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「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

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2022.06.30

認知症の教室(専門職用)
認知症の方、デイ、ショート利用の避暑がお勧めです! センター長の石川です。 早くも猛烈な暑さが続いていますね。 認知症の人にとって熱中症は恐ろしい怪物です。 どうしても認知機能が低下している状況なので、暑さ、寒さへの対処が難しくなります。 自ら水分を摂ったり、衣服の調整をしたり、エアコンを入れたりなどの 行動自体が起こせなくなってしまいます。 適切なサポートがないと、たちどころに熱中症にやられてしまいます。 認知症の人の場合、一番いいのは デイサービスやショートステイを活用して 避暑にくることです!   さて、熱中症対策 まずは何と言っても水分補給ですね。 なかなか飲んでもらえないということもあるでしょうか、 味見を変えて(甘みがあるものも含めて)少しずつこまめに飲んでもらいましょう。 梨などの水分の多いものを食べてもらうのもいいと思います。 とにかく、くどいくらい水分補給を進めてください。 但し、一気に飲むのではなく、こまめに少しずつで。 エアコンは直接的に風が当たらないようにして、できれば除湿が良いでしょう。 エアコンを入れていても結構汗はかいているものなので、 水分補給はエアコンを入れていても怠らないように。 よく家庭訪問すると、どんなに暑くてもエアコンを入れていない高齢者の方がおられます。 電気代がかかるとか、手足が冷えるとか、 いろいろな理由があるとは思いますが、 熱中症はそんな考えなど関係なく、容赦なく襲ってきます。 電気代と命は引き換えることはできません。 冷えるのならば、風が直接当たらないようにして、 扇風機でかくはんするのもいいでしょう。 日中は極力外出しないようにしましょう。 認知症の人の場合、家でじっとしているのは苦痛です。 デイサービスやショートステイをこれまで以上に活用して 避暑に来ることも考えましょう。   認知症になってしまうと、 あらゆる感覚機能が落ちてしまいます。 周囲の者が気配りしなければ たちどころに熱中症に襲われてしまいます。 介護者も同じです。 水分補給と心地よい室温。 電気代も冷え性も、命の引換にはできません。 (イラストは、いらすと屋さんより)
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2022.06.17

認知症の教室(専門職用)
「なんでやねん!思考法」とは(前編) センター長の石川です。 ケアの現場では色々なアプローチが行われています。 理論的な難しいものや、一杯書き込むものもあります。 なかなか大変です。 そこで今回は、関西人の特性?を活かした「なんでやねん!思考法」について お話しする前編です。 そもそも「なんでやねん!」は、大阪人をはじめとした関西人には身についているものと言えます。 漫才の世界だけでなく、普段から私たちに身についている言葉でもあります。 身についているからこそ普段からよく思ったり、口にしたりします。 それを活用するのです。 ケアの現場では「気づき力」が問われますが、いざ真面目に考えると、気づき力と言われても…? ということになるでしょう。 しかし普段から心の中では「なんでやねん!」と思っていることが一杯あるはずなのです。 それは、え?と思うようなケアの内容かもしれませんし、 他の職員に対しても思うことかもしれません。 その「なんでやねん!」こそが気づき力なのです。 私もパソコン操作時に、例えばこのワード打刻時に、 パソコンが自分が思っているのと全然違う表示をしたら、 思わず「なんでやねん!」と毒ついていることが多々あります。 まぁ「なんでやねん!」と言いながらパソコンに向かって怒っているのですが、 「自分は間違ってない、パソコンがおかしい!」という意味でのなんでやねん!ですね。 しかしその99%は私の操作間違いと言えます。 「なんでやねん」は文句や疑問だけでなく、結局自分にも降りかかってくる言葉にもなります。 次回はこの「なんでやねん!」思考をどのように活かすかについて書いてみたいと思います。
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2022.06.10

認知症の教室(専門職用)
「なんでやねん」と思うことの大切さ これまで何度もこのブログで掲示してきた文章です。 多くの方の看取りをされてきた看護師さんの言葉です。 「私たちはあなたが、安らかに死を迎えられるだけでなく、 最後まで生きられるように最善を尽くします。」という言葉。 つまり、死を迎える看取りの看護介護だけではなく、死のその瞬間まで、その方の生活を支えていくこと。 ということですね。 看取り期であっても、その人の「生」を支えていくために最善を尽くすこと。なのです。 もうすぐ亡くなる方ではなく、最後まで生活者として、その方の意向や周辺環境を整えていくこと。 それがケア者としての務めでもあるでしょう。 とは言っても、忙しい毎日。「忙しい」と言うことは、なにかを亡くすこともあるでしょう。 特にコロナ禍において、ケアの現場は、ケアの現場だけの視点になります。 違った視点で見て感じる人(例えばご家族)の存在がなくなったからです。 だからこそ、私たち自身が「違った視点で見て感じること」 そして、「なんでやねん!」と思うことが、よりよいケアに生きてくるのです。 ではバタバタの業務の中、どうしたら「違った視点で見て感じること」ができるのでしょうか? それは「1分でいいので立ち止まり、視点を変えて考えてみること」です。 「え?どういう意味?」と思うかもしれません。 簡単です。 例えば「これって、入居者のAさんから見たらどう見えるんやろ?」 と、自分の視点以外で考えてみることです。 そうすると、Aさんから見えるケア職員は、なんでやねん!と思える存在かもしれません。 「自分がここで暮らすとしたら?」と、 1分でいいから立ち止まって考えてみることです。 「なんでやねん!」と思うことが見えてくるかもしれません。 「もし家族が来たならどう感じるやろ?」 など、ちょっとだけでいいので立ち止まって、別の視点で考えてみること。 このような「思考転換1分タイム」を自分の中に形作ること。 そうすると、「なんでやねん!」と思うことが一杯見えてくるかもしれません。 そうやって気づき力を少しずつ作っていかないと、100年たっても現場は変わらないでしょう。 「なんでやねん!」と思うことは、気づき力が養われるし、探求心にも繋がります。 決して批判の言葉ではなく、「変なところは修正していこう!」とか、 「探求心を働かせよう!」という意味なのです。 1分でいいので、「待てよ」と、違う視点で考えてみることです。 「なんでやねん」が見えてきたら、ケアが変わっていく第一歩です。
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2022.06.04

認知症の教室(専門職用)
六甲颪に送られて 大の阪神ファンの方が亡くなられ、 多くの利用者、スタッフが見守られる中、 タイガースファンだったのでという家族の希望もあり 六甲颪の唄に送られながら、施設を後にされました。 写真撮影は家族の許可を得て行っています   思えば、私はこれまで何人の阪神ファンの方を見送ってきたことか。 タイガースの帽子を棺に入れた方も、 車いすを押して一緒に甲子園へ見に行った人も、 ベッドサイトに阪神の選手が来てくれた人も、 みんな次の優勝を見ることなく逝ってしまわれました。 私自身は熱烈なタイガースファンというわけではありませんが、 やっぱり悔しいですね。 写真撮影は家族の許可を得て行っています。   しかし六甲颪は不思議な音楽です。 妙に元気を与えてくれる。 それはきっと悔しさがいっぱい詰まった歓喜の歌だからかもしれないですね。 https://www.youtube.com/watch?v=23Gh-OiO_i8 支え、そして見送ってくれた、多くのスタッフに感謝です。 デイの利用者の方々もいつも温かく見守ってくれてありがたいですね。   ただ忘れてはならないのは、以前も載せましたが下記の言葉です。 亡くなられる最後の瞬間まで、その方の生活を支えること。 何よりも大切なことなのです。
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2022.06.02

認知症の教室(専門職用)
認知症のことで知ってほしい5つのこと(3)「本人の視点で考える」 今回も若年性認知症と診断された、丹野智文さんと下坂厚さんが共同で作成された「認知症のことで知ってほしい5つのこと」から紹介したいと思います。 (3)良かれと思って先回りしないでほしい。普段と変わらないように接してほしい。 私たちは「できないことをサポートする」ことがどうしても前提となってしまい、 特に「認知症の人」には「わからないだろう」という思いから、 本人の意思を無視して「やってしまう」ことや、気を使いすぎての対応があるかもしれません。 もちろんご本人の認知症の進行具合によっては、「サポートする」ことは多くなるでしょう。 しかし、私たちの親切心は、あくまでも私たち側からの思いなのであって、 ご本人からすれば、自分の意思や自由、できることを奪ってしまうことにもなりかねません。 「認知症の人が、何ができて、何ができなくて、何をしてほしいと思っているのか、把握することが大切です。」 その通りですね。 特に、認知症があろうがなかろうが、ルーティンワークをこなすために、 本来なら自分でできることをケア側がやってしまったり、 歩けるのに車いすに乗せて移動するなんてことも多々あるでしょう。 これは身体の能力だけでなく、本人の意思をも奪ってしまうことになります。 「残存機能の維持」ではなく、ケア職員が「残存機能も奪う」ことにも繋がります。 これではケア職員の面目丸潰れになってしまいます。 それはわかってるけど、忙しいし、ゆっくり本人の意思や能力に付き合っている余裕はないというのが現状でしょう。 ケア職員の面目丸潰れではなく、ケア職員の面目躍起になるためにはどうしたらいいのか? 簡単なことです。 「本人視点」に立って、ケアを考え直せばいいのです。 「私たち視点」で考えている限り、いつまでたっても、少しも変わらないでしょう。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 早くも猛烈な暑さが続いていますね。 認知症の人にとって熱中症は恐ろしい怪物です。 どうしても認知機能が低下している状況なので、暑さ、寒さへの対処が難しくなります。 自ら水分を摂ったり、衣服の調整をしたり、エアコンを入れたりなどの 行動自体が起こせなくなってしまいます。 適切なサポートがないと、たちどころに熱中症にやられてしまいます。 認知症の人の場合、一番いいのは デイサービスやショートステイを活用して 避暑にくることです!   さて、熱中症対策 まずは何と言っても水分補給ですね。 なかなか飲んでもらえないということもあるでしょうか、 味見を変えて(甘みがあるものも含めて)少しずつこまめに飲んでもらいましょう。 梨などの水分の多いものを食べてもらうのもいいと思います。 とにかく、くどいくらい水分補給を進めてください。 但し、一気に飲むのではなく、こまめに少しずつで。 エアコンは直接的に風が当たらないようにして、できれば除湿が良いでしょう。 エアコンを入れていても結構汗はかいているものなので、 水分補給はエアコンを入れていても怠らないように。 よく家庭訪問すると、どんなに暑くてもエアコンを入れていない高齢者の方がおられます。 電気代がかかるとか、手足が冷えるとか、 いろいろな理由があるとは思いますが、 熱中症はそんな考えなど関係なく、容赦なく襲ってきます。 電気代と命は引き換えることはできません。 冷えるのならば、風が直接当たらないようにして、 扇風機でかくはんするのもいいでしょう。 日中は極力外出しないようにしましょう。 認知症の人の場合、家でじっとしているのは苦痛です。 デイサービスやショートステイをこれまで以上に活用して 避暑に来ることも考えましょう。   認知症になってしまうと、 あらゆる感覚機能が落ちてしまいます。 周囲の者が気配りしなければ たちどころに熱中症に襲われてしまいます。 介護者も同じです。 水分補給と心地よい室温。 電気代も冷え性も、命の引換にはできません。 (イラストは、いらすと屋さんより)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 ケアの現場では色々なアプローチが行われています。 理論的な難しいものや、一杯書き込むものもあります。 なかなか大変です。 そこで今回は、関西人の特性?を活かした「なんでやねん!思考法」について お話しする前編です。 そもそも「なんでやねん!」は、大阪人をはじめとした関西人には身についているものと言えます。 漫才の世界だけでなく、普段から私たちに身についている言葉でもあります。 身についているからこそ普段からよく思ったり、口にしたりします。 それを活用するのです。 ケアの現場では「気づき力」が問われますが、いざ真面目に考えると、気づき力と言われても…? ということになるでしょう。 しかし普段から心の中では「なんでやねん!」と思っていることが一杯あるはずなのです。 それは、え?と思うようなケアの内容かもしれませんし、 他の職員に対しても思うことかもしれません。 その「なんでやねん!」こそが気づき力なのです。 私もパソコン操作時に、例えばこのワード打刻時に、 パソコンが自分が思っているのと全然違う表示をしたら、 思わず「なんでやねん!」と毒ついていることが多々あります。 まぁ「なんでやねん!」と言いながらパソコンに向かって怒っているのですが、 「自分は間違ってない、パソコンがおかしい!」という意味でのなんでやねん!ですね。 しかしその99%は私の操作間違いと言えます。 「なんでやねん」は文句や疑問だけでなく、結局自分にも降りかかってくる言葉にもなります。 次回はこの「なんでやねん!」思考をどのように活かすかについて書いてみたいと思います。
ブログ投稿画像 これまで何度もこのブログで掲示してきた文章です。 多くの方の看取りをされてきた看護師さんの言葉です。 「私たちはあなたが、安らかに死を迎えられるだけでなく、 最後まで生きられるように最善を尽くします。」という言葉。 つまり、死を迎える看取りの看護介護だけではなく、死のその瞬間まで、その方の生活を支えていくこと。 ということですね。 看取り期であっても、その人の「生」を支えていくために最善を尽くすこと。なのです。 もうすぐ亡くなる方ではなく、最後まで生活者として、その方の意向や周辺環境を整えていくこと。 それがケア者としての務めでもあるでしょう。 とは言っても、忙しい毎日。「忙しい」と言うことは、なにかを亡くすこともあるでしょう。 特にコロナ禍において、ケアの現場は、ケアの現場だけの視点になります。 違った視点で見て感じる人(例えばご家族)の存在がなくなったからです。 だからこそ、私たち自身が「違った視点で見て感じること」 そして、「なんでやねん!」と思うことが、よりよいケアに生きてくるのです。 ではバタバタの業務の中、どうしたら「違った視点で見て感じること」ができるのでしょうか? それは「1分でいいので立ち止まり、視点を変えて考えてみること」です。 「え?どういう意味?」と思うかもしれません。 簡単です。 例えば「これって、入居者のAさんから見たらどう見えるんやろ?」 と、自分の視点以外で考えてみることです。 そうすると、Aさんから見えるケア職員は、なんでやねん!と思える存在かもしれません。 「自分がここで暮らすとしたら?」と、 1分でいいから立ち止まって考えてみることです。 「なんでやねん!」と思うことが見えてくるかもしれません。 「もし家族が来たならどう感じるやろ?」 など、ちょっとだけでいいので立ち止まって、別の視点で考えてみること。 このような「思考転換1分タイム」を自分の中に形作ること。 そうすると、「なんでやねん!」と思うことが一杯見えてくるかもしれません。 そうやって気づき力を少しずつ作っていかないと、100年たっても現場は変わらないでしょう。 「なんでやねん!」と思うことは、気づき力が養われるし、探求心にも繋がります。 決して批判の言葉ではなく、「変なところは修正していこう!」とか、 「探求心を働かせよう!」という意味なのです。 1分でいいので、「待てよ」と、違う視点で考えてみることです。 「なんでやねん」が見えてきたら、ケアが変わっていく第一歩です。
ブログ投稿画像 大の阪神ファンの方が亡くなられ、 多くの利用者、スタッフが見守られる中、 タイガースファンだったのでという家族の希望もあり 六甲颪の唄に送られながら、施設を後にされました。 [caption id="attachment_3801" align="alignnone" width="1024"] 写真撮影は家族の許可を得て行っています[/caption]   思えば、私はこれまで何人の阪神ファンの方を見送ってきたことか。 タイガースの帽子を棺に入れた方も、 車いすを押して一緒に甲子園へ見に行った人も、 ベッドサイトに阪神の選手が来てくれた人も、 みんな次の優勝を見ることなく逝ってしまわれました。 私自身は熱烈なタイガースファンというわけではありませんが、 やっぱり悔しいですね。 [caption id="attachment_3802" align="alignnone" width="1024"] 写真撮影は家族の許可を得て行っています。[/caption]   しかし六甲颪は不思議な音楽です。 妙に元気を与えてくれる。 それはきっと悔しさがいっぱい詰まった歓喜の歌だからかもしれないですね。 https://www.youtube.com/watch?v=23Gh-OiO_i8 支え、そして見送ってくれた、多くのスタッフに感謝です。 デイの利用者の方々もいつも温かく見守ってくれてありがたいですね。   ただ忘れてはならないのは、以前も載せましたが下記の言葉です。 亡くなられる最後の瞬間まで、その方の生活を支えること。 何よりも大切なことなのです。
ブログ投稿画像 今回も若年性認知症と診断された、丹野智文さんと下坂厚さんが共同で作成された「認知症のことで知ってほしい5つのこと」から紹介したいと思います。 (3)良かれと思って先回りしないでほしい。普段と変わらないように接してほしい。 私たちは「できないことをサポートする」ことがどうしても前提となってしまい、 特に「認知症の人」には「わからないだろう」という思いから、 本人の意思を無視して「やってしまう」ことや、気を使いすぎての対応があるかもしれません。 もちろんご本人の認知症の進行具合によっては、「サポートする」ことは多くなるでしょう。 しかし、私たちの親切心は、あくまでも私たち側からの思いなのであって、 ご本人からすれば、自分の意思や自由、できることを奪ってしまうことにもなりかねません。 「認知症の人が、何ができて、何ができなくて、何をしてほしいと思っているのか、把握することが大切です。」 その通りですね。 特に、認知症があろうがなかろうが、ルーティンワークをこなすために、 本来なら自分でできることをケア側がやってしまったり、 歩けるのに車いすに乗せて移動するなんてことも多々あるでしょう。 これは身体の能力だけでなく、本人の意思をも奪ってしまうことになります。 「残存機能の維持」ではなく、ケア職員が「残存機能も奪う」ことにも繋がります。 これではケア職員の面目丸潰れになってしまいます。 それはわかってるけど、忙しいし、ゆっくり本人の意思や能力に付き合っている余裕はないというのが現状でしょう。 ケア職員の面目丸潰れではなく、ケア職員の面目躍起になるためにはどうしたらいいのか? 簡単なことです。 「本人視点」に立って、ケアを考え直せばいいのです。 「私たち視点」で考えている限り、いつまでたっても、少しも変わらないでしょう。