今の認知症ケアは、尊厳を守り敬意を払うという基本理念の徹底が図られています。 様々なことで身体拘束が当たり前だった時代からは、はるかに進んだと言えるでしょう。 しかし、当時の写真を振り返ると、 「認知症があろうとなかろうと、とにかく楽しもう!」という心意気があったのではないかと思います。 今はこのように「外に出る」ことすらなくなってきています。 認知症の人は(認知症の人でなくても)外で自由奔放は許されないのか? コロナ禍ということではなく、このような自由奔放さが、 「安心・安全」の合言葉の中で埋没して言っているように感じるのです。 はたして、認知症ケアは本当に良くなったのか? 疑問に思う今日この頃です。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 9月の若年性認知症の方の集い(楽Café)に参加してきました。 今回は7名の当事者の方が参加予定でしたが、 利用事業所でのコロナウイルス発生や蔓延状態に参加を諦められた方がおられ、 3名の当事者の方の参加となりました。 そのうち1名は新規の方で、当事者の方は手作業に、 ご家族の方は別個に家族のお話を聴く場を設けました。 その詳細については、個人情報に関わりますのでここには書けませんが、 あらためて、「確かだったものが、不確かになっていくこと」の不安や混乱をご家族やご本人から感じることが出来ました。 [caption id="attachment_3128" align="alignnone" width="1024"] 市役所でのお弁当配りは延期になりました。[/caption]   「確かだったものが、不確かになっていくこと」とは、 当り前のように私たちがわかっていることがわからなくなると言うことです。 つまり当たり前のように「これはペットボトルだ」とわかっていたことが、 「これが何なのか?」と分からなくなってしまうことなのです。 [video width="1920" height="1080" mp4="https://yoshijukai.or.jp/ninchisho-yui/wp-content/uploads/sites/9/2021/09/DSC_0318ABa.mp4"][/video] もちろん、ペットボトルがどのようなものなのか、そしてどう使うのかは、記憶として私たちの脳には刻まれて、瞬時にその記憶は取り出せるのですが、認知症状が進むと、その記憶が取り出せなくなるのです。 だから目の前に見えているペットボトルが何なのかわからなくなり、そのわからなくなるものが一杯になって、不安や混乱に繋がっていくのです。 どうしても「言葉が出てこない」当事者に対しては、声掛け側も行き詰ってしまいます。 出来ないことに声掛け側も引きずられてしまうのです。その雰囲気は当事者にも伝わります。 そんな時は、とにかく前向きになるような、ポジティブな言葉(ハッピーワード)掛けを行います。 今まで話していた内容と全く違うものでも構いません。 「そやけどAさんほんとに凄いですね!」とか「めっちゃ頑張ってますね!」とか「私も応援しますから!」などの言葉掛けで本人の気分も不安から救われていくのです。 そしてやはり会話の時は「笑顔を忘れないこと」。 不安を訴えておられるときは「真剣なまなざしで頷きながら聞くこと」。 それだけでも当事者は気持ちが楽になるのです。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 「皆様いかがお過ごしでしょうか」なんて言う言葉が空々しく感じるほど、 コロナウイルスの状況はひっ迫していると言えますね。 そのため皆さん、我慢、我慢、我慢の日々が続きます。 普通の暮らしにも制限が掛かりますし、何処かへ行きたくても気軽には行けません。 仕事上でもストレスが溜まります。 特にケアの仕事は、感染へのピリピリ感もあるし、 現場実践の中ではかなりの心身の疲労感があるのではないかと思います。 公私ともに精神的負担も掛かっていると言えるでしょう。 「はぁ疲れた(*´Д`)」で終わることが多いと思います。 コロナウイルスだけでなく、利用者と上手く関われなかったり、 同僚との間がうまくいかなかったり、様々なことが疲労感として残っていきます。 そのようなことが日々積み重なっていくと、最後には心が倒れてしまいます。 セルフケアになるのですが、しんどい毎日の終わり方があります。 「はぁ(*´Д`)今日もしんどかった…」で終わると、それだけが疲労感が積み重なっていきます。 そんな時は、 「はぁ(*´Д`)しんどかった…」とつぶやくと同時に、 「こんなにしんどかったのに、よく頑張ったね私」 と、自分で自分をほめることです。 「今日は同僚のAさんと上手くいかなかった。でもしっかりと耐えたよね、そんな私は偉い!」 と、自分自身をほめ、ご褒美としてキャンディやチョコレートなど、好きなものを一個食べてください。 そしてその後はスイッチオフ。自分の好きな世界に没頭しましょう。 そうやって、自分で自分の心を守ることも心得ておいてください。 トンネルの先に光明が見えるのは もう少し先になりそうですから。
ブログ投稿画像 通常の仕事以外にもコロナ対策で公私共々疲労が増している状況ではないでしょうか。 そんな中でちょっと辛口になりますが、 やはり忘れてはならないことは押さえておこうと思うのです。 ケアの業務に携わる多くの人は、何らかの資格を持った専門職です。 「専門職(せんもんしょく)とは、専門性を必要とする職のこと。」と、ウイキペディアには書かれています。 [caption id="attachment_1878" align="alignnone" width="650"] わからないをわかるためには、勉強もしなくっちゃ[/caption]   私たちは経験の多い少ないを別にして、「専門職」としての専門性を発揮しなければなりません。 その専門性こそが「良いケア」に繋がるからです。 逆に言えば、「不適切なケア」(利用者ご本人の尊厳を守らず、本人に敬意を払わないケア)を行うならば、(気づかないこと、修正を行わない事も含む)それは専門職とは言えず、ただの「しょうもない人」です。 一生懸命勉強して取った資格が泣いてしまいます。 ただ、「見えているのに気づかない」ことは意外と私たちには多々あることです。 しかし、そこに「気づく」ことが、専門職であるかないかの違いです。 [caption id="attachment_1930" align="alignnone" width="650"] みんなで助けあっていかないとね[/caption]   ただ専門職は「狭い範囲でのプロフェッショナル」でもあります。 広い視点が持てなくなってしまう時があります。 施設での専門的ケアが主体になるほど、人にはそれぞれの個性があり、 社会や環境と繋がっているのだという広い領域が見えなくなってしまいます。 [caption id="attachment_2894" align="alignnone" width="1560"] 顔を上げて見上げれば様々なものが見えてきます。[/caption]   本当の専門職は、常に研鑽を行い、そのプロフェッショナル性に磨きをかけるのと同時に、 幅広い視野も持つことも問われるのです。 「昨日の専門職は、明日も専門職とは言えない」のですね。 自分自身にめっちゃ自戒を込めて。 [caption id="attachment_3102" align="alignnone" width="960"] 天狗にならないよう、ときには鼻をつまむことです。[/caption]   大変な時期、本当に皆様ありがとうございます。