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「トピックス」で記事を検索しました。

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2021.11.09

トピックス
オレンジメンバー養成講座開かれました 認知症の人や家族を支援するチームオレンジを形作っていくための 「オレンジメンバー養成講座」が開かれています。 地域で認知症の人を支える、それをチームとして行っていくのですが、 今回参加された方は約10名、熱意を持った方々ばかりです。 しかしその年齢層は、いわゆる「高齢者」の皆様ばかりでした。 高齢者が高齢者を支える。そのような状況が続いているのかもしれません。 ただ年代を越えて繋がっていける取り組みをもっと行わないといけないのかなと思います。 「安心声掛けつながり訓練」もそのひとつと言えるでしょう。 年配の方の普段の見守り+ICTを活用したものを取り入れて、 それらを活用できる年代の人も含めた支援作りが必要かもしれません。 雲海に浮かぶ美ヶ原と八ケ岳 標高3015メートルの立山山頂より   かくいう私も高齢者の部類に入るのでしょうね。 ただ、わがまま勝手な私はグループで動くのが苦手(自分が不器用でだらしないので、グループメンバーにめっちゃ気を遣う)なのですが、 自己責任で行う登山は大好きでしばらくやめていたのを復活させました。 都会と違って、山は人が少ないです。それが何より。 空気も新鮮です。(もっとも最近は、なんちゃって登山者も増えましたが) 元々は危険な山も何のそのと、若い時はよく北アルプスを登っていたのですが、今はひーひー言いながら登っています。 10月、紅葉を撮影に行ったのに、山はもう冬でした。 さて、11月20日「ほっこりなつどい」を開催します。 認知症の方を介護されている介護家族の方のつどいです。お気軽にご参加ください。まだ参加できますよ!
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2021.11.04

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耳を澄ませば・実践編 音は意外と気になるものです。 イヤホンで聞く人がノイズキャンセラーを使うのは、 雑音(自分にとって不快な音)が多いからでしょう。 では、自分の身の回りのことの全てが不確かな(認識する機能が弱まっている)状況にある認知症の人には、 周囲の様々な音(もちろん人の声も含みます)はどのように感じているのでしょうか? あくまでも模擬的な体感になりますが、普段真剣に考えることのない音について 考えてみましょう。 🙉 聞か猿ではありません 【実践条件】 *「耳を澄ませば実践者」は、ケアの現場のどこかの場所(できれば利用者が普段いる場所)に座ります。 *「耳を澄ませば実践者」は、基本目をつぶります。目隠ししたほうが実験を周囲の人に理解しやすいと思いますが、危険察知に備えてすぐに外せるようにしておきます。 *実践時間は何時でも構いませんが、認知症の人が落ち着かなくなる時間帯、職員が動き回っている時間帯など、この時の「音」について確認したい時間帯を選びます。 *1回10分程度(もう少し短くてもよい)で行います。 *「耳を澄ませば実践者」は壁と同じ存在になりますので、業務にもかかわりませんし、利用者のケアにも関わりません(危険を察知した場合はのぞく) *「耳を澄ませば実践者」の大変なところは、もちろん「聴く」ことに集中することですが、「感じたことを記憶する」という作業があります。 *記憶したものは、下記書式にまとめます。 聞き耳を立て、親やグループの情報を集めています。   何人かで行うのが良いでしょう。 そして心地よい音と、そうでない音を自覚し、ケアの改善に繋げてもらえればいいでしょう。   (写真は石川撮影分です。箕面の猿ではありません)
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2021.11.02

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耳を澄ませば… 私たちは耳を澄まして聞くと言うことをどれだけやっているでしょうか? 静かな所に行けば、聞こえてくるのは耳鳴りだけっていう人もいるかもしれません。 でも一度自然の中で耳を澄ませてみれば、様々な大地の息吹(生命体の声も含む)が聴こえてきます。 私は人の少ない大自然の山の中に行くのが好きなのですが、これは先日撮影した写真。 この場所で聴こえてきたものは、 木々の中を通り過ぎる風の音、雪の囁き、鳥の囀り、森たちの呟き(木と木が触れ合う音)、 波の囁き、遠くから聞こえる鹿の鳴き声、そして登山者の話し声… 耳鳴りのする私の耳ですが、ここでは影を潜めています。 耳を澄ませば色々な音があることが伝わってきます。 都会でもじっと聞いていれば、様々な音に溢れていることがわかります。 あべのハルカスからも、こっちを見ている人がいたのでしょうね。 では場所を変えて。 一度施設のどこかのフロアで、じっと耳を澄ませて聴こえてくるものを分析してみてはどうでしょうか。 当たり前のように溢れている音が、(人の声も当然)実はとても不快なもの、あるいはその逆もあるかもしれません。 認知症の人の場合、特に認識力が落ちてしまいます。 私たちが理解できた音でも、本人にとってはとても不快な(理解できない音や声)音かもしれません。 例えば台車を転がす音が理解できなければ、それは不安につながる音かもしれないのです。 当たり前のように流れている時間、そして当たり前のように溢れるくらい多い様々な音 一度立ち止って、耳を澄ませてみてください。 目をつぶって耳を澄ませば、もしかしたら不安になる音ばかりかもしれませんよ。 どのような音や声が心落ち着くのか、そうでない音なのか、何かを感じてみてください。
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2021.10.30

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楽カフェ弁当とケアテック センター長の石川です 10月28日 東大阪市役所では楽カフェ弁当が実施されました。 認知症の人が、市役所各階へボランティアの助けを借りながら お昼ご飯のお弁当を配る、第2回目の取組みです。 私は当日介護用品等の展示会CareTEXに行っていたため参加できませんでしたが お弁当配り、なかなか盛況のようでした。 アーバンケア島之内地域包括支援センターからは2名のスタッフが参加。 若年性の認知症の人と共に楽しく市役所を回られたようです。   その時間私は「近畿ブロック知事会」に 参加していません(笑)   CareTEX、平日にもかかわらず、多くの人がブースを回っていました。 色々なものがある! 最新の介護器具を見て回るだけで面白いですね。 特に「ケアフード」に関しては日常不可欠な所なので 皆さん関心が多かったようです。 栄養士さん?中心に色々業者に質問、試食をされていました。 これとは別にバリアフリー展も人気があります。 多くのケア関係職員が訪れ、同時にこれもめっちゃ勉強になる展示会です。 なんでみんな行かないのだろう? 以前は施設職員団体で見に行ったのですけどね。 ICT化、時代はどんどん進んできています。 バリアフリー展、来年はいつあるのでしょうか。  
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2021.10.20

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何故、認知症ケアの歴史を振り返るのか3 センター長の石川です。 この写真は、日本で初めて作られた「認知症専用特養」の部屋の写真です。 (当時は痴呆性老人専用棟と呼んでいました。) 全室個室と言う、当時としてはかなり画期的な特別養護老人ホームだったのです。 私も見学に行きました。   当時は、その全室個室のスタイルに、「凄いですね~」と感想を漏らしていたものです。 しかし実際にはこのような部屋で、鉄の扉で閉ざされます。 認知症の人には物理的対策として、これが最良だろうと、 当時の現場人はそれなりに納得していたのでした。 これくらいの術しか、認知症ケアの手段がわからなかったのです。 皆さんはどう思うでしょうか? ポイントは「認知症の症状」ではなく、 「人としてどうなのか」「あなたが当事者ならどう思うのか」を問いたいのです。 あなたなら、つなぎ服を着せられ、 刑務所のような部屋に閉じ込められることを良しと思いますか? 現在は、このような部屋もつなぎ服も存在しません(多分) しかし、実践者研修受講者の中にはこのようなコメントを残している人も何人かいました。 「過去に行われてきた介護から学べた事が多かったが、まだまだ尊厳が守られている介護では無い事を改めて実感出来たし、改善すべき点はたくさん有る事を感じた。」 過去のような物理的非尊厳はないとしても(あるかもしれませんが)、 私たちの行動の中に 「自分がやられて嫌なこと」を利用者にやっていないか常に考えることが必要です。 ケア実践者は「他人事」ではなく、「自分事」として利用者視点に立って考えること。 これはこの仕事で働く専門職としての、必要不可欠な介護技術のひとつでもあるのです。 ケア実践者として「どうなりたいのか」 そこが明確になれば、ケア実践者としても、人間としても、 周囲から認められる存在になるのではないでしょうか。
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2021.10.18

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何故、認知症ケアの歴史を振り返るのか2 私が大学在学中に初めてアルバイトで働いた特別養護老人ホーム そこでは車いすに乗っている人を腰ひもで縛るのは当たり前の状況でした。 私が最初に命じられた仕事は、以前にも書きましたが、人を縛ることだったのです。 当時はどこの老人ホームでも似たり寄ったりのことはしていたのです。 「転倒するから安全確保のために縛る。それは仕方がないことではなく、当り前のこと」 という時代だったのです。 当然縛られるのは身体だけでなく、その人の心までも縛ってしまうことになります。 さてこの写真、何をしているところかわかるでしょうか?   廊下で入所者を立たせておむつ交換をしているところなのです。 男女も関係なく、プライバシー保持など当時はありません。 このような非尊厳の中でケアは平然と行われてきたのです。 廊下でなぜおむつ交換を? 一気にできるという効率性と共に、 下記の写真のように入所者がぎっしりと部屋に詰め込まれているということもありました。   当時は8人部屋、10人部屋はごく普通にあり、 寝返りを打てば、右にも左にも隣りの人の顔が眼前にあると言う感じだったのです。 はたして、今は「人としての尊厳が守られているのか」 「非尊厳の中で亡くなっていった方々のためにも、人としての尊厳を守っていかなければならない」 それが、次世代のケア専門職に託されているのです。 目の前の認知症の人の、人生の時間はそう多くはないのです。 写真;中央法規出版 宮崎和加子・田邊順一「認知症の人の歴史を学びませんか」より  
ブログ投稿画像 認知症の人や家族を支援するチームオレンジを形作っていくための 「オレンジメンバー養成講座」が開かれています。 地域で認知症の人を支える、それをチームとして行っていくのですが、 今回参加された方は約10名、熱意を持った方々ばかりです。 しかしその年齢層は、いわゆる「高齢者」の皆様ばかりでした。 高齢者が高齢者を支える。そのような状況が続いているのかもしれません。 ただ年代を越えて繋がっていける取り組みをもっと行わないといけないのかなと思います。 「安心声掛けつながり訓練」もそのひとつと言えるでしょう。 年配の方の普段の見守り+ICTを活用したものを取り入れて、 それらを活用できる年代の人も含めた支援作りが必要かもしれません。 [caption id="attachment_3256" align="alignnone" width="1024"] 雲海に浮かぶ美ヶ原と八ケ岳 標高3015メートルの立山山頂より[/caption]   かくいう私も高齢者の部類に入るのでしょうね。 ただ、わがまま勝手な私はグループで動くのが苦手(自分が不器用でだらしないので、グループメンバーにめっちゃ気を遣う)なのですが、 自己責任で行う登山は大好きでしばらくやめていたのを復活させました。 都会と違って、山は人が少ないです。それが何より。 空気も新鮮です。(もっとも最近は、なんちゃって登山者も増えましたが) 元々は危険な山も何のそのと、若い時はよく北アルプスを登っていたのですが、今はひーひー言いながら登っています。 10月、紅葉を撮影に行ったのに、山はもう冬でした。 さて、11月20日「ほっこりなつどい」を開催します。 認知症の方を介護されている介護家族の方のつどいです。お気軽にご参加ください。まだ参加できますよ!
ブログ投稿画像 音は意外と気になるものです。 イヤホンで聞く人がノイズキャンセラーを使うのは、 雑音(自分にとって不快な音)が多いからでしょう。 では、自分の身の回りのことの全てが不確かな(認識する機能が弱まっている)状況にある認知症の人には、 周囲の様々な音(もちろん人の声も含みます)はどのように感じているのでしょうか? あくまでも模擬的な体感になりますが、普段真剣に考えることのない音について 考えてみましょう。 [caption id="attachment_3243" align="alignnone" width="1024"] 🙉 聞か猿ではありません[/caption] 【実践条件】 *「耳を澄ませば実践者」は、ケアの現場のどこかの場所(できれば利用者が普段いる場所)に座ります。 *「耳を澄ませば実践者」は、基本目をつぶります。目隠ししたほうが実験を周囲の人に理解しやすいと思いますが、危険察知に備えてすぐに外せるようにしておきます。 *実践時間は何時でも構いませんが、認知症の人が落ち着かなくなる時間帯、職員が動き回っている時間帯など、この時の「音」について確認したい時間帯を選びます。 *1回10分程度(もう少し短くてもよい)で行います。 *「耳を澄ませば実践者」は壁と同じ存在になりますので、業務にもかかわりませんし、利用者のケアにも関わりません(危険を察知した場合はのぞく) *「耳を澄ませば実践者」の大変なところは、もちろん「聴く」ことに集中することですが、「感じたことを記憶する」という作業があります。 *記憶したものは、下記書式にまとめます。 [caption id="attachment_3241" align="alignnone" width="1024"] 聞き耳を立て、親やグループの情報を集めています。[/caption]   何人かで行うのが良いでしょう。 そして心地よい音と、そうでない音を自覚し、ケアの改善に繋げてもらえればいいでしょう。   (写真は石川撮影分です。箕面の猿ではありません)
ブログ投稿画像 私たちは耳を澄まして聞くと言うことをどれだけやっているでしょうか? 静かな所に行けば、聞こえてくるのは耳鳴りだけっていう人もいるかもしれません。 でも一度自然の中で耳を澄ませてみれば、様々な大地の息吹(生命体の声も含む)が聴こえてきます。 私は人の少ない大自然の山の中に行くのが好きなのですが、これは先日撮影した写真。 この場所で聴こえてきたものは、 木々の中を通り過ぎる風の音、雪の囁き、鳥の囀り、森たちの呟き(木と木が触れ合う音)、 波の囁き、遠くから聞こえる鹿の鳴き声、そして登山者の話し声… 耳鳴りのする私の耳ですが、ここでは影を潜めています。 耳を澄ませば色々な音があることが伝わってきます。 都会でもじっと聞いていれば、様々な音に溢れていることがわかります。 [caption id="attachment_2035" align="alignnone" width="650"] あべのハルカスからも、こっちを見ている人がいたのでしょうね。[/caption] では場所を変えて。 一度施設のどこかのフロアで、じっと耳を澄ませて聴こえてくるものを分析してみてはどうでしょうか。 当たり前のように溢れている音が、(人の声も当然)実はとても不快なもの、あるいはその逆もあるかもしれません。 認知症の人の場合、特に認識力が落ちてしまいます。 私たちが理解できた音でも、本人にとってはとても不快な(理解できない音や声)音かもしれません。 例えば台車を転がす音が理解できなければ、それは不安につながる音かもしれないのです。 当たり前のように流れている時間、そして当たり前のように溢れるくらい多い様々な音 一度立ち止って、耳を澄ませてみてください。 目をつぶって耳を澄ませば、もしかしたら不安になる音ばかりかもしれませんよ。 どのような音や声が心落ち着くのか、そうでない音なのか、何かを感じてみてください。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 10月28日 東大阪市役所では楽カフェ弁当が実施されました。 認知症の人が、市役所各階へボランティアの助けを借りながら お昼ご飯のお弁当を配る、第2回目の取組みです。 私は当日介護用品等の展示会CareTEXに行っていたため参加できませんでしたが お弁当配り、なかなか盛況のようでした。 アーバンケア島之内地域包括支援センターからは2名のスタッフが参加。 若年性の認知症の人と共に楽しく市役所を回られたようです。   その時間私は「近畿ブロック知事会」に 参加していません(笑)   CareTEX、平日にもかかわらず、多くの人がブースを回っていました。 色々なものがある! 最新の介護器具を見て回るだけで面白いですね。 特に「ケアフード」に関しては日常不可欠な所なので 皆さん関心が多かったようです。 栄養士さん?中心に色々業者に質問、試食をされていました。 これとは別にバリアフリー展も人気があります。 多くのケア関係職員が訪れ、同時にこれもめっちゃ勉強になる展示会です。 なんでみんな行かないのだろう? 以前は施設職員団体で見に行ったのですけどね。 ICT化、時代はどんどん進んできています。 バリアフリー展、来年はいつあるのでしょうか。  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 この写真は、日本で初めて作られた「認知症専用特養」の部屋の写真です。 (当時は痴呆性老人専用棟と呼んでいました。) 全室個室と言う、当時としてはかなり画期的な特別養護老人ホームだったのです。 私も見学に行きました。   当時は、その全室個室のスタイルに、「凄いですね~」と感想を漏らしていたものです。 しかし実際にはこのような部屋で、鉄の扉で閉ざされます。 認知症の人には物理的対策として、これが最良だろうと、 当時の現場人はそれなりに納得していたのでした。 これくらいの術しか、認知症ケアの手段がわからなかったのです。 皆さんはどう思うでしょうか? ポイントは「認知症の症状」ではなく、 「人としてどうなのか」「あなたが当事者ならどう思うのか」を問いたいのです。 あなたなら、つなぎ服を着せられ、 刑務所のような部屋に閉じ込められることを良しと思いますか? 現在は、このような部屋もつなぎ服も存在しません(多分) しかし、実践者研修受講者の中にはこのようなコメントを残している人も何人かいました。 「過去に行われてきた介護から学べた事が多かったが、まだまだ尊厳が守られている介護では無い事を改めて実感出来たし、改善すべき点はたくさん有る事を感じた。」 過去のような物理的非尊厳はないとしても(あるかもしれませんが)、 私たちの行動の中に 「自分がやられて嫌なこと」を利用者にやっていないか常に考えることが必要です。 ケア実践者は「他人事」ではなく、「自分事」として利用者視点に立って考えること。 これはこの仕事で働く専門職としての、必要不可欠な介護技術のひとつでもあるのです。 ケア実践者として「どうなりたいのか」 そこが明確になれば、ケア実践者としても、人間としても、 周囲から認められる存在になるのではないでしょうか。
ブログ投稿画像 私が大学在学中に初めてアルバイトで働いた特別養護老人ホーム そこでは車いすに乗っている人を腰ひもで縛るのは当たり前の状況でした。 私が最初に命じられた仕事は、以前にも書きましたが、人を縛ることだったのです。 当時はどこの老人ホームでも似たり寄ったりのことはしていたのです。 「転倒するから安全確保のために縛る。それは仕方がないことではなく、当り前のこと」 という時代だったのです。 当然縛られるのは身体だけでなく、その人の心までも縛ってしまうことになります。 さてこの写真、何をしているところかわかるでしょうか?   廊下で入所者を立たせておむつ交換をしているところなのです。 男女も関係なく、プライバシー保持など当時はありません。 このような非尊厳の中でケアは平然と行われてきたのです。 廊下でなぜおむつ交換を? 一気にできるという効率性と共に、 下記の写真のように入所者がぎっしりと部屋に詰め込まれているということもありました。   当時は8人部屋、10人部屋はごく普通にあり、 寝返りを打てば、右にも左にも隣りの人の顔が眼前にあると言う感じだったのです。 はたして、今は「人としての尊厳が守られているのか」 「非尊厳の中で亡くなっていった方々のためにも、人としての尊厳を守っていかなければならない」 それが、次世代のケア専門職に託されているのです。 目の前の認知症の人の、人生の時間はそう多くはないのです。 写真;中央法規出版 宮崎和加子・田邊順一「認知症の人の歴史を学びませんか」より